ファンタジーの時代はおしまい   作:れいてんし

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3話 「錆びた港」

 ヴェルディア王国の最大の港町であるトレインの町は、一言で説明すると「錆びていた」

 

 王国主産業だった繊維業は手工業によって賄われていた。

 それが、近隣諸国の工業化による大量生産に押されて、廃れて久しい。

 

 停泊する船が減ったせいか、桟橋の木材が腐りかけている。

 綱を巻く巻揚機(ウインチ)も赤錆だらけで、長い間、動いていた痕跡がない。

 

 かつてヴェルディア王国の製糸と織物を世界に送り出した港湾都市は、今や見る影もなかった。

 港町特有の鮮やかな赤い屋根瓦もくすんで見える。

 

「……ずいぶんと寂れたもんだな」

 

 ラウルが荷物を肩に担ぎ直しながら呟いた。

 その目が、港沿いの通りをゆっくりと舐めるように追っている。

 

 閉まったままの商店に割れた窓ガラス。

 

 かつて無数の商船が行き交い、船員とそれを相手にする商店で溢れた賑わう街並みは既にない。

 ただ寂しい街並みが広がるだけだ。

 

 海沿いの街らしい潮の香りも、爽やかさよりも、どこか淀んだような磯臭さの方が際立つ。

 

 路地の奥では、数人の柄の悪そうな男たちが(たむろ)していた。

 

 失業者のように見えるが、暇を持て余しているようには見えない。

 軍服を着たラウルに気づくと、蜘蛛の子を散らすように路地の奥に消えた。

 

「カミラ、右の壁を見てみろ」

 

 エルネストが小声で促すと、カミラが視線を向けた。

 

 建物の隙間、日の当たらない壁にポスターが貼られていた。

 

 グラーシェ語で「人民の解放」と書かれている。

 ワイン貯蔵庫にあったものと同じものだ。

 

 王都だとすぐに警備兵が飛んでくるような、こんな反政府的なポスターが剥がされていないというのが、この港の現状を現していた。

 

「堂々と表には貼れないが、見る人間には見える場所に貼ってある」

 

 カミラが「困ったものね」とばかりに腕を組んだ。

 

「宣伝というよりは、合図ね。同じ思想を持つ者同士の。私たちはここに集まってますって」

 

 エルネストは頷いた。

 

 ポスターだけではない。

 港の倉庫街に入ると、壁の落書きの数が明らかに増えていた。

 

「王は去れ」

「パンと仕事を」

 

 ペンキの色が新しいものもあれば、上から別の落書きが重ねられたものもある。

 どれもこれも、今の王国の政治への不満を訴えるものばかりだ。

 

 これらの落書きは表通りではなく、必ず路地裏の目立たないところに書かれている。

 

 そこが落書きを書いた人間の溜まり場になっているのだろう。

 

 鬱憤が溜まってはいるが、表立って行動して、公安や軍に見付かって摘発されるのは困る。

 そんな心情が見て取れる。

 ラウルはそこに地元と同じ臭いを感じていた。

 

「……エルネスト」

 

 エルネストを呼ぶラウルの声が、少しだけ硬かった。

 

「この町、オレの地元に似てるよ」

 

 エルネストはラウルの横顔を見た。

 いつもの軽口が消えており、愛称の「ネスト」ではなく、省略なしで呼んだことを少しだけ気になった。

 

「王都……ラルカの下町もこんな感じだった。仕事がなくて、男たちが昼間から路地に溜まって、酒を飲むか喧嘩をするか。大人が荒れるから子供も荒れる」

 

 ラウルが建物の前に座り込んでいる目つきの悪い若者に睨みを利かせると、若者は帽子を深々と被って、足早に立ち去った。

 

「そのうち、どこからか『お前たちが苦しいのは国のせいだ』って囁く奴が現れるんだ」

「それでどうするんだ?」

「信じるんだよ。他に信じるものがないから」

 

 ラウルの声にも表情にも、怒りはなかった。

 もっと厄介なものが滲んでいた。

 

「選ぶ道は2つだ。いつか成り上がれると信じて、ただひたすらに突っ走る。もちろん、学なんてねぇから、その時点で走る方向を間違えるやつもいる」

「もう1つは?」

「破れかぶれで社会を恨んで、道を見失う。全てを諦めて酒を飲んで寝るか……死ぬかだ」

 

 エルネストには返す言葉がなかった。

 

 伯爵家の嫡男として育った自分には、路地裏で囁かれる言葉の重さは実感できない。

 

 だが、ラウルの横顔が語っていた。

 

 あの民兵たちが銃を手にした理由を、ラウルは頭ではなく肌感覚で理解している。

 

「……着いたぞ。ここだ」

 

 カミラが足を止めた。

 港の端に面した、2階建ての石造りの建物。

 小さな看板に『港湾管理事務所』と掛かっていた。

 

「エルネスト! 久しぶりだな!」

 

 建物の入口から、陽気な声と共に男が飛び出してきた。

 

 エンリケ・ソレール。

 蒼炎隊(ソルフラマ)の2人の兄貴分であり、部隊のムードメーカーだ。

 入隊直後は色々と世話になった。

 

 日に焼けた顔に、人懐っこい笑みを浮かべている。

 港町の空気が淀んでいるのとは対照的に、この男だけが晴天だった。

 

「エンリケ先輩。お久しぶりです」

「先輩はやめろって言ってるだろ。ここじゃ堅苦しいのは流行らねぇよ」

 

 エンリケがエルネストの肩をバンと叩き、それからラウルに目を向けた。

 

「おう、ラウル。相変わらずいい面構えだな」

「先輩こそ。相変わらず日焼けしすぎだ。遊びすぎじゃないですか?」

「港町だからな。魔法使いが日焼けして何が悪い」

 

 カミラには軽く手を振り、振り返した。

 

 それだけで挨拶が成立するあたり、この2人の付き合いの長さが分かる。

 

「それで、エンリケ。状況は?」

 

 エルネストが切り出すと、エンリケの表情が少しだけ変わった。

 笑みは消さないが、目の奥に真剣さが覗いた。

 

「ダルクの密輸品や人間が、この港から入ってきている。そこまでは掴んでる。だが、どの倉庫で、誰が仕切ってるかまでは、オレの手には余る」

「先輩の折衝力でも?」

「折衝ってのは、相手が話を聞いてくれる場合に使うもんだ。ここの連中は聞く耳を持ってない。武力で黙らせる必要がある」

 

 エンリケは建物の中に目を向けた。

 

「だから、呼んだ。紹介したい男がいる。ちょっと癖が強いが、腕は確かだ」

 

   ◆ ◆ ◆

 

 事務所の奥の部屋に、男が一人座っていた。

 

 椅子の背もたれに体を預け、泥のついた軍靴を机の上に投げ出している。

 歳は40代前半だろう。

 

 刈り上げた髪に、無精髭。

 体躯はがっしりとしているが、贅肉ではない。

 叩き上げの筋肉だった。

 

 制服は蒼炎隊のものではない。

 港湾警備隊の地味な灰色の軍服だ。

 

「ラモン・エスピナ。港湾警備隊の隊長だ」

 

 椅子に座ったまま、こちらを見上げもしなかった。

 机の上に広げた書類に目を落としたまま、面倒くさそうに名乗る。

 

「エルネスト・サラサールです。蒼炎隊の――」

「知ってる。王都から来た蒼炎隊の坊ちゃんたちだろ」

 

 エスピナの声には、隠す気もない侮蔑があった。

 叩き上げの軍人にはよくいる種類の人間だ。

 

 貴族や権威よりも、新兵時代から積み上げた努力と経験が上回ると信じている。

 

 エルネストは気にしないが、肩書きを振りかざす貴族と現場で揉める場合も多々あるようだ。

 

「時代遅れの杖を振り回す、王都のお人形さんが、港町に何の用だ。観光か?」

 

 エスピナの挑発にラウルの肩が動いたが、エルネストは腕で制した。

 

「密輸の調査です。ダルク連邦の新型銃がこの港から内陸に流れている。その拠点を突き止めたい」

「ほう」

 

 エスピナが初めて顔を上げた。

 

 鋭い目だった。

 部下を品定めする目ではなく、戦場で敵を測る目だ。

 

「証拠は? まさか手ぶらで来たってわけじゃないよな」

 

 エルネストは鞄からイネスの分析報告書を取り出し、机に置いた。

 

 施条の精度分析、工場生産の推定根拠、ダルク連邦との技術比較。

 

 そして、ワイン貯蔵庫で見つけた暗号文の解読結果。

 

「同志に銃を配るので、所定の日、所定の場所に来られたし」

 エルネストたちが、この港町まで足を運んだ理由がこれだ。

 

 エスピナは書類を手に取り、黙って読み始めた。

 

 頁を捲る指が、途中で止まり、1頁前に戻って、また進む。その繰り返し。

 一字一句から情報を読み取る、歴戦の軍人の行動だ。

 

「……この分析をやったのは誰だ」

 

 ある程度読んだところで、書類から顔を上げてボソリと呟いた。

 

「蒼炎隊の後方支援技官です」

「杖を振るだけの連中かと思ったが、頭を使う人間もいるらしい」

 

 褒めているのか貶しているのか判別できない物言いだった。

 

 エスピナは書類を机に戻し、初めて立ち上がった。

 椅子から立つと、座っていた時の印象より一回り大きかった。

 ラウルも大柄で筋肉質ではあるが、それ以上だ。

 

「この数字が正しいなら、うちの警備隊の銃は玩具だな。ダルクの完成品が入ってきたら、港の守りは紙も同然だ」

「それは、協力していただけるという意味ですか」

「意味も何もねぇ。オレの管轄の港で好き勝手されてんだ。潰す理由しかない」

 

 エスピナはラウルに目を向けた。

 数秒、黙って見た。

 

「お前、どこの出だ」

「ラルカの下町です」

 

 ラウルは隠すことなく答えた。

 

 ラウルは生まれを卑下することなどないし、引け目も感じていない。

 

 むしろ、最下層からここまで成り上がったんだと主張しているくらいだ。

 なので、町を歩いていても、下町の出身者から人気があり、頻繁に声をかけられている。

 

 ラウルは「努力すれば必ず報われる」を成し遂げ、希望を与える下町の英雄だからだ。

 

「道理で小綺麗な貴族どもと毛色が違うわけだ」

「そりゃどうも」

 

 ラウルが愛想笑いで答えると、エスピナが先に続けた。

 

「泥水を啜った人間の目をしてる。オレと同じだ」

 

 ラウルが、一瞬だけ黙った後に、不敵に笑った。

 

「隊長さん、オレのことは嫌いじゃなさそうだな」

「好き嫌いの話はしてねぇ。使えるかどうかの話をしてる。お前には野心の炎が燃えている。そっちの冷めた坊ちゃんと違ってな」

 

 エスピナは窓の外に目をやった。

 少しだけ高い位置からだからか、港の倉庫街がよく見える。

 夕日に照らされた屋根の向こうには、大型の倉庫が並んでいた。

 

「ちょうどいいタイミングだ。今夜、動くぞ」

 

 それを聞いたエルネストの眉が上がった。

 

「今夜……ですか?」

「第4倉庫で大規模な荷出しがある。何週間も張り込んで、ようやく掴んだ情報(ネタ)だ。だが、うちの隊だけじゃ人手が足りないところだった。相手の持ってる銃の性能が読めなかったからな」

 

 エスピナはそう言いながら、イネスが書いた報告書を指で叩いた。

 

「だが、これで読めた。粗悪品なら、近距離じゃなきゃ当たらない。しかも、使うのがダルクの軍人じゃなく、町でくすぶってるチンピラならば尚更だ。距離を取って包囲すれば、今の戦力でも十分に制圧できる」

「そこに、私たちの魔法が加わればいい」

「分かってるじゃねぇか、坊ちゃん(・・・・)

 

 エスピナの口元が、初めて歪んだ。

 笑みと呼ぶには荒っぽいが、敵意は消えていた。

 

「エスピナ隊長。一つだけ確認させてくれ」

「なんだ」

「殺さずに制圧する方針でお願いしたい。拠点の人間から情報を引き出す必要がある」

 

 エルネストがそう言うと、エスピナの目が細くなった。

 

「甘いことを言うな。密輸の現行犯だぞ。昔から打ち首と決まっている」

「合理的な判断です。殺した密輸屋は喋れません」

 

 しばらく、沈黙があった。

 

 エスピナがエルネストを睨むが、エルネストも負けじとエスピナを見返した。

 

「……まあいい。お前たちの魔法で拘束できるってんなら、手間が省けるだけの話だ」

 

 エスピナは机の上の地図を広げた。

 

 港の倉庫街の見取り図だ。

 第4倉庫に赤い丸が付けてある。

 

「日が暮れたら、ここに集合しろ。作戦はその場で伝える」

 

 エルネストはラウルとカミラに目を向けると、2人とも頷いた。

 

「了解です。日暮れに」

 

 事務所を出ると、トレインの空が茜色に染まっていた。

 潮の香りが風に乗って流れてくる。

 

 港の向こうで、カモメが低く飛んでいた。

 

「ねぇ、エルネスト」

 

 カミラが、空を見上げたまま言った。

 

「あの隊長さん、ラウルのことは認めたけど、あんたのことはまだ値踏み中よ」

「それは分かってる。なので結果で示す」

「そうね、今夜、実力で結果を出して、示す必要があるわね」

 

 エルネストは帽子の鍔を引いた。

 保守して穴を塞いだ跡に、指先が触れた。

 

「帽子に穴を開けられなければ、それでいい」

「そういう問題じゃないと思うけど」

 

 カミラが呆れて肩を竦めた。

 

「まあ、いいじゃねぇか。今夜は久々に暴れられそうだ」

 

 3人は倉庫街に向かって歩き出した。

 夕日が背中を照らし、3つの影が石畳に長く伸びていた。

 

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