氷下の命脈ー放っておくには、雪が冷たすぎたー   作:冷やかし中華

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呼気は白く。死は黒く。
そして、揺れる炎は暖かかった。
夜が明ける。
恐ろしい森の魔法は解け、怪物は吹雪の向こうへ霞んでいった。
あれは、幻だったのだろうか。
そう問うには、毛皮の温もりが、あまりにも確かなままで。
目を覚ます。
呆れるほど平和な、いつかの午後の日向の中で。


01-終.『また来ればいい』

これは、いつかどこかであったかもしれない、午後の話だ。

 

ある日、訪れたある場所で、三人はしばらく入口から動けなかった。

 

理由は二つあった。

 

一つは、足の踏み場がなかったから。

 

もう一つは、その足の踏み場をなくした張本人が、部屋の奥で寝ていたからだった。

 

毛皮の上に横になり、枯れ枝を口に咥えたまま、ぴくりとも動かない。目が開いているのか閉じているのか、ここからではわからなかった。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

ルドルフ。シリウス。ラモーヌ。

 

三人とも、同じものを見ていた。

 

そして、たぶん、少しだけ違うものを思い出していた。

 

最初に戻ったのは、匂いだった。

 

乾いた木。薪の煙。獣の毛皮。

 

ルドルフは、無意識に鼻から息を吸った。

 

あの時と同じ匂いではない。季節も違う。この部屋には午後の日差しが入り、窓も少し開いている。冷たい雪の気配など、どこにもない。

 

それでも一瞬、背中が温かかった。

 

自分の脚が動かなくても、身体が前へ進んでいた。落ちない。そう思った、あの感覚が戻った。

 

ルドルフは自分の左足へ視線を落とした。

 

今は、何ともない。走れる。立てる。自分の脚で、ここまで来た。

 

それでも、あの夜の痛みがどこにあったのかだけは、今でも身体が覚えている気がした。

 

シリウスは、床へ転がっている一本の枝を見ていた。

 

あの日、枯れ枝が羆の前脚を止めた。硬い音がした。ほんの一瞬だけ、黒く見えた。

 

今となっても、あれが本当に見えたものだったのかはわからない。疲れていた。寒かった。雪も降っていた。見間違えたと言われれば、そうだったのかもしれない。

 

けれど、あの音だけは、今でも耳の奥に残っていた。

 

——ガキン。

 

シリウスの耳がわずかに動く。

 

目の前の男は、その時と同じような枯れ枝を口に咥えて、寝ている。

 

あまりにも、釣り合わなかった。

 

ラモーヌは、その二人とは別の場所を見ていた。

 

男の手。毛皮の上へ投げ出されている。何の変哲もない手だった。

 

河原で、凍えて感覚のなくなった指を包んだ手。小屋の中で、何も言わず、もう一度温めた手。

 

その温度まで思い出せるような気がした。

 

夢だったなら、ずいぶんと温かい夢だった。

 

そう思って、ラモーヌは口にしなかった。

 

「……これが」

 

シリウスがようやく言った。

 

「そう」

 

ラモーヌが答える。

 

「あの人が」

 

「そうよ」

 

「枯れ枝一本で羆を」

 

「そう」

 

ルドルフはしばらく黙っていた。それから、

 

「……人は、見かけによらないものだね」

 

静かに言った。

 

命の恩人だった。

 

それから先にも、三人はこの男から色々なことを教わった。

 

歩き方。山の見方。知らないものを、知らないまま扱うこと。危険だから怖いのではなく、怖いからといって何もできなくなるわけでもないこと。

 

もっとも、本人に教えたつもりがどこまであったのかは怪しかった。

 

少なくとも今、あの夜の静謐さや、羆の前へ立った時の得体の知れなさは、欠片も見当たらない。

 

あるのは、散らかった部屋。積み上げられた本。乾燥させた薬草の束。用途のわからない木箱。半分ほど削られた木片。縄。釣り道具らしきもの。どこかの土地のものらしい器。

 

そして、その中心で、昼まで寝ている男。

 

「足の踏み場もねぇじゃねぇか」

 

シリウスが呆れたように言った。

 

「前より増えてないか?」

 

「増えているわね」

 

ラモーヌが淡々と答える。

 

ルドルフは床を見た。

 

入口から七詩まで、まっすぐ進める場所がない。一応、道らしきものはある。本人が毎日通る場所だけ、物が左右へ押し退けられているのだろう。

 

道というより、獣道だった。

 

「本人の中では、これが整理されている状態なのかもしれない」

 

「擁護になってねぇぞ」

 

「擁護したつもりはないよ」

 

三人はもう一度、部屋を見る。

 

無理に進むことはできる。だが、一歩間違えれば、奇妙な均衡で積み上げられている何かが崩れる。

 

以前、それをやった者がいた。

 

誰だったかについて、三人は話さなかった。少なくとも一人は、思い出したくないらしい。

 

そんなことをしている間に、部屋の奥で七詩が寝返りを打った。

 

口から枝が落ちる。

 

からん。

 

床へ転がった。

 

三人が見る。

 

寝たまま、七詩の手だけが動いた。床を探る。一度、外す。もう一度。枝へ触れる。掴む。

 

そして、また口へ咥えた。

 

「……」

 

シリウスが眉間を押さえた。ラモーヌが瞬きをする。

 

ルドルフだけが、どう反応するべきか少し迷っていた。

 

命の恩人。尊敬すべき相手。あの白い夜、自分たちにとって世界で唯一、安心して目を閉じられた人。

 

その人が今、寝ながら枯れ枝を探して、咥え直した。

 

「……やっぱり夢だったのかな」

 

シリウスがぼそりと言った。

 

ルドルフが振り返る。

 

「どちらが?」

 

「全部」

 

「その場合、今見ているものも夢になるね」

 

「それならもうちょいマシな夢見せろ」

 

言ってから、シリウスは少し黙った。

 

「……なあ」

 

「なに?」

 

「あの夜さ。お前、どこにいた」

 

ルドルフが首を傾げる。

 

「岩のところ?」

 

「その前」

 

「河原へ出る前なら、真ん中だよ。二人に支えられていたから」

 

「……そうだよな」

 

シリウスは、それきり言わなかった。

 

ラモーヌが横から訊く。

 

「どうかしたの」

 

「いや」

 

短い。

 

「私、あの時ずっと下向いてたんだよ。膝が痛くて。なのに、雪が横から流れて、あいつが出てくるところを見た気がする」

 

三人が黙った。

 

ラモーヌは自分の記憶を辿った。

 

雪が横へ流れた。木立の縁から、影が出てきた。歩いていた。急いでいなかった。

 

見た。確かに見た。

 

けれど、あの時、自分は岩へ背中を預けて、正面の羆を見ていたはずだった。七詩が来たのは、上流の側から。振り返っていない。

 

「……見たわ」

 

小さく言った。

 

「私も見た」

 

ルドルフも言った。

 

三人とも、同じものを、同じ角度で覚えていた。

 

誰も、そこにいなかったはずの角度で。

 

しばらく、誰も口をきかなかった。

 

やがてシリウスが、面倒くさそうに首を振った。

 

「まあ、いいか」

 

「いいの?」

 

「考えたって出てこねぇだろ」

 

それで終わりにした。

 

ラモーヌは何も言わなかった。ルドルフも。

 

三人とも、そのまま部屋の奥を見た。

 

七詩は寝ている。

 

七詩が、のそり、と起き上がった。

 

三人は黙った。

 

熊みたいだった。

 

体格の話ではない。動作が。

 

ゆっくり身体を起こし、一度大きく瞬きをして、少し首を動かし、ようやく入口に立つ三人へ視線を向ける。

 

「……」

 

目が合う。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

あの夜、羆の前へ立った時には、微動だにしなかった。

 

今、完全に寝起きだった。

 

七詩が口から枝を外した。

 

「……おはよう」

 

「もう昼よ」

 

ラモーヌが即座に言った。

 

七詩が窓を見る。午後の日差し。戻る。

 

「……そうか」

 

ルドルフの耳が、ほんの少し前へ向いた。

 

変わらない。あの頃から。必要なことを、必要な分だけ。その癖だけは、何も変わっていなかった。

 

小屋で世話になっていた間、三人は七詩が眠っているところをほとんど見ていない。火を見ればいる。夜中に目を覚ましてもいる。朝になればいる。

 

だから、こんなふうに寝ぼけている姿は、今でも少し不思議だった。

 

七詩が三人を見る。

 

「……どうした」

 

「たまには顔を見たくなってね」

 

ルドルフが答えた。

 

その言葉へ、シリウスが横目を向ける。

 

「お前が言い出したみたいにすんな」

 

「最初に予定を空けたのはシリウスだったと思うけれど」

 

「うるせぇ」

 

ラモーヌは何も言わなかった。

 

七詩が見る。

 

「ラモーヌも?」

 

「ええ」

 

短い。けれど否定しない。

 

七詩は、

 

「そうか」

 

と言った。

 

そして、また横になった。

 

「……」

 

三人が固まる。

 

七詩は毛皮へ頭を置いた。目を閉じる。

 

「ちょっと待て」

 

シリウスが言った。

 

「何だ」

 

「寝るのか?」

 

「もう少し」

 

「私たち来たばっかなんだけど」

 

ルドルフまで言う。

 

「わかっている」

 

「わかっていて寝るの?」

 

「ああ」

 

そのまま、寝た。

 

三人は顔を見合わせた。

 

数秒。耐えた。

 

最初にシリウスの肩が震えた。怒っているのかと思った。違った。笑っていた。

 

「……何なんだよ、こいつ」

 

ラモーヌが口元へ指を当てる。ルドルフも堪えきれなくなった。

 

三人の笑い声が、散らかった部屋の中へ小さく広がった。

 

あの日には、こんな声を出す余裕などなかった。

 

ここへ来た時、三人は震えていた。

 

今は、同じ男の寝顔を見て、笑っている。

 

それだけで、ずいぶん遠くまで来たような気がした。

 

 

    *

 

 

しばらくして、今度こそ七詩は起きた。

 

目が、さっきより開いている。枝を咥え、軽く髪を整え、顔を洗う。三人がいることには、もう何の疑問も抱いていないらしかった。

 

そのまま外へ出る。三人もついていった。

 

外は、呆れるほど穏やかだった。

 

空は高い。風は弱い。日向は暖かい。遠くに鳥の声まで聞こえる。

 

白いものなど、どこにもなかった。

 

ルドルフは日差しを受けながら、一瞬だけ目を細めた。

 

あの時も、山へ入る前は、こんな世界だった。平和で、優しくて、自分たちが少しくらい遠くへ行ったところで、何も起きないと思える世界。

 

今も同じように平和だった。

 

けれど、あの頃とは少しだけ違って見えた。

 

「もう少し片付けたらどうだ」

 

前を歩く七詩へ、シリウスが言った。

 

「苦手じゃないだろ、あんた」

 

「この間片付けた」

 

三人の足が止まりかけた。

 

「……あれで?」

 

「あれで」

 

「何を片付けたんだ」

 

「いらないもの」

 

シリウスが振り返る。

 

「あれ全部いるのかよ」

 

七詩も振り返った。

 

「いる」

 

迷いがない。

 

ラモーヌが訊く。

 

「同じような器が六つあったけれど」

 

「あれは全部違う」

 

「どこが?」

 

「もらった相手が」

 

ラモーヌが少し目を細めた。

 

その返答だけは、なんとなく七詩らしいと思った。

 

同時に、胸の奥で何かが小さく触れた。

 

家に、まだある。

 

薄い紙に包んで、引き出しの奥へしまってある。軸の折れた羽根。羽枝はほどけたままで、あれからも直らなかった。

 

あんなもの、とっくに捨ててもよかった。

 

捨てなかった理由を、ラモーヌは自分でうまく説明できたことがない。

 

きれいだからではない。役に立つからでもない。

 

ただ、あれを拾った日のことを、まだ話せるから。

 

妹に、何度も話した。同じ話を、何度も。丘。森。雪。走ったこと。手を離さなかったこと。名前も知らない人が来たこと。

 

そのたびにアルダンは、初めて聞くような顔で聞いた。

 

つまり、目の前の男とやっていることは、たぶん同じだった。

 

ラモーヌは、それを口にはしなかった。

 

「なんであれだけ増えるんだい?」

 

今度はルドルフ。

 

七詩は少し考えた。

 

「歩いているともらえる」

 

「普通、歩いているだけでは物は増えないよ」

 

「そうなのか」

 

「そうだよ」

 

七詩が少し不思議そうな顔をする。

 

「みんないい人だからな」

 

それで説明が済んだらしい。

 

「誰に貰ったの?」

 

ラモーヌが訊いた。声は平坦だった。

 

七詩は指を折るでもなく、記録を探すように少しだけ視線を遠くした。

 

「この間は麓の茶屋の娘に器をもらった。その前は、街はずれで薬草を売っている婆さんに籠を」

 

「へえ」

 

シリウス。

 

「それと」

 

七詩が続ける。

 

「峠の向こうに道場がある」

 

三人の注意が、なんとなく向いた。

 

「そこの師範代が、なかなか見どころのある娘でな」

 

シリウスの耳が動いた。ルドルフの歩幅が、ほんのわずかに変わった。ラモーヌだけは表情を変えない。

 

「見どころ?」

 

ルドルフが訊く。

 

「腕が立つ。まだ荒いが、目がいい。教えればかなり伸びる」

 

「教えてるのか」

 

シリウス。

 

「ああ」

 

「ふうん」

 

「ふうん」

 

ルドルフも。

 

ラモーヌは一拍遅れて。

 

「……そう」

 

七詩が前を向く。

 

「茶屋の娘もよく差し入れを持ってきてくれる。気が利く」

 

「……そう」

 

ラモーヌ。

 

「婆さんは口が悪いが、薬草を見る目は確かだ」

 

「婆さんは別にいいわ」

 

即答だった。

 

シリウスが頷く。

 

「婆さんはな」

 

ルドルフは黙った。

 

七詩を見る。

 

自分たちだけではない。当然だ。七詩には七詩の生活がある。自分たちと会っていない時間も、どこかを歩き、誰かと話し、誰かを助けたり、何かを教えたりしている。

 

当たり前のことだった。

 

それなのに、ほんの少し、面白くない。

 

何が面白くないのかは、考えないことにした。

 

シリウスは別のことを考えていた。

 

師範代。強い。七詩が教えている。

 

なら、いつか会ったら、走れる相手かもしれない。戦える相手かもしれない。

 

そして、できれば、負けたくない。七詩が褒めた相手なら、なおさら。

 

尻尾が一度、落ち着かないように揺れた。

 

ラモーヌは二人より少し後ろを歩きながら、七詩の背中を見ていた。

 

誰に会っていても。どこへ行っていても。

 

別に。自分たちは、会いたければ来ればいい。

 

そう思った。

 

なぜか、その考えだけは、とても簡単だった。

 

会いたいと思ったら、会いに来る。それでいい。

 

 

    *

 

 

七詩が、不意に立ち止まった。

 

三人も止まる。

 

少し前には、小さな日向。草。その向こう、山。

 

あの夜とは別の顔をしている。

 

七詩が、山の方を見ながら言った。

 

「顔を見に来てくれるのは、ありがたい」

 

三人とも、少しだけ意表を突かれた。

 

七詩は、こういうことを自分から言う人ではない。少なくとも、三人はそう思っていた。

 

「だから」

 

枝を咥え直す。

 

「また来い」

 

静かな声。

 

あの夜、「退け」と羆へ言ったのと、同じ声だった。

 

けれど今度は、何も怖くなかった。

 

ルドルフの喉が、動いた。

 

言おうとした。

 

ありがとうございました。あの夜、助けてくれて。背負ってくれて。二人を、ここまで連れてきてくれて。

 

あの小屋で、眠る前に言おうとして、言えなかった。明日でいいと思った。

 

明日は来た。次の日も、その次も来た。

 

それから何度も、この人に会った。歩き方を教わり、山を教わり、何度も助けられた。

 

一度も、言っていない。

 

言おうとするたび、口から出す一つの言葉が小さすぎる気がして、また明日にした。

 

今も、同じだった。

 

ルドルフは口を閉じた。

 

代わりに、

 

「……そうさせてもらうよ」

 

とだけ言った。

 

七詩は、

 

「そうか」

 

と答えた。それだけ。

 

いつも通りだった。

 

ルドルフの耳が、わずかに前を向く。

 

もっと話したかった。昔から、七詩が何を考えているのか、どうしてそうするのか、わからないことばかりだった。だからこそ、もっと知りたかった。

 

今は、その理由で十分だった。

 

ありがとうは、また今度。

 

そう思って、ルドルフは少しだけ笑いそうになった。

 

自分は、いつまで同じことを繰り返すのだろう。

 

でも、繰り返せるということは、次があるということでもあった。

 

シリウスの尻尾が一度だけ揺れる。

 

また来い。言われなくても、そう思った。

 

でも、言われたことは悪くなかった。

 

誰かに取られるだとか、そんな馬鹿げたことを考えているわけではない。ただ、次に来る時まで、師範代とやらがどれほど強くなっているのかは、少し気になった。

 

ラモーヌは何も言わなかった。

 

ただ、耳の角度が、ほんの少し変わる。

 

三人とも、互いの顔を見る。

 

ルドルフ。シリウス。ラモーヌ。

 

何を考えたのか、なんとなくわかった。

 

だから、誰も訊かなかった。

 

七詩は、そんな三人を気にした様子もなく、また歩き出した。

 

背中。あの日と同じ。そう見えた。

 

吹雪の向こう、自分たちへ向かってきた背中。羆の前に立った背中。小屋まで、自分たちを連れていった背中。

 

でも今、その背中には午後の日差しが当たっている。

 

雪ではない。

 

七詩が咥えていた枝が、ぽとり、と落ちた。

 

七詩は止まらない。

 

シリウスが訊く。

 

「……拾わないのか」

 

「ああ」

 

「気に入ってたんじゃないのか」

 

七詩が少し考える。そして、

 

「また拾う」

 

三人は、一度、黙った。

 

次の瞬間、笑った。今度こそ、声に出して。

 

ルドルフも。シリウスも。ラモーヌも。

 

呆れるほど平和な、午後の日向の中で、笑った。

 

七詩が少しだけ振り返る。

 

何が面白いのかわからない。そんな顔だった。

 

それが、余計に可笑しかった。

 

いつだったのか。どこだったのか。あの白い夜から、どれだけの時間が過ぎたのか。

 

三人は、誰も確かめなかった。

 

夢だったのか。本当にあったことなのか。

 

そんなことさえ、その午後には必要なかった。

 

覚えている。

 

雪の冷たさを。羆の足音を。毛皮の温かさを。揺れる炎を。

 

名前を呼べば、振り返ったことを。

 

そして今、呼ばなくても、少し先にいる。

 

なら、それでいい。

 

確かめなくても。

 

また来ればいい。

 

そう思えることが、すでに、答えだった。




これにて、第一章『呼気は白く、死は黒く、揺れる炎は暖かく。』は幕を下ろします。

ここまで、逃げ場のないホラーとしての質感と、圧倒的な自然の脅威を意識して書き進めてきました。少女たちは辛うじて窮地を脱しましたが、その代償は決して軽くありません。凍てついた身体と傷ついた心には、癒えるための相応の時間が必要となるでしょう。


2026/10/05
本文加筆。

ここで綴った暖かな午後のひととき、それは過酷な夜が見せた束の間の夢か、あるいは確かな現か。
彼女たちが眠りについている間、屋敷の側ではまた別の、焦燥に満ちた時間が流れています。

第二章『問いは白く、沈黙は黒く、明けぬ夜はただ長く。』近日投下予定です。
また次の物語でお会いしましょう。

――それでは、良い夢を。
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