『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第87話:捕食者の飢餓

廃貴族邸の最下層、地下貯蔵庫。そこはかつて名酒が並んでいたであろう広大な空間だが、今は人々の絶望と、腐敗した肉の臭いが立ち込める「生ける屍の保管庫」と化していた。

 

鉄格子の奥には、催眠術で正気を失いかけた数百人の住民たちが、家畜のように押し込められている。そしてその周囲を、青白い肌に鋭い爪を持つ十数体の屍食鬼たちが、喉を鳴らしながら徘徊していた。

 

「……いたわ。あれが監視役の眷属ね」

 

妖精弓手が影に潜み、聖水に浸した矢を番える。

 

「……一気に仕留めるぞ。声を上げさせるな」

 

ゴブリンスレイヤーが銀の短剣を引き抜く。彼の合図と共に、一党は「静かなる殲滅」を開始した。

 

まず動いたのは妖精弓手だった。

三射連続の矢が、暗闇を切り裂く。聖水の魔力によって浄化の熱を帯びた矢は、三体のグールの眉間を寸分違わず貫き、断末魔を上げる暇さえ与えずその脳を焼き切った。

 

「――っ、ガ……」

 

崩れ落ちる死体。異変に気づき、隣のグールが喉を震わせようとした刹那、蜥蜴僧侶が背後からその顎を巨大な手で掴み、固定した。

 

「……静かに。貴殿らの旅路は、ここで終わりですぞ」

 

地母神の法印が刻まれた竜牙刀が、グールの首を音もなく両断した。

 

「《土精、水精(ウンディーネ)、素敵な褥をこさえてくんろ》」

 

鉱人道士が瓢箪を低く構え、床の石畳を泥状に変化させた。残ったグールたちが足を取られ、バランスを崩す。そこへ、ゴブリンスレイヤーが雷光のような踏み込みを見せた。

 

「……一つ」

 

銀の刃がグールの延髄を貫く。

 

「……二つ」

 

振り向きざま、もう一体の胸中央を正確に突く。吸血鬼の加護による再生能力も、銀の毒素と法儀礼の祝福の前には機能しなかった。

 

ものの数分。

広間を埋めていた不浄な監視者たちは、ただの一度も上階の主に届く悲鳴を上げることなく、すべてが物言わぬ屍肉へと還った。

 

「…………助けに、来ました」

 

女神官が震える声で鉄格子の前へ駆け寄り、聖杖を掲げた。

 

「《慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、我らの穢れをお清めください》」

 

浄化の光が広がり、人々にかけられていた吸血鬼の催眠が解けていく。虚ろだった瞳に、ようやく「助かった」という理解と、それ以上の恐怖が戻ってきた。

 

「しっ、静かに! 声を出さないでください!」

 

女神官が必死に口元に指を当てて制止する。

上階では、ヴァンパイアロードが死神の接近を待ち構えている。ここで一人が叫べば、この地下室はそのまま住民たちの墓場になる。

 

「《働け働け土精ども。楽しい仕事の後になら、ミルクとクッキー待ってるぞ》」

 

『隧道(トンネル)!』

 

鉱人道士が北側の壁に手を触れると、重厚な石壁が音もなく砂のように崩れ、街の排水路へと続く暗い穴が口を開けた。

 

「……始めろ」

 

ゴブリンスレイヤーが短剣の血を拭い、出口を指差した。

 

「はい! ……《いと慈悲深き地母神よ、我らに遍くを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 

――『沈黙(サイレンス)』。

 

女神官の祈りが、地下貯蔵庫全体を無音の膜で包み込んだ。

何百という人々が移動する足音も、衣擦れの音も、漏れ出す啜り泣きも、その全てが魔法の静寂の中に吸い込まれていく。

 

「……行きましょう。あの子が……ここに来てしまう前に!」

 

最悪の不浄が衝突する直前、彼らは絶望の檻から、最後の一人を救い出すために泥の中を走り出した。

 

――ヴァンパイアロードは、窓から流れ込む冷たい夜気の中に、第四街区が「消失」した残響を感じ取っていた。衝撃波が大地を伝わり、館の重厚な石造りの床を微かに震わせる。

 

「……フン。あの薄汚い冒険者崩れ共も、やはりそこまでか。最後の砦も落ちたな」

 

吸血鬼は優雅に立ち上がり、自身の真紅のマントを翻した。その瞳は、獲物を待つ期待と、迫りくる天災への高揚感で爛々と輝いている。

 

「間もなく……死神も、不浄の源泉であるこの私を求めて、ここへ向かって来る。臨界を目前にしたあの娘の絶望……。その全てを喰らい、我が血肉とする瞬間に備えねばならんな」

 

彼は一度、渇いた喉を鳴らした。

死神との正面衝突。いかに二万の命を持っていようとも、相手はあの邪竜を圧殺した怪物だ。万全を期すべく、彼は地下に溜め込んだ「予備」を使い切ることを決めた。

 

「……今のうちに、捕らえた家畜どもの血を全て吸い尽くしておこう。悲鳴と絶望を極限まで煮詰め、私の魔力へと変えてくれる」

 

吸血鬼は影に溶けるようにして階下へ降り、地下貯蔵庫の重厚な鉄扉の前に立った。

本来なら、そこには数百人の住民が上げる悲鳴と、監視役のグールたちが漏らす卑屈な呻きが満ちているはずだった。

 

「さあ、食事の時間だ。一人残らず、私にその価値を捧げ――」

 

だが、扉を開けた先にあったのは――完璧な、そして屈辱的なまでの静寂だった。

 

「……何だとッ!?」

 

扉が開かれた先。

そこにあったのは、凄惨な食卓ではなく、ただ冷たい風が吹き抜ける「完全なる虚無」だった。

 

「もぬけの殻ではないかッ!! 監視の眷属共はどうした!? 繋いでいた鎖も、鍵も……一人残らず、消えているだと!?」

 

吸血鬼は絶叫し、広間の中央へと踏み込んだ。

そこには、自分たち「不死の王」の理では決して成し得ない、丁寧で、静かで、確実な「救済」の跡が残されていた。

赤黒い魔力を放つその視界に映るのは、もはや誰もいない鉄檻。

そして地面には、グールたちが声も上げられず始末された、銀と聖水の残り香。

 

「冒険者……。あの小鬼殺しのネズミ共かッ!! 私の庭で……私の『家畜』を盗み出したというのかッ!!」

 

北側の壁に空けられた穴。そして、何百人という人間が通り過ぎながらも自分に気づかせなかった『沈黙』の術式。

 

吸血鬼の自尊心は、この瞬間、音を立てて砕け散った。

夜の王を自称する自分が、死神への警戒に気を取られている間に、足元の泥を這うような冒険者たちに獲物を奪われたのだ。

 

「……許さぬ。許さぬぞ、虫ケラ共ッ!! 逃げ出した家畜も、それを唆した冒険者も、一人残らず絶望の底へ――」

 

吸血鬼が怒りの咆哮を上げようとした、その刹那。

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

屋敷の正門が、そして上層の広間が、巨大な衝撃によって粉砕された。

館全体が悲鳴を上げ、天井から瓦礫が降り注ぐ。

 

「……ゴブリン、見つけた」

 

館の最上階から、地鳴りのように響いてくる冷徹な声。

【不浄の指針】が、ついにこの街最大の汚れの核――ヴァンパイアロード本人を捉えたのだ。

 

「っ……、死神……! 貴様まで、このタイミングでッ!!」

 

血を補給する間もなく、最強の天敵が目の前に現れた。

吸血鬼は、自らの血を沸騰させ、戦慄と屈辱を殺意へと変えて、崩落する館の上階へと駆け上がっていった。

 

一党が命懸けで作った「空白の玉座」で、死神の仕上げの掃除が始まろうとしていた。

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