ファンタジーの時代はおしまい   作:れいてんし

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4話 「ドブネズミの巣」

 深夜の第4倉庫は、本来ならば明かりがつくはずのない時間帯だった。

 夜霧が発生して視界も悪い。

 貿易がまだ盛んだった頃ならば昼夜問わずの積み荷の積み下ろしが行われていたが、それはないはずだ。

 

 だが、実際にはガス灯が煌々と灯り、桟橋では数十人の労働者が黙々と荷揚げ作業を繰り返している。

 

 木箱を担ぐ者、滑車で吊り上げる者、荷を馬車に積み込む者……

 

 各々が手慣れた動きだった。

 初めてのぎこちなさがない。

 

 こうやって、何度も霧に潜んで非合法の密輸品を取り扱ってきたのだろう。

 

「……ネズミどもめ。随分と景気良く働いてやがるな」

 

 ラモン・エスピナ隊長が、倉庫の屋根陰から毒づいた。

 

 エルネストは隣で双眼鏡を覗いていた。

 

 労働者の中に、銃を持った見張りが4人。

 桟橋の端と倉庫の入口に2人ずつ。

 

 銃の形状は、あの粗悪品と同じに見える。

 

「見張りの銃は粗悪品です。距離を取れば当たらない」

「分かってる。だが、労働者の中にも他に重を隠し持ってる奴がいるかもしれん」

 

 エスピナは自分の部下――港湾警備隊の兵士12名を、倉庫の左右に配置していた。

 銃を構え、合図を待っている。

 

「蒼炎隊はどう動く」

「私とカミラが正面から入ります。見張りの注意を引きつけている間に、エスピナ隊長の部隊が左右から包囲してください」

「おいおい、正面から2人だけで突っ込むのか」

「魔法使いが2人いれば、粗悪品の銃ごときは問題ない」

 

 エスピナが鼻を鳴らした。

 

 この男はエルネストの言葉を信じてはいない。

 だが、止める気もないようだ。

 

「ラウルとエンリケ先輩は裏口を押さえて、逃走者の捕縛を」

「了解」

「逃がさねぇよ」

 

 エンリケが頷き、ラウルが拳を鳴らした。

 

 エスピナが懐から懐中時計を出した。

 

「合図は号砲の代わりに、オレの怒鳴り声だ。聞こえたら動け」

「繊細な合図ですね」

「繊細な作戦は性に合わん」

 

   ◆ ◆ ◆

 

 エスピナの怒鳴り声は、繊細どころか港中に響き渡った。

 

「港湾警備隊だ! 全員、武器を捨てて伏せろ! 抵抗するやつは命を捨てたとみなす!」

 

 桟橋が一瞬凍りついた。

 労働者たちが荷を落とし、見張りが銃を構える。

 

 その刹那、エルネストが正面から飛び出した。

 

 指先から放たれた障壁魔法が正確に、見張り2人の銃口を塞いだ。

 質量、硬度と引き換えに速度だけを強化したライフル銃よりも速い障壁。

 

 引き金を引いた瞬間、銃口を封じられた銃が内部で暴発し、見張りの手から弾け飛ぶ。

 

 硫黄の臭いと硝煙が消えぬ間に、屋根の上から飛び降りたカミラが次の手を放つ。

 

捕縛(バインド)!」

 

 カミラが放った白い閃光は、2人の見張りを包み込み、岩のように固めて動きを封じる。

 

 残り2人の見張りが、倉庫の入口からエルネストに向けて発砲した。

 

 だが、弾道予測魔法でその軌跡は予想済みだ。

 1発目は右に2メートルほどの偏差。2発目は上に大きくブレ。

 

 瞬時に計算と判断を行い結論を出す。粗悪品だ。

 この距離では当たらない。回避運動すら取る必要はない。

 

 エルネストは歩調すら変えずに前進し、捕縛(バインド)で2人をまとめて拘束した。

 

 正面の制圧に要した時間は、20秒に満たなかった。

 

「包囲しろ! 逃がすな!」

 

 見張りからの狙撃がないことを確認したエスピナの号令で、左右から警備隊の兵士が雪崩れ込んだ。

 銃を構えた兵士たちが桟橋を封鎖し、逃げ場を失った労働者たちが次々と地面に伏せていく。

 

 だが、全員ではなかった。

 

 倉庫の裏口から、数人の影が飛び出した。

 暗くて分かりにくいが、各々が両手に袋のようなものを抱えている。

 

「ラウル! 先輩! 裏口から出た!」

 

 エルネストが叫ぶより早く、ラウルはもう走り出していた。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 路地に逃げ込んだ影は、暗闇の中でばらばらに散った。

 無計画に建てられ、拡張したことで区画は複雑な迷路のようになっていた。

 

「探知魔法は……無理か。住民と賊の区別がつかねぇ」

「地の利で逃げられると信じているのだろうが、この路地に詳しいのは俺も同じだ」

 

 エンリケが胸を叩いたのをラウルは信用した。

 

 魔法の腕は大成しなかったが、体力や豊富な経験に裏付けられた能力に間違いはない。

 

「じゃあお願いします。オレは見えるやつを追いますんで」

 

 ラウルは目に見える影に専念した。

 他の連中はエンリケと警備隊に任せればいい。

 

 逃走する影は、抱えている袋が重いのか、走りが鈍い。

 角を3つ曲がったところで、影は行き止まりの壁にぶつかった。

 

 振り返った顔に、ガス灯の薄明が当たった。

 

 昼間、建物の前に座り込んでいた、目つきの悪い若者。

 ラウルが睨みを利かせたら帽子を深く被って逃げた、あの若者だ。

 

 若者は袋を地面に置き、懐からナイフを抜いた。

 

 刃もそれを持った手も……全身が震えている。

 スラムの喧嘩で脅しに使うことはあっても、それを使って戦うのは初めてなのだろう。

 

「ナイフなんか仕舞え。怪我するぞ」

「うるせぇ! 来るなって言ってんだろ!」

 

 若者がナイフを構えて突っ込んできたが、ラウルは冷静に分析する。

 

 体重が前に乗りすぎて重心がズレている。

 動きに無駄が多すぎる。素人丸出しだ。

 

 この程度なら、ガラの悪い連中とケンカになって近いうちに死んでいただろう。

 今のうちに痛い目を見た方がいい。

 

 ラウルは半歩だけ横に逸れて、若者の手首を掴み、捻った。

 ナイフが石畳に落ちて、甲高い音を立てた。

 

 若者の腕を背中にねじ上げ、壁に押しつける。

 

「離せ! 離せよ!」

「暴れるな。折れるぞ」

 

 若者は痛みに喘ぎながら、それでも叫んだ。

 

「貴族に何がわかる!」

「……何がわかる、か」

 

 ラウルの手が、一瞬だけ緩んだ。

 

「なんでこんなことをした。真っ当に働く方法だってあったはずだ」

「ふざけるな! 真っ当に働いて何になる! 親父は工場で潰れて、お袋は内職で目を壊して、それでも飯が食えなかった!」

 

 若者は壁に額を押しつけたまま、喘ぐように続けた。

 

「この金を上納すれば変われる。成り上がれる。これが……俺たちの希望なんだよ」

「金?」

 

 ラウルは若者が石畳の上に置いた袋を足で手繰り寄せた。

 靴の先で軽く蹴飛ばすと、中から金貨や宝石が零れ落ちた。

 

 

――ラルカの下町。

 パン屋の裏の残飯を漁っていた頃。

 

 仲間と一緒に、商店の軒先から果物をくすねた日。

 走って逃げて、路地裏で分け合って食べた。

 甘かった。

 

 罪悪感より、腹が膨れた安堵の方が大きかった。

 走れば走るだけ、今とは違う場所に行けると信じた日々。

 

 あの頃の自分と、この若者の間に、どれほどの差がある?

 

 ラウルの手が……止まった。

 

 その隙に、若者が腕を振り解いた。

 袋を拾い上げ、壁の隙間を擦り抜けようとする。

 

 袋から零れた金貨や宝石を拾うことはない。

 

 追おうと思えば簡単に追える。

 魔法を使って一瞬で拘束できる。

 

 だが、足が動かなかった。

 

 

 

 ――あの日。

 

 パンを盗んで路地を走って逃げていたラウルの襟首を掴んだ男がいた。

 

 軍服を着た、大柄な魔法使い。

 蒼炎隊(ソルフラマ)の隊員だった。

 

「ガキ、足が速いな。ちょっとオレの話を聞け」

 

 殴られると思った。

 牢に入れられると思った。

 

 だが、その男は笑って言った。

 

「お前には魔力がある。こんなコソ泥に使うのは勿体ない。もっと面白い使い道がある」

「その力は、世界を変えられるのか?」

「ああ。どこまでも羽ばたいていける。世界を変えられる」

 

 あの日、あの男が襟首を掴んでくれなかったら。

 走る方向を教えてくれなかったら。

 

 自分は今頃、この若者と同じ側にいたはずだ。

 

「……畜生」

 

 ラウルは呟いて、右手を上げた。

 

 捕縛(バインド)

 

 白い光が若者の足元から這い上がり、動きを封じた。

 

 ラウルは若者に顔を向けず、袋だけを回収して歩き出した。

 振り返る必要はない。

 

 若者の罵声が路地に反響した。

 

 希望。

 

 あの若者にとっての希望が、この金貨の入った袋だった。

 自分にとっての希望は、蒼炎隊だった。

 

 同じ場所から始まって、辿り着いた先が違う。

 自分は得られた。若者は得られなかった。

 

 それだけの差だ。

 

 今の自分は他人に手を差し伸べて、救えるような偉い人間ではない。

 

 力が必要だ。

 魔法だけの話ではない。

 この理不尽な世の中を変えられる権力……力が。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 ラウルが波止場に戻ると、戦いはすでに決着していた。

 

 労働者たちは地面に伏せて拘束され、見張りの4人はカミラの捕縛(バインド)で動くことが出来ない。

 

 警備隊の兵士たちが、倉庫の中から木箱を次々と運び出していた。

 

「首尾は?」

 

 エルネストが近づいてきた。

 返り血も埃もついていない。涼しい顔をしていた。

 

「1人捕まえた。下っ端だったが、こいつを持ってた」

 

 ラウルは金貨と宝石が入った袋をエルネストに渡した。

 

 エルネストが袋の中を覗き、眉を顰めた。

 中から金貨を一枚だけ取り出して彫刻を確認する。

 

 現行の金貨ではない。

 百年以上前に使われていた小金貨――貨幣というよりも、宝物の類だ。

 流通で出回ることはほぼないと考えて良い。

 

「宝石と金貨。密輸の報酬か、それとも――」

「――報酬じゃない。倉庫から持ち出して、別の場所に運ぶ命令を受けたんだろう。下っ端のやることだからな」

 

 エルネストは袋を閉じて、倉庫の中に目を向けた。

 

「ただの運び屋の下っ端……そう言いたいのか?」

「そうだ。ただの下っ端。あんなの牢に入れるまでもないぞ。ケツでも叩いて追い返しゃ十分だ」

「ではそのように手配しよう」

 

 エルネストは今度は倉庫の中に呼びかけた。

 

「カミラ。倉庫の中に、宝物の類のものあるか?」

「あるわよ。山ほど」

 

 カミラの声が、倉庫の奥から響いた。

 

「海賊のアジトかここは?」

「まるでおとぎ話だな」

 

 エルネストとラウルの2人が倉庫に入ると、中には木箱が整然と並んでいた。

 

 そして、エスピナの部下が蓋を剥がした箱の中に、あの粗悪品の銃が20丁。油紙に包まれて収まっていた。

 隣の箱には、その銃で使うための弾丸が入っている。

 

 この数日で押収した粗悪品の銃はこれで三十を超えた。

 ダルク連邦は新型銃を一万丁以上保持しているという仮説が現実味を帯びてくる。

 

「銃は予想通りだ。だが、こっちを見ろ」

 

 エスピナが奥の木箱を顎で示した。

 

 半分蓋が開いたその木箱の中には、月明かりを反射して鈍く光るものが見えた。

 

 金塊。

 

 その隣の箱には、名門貴族の家紋が刻まれた銀食器。宝石の数々。

 盗品としか思えないものが、銃と一緒に船積み用に梱包されていた。

 

 家紋の中には、エルネストの遠縁の親戚のものも含まれている。

 

 それらは貴族の屋敷から持ち出されることなどないはずだ。

 普通に考えれば……の話だが。

 

「代金ってわけじゃないな」

「……武器を輸入するだけじゃない。この国から金と富を運び出しているのか」

 

 エルネストの声が低くなった。

 

「盗品だと信じたいが……」

 

 盗品でなければ、親戚筋の貴族が家財を金に変えて、それが売り捌かれていることになる。

 最悪の場合、この銃器の売買に加担している可能性だって出てくる。

 

 エルネストは首を振ってその考えを否定した。

 流石に名門貴族が国を売るような真似をするはずがない。

 

「思想は東から、武器は北から。そしてその代金は、我が国の血税と財宝か」

 

 エスピナは苦々しく顔を歪めた。

 

 その時、エスピナが捕縛(バインド)された見張りの1人の胸ぐらを掴み上げた。

 服に、何かが縫い込まれている。

 

 引き千切ると、それは小さな布の紋章だった。

 

 蛇が短剣に巻きついた、不気味な意匠。

 ダルク連邦の軍章でも、グラーシェ人民共和国の革命マークでもない。

 見たこともない紋様だった。

 

「……こいつはダルクの軍人じゃねぇ」

 

 エスピナが紋章を握り潰した。

 

「海を渡って病原菌を運ぶ、ドブネズミだ。密輸を仕切ってるのは、国家じゃなく――」

「非合法の仲介組織、ということか」

 

 エルネストが引き継いだ。

 

 ダルクの武器をヴェルディアに流し、ヴェルディアの財宝をダルクに送る。

 戦場を市場として扱う、寄生虫のような連中。

 

「マフィア的な組織か? そんな紋章なんて見たことねぇが」

 

 ラウルの言葉にエスピナは頭を振った。

 

「そんな良いもんじゃねぇ。貿易で食えなくなった商人崩れがちょっと危険な橋を渡ってみた。そんな程度だ」

 

 エスピナは見張りの顎を掴んで、強引に顔を上げさせた。

 

「さて。ネズミの親玉の居場所を吐いてもらおうか」

 

 見張りの男が引き攣った笑みを浮かべた。

 

「吐くよ。いくらでも。だが、旦那方が踏み込んだところで、ボスはもう此処にはいない。あの人は嗅覚がいいんでね」

 

 ワイン貯蔵庫と同じだ、とエルネストは思った。

 

 こちらが動くと、一手先に逃げる。

 まるで、事前に情報を掴んでいる「誰か」がいるようだ。

 

 だが、今回は違う。

 

 拠点を押えた。荷を押えた。人を押えた。もう動かせる手はない。

 

 あとは、糸を辿るだけだ。

 そうすれば、必ず犯人に辿り着く。

 

「エスピナ隊長。連携を続けさせてください。この件は、蒼炎隊だけでも警備隊だけでも追いきれない」

 

 エスピナはエルネストを見た。

 初対面では「値踏み中」だった目が、少しだけ変わっていた。

 

「……お前、坊ちゃんの割には胆力があるな」

「褒めていただけているのか判断に迷いますが」

「褒めてる。今のところはな」

 

 エスピナは懐中時計を覗いた。

 

「夜明けまでに報告書をまとめろ。上に掛け合って、合同捜査の許可を取る」

 

   ◆ ◆ ◆

 

 倉庫の外に出ると、東の空がわずかに白んでいた。

 捕り物と品の改めの間にもう夜が終わろうとしているらしい。

 

 ラウルが桟橋の端に座って海を見ていた。

 エルネストは隣に座った。

 

「さっき、路地で何があった?」

「……別に。下っ端を1人捕まえただけだ。チンケなチンピラだ」

「そうか」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

 ラウルが話したくないことを、無理に聞き出す趣味はない。

 

 だが、ラウルの横顔が、トレインに着いた時と同じ硬さを帯びていることには気づいていた。

 

 夜明けの風が、潮の匂いを運んできた。

 

「なあ、エルネスト」

「なんだ」

「オレがもし、蒼炎隊に拾われてなかったら、どうなってたと思う」

 

 エルネストは少し考えた。

 

「さあ。少なくとも、私の帽子に穴は開かなかっただろうな」

 

 ラウルが吹き出した。

 

「そりゃそうだ。あの帽子に穴を開けたのは民兵だ。オレじゃねぇよ」

「答えになっていないのは分かっている。だが、仮定の話をしても仕方がない。お前は蒼炎隊にいる。それだけだ」

 

 ラウルは黙って海を見た。

 

 しばらくして、立ち上がった。

 

「……ま、そうだな。オレは蒼炎隊だ。今のところは」

 

「今のところは」が引っかかったが、エルネストは聞き返さなかった。

 

 東の空が茜から白に変わっていく。

 鷗が1羽、桟橋の杭に降りて、羽を繕っていた。

 

 もうすぐ夜が明ける。

 

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