ファンタジーの時代はおしまい   作:れいてんし

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3章8話 「バルド高地」

 バルド高地の霧は、山の上から降りてくる。

 

 朝晩の温度差で発生した白い塊は、冷たい風と合わさって谷の底に落ちてきて、そこに作られた街道や集落に沿って溜まる。

 

 これは昼近くになるまで晴れない。

 

 少し前を歩く兵士の姿ですら輪郭をなくすくらいの濃い霧になる。

 

 このひんやりとした水分は,

野菜を育てるには丁度良いらしいが、行軍には支障が多い。

 

 しかも、道は狭かった。

 

 山岳地帯を少しずつ掘って繋いで作られた道は、崖と崖の間を縫うように続いている。

 荷馬車が一台ようやく通れる幅しかない。

 

 馬の蹄鉄が石を叩く音だけが、霧の中で反響して、実際の距離より近く聞こえる。

 

 エルネストは帽子の鍔を下げた。

 霧が冷たく、頬に纏わりついてくる。

 

「なかなか進みませんね」

 

 バレンティが愚痴るように言った。

 

 狭い道は通過できる人数が限られる。

 そのため、当然のことながら、順番待ちが発生する。

 

 軍も縦に長い行列になっており、少し歩いては、また長い間立ち止まるというのが続いている。

 もどかしいが、今は待つしかない。

 

「なんでこんなに道が狭いんでしょう」

「ここはダルク連邦との国境が近い。天然の要塞として活用するために、あえて道を拡張しなかった」

「それでも鉱山があるんでしょう。それを活用したいなら道幅を広げてば良かったのに」

「ヴェルディアが魔法を重視した弊害だ。それにより工業化はないがしろにされていた。それが今の状況に繋がっている」

「なおさら、道を広げた方が良いんじゃ」

「共和国政府も同じ考えに至った。だが、道の拡張工事にも予算が必要だ」

「その予算を調達するために、鉱山に税金を?」

「数年で還元出来るというのが試算らしいが」

 

 だが、住民はその増税に耐えられなかったのだろう。

 だから、武装蜂起が起こった。

 

 そんな雑談をしているうちに、ついに移動が完全に止まってしまった。

 待てども待てども動く気配がない。

 

 前方で何かが起きているようだ。

 

 エルネストは馬を降りて、先頭周辺にいるラウルの隣まで歩いて移動した。

 

 霧の切れ目の向こうに、人影が並んでいた。

 

「あれは?」

「蜂起した住民かと思ったが、旗印を見る限りは、共和国の別部隊だ。別ルートから山を回り込むようにして行軍してきたようだ」

 

 濃い霧で具体的な人数までは把握出来ないが、人数はかなり少ない。

 だからこそ、狭い街道を比較的楽に抜けてくることが出来たのだろう。

 

「他の部隊が動くというのは作戦になかったはずだが?」

「命令系統が混乱している証だ。鎮圧の話だけが伝わって、別系統から命令が出た。イリサールが軍の再編成をしたい気持ちも分かる」

 

 そうしているうちに、別部隊の指揮官に伝令が伝わったようだ。

 

 先遣部隊の隊長が馬を進めてきた。

 三十代半ばの男で、勲章はないが、動き方に戦慣れした気配がある。

 

「バルガス大佐、本部より先行命令を受けています」

「本国から正式命令を受けているのは私だ。ここは下がってくれ」

「命令は――」

「命令は変わった。今の現地指揮官は私だ」

 

 先遣隊長は一瞬だけ迷った顔をした。

 ラウルの階級と、後ろに控えるティアナ駐留軍の規模を見比べ始めた。

 

 ティアナ駐留軍は二千名でかつ、グラーシェ製ライフルに大口径弾を撃ち出す野戦砲など、装備も充実している。

 

 一方、共和国の別部隊の方は二百にも満たないだろう。

 砲の類はなく、旧式で性能が劣る王国製ライフルを所持している兵すらいる。

 

 隊長は馬の向きを変えながら、しかし小さく言った。

 

「時間の無駄かと存じますが」

 

 ラウルはその言葉を無視した。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 縦に長く伸びた行列の中心で突然、それは起こった。

 

「止まれ。全員止まれ」

 

 ラウルが突然に手を上げた。

 

「後方に伝令! 狭所から急いで下がらせろ!」

「急には無理です」

「無理でもやれ! 命にかかわるぞ!」

 

 ラウルが叫んで、狭路の順番待ちをしていた兵を強引に下がらせた。

 

 命令が実行された直後、後方で空気を震わせる振動と爆音と共に、真っ赤な炎と黒い煙、砕けた石が高く舞い上がった。

 

 轟音と土煙が上がり、後続の隊列が崩れる。

 

 岩が弾け飛び、小さな破片が降ってくる。

 馬が二頭、驚いて暴れ始めた。

 

 次は前方。

 同様の爆発で、道を塞ぐように岩が崩れた。

 

「作戦で予想していた通りだ! ダイナマイトを使ってきた!」

 

 爆発は丁度岩肌で起こったようだ。

 発生した振動で脆い岩石が次から次へと雪崩落ちてきて、完全に道を塞ぐ。

 

 霧が爆発の煙や粉塵と混じりあい、視界がさらに悪くなった。

 

 それと同時に、上方の崖の上から発砲音と共に銃弾が飛んできた。

 

 だが、命中精度も射程もどちらも低い。

 

 霧が濃く、標的をまともに捉えられない理由もあるのだろう。

 全てが誰もいない岩場に着弾して音を鳴らしているだけだ。

 

「正気か!? 仲間がいる岩山の近くでダイナマイトを使ったのか? 落盤に巻き込まれるぞ!」

「それだけの覚悟ということ。人数は左に五、右に三、後方に二。崖の上で伏せている」

 

 エルネストが冷静に配置を分析した。

 

 銃声が鳴ったが、やはり先ほどと同じだ。

 だからと言って、このまま無視を続けていいわけではない。

 

「ダイナマイトは手で投げているだけだ。そこまで長い距離は投げられない。敵が潜んでいる岩山から離れれば問題ない」

「全軍に伝えろ。敵が潜んでいる岩山から距離を取れと」

 

 ラウルが部下に伝えると、長く伸びた隊列が更に動いた。

 

「教本にもある対野戦砲戦術と同じだ。発射地点を見極めて、そこを潰す。狙撃は出来るか?」

 

 ラウルはファハドに尋ねるが、首を横に振った。

 

「銃を撃つ時に顔を出すだろうが、この霧ではお互いに狙いがつかない」

 

 またも銃声。

 

 ただし、今度はかなり近くに着弾した。

 そのうち味方に被害が出るだろう。

 

「それでも撃て。当てなくていい。こちらのライフルなら届くし、何なら倍になって返ってくるという脅しだ。敵が十人ならば、こちらは百人に一発ずつ連中の足元に撃ち込ませろ。ただし次弾装填は不要だ」

「了解しました」

 

 ファハドと革命軍の兵士達が動いた。

 

 兵士隊長ロドリゲスの号令で、百人が敵が潜んでいる崖のすぐ近くに連続して撃ち込んだ。

 

 ただし、それで終わりだ。

 

 激しい銃声の嵐の後に、またも静寂が戻ってきた。

 

「弾丸もタダではないのですが」

 

 オルロフが嫌みのように言った。

 

「敵に戦力差を見せないことには、いくらでも抵抗してくる。まずは暴力に訴えても無駄だと悟らせる」

 

 ラウルが崖の上を見上げながら大きな声で呼びかけた。

 

「無駄な挑発行為に乗るつもりはない。こちらも無意味に暴力を使うつもりはない」

 

 返事はない。

 ラウルはなおも続けた。

 

「徹底抗戦というならば、こちらも命令の範囲で出来る限りのことを集落でやる。そのための準備もある」

 

 五分ほどして、崖の上から声がした。

 

「話を聞く気があるか」

 

 男の声だった。

 

 ラウルが崖の上を見上げた。

 霧の中に人影がある。

 

「もちろん、そのつもりだ。話は聞かせてもらう」

「武器を下げろ。こちらも下げる」

 

 ラウルが後ろに手を振ると、隊列の銃口が下がった。

 

 崖の上の影が動いた。人が一人、崖の端に立ったようだ。

 

「今ならば狙える。撃つか?」

「撃つな。今は交渉の段階だ」

 

 ラウルはライフルで人影に狙いを定めるファハドを下がらせた。

 

「降りてこれるか」

「そっちが上がってこい」

 

 霧の向こう側から逆に要求が来た。

 

 エルネストはラウルに頷くと、バレンティに声を掛けた。

 

「我々の出番だ。行くぞ」

「え、本当に上がるんですか?」

「何もしないで帰るつもりか?」

 

 エルネストは無言でバレンティと自分の体を一気に念動魔法で崖の上まで持ち上げた。

 

 崖の上は、思ったより広かった。

 

 泥だらけの作業服姿の男が五人いた。

 

 粗末なライフルを持っているが、全員が銃口を下げている。

 一人は手に空になったダイナマイトの木箱を持ったままだった。

 

 中央に立っている四十代の男が、エルネストを見た。

 

「それだけか?」

「交渉に人数は要らない」

 

 男がしばらくエルネストの制服を見た。

 

「軍の治安警備隊か?」

「そうだ。エルネスト・サラサール少佐だ。バルド高地の三集落への申請書類の件で、話を聞きに来た」

 

 男が眉を動かした。

 

「書類の話をしに来た? 鎮圧ではなく?」

「鎮圧の命令は受けている。ただ、鎮圧の前に話を聞くのが仕事だ」

 

 男たちが顔を見合わせた。

 

「俺はペドロ・アルコ。元軍曹だ」

 

 男が名乗った。

 

「今回の件の首謀者か」

「そうだ。ダイナマイトの使用も俺が命じた」

 

 エルネストは後ろの男とペドロを交互に見た。

 

「それは事実か?」

「そんなことはない。俺たちが勝手にやった!」

 

 ペドロではなく、後ろの男が声を上げた。

 

「やめろ! 命じたのは俺だ。責任は全て俺にある」

「昨夜に隣の集落で炭鉱夫の息子が共和国の先遣部隊に連行されたという話が入った。投降すれば全員が捕まると思ってやった。アルコは関係ない」

 

 エルネストは手帳を取り出して、証言を全て書き留めた。

 ただし、誰の発言かは書き込まなかった。

 

「連行された人数と、理由は分かるか」

「三人。理由は言われていないらしい。連行した部隊は正規の軍服を着ていた」

 

 エルネストはそれを書き込んだ。

 

「昨夜の連行については、私の名で調査の書類を出す」

「連行された三人は返ってくるのか」

 

 エルネストは一拍置いた。

 

「私に確約できることと、できないことがある。まずは三人が具体的に何をやったのかを確認させてもらう。その上で、手続きの不備などあれば対処できる。ただ、今夜中に返すという約束はできない」

 

 アルコが地面を見た。

 

 背後の男たちが何か小声でやり合っている。

 

「正直な男だな」

 

 アルコが顔を上げた。

 

「軍の人間が『できない』と言うのは珍しい。普通は嘘をついてでも場を収める」

「嘘は書類に残らない。記録に残らない約束は約束ではない」

 

 アルコは少しだけ息を吐いた。

 

 霧が流れた。

 崖の下で、馬が一頭小さく嘶いた。

 

「一つだけ聞く。下の部隊の指揮官は誰だ」

 

「ラウル・バルガスだ」

 

 アルコが目を細めた。

 

「ティアナを纏めた男か」

「そうだ」

「……島の連中も来ているのか」

 

 アルコの声が少しだけ変わった。

 

「元島民の兵士も来ている」

「島の連中を本土の農民の鎮圧に使う。うまい話だ。どちらにとっても引くに引けない」

「そうだ。だから利害が比較的少ない私が先に上がってきた」

 

 アルコがエルネストを見た。

 長い間、見ていた。

 

「首謀者は俺一人だ。他の連中には手を出すな」

「それを下の指揮官に伝える。ただし、最終判断は指揮官だ。私が決めることではない」

「……分かった。伝えてくれ」

 

 アルコが後ろの男たちに顎で合図をして男たちが崖の別の場所から降り始めた。

 

 最後にアルコが崖から降りたのを確認して、エルネストとバレンティはダイナマイトが入っていた木箱を持って崖を降りた。

 

 これから交渉が始まる。

 

   ◆ ◆ ◆

 

「共和国陸軍大佐のラウル・バルガスだ。話を聞かせてほしい」

「聞いてどうする」

 

 アルコの声は低く、乾いていた。

 

「王国への奉仕に感謝する。今は共和国の名のもとに、集落の人質を解放してほしい」

「人質?」

 

 アルコが初めて表情を動かした。

 眉が少しだけ上がった。

 

「徴税官のことならば、あいつは逃げ遅れただけだ。今も飯を食わせて、ちゃんと寝かせている。怪我一つない。解放はいつでもする。ただ、俺たちの話を聞いてくれる人間が来たら、の話だ」

 

 エルネストは手帳を取り出した。

 

「申請の記録を確認したい。バルド高地の三集落から、先月に八件の書類が窓口に提出されている。全て処理待ちのままになっている。その件か」

 

 アルコがエルネストを見た。

 軍服ではなく、治安警備隊の制服だ。

 その意味が分からなかったのか、少し間があった。

 

「そうだ。農地の接収と、炭鉱の賃金の件だ。農地は三集落で合わせて五十七区画、接収された。炭鉱の賃金は共和国移行後に半分以下になった。書類を出した。窓口にも行った。三週間、何も動かなかった」

「三週間と四日だ」

 

 エルネストが手帳を見ながら言った。

 

「……ああ、そうだ。三週間と四日、何も変わらなかった。だから、こうするしかなかった」

 

 アルコの声に、怒りはなかった。

 疲れた人間の、ただの事実だった。

 

「カルロスの子供は?」

 

 ラウルが聞いた。

 

 アルコが少しだけ目を細めた。

 

「カルロス……ああ、王都で農地を接収された男の子か。あいつは今、隣の集落にいる。子供が四人いてな。まあ、みんなで食わせている。食えてはいるが、先が見えない」

「あなたたちが書類を出して、窓口に行って、待っていたことは知っている。その間に何も動かなかったのも、知っている。それでも今はここで話を聞いている。それがどういうことか、あなたには分かるはずだ」

 

 アルコは黙っていた。

 

「こちらの部隊の被害は怪我人が四名と馬が一頭だ。かろうじて死人は出ていない。出ていれば集落全体で相応の報いを受けていただくことになっただろう」

 

 ラウルはアルコの後ろにいる作業服姿の男の方を見た。

 

「お前たちの短慮で集落全体を危機に陥らせた。その反省だけはしてもらう」

「だが、しかし……」

「そして首謀者だ。これは責任の問題で許容できない。だが、首謀者を引き渡せば、他は不問にする。それを約束できる」

 

 ラウルが続けた。

 

「あなたを捕える。その後、共和国政府に引き渡す。法的手続きを踏んだ裁判が行われる。弁護士を付ける権利もある。ただし、それ以外の住民については、私の名において今日中に書類の処理を要求する。農地の接収と賃金の件については、共和国政府に説明を求める権限を私は持っている」

「……信じていいのか」

 

 アルコが初めて問い返してきた。

 問いの中に、答えを期待しない疲弊があった。

 

 その時、後方で馬蹄の音がした。

 

 先遣隊長が引き返してきた。

 後ろに部下を数名連れている。

 

「バルガス大佐、本部より追加命令が届きました。これ以上の交渉は無用。首謀者のみを引き渡させ、強行突破せよとのことです」

 

 ラウルが振り返った。

 

「命令書を見せてくれ」

「口頭命令です」

「書面のない命令は命令ではない」

 

 横でエルネストが言った。

 

 先遣隊長がエルネストを見た。

 誰だこいつは、という顔をしていた。

 

「治安警備隊のサラサール少佐だ。書面のない命令には法的根拠がない。現地指揮権はバルガス大佐にある。大佐の許可なく、この場での武力行使は認められない」

「……口頭命令とはいえ、上官からの指示です」

「記録に残さない指示で動いた場合、責任は現場の指揮官個人に帰属する。エスカランテ中将の件が記憶に新しいはずだが」

 

 先遣隊長が黙った。

 

 エスカランテの名前は効いた。

 あの件以来、書面のない命令で単独行動した将校の末路を知らない軍人はいない。

 

「……分かりました。書面が届き次第、対応します」

 

 先遣隊長は引いた。

 

 ラウルがエルネストを一瞥した。

 エルネストは手帳を閉じた。それだけだった。

 

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