『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第90話:北方戦線―臨界前日―

世界の南側、辺境の街が「死神」と「真祖」の激突によって半壊し、断末魔が響き渡っていたその時。世界の北側、凍てつく永久凍土の戦場。北方戦線は、勝利も敗北も凍りついたかのような、凄惨な停滞の中にあった。

 

北方軍第一師団第四鋼鉄旅団

 

彼等はトロールやオーガなどを主力とする第一師団において、唯一「人間」の歩兵を主体として構成された部隊である。

かつては「マッチ棒」や「肉の絨毯」と、怪力自慢の巨兵たちから嘲笑を浴びてきた旅団。だが、第一師団が勇者の光に焼かれ、主力であるトロールや魔獣が敗走した今、北の地平に踏みとどまり、沈まぬ「壁」として君臨しているのは、彼ら人間たちの規律であった。

 

「――全軍、歩みを止めるな! 突き崩せッ!!」

 

王都軍の騎士団長が、枯れ果てた声を絞り出し、最前線の歩兵たちを鼓舞する。

王都軍は勝利を確信していた。勇者が北方軍の本陣を叩き、敵主力は潰走している。あとは残るこの「殿」を排除し、完全な勝利を宣言するだけのはずだった。

 

だが第四鋼鉄旅団の陣地からは長さ5メートルに及ぶ魔導長槍が、隙間なく突き出され、巨大な針鼠のような方陣を形成している。突撃した王都軍の馬たちが、その鋭利な先端を前にして本能的な恐怖で立ち止まり、そこへ間髪入れずに、重弩の斉射が降り注いだ。

 

ドォォォォォォォォンッ!!

 

「ぐ、あぁぁぁっ!?」

「魔法障壁が持たない! なんだ、この弩の貫通力は……!」

 

疲弊しきった王都軍の魔導師たちには、もはや第四旅団が放つ高威力の魔導矢を弾き返す余力は残っていなかった。連日の死闘で剣はこぼれ、鎧は凹み、何より「勝利を目前にして足止めされる」という精神的な疲労が、騎士たちの足を泥に沈ませていた。

 

「……何故だ。奴等はトロールでもオーガでもない!!何故たかだか人間の歩兵が抜けないッ!!」

 

騎士団長が血の滲む拳で地面を叩く。

目の前の「壁」は、勇者の聖剣のような派手な奇跡は起こさない。だが、どれほど打ち付けても、泥のように粘り強く、鉄のように冷たく、そこに存在し続けている。

 

「……無駄だ。貴様らの熱意は、我らの規律には届かない」

 

第四鋼鉄旅団長は、返り血を拭うこともせず、淡々と戦況を見つめていた。

彼の視線の先には、敗走を続ける自軍の影がある。そして、そのさらに遥か南。

 

(……臨界点まで、あと一日か)

 

旅団長は、懐にある止まった懐中時計に触れた。

明日になれば、南の「死神」が世界を白紙に戻す。

もしそうなれば、いま目の前で必死に剣を振るっている王都の騎士たちも、殿として残っている自分たちも、等しく「ゴブリン」として消去されることになる。

 

「陣形を崩すな。……我らはただ、定められた時間を守るのみだ」

 

第四旅団の槍衾は、微動だにしなかった。

王都軍の必死の反撃は、その冷徹な秩序の前にことごとく霧散し、戦場にはただ、虚しい金属音だけが響き続ける。

その膠着を打破すべく十二万の軍勢の心臓部を目指す影があった。勇者一行である。

 

「……王都周辺に放たれた魔獣の掃討、そして第四密偵連隊が仕掛けた執拗な毒の罠……。突破するのに、予想以上の時間を取られたな」

 

剣聖が愛刀の柄を握り直し、忌々しげに吐き捨てた。彼女の白い装束には、幾重にも重なる魔獣の返り血と、毒を中和した際の焦げ跡が刻まれている。

 

「無理もありません。第四密偵連隊の毒は、物理的な破壊ではなく『存在の腐食』を目的としたもの。……私たちの足を一分、一秒でも止めるために、奴らは文字通り命を投げ打っていましたから」

 

フードを深く被った賢者が、浮かび上がる魔晶石を操作しながら応える。彼女の視界には、後方で立ち往生する王都軍のデータが映し出されていた。

 

「王都軍の追撃も、あの『第四鋼鉄旅団』の抵抗によって悉く失敗しています。……人間を主体とした部隊でありながら、あれほどの規律を維持し、死兵となって主力を北へ逃がし続けるとは。軍隊としては、あちらの方が一枚上手だったようです」

 

賢者が後方で煙を上げる戦場を振り返る。北方軍司令が「殿」に選んだ人間の歩兵たちは、文字通りの死兵となって王都軍の足止めを完遂していた。

 

「…………」

 

その中心で、勇者は南の空――赤黒い「拒絶」の渦が膨れ上がる辺境の街の方角をじっと見つめていた。彼女には聞こえていた。世界が「不浄」として塗り替えられていく、あの少女の悲鳴が。

 

「……行こう。あの子の時間が、もうないんだ。ボクたちが北方軍の本陣を落とせばこの戦争は終わる。そうすれば……ボクは南へ走れる」

 

勇者が聖剣を抜き放ち、黄金の輝きが雪原を照らした刹那。

 

三人の前の「空間」が、まるで鏡が割れるような鋭い音を立ててひび割れた。

 

「――――そこまでだ、神の愛し子よ」

 

一人の魔人がゆっくりと歩み出た。

ただそこに立っているだけで、周囲の光を吸い込み、距離感を狂わせる圧倒的な存在感。

漆黒の甲冑を纏い、顔の半分を異形の角が覆う男。その腰に提げられた一本の刀が、鞘にある状態でも周囲の空間をピキピキと軋ませている。

 

「深淵守護旅団長……! 司令の懐刀、北方軍最強の魔人剣士!!」

剣聖が即座に抜刀し、鋭い殺気を放つ。

 

「どいて! ボクたちは急いでるんだ!」

勇者の叫びに対し、旅団長はゆっくりと、腰に提げた禍々しい鞘に手をかけた。

その瞬間、彼の周囲の地面が、斬撃も受けていないのに細かく切り刻まれていく。

 

「……そうはいかんぞ。我が君の退路を汚させるわけにはいかぬ」

 

旅団長の指先が、魔剣の柄に触れる。

 

「……気をつけて、勇者様。あの男の持つ剣……あれはただの魔剣ではありません」

 

賢者が、観測用の魔晶石を震わせながら警告を発した。彼女の瞳には、男が握る漆黒の鞘から溢れ出す、歪な次元の綻びが見えていた。

 

「あれが、空間をも切り裂く魔剣『無量大数』。……物理的な防御も、聖なる障壁も意味をなしません。座標そのものを両断する、この世界の理の外側にある刃です」

 

「……あんたを斬るのに、時間を使いたくないんだ」

 

勇者が一歩、大地を踏みしめる。黄金の翼が広がり、本陣を飲み込もうと魔力が膨れ上がる。

 

「貴殿の命を、我が魂が尽きるまで、預からせてもらう」

 

北方軍が二十年かけて辿り着いた「技」の極致。

それが、世界を救う「光」の行く手を、無慈悲に遮った。

 

南で死神が二万の命を削り始めた、まさにその時。

北では勇者が、一つの「空間」を巡る絶望的な足止めを強いられることとなった。

 

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