『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第89話:2万の清掃

街の外壁、排水路の出口。

女神官の『沈黙』の奇跡に守られ、数分前まで地獄の貯蔵庫にいた数百人の住民たちが、音もなく泥にまみれて這い出してきた。そこには、松明を掲げたギルドの面々が待ち構えていた。

 

「――ゴブリンスレイヤーさん! 皆さん!」

 

駆け寄ってきた受付嬢が、無事な人々の姿を見て胸を撫で下ろす。その隣では、黄金の瞳を光らせた監督官が、街の全域を「看破」し、厳かな声で告げた。

 

「……確認したわ。これで街の住人は、動けない者も含めて全員の避難が完了した。……いま、この街の中に残っている『命』は、貴方たちと――」

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

監督官の言葉を、腹に響くような巨大な衝撃音が遮った。

震源地は、街の中央にそびえ立つ廃貴族の館。夜空を真っ赤に染める吸血鬼の魔力と、それを強引に押し潰さんとする漆黒の衝撃が、物理的な嵐となって街中に吹き荒れる。

 

「……始まったようですな」

 

蜥蜴僧侶が、遠くで崩れ落ちる館の尖塔を見つめ、数珠を激しく鳴らした。

 

「凄まじいわい。大地の精霊たちが、あまりの衝撃に震えておる。……これはもはや、個人の決闘などという規模ではない。天災同士のぶつかり合いじゃ」

 

鉱人道士が、冷や汗を拭いながら杖を握り直す。

館を中心に、半径数百メートルの建物が、衝撃波の余波だけで次々と砂となって崩れ去っていく。その破壊の渦は、臨界点を目前にした死神の、制御不能な「拒絶」の膨張を物語っていた。

 

「……ちょっと、本気? あの間に割って入る訳?」

 

妖精弓手が、信じられないものを見る目でゴブリンスレイヤーを見た。

「あんなところに行ったら、吸血鬼に殺される前に、あの子の拒絶に巻き込まれて、私たちまで塵になっちゃうわよ!」

 

「…………」

 

ゴブリンスレイヤーは答えず、ただ静かに、腰に提げた「折れた剣の破片」を確かめた。

 

「……行かなきゃ」

 

その背中に、女神官の真っ直ぐな声が重なった。

彼女は、かつての仲間が一人で戦い、一人で壊れていくあの場所を見据えていた。

 

「あの子を……これ以上、独りにさせたくない。……どれだけ世界を拒絶しても、私が……私だけは、あの子の傍に行かなきゃいけないんです!」

 

「…………。ああ。行くぞ」

 

ゴブリンスレイヤーが歩き出す。

避難を終え、もぬけの殻となった「静寂の街」。

その中心で咆哮を上げる「絶望の館」。

 

――崩落が加速する館の広間。瓦礫が降り注ぐ中、赤い霧の中からヴァンパイアロードが再びその姿を再構成させていく。心臓を貫かれ、頭部を粉砕され、肉体すべてを霧散させられてなお、彼は不遜な笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「……粉々にしても、死なない」

 

女武闘家は、掌から漏れ出す衝撃の残光を見つめ、無機質に呟いた。彼女にとって、これまでの敵は「拒絶」の一撃で等しく塵へと帰ってきた。目の前の不浄が何度も形を取り戻す様は、彼女の壊れた認識において、奇妙なバグのように映っていた。

 

『――案ずるな、依代よ。吸血鬼という不浄は、そのしぶとさだけが取り柄だからな』

 

脳内の【不浄の指針】が、苛立ちを隠さぬ声で応える。

 

『だが、不死身などこの世に存在せん。神々の遊戯盤においても、無限という出目は許されていないのだ。……かつて掃除したケルベロスと同じく、何らかの「からくり」があるはずだ』

 

「……違う」

 

女武闘家は、瞳の曼荼羅のピントをさらに深く、吸血鬼の魂の深淵へと合わせた。

 

「ケルベロスは……三人で一つの命を共有して、それを循環させていた。……でも、あの人は違う。一人で……何千、いや、それ以上の命を、内側に詰め込んでいる」

 

彼女の指針が捉えたのは、吸血鬼の体内に渦巻く、おびただしい数の「悲鳴」だった。これまで彼が食らってきた犠牲者たちの魂。それが、主の身代わりとなって死を引き受ける「盾」として積み上げられている。

 

『…………二万か』

 

指針がその数値を弾き出し、嘲笑を深めた。

 

『ふん、たった一人で「一個師団分」もの命を蓄えていたとはな。不浄を通り越して、もはや醜悪な生命の墓場よ。……依代よ、見ろ。奴の肉体が再生するたびに、その墓場から一つずつ、魂が消えていく。……あれは不死ではない。ただの贅沢な「残機」だ』

 

その会話を耳にしたヴァンパイアロードが、優雅にマントを翻し、赤い瞳を細めた。

 

「……ほう? 見抜いたか。ただの壊れた人形かと思っていたが、その瞳……北方軍が執着するだけのことはある」

 

吸血鬼は自らの胸に手を当て、勝ち誇ったように嘲笑う。

 

「その通り。私の魂には、私が支配し、喰らってきた二万の家畜たちの『生』が詰まっている。貴様が私を一度殺すたびに、ゴミのような人間の命が一つ、私の代わりに消えるだけだ」

 

吸血鬼の周囲で、無数の怨霊の顔が浮かび上がっては消える。

 

「……わかった所で、どうにもならんがな。二万回だぞ? 貴様のその華奢な精神が、二万回も『拒絶』を叫び続けられるものか。臨界を待つまでもなく、貴様は数えることすら飽きて、私の足元で泣き叫ぶことになるだろうよ」

 

吸血鬼が指を鳴らすと、数万の蝙蝠が再び空を覆い、街を絶望の影で塗り潰した。

 

「…………」

 

しかし、女武闘家は揺らがなかった。

彼女はただ、次の衝撃を放つために、再び右の掌を静かに掲げた。

 

「……簡単。二万回、殺せばいいだけ」

 

「クハハハハ!!」

 

吸血鬼は、腹を抱えて爆笑した。

 

「この百年、冒険者共から飽きるほど聞いた台詞だ! その『簡単なこと』ができずに、奴らは皆、疲弊し、力を使い果たし、絶望の中で私の餌食となっていった。……金等級でさえ、これまで七人喰らっている。貴様が二万回掌を振るうのが先か、その華奢な心が折れるのが先か、賭けてみるか?」

 

「…………」

 

死神は、答えなかった。

彼女にとって、二万という数字は「絶望の重さ」ではなく、ただ完了させるべき「清掃の工程表」に過ぎなかった。

 

「掃除……再開」

 

――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

本日、一千回目となる拒絶の衝撃が炸裂し、吸血鬼の肉体は再び「一機分の命」を消費して塵へと化した。

 

街が更地になるまで続けられることになる、神話の暴力と死神の作業。

吸血鬼はまだ気づいていない。

目の前の少女には、恐怖に震えるための「心」も、疲労を感じるための「人間性」も、司祭の手によって既に殆ど残されていないということに。

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