『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
激しい雨が叩きつける北方への街道。
辺境の街を守るべく防衛線に就いていた銀等級の冒険者たちは、今まさに、信じがたい「光景」を背にして街へとひた走っていた。
先ほどまで対峙していた北方軍の「冷たい殺意」の塊――五百名の精鋭大隊が、一瞬の白光と共に、文字通り「消滅」したのだ。
「……おい、夢じゃねえよな。あの第二密偵連隊の大隊が、一瞬で消えちまったぞ」
槍使いが、愛槍を握りしめたまま、信じられないものを見たという顔で吐き捨てた。彼の額からは、雨とは違う冷たい汗が流れている。
「……ああ。斬られたわけでも、焼かれたわけでもねえ。死体すら残ってねえんだ」
重戦士が、抜き放った大剣の重みを確かめるように低い声で応じた。
「死神の仕業か。……軍隊を丸ごとゴミみたいに掃き出しやがった。理屈じゃねえな、これは」
「……でも、まだ……終わっていないわ……」
紫煙を吐き出しながら、魔女が虚空を見つめて静かに告げる。彼女の感覚は、街の内側に残された「淀み」を正確に捉えていた。
「……壊滅前に……潜入した……一個中隊が……街で、まだ……蠢いている……。司祭と……呼応して……」
「何だと!? 主力が消えてもまだやる気かよ、あの人形共は!」
槍使いが再び武器を握り直す。
「街の住民を、これ以上の危険に晒すわけにはいかない!」
女騎士が、泥を跳ね上げながら先頭を駆ける。彼女の白銀の甲冑は、雨を弾きながら鋭い決意を放っていた。
「一個中隊とはいえ、相手は北方軍の最精鋭。ゴブリンスレイヤーたちが元凶を追っている間、この街の盾となるのが我ら銀等級の務めだ。行くぞ、路地裏の『鼠』を一匹残らず叩き出す!」
「上等だ! あの兜野郎に手柄を全部持っていかれるのも癪だからな!」
銀等級の戦士たちは、再び雨の街へと駆け出した。
女神官を巡る「鍵」の争奪戦の裏側で、もう一つの凄惨な市街戦が始まろうとしていた。
――第二街区。煙幕が雨に溶け、視界が戻りつつある路地裏で、第一中隊長は返り血を拭うこともなく、影の中に佇む司祭へと向き直った。その背後では、一党の残る三人を足止めすべく、沈黙の兵士たちが再び刃を振るっている。
「――報告。司祭殿。一党の分断に成功しました」
中隊長の声は、冷徹なまでに平坦だった。
「予定通り、小鬼殺しと神官の娘を西門の外へと誘導しております。あの場所には、既に我が方の第二小隊が潜伏し、待ち構えております。……あの二人は間もなく、逃げ場のない袋の鼠となるでしょう」
「クク……、クははははッ!! 素晴らしい。実に見事な手際だ」
司祭は自らの右半身を抑え、恍惚とした表情で頷いた。
「これで、最後の『鍵』が手に入る。……あの死神を……私の最高傑作を、再び我らの……いや、私の忠実なる『猟犬』へと戻すのだ。彼女が臨界点を迎える前に、私の手で新たな鎖を嵌めてやろう」
「……司祭殿、一点懸念がございます」
中隊長が、わずかに北の空を仰いだ。
「郊外の第一大隊主力……五百の軍勢が死神によって消失したことで、これまで防衛線に釘付けにされていたギルドの冒険者が、異変に気づき街へと戻りつつあります。……奴らが合流すれば、作戦の障害となるでしょう」
中隊長は軍刀を抜き、退路を断つように構えた。
「我ら第一中隊はここに留まり、戻ってきた冒険者どもを足止めします。……その間に、確実な処置を」
「任せたよ。……君たちの『無』の献身、北方軍司令にも高く評価するよう伝えておこうではないか」
司祭は懐から、禍々しい紫色の光を放つ【転移の巻物】を取り出した。
「さあ、因縁の再会といこう。……絶望が産声を上げた、あの懐かしき洞窟でね」
司祭が巻物を引き千切ると、不気味な黒い魔力の渦が彼を包み込んだ。
一瞬の閃光の後、異形の影は跡形もなく消え去り、路地裏には激しい雨の音と、感情を殺した兵士たちが振るう剣戟の音だけが取り残された。
一党を分断し、救済の希望を「鍵」として利用せんとする司祭。
その毒牙が、いま、始まりの洞窟で立ち往生する女神官たちの喉元へと、最短距離で届こうとしていた。
――雨に煙る西門の外。女武闘家は、かつて自分が救い出された時に通ったはずの山道を、今度は死神として駆け抜けていた。
彼女の瞳の曼荼羅が激しく明滅し、脳内で【不浄の指針】が嘲笑を響かせる。
『――くくく。北の軍は実に手際がいいな。主力を塵にされたというのに、臆することなく次の「手順」を遂行するとは。……見ろ、依代よ。あの沈黙の兵士たちが、あの神官の娘を、お前を産み落としたあの忌まわしき「巣穴」へと追い込んでいるぞ』
「…………ッ!!」
女武闘家の掌から、焦燥に任せた衝撃が漏れ出し、周囲の樹木をなぎ倒す。
彼女には視えていた。感情を殺した第2密偵連隊の兵士たちが、完璧な連携で女神官とゴブリンスレイヤーを一点へ誘導している様子を。
「急がないと……! あの子が……神官ちゃんが、危ない……!」
『然り。不浄なる飼い主に、あの「鍵」を渡してはならん』
指針の声が、かつてないほど冷酷に響く。
『あの娘の慈悲は、我らにとっての毒だ。……そして、あの男にとっては我らを再び縛り上げるための最高の部品。奴があの光を手に入れれば、我らは再び、不自由な檻の中へ繋ぎ止められることになるのだからな』
「……あの子は……渡さない。……ゴブリンなんかに……絶対……!」
女武闘家は絶叫と共に地を蹴った。
その跳躍は、もはや武闘家のそれではなく、獲物を屠るために最適化された猛獣の如き速度。
『行け、死神。……あの不浄な巣穴へ。……お前を壊したあの暗闇で、今度こそ全ての因縁を掃除してやるのだ』
死神は、かつて絶望が始まったあの洞窟へと、真っ赤に染まった瞳を向けて突き進む。
神々の遊戯は、最悪の舞台設定を終え、因縁の役者たちが一同に会する「始まりの場所」へと集束していった。