薄紫のネックレス(魔法少女まどか⭐︎マギカ) 作:LongLong
第十一話 巣
カナエから二度目の呼び出しがあったのは、あの公園での会話から一週間後だった。
今度の待ち合わせは灰谷駅の地下通路。終電が過ぎた後の、人気のないコンクリートの通路。蛍光灯が一本切れていて、奥の方が薄暗い。
カナエは壁にもたれて腕を組んでいた。私服ではなく制服のまま。学校から直接来たのだろう。
「遅い」
「呼び出されたの三十分前だけど」
「言い訳しないで。来て」
カナエは壁から背中を離し、通路の奥に歩き始めた。沙耶は黙ってついていく。蛍光灯の光が途切れて、足元が暗くなる。非常灯の赤い光だけが二人の輪郭を照らしている。
「前に見せた地図、覚えてる?」
「同心円状に魔女が集まってるやつ」
「あれから一週間、追加で記録した。パターンがはっきりした」
カナエはスマートフォンを取り出した。地図アプリの赤い点が増えている。同心円はより明確になっていて、中心点がはっきり見えた。
「中心は、ここ。灰谷駅の真下」
沙耶は顔を上げた。今いる場所だ。
「この地下通路の、さらに下。旧地下街の跡地。再開発で封鎖された区画があるのは知ってる?」
「……知らない」
「灰谷駅が改修される前、地下にショッピング街があった。十年以上前に閉鎖されて、そのまま封鎖されている。そこに──結界がある」
カナエの声が低くなった。
「普通の結界じゃないわよ。一つの魔女が作った結界じゃない。複数の魔女が融合して、一つの巨大な巣を形成している」
「融合……?」
「魔女同士が結合するのは稀だけど、前例がないわけじゃない。……かつて、無数の魔女が融合して一つの超大型になった存在もあったと聞いてる。問題はその規模。私が確認した限り、少なくとも五体以上の魔女が一つの結界に取り込まれている。そしてまだ成長し続けている」
沙耶は息を吸った。五体以上。あの蜘蛛の魔女一体を倒すのに、全身傷だらけになったのに。
「この街の魔法少女が消えた原因も、これよ」
「巣に引き込まれた?」
「精神を蝕まれたの。巣に近づくだけで、ソウルジェムが急速に濁る。私でも、入口付近に五分いるだけで濁りが目に見えて進行した。失踪した一人は、おそらく巣の中に入ってそのまま戻れなくなった。戦えなくなった二人は、巣の影響圏内で活動していたことでソウルジェムを消耗しきった」
カナエが初めて他の魔法少女の話をした。声に感情はない。報告書を読み上げるような口調。でも──「戻れなくなった」という言葉の後に、一瞬だけ間があった。
沙耶はその間を聞き逃さなかった。カナエの灰色の目が、一瞬だけどこか遠くを見ていた。壁の向こう──フェンスの向こうの暗闇を。まるで、そこにまだ誰かがいるのではないかと確かめるように。
この人も、誰かを失っている。
沙耶がそう思ったのは直感だった。根拠はない。ただ、カナエの「戻れなくなった」の後の一秒の沈黙が、お母さんの靴を見つめる自分の沈黙と、同じ重さに感じられた。
「巣の中心にいるのは、普通の魔女じゃない」
「……どういうこと?」
「キュゥべえに確認した。巣の中心にいるのは、完全に魔女になりきっていない存在。魔法少女と魔女の境界で止まった──半魔女とでも言うべきもの」
半魔女。魔法少女が絶望して魔女になる、その途中で止まった存在。自我を保ったまま、結界を広げ続けている。
「自我がある、ってこと?」
「ある程度はね。だからこそ厄介なの。意志を持って魔女を集め、巣を拡大し、力を蓄えている。自然発生の魔女とは根本的に違う」
沙耶はネックレスに触れた。地下通路に入ってから、ずっと熱を持っている。微かではない。はっきりとした熱。心臓の鼓動と同期するように、紫の光が脈打っている。
「ネックレスが、反応してる」
「わかってるわよ。巣の入口に近づけば近づくほど強くなる。……あなたのネックレスが、巣に引き寄せられているのか。それとも、巣があなたのネックレスを引き寄せているのか」
カナエの灰色の目が、沙耶のネックレスを見た。
「そのネックレスに込められた魔力は、並のものじゃない。誰のソウルジェムかは知らないけれど、相当な魔法少女のものよ。──もし半魔女がその魔力を狙っているとしたら」
沙耶の指が、ペンダントトップを握りしめた。
「お母さんの魔力を、吸収しようとしてる……?」
「あなたの母親のものだったの」
カナエが僅かに目を細めた。それ以上は聞かなかった。
「……可能性の話よ。でも、この一ヶ月で結界の数が爆発的に増えたのは、あなたが戦い始めた時期と一致する。あなたがその力を使うたび、魔力の波動が出る。それが巣に届いている。巣の半魔女が、その魔力を感知して、あなたを中心に向かって引き寄せようとしている」
沙耶は黙った。
つまり──灰谷市の異変が加速した原因の一つは、沙耶自身かもしれない。沙耶が戦えば戦うほど、巣はネックレスの魔力を感知して活性化する。
「私が、原因……?」
「原因の一つ、と言ったの。巣自体はあなたが来る前から存在していた。でも成長を加速させたのは──」
カナエは言葉を切った。それ以上は言わなかった。
地下通路の奥から、微かに風が吹いてきた。冷たい風ではない。温度がない風。結界に入る直前の、あの感覚。空気から色が抜け落ちるような。
「ここから先は、もう巣の影響圏内。今日は見せるだけ。入らないわよ」
カナエが足を止めた。その先の通路は、封鎖を示すフェンスで塞がれている。フェンスの向こうは暗い。ただの暗さではない。光を拒んでいるような暗さ。蛍光灯の光がフェンスの手前で途切れて、その先に届いていない。
ネックレスが激しく脈打っている。紫の光が明滅している。熱い。今までで一番強い反応。結界の中に入ったときの比ではない。
フェンスの向こうの闇が、沙耶を見ている。
そう感じた。闇に意志がある。沙耶のネックレスを──お母さんの魔力を感じ取って、こちらを向いている。
「……大きい」
「ええ。そしてまだ大きくなっている。このまま放置すれば、いずれ巣の結界が地上まで浸食する。灰谷市全体が飲み込まれるのは時間の問題」
カナエが振り返った。
「ノアの弟の昏睡も、これが原因でしょう?」
沙耶は息を止めた。ノアの弟のことを、カナエが知っている。
「……なんで、それを」
「病院で反応があったんでしょう。あなたの顔を見ればわかるわよ。巣の影響圏は地下だけじゃない。周辺の地上にも染み出している。半年前から徐々に。あの少年が倒れたのも、巣の影響が最初に地上に現れた時期と一致する」
やはりそうだった。ユウキの昏睡は、この巣が原因だ。
沙耶はフェンスの向こうの闇を見つめた。お母さんの魔力を狙う何かがそこにいる。ノアの弟を眠らせたものがそこにいる。この街を蝕んでいるものがそこにいる。
「どうするの」
カナエが聞いた。冷たい声。でも、初めて沙耶に「どうする」と聞いた声。今までは「邪魔よ」「退きなさい」だった。
「……倒す。倒さなきゃ、ノアの弟は目を覚まさない」
「一人じゃ無理よ」
「わかってる」
「私一人でも無理。入口に五分いるだけでソウルジェムが濁る結界よ。中に入って半魔女まで辿り着くなんて、普通なら不可能」
カナエの目が、沙耶のネックレスに向いた。
「……でも、あなたのネックレスは、巣の中でも機能するかもしれない。ソウルジェムじゃないから、濁りの影響を受けない。そして巣はあなたの魔力に反応して構造を変える。つまり──」
「私がいれば、中に入れる」
「鍵、ということよ」
長い沈黙があった。地下通路に二人の呼吸だけが響いている。
カナエが先に口を開いた。
「一つだけ言っておくわ。これは今までの結界とは次元が違う。使い魔や中堅の魔女を倒すのとは訳が違う。──死ぬかもしれない」
「知ってる」
「知ってて行くの」
「うん」
カナエは鼻で笑った。でも、前と同じ笑い方ではなかった。嘲りでも呆れでもない。何か別のもの。
「……馬鹿ね」
それだけ言って、カナエは踵を返した。沙耶もついていく。
地下通路を出て、夜の灰谷駅前に戻る。人のいない駅前広場。街灯の光が二人の影を伸ばしている。
カナエが立ち止まった。振り返らずに言った。
「準備に一週間。それまでに、あなたはもう少しまともに戦えるようになりなさい」
「カナエさん」
「何」
「ありがとう。話してくれて」
カナエは何も言わず歩いていった。でも、足音が少しだけ遅くなった気がした。