『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第86話:救済の手順

中央街区、廃貴族の館。かつてこの街を統治していた権力者の威容を誇っていたその屋敷は、いまや月光さえも透過させぬ厚い「死の霧」に包まれていた。

 

門の前に辿り着いた一党の手には、街の偏屈な鍛冶職人が不眠不休で仕上げた、対吸血鬼用の装備が握られていた。銀で薄くコーティングされたゴブリンスレイヤーの短剣、聖水で清められた妖精弓手の矢、そして蜥蜴僧侶の刀身には地母神の法印が刻まれている。

 

「……情報通り、不自然なほど深い霧が立ち込めてるわね」

 

妖精弓手が鼻先をぴくつかせ、嫌悪感を露わにした。

「精霊たちが怯えて逃げ出しているわ。この霧、生き物の生気を吸い取っているみたい」

 

「……ああ。ただの気象ではない」

 

ゴブリンスレイヤーは、霧の中に指を差し入れ、その揺らぎを確認した。

「恐らく外部からの侵入者を監視するための、奴の『触覚』の一部だ。……不用意に動けば、位置を特定される」

 

「……足音を殺して、一歩ずつ進みましょう」

 

女神官が震える手で聖杖を抱きしめるようにして言った。

「ヴァンパイアロードに気づかれたら、終わりです。……中にはまだ、助けを待っている人たちが大勢いるんですから」

 

「ふむ……。石の感触がひどく冷たいわい。まるで墓の中に土足で踏み入った気分じゃ」

 

鉱人道士が不快そうに髭を揺らし、足元の感覚を研ぎ澄ませる。

 

「……拙僧の鼻には、この霧の向こうから漂う濃密な『血の臭い』が届いております。……犠牲者の数は、監察官殿の報告よりも多いやもしれませぬな」

 

蜥蜴僧侶が低く呻くように言った。

 

一党は、音を立てぬよう、そして呼吸さえも最小限に抑えながら、不浄の霧の中へと足を踏み入れた。

彼らの耳には、第四街区の方角から、時折「拒絶」の衝撃波が爆ぜる重低音が響いてくる。

 

あの子が「冒険者崩れ」を掃除し終え、この館を指針で捉えるまで、もう時間は残されていない。

死神が「全て」を塵にする前に、真祖の吸血鬼が潜む迷宮から、生きた魂を救い出す。

 

一党は、ギルドから提供された古びた図面を広げ、影の中で声を潜めていた。

 

「……図面によると、この屋敷は地下に広大なワインセラーと、かつての徴税用に使われていた頑丈な貯蔵庫があるはずです」

 

女神官が小声で指し示したのは、建物の最下層だった。

 

「……人質が捕らえられているとしたら、そこだ」

 

ゴブリンスレイヤーが、鉄兜の奥で断定するように言った。

「光が届かず、逃げ道が限定される場所。奴らにとって『家畜』を管理するには最も効率がいい」

 

「……その場に、ヴァンパイアロード本人が待機している可能性は?」

 

蜥蜴僧侶が腰の刀に手をかけ、周囲の霧の揺らぎを警戒しながら問う。真祖がそこにいれば、隠密による救出など不可能に近い。

 

「……低い。奴はいま、臨界を目前にした『死神』の強襲を、正面から迎え撃とうとしている。……自分を殺しに来る『最大級の脅威』に備えるため、神経を尖らせているはずだ。……餌の管理は、小回りの利く眷属に任せているだろう」

 

「それは好都合だけど……問題はどうやって数百人の人質を、彼女が来る前に外へ救い出すのよ?」

 

妖精弓手が、最も現実的で困難な問題を突きつけた。

「この深い霧の中を、パニックになった数百人を連れて歩くなんて不可能よ。音を立てれば、即座にヴァンパイアロードが降りてきて全滅しちゃうわ」

 

「……道がないなら、作ればいい」

 

ゴブリンスレイヤーは隣に立つ鉱人道士に視線を向けた。

 

「……図面にある地下貯蔵庫の北壁は、街の外壁排水路と隣接している。『隧道』で穴を掘り道を作れるか?」

 

「カカッ! 誰に言っておる。この程度の石壁、儂の術にかかれば、お日様を拝ませる隙間を作るくらい朝飯前じゃわい!」

 

鉱人道士が不敵に笑い、懐の触媒を確認した。

 

「……お前は、人質を確保した瞬間に『沈黙』の奇跡を使え」

 

ゴブリンスレイヤーが女神官を真っ直ぐに見据える。

 

「数百人が動けば、どれだけ気を付けても気配は漏れる。……お前の祈りで、人質が立てる足音も、恐怖の吐息も、すべて遮断しろ。一兵の眷属にも気づかせるな」

 

「……はい! 私の奇跡で、皆さんを守ります」

 

女神官は強く頷き、聖杖を胸に抱いた。

吸血鬼を倒すのではない。死神に挑むのでもない。

ただ、そこに在る命を、誰にも気づかれぬまま闇から掬い上げる。

それこそが、一党がこの臨界直前の街で選んだ、最も「冒険者」らしい手順だった。

 

「行くぞ。……あの娘が来るまで、あと僅かだ」

 

影が動き出した。

豪華な館の地下に潜む、数えきれないほどの「悲鳴」を消し去るために。

不浄の王が支配する庭で、静かなる救済の幕が上がろうとしていた。

 

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