京極宮慶仁王物語   作:fire-cat

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27 儀礼の再定義

 衝撃的な会見から二週間後の京極宮邸の大客室。

 前回と同じ、完璧な礼法で入室した九条澄子であったが、その纏う空気は明らかに変わっていた。

 訪問着姿の澄子は凛とした強さを宿し、季節に合わせ誂えた訪問着の深みのある赤色は、秋の陽だまりのような温かさを感じさせ、控えめにあしらわれた秋草文様が気品ある端正さを際立たせていた。

 慶仁は、前回の「お山が泣いている」という言葉を思い出し、少し意地悪な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「九条の姫。いや、澄子。本日の接見は、周囲の者への『手順』として設けたものだ。……が、あの日、陛下に申し上げた石の鑑定について、後日談があると聞いている」

 

 式部官長や侍従長たちが固唾を飲んで見守る中、澄子は深く一礼し、顔を上げた。

 

「はい、殿下。あの日、陛下にお示しした知見を、改めて論文形式にまとめ、宮内省を通じて陛下へ献上いたしました。……あのような無作法を働いた私に対し、陛下からは『これこそが真の教養である』とのお言葉を賜りました」

 

 澄子の言葉に、式部官長たちが「おお……」と感嘆の声を漏らす。

 慶仁は満足げに頷き、傍らに用意させていた一冊のファイルを差し出した。

 

「ならば、これを見ろ。私がこの十六年、独自に調査させてきた全国の『要警戒区域』の地図だ。……これまでの治水事業では、工学的な視点が強すぎた。だが、澄子の歴史的側面から見た地質の調査を重ね合わせれば、救える命がもっと増えるはずだ」

 

 それは、お見合いの席で出すにはあまりに無粋な、専門資料の束だった。

 しかし、澄子の瞳は、どの宝石を見せられた時よりも輝いた。

 

「……殿下、これは。……素晴らしいです。特にこの紀伊半島の地質構造に関する記述は非常に鋭いとおもいます。ただ、ここにある『深層崩壊』の予測については、最新の土力学の視点から言えば、もう少し……」

 

 気づけば、二人は周囲の視線も忘れ、身を乗り出して資料を読み耽っていた。

 式部官長が慌てて「殿下、九条様、本日は御接見の場でございます。専門的な議論はまた別の機会に……」と口を挟もうとしたが、立会人として一部始終を見守っていた香耶宮と東伏水宮が、静かに歩み寄った。

 

「よいではないか。式部官長。これこそが、この二人にしかできない『語らい』なのだ」

 

 東伏水宮は、資料に夢中になっている二人を見つめ呟いた。

 香耶宮もまた、感慨深げに目を細めた。

 

「雅な和歌を詠み交わすだけが、皇族の絆ではない。共にこの国の土を憂い、民の命を守ろうとするその背中こそ、京極宮に相応しい妃の姿なのだろう」

 

 慶仁はふと顔を上げ、澄子の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「澄子。……手順は、これで十分だろう」

 

 慶仁の声は、かつてないほど穏やかで、しかし確固たる意志に満ちていた。

 

「私は、君を妃に迎えたい。寛子の従妹としてではなく、この国の未来を共に耕す、一人の志ある女性として」

 

 澄子は一瞬、言葉を失った。

 その瞳に、これまで押し殺してきた感情が溢れ出す。

 

「……私で、よろしいのですか。泥に汚れ、華やかな教養も持たぬ、風変わりな私で……」

 

「君が良い。……君の泥だらけの手がなければ、私は前へ進めないのだ」

 

 澄子は、深く、深く頭を下げた。その背中は微かに震えていた。「寛子の代わりにはなれない」という呪縛が、慶仁の真っ直ぐな言葉によって、ようやく解かれた瞬間だった。

 

 侍従長や式部官長たちも、二人の間に流れる「魂の共鳴」を目の当たりにし、もはや反対する者など一人もいなかった。それどころか、あの日、鑑定で陛下を驚かせた「泥の姫」が、殿下の心を溶かした奇跡に、密かに涙を拭う者さえいたのである。

 

「……おめでとうございます、殿下」

 

 雅武が、誰よりも深く頭を下げた。その胸中には、十六年という長い冬がようやく終わり、新しい季節が始まったことへの、深い安堵があった。

 

 

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