京極宮慶仁王物語   作:fire-cat

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8 妃選び

「松殿家が『殿下は前へ進んでよい』と明言された」 

「寛子嬢の御実家が殿下の御結婚を祝福する姿勢を示された意義は極めて大きい」 

「これで、寛子嬢の記憶を否定しない妃選定が可能になった」 

「松殿家の厚意を無下にしないためにも、妃候補に求められる条件を確定せねばならん」

「寛子嬢の存在を尊重できる女性であること。寛子嬢を嫉妬の対象とするのではなく、殿下の人生の尊い一部として受け入れられる度量が必要だ」 

「殿下の痛みに寄り添える、静かな強さも不可欠だ。派手さや華やかさよりも、殿下に寄り添う力が求められる」 

「家格は公爵、侯爵。下がっても伯爵。もしくは賜姓皇族の家系。そして礼法・和歌・文化に深い理解がなければならん。殿下が和歌によって御心を開かれた以上、妃にもまた高度な文化的素養は必須である」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

 

 四月。

 宮内省内、妃選定特別会議。 

 重厚な扉が閉じられ、室内にはピンと張り詰めた緊張感が漂っていた。

 長机の中央には、厳選された五名の候補者の身上書が整然と並べられている。

 

「さて、これから慶仁の妃選定会議を行うわけだが」

 

 伏水宮系皇族の重鎮であり、皇族会議の皇族議員の一人として参加している東伏水宮慈照王が顔を曇らせた。

 

「……慶仁は『私が妃を選べば、その者に寛子の影を背負わせることになる』と懸念しておる。ここの候補者が、慶仁の懸念を取り払ってくれればよいのだが」

「その心配はありますまい。この身上書の妃候補はいずれも人柄・能力ともに評価が高く、推薦人も複数おり、その方々も身元は確かでございます」

 

 そう答えた宮内大臣の言葉に、東伏水宮は「ならばよいが」と短く応じた。

 

「まずは九条澄子様」

 

 宮内大臣が口火を切る。

 

「ほう。九条家の末の姫がもうそのような歳になったのか」

 

 もう一人の伏見宮系皇族の重鎮である香耶宮恒文王が声を上げる。香耶宮も皇族会議の皇族議員の一人である。

 

「旧摂家としては近衛公爵家に次ぐ家格を持つ九条公爵家の四女。寛子様の従妹でもあられます。家格、教養、立ち居振る舞い、御歳も二十四歳と、いずれも申し分ありません」

 

 式部官長が深く頷く。

 

「ですが、聊か変わり者という評価がございます」

 

 と、侍従長が控えめに声を上げた。

 

「ああ、あれか。華道や茶道より土いじりが好きな御侠姫」

 

 東伏水宮の言葉に、香耶宮が怪訝そうに眉をひそめた。

 

「土いじりだと?」

 

「ああ。素行調査の結果を見る限り、週末のたびに泥だらけになって崖を這いずり回り、鎚を振るって石を掘り出しているらしい。幾度か見合いがあったようだが、その席でも、化粧や衣装の話には目もくれず、地層の堆積がどうのと話しているとか。この報告書を読む限りでは、分別のない子供の『石蹴り遊び』としか思えぬ。言葉を飾ずに言えば、慶仁の妃として、あまりに情緒に欠ける」

 

「そうか……。幼き頃は、寛子嬢の後について回っていた愛らしい姫であったが」

 

 香耶宮が残念そうに溜息をついた。そこへ、式部官長が一枚の書類を提示した。

 

「こちらの書類が学習院での評価をまとめたものです。これを見る限り、和歌や茶道、華道といった教養が他人より劣る事はございません。しかしながら、身だしなみは公爵家令嬢として最低限恥をかかない程度で、日焼けも厭わず野山を徘徊していたとか。教師達も匙を投げていたご様子で」

 

「九条公爵は窘めておらぬのか?」

 

「末の姫でございますからな。今もお好きな様にさせておいでのようです」

 

 一同から、落胆の溜息が漏れる。

 

「では、次に、徳大寺綾子様。旧清華家である徳大寺侯爵家の三女。英国留学経験あり、語学堪能。国際儀礼に強く、外遊を行う際の妃殿下としては理想的です。御歳も二十二歳と申し分ありません」

 

 式部官長が紹介するも、自ら難色を示す。

 

「ただ……殿下のご関心事は防災や科学技術分野です。価値観の接点が薄いのではないかと」 

 

「徳大寺の姫自身の御心根は如何なるものか」

 

 香耶宮の問いに

 

「『殿下は、悲しみを胸に抱えたまま、国のために歩んでおられます。その強さに敬意を抱きますが、私が寄り添えるのか自信はありませぬ』とのこと。『殿下の深い痛みに触れる資格が自分にあるのか』と、ご自身をいくぶん軽い人間と評して身を引くご姿勢です」

 

 と、女官長が付け加える。

 

「慶仁も『立派な方だが、私には過ぎたるお方だ』と申しておったな……」

 

 東伏水宮の言葉に、会議室に微かなため息が漏れる。 

 

「では、鷹司紀子様。旧摂家である鷹司公爵家の五女。温和で控えめ。宮中作法は完璧で、華族会館が推すお方です。懸念としては、御歳が二十歳と少々お若い点でしょうか」 

 

「殿下との接点も薄く、その御心を動かすほどの強さは……」 

 

「鷹司様は『「殿下はとても優しいお方とお見受けいたします。しかし、その優しさの奥に深い影があります。私には、その影の意味はまだ分かりませぬ』と。若さゆえの未熟さがおありです」

 

 侍従長が静かに首を振る。

 

「殿下の『痛み』を理解できる方でなければ……あの方に長く寄り添うことは難しいでしょう」

 

 第四の候補者の資料が開かれた瞬間、室内の空気がわずかに変わった。

 

「西園寺真理子様。徳大寺様と同じく旧清華家ですが公爵たる西園寺家の三女。文化・芸術に造詣が深く、和歌にも秀でておられる。先の歌会始での殿下の御歌を、最も深く理解されたと選者が高く評価しております。御歳も二十五歳と申し分ない」

 

 女官長が資料に目を落としたまま続ける。

 

「『殿下の痛みを、安易な慰めの言葉ではなく、ただ静けさで受け止められる方』──これは、歌の選者からの評価です」

 

 東伏水宮がゆっくりと顎を撫でた。

 

「……慶仁は『寛子を思い出させる』として、この姫とは少し距離を置いておるようだが……それは裏を返せば、慶仁の心にそれだけ深く触れうるということでもある」 

 

「西園寺の姫ご自身はどうお考えか?」 

 

「『殿下の心に寄り添う覚悟はございます。ただ、殿下が私を必要とされるとは思えません』と……静かな諦観をお持ちのようです」

 

 再び、深い沈黙が降りた。

 

「最後に中院聡子様。旧大臣家の中院伯爵家の五女。古典に強く、礼儀作法は完璧。妃候補としては申し分ありませんが、十九歳と最もお若い」 

 

「中院様は『寛子様のような覚悟は私にはできない』と……殿下の背負う重さに触れることを恐れておられます」

 

 すべての資料が出揃い、宮内大臣が腕を組んで静かに口を開いた。

 

「……家格や国民からの支持を考えれば、変わり者とは言え本命は九条澄子様であろう。しかし、殿下の御心を考えれば、『代わり』を押しつけることは断じてできぬ」

 

「徳大寺綾子様は外遊を行う上では優秀だが、殿下の『痛み』に寄り添うことは難しい」

 

「鷹司紀子様、中院聡子様は……殿下の人生の重さを共に支えるには、まだ若すぎるか」

 

 香耶宮が、ゆっくりと真理子の資料の上に手を置いた。

 

「……西園寺の真理子姫。この者は、慶仁の歌を『痛み』として真っ直ぐに理解された。慶仁の影を恐れず、しかし決して踏み荒らすこともない。静かに寄り添う力をお持ちの様だ」

 

 女官長が小さく頷く。

 

「殿下が前へ進むために必要なのは……『寛子様の代わり』ではなく、『寛子様の記憶を否定しない方』なのです」

 

 宮内大臣が、鋭い視線で一同を見渡し、重々しく結論を下した。

 

「最初の御接見の打診は、西園寺真理子様とする」

 

 会議を終え、一同が三々五々に部屋を出ようとしかけた時、香耶宮が声を上げた。

 

「九条の姫の身上書を少し読ませていただきたい。なに、部屋から持ち出そうとは思わぬ。この部屋で読ませてくれぬか」

 

「それは構いませぬがどうされました?」

 

「何、九条の姫の幼いころを知っているとな。なぜこのような娘に育ったのか気になるのでな」

 

「そういうことか。やれやれ、ではわしも相伴いたそう」

 

 東伏水宮慈照王が、重厚な椅子に深く座り直した。

 宮内大臣たちが目礼し部屋を出ると、室内は紙を繰る音のみが響く、静謐な空間となった。 

 黙々と資料を読み進める香耶宮恒文王。

 

「如何かな、恒文王。何か心に留まる記述でもあったか」

 

 東伏水宮が、静かに問いかける。

 

「いえ、特には……。……。……おや、これは」

 

 身上書に添えられていた、別紙の調査報告を黙読していた香耶宮が、低く、訝しげな声を漏らした。

 

「如何された」

 

「いや……見間違いで……。 !! いや、違う!! これは!!」 

 

 書類をめくる香耶宮の手の動きが俄かに早まる。 

 

「如何されたというのだ、恒文王」 

 

 香耶宮の、普段の冷静さを欠いた切迫した声に、東伏水宮も思わず身を乗り出した。

 

「これは……我々は、とんでもない思い違いをしておったやも知れぬ」

 

 その言葉に東伏水宮が眉を上げた。

 

「何?」

 

「慈照王。こちらの報告に記されておる、九条の姫が泥に塗れて通い詰めておるという場所……すべて、過去に大規模な水害や土砂崩れの起きた地域ばかりではないか」

 

 香耶宮が信じられぬものを見た。という表情を浮かべていた。

 

「何? 真か?」

 

「この座標、この地名……間違いなく」

 

 震える指で地名を示す香耶宮。

 

「なんと……。それでは話が全く異なってくる。それは単なる山遊びや土いじりなどではない。自らの足で、地層を検め、災害の理について究明しておるとしか思えぬ」

 

 東伏水宮は驚きに目を見開き、傍らに控える女官長を振り返った。

 

「女官長。九条の姫の、学習院における学業は如何なるものか。この資料には振る舞いの事しか記されておらぬぞ」

 

「は、はい。恐れ入ります。直ちに」

 

 女官長は居住まいを正し、手元の別の書類を両手で捧げ持つようにして提示した。

 

「こちらの記録によれば、全般にわたり極めて優秀にございますが、とりわけ地学、地理、歴史に関しましては、並の教員を凌ぐほどの見識をお持ちだったようです。将来は大学院にて地質学を修めたいとの志を漏らしておいでだったとか」

 

「地質学、だと」

 

 東伏水宮が、深く唸るように言葉を零した。

 

「はい。学習院でも、御身分に合わぬと眉をしかめていた教師も多かったようで……」

 

「待て。儂が聞いていたのは、泥だらけになって喜んでいる姿はまるで子どものままだという評判だ。地質学の研鑽とは、話が異なろう」

 

「だからこそだ、慈照王」 

 

 香耶宮が、吐き捨てるように言った。 

 

「教師どもは、姫が自らの足で地層を調べ、水害の痕跡を追う姿を、ただの無分別な『石蹴り遊び』としか認識できなかったのだ」

 

「あっ……!」

 

 女官長が短く声を上げ、手元の学習院からの報告書を見つめた。

 

「それでは……この素行不良の評価はすべて、教師たちの無理解と偏見によるもの……! 何という見当違いな……!」

 

 みるみるうちに表情を青ざめさせる女官長。

 

「我々は、彼女の纏う『泥』ばかりに目を奪われ、その奥底にある『志』を見落としておったというのか。何たる不覚」

 

 東伏水宮の声からは先程までの呆れの色は消え去り、深い自責の色が滲んでいた。

 

「治水や国土の安寧を願う慶仁の公務を間近で見ておきながら、この不覚。己の不明を恥じ入るばかりである。もしこの推測が正しければ、姫は慶仁の歩む道を誰よりも深く理解し得るはず」

 

「して、女官長。九条の姫自身の御心根は如何なるものか」

 

 香耶宮の問いに、女官長は深く頭を垂れ、静かに、しかし凛とした声で答えた。

 

「九条様ご自身は、『殿下の痛みを真に理解できるのは、私のように親しい身内を理不尽な災害で失った者だけかもしれない』と仰っております。『寛子姉様を失ったあの夜から、殿下はずっとお一人で戦っておられる。その孤独を放置できない』とも」

 

 その言葉に「ならば!!」と東伏水宮が期待を込めて身を乗り出すが、女官長の次の言葉がそれを制した。

 

「ですが同時に、『私が寛子姉様の代わりになってはならない。寛子姉様の影を踏んではならない』と……非常に強い倫理観と自制心をお持ちです」 

 

 室内に重い沈黙が落ちた。香耶宮がため息交じりに言う。

 

「本命であることは疑いない。だが、慶仁の心が『代わり』を求めていない以上、我々が無理に近づけるのは逆効果であろう。予定通り最初の接見は西園寺の姫だな」

 

「そこに異議はない。但し、女官長。九条の娘の身上書は早急に作り直させねばならぬ」

 

 言葉もなく、だが力強く頷く女官長。

 

「それでは我々も失礼する。ああ、このことは内密にな」

 

「それはもちろんでございます」 

 

 十六年間凍りついていた慶仁の未来が、ゆっくりと、しかし確かな音を立てて動き始めた瞬間であった。

 扉が閉じられると女官長が大きく息を吐いて九条澄子の身上書に目をやった。

 

(……いったいなぜこのような評価に。調べねばなりませんね)

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