ハンカチ…そういえばあいつに貸したんだっけ…

物を借りっぱなしの友人、なぜ返してくれないのか…
理由は本人以外は察している甘酸っぱい理由

1 / 1
返却されないハンカチ

ハンカチがない、と気付いたのは今日の午後だった。

 手を洗い、水しずくを拭こうとカバンを開けてみると、入れていたはずのハンカチがなかった。

 

 一瞬、どこに忘れてきたのか検討もつかなかったが、すぐに思い当たった。

 昼食を取った学食だ。研究室の面々と一緒に昼を取った時、真正面に座ったあ奴が、ひざに熱いお茶をこぼした。

 慌てるあ奴に、何か拭くもの、と刺し出したのが私のハンカチで、その後、ひざが火傷していないかどうか、ちょっとしたパニックになったあ奴と周囲のおかげで、すっかり忘れてしまっていた。

 

 …いや、学食を出るまでは覚えていた。返せ、とあからさまに言うのもな何だったので、貸して、そのままになっていた。

 そして、午後の講義を受けているうちに忘れたのだ。

 

 だいたい、あ奴は、妙にそそっかしいというか、何と言うか。ペンケースを忘れたり、授業のノートを忘れ私からルーズリーフをもらったり、と、小さなドジを繰り返している。

 しかしながら、学問の成績の方は、私よりもはるかに(多分)良く。演習発表の目の付け所が一癖二癖ある、というかおもしろい。

 

 同じ研究室の、仲が良い仲間で、変な奴。

 それが私の認識だ。

 

 そもそも、あ奴とは妙に受ける授業が重なるというか…。研究テーマが似た分野だから当然なのだが。

 

・・・・・・

 

 あ奴と初めて言葉を交わしたのは、昨年春、大学2年生のときだったろうか?

 

 東北の桜は遅いが、その年の桜は更に遅く咲き、G.W.も終わった頃、ようやく八分咲きとなった。

 桜の枝が腕を伸ばす道を、多少、ごきげんな足取りで歩いていると、前方でぼんやりと桜を見上げている御仁がいた。

 

 それがあ奴だった。

 

 同じ学部の生徒、というくらいの認識はあったが、話したことがない。黙って通り過ぎようか、会釈くらいしようか、と思いあぐねていると、にわかにこちらへ目を転じてきた。

 急に目が合い、思わず驚いた私は、頷きに見えるような奇妙な会釈をした。向こうは向こうで驚いたらしく、瞬きを一度した後、首をかしげたような会釈をしてきた。まあ、お互い様だ。

 

 そうして、その日はそれきりだったのだが。

 次の日、同じくらいの時間、同じ場所に、また、あ奴はいた。同じように桜をぼんやりと見上げている。そして、足音に気付いたのか、また目をこちらへ転じた。今度は双方、きちんと会釈をした。

 

 そんなことが4日ほど続いただろうか。桜も満開を過ぎ、散って行く頃だった。

 いい加減、何か声をかけた方が良いかもしれない、と思っていると、向こうから声をかけてきた。散っていく桜を追っていた視線を、はっきりとこちらへ向けてきていた。

 

「この時間に授業に行くのかい」

「うん、今の時間に行くと、ちょうどお気に入りの席に座れるから」

「しかし、僕たちの学部が関係する授業はなかったはずだけれど」

 

 いぶかしげな目でこちらを見る。

 ああ、と私は頷いた。

 

「他学部の授業なんだけれどね、面白い講義をする准教授がいらっしゃって。

一年の時の後期に、シラバスで知ったのだけど、今年は最初から受けさせてもらっているの」

 

 ふぅん…、とあ奴は珍しそうに私を見た。別の学部の授業をわざわざ受ける物好きと思ったようだ。まあ、それは仕方が無い。

 

「どんな授業なんだい」

「うーん…なんて言うかな…言葉の歴史的変遷から文学を見ていく、というか…単語一つを取って様々な焦点を当てるというか…」

 

 しまったなあ、これでも、毎週、きちんと授業を受けているというのに、いざとなるとはっきりと説明ができない。情けないものだ。

 もどかしそうに、眉根を寄せる私を一瞥すると、あ奴は言った。

 

「面白いんだね、授業。じゃあ、僕も受けてみようかな、今からでもわかるだろうか」

「え?…そ、そりゃあ、まだ授業は一ヶ月ほどしか進んでいないし、受けるには構わないと思うけれど…。

あ、わからなかったら准教授のところに質問に行くと良いよ。

とても気さくな先生だから、きっとわかりやすく教えてくれる。

この一ヶ月分の授業、何だったら、私のノートを貸すよ」

「ああ、そりゃあ、ありがたい」

 

 そういうと、私をおいて、さっさと歩き出した。

 待ってくださいよ、教室がどこなのか、わからないでしょう、と声をかけそびれた私は、あ奴に遅れまいと早歩きで講義室へ向かった。

 

 

 それからあ奴は、その授業の准教授に妙になつき、その授業を紹介した、という立場になった私もその准教授に覚えめでたく、しばしば、研究室にいりびたるようになった。思い返すと、いつぞや、あの准教授の研究室でもお茶をこぼし、私のハンカチを使っていたような…。

 ん?あの時のハンカチも、それきりか?

 まあ、それはいいや。

 今年、私は、専攻を決める際、その准教授と比較的仲がよく、ベクトルの似た研究をしている教授の分野を選ぶことにした。

あ奴も、同じ専攻で、似た研究テーマを選んだため、時には演習発表の予行と称し、互いに話をするようにもなっていた。

 

・・・・・・

 

 ふむ、といささかの回想を払うごとく、手を振るいしずくを弾き飛ばし、わずかに残った水滴で前髪を整えることにした。

 

 まあ、いいか。ハンカチくらい。

いつか返してくれるだろうし、あげてしまっても、ささいなものだ。

…まあ、女ものの私のハンカチを、殿方である、あ奴が持っているのは、いささか奇妙ではあろうけれども。

と、一人、くすくすと笑った。

 

 

 それから、幾日かが過ぎた。

 私はハンカチのことなど、きれいさっぱり忘れていた。

 

 

 その日、授業が終わり、ぽっかりと空いた午後の時間、図書館に行こうとしていたところ、廊下であ奴と会った。

 

あ奴は手に、紙コップに入った紅茶を持っていた。

私に気付き、片手を上げようとした拍子に、揺れたために紅茶が手にかかったらしい。

 

「熱っ!!」

 

と、小声を上げたあ奴に、おいおい、またかい、とカバンからティッシュかハンカチを出そうとして、ふと思い出した。

 

「あ、そう言えば先日君に貸した…」

 

と、ポケットティッシュを差し出しながら、ハンカチのことを聞こうとした。

 

「あ、あのな!!」

 

あ奴が妙に裏返ったような声を発した。

 

「ハ、ハ、ハンカチ!」

「ああ、覚えていてくれたんだ。そう、ハンカチのこと。私は、今思い出したよ」

「そ、そうなんだ。いや、そうじゃない!!」

「ん?…どっちだい?」

「ハンカチは、先日に借りたけれど!そればかりじゃなく!1年前にも!!」

「ああ、そのことも覚えていてくれたんだ。私はこの間、ちょっとだけ思い出しかけたけれど、今の今まで忘れてしまっていたよ」

「つ、つまりはその程度、ということか!?」

「えーと…ごめん、何がどういうこと…?」

 

 私は、何故、廊下でこいつに、こんな風に半ばキレかけた口調で話かけられねばならぬのだろうか。

ハンカチを貸したのは私の方であり、貸した側が忘れているのなら、奴がキレるのは間違えているのではないか。

といささか理不尽を感じつつも、困ったように苦笑いを浮かべ尋ねた。

 

「ハンカチだよ!その他にも!消しゴムやペンやルーズリーフ、借りたことがあっただろう!」

「あったかもしれないけれど…いや、ルーズリーフは貸したのではなく、あげたものだったはずだが…」

 

そんなルーズリーフの一枚二枚を、貸したものだから返せ、など言うほど私はケチではないつもりだが?

 

「あのさ…何か気を損ねることしてしまったのなら、謝るけれど…。もう少し、声のトーン、落とさない?」

 

 私は、奴をなだめるように言った。

 奴も、ここが廊下であることを思い出したらしく、外のベンチへ行こう、と言った。

 

「で?どうしたと言うんだい、いったい、ハンカチが何か…」

「だから!!」

 

私の声をさえぎるように、奴が言葉を繋ぐ。

 

「僕は物を渡され、それっきり、手渡したことすら忘れられるような存在なのか、と」

「いや、そいういうわけではないよ。私が忘れっぽいだけで…」

「僕は、いつ返したら良いのかタイミングを計りそこね、その所為でいつも君の前では失策をしているというのに!君にとって、僕に手渡した物も、僕というものもどうでもいいものなのか!?」

 

 は?

 …なんだ、その理論は…?

 授業などでは面白い目の付け所をして面白い論を展開する奴だからか、今の奴の言葉がいったい何がどう繋がっているのかが、平凡な頭の私にはさっぱりわからない。

 

「そんな事は言ってないだろう。私は」

「じゃあ、僕は何だ、君から借りたものを返すついでにデートに誘おうと、幾度も失敗している僕はいったい何なんだ!!」

「いや、だから、君をないがしろにしているとかではなく…え?」

 

 でーと、と聞こえたが…?

 それは……データ分析の作業を手伝え、ということでは、ないよな…?

 

「でーと…」

 

幾度か瞬きをする私の前で、あ奴は本当にキレたように矢継ぎ早に話し出した。

 

「そうだよ!そもそも、桜の下を歩いてくる君を見た時から、どうやって声をかけようか、悩んでたんだよ!

最初は良かったんだ、でも、次第に失敗ばかりするようになって!

良い所を見せようとすればするほど、空回りするんだ!!

そんな時、いつも手を差し伸べてくれるし、勉強も一緒にしてくれるから、少しは期待してもいいのか、と思っていたのに、だな!!」

 

「あの…いや、あの、ちょっと待って、くれないか?」

 

私は、ようやく奴の言葉を止める。

 

「鈍い私にもわかるように、最初から、順を追って言ってくれないだろうか…」

 

奴は、真っ赤になり目を剥いた。

 

「言えるか!!!」

 

そうして、くるりと背を向け、歩いて行ってしまう。

幾ばくか遅れ、告白された、という事に気がつき、顔が赤くなっていくのがわかった。

その顔のほてりもそのままに、数秒遅れて、私があ奴の後を追う。

小走りに駆け寄り、追い抜き、笑いながら言ってみた。

 

「なら、君には、もっともっと、物を貸し続けなくちゃならないね。返し終えられたら、デートに誘ってもらえなくなるもの」

 

あはは、と照れ隠しに笑ってみせる。

 

 あ奴は、きょとんとした顔で立ち止まっていた。

 

 まずは、一緒にハンカチ選びにでも行きましょうか。それとも、次の演習項目の準備が良い?

 私はどっちでも良いよ。

 

 

 うん、君が一緒ならね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。