『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第73話:慈悲の盤外戦術

ギルドの円卓を囲む重苦しい沈黙。誰もが「詰み」を確信し、街を捨てる算段を頭に浮かべ始めていたその時、女神官が絞り出すように、けれど真っ直ぐな意志を込めて口を開いた。

 

「……いいえ。私に、考えがあります」

 

その一言に、槍使いや重戦士、そして監察官までもが驚きに目を見開き、ゴブリンスレイヤーは黙って、鉄兜を彼女の方へと向けた。

 

「考えだと? お前……あの衝撃波の中に飛び込む方法でもあるってのか?」

 

槍使いの問いに、女神官は自らの胸元にある、泥に汚れた聖印を握りしめた。

 

「司祭と北方軍は、私が『切り札』だと言っていました。それは、あの子――武闘家さんの瞳にある『不浄の指針』が、私のことだけは検知できないからです」

 

女神官は、路地裏で、そして始まりの洞窟で彼女と対峙した時のことを思い出していた。

 

「……彼女の『拒絶』は、誰にも触れられたくない、もう二度と傷つけられたくないという……あの日の『恐怖』が力へと変換された術式なんです。近づく者の殺意や劣情……その『汚れ』を敏感に察知して、触れられる前に弾き飛ばす。それが、彼女の術式の正体です」

 

女神官の瞳に、決意の光が宿る。

 

「でも、それは逆に言えば……彼女の心から『恐怖』が消えれば、術式は成立しなくなるはずです。ゴブリンと司祭はあの子から全てを奪いましたが、あの子が私を守ってくれた時の『温もり』だけは、奪いきれていないと信じています。」

 

「温もり……?」

妖精弓手が不安げに聞き返した。

 

「はい。私は彼女に、恐怖ではなく……温もりを思い出させたい。拒絶の檻を外から壊すのではなく、内側から溶かしたいんです。」

 

女神官はゴブリンスレイヤーを見上げた。その鉄兜の奥にある赤い眼光は、彼女の覚悟を静かに、けれど全てを肯定するように見つめ返していた。

 

「……私が、彼女の魂を引き戻します。神官としてではなく、あの日彼女に救われた……一人の友人として」

 

「無茶だ!」

重戦士が叫んだ。

「あいつの力はもう臨界点に近い! お前の心に一瞬でも迷いがでたら指針が反応して一瞬で肉片になるんだぞ!」

 

「それでも、私が行かなければならないんです」

女神官ははっきりと、けれど微笑みさえ浮かべて告げる。

「……あの子が最後に見たのが、ゴブリンの笑い顔であってはいけない。……私たちが、彼女を待っているのだと。……世界は、あの日ほど冷たくないのだと、伝えなきゃいけないんです」

 

沈黙が流れる。

だが、その沈黙は先ほどまでの絶望ではなく、一つの「祈り」に近い色を帯びていた。

 

「……分かった」

ゴブリンスレイヤーが、静かに腰の短剣を確かめた。

「……俺たちが、道を切り拓く。……お前が彼女の懐に届くまで、俺たちがその『拒絶』を引き受ける。……一秒でも長く、あいつの注意を俺たちに向けさせる」

 

「ゴブリンスレイヤーさん……」

 

「死なせはせん。……ゴブリンではないが、仲間の救出は……冒険者の仕事だ」

 

鉄兜の奥で、赤い眼光が鋭く光る。

もはや、そこに迷う者はいない。

最強の拒絶。無敵の孤独。

それを打ち破るための唯一の武器は、白金等級の武力でも、賢者の魔道でもなく、ただ一人の少女が抱く「情愛」という名の、あまりにも脆く、尊い奇跡。

 

「行きましょう。……彼女を、連れ戻しに」

 

「……だが。注意を引きつけると言っても、相手はあの『邪竜』を一撃で葬った死神だぞ」

 

女騎士が、重苦しく問いかけた。

「その『拒絶掌』を、どうやって耐えるつもりだ? 物理的な装甲も魔法の盾も意味をなさない。私たちが束になったところで、あの子の前に立てば、数秒と持たずに塵にされるのがオチだぞ!」

 

「……そう……よ……」

魔女が、ゆっくりと煙管をくゆらせ……、紫煙を吐き出しながら言葉を継ぐ。

「……断罪試験の……記録……。……『矢避けの加護』さえ……。……『拒絶』という……言葉一つで……。……無に、帰した……。……私たちの、守りなど……。……羽虫の、羽ばたきに……過ぎないわ……」

 

魔女が煙管の煙を吐き出し、絶望的な予測を裏付ける。だが、ゴブリンスレイヤーは揺るがなかった。

 

「……彼女の拒絶は、対象が抱く『害意』と『劣情』に反応する自動迎撃術式だ」

 

彼は使い古された革袋から、司祭の遺した「指針の特性」が記された断片を取り出した。

 

「近づく者が、彼女を『殺そう』としたり、『屈服させよう』としたり、あるいは『辱めよう』としたりする情動――その魂の『汚れ』を指針が捉えた瞬間に、拒絶の衝撃は放たれる。害意の塊であるゴブリンや、強大な暴力を持つ怪物に対して、出力が最大化される仕組みだ」

 

ゴブリンスレイヤーは、自らの剣を鞘に収め、空の掌を見せた。

「……逆に言えば。標的が『殺意』を見せず、『敵意』を抱かなければ、指針の反応は鈍る。術式の出力は、こちらが向ける負の感情に比例して下がるはずだ」

 

「――待てよ、ゴブリンスレイヤー」

槍使いが身を乗り出して反論した。

「理屈はわかるが、感情を完全に捨てたはずの『第二密偵連隊』の大隊五百人は、一瞬で塵にされたんだぜ? 奴らには感情なんてなかったはずだろ!」

 

「……奴らには、あったのだ」

ゴブリンスレイヤーの声が、鋭く響く。

「……個人に感情がなくとも、組織としての『意図』があった。彼女を再び兵器として拘束し、檻に繋ぎ止めるという組織的な害意だ。……指針にとって、『自由を奪う』という意志は、ゴブリンが獲物を捕らえる時の執着と、何ら変わりない不浄の色として映ったのだろう」

 

「…………」

 

「……俺たちがやるのは、それとは逆だ。彼女を倒そうとするな。屈服させようとするな。ただ、そこに立って、あいつの攻撃を受け流し続けろ」

 

その言葉の真意を悟り、妖精弓手が苦笑混じりに弓の弦を弾いた。

「……要するに、私たちがやるのは『世界で一番命懸けの八百長』ってわけね。……本気で戦っちゃダメ、でも本気で死ぬ気で守れって? 無茶苦茶言うじゃない、この小鬼殺しは」

 

「……左様。殺さず、屈服させず。ただ彼女の『拒絶』の矛先を、拙僧ら自身に引き寄せ続ける……。武人としての本能を逆撫でする、過酷な試練にございますな」

蜥蜴僧侶が数珠を鳴らし、深く頷いた。

 

「……全くな。とんでもない『無茶振り』じゃわい、かみきり丸」

鉱人道士が髭を震わせ、苦笑いを浮かべた。

「だが、儂ら銀等級がそれくらいやってのけんで、誰が神官娘の背中を預かれると言うんじゃ」

 

ゴブリンスレイヤーは、腰の短剣を抜き、その刃に自分の顔を映した。

「俺たちが『壁』になる。……神官が、汚れを一つも持たずに彼女を抱きしめるための、空白を作る。……それだけだ」

 

一党の覚悟が、静かに、けれど熱く重なり合う。

勇者の光が届かぬ街の底で。

世界最強の拒絶に立ち向かうのは、最強の武力ではなく、「戦う意志を捨てて、守り抜く」という、矛盾に満ちた冒険者たちの意地だった。

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