薄紫のネックレス(魔法少女まどか⭐︎マギカ)   作:LongLong

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第三幕 第十五話『灰色の世界へ』

第十五話 灰色の世界へ

 

 終電が過ぎた灰谷駅の地下通路。

 

 沙耶とカナエは並んで歩いていた。蛍光灯の光が途切れる地点──一週間前、カナエが「ここから先は影響圏内」と言ってフェンスの前で止まった場所。

 

 今夜は、止まらない。

 

 カナエは既に変身していた。深い紺色の衣装、手には長剣。ソウルジェムが左手の甲で淡く光っている。歩くたびに衣装の裾が揺れて、紺色の光が薄暗い通路を照らしている。

 

 沙耶はネックレスを握った。紫の光がくすんでいる。今夜、この中の魔力を使い切るかもしれない。

 

 フェンスの前に着いた。切断された鎖がぶら下がっている。カナエが先日、調査のために切ったのだろう。フェンスの向こうは、あの日と同じ──光を拒む暗闇。

 

 「入るわよ。一つだけ確認。巣の中では私の指示に従いなさい。勝手に動かないで」

 

 「わかった」

 

 「それと──ソウルジェムの濁りが限界に達したら、私は撤退する。あなたを置いてでも。それは了承して」

 

 「……わかった」

 

 カナエはフェンスを越えた。沙耶もそれに続く。

 

 一歩踏み出した瞬間、世界が変わった。

 

 色がなかった。

 

 今まで入った結界は、どれも異常な色彩に溢れていた。赤紫、青、黄色。不気味だが、色があった。

 

 ここには何もない。

 

 灰色だった。壁も、地面も、天井も。見渡す限りの灰色。濃淡すらない均一な灰色が、どこまでも続いている。通路は旧地下街の名残を留めていて、シャッターの降りた店舗が両側に並んでいる。看板の文字も、壁の模様も、全てが灰色に塗りつぶされている。

 

 空気が重い。温度がない。冷たくも暖かくもない。匂いもない。消毒液の匂いすらした病院の方が、まだ生きている空間だった。

 

 音が遠い。自分の足音がくぐもって聞こえる。カナエの足音も。まるで耳に布を詰められたような感覚。

 

 「これが、巣……」

 

 「喋る暇があったら前を見なさい」

 

 カナエの声は通常と変わらない。でも、その目が絶えずソウルジェムを確認しているのが見えた。左手の甲の宝石──紺色だったそれが、入ってまだ数十秒で僅かに濁り始めている。

 

 「もう濁ってる」

 

 「わかってるわよ。想定内」

 

 カナエはグリーフシードを一つ取り出し、ソウルジェムに当てた。濁りが吸い取られ、宝石が澄む。

 

 「グリーフシードは七つ持ってきた。一つで約十五分浄化が持つ。つまり最大で二時間弱。それまでに最深部に辿り着いて、半魔女を倒す」

 

 二時間。それがタイムリミット。

 

 通路を進む。灰色のシャッターが並ぶ旧地下街。かつてはここに人が歩き、買い物をし、食事をしていたのだろう。今は全てが止まっている。灰色の埃が薄く積もっている──いや、埃ではない。結界の一部だ。灰色の粒子が空気中に漂っていて、それが壁や床に降り積もっている。

 

 沙耶のネックレスが脈打っていた。強い。今までのどの結界よりも強い反応。心臓と同期するリズムで、銀のペンダントが紫の熱を放っている。

 

 「ネックレスが反応してる。……強い」

 

 「どっちの方角が強い?」

 

 沙耶は立ち止まって、感覚を研ぎ澄ました。ネックレスの熱は均一ではなかった。右に曲がる通路と、左に曲がる通路。右の方が──強い。

 

 「右」

 

 「行くわよ」

 

 右に曲がる。通路の形が変わった。旧地下街の構造ではない。壁が歪み、天井が高くなり、灰色の花が地面から生えていた。花といっても色はない。灰色の茎、灰色の花弁。風もないのに僅かに揺れている。

 

 そして──ところどころに、紫の光が点在していた。

 

 壁の表面に染みこんだような、小さな紫の点。それはネックレスに近づくと少しだけ明るくなった。

 

 「これ……」

 

 沙耶は壁の紫の点に手を触れた。温かかった。ネックレスと同じ温かさ。お母さんの魔力の温もり。

 

 「母親の魔力が結界に反応しているのね。道しるべになる」

 

 カナエが紫の点を見て言った。

 

 灰色の世界に、紫の光が道を示している。お母さんの魔力が、巣の中に染み込んで、沙耶を導いている。──あるいは、半魔女がネックレスの魔力を引き寄せた結果、魔力の経路が結界の中に残ったのかもしれない。どちらにしても、この光を辿れば最深部に近づける。

 

 先に進む。灰色の花畑を抜けると、広い空間に出た。旧地下街のフードコートだったらしい場所。テーブルと椅子が灰色に塗りつぶされたまま並んでいる。

 

 そこに、使い魔がいた。

 

 三体。灰色の人型。顔がない。のっぺりとした灰色の表面に、目も鼻も口もない。ただ人の形をした灰色の塊が、こちらを向いて立っている。

 

 「来て」

 

 沙耶がネックレスを握る。紫のランスが手の中に現れた。

 

 カナエが前に出た。剣を構える。

 

 「私が前。あなたは盾で援護。──行くわよ」

 

 カナエが踏み込んだ。一体目の使い魔に斬りかかる。紺色の剣が灰色の胴を切り裂いた──が、切り口がすぐに塞がる。再生する。

 

 「厄介ね。巣の使い魔は再生能力がある」

 

 二体目がカナエの背後に回り込もうとした。沙耶はネックレスに意識を集中し、盾を展開した。紫の丸い盾がカナエの背後に現れ、灰色の人型がぶつかって弾かれた。

 

 「ナイス」

 

 カナエが──褒めた。短く、事務的に。でも確かに「ナイス」と言った。

 

 カナエが二度目の斬撃で一体目の核を捉えた。灰色の人型が崩れ、粒子になって散る。再生する前に核を壊せば倒せる。

 

 二体目。沙耶が盾で動きを制限し、カナエが横から核を突く。崩壊。

 

 三体目は逃げようとした。沙耶がランスで足元を突き、動きを止める。カナエが止めを刺す。

 

 三体とも片付いた。カナエがソウルジェムを確認する。濁りが進んでいる。グリーフシードを当てて浄化。

 

 「残り六つ。先を急ぐわよ」

 

 紫の光を辿って奥へ進む。通路は次第に狭くなり、天井が低くなっていく。灰色の壁が近づいてくる。圧迫感が増す。

 

 結界の構造がネックレスに反応して変化しているのがわかった。沙耶が近づくと壁が開き、離れると閉じる。カナエ一人では通れない道が、沙耶がいることで開かれていく。

 

 鍵。カナエがそう言った意味が、身体でわかった。

 

 どのくらい歩いただろう。十分か、三十分か。時間の感覚が巣の中では曖昧になる。

 

 二度目の使い魔の群れ──今度は五体──を倒した後、カナエが三つ目のグリーフシードを使った。

 

 「残り四つ。半分を切ったわ」

 

 声に焦りはない。でもペースを上げているのがわかった。歩幅が広くなっている。

 

 紫の光が濃くなってきた。壁の点が線になり、線が筋になり、まるで紫の血管のように結界の壁を走っている。ネックレスの熱も強くなっている。近づいている。最深部に。

 

 そのとき、沙耶の耳に──何かが聞こえた。

 

 声、ではなかった。音ですらなかった。ネックレスが震えて、その振動が沙耶の身体を通って、頭の中で何かの形になった。

 

 ──さ、や。

 

 名前。自分の名前。

 

 誰かが呼んでいる。灰色の世界の、もっと奥から。

 

 沙耶は立ち止まった。

 

 「どうしたの」

 

 カナエが振り返る。

 

 「……声が聞こえた。私の名前を呼んでる」

 

 カナエの灰色の目が鋭くなった。

 

 「半魔女よ。ネックレスの魔力を通じて、あなたに接触してきている。──無視しなさい。何を言われても応えないで」

 

 「……わかった」

 

 先に進む。でも声は消えなかった。微かに、でも確実に。ネックレスの振動を通じて、沙耶の頭の奥底に届いている。

 

 ──さや。おいで。

 

 灰色の通路の先に、光があった。紫ではない。灰色の──いや、灰色とも言い切れない、色のない光。

 

 最深部が近い。

 

 沙耶はネックレスを握った。熱い。お母さんの魔力が、巣の中心に引き寄せられている。

 

 ──おかあさんに、あわせてあげる。

 

 声がはっきり聞こえた。甘い声。少女の声。

 

 沙耶はネックレスを握る手に力を込めた。応えない。応えてはいけない。カナエがそう言った。

 

 でも──心臓が、跳ねていた。

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