『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
司祭は、冷たい雨に打たれながら微動だにしない鉄兜の男――ゴブリンスレイヤーを見据え、その口端を醜く吊り上げた。
「……小鬼殺し。君からも彼女を説得してやってくれ。今の私の提案は、君たちにとっても決して悪い話ではないはずだ」
司祭は一歩踏み出し、まるで見透かしたかのような侮蔑を込めて告げる。
「ああ、そう言えば忘れていたよ。君はゴブリンを殺せれば世界がどうなろうが知ったことではない『狂人』だったな。王都が燃えようが、南方の都市が更地になろうが、ゴブリンさえいなくなればそれで満足なのだろう?」
女神官が「そんな、ゴブリンスレイヤーさんは……!」と声を上げようとしたが、司祭はそれを手で制し、さらに声を潜めて誘惑を続ける。
「ならば、素晴らしい提案をしよう。もしも君たちが、彼女に『死神の枷』を嵌め直すことに協力してくれるなら……私は北方軍司令部に掛け合って、その『枷』の制御権を、そのまま君に譲り渡してもいい」
「……何だと?」
「どうだ? 悪くないだろう。君がその手に『枷』を握れば、あの死神は、君の忠実な僕となる。君が指差した巣穴を、彼女はその掌一つで跡形もなく消し去るだろう。」
司祭は、恍惚とした表情で洞窟の奥、蠢く闇を指差した。
「想像したまえ。君とあの娘……二人の『小鬼殺し』が手を携える光景を。君の知恵と執念、そして彼女が持つ神話をも屠る拒絶の力。それらが合わされば、この四方世界から、一匹残らずゴブリンを根絶することも、もはや夢ではないのだぞ」
司祭は一歩踏み出し、鉄兜の覗き窓を覗き込むように顔を寄せた。
「悪い話ではないだろう? 君は、自分の人生を懸けても成し遂げられぬ宿願を、彼女という『道具』を手に入れることで完遂できる。……拒む理由など、どこにもないはずだ」
雨に濡れる鉄兜の奥で、赤い眼光がじっと司祭を見据えている。その沈黙を、司祭は「肯定」と受け取ったかのように、ねっとりとした声でトドメの一撃を放った。
「君も分かっているはずだ。君もあの死神と同じ……あの日から時が止まり、ゴブリンを殺すという妄執以外、何も残っていない――鏡合わせの亡霊なのだからな」
その瞬間、洞窟の奥から、全ての温度を奪い去るような冷たい風が吹き抜けた。
司祭の誘いは、冒険者としての誇りさえも泥に沈め、ただ「殺戮の効率」だけを追求する修羅の道への招待状。
女神官は震える手でゴブリンスレイヤーの腕を掴もうとした。彼が、この悪魔の提案に頷いてしまうのではないかという、根源的な恐怖が彼女を支配していた。
「…………」
鉄兜の男は、未だ何も答えない。
ただ、その右手は静かに、けれど確実に、腰の使い古された剣の柄へと伸ばされていた。
「何を躊躇う? 君はかつて魔神王が復活し、世界が破滅の淵に立たされた時でさえ、全く興味を示さなかったではないか。北の戦の行く末も、王都の存亡も、君という男にとっては『ゴブリンではない何か』の些事に過ぎないはずだ」
司祭は一歩踏み出し、泥を跳ね上げながら、呪詛のような甘い囁きを続ける。
「……姉の仇を討ちたくはないのか? 君の平穏を奪い、故郷を血の海に変えたあの卑小な怪物を、この世の果てまで根絶やしにしたくはないのか?」
「…………」
「認めろ。君がその泥臭い剣をどれだけ振るい、一生を捧げたところで、この広大な四方世界からゴブリンがいなくなる日は永久に来ない。君が十匹殺している間に、別の場所では百匹が産まれ、また誰かの故郷を焼いているのだ」
司祭の瞳が、狂気的な確信にギラリと光る。
「私がいなくても、いずれ第二、第三の『君』や『あの娘』が生まれるだろう。救われず、奪われ、壊される犠牲者の連鎖は止まらない。……だが、今ここで私の手を取ればどうだ? あの死神の力があれば、数ヶ月、いや数日のうちに南方の巣穴は全て更地になる。君の妄執は『神罰』へと昇華され、ゴブリンの悲劇の連鎖を根底から断つことができるのだよ」
司祭は、自らの左手を差し出した。
「世界を救うのではない。世界を『掃除』するのだ。君の姉が、君の故郷が、そして君自身が望んだ『ゴブリンのいない世界』。それを私の最高傑作と共に作り上げたくはないかね?」
女神官は、冷たい雨の中で震えが止まらなかった。
司祭の言葉は、恐ろしいほどに論理的で、そしてあまりにも残酷にゴブリンスレイヤーの「目的」を突いていた。
「ゴブリンスレイヤーさん……」
彼女がその名を呼ぼうとした瞬間。
鉄兜の奥で、赤い眼光がこれまでになく鋭く、そして冷酷に司祭を捉えた。
「……確かに」
ゴブリンスレイヤーの口から漏れたのは、司祭の言葉を肯定するような、重苦しい響きだった。
「……俺一人の手では、決して全ては殺しきれない。……お前の言う『ゴブリンのいない世界』。それは、俺も一度は考えたことだ」
司祭の顔に、勝利を確信した醜い歪みが浮かぶ。
だが、次の瞬間、鉄兜の男は右手に握った剣を、無造作に、けれど最短の軌道で司祭の喉元へと突き出した。
「だが――」