氷下の命脈ー放っておくには、雪が冷たすぎたー   作:冷やかし中華

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理由を問われれば、答えられなかった。

ただ、戻ってきてほしかった。
知らない子たちだったが、あの山の中にいるなら、帰ってきてほしかった。

それだけが、今夜わかっていることだった。


04-三.『明日も、入ります』

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胆振新報デジタル版 10月30日 12:03配信

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【続報】胆振管内・子供3人行方不明

捜索10日目 専門家「生存可能性は極めて低い」

 

胆振管内で子供3名が行方不明となっている件について、30日で捜索が10日目を迎えた。

 

山岳救助の専門家は「低温環境下での長期生存には限界がある」と指摘しており、今後の捜索方針をめぐり関係機関内で議論が生じているとみられる。

 

一方で、捜索を続けてきた猟友会関係者からは「諦めるべき段階ではない」との声も上がっており、方針をめぐる意見の相違が表面化しつつある。

 

現場付近での大型ヒグマの活動については、依然として複数の目撃・痕跡情報が寄せられており、捜索班の安全確保が課題となっている。

 

警察は引き続き情報提供を呼びかけている。

 

 □ この記事へのコメント(8,871件)

 ▼ 人気コメント

 「10日目か。正直もう……」

 「捜索隊の人たちの安全が一番大事。無理はしないでほしい」

 「諦めないでほしいけど、捜索隊の方も人間だし……」

 「もう見つかってないって発表したくないだけでは」

 (コメントの続きを見る)

 

 

    ※

 

 

十日目の夜は、静かだった。

 

吹雪ではなかった。風もなかった。雪が、音もなく降り続けていた。窓ガラスに張り付いて、溶けずにそのままになっていた。外の暗さが、邸宅の灯りを跳ね返して、窓が鈍く光っていた。

 

応接間に、人が集まっていた。

 

中村支部長だった。田中さんだった。コハギだった。それから、警察側の副隊長格の男だった。六人が、同じテーブルを囲んでいた。

 

山岳救助隊の隊長は、ここにいなかった。

 

今夜もビバーク組と共に、山の中にいる。

 

 

    ※

 

 

報告が始まったのは、夜の八時過ぎだった。

 

中村支部長が、今日の捜索範囲と明日の予定を説明した。田中さんが足跡の状況を補足した。副隊長格の男が積雪量と気象予報の数字を並べた。

 

「一点、今夜お伝えしなければならないことがあります」

 

田中さんが言った。声が低かった。

 

「今日、南西の斜面で跡が出ました。昨日より奥でした」

 

中村支部長が地図をテーブルに広げた。指が、ビバーク地点から三キロ先を指した。

 

三キロ。

 

アサマはその数字を、胸の奥に落とした。落とした瞬間、身体が先に答えを出した。

 

現役時代なら、四分かからない距離だ。

 

ここは、雪山だった。

 

スピードシンボリを見た。

 

スピードシンボリは、地図の上の一点を見ていた。同じ計算をした顔だった。同じ答えに、同じ場所で辿り着いた顔だった。目が、わずかに細くなった。言葉は要らなかった。

 

「昨日は何キロでしたか」とアサマは聞いた。

 

「五キロほどでした」

 

一日で二キロ、近づいた。

 

誰も動かなかった。

 

「この個体が、雪の中でどれくらいの速さで動けるか、わかりますか」

 

中村支部長が少し間を置いた。

 

「……平地なら、時速五十キロ近く出ます。雪山では落ちますが、それでも」

 

「三キロなら」

 

「二十分か、三十分あれば」

 

誰も何も言わなかった。

 

二十分か、三十分。

 

アサマは窓の外を見た。雪が降っていた。音もなく、ただ降っていた。その向こうに、山があった。その山の中に今夜、人が泊まっている。あの個体が、今夜もそちらに向かっている。

 

それだけの距離なのに、来なかった。来られるのに、十日間、来なかった。なぜか。測っているのか。別の何かを考えているのか。その問いだけが、頭の奥に残った。

 

「ビバーク組に連絡は」

 

「入れています。移動の準備を指示しました」

 

「隊長の判断は」

 

「可能なら今夜のうちに二キロ南へ。風下の沢筋に入れれば、気配を遮断できると」

 

その時、廊下の奥で無線の音がした。

 

全員が、その方角を向いた。

 

使用人が駆け足で来て、扉の前で止まった。

 

「山岳救助隊の隊長から、通信が入っています」

 

中村支部長が立ち上がった。

 

「借ります」

 

廊下へ出た。無線機を受け取る音がした。静かだったが、声は聞こえなかった。部屋の中に残った全員が、その音の方向を向いたまま、動かなかった。

 

しばらくして、中村支部長が戻ってきた。

 

「移動完了しました。ビバーク組、全員無事です」

 

誰かが、息を吐く音がした。

 

アサマは、自分がそうしていたことに気づかなかった。

 

田中さんが、低く言った。

 

「夜の雪山を歩くのは、本来やることじゃない。それでも、あそこに留まるよりはマシだと判断したんでしょう」

 

誰も答えなかった。答える言葉がなかった。

 

 

    ※

 

 

「対策は」

 

スピードシンボリが聞いた。

 

「全員、猟銃は携行しています」

 

田中さんが答えた。

 

「有効ですか」

 

田中さんは、少し間を置いた。

 

「……通常の個体なら、有効です」

 

「通常でない場合は」

 

田中さんは答えなかった。

 

答えないことが、答えだった。

 

コハギが、少し間を置いてから言った。

 

「……祖父から聞いた話があります。祖父も、そのまた祖父から聞いたと言っていました」

 

副隊長格の男が、コハギを見た。

 

「この山で、銃が効かなかったことがある、と。昔の話です。いつの話か、はっきりとはわからないのですが」

 

男は少し黙った。それから、手帳に何かを書き付けた。

 

コハギは田中さんを見た。中村支部長を見た。

 

二人とも、黙って頷いた。

 

否定しなかった。知っているのだとわかった。知っていて、今夜も山に入っている。

 

「捜索班の装備として、猟銃の携行は継続します。ただし——」と田中さんが続けた。「有効かどうかは、現場判断になります。今夜ビバーク組が移動したことで、距離は取れました。明日の状況次第です」

 

「明日の状況次第、というのは」

 

「あの個体が、また南西に向かっていれば」

 

言葉が、そこで止まった。

 

続きを言う必要は、なかった。全員が知っていた。知っていたから、誰も先を求めなかった。

 

 

    ※

 

 

副隊長格の男が、咳払いをした。

 

「一点、今後の方針についてお伝えしたいことがあります」

 

全員が男を向いた。

 

「現在の積雪状況と、向こう一週間の気象予報を総合しますと——捜索の継続が、捜索班自身の安全を著しく脅かす水準に達しつつあります」

 

アサマは動かなかった。

 

「生存の可能性について、現時点での専門的見解をお伝えする必要があります。これだけの低温と、これだけの日数が経過した場合——」

 

「その先は、結構です」

 

アサマの声は静かだった。

 

男が止まった。

 

「わかっています」とアサマは言った。「おっしゃりたいことは、わかっています」

 

言葉にすれば、それが事実になる。言葉にされる前は、まだどこかに余地がある。そういう理屈ではないとわかっていた。それでも、言わせなかった。今夜だけは。

 

男は少し間を置いた。

 

「費用対効果という観点からも、現状の全力態勢を継続することが——」

 

「費用は、こちらで出します」

 

スピードシンボリが言った。

 

男が顔を上げた。

 

「捜索費用の全額。追加の人員手配にかかる費用も含めて。シンボリ家とメジロ家が連名で動かせるものを、動かします」

 

男は少し間を置いた。

 

「……ご厚意はありがたいのですが、行政の捜索活動に民間から費用を受け取ることは、仕組み上——」

 

「わかっています」

 

スピードシンボリは静かに言った。

 

「仕組みの話は、承知しています。ただし、私たちが独自に動ける部分は動きます。あなた方のご判断を妨げる気はありません。ただ、私たちを止めることもできない」

 

男は何も言わなかった。

 

しばらく、テーブルの上の一点を見ていた。それから、手帳を開いて何かを書いた。ペンの先が、紙の上で一瞬だけ止まった。それだけだった。

 

「……持ち帰り、検討させていただきます」

 

それだけだった。答えではなかった。壁だった。丁寧な、崩せない壁だった。

 

スピードシンボリは、一拍置いた。

 

「穴持たずが、今夜三キロまで来ていました」

 

繰り返しだとわかっていた。全員が聞いていた。それでも言わずにいられなかった。

 

「この十日間で、足跡が三度、方向を変えています。春まで待てば、その個体が——」

 

スピードシンボリは最後まで言わなかった。

 

言葉が、喉の手前で止まった。止まったのではなく、止めた。

 

その先を言えば、今夜アサマが守ろうとしているものを、自分が壊すことになる。アサマが「わかっています」と言って、言葉の外に置いておいた何かを、自分の口から形にすることになる。それはできなかった。

 

言わなくても、全員がわかった。

 

テーブルを囲んだ六人全員が、スピードシンボリの言葉の続きを知っていた。知っていたから、誰も声に出さなかった。声に出さないことが、今夜このテーブルでできる唯一の、小さな約束だった。

 

男はしばらく、テーブルの上の一点を見ていた。

 

何かを考えていた。あるいは、何かを決めていた。

 

「……明日も、捜索を続けます」

 

静かに言った。

 

アサマはその言葉を聞いた。

 

明日も捜索を続けます。それだけだった。費用の話をしに来た人間が、帰り際に置いていった言葉だった。義務として言ったのか、それとも——この十日間の重さを、わずかでも知っている人間として、言わずにいられなかったのか。アサマには判断できなかった。どちらでもよかった。その言葉だけを、受け取った。

 

男が立ち上がった。礼をして、部屋を出た。足音が廊下に消えた。

 

扉が閉まった。

 

テーブルに、五人が残った。

 

時計の音がした。秒針が動く、小さな音。雪が窓を打つ音がした。

 

アサマは、冷めたお茶を見た。飲まなかった。ただ、そこにあるのを見ていた。

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

 

「……俺も、わかってる」

 

スピードシンボリが、低く言った。

 

テーブルの上の一点を見ていた。男が見ていたのと、同じ場所かもしれなかった。

 

「明日、交渉を続けます。費用と人員の追加について。動かせるものは全部動かします」

 

アサマはしばらく黙っていた。

 

「……そうですね」

 

やがて、言った。

 

「それを、してください」

 

田中さんが立ち上がった。中村支部長も続いた。コハギが腰まで折って、部屋を出た。

 

扉が閉まった。

 

アサマとスピードシンボリだけが、テーブルに残った。

 

言葉にできることは、今夜もう尽きていた。

 

言葉にできないことだけが、部屋の中に残っていた。窓に張り付いた雪のように、溶けずに、ただそこに貼り付いていた。

 

 

    ※

 

 

アサマは、しばらく後で一人になってから、窓の前に立った。

 

コハギに言われたことを、思い出していた。

 

今夜、山の方角を見てください。風がない夜に煙が立つなら、今夜がその夜です。

 

山が、暗闇の中にあった。雪が降っていた。音もなく、ただ降っていた。稜線は見えなかった。どこからどこまでが山でどこからが空なのか、もうわからなかった。

 

見ていた。どこを見ているのかもわからないまま、その方角を向いて、見ていた。

 

何もなかった。空だけがあった。暗い、何もない、冬の夜の空だけがあった。

 

それでも、アサマは見続けた。

 

五分が過ぎた。十分が過ぎた。

 

雪が、少しだけ弱まった瞬間があった。

 

その瞬間だった。

 

白い空の中に、白い空とは少しだけ質の違うものが、細く立っていた。

 

立っていた。確かに、あった。

 

アサマの息が、一瞬止まった。

 

煙だった。

 

アサマは動かなかった。動けなかった。眼が、その細い白さを捉えたまま離せなかった。消えないでいてくれ、と思った。思った瞬間に、また雪が強くなった。白さが、白さの中に溶けた。

 

なくなった。空だけになった。

 

アサマは、しばらくその方角を見続けた。もう一度、現れないかと思いながら。現れなかった。雪が降り続けた。山は、答えなかった。

 

でも、あった。確かに、あった。

 

この煙が本物なら、あの子たちはまだ冷たくない。

 

スピードシンボリが七日目に見たものを、今夜アサマも見た。

 

ガラスに手を当てた。冷たかった。ガラスの向こうの冷たさが、掌に伝わってきた。この冷たさの中に、あの子たちはいる。いるとしたら、あの煙の方角にいる。

 

あの子たちが、今夜も火の傍にいる。

 

その「としたら」を、アサマは今夜初めて、捨てないと決めた。

 

決めた、というより——決めさせてくれた何かが、あの細い白さの中にあった。

 

 

    ※

 

 

廊下に出ると、コハギがいた。

 

玄関のそばに立っていた。外套を着ていた。雪靴を履いていた。

 

「まだいたんですか」

 

「……はい」

 

コハギは少し俯いた。

 

「見ていてしまいました。大奥様が窓の前に立っているのが見えたので」

 

アサマはコハギを見た。

 

「見えましたか」

 

コハギは、ゆっくりと頷いた。

 

「見えました」

 

二人とも、しばらく何も言わなかった。廊下の奥で、柱時計が鳴っていた。

 

「煙が見えたということは」とコハギは言った。「あの人は今日も、あそこにいるということです」

 

アサマは答えなかった。

 

答えの代わりに、コハギを見た。十七か八の娘だった。山菜屋の娘が、十日間、毎朝この山に入ってきた。入ってきて、今夜も帰らずにいる。

 

「明日も、入りますか」

 

「はい」

 

「ありがとうございます」

 

コハギは腰まで折った。深く、丁寧な礼だった。

 

折ったまま、少し止まった。手拭いを、両手で強く握っていた。耳が、微かに後ろに傾いていた。

 

「……見つかってほしいんです」

 

顔を上げた。その目が、少しだけ赤かった。

 

「知らない子たちです。でも、あの山の中にいるなら、ちゃんと帰ってほしい」

 

アサマは何も言わなかった。

 

言葉は要らなかった。

 

コハギが頷いて、玄関扉を開けた。冷気が廊下まで入ってきた。雪靴が石畳を踏む音がして、扉が閉まった。

 

足音が、夜の中へ遠ざかっていった。

 

アサマは扉の前に立ったまま、しばらく動かなかった。

 

窓の外では、雪が降り続けていた。山の方角は、また暗くなっていた。でも、あの煙は確かにあった。あったということを、今夜アサマは知った。知っていた人間が、この邸宅の外にもいた。

 

それだけのことだった。

 

それだけのことが、今夜この廊下で、少しだけ重さを変えた。

 

 

    ※

 

 

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SNS投稿 10月30日 収集分

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医療関係者(匿名) @medical_hokkaido_anon

捜索が10日目に入ったということで、一医療従事者として、事実だけをお伝えします。

 

低体温症の環境下での生存限界は、一般的に72時間とされています。

ただし条件次第で大きく変動します。

 

「防風・防水・熱源の確保」この三点が揃っていれば、10日を超えた生存例が実際に存在します。

 

捜索を続けることに、医学的な意味はあります。

ただ、捜索班の方々の安全も同様に守られるべきです。

 

感情論ではなく、冷静な判断を。

 

ただ、捜索班の方々の安全も——本当に守られるべきです。

この山で二次災害が起きたら、誰も救えません。

 

どうか、全員が無事でありますように。

 

  12,341 ❤ 38,920

 

 ▼ リプライ

 「ありがとうございます。こういう情報が必要でした」

 「条件次第って……でも希望がある」

 「捜索隊の方々もどうかご無事で」

 「10日でも可能性があるなら、続けてほしい」

 「この情報、信頼できますか?匿名なので……」

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