『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第95話:鏡の戦場―不浄なき静寂―

廃邸の広間が、白銀の衝撃波によって消失した。

死神が放った渾身の『拒絶掌』。その余波は石柱を粉砕し、ヴァンパイアロードの最後の命をズタズタに引き裂き、背後にいた一党をも飲み込んだはずだった。

 

もうもうと立ち込める白煙と、焦げ付いた空気。

その中から、咳き込みながらも立ち上がる影があった。

 

「……ば、馬鹿な。何故……まだ生きている?」

 

瓦礫の中から上半身を再生させたヴァンパイアロードが、驚愕に眼を見開いた。

彼の前には、ボロボロになりながらも、一人の欠員もなく立ち並ぶゴブリンスレイヤー一党の姿があった。

 

『――ふん。どうやら、我らの術の性質を……理解した者がいるようだな』

 

【不浄の指針】が、苛立ちを隠さずに不気味なノイズを響かせた。

指針が捉えるはずの「殺意」や「害意」が、目の前の冒険者たちからは極限まで削ぎ落とされていた。彼らは戦っているのではない。まるで、機械的に「配置」に就いているかのような、異様な無機質さを保っていた。

 

「……当たり前でしょ。あんたの戦績データ、じっくり読ませてもらったわよ」

 

妖精弓手が、折れかけた弓を構え直し、口端を不敵に吊り上げた。

彼女の背後では、女神官が震える手で聖杖を握り、ゴブリンスレイヤーが銀の短剣を逆手に持ち替えていた。

妖精弓手は、隣の鉱人道士と蜥蜴僧侶に目配せを送る。

 

「始めるわよ。世界一危険な『八百長試合』を!」

 

「カカッ! 承知したわい。殺す気も、勝つ気も、死ぬ気も持たずに殴り合う……。ドワーフの人生でも初めての経験じゃな!」

 

「左様。ただ『そこに在る』という無の境地……。武人の端くれとして、これほど困難な試練もございますまい!」

 

一党が、死神を包囲するように散開した。

 

「……八百長試合だと? 貴様ら、何をふざけた真似をッ!!」

 

ヴァンパイアロードが血を吐きながら叫ぶ。

それに応えたのは、死神の死角を軽やかに跳ね、実体のない矢を放ち続ける妖精弓手だった。

 

「ふざけてなんかないわよ。超真面目な『お芝居』中なの!」

 

彼女が放つ矢は、急所を避けてわざと石畳を叩き、派手な音と火花を散らす。

隣では、蜥蜴僧侶が重厚な竜牙刀を振り回し、死神の腕と切り結ぶ「フリ」を繰り返していた。刀身が触れ合う直前で力を抜き、ただ「戦っているポーズ」だけを維持する。

 

「左様! 殺意も、勝機も、怒りも持たぬ……。ただ、拙僧らはこの場を賑わせる『背景』に徹しているのみにございます!」

 

「《ノームよ、適当に土煙を上げてくれい! 派手にな!》」

 

鉱人道士が瓢箪を振るうと、視界を遮るほどの派手な土煙が上がるが、誰一人傷つけることはない。

 

吸血鬼には理解できなかった。

なぜ、この程度の緩慢な動きを、あの「死神」が仕留めきれないのか。

 

『――ゴブリンが……検知……できない……』

 

死神――女武闘家の脳内で、【不浄の指針】が狂ったように針を振れさせていた。

目の前の三人は、武器を向け、呪文を唱え、自分を包囲している。しかし、その魂からは彼女が最も嫌悪し、力の源とする「自分を汚そうとする劣情」も「破壊しようとする害意」も、一滴も流れ出してこない。

 

指針にとって、彼らは「攻撃対象」ではなく、ただの「動く石ころ」と同義だった。

 

「ゴブリン……どこだ……。掃除……すべき……汚れが……視えない……!!」

 

ヴァンパイアロードはその光景を信じられぬ思いで見つめていた。

つい先刻まで、自分という「真祖の王」を、塵芥のように蹂躙し続けたあの絶望的な破壊力。二万の命を瞬く間に削り取った神話級の衝撃波が、いま、目の前の冒険者たちを前にして、見る影もなく減衰している。

 

「……馬鹿な。あり得んッ!!」

 

吸血鬼は血を吐きながら叫んだ。

 

「何故だ……何故、あの一撃でこれほどまでの差が出る!? あの娘の衝撃波の威力も、精度も……私との戦いの時とは比較にならんほど弱体化しているではないか! 貴様ら、一体何をしたッ!!」

 

吸血鬼の震える問いに、聖杖を握りしめた女神官が、真っ直ぐな眼差しを彼に向けて答えた。

 

「……貴方には分からないでしょうね。あの子をここまで追い詰めた、貴方たちのような不浄には」

 

彼女の背後では、一党が絶妙な距離を保ちながら、死神の『拒絶掌』を紙一重でいなし続けている。その衝撃波は、かつて建物を一瞬で消し飛ばしたそれとは違い、ただの突風のように力なく霧散していた。

 

「あの子の『拒絶』は……あの子を苦しめ続けたゴブリンや、貴方のように強大な暴力で襲いかかる相手であればあるほど、強い力を発揮するんです」

 

「何だと……?」

 

「向けられた悪意、劣情、支配欲……あの子が『怖い』と感じるものが、そのまま衝撃の燃料になる。……だから、あの子は貴方を二万回殺せたんです。貴方が強大な怪物として、あの子を喰らおうとしたから!」

 

女神官は一歩、死神の方へと歩み寄る。

 

「でも、今の私たちは違います。……私たちはあの子を傷つけない。あの子を道具になんてしない。……誰もあの子を怖がらせないから、あの子の『拒絶』は、向かうべき先を見失っているんです!」

 

ヴァンパイアロードは、愕然と自らの手を見つめた。

自分が誇っていた「強さ」と「邪悪さ」こそが、死神に自分を殺させるための最大の武器を与えていたという皮肉。

 

「……ク、クハハ……。私の強さが……私を滅ぼすための力になったというのか……。なんと、なんと醜悪な出目だ……!!」

 

「……武闘家さん。もう、誰も貴女を汚したりしません。……だから、そんなに怖がらなくていいんです」

 

ゴブリンスレイヤー一党の「八百長」によって、最大の武器である『衝撃』の出力を封じられた【不浄の指針】だったが、その声には一片の焦りもなく、むしろ獲物の無駄な足掻きを愉しむような余裕が漂っていた。

 

『――くくく、知恵を絞ったようだが。……滑稽だな、小鬼殺しよ』

 

女武闘家の喉を借りて、幾重にも重なったノイズのような声が広間に響き渡る。

 

『確かに、貴様らが「無」に徹することで、我らの衝撃はその牙を削がれた。……だが、攻撃せずに、一体どうやって我らに勝つつもりだ? 貴様らが我らに触れようと、一寸の刃でも向けた瞬間……その「殺意」を糧に、我らは再び神をも屠る破壊力を取り戻すぞ』

 

「…………」

 

ゴブリンスレイヤーは答えず、ただ静かに間合いを計る。

指針の曼荼羅が、フードの奥でギラリと赤く発光した。

 

『臨界まで、あと十分。……十分後には、お前たちがどれほど心を殺そうと、全てが無駄に帰す。……この四方世界に生きる全ての知的生命体を「ゴブリン」と見なし、反射的に、自動的に、根こそぎ消去するのだ』

 

指針の宣告。

それは、司祭という設計者が遺した「世界の終わり」の設計図。

 

『それまで、ただその不細工な踊りを続けて果てるか? 寄って来れば弾き、離れれば臨界を待つのみ。……詰みだな、冒険者。貴様らには、我らに届く「光」も、我らを貫く「闇」も、何一つ残されてはいない』

 

「……十分、か」

 

ゴブリンスレイヤーが、低く呟いた。

その視線は、死神の足元――先ほど吸血鬼を粉砕した衝撃の余波でひび割れた、瓦礫の山へと向けられていた。

 

「…………長いな。ゴブリンを五百匹は殺せる」

 

「オルクボルグ……。流石に今の冗談は、笑えないわよ」

 

妖精弓手が、額の汗を拭いながら皮肉を返した。だが、彼女の指先も、震えを止めるために強引に弦を握りしめていた。

 

「……神官」

 

ゴブリンスレイヤーが、一歩、無防備に踏み出した。

 

「お前が歩く道は、俺が作る。」

 

「……はい、ゴブリンスレイヤーさん」

 

女神官は、涙を拭い、聖杖を握り直した。

指針が語る「殺意」も「武器」も、今の彼女は持っていない。

ただ、あの日間に合わなかった自分を、今度こそ許すために。

そして、今度こそ、友の名前を「声」で呼ぶために。

 

死神の孤独な絶叫と、人間の静かな祈り。

臨界まであと十分。

廃墟と化した館の最奥で、世界で最も「非効率」な、そして「尊い」救出劇が、最後の秒読みと共に始まった。

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