薄紫のネックレス(魔法少女まどか⭐︎マギカ)   作:LongLong

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第三幕 第十三話『鍵』

第十三話 鍵

 

 準備期間の四日目。カナエが放課後、沙耶の教室に来た。

 

 それだけで教室がざわついた。三年生の常磐カナエといえば、学年を問わず名前が知られている。成績は常に上位、容姿は目を引くが誰とも群れない。近寄りがたい美人。その人物が二年の教室に足を踏み入れ、まっすぐ沙耶の席に向かってきたのだから、周囲の反応は当然だった。

 

 ノアが沙耶の横で小さく「おお」と声を漏らした。

 

 「今夜、時間を作りなさい。話がある」

 

 それだけ言って、カナエは踵を返した。クラスメイトの視線を一切気にしていない。廊下に消えるまで、背筋は一ミリもぶれなかった。

 

 「……カナエさん、学校だとああいう感じなんだ」

 

 「あの人がわざわざ来るなんて、よっぽどだね。……大きいことが始まるの?」

 

 ノアが聞いてくる。好奇心半分、心配半分の目。沙耶の傷とカナエが関係していることは、もう知っている。

 

 「……うん。たぶん」

 

 それだけ言うと、ノアは頷いた。それ以上は聞かなかった。

 

 夜。待ち合わせは灰谷市の外れにある廃工場だった。

 

 コンクリートの壁に囲まれた広い空間。天井の一部が崩落していて、そこから月明かりが差し込んでいる。カナエは工場の中央に立っていた。既に変身している。深い紺色の衣装、手には細身の長剣。

 

 「来たわね」

 

 「うん」

 

 沙耶はネックレスを握った。「来て」。紫のランスが手の中に現れる。カナエはそれを見て僅かに頷いた。

 

 「まず確認するわ。あなたのネックレスは、巣の中でも機能する。ソウルジェムではないから、濁りの影響を直接受けない。そして巣の構造がネックレスの魔力に反応して変化する。私が先日入口付近を調査したとき、結界の壁が組み替わるのを確認した。あなたがいなければ、奥には進めない」

 

 「私が鍵、ってこと」

 

 「そういうことよ。あなたがいなければ私は最深部に辿り着けない。私がいなければあなたは途中で死ぬ。……どちらも一人では無理」

 

 カナエの灰色の目が、沙耶を見据えた。

 

 「勘違いしないで。あなたを認めたわけじゃない。道具として必要だから、組むだけ」

 

 沙耶は少し笑った。

 

 「それでいいよ」

 

 カナエが一瞬だけ眉を動かした。怒りではない。予想と違う反応をされたときの、微かな戸惑い。

 

 「……いいの」

 

 「うん。カナエさんが必要としてくれるなら、理由は何でもいい。道具でも鍵でも」

 

 カナエは何か言いかけて、飲み込んだ。代わりに剣を構えた。

 

 「いいわ。なら、まずあなたの戦い方を見る。構えなさい」

 

 カナエの訓練は、容赦がなかった。

 

 「遅い」

 

 横薙ぎ。沙耶がランスで受けようとしたが、間に合わない。剣の腹が肩を叩く。痛い。

 

 「足が止まってる。止まった瞬間に死ぬと思いなさい」

 

 突き。沙耶がランスの柄で逸らそうとするが、角度が甘い。剣先が頬を掠める。紺色の刃が月明かりを反射した。

 

 「ランスは突く武器よ。薙ぎ払うな。リーチを活かしなさい」

 

 確かに、沙耶は今まで薙ぎ払いを多用していた。使い魔相手にはそれで通用したが、カナエの速度には追いつかない。

 

 「私が使い魔だったら、あなたはもう三回死んでる」

 

 「……はい」

 

 「返事はいいから動きなさい」

 

 カナエは休憩を入れなかった。沙耶が息を切らしても、膝が笑い始めても、止めない。ただし致命的な場所には絶対に当てなかった。肩、腕、脛。痛いが、壊れない場所だけを正確に打つ。

 

 乱暴だが、的確。壊さないように殴る。それはある種の優しさだと、沙耶は打たれながら思った。

 

 「突くときは腰を入れろ。腕だけで突くな。体重を乗せなさい」

 

 「足を引くな。前に出ろ。ランスは前に出る武器よ」

 

 「間合い。あなたのランスは私の剣より長い。その分だけ遠くから当てられる。相手に踏み込まれたら負け。自分の間合いを保ちなさい」

 

 言われてみれば当たり前のことだった。でも実戦の中では当たり前のことが一番難しい。恐怖で足が止まる。攻撃を受けると反射的に後ろに下がる。その悪い癖を、カナエは一つずつ叩き直していく。

 

 「足。右足から踏み出して、左足を引きつける。逆をやるな。ランスを突くときは必ず右足が前」

 

 沙耶は足元を意識した。右足、左足。踏み出す、引きつける。突く。

 

 「もう一回」

 

 一時間が経った頃、沙耶は工場の床に膝をついていた。全身が痛い。新しい打撲が古い打撲の上に重なっている。でも、確実に何かが変わっていた。ランスの握り方、体重の乗せ方、足の運び方。カナエに打たれるたびに、正解の形が身体に刻まれていく。

 

 「もう一本」

 

 カナエが言った。

 

 沙耶は立ち上がった。ランスを構える。突き。カナエが軽く捌く。もう一度突く。今度はカナエが半歩下がった。

 

 「……少しはマシになったわね」

 

 それは、カナエから聞いた初めての肯定だった。

 

 「もう一回、来る」

 

 カナエの目が変わった。今までの訓練とは違う気配。剣を構え直す動きが鋭い。

 

 「次は、本気で打つ。受けなさい」

 

 カナエが踏み込んだ。

 

 速い。今までの比ではない。訓練ではなく、実戦の速度。紺色の剣が沙耶の顔面に向かって──

 

 受けられない。避けられない。ランスを持ち上げる時間がない。

 

 死ぬ、と思った。思ってしまった。

 

 ──その瞬間、ネックレスが弾けるように光った。

 

 沙耶の手の中で、ランスが変形した。柄の部分が地面に向かって伸び、先端が床に突き刺さる。そしてネックレスから紫の光が弾けて──丸い盾が実体化した。

 

 カナエの剣が、紫の盾に当たって止まった。金属同士がぶつかる甲高い音が廃工場に反響する。

 

 沙耶は自分の手元を見た。

 

 紫色の丸い盾が展開している。表面にかすかに歯車のような模様がある。薄いが堅牢。カナエの本気の一撃を、完全に防いでいる。

 

 「……これ」

 

 知らなかった。ネックレスにこんな形があることを、知らなかった。ランスに変わることしか知らなかった。でも今、別の形が──盾が──現れた。

 

 カナエは剣を引いた。灰色の目が、紫の盾を見つめている。驚きがあった。一瞬だけ目を見開いた。でもすぐに、いつもの冷静な表情に戻る。

 

 「……そのネックレス、他にも形態があるのね」

 

 「私も、今初めて……」

 

 盾が光を失い、ランスに戻り、ペンダントトップに戻った。沙耶の手の中に、銀のネックレスが残る。紫の光は消えている。

 

 「守る形」

 

 沙耶は呟いた。ランスは突くための形。攻撃の形。でもこの盾は、守るための形だ。

 

 お母さんがこの中に込めたのは、攻撃だけじゃなかった。守るための力も入っていた。「これがあれば大丈夫」。攻撃で切り開き、盾で身を守る。お母さんは両方を用意してくれていた。

 

 沙耶はネックレスを握った。紫の光がくすんでいる。でも今、確かにさっきの盾の残り香のような温もりがあった。

 

 ランスが初めて出たのは、死にかけたとき。「助けて」と叫んだとき。盾が出たのも、死にかけたとき。カナエの本気の一撃が顔に向かってきたとき。どちらも、沙耶が最も追い詰められた瞬間に応えてくれた。

 

 お母さんは、沙耶が追い詰められる未来を知っていたのだろうか。だから「攻める力」と「守る力」の両方を込めたのだろうか。

 

 ──まだ、他にもあるのかもしれない。

 

 その考えが浮かんで、沙耶は少しだけ怖くなった。他にも形態があるとすれば、それはもっと追い詰められたときに出るということだ。もっとひどい窮地に陥ったときに、お母さんの魔力がまた応えてくれる。嬉しいことのはずなのに、その前提が怖かった。

 

 「使えるようになりなさい」

 

 カナエが言った。

 

 「巣の中では、私が前衛。あなたが後衛。ランスで援護して、その盾で私たち二人を守る。……できる?」

 

 「やる」

 

 「できるかと聞いたの」

 

 「やる、って言ってるの」

 

 カナエは──笑った。口角がほんの僅かに上がった。笑ったというには微かすぎるが、沙耶はそれを見逃さなかった。

 

 「いいわ。もう一回」

 

 カナエが剣を構え直した。沙耶もネックレスを握る。今度は、盾を出す練習。

 

 「来て」

 

 紫のランスが現れる。ランスを構えたまま、盾を出そうとする。意識を集中する──出ない。ランスだけ。

 

 「考えすぎ。さっきは何も考えてなかったでしょう。頭で出すんじゃない。身体で出しなさい」

 

 もう一回。ネックレスに意識を向ける。盾──出た。でも遅い。展開しきる前にカナエの剣が沙耶の胴に届く。

 

 「遅い。意識してから展開まで二秒かかってる。一秒で出しなさい」

 

 もう一回。意識。展開。今度はカナエの剣と同時。相打ち。

 

 「足りない。私の剣が届く前に展開しきらなければ意味がない」

 

 もう一回。もう一回。もう一回。

 

 展開のたびにネックレスの魔力が消費されているのがわかった。盾を出すたびに、ペンダントの光が僅かに薄くなる。お母さんの魔力が減っていく。練習のたびに。

 

 でも、止めるわけにはいかない。本番で出せなければ、二人とも死ぬ。

 

 月が天頂を過ぎた頃、沙耶はようやくカナエの剣を盾で三回連続受け止めることができた。

 

 「……及第点。ぎりぎりね」

 

 カナエが変身を解いた。制服姿に戻り、崩れた工場の壁にもたれかかる。沙耶もその隣に座り込んだ。二人とも息が荒い。沙耶は汗だくで、カナエもさすがに額に汗が光っていた。

 

 しばらく、どちらも喋らなかった。廃工場の隙間から夜風が吹き込んでくる。六月の、湿った風。

 

 「水」

 

 カナエがペットボトルを差し出した。沙耶は受け取って飲んだ。ぬるい水。でも身体に染みる。

 

 「カナエさん」

 

 「何」

 

 「さっき、本気で打ったとき。もし盾が出なかったら、止まれた?」

 

 カナエは黙って前を見ていた。数秒の沈黙。それから。

 

 「……止まれたわよ。当たり前でしょう」

 

 声が、ほんの少しだけ小さかった。沙耶はそれ以上聞かなかった。

 

 ペットボトルをカナエに返す。カナエは受け取って、同じボトルから水を飲んだ。それが初めて二人が何かを共有した瞬間だったと、沙耶は後になって思った。

 

 「あと三日で、もう少しマシにしなさい。巣の中で使い物にならなかったら、置いていくから」

 

 「置いていけないでしょ。鍵がいないと進めないんだから」

 

 カナエが沙耶を見た。数秒、黙って。

 

 「……生意気ね」

 

 その声は、冷たくなかった。

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