『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第79話:重なる絶望

冒険者ギルドの作戦室は、北方軍の脅威が去った後もなお、張り詰めた緊張感に包まれていた。避難誘導の拠点となった冒険者ギルドの作戦室では、受付嬢が、次々と運び込まれる不吉な報告書を前に顔を蒼白にさせていた。

 

「……報告が上がっています。第一、第二、第三、そして第四。現在、四つの街区すべてから、まだ避難が完了していない住民が次々と行方不明になっています」

 

受付嬢が、真っ赤な印で埋め尽くされた地図を指さしながら、震える声で告げた。その手にある羊皮紙は、未帰還者の数が増えるたびに重みを増していく。

 

「……最悪のタイミングね」

 

監視窓のそばで、監督官が、冷徹な響きを含んだ声で応えた。

 

「ゴブリンスレイヤーたちが発見した、グール化した鉄烏の残党……。そこから察するに、間違いなく吸血鬼の仕業ね。私たちが死神の動向と北方軍の影にばかり目を向けていた隙を突いて、この混乱を『餌場』と見なした何者かが潜り込んだのよ」

 

受付嬢は、決断を促すように一歩踏み出した。

 

「今すぐ、街道の警備や避難誘導に当たっている冒険者たちを呼び戻しましょう! 街の中に怪物がいるなら、これ以上の放置は――」

 

「……ダメよ。今の彼らを戻しても、無駄死にさせるだけだわ」

 

監督官は、受付嬢の言葉を静かに、けれど断固として遮った。

 

「眷属をこれほどの短期間で広範囲にばら撒き、一晩で数百人を拉致する手際。並の吸血鬼じゃない。……恐らくは古の叙事詩に謳われる『真祖』クラスの高位吸血鬼よ。この街の冒険者が総出でかかっても、勝てる相手ではないわ」

 

「真祖……。そんな伝説の怪物が、どうして辺境のこの街に……」

 

「司祭が死に、北方軍が去った。この街は今、力のある者がいない『主のいない餌場』にしか見えていないのでしょうね。……あの怪物は、街そのものを自分の『牧場』にするつもりよ」

 

受付嬢は絶望に顔を伏せた。司祭という狂気が去った後、今度は純粋な「捕食者」が街を支配しようとしている。

 

「もしも……もしも、その吸血鬼と、あの死神がぶつかったら……街はどうなるんですか?」

 

監察官は、遠く中央街区の空を支配する不穏な赤黒い影を見つめ、冷徹に予言した。

 

「勝負そのものは、見えているわ。……あの子は、二十年前の災厄である『邪竜』すら葬っている。いくら真祖といえど、あの子の放つ『拒絶』の前には、ただの不浄なゴミとして処理されるだけでしょう。……だけど」

 

監察官は、手に持っていた天秤の重りを机に置いた。

 

「……その時、二つの巨大な理不尽が衝突する余波に、街は耐えられない。あの子が吸血鬼を『掃除』した瞬間、臨界点を待たずして、この街は地図から消えることになるわね」

 

ギルドの時計が、非情な音を立てて時を刻む。

一党が追いかける「救済」の道筋は、街に潜む新たな捕食者の出現によって、より狭く、より険しい断崖へと追い詰められていた。

 

――避難の波が途絶えた夕暮れ時、第一街区の袋小路で、一党は逃げ遅れた住民を囲む「異形」と激突していた。

 

妖精弓手の放った矢が、空を覆う巨大な蝙蝠の翼を射抜く。地面では、蜥蜴僧侶が呼び出した竜牙兵と、眼が赤く光る魔狼が噛み合っていた。

 

「……しつこいわね! 斬っても撃っても、影の中から次々と湧いてくるわ!」

 

妖精弓手が舌打ちしながら、背負い袋から予備の矢を引き抜く。彼女の鋭い感覚が、使い魔たちの背後に潜む「格」を捉えていた。

 

「これだけの数の使い魔を、一糸乱れぬ統制で使役できる以上……間違いなく、相当に高位の吸血鬼の仕業だわ」

 

「……やはりな」

 

使い古された短剣で蝙蝠を叩き落したゴブリンスレイヤーは、倒れた魔狼の死骸を一瞥し、低く、冷徹な声で呟いた。

 

「死神が街の表にいる『ゴブリン』を掃除している隙に、隠れた獲物を引き摺り出そうとしている」

 

「そんな……っ。じゃあ、この人たちはそのために!?」

 

女神官が震える手で子供たちを背中に庇う。

 

「臨界まで残り五日。……掃除が終わるのを待たずに、吸血鬼は『収穫』を始めたのだ。……あの娘が臨界を迎えれば、獲物もろとも吸血鬼自身も『ゴブリン』として掃除される。だからその前に、街を丸ごと自分の腹に収めるつもりだ」

 

鉄兜の覗き窓から漏れる赤い眼光が、街の中央にそびえる館の方角を射抜く。

 

「……なるほど。死神が完成するまでの『残り時間』を、奴は自分が喰らうための制限時間にしたというわけか」

 

鉱人道士が不快そうに髭を揺らし、周囲に土の精霊の霊壁を張り巡らせる。

 

「死神の掃除が『悪』を消し去るならば、吸血鬼の収穫は『善』を奪い去る……。まさに二つの絶望による最悪の競合にございますな」

 

蜥蜴僧侶がを竜牙刀を振るい、嘆息するように続けた。

「このままでは、あの娘が臨界を迎える前に、街は『生ける屍』の巣穴と化してしまいましょうぞ」

 

「…………」

 

女神官は、怯える子供の小さな手を握りしめた。

死神の手によって「悪」が消され、吸血鬼の手によって「希望」が奪われる。

この街に残された一週間という時間は、救済への猶予ではなく、二つの怪物が互いの食欲と拒絶を競い合うための、残酷な舞台装置に過ぎなかった。

 

「……急ぐぞ。次は第二街区だ。吸血鬼の『番犬』たちが、あの娘を呼び寄せようとしている」

 

ゴブリンスレイヤーは血を拭い、再び闇の中へと走り出した。

臨界点まで、あと五日。

一党は、迫りくる二つの終焉を同時に食い止めるための、あまりにも過酷な防衛戦を強いられていた。

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