京極宮慶仁王物語   作:fire-cat

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30 婚約会見と街のざわめき

 宮内省記者会館の特設会場は白百合と菊を中心に控えめに飾られていた。

 招集された記者たちは全員、黒か紺のスーツで整然と着席していた。

 静寂の中、司会の式部官が立ち上がった。

 

「本日、京極宮慶仁殿下におかれましては、九条公爵家令嬢澄子様とのご婚約を内定されましたことを、ここに謹んでご報告申し上げます」

 

 会場に、静かな息づかいが広がった。

 時を置かず、慶仁が深い紺のモーニング、澄子は淡い藤色の和服姿で入場した。

 二人が並んで座ると、会場の空気がさらに引き締まった。

 皇族に向けてのフラッシュ撮影は不敬とされ、フラッシュは焚かれていない。

 慶仁は少し緊張した面持ちだが、その表情には穏やかな決意が宿っていた。

 澄子は静かに微笑み、慶仁の横に控えた。

 慶仁はゆっくりとマイクの前に進み、深く一礼してから語り始めた。

 

「本日、九条公爵家の澄子様との婚約を内定いたしました。澄子様は、長きにわたり私の歩みを静かに見守り、私の心の痛みを、否定することなく受け止めてくださいました」

 

 言葉を止める慶仁。

 会場は息を呑むような静けさに包まれた。

 

「私は幼き日に、大切な方を失いました。その記憶は、今も私の中に生きております。澄子様は、その記憶を奪おうとはなさらず、むしろ共に背負う覚悟を示してくださいました」

 

 その声は震えていない。しかし、その奥に深い感情が宿っていた。

 澄子は深く一礼し、静かに語り始めた。

 

「このたび、慶仁殿下のご婚約者としての務めを仰せつかりましたこと、身に余る光栄に存じます。殿下が歩んでこられた道のりは、決して平坦なものではございませんでした。その痛みを、私は完全に理解することはできません。しかし……殿下が抱えておられる想いを、恐れずにお側で支えてゆく覚悟でございます」

 

 会場の記者たちは、誰一人としてペンを走らせず、ただ、その言葉を静かに受け止めていた。

 

「殿下の中に生きておられる大切な方の記憶を、私もまた敬い、共に大切にしてゆきとうございます」

 

 その言葉は、慶仁の横顔に柔らかな光を灯した。

 皇族の私的な感情に踏み込む質問は不敬とされる。故に質問は極めて礼節を重んじたものだけであった。

 

「殿下、九条様と共に歩まれる未来において、特に大切にされたいことはございますか」

 

「互いに敬意を持ち、そして……過去を否定せず、未来へと進むことでございます」

 

「九条様、妃殿下としての抱負をお聞かせください」

 

「殿下のお心に寄り添い、国民の皆さまに恥じぬ務めを果たしてまいります」

 

 慶仁と澄子は並んで立ち、深く一礼した。

 その姿は、華やかさよりも、静かな決意と敬意に満ちていた。

 会場の記者たちも静かに礼を返した。記者は誰一人として拍手をしなかったが、その沈黙こそが最大の敬意だった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 街中に号外が舞い、京極宮慶仁王と九条公爵家令嬢澄子の婚約内定が報じられた。

 朝刊各紙の一面は、ほぼすべて同じ写真──白梅の前で並び立つ、静かで凛とした二人の姿──で埋め尽くされた。

 見出しは、どれも控えめでありながら、熱を帯びていた。

 

『京極宮慶仁王殿下、九条公爵家令嬢澄子様とご婚約内定』

 

『治水の宮、選ばれた伴侶は「地質学」を志す九条家の姫君』

 

『十七年の喪、終わる』

 

 新聞社の論説委員たちは、慎重に言葉を選びながらも、どこか安堵したような筆致で記事を書いていた。 

 全国紙はほぼ横並びで、「国土を見つめる新しい皇室像」という論調を展開した。

 

『治水と地質という、これまで皇室が正面から扱うことのなかった領域に、若いお二人が光を当てようとしている』

 

『泥に向き合う皇族という新しい姿が、国民に勇気を与えるだろう』

 

 全国紙の中には九条澄子の学術的功績に触れ、「皇族の伴侶として、これほど『実務的な知性』を持つ女性は稀である」と高く評価したものもあった。 

 

 九条家には、連日祝いの電報が届いた。

 だが、最も多かったのは松殿家宛てのものだった。

 松殿侯爵家では、侯爵夫人が届いた電報や新聞を抱きしめて泣き、侯爵は静かに仏壇の寛子の遺影に花を添えた。 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 街頭では、年配の女性たちが涙ぐみながら語った。 

 

「寛子様のことを思うと……ようやく殿下が救われたのねぇ」

 

「九条様は、あの方の従妹にあたる方なのだとか。なんだか運命みたいだわ」 

 

 寛子の死を知る世代にとって、この婚約は「悲劇の続きが救われた瞬間」だった。

 一方、若い世代は澄子の「泥の姫」としての側面に強く惹かれた。 

 

「作業着で山に入る妃殿下なんて、聞いたことがない」

 

「こういう華族の姫もいらっしゃるのか」

 

「地質の専門家が皇室に入るとは、世の中も変わったな」 

 

 澄子の地質調査論文について、どうせ華族の姫のお遊びだろう? という見方で一読した大学や高等専門学校の地学系の教室や地学研究会では、澄子の微化石層序学や、土力学を用いた深層崩壊の予測に基づいた論文に忽ち評価が改まり、その論文が回し読みされるほどの人気となった。 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 婚約発表から一週間後。

 ある新聞の社説が、国民の気持ちを代弁していた。 

 

『あの悲劇から十七年。その痛みを抱えたまま歩んできた二人が、いま、国土を守るために手を取り合った。この婚約は、皇室の新しい姿であると同時に、日本という国の『再生』の象徴でもある。そして寛子様の物語の続きであり、殿下の人生の救いであり、澄子様の覚悟の証である』

 

 国民は、悲劇の続きが『希望』で結ばれたことに、静かに、しかし確かな喜びを感じていた。

 

『このご結婚は、誰よりも寛子様が喜んでおられる』

 

 それが、国民の間で自然に共有された想いだった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

『──両殿下は、婚約後の最初の共同作業として、全国各地の災害危険箇所の視察を希望されているという』

 

 朝刊各紙を読みつつ、微笑む二人の写真とともに、添えられていた一文を見つけた東伏水宮慈照王は、酒杯を傾けながら愉しげに呟いた。

 

「……これから京極宮邸の侍従たちは、泥靴の手入れに追われることになりそうだな」

 

 

 二人の歩む先に、もう「絶望の泥」はない。

 そこにあるのは、共に未来を築くための、力強い大地の光だった。

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