俺は工藤新一 27歳……あの日から10年後……   作:梅酒24

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第四歩:旅立

私の名前は、吉田歩美。

小学2年生になった。

 

たった一年。

でも、私にとっては――すごく長くて、すごく大事な一年だった。

 

事件もいっぱいあったし、怖いこともあった。

でも、それ以上に――ドキドキしたこと、楽しかったこと、たくさんあった。

 

みんなで笑って、走って、考えて。

それがずっと続くって、どこかで信じていたの。

 

だけど。

 

私たちにとって、一番大きな事件は――

“事件”なんかじゃなかった。

 

あの、お花見の日。

 

桜がいっぱい舞っていて、すごくきれいだったのに――

なぜか、胸の奥が少しだけ、ざわざわしていた。

 

江戸川コナン君と、灰原哀ちゃん。

 

ふたりとも、少しだけ寂しそうな顔をしていたから。

 

そして、春休み。

 

コナン君と――連絡が取れなくなった。

 

最初は「忙しいのかな」って思った。

でも、何日も返事が来なくて。

 

胸の奥のざわざわが、だんだん大きくなっていく。

 

嫌な予感がして、哀ちゃんにも連絡した。

 

でも――返事はなかった。

 

「おかしいよね……」

 

そう言って、私はみんなを見た。

 

光彦君も、元太君も、同じ顔をしていた。

 

だから私たちは、みんなで博士の家に行くことにした。

 

ドアを開けたとき。

 

博士の顔を見て――全部わかってしまった気がした。

 

博士は、少し困ったように、そしてとても悲しそうに言った。

 

コナン君は、親御さんが迎えに来て――海外へ行ってしまったこと。

 

そして、置き手紙を三通、預かっていること。

 

三通。

 

その言葉が、心に引っかかった。

 

(あれ……?)

 

私たちは四人なのに。

 

どうして、三通なんだろう。

 

その瞬間、胸の奥に小さな“違和感”が生まれた。

 

(もしかして……)

 

哀ちゃんには、手紙がない。

 

――いや、違う。

 

“書く必要がなかった”んだ。

 

その考えにたどり着いたとき、

なぜか胸がぎゅっと苦しくなった。

 

でも私は、そのことを誰にも言えなかった。

 

それでも――

 

コナン君からの手紙だから。

 

ちゃんと読まなきゃいけないって思った。

 

でも、途中で読めなくなった。

 

文字が、ぼやけて見えなくなって。

 

「ごめん……」

 

そう言って、私はトイレに行った。

 

ドアを閉めた瞬間、涙があふれた。

 

突然すぎたから。

 

心の準備なんて、できてなかった。

 

私は振られた。

 

でも、それでもいいって思ってた。

 

友達でいられるなら、それでいいって。

 

何度も、何度も、自分に言い聞かせてきたのに。

 

それなのに――

 

何も言わずに、いなくなっちゃうなんて。

 

(ずるいよ……コナン君……)

 

どれくらい泣いたのか、分からない。

 

でも、泣いても何も変わらないって思って。

 

私は顔を洗って、みんなのところに戻った。

 

そのあと、私たちは哀ちゃんのことを聞いた。

 

すると博士は言った。

 

4月から、養護施設に入ることが決まったって。

 

そういえば前に、少しだけ聞いたことがあった。

 

一時的に博士の家にいるだけだって。

 

だから私たちは、みんなで会いに行くことにした。

 

その施設は、米花町にある新しい建物だった。

 

小学生から高校生まで、いろんな子が一緒に暮らしているらしい。

 

ちょっと不思議な場所。

 

でも、どこかあたたかそうでもあった。

 

中に入ると、優しそうな男の職員さんが案内してくれた。

 

そして――

 

ロビーで、哀ちゃんと会った。

 

「久しぶりね」

 

いつもの落ち着いた声。

 

でも、どこか少しだけ、柔らかい気がした。

 

「部屋はね、まあまあってところかしら」

 

「博士みたいなおじさん相手より、子供たちといる方がいいかもね」

 

くすっと笑いながら、そんな冗談を言う。

 

いつもの哀ちゃんだ。

 

でも私は、なんとなく分かっていた。

 

その笑顔の奥に、

いろんな気持ちが隠れていることを。

 

そして同時に、思った。

 

(やっぱり……)

 

コナン君と哀ちゃんは、

私たちに言わないで――何かを決めたんだ。

 

それが何なのか、まだ分からない。

 

でも。

 

きっとこれは――

 

私にとって、もうひとつの“事件”なんだ。

 

***

 

五年後――

 

桜が舞い散る、この季節になると。

私はいつも、胸の奥に小さな疼きを感じる。

 

それは痛みというほど鋭くもなく、

けれど確かに、消えることのない感触で。

 

まるで――薄いガラスの向こうに閉じ込められた記憶が、

内側からそっと指先で叩いているような、不思議な感覚だった。

 

卒業式を終えた三月の中旬。

 

私は何人もの男の子に告白をされた。

 

真剣な顔もあれば、少し照れた顔もあった。

どれも、嘘じゃない気持ちだって分かっていた。

 

だけど――

 

「ごめんなさい。好きな人がいるの」

 

私は、そう言って断り続けた。

 

好きな人。

 

それは今も変わらない。

 

江戸川コナン君。

 

もう、私の方が背も高くなって、

きっと見た目だけなら“お姉さん”になっているはずなのに。

 

それでも――

 

(どうしてだろう)

 

今の私や、周りの男の子たちよりも。

 

あの小さな背中の方が、ずっと大人で、ずっと男らしく見える。

 

「ずるいよ……コナン君」

 

口に出した言葉は、春風に溶けていった。

 

私たちは中学受験をすることになった。

 

きっかけは、灰原哀ちゃんの一言だった。

 

「私は国立大学の附属しか受けられないわ」

 

その静かな言葉の裏にある事情を、私たちはもう知っていた。

 

だから――

 

迷う理由なんてなかった。

 

私たち“少年探偵団”は、みんなで同じ学校を目指すことにした。

 

帝都大学附属中学校。

 

日本一頭のいい国立大学の附属校。

 

六年生の一年間。

 

それは、まるで戦いだった。

 

教科書の文字は、もはや暗号のようで。

問題集は、果てしない迷路みたいで。

 

それでも私たちは、毎日机に向かった。

 

でも――

 

(あれ?)

 

不思議なことに気付く。

 

哀ちゃんは、あまり“勉強している姿”を見せなかった。

 

それなのに。

 

気付けば、私たちに教えているのはいつも哀ちゃんだった。

 

そして結果は――

 

「いやぁ元太君も頑張ったんですけどね、さすが僕たちの哀ちゃん……満点とは驚きです」

 

光彦君の声が、少し震えている。

 

そう。

 

哀ちゃんは、満点で主席合格。

 

円谷光彦君も390点で2位。

 

伝説みたいな点数だった。

 

私は――240点。

 

ギリギリの合格。

 

あと1点でも低かったら、ここにはいなかった。

 

でも。

 

(それでもいい)

 

私は、本気で頑張った。

 

だから、胸を張れる。

 

「そうね、光彦君もあゆみちゃんもよく頑張ってたね」

 

哀ちゃんが、少し優しく言う。

 

気付けば私たちは、名前で呼び合うようになっていた。

 

あの頃より、ずっと近くなっていた。

 

「哀ちゃん、勉強してる姿あまり見てなかったから超人じゃないかと思っちゃった」

 

私が言うと、哀ちゃんは肩をすくめる。

 

「あら。私は努力するところ見られるのが好きじゃないから影でやってただけよ。分かるでしょ」

 

その言い方が、どこか“らしくて”。

 

「ははは」

 

私たちは、笑い合った。

 

でもその笑いの中に、ほんの少しだけ――

 

空白が混ざっていた。

 

「そういえば、コナン君はどうしているんでしょうか!彼ももしかしたら同じ中学に――」

 

その瞬間。

 

空気が、ぴたりと止まった。

 

哀ちゃんが、無言で光彦君のお尻を軽く蹴る。

 

「すみません……」

 

気を遣ってくれている。

 

私のために。

 

「いいの」

 

私は、ゆっくり笑った。

 

「コナン君も一緒に受験したら、受かってると思うな」

 

あの人なら。

 

きっと、当たり前のように。

 

「哀ちゃんと同じくらい、頭良かった気がする」

 

「あら。さすがに江戸川君より私の方が上よ」

 

「いやぁ哀ちゃんのその自信家のところ変わりませんね」

 

また、笑い声が広がる。

 

でも。

 

その笑いの奥に、私は確かに感じていた。

 

“いない人”の存在を。

 

そして――

 

入学式。

 

体育館の空気は、どこか張り詰めていた。

 

新しい制服。

新しい顔ぶれ。

新しい未来。

 

その中心に――

 

哀ちゃんが立っていた。

 

代表挨拶。

 

満点合格の主席。

 

当然のように、彼女が選ばれていた。

 

壇上に立つその姿は。

 

小学生のときの哀ちゃんとは、どこか違って見えた。

 

静かで、落ち着いていて、

でもその奥に――強い意志がある。

 

(すごいな……)

 

私の知らないところで、

たくさん考えて、たくさん悩んで。

 

そしてここに立っている。

 

言葉は簡潔で、無駄がなくて。

 

でも、不思議と心に残る。

 

その姿を見ながら、私は思った。

 

(コナン君……見てる?)

 

もし、ここにいたら。

 

きっとあの人は、少しだけ口元を緩めて――

 

「やるじゃねぇか」

 

なんて言うのかな。

 

桜が、また一枚、舞い落ちる。

 

それはまるで、

過去と今をつなぐ、見えない手紙のようだった。

 

そして私は、そっと胸に手を当てる。

 

(大丈夫だよ)

 

私は、ちゃんと前に進んでる。

 

それでも――

 

この気持ちだけは。

 

まだ、あの春のまま。

 

***

 

教室という空間は、時として奇妙な密室になる。

 

まだ何も起こっていないはずなのに、

どこか空気がざらついている。

 

新学期――

それは新しい日常の始まりであると同時に、

何かが紛れ込む“入口”でもあるのだと、私はこの頃からぼんやりと感じていた。

 

「知っていますか?僕たちの担任は普通の教員免許の人じゃないみたいなんですよ?」

 

円谷光彦君の声は、いつもより少しだけ弾んでいた。

 

「知らないわ……」

 

灰原哀ちゃんは、興味があるのかないのか分からない調子で答える。

 

「臨時免許状とか、特別免許状とか……そういう制度はあるわね」

 

その言葉は淡々としているのに、

どこか、裏側の事情まで見透かしているような響きを持っていた。

 

「つまり特別免許状ということ?」

 

「そうみたいです……サッカーで全国大会出場して、さらに賞も取っているらしいです」

 

「ねえねえ、あゆみも知ってるよ」

 

私は少し身を乗り出して言った。

 

「新任の先生なんだって。22歳くらいみたい。私たちより10個上!」

 

十年。

 

その数字は、子供にとっては途方もなく大きく、

そしてどこか“大人”という存在を象徴する距離だった。

 

「どのくらいの反射神経があるか調べるために、僕は黒板消しをドアに挟んでおきました」

 

一瞬、時間が止まる。

 

「光彦君……子供すぎだよ……」

 

私は言う。

 

「いえ、元太君ならやりそうだなと……」

 

光彦君は胸を張る。

 

「全国レベルですから当然避けられますよ」

 

その言葉には、妙な確信があった。

 

そしてその確信が、

教室という小さな箱の中に、奇妙な“期待”を生み出していく。

 

ざわざわとした空気。

 

まだ見ぬ教師という存在を、

私たちはすでに“試そう”としていた。

 

(なんだか……事件みたい)

 

そう思った瞬間。

 

ガラリ――

 

扉が開いた。

 

次の瞬間。

 

黒板消しが、ふわりと落ちる。

 

しかし――

 

それは、空を切った。

 

まるで初めからそこに存在しなかったかのように、

黒板消しは床へと落ちた。

 

「だれだー?黒板消しをしかけたやつは?」

 

その声は、若かった。

 

だが同時に、奇妙な“確信”を帯びていた。

 

「あっ、お前だな。円谷光彦!」

 

教室が、一瞬で凍りつく。

 

「え?なぜそう思うのですか?」

 

光彦君の声は、ほんの少しだけ上ずっていた。

 

そのとき、私は気付いた。

 

(この先生……見てる)

 

ただ見ているんじゃない。

 

観察している。

 

測っている。

 

まるで――

 

人間そのものを、分析しているみたいに。

 

「扉が少し空いていたので上を見たら黒板消しがあった」

 

静かな説明。

 

だが、その一つ一つが、無駄なく積み重なっていく。

 

「俺は部屋に入るときにみんなの目線に注目した」

 

その言葉に、背筋がぞくっとする。

 

(目線……?)

 

「驚くような目をする中で違う動きをさせる人が3人いた」

 

三人。

 

その数字が、妙に具体的で――現実味を帯びる。

 

「その3人を見たときに、チョークの粉がついているのは君だけだった」

 

光彦君の手元を見る。

 

確かに――白い粉。

 

「最初の座席は出席番号順。生徒の名前は全部覚えている」

 

(え……?)

 

「机の順番までは分からない、だが並び順を計算すれば、そこに座るのが円谷光彦だと分かる」

 

推理。

 

それはまるで、

見えない糸を手繰り寄せるような行為だった。

 

ざわ……

 

ざわ……

 

教室の空気が揺れる。

 

それは驚きか、恐怖か、それとも――興奮か。

 

「あなたは一体……?」

 

誰かが呟いた。

 

私も、同じことを思っていた。

 

この人は、ただの先生じゃない。

 

まるで――

 

事件を解くために現れた、

“何か”のような存在だった。

 

そして私は、胸の奥で小さく震えながら思う。

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