薄紫のネックレス(魔法少女まどか⭐︎マギカ) 作:LongLong
プロローグ
古い封筒がある。
桃色の髪の女性が、それを手に持っている。
差出人の名前はない。中身は紙が一枚。電話番号だけが書かれている。丁寧で、均一で、何度も書き直したような字。
届いたのはずいぶん前のことだ。字を見れば誰からかわかった。名前がなくても。
あの字は見間違えない。中学の頃から変わらない。ノートの隅に、教科書の余白に、几帳面に書かれた文字。その字を見るたびに、隣の席の横顔を思い出す。黒い髪。伏せた睫毛。何も言わずに窓の外を見ている横顔。
封筒が届いたとき、すぐにかけようと思った。
でも──かけられなかった。
かけたら、あの人の声が聞こえるかもしれない。「なに、急に」と、少し呆れたような、低い声が返ってくるかもしれない。
聞こえなかったら──もういないと、わかってしまう。
知らない人が出るかもしれない。「その番号の方はもう」と言われるかもしれない。
どちらも怖かった。
封筒の角が擦り切れている。何度も手に取って、何度も引き出しに戻した。朝、仕事に行く前に封筒を見て、かけようと思って、やめて、鞄を持って家を出る。夜、帰ってきて封筒を見て、今日こそと思って、やめて、眠る。それを何年も繰り返した。
ある日、テレビのニュースが目に入った。
灰谷市で、原因不明の昏睡状態にあった住民が次々と目を覚ましたという。半年以上眠り続けていた人もいた。医療関係者も原因を特定できていない。奇跡的な回復、と報じられていた。
灰谷市。
あの人が向かった街。
昏睡からの回復。結界が消えたのだと、すぐにわかった。もう魔法少女ではないけれど、あの世界の仕組みは忘れていない。結界が消えたなら、誰かが壊した。誰かが戦った。
あの人が戦ったのか。あの人はまだ──。
もう、逃げてはいけないと思った。
今日、かける。何年分の朝と夜を無駄にしたかわからない。でも今日、かける。
封筒から紙を取り出す。何年も触れてきた紙。指の跡がついている。自分の指の跡。あの人の字の上に、自分の指紋が重なっている。
番号を押す。指が震える。コール音が鳴る。二回。三回。
──出た。
知っている声ではなかった。若い、女の子の声だった。
「……もしもし」
息を吸う。名前を知っている。あの人から聞いた、たった一つの名前。
「──沙耶さん、ですか」
「はい。暁美沙耶です」
暁美。
あの人が自分の苗字を、この子にあげていた。
封筒を握る手が震えた。視界が滲む。
「……暁美」
それしか言えなかった。