『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第82話:救済の先制(中編)

臨界点まで残り三日。第三街区の廃墟と化した酒場の地下からは、博打打ちたちの喧騒の代わりに、獣じみた唸り声と腐肉の臭いが立ち昇っていた。

 

「――来るぞ」

 

ゴブリンスレイヤーの警告と共に、暗闇から青白い肌をした屍食鬼たちが、壁や天井を這いながら一斉に襲いかかってきた。かつてこの場所で他者の人生を奪い合っていた悪党たちの、それが成れの果てだった。

 

「ゴブリンは馬鹿だが、間抜けじゃない。……知能がない分、奴らよりはやりやすい」

 

ゴブリンスレイヤーは盾でグールの鋭い爪を弾き、最短距離で喉元に短剣を突き立てる。相手に恐怖も策もないことを逆手に取った、冷徹なまでの作業。

 

「パワーと頑丈さは、比較にならないけどねッ!!」

 

妖精弓手が跳躍し、空中で三射連続の矢を放つ。グールの眉間を正確に射抜くが、それでも怪物は止まらずに這い寄ってくる。矢を継ぎながら、彼女は鼻を突く死臭に顔をしかめた。

 

「哀れな……。もはや祈る心すら残っておらぬか」

 

蜥蜴僧侶が『竜牙刀』を大きく一閃させる。吸血鬼の呪いによって鋼のようになったグールの肉体が、法輪の輝きを纏った刃によって両断された。

 

「《呑めや歌えや酒の精(スピリット)。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢を見せとくれ》!!」

 

鉱人道士が口に含んだ酒を飛沫にして飛ばし、広間に甘く重い魔力の霧を散布する。本能だけで動くグールたちは、その「酔い」に足取りを乱し、次々と膝を突いた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》!!」

 

女神官が掲げた錫杖から、爆発的な純白の輝きが放たれた。

 

――聖光(ホーリーライト)!!!

 

「「「ギ、ギャアアアアアアッ!!」」」

 

闇に生きる不死の眷属たちにとって、地母神の光は文字通りの焼夷弾であった。光を浴びたグールたちは、顔を抑えてのたうち回り、その動きを完全に封じられる。

 

「急ぎましょう。……あの子がここに来る前に、終わらせないと……!」

 

女神官の叫びが、地下室に反響する。

一党の目的は、単なる怪物退治ではない。

死神の『不浄の指針』がここを示す前に、「標的」となる悪党だけを排除し、囚われている人々を救い出すこと。

 

あの子に、これ以上「人を殺した」という記憶を刻ませないための、時間との戦い。

 

――グールたちが女神官の聖光に怯み、道が開かれた広間の奥。そこには、血で汚れたベルベットの敷かれた円卓に座り、優雅に葉巻をくゆらす一人の男がいた。

 

「――当カジノは誰でもウェルカム。歓迎するぞ、冒険者共。命のチップを積み上げる準備はできているかな?」

 

男――不浄の賭博師は、不敵な笑みを浮かべながら、手元で二つのどす黒いダイスを転がした。その瞳は吸血鬼の血の影響で禍々しく赤く発光している。

 

「……あいつ、知っているわ」

 

妖精弓手が、忌々しげに目を細めて弓を引き絞った。

「西の港街でいくつもの商家を破滅に追い込み、最後には街からも追放された……稀代の詐欺師よ。生きていたのね」

 

「裏社会で悪名高い賭博師じゃな。まさか吸血鬼の犬に成り下がって、こんな吹き溜まりを根城にしておったとはのう」

 

鉱人道士が手斧を握り直し、周囲に蠢く不浄な魔力に唾を吐き捨てた。

 

「吸血鬼に魂を売り、神々の遊戯盤を自らの私欲で汚すとは。……もはや救いようのない業にございますな」

 

蜥蜴僧侶が竜牙刀を構え、静かに間を詰める。

 

「ハハハ! 魂だの正義だの、そんなものは賽の目一つで変わるものさ。私の仕事は、あの方のための『チップ』の確保と、死神の始末……。だが、いい余興だ。君達も一勝負していかないか?」

 

賭博師は、広間の隅にある鉄格子――怯えきった住民たちが詰め込まれた「チップの保管庫」を指差し、愉しげに肩を揺らした。

「ルールは簡単だ。賭けるのは君たちの『命』。景品はあそこの檻の連中だ」

 

「……あいにく、ギャンブルには興味がない」

 

鉄兜を揺らし、ゴブリンスレイヤーが無機質な声で吐き捨てた。

彼は一切の躊躇なく、腰の短剣を逆手に持ち替える。

 

「俺がやるのは作業だ。出目は関係ない」

 

「そんなことより、捕らわれた人たちを解放してください!」

 

女神官が毅然と、聖杖を賭博師へと向けた。

「命をチップにするなんて、地母神様も、この街も許しません。……あの子がここに来る前に、貴方を止めます!」

 

「ははは! 威勢がいいね。だが、このカジノでは私のルールが絶対だ!」

 

賭博師が空中にダイスを放り投げた。

歪んだ紋様が浮かぶダイスが、重力を無視して回転を始める。

 

「――さあ、運命の時間だ! 【混沌の魔賽】、ロール!!」

 

カチャカチャと、不気味な音を立てて卓上を転がる黒いダイス。

不浄の賭博師が指を鳴らすと、出目は鮮やかな「5」で静止した。

 

「――火炎。親の総取りだ」

 

瞬間、ダイスから立ち昇った業火が巨大な蛇の形を成し、一党を飲み込もうと襲いかかる。

 

「《聖壁(プロテクション)》!!」

 

女神官が間一髪で展開した黄金の障壁が炎を弾くが、衝撃で腕が痺れる。尋常な魔法ではない。ダイスという媒介を通したことで、事象そのものが「確定した結果」として叩きつけられている。

 

「ふん、小細工を!!」

 

妖精弓手が、炎の隙間を縫って三本の矢を放つ。一本は喉、二本は両目。回避不能の精密射撃。だが、賭博師がニヤリと笑い、もう一度ダイスを弄んだ。

 

「――ハズレだ。私の『幸運』を甘く見るなよ」

 

信じがたい光景が起きた。真っ直ぐに飛んでいたはずの矢が、標的に当たる直前で不自然に失速し、あるいは突風に煽られたかのように軌道を逸らして壁に突き刺さった。

 

「なっ……!? 曲がった? 魔法で弾いたわけでもないのに!」

 

「無駄じゃよ、耳長の。……あやつ、精霊の声まで書き換えおった。起こるはずの『命中』という結果を、無理やり『不運な外れ』に捻じ曲げておるわい」

 

鉱人道士が苦々しく叫び、土の精霊を呼び出そうとするが、足元の土さえも賭博師の領域に拒絶され、形を成さない。

 

「不条理にございますな。拙僧の刃すら届かぬとは……」

 

蜥蜴僧侶の竜牙刀が、まるで空間を滑るように賭博師を避けていく。

どれほど優れた武技も、どれほど強力な魔法も、「当たる」という結果を「外れ」という因果に書き換えられては、ただの無駄な運動に過ぎない。

 

「クク……。この広間では、私が神だ。確率、因果、運命……全ては私のダイスのままに動く。貴様らがどれほど技を磨こうと、サイコロの目が『死』を示せば、それは絶対の真実となるのだよ!」

 

ゴブリンスレイヤーが短剣を手に、低い姿勢で肉薄する。だが、賭博師は嘲笑うように、鉄格子の捕虜たちを指差した。

 

「ああ、忘れていた。私を攻撃するのは自由だが、あまり手荒なことはしない方がいい。……私が受けるはずの痛みは、あそこにいる『チップ』たちが代わりに支払ってくれることになっている」

 

「……っ!!」

 

女神官が息を呑み、杖を構えたまま凍りついた。

命中しない攻撃、避けることのできないダメージ。そして、万が一攻撃が当たっても無実の人間が身代わりになるという、最悪の「遊戯」。

 

「……成る程。ゴブリン以上に、戦い甲斐がないな」

 

ゴブリンスレイヤーが、鉄兜の覗き窓から赤い眼光を漏らし、静かに足を止めた。

 

「絶望したか? 小鬼殺し。さあ、次はどの部位を賭ける? 腕か? 脚か? それとも――」

 

賭博師が三つのダイスを手に取り、最後の一投を始めようとしたその時。

ゴブリンスレイヤーの腰のポーチから、カチャリと小さな「音」がした。

 

「……言ったはずだ。ギャンブルには興味がない」

 

運命を弄ぶ悪党に対し、小鬼殺しは「確率」など存在しない、最も泥臭く確実な「仕掛け」を準備し始めていた。

 

 

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