薄紫のネックレス(魔法少女まどか⭐︎マギカ)   作:LongLong

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エピローグ②『ほむらちゃん』

エピローグ②『ほむらちゃん』

 

 電話から三日後。

 

 沙耶は灰谷駅から電車に乗って、見滝原に向かった。

 

 お母さんが暮らしていた街。記憶の中で見た、仲間たちと一緒にケーキを食べた街。ギターを弾いた河原がある街。

 

 見滝原駅で降りると、駅前のロータリーに桃色の髪の女性が立っていた。

 

 すぐにわかった。記憶の中で見た人が、さらに歳月を重ねた姿。髪の色は変わっていない。桃色。でもそれ以外は全部変わっていた。記憶の中ではスーツのジャケットを椅子にかけていた若い女性。今はカーディガンにワンピース。休日の服。あの頃からずいぶん時間が経ったのだと、顔を見ればわかった。

 

 目が合った。

 

 鹿目まどかは、沙耶を見た瞬間、口元を手で覆った。

 

 「……白い髪」

 

 まどかの声が震えていた。沙耶の白い髪を見ている。

 

 「暁美沙耶です。……電話では、ありがとうございました」

 

 「うん。──来てくれて、ありがとう」

 

 まどかは泣きそうな顔で笑った。

 

 まどかが案内したのは、駅から歩いて十分ほどの喫茶店だった。

 

 扉を開けた瞬間、沙耶は足が止まった。

 

 お母さんの記憶の中で見た場所。窓際の席。テーブル。夕暮れの光。お母さんとまどかが最後に向かい合った場所。

 

 今は昼で、夕暮れではない。でも窓の形も、テーブルの配置も、記憶と同じだった。

 

 「ここ……」

 

 「うん。ほむらちゃんと最後に会ったお店。……まだあったの。十七年も経ったのに」

 

 まどかは窓際の席に座った。沙耶はその向かいに座る。お母さんが座っていた場所に。

 

 注文を済ませて、しばらく沈黙があった。

 

 「あの……一つ聞いてもいいですか。電話番号、どうやって知ったんですか」

 

 まどかは鞄の中から、小さな封筒を取り出した。古い封筒。角が擦り切れている。何度も手に取った跡。

 

 「これが届いたの。何年か前に。差出人の名前はなくて、中身はこれだけ」

 

 封筒の中から、小さな紙片が出てきた。電話番号が一つ。それだけ。

 

 「字を見てわかった。ほむらちゃんの字だって。……でも、かけられなかった。かけたら、ほむらちゃんの声が聞こえるかもしれない。聞こえなかったら、もういないって確定しちゃう。どっちも怖くて」

 

 まどかは封筒を両手で包むように持っていた。

 

 「灰谷市で、たくさんの人が突然目を覚ましたってニュースを見たの。原因不明の昏睡から回復したって。それで──もう逃げちゃだめだと思って、やっとかけた」

 

 電話に出たのはほむらではなかった。「暁美沙耶です」と名乗る、若い女の子の声だった。

 

 「……暁美、って聞いて。ほむらちゃんが、この子に自分の苗字をあげたんだって。それだけで、もう」

 

 まどかは言葉を切った。目が潤んでいる。

 

 沙耶は封筒を見つめた。お母さんの字。手紙の三行と同じ筆圧。丁寧で、均一で、何度も書き直したような字。電話番号だけを書いて送った。名前も、住所も、何も書かずに。でもまどかにはわかった。

 

 お母さんは、最後まで不器用だった。

 

 まどかは沙耶の顔をじっと見ている。何かを探している。

 

 「似てない」

 

 まどかが言った。

 

 「え」

 

 「ほむらちゃんに、似てない。髪の色も違うし、目の色も違うし、顔も全然違う」

 

 沙耶は少し傷ついた──わけではなかった。知っている。お母さんとは血が繋がっていない。似ているはずがない。

 

 「でもね」

 

 まどかが紅茶のカップを持ち上げた。その手が微かに震えている。

 

 「座り方が同じ。背筋を伸ばして、手をテーブルの上に置いて。ほむらちゃんもそうだった。いつもそうやって座ってた」

 

 沙耶は自分の姿勢を意識した。背筋が伸びている。手がテーブルの上にある。お母さんがそうしていたから、自然にそうなった。十六年間、向かい合ってご飯を食べていたから。

 

 「……お母さんのこと、聞いていいですか。まどかさんが知ってるお母さんのこと」

 

 「うん。何でも」

 

 「お母さんは、まどかさんとどうやって知り合ったんですか」

 

 まどかは少し考えてから、話し始めた。

 

 「中学のとき、転校してきたの。最初から──すごくかっこよくて、誰にも媚びなくて。でもどこか寂しそうだった。たくさんのものを背負ってるのに、誰にも見せないようにしてる子」

 

 まどかの目が遠くなった。

 

 「最初はみんなとぶつかってばっかりだった。口下手で、理由を説明しないで行動するから。さやかちゃんには『何考えてるかわかんない』って怒られて。マミさんには『一人で背負わないで』って叱られて。杏子ちゃんには『カッコつけてんじゃねえよ』って」

 

 まどかは苦笑した。

 

 「でも──少しずつ変わっていったの。きっかけは、ほむらちゃんが全部話してくれたこと。……自分が何度も同じ時間を繰り返してきたこと。わたしを守るために、何度も何度も」

 

 まどかの声が震えた。

 

 「それを聞いて、みんな黙っちゃったの。さやかちゃんも、マミさんも、杏子ちゃんも。……ほむらちゃんがなんであんなに不器用だったのか、全部わかったから」

 

 沙耶は息を止めた。時間を繰り返す。何度も。まどかのために。──ネックレスの中に封じられていた三つ目の力。時間。あれは、お母さんの本当の力だったのだ。

 

 「それからはみんなが、ほむらちゃんの不器用さの奥にあるものに気づいていった。最後はみんなで、とんでもなく大きな魔女を倒したの。ワルプルギスの夜って呼ばれてた。一人じゃ絶対に無理だった。ほむらちゃんも、みんなも」

 

 沙耶は息を呑んだ。記憶の中で見た断片が、まどかの言葉で繋がっていく。ケーキの匂い。ギターの音。背中合わせの銃声。あれは、ぶつかり合った末に辿り着いた場所だったのだ。

 

 「わたしはほむらちゃんの隣にいたかった。理由なんかなかった。ただ、隣にいたいと思った。それだけ」

 

 理由なんかなかった。沙耶は記憶の中で見たお母さんの姿を思い出した。路地裏で泣いている子の前にしゃがんで、理由もなく手を伸ばした。同じだ、と思った。

 

 「……お母さんは、まどかさんのことを大切にしてたんだと思います。記憶の中で見ました。お母さんが誰かの手に自分から触れたの、まどかさんだけでした」

 

 まどかの目から涙が零れた。

 

 「そう……。ほむらちゃんが」

 

 しばらく二人とも黙っていた。紅茶の湯気が静かに立ち上っている。

 

 「沙耶さん。わたし、ほむらちゃんがどんなお母さんだったか、全然知らないの。ほむらちゃんが誰かを育てるなんて、想像もつかなくて。……教えてくれる?」

 

 沙耶は頷いて、話し始めた。

 

 朝、「おはよう」と短く言ってくれたこと。おかずを見て「きんぴらが多すぎたわね」と笑ったこと。勉強はどの教科を聞いても即答できたこと。夜、隣で本を読んでいたこと。風呂上がりに、後ろからゆっくり髪を梳いてくれたこと。「じっとしてて」としか言わなかったこと。夜中にときどき、窓の外をじっと見ていたこと。

 

 まどかは聞きながら、泣いていた。声を出さずに。涙だけが頬を伝っていた。

 

 「……髪を、梳いてあげてたんだ」

 

 「はい。毎晩」

 

 「ほむらちゃんが……あのほむらちゃんが……」

 

 まどかは両手で顔を覆った。しばらく肩が震えていた。

 

 沙耶は待った。カナエが沙耶の泣くのを待ってくれたように。

 

 まどかが顔を上げたとき、目は赤かったが、笑っていた。

 

 「ありがとう。教えてくれて」

 

 「……わたしからも、一つ見せたいものがあります」

 

 沙耶は首元のネックレスに触れた。銀の鎖。小さなペンダントトップ。

 

 「お母さんが遺していったものが、もう一つあるんです。手紙の他に」

 

 まどかが少し驚いた顔をした。知らなかったのだ。ほむらはまどかにネックレスのことを話していなかった。

 

 「このネックレス。お母さんのソウルジェムから魔力を移し替えて作ったもので……紫の光が灯っていて、魔女と戦う力が宿っていたんです」

 

 沙耶はペンダントを持ち上げて見せた。まどかはそれを見つめている。紫の光はもう灯らない。ただの銀のアクセサリー。

 

 「槍になったり、盾になったり。使うたびにお母さんの魔力が減って、紫が薄れていって。……全部使い切りました。お母さんがくれた力を、全部」

 

 まどかはペンダントにそっと指先で触れた。冷たい銀。何の反応もない。

 

 「……もう光らないんだね」

 

 「はい」

 

 まどかはペンダントから指を離して、少しの間考えていた。それから、静かに言った。

 

 「ほむらちゃんは、いつか尽きるってわかってて作ったんだね」

 

 「……はい」

 

 「永遠に守ってあげることはできないって、知ってたんだ。だから──沙耶さんが自分で立てるようになるまでの力を入れた。ずっと使える力じゃなくて、使い切れる力を」

 

 沙耶はその言葉に、はっとした。考えたことがなかった。永遠に残る力ではなく、使い切れる力。ネックレスの魔力がいつか尽きることを、お母さんは最初から知っていた。知っていて作った。

 

 「力がなくなっても大丈夫だって、信じてたんだよ。沙耶さんのこと」

 

 沙耶の目から涙が零れた。

 

 「──ちゃんと立ててます。お母さんがいなくても」

 

 「うん。見ればわかるよ」

 

 まどかは紅茶を飲み干した。窓の外に午後の光が差している。記憶の中では夕暮れだった。今は昼。同じ喫茶店で、違う時間。違う二人。

 

 「沙耶さん」

 

 「はい」

 

 「これからも会える?」

 

 「……はい。もちろん」

 

 「よかった」

 

 まどかは立ち上がって、伝票を取った。沙耶が「払います」と言ったが、まどかは首を振った。

 

 「大人の特権」

 

 そう言って笑った。それから、少しだけ真顔になった。

 

 「二人に会えてよかった」

 

 沙耶は一瞬、意味がわからなかった。二人。

 

 でもまどかの目を見て、わかった。まどかの視線は沙耶の顔と、首元のネックレスを交互に見ている。

 

 沙耶と、ネックレスの中のほむら。もう光らない銀のペンダントの中に、まどかはほむらを見ている。座り方も、背筋の伸ばし方も、言葉の少なさも。沙耶の中に、ほむらが育てた十六年間が生きている。そしてペンダントの中に、ほむらの魂の器が残っている。

 

 二人に、会えた。

 

 「──お母さんも、きっと会いたかったと思います」

 

 沙耶は言った。

 

 まどかは目を閉じた。数秒。それから開いて、笑った。

 

 「うん。……きっとね」

 

 喫茶店を出た。見滝原の午後の街。お母さんが歩いた街。

 

 帰りの電車の窓から、夕暮れが見えた。赤と橙と紫が混ざった空。お母さんが最後に見た色と、同じ色。

 

 沙耶はネックレスを握った。冷たい。でも──握っていた。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

この物語は、母が遺した力が尽きるまでの話でした。
力が尽きた後に何が残るのかを、沙耶と一緒に見届けてくださったこと、
本当に嬉しく思います。

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