『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第85話:落伍者の終焉

臨界点まで残り二日。

第四街区の奥深く、かつて衛兵の詰所だった建物は、いまや吸血鬼の血を得て「人」を捨てた落伍者たちの、毒々しい巣穴と化していた。

 

「――ヒャハハ! この街区の獲物はこんなところか。どいつもこいつも怯えちまって、手応えがねえな」

 

天井の梁に逆さまにぶら下がり、赤く染まった瞳で下界を見下ろすのは、鳥人の弓使いだ。その翼は既にコウモリのような皮膜へと変じ、鋭い爪で天井を削り取っている。

 

床には、猿ぐつわを噛まされ、絶望に身をよじる数人の町娘たちが転がされていた。その周りを、トランプを弄ぶ闇人の道化師が、踊るような足取りで歩き回る。

 

「リーダー、何人か今すぐ楽しんでもいいか? 恐怖で引き攣った顔を見ていると、喉が渇いて仕方ないんだ」

 

「ほどほどにしとけ」

 

部屋の中央、血の混じった酒を煽っていたウルミ使いが、低く釘を刺した。彼の腰に巻かれた鋼の鞭剣が、主人の高揚に応えるようにチリチリと鳴る。

 

「処女には手を付けるな。それは『あの方』に捧げる契約だ。俺たちが手に入れたこの『不滅の力』の対価を忘れるなよ」

 

「へっ、分かってるよ。……しかし、最高だな。北方軍と死神のおかげで、今この街は完璧な無法地帯だ」

 

鳥人の弓使いが、窓の隙間から中央街区を見下ろした。

 

「あの死神さえ始末すれば、この街は完全に俺たちのものだ。あの方の下で、王都の目が届かない最高の『王国』を築ける」

 

「ああ。思うがまま人殺しができて、女を犯し、美味い生き血をすすれる……。冒険者なんていう、規律だの依頼だのうるせえ鎖に繋がれてた頃が馬鹿馬鹿しくなるぜ」

 

「ああ……。俺たちの真の実力を認めず、白磁のまま追い出しやがったあの無能どもを、一人ずつ泣き叫ばせながらぶっ殺してやるんだ。……楽しみすぎて、震えが止まらねえぜ」

 

その時、屯所の重厚な石壁が、音もなく――否、音を置き去りにした衝撃で、粉々に砕け散った。

 

――――――ドォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

砂煙の中から現れたのは、ボロボロの黒いマントを纏った少女。

彼女の瞳の中で、曼荼羅の模様がこれまでになく激しく、拒絶の輝きを放っている。

 

『――くくく。依代よ、呆れて声も出んな』

 

脳髄を直接掻き毟るような、【不浄の指針】の冷笑。

 

『これが元は同業者……「冒険者」を名乗っていたとは、泣けてくるな。……見えるか? 奴らの魂にこびりついた、あのヘドロのような劣情を。……ただのゴブリンの方が、生存本能に従っている分、まだ清潔に見えるほどだ』

 

「……出たな、死神」

 

天井の梁に逆さまに張り付いた鳥人弓使いが、蝙蝠の翼を広げ、闇の中から赤い瞳を光らせた。その声には、人間を辞めた者特有の、湿った響きが混じっている。

 

「ヒヒッ! どんな化け物かと思ったら、案外可愛いじゃねえか」

 

タロットカードを指先で弄ぶ闇人道化師が、女武闘家の身体を舐めるような視線で眺め、下卑た笑みを浮かべた。

 

「ゴブリン共が夢中になったっていう『上玉』の噂は本当だったらしい。死神の首を吸血鬼の旦那に届ける前に、俺たちで一度、中身をじっくり検分してやっても――」

 

「おい、余計なことは考えるな」

 

中心に座るウルミ使いが、鞭のような剣をしならせ、冷酷に言葉を遮った。

 

「その女は確実に、いまこの場で息の根を止める契約だ。しくじりは許されんぞ。……奴が『臨界』とやらを迎える前に、ここで終わらせる」

 

「しくじり? ……ハッ! ありえねーっての、そんなこと」

 

道化師が、魔力を帯びたカードを数枚、扇状に広げた。

 

「こんな細っこい小娘一人、俺たちの新しい『力』を使えば、朝飯前もいいところだぜ。……おい、死神。冥土の土産に、最高に楽しい幻覚を見せてやるよッ!!」

 

「……可愛い後輩に、俺たちが『先輩』として、冒険の本当の厳しさを教えてやるよ。……死ぬまでたっぷりとな!!」

 

三人の悪意が、一点に集束する。

その強烈な「害意」と「劣情」が向けられた瞬間、彼女の瞳の曼荼羅が、真っ赤に燃え上がる。

視界に映るのは、三人の男ではない。

「冒険者の皮を被った、三匹の巨大なゴブリン」。

 

「…………」

 

『もはや言葉を交わす価値もない。……お前が目指した「英雄」という光を、これほどまでに汚した連中だ。……一人残らず、その存在ごと世界から消去してやれ』

 

死神が掌を掲げる。

そこには言葉にできないほどの深い悲しみと、それを上書きする圧倒的な「拒絶」の渦が渦巻いていた。

 

「……冒険者の皮を被った……ゴブリン……掃除、する……」

 

「死ねッ、死神ィッ!!」

 

梁の上から鳥人弓使いが、吸血鬼の力により強化された魔導矢を連射する。黒い軌跡を描いて殺到する矢の雨。しかし、女武闘家は半歩も動かない。放たれた矢は彼女の数センチ手前で、まるで目に見えない壁に衝突したかのように粉々に砕け散り、火花となって消えた。

 

『――ふん。威力は兎も角、あの森人の矢のほうが、よほど正確で鋭かったな。』

 

脳内の【不浄の指針】が、退屈そうに鼻を鳴らす。

 

『この程度、風を読むまでもない。殺意が濁りすぎていて、軌道が丸見えだ』

 

間髪入れず、闇人道化師が爆辞を纏わせたタロットカードを扇状に放り投げた。カードが空中で炸裂し、極彩色の幻覚と衝撃が彼女を包み込もうとする。

 

「……闇人。第三次試験の時以来ね」

 

彼女の瞳の中の曼荼羅が、幻覚を「ただのノイズ」として透過する。

 

『奴もそうだったが……目先の欲や偽物の力に釣られて魂を売るとは。実になんとも、愚かな連中だ。不浄に不浄を塗り重ねて、自分たちが高みに登ったと勘違いしている』

 

女武闘家が指先をわずかに弾くと、爆発の炎ごとカードの破片が「存在を否定」され、一瞬で虚空へ消え去った。

 

「なっ、俺の最高傑作が……消された!? バカなッ!!」

 

驚愕する道化師の隙を突き、ウルミ使いが地を這うような低姿勢から、自身の血を吸って赤黒く輝くウルミをしならせた。蛇のように予測不能な軌道を描き、死神の四肢を絡め取ろうとする。

 

「…………」

 

女武闘家は、その奇妙な武器をじっと見つめた。

 

「あんな形状の剣……。初めて見たわ」

 

『……不浄な血で形を保つ、醜悪な鉄の蛇か。だが、どれほど形を変えようと、我らの世界に触れさせるわけにはいかんな』

 

指針の回転が一段階、速度を上げた。

彼女の周囲に展開されている「拒絶の領域」が、ウルミの刃が空気を切り裂く音に反応し、物理的な圧力となって膨れ上がる。

 

「ガ、アッ……!? 剣が……これ以上、中に入らねェ!!」

 

ウルミ使いの表情が、余裕から戦慄へと変わる。

自分たちが誇った銀等級以上の技、そして吸血鬼から授かった異能。その全てが、ただそこに立っているだけの少女の「嫌悪感」にさえ届かない。

 

「――ふざけるなッ! 俺たちは冒険者の壁を越えたんだ! こんな小娘一人に後れを取るはずがねえッ!!」

 

追い詰められたウルミ使いが、自らの腕を切り裂き、溢れ出した鮮血をウルミの刃に纏わせた。吸血鬼の血と混ざり合い、刃は禍々しいまでの長さを得て、広間全体を覆い尽くす蛇の檻と化す。

 

「汚物はお前の方だ、死神ィィィッ!!!」

 

上空から鳥人弓使いが全魔力を込めた毒の豪雨を放ち、側面からは闇人道化師が自らの命を削って「絶望のカード」を千枚同時に発火させた。三位一体の、文字通り死力を尽くした同時攻撃。

 

だが、女武闘家はただ一度、深く息を吐いただけだった。

 

彼女の瞳の曼荼羅が、視界にある全ての「色」を否定するように、漆黒の輝きを放つ。

 

女武闘家は、突き出した両掌を静かに、円を描くように動かした。

 

「……ゴブリン、一掃」

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

中心から放たれたのは、これまでの「打撃」とは次元の違う、空間そのものを押し潰す【広域拒絶波動】。

 

飛来する魔導矢は、空中で原子レベルまで分解された。

炸裂するカードの炎は、熱を奪われ、光すら残さず消滅した。

そして、迫りくる血の刃ウルミは、衝撃の反動で持ち主のウルミ使いの腕を粉砕し、そのまま彼の肉体を内側から爆ぜさせた。

 

「が、はっ…………あ、ありえな…………」

 

ウルミ使いの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

鳥人も、道化師も、自慢の再生能力を発動させる暇さえ与えられず、ただ「そこに在った」という事実だけを奪われて霧散した。

 

崩落する旧衛兵詰所。

瓦礫が降り注ぐ中、死神は返り血一つ浴びぬまま、静かにその場を後にした。

かつて自分が守りたかった「街の平和」を汚し、冒険者の名を騙った者たち。その全てを掃除し終えた彼女の心には、もはや一欠片の「怒り」さえ残っていなかった。

 

あるのは、ただ、極限まで研ぎ澄まされた純粋な「拒絶」の意志だけ。

 

『――残る不浄は、あと一つ。……全ての元凶、中央街区の「王」のみだ』

 

指針が、血のように赤い魔力の糸を、街の中心へと伸ばす。

臨界点まで、あと四十八時間を切った。

 

その足跡は、いまや一党の追跡すら許さぬほどの速度で、吸血鬼の待つ「終焉の館」へと吸い込まれていった。

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