氷下の命脈ー放っておくには、雪が冷たすぎたー 作:冷やかし中華
知らないのは、その中を歩いている人々だけだ。
彼らは、鳥がいないことに気づく。
それだけを、手がかりにして歩き出す。
知っていることは、何ひとつ伝えられない。
ただ、見ているしかない。
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胆振新報デジタル版 10月24日 06:17配信
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【速報】胆振管内・子供3人行方不明
捜索4日目 依然手がかりなし
胆振管内で子供3名が行方不明となっている件について、警察および猟友会による合同捜索が24日も早朝から再開された。
これで捜索は4日目を迎えるが、依然として手がかりは得られていない。
現場周辺には大型ヒグマの痕跡が複数確認されており、安全上の制約から捜索範囲の拡大が難しい状況が続いている。
行方不明の3名は女児とみられ、地元の大型邸宅付近の防風林を入り口に山林方向へ向かったとの目撃情報がある。
警察は引き続き情報提供を求めている。
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「もう4日目。正直……」
「名家の子たちって噂、本当なの?」
「捜索隊の方々、どうかご無事で」
「ヒグマもいるって聞いてる。大丈夫なのか」
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※
捜索三日目の朝だった。
コハギは邸宅の玄関前に立って、捜索班の点呼が終わるのを待っていた。
外はまだ暗かった。
夜明け前に集合して、夜明けと同時に山に入る。
それが、この三日間の決まりだった。
靴の先で、雪を一度踏んだ。
昨夜より締まっている。
気温が下がって、表面が固くなっていた。
踏み込んでも、昨日ほど沈まない。
今日は少し奥まで入れるかもしれない。
そう思いながら、山の方角を見た。
稜線が、夜明け前の青みの中に浮かんでいた。
見えている。今日は見える。
それだけで、耳が前に向いた。
意識してのことではなかった。
山が見える朝は、体が先に反応する。
昨日も、一昨日も、稜線は雲の下に沈んでいた。
今朝は違う。
その違いが、足の裏から上がってきた。
「コハギさん」
田中さんの声だった。
猟友会の古株で、この捜索班の道案内役だった。
白い息を吐きながら近づいてきた。
外套の肩に、昨夜の雪が残っていた。溶けずにそのままついていた。
「今日は東の沢沿いを入る予定だったが、変えた方がいいかもしれない」
「どうしてですか」
「昨夜、北の斜面で足跡が出た。例の個体だ」
コハギは一拍置いた。
「どのあたりで」
「防風林からおよそ二キロ。南西に向かってた」
南西。
コハギは地図を頭の中で広げた。
南西というのは、邸宅から見て左手の方角だった。
捜索班がこれまで入ってきた方向とは逆だ。
逆の方角に、夜のうちに動いた。
「何かから遠ざかったのか、それとも別の何かに向かったのか」
「わからん」と田中さんは言った。
「ただ、方向が変わった。三日間、北東の方角に足跡が続いてたのに、昨夜だけ南西に動いた。それだけは確かだ」
耳が、また前に向いた。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「なに」
「これまでの三日間、足跡の深さはどうでしたか。浅くなっていましたか、それとも」
田中さんは言葉を選ぶように間を置いた。
「……深かった。変わらず、深かった。ここ数日で浅くなるようなら、体力が落ちてきているということだが」
「浅くなっていなかった」
「なかった」
コハギは頷いた。
深さが変わらない。
それは、まだ消耗していないということだ。
三日間、捜索班が南の斜面を入り続けている。
その間、あの個体は北東の方角にいた。
北東というのは、子供たちが消えた方角だ。
そちらに向かわずに、昨夜だけ南西に動いた。
南西は、捜索班が入ってくる方角に近い。
「田中さん」
「なに」
コハギは言い過ぎないようにした。
確認できていないことを、言い切ってはいけない。
「あくまで可能性の話ですが、あの個体が昨夜南西に動いたのは、捜索班の音か匂いを拾ったからかもしれません」
田中さんが、目を細めた。
「捜索班を……測りに来た、ということか」
「わかりません。ただ、今まで来なかった方向に、昨夜だけ動いた。それは事実です」
田中さんはしばらく黙っていた。
白い息が、何度か出た。
「……念のため、今日は二手に分けよう。北東の沢と、南西の斜面、両方に目を配れるように」
「わかりました」
「コハギさん、あんたは南西の方を頼めるか。あのあたり、あんたが一番土地を知ってる」
コハギは頷いた。
「間違えません」
※
南西の斜面に入ったのは、夜明けから三十分後だった。
コハギは先頭を歩いた。
後ろに、警備隊員が二人ついてきた。
どちらも若かった。
山に慣れていないと、最初の一歩でわかった。
雪の踏み方が平地と同じだった。
一歩踏むごとに全体重をかける。
そうすると、深い場所で足を取られる。
何も言わなかった。今は、足音を立てたくなかった。
沢沿いを進んだ。
昨日まで入っていた東の沢とは、空気の質が違った。
東の沢は風が通る。
南西の斜面は木々が密で、音が詰まっている。
獣の痕跡が残りやすい地形だった。
十分ほど歩いたところで、コハギは足を止めた。
木の根元に、雪が掘り返されたような跡があった。
「ちょっと待ってください」
後ろの隊員たちに声をかけて、近づいた。
しゃがんで、跡を見た。
爪の痕ではなかった。土が出ていた。
雪の下の土まで掘り起こされていた。
食べ物を探した跡だ。
でも、何も見つからなかったのか、途中で止まっている。
深さを確かめた。
手袋ごと、腕を雪に刺した。肘まで沈んだ。それくらい、深かった。
雪を引き抜いた時、指先に奇妙な感触が残った。
冷たさの質が、周囲の雪と少し違う気がした。
言葉にはならなかった。ただ、違った。
この雪は、何かに長く踏まれている。そういう冷たさだった。
「何かありましたか」
隊員の一人が声をかけた。
「羆の跡です」
「最近の、ですか」
コハギは雪の縁を触った。崩れ方を確かめた。
「昨夜の、だと思います」
立ち上がる前に、もう一度、鼻が動いた。
雪の冷たさとは違う何かが、ごく薄く混じっていた。言葉にはならなかった。でも、昨日の山にはなかったものだった。
隊員が息を呑む音がした。
「今はいません」
コハギは立ち上がった。周囲の木々を見回した。
音がなかった。
鳥がいなかった。
昨日はいた。昨日は、枝の上に何羽かいる気配があった。
今日はいない。声がない。羽の音がない。
木立の奥まで、何もいないような静けさだった。
いないのは、何かがいるからだ。
山を長く歩いてきた者なら、誰でも知っている。
静かすぎる場所には、近づかない。
「もう少し奥まで進めますか」
隊員の一人が聞いた。
コハギは木立の奥を見た。それから足元の雪を見た。
「今日は、ここまでにします」
「でも——」
「鳥がいません」
隊員は何も言わなかった。
コハギの判断が正しいとわかっていたから。
正しいとわかっているから、余計に、何も言えなかった。
コハギは来た道を引き返した。
引き返しながら、後ろを歩く隊員の足音を聞いていた。今日から加わった若い隊員だった。山の歩き方が、まだぎこちなかった。一歩ごとに全体重をかけて踏み込む。消耗が早い歩き方だった。
「あの……コハギさん」
その隊員が、小声で言った。
「明日から自分もビバーク組になります。テントで何か気をつけることとか、ありますか」
コハギは少し間を置いた。
「体を温めてから眠ること。一人でテントの外に出ないこと」
「はい」
「以上です」
隊員は頷いた。それ以上は聞かなかった。引き返す列が、雪の上を続いた。
※
邸宅に戻ったのは、昼過ぎだった。
田中さんが報告を聞いて、腕を組んだ。
「南西の斜面に、昨夜の跡が出た。食べ物を探した跡だ。収穫はなかったらしい。途中で止まっていた」
田中さんは何も言わなかった。
「それと」
コハギは一拍置いた。
「鳥が、いませんでした。昨日はいたのに、今日はいなかった。木々の奥まで、静かでした」
その沈黙の意味を、コハギは知っていた。
鳥がいないのは、鳥が何かを感じているからだ。
感じた何かには、名前がつかない。
でも、山を歩く者なら全員、その沈黙の重さを知っている。
「スピードシンボリさんに伝える必要がありますか」
「伝える」と田中さんは言った。
「ただし言い方は気をつけろ。事実だけを、事実として話せ。推測を混ぜるな」
「わかりました」
※
スピードシンボリは、コハギの話を最後まで黙って聞いた。
窓際に立ったまま、外を向いていた。
山の方角を、じっと睨むように見ていた。
背中が、微かに張っていた。
怒りか、それとも別の何かか——コハギにはわからなかった。
「南西に動いた。腹が減っている。鳥がいなかった」
低く繰り返した。ほとんど独り言のように。
声に、わずかな硬さがあった。
「……昨日までと、何が違う」
「縄張りの外に出てきた可能性があります」
スピードシンボリが初めてコハギの方を向いた。
切れ長の目が、鋭く細められていた。
「可能性、ね。……三日間、北東へ向かわなかった。なぜだと思う」
コハギは手拭いを、両手で握った。
「わかりません。ただ——」
「ただ?」
「私なら、何かから遠ざかっているか、別の獲物に向かっているか、どちらかだと思います」
スピードシンボリは短く息を吐いた。
笑ったような、しかし笑っていない吐息だった。
「腹が減っているのに、子供たちがいる方向へ行かない」
窓の外を見た。
山が、昼の光の中に白く立っていた。
「……何かが、あっちにいる」
断言ではなかった。問いでもなかった。
自分に向けて置いた言葉だった。
コハギは答えなかった。
答えるべき言葉がなかった。
地図の上で指を止めた場所のことを、また思った。
あの谷筋。冬でも凍らない湧水。
あの山を体で知っている人間が、どこかにいるとしたら。
「何か、知っていることがあれば」
スピードシンボリが言った。
問い詰める声ではなかった。それでも、引かない声だった。
コハギは手拭いを握ったまま言った。
「確かではないことは、言えません」
「そうか」
「ただ」
耳が、前に向いた。山の方角に向いていた。
意識してのことではなかった。
「あの山に、私が知っている場所より、もう少し先に入れる人間がいるとしたら——その人間が、あの子たちと一緒にいる可能性は、ゼロではないと思っています」
スピードシンボリは動かなかった。
「なぜそう思う」
「あの個体が、北東に向かっていない。それだけです」
沈黙があった。
スピードシンボリは山を見たまま、もう一度だけ短く息を吐いた。
今度は怒りではなかった。何か別のものだった。
「確かめる手段は」
「今はありません」
「今は、というのは」
「雪が締まれば、もう少し奥まで入れます。それだけです」
スピードシンボリは何も言わなかった。
コハギは部屋を出た。
廊下を歩きながら、今日の木立の静けさを思い出した。
鳥のいない枝。音が詰まった沢。
雪の下に何かが息を潜めているような、重い静寂。
あの静けさは、ただの静けさではなかった。
そしてコハギには、その違いがわかった。
わかってしまった。
今夜、雪靴は脱がなかった。
明日も、山に入る。
それだけのことだった。
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SNS投稿 10月24日 収集分
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野鳥観察記録 胆振支部 @wild_birds_iburi
【記録】10月24日 午前9時12分 胆振管内某所付近山林
本日、定例観察ルートを歩いたが異常を記録する。
例年この時期、当該エリアではツグミ・ヒガラ・ゴジュウカラ等が活発に採餌行動をとる。
本日は観察開始から終了まで、上記種の鳴き声・飛翔をゼロ件確認。
エゾリスの活動も確認できず。
気温・気圧・風速は例年同期比で正常範囲内。
沈黙の理由として考えられるのは、
大型捕食者の長期滞留による生態圧迫のみ。
念のため記録として残す。
当該エリアへの立ち入りは当面控えることを推奨する。
312 ❤ 1,204
▼ リプライ
「専門家の方がこう言うのは……相当なことですよね」
「ゼロ件ってどういうことだろう。一羽もいないって」
「この人の記録、いつも正確だから余計怖い」
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現場速報!道内遊撃レポーター✊ @genba_reporter_hokkaido
【速報】行方不明現場付近に来てみた‼️
つーかめちゃくちゃ警備おるんだけど笑
私有地の入口から200m手前で完全にシャットアウト
警備員3人に囲まれたわww
「立入禁止区域です」「関係者以外はご遠慮ください」の一点張り
でも雰囲気めっちゃ変じゃない?
普通の捜索ってこんな警備つく?
現場からは以上です✌️
891 ❤ 2,103
▼ リプライ
「ウマ娘の遭難らしいじゃん。身体能力あんだから自力で出てこいよ」
「↑普通に子供だし凍死するだろ」
「野次馬来んな邪魔」
現場速報!道内遊撃レポーター✊ @genba_reporter_hokkaido
帰り道、なんか変な感じした
山の方からずっと見られてる感じ?
気のせいかもしんないけど
なんか早歩きになってたわ笑
445 ❤ 1,876
▼ リプライ
「それ笑えないやつ」
「帰れてよかった」
「次行くのやめた方がいいと思う」
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真実の声・北の大地から @shinjitsu_kita_japan
【拡散希望】行方不明から4日目 名家の「隠蔽」について
現場は完全封鎖。私有地200m手前で取材すら拒否されました。
情報開示ゼロ、警備員異常配置。
これが普通の遭難捜索でしょうか?
子供が三人消えて、四日間、遺体も痕跡も出てこない。
正直に言います。
私は「もう保護されているが公表できない理由がある」という線が濃厚だと思っています。
名家が行政に圧力をかけている可能性は、誰でも考えますよね?
情報が出てこないのは、出せない事情があるからです。
引き続き、真実を追います。
チャンネル登録・拡散よろしく。
2,341 ❤ 6,109
▼ リプライ
「普通に捜索中だから入れないだけでは」
「子供が行方不明の場所に野次馬で来るのやめてほしい」
「チャンネル登録って言うな」
▼ 本人返信
「批判してる人こそ思考停止してる。調べてから物を言え」
103 ❤ 287