『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】 作:いっかず
夜の静寂に包まれた、大通りから外れた一軒の鍛冶屋。
火の落ちた工房の扉を、ゴブリンスレイヤーが無造作に叩いた。
「――夜分にすまん」
奥から「こんな時間に何の用だ」と不機嫌な声がし、煤まみれの老職人が顔を出した。彼は鉄兜の男を見るなり、鼻を鳴らす。
「何だ、小鬼殺しか。お前の鎧なら、数日前に直して渡したばかりだぞ。また壊しおったか?補充の道具なら明日、ギルドに卸す分しかないぞ」
「装備の修理ではない。……聞きたいことがある」
ゴブリンスレイヤーは棚に置かれた自らの予備の兜を一瞥し、問いかけた。
「俺の兜と同じものを、最近誰かから注文されなかったか?」
その問いに、老職人の顔がわずかに強張った。彼は火箸を置き、忌々しげに額の汗を拭う。
「……ああ、そのことか。正直、気色の悪い客だった。一週間前だ。ボロボロの黒い服を着た、妙な気配の若い娘がやってきてな。お前の兜を見本によこして、同じものを作れと言ってきた」
「……っ! どんな女性でしたか?」
女神官が身を乗り出して尋ねる。職人は遠い目をして、その夜の奇妙なやり取りを語り始めた。
一週間前
工房に吹き込む夜風と共に、影のような足取りで一人の女が現れた。
飛び散る火花と、硬質な鉄を打つ重い音が響く中、一人の影が音もなく工房の入り口に立った。
「……なんだお嬢ちゃん。冷やかしか?」
槌を置き、汗を拭いながら老職人が顔を上げた。目の前に立つのは、ボロボロの黒いフードを深く被った若い女だ。細い手足、整った顔立ち。戦場にはおよそ不釣り合いなその姿に、職人は鼻を鳴らす。
「ここはお前みたいな娘に合うような武具は取り扱ってないぞ。飾り立てたレイピアや、見栄えの良い革鎧なら、大通りの店へ行きな」
だが、女は動かない。フードの奥から漏れるのは、感情を一切排した、地獄の底から響くような冷たい声だった。
「……ゴブリンスレイヤーさんと同じ兜を、お願いします」
職人の手が、ピタリと止まった。
「……あいつの知り合いか?」
職人は棚に置かれた、預かり物である「あの男」の傷だらけの鉄兜を一瞥した。
「やめておけ。ありゃあ、見栄えもなけりゃ、使い勝手も最悪だ。呼吸は苦しいし、何より視界が極端に狭くなる。……あれはな、ゴブリンの汚い手から急所を守り、奴らを殺すことだけに全てを捧げた男が身につける、呪いみたいな装備だ。お前さんのような綺麗な顔を隠してまで被るもんじゃない」
「……それでいいんです」
女は一歩、工房の灯りの中へ踏み出した。
「視界を……狭くしてください。外から私の顔が、誰にも見えないように。私が……ゴブリンだけを、見ていられるように」
「っ……!?」
職人は息を呑んだ。
その瞳に宿る狂気。そして、彼女の周囲に渦巻く、肌を刺すような絶対的な「拒絶」の気配。
それは、職人が何年も付き合ってきた「あの男」の妄執とはまた違う、より深く、救いのない闇だった。
「……お金は、ここに」
女はカウンターに、北方の刻印が打たれた数枚の金貨を置いた。
「3日後に、取りに来ます。……それまで、誰にも言わないで」
彼女はそう言い残すと、夜の闇に溶けるように消えていった。
後に残されたのは、不気味に揺れるランプの光と、置かれた金貨だけだった。
職人は、震える手で金貨を取り上げた。
「……ゴブリンを殺すためだけの貌、か。あいつに憧れたのか、それとも……」
現在
「ふむ……。しかし解せませぬな。若い娘が、何故わざわざ小鬼殺し殿の兜を? 武闘家の動きを活かすなら、顔を覆う重装備は邪魔になるはずですが」
蜥蜴僧侶が数珠を鳴らし、不思議そうに目を細めた。
「そうじゃな。徒に視界を狭めるだけでは、かえって死角を作るばかり。実戦では命取りになるわい。武闘家のような身軽さが売りの者なら、なおさらじゃ」
鉱人道士が髭をひねりながら同意する。
だが、ゴブリンスレイヤーは壊れた石壁のような冷徹さで、その意図を断じた。
「……装備としてではない。俺になりきるために、この兜を求めたのだ」
「なりきる……?」
「自分自身の心を殺し、ただの『ゴブリンを殺す装置』へと成り果てる。……そのために、俺の『貌』が必要だったのだろう」
「……オルクボルグの真似をして、自分を消したいってこと? 趣味が悪い模倣犯なのは間違いなさそうね」
妖精弓手が、嫌悪感を露わにして吐き捨てる。
自分たちの仲間の『貌』を誰かが人を殺すための「絶望の仮面」として利用している。その事実は、一党の心に暗い影を落とした。
「……行くぞ。手がかりは揃った」
ゴブリンスレイヤーが再び歩き出す。
偽物の鉄兜が、どこで次の「掃除」を始めようとしているのか。
職人の言葉から得た「貌の注文主」という手がかりが、女神官の胸の奥にある、最も恐れていた予感を確信へと変えようとしていた。