氷下の命脈ー放っておくには、雪が冷たすぎたー   作:冷やかし中華

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「冷たいままにしておきたくない」

それだけのことだった。
神学でも、法律でも、費用対効果でもない。
ただ、それだけのことが、十三日間、声に出されずにいたことだった。

冷たくは、なかった。
部屋の中の者だけが、まだ知らなかった。


04-四.『俺たちには、俺たちの事情がある』

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胆振新報デジタル版 11月2日 07:12配信

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【続報】胆振管内・子供3人行方不明

捜索12日目 「名家の子女」報道相次ぐ 家族側は沈黙

 

胆振管内で行方不明となっている子供3名について、12日目を迎えた現在も発見に至っていない。

 

一部週刊誌および複数のSNSアカウントが、行方不明者が地元名家の子女であるとする情報を報道・拡散しており、捜索に関わる関係機関への取材申し込みが増加しているという。

 

当該家族の代理人は「プライバシーに関わる情報の拡散を強く自粛するよう求める」とのコメントを出したが、情報の拡散は続いている。

 

捜索を続ける山岳救助隊および猟友会は「憶測による報道が捜索活動の支障となっている」と異例の声明を出した。

 

 □ この記事へのコメント(14,203件)

 ▼ 人気コメント

 「名前まで出てきてる。本当にひどい」

 「名家だから特別に捜索してもらってるんじゃないの」

 「12日目でまだやってるの。税金の無駄では」

 「捜索隊の方々には感謝しかない。どうかご無事で」

 (コメントの続きを見る)

 

 

    ※

 

 

十三日目の朝は、曇っていた。

 

山が見えなかった。低い雲が稜線を飲んでいた。今日も捜索班が出られるかどうか、朝の段階では判断がつかなかった。玄関ホールに人が集まって、空の様子を窺いながら待っていた。待つことに、全員が慣れていた。慣れてしまっていた。

 

スピードシンボリは、その全員の顔を、順番に見た。

 

誰もが疲れていた。疲れ方の種類が、それぞれ違っていた。毎日山に入っている者の疲れ。毎日山を見て待っている者の疲れ。遠くから駆けつけて、駆けつけた先で何もできないでいる者の疲れ。同じ場所にいても、それぞれが違う時間を過ごしていた。

 

コハギだけが、雪靴のまま玄関の端に立っていた。

 

今朝もまだ雪靴を脱いでいなかった。もう習慣だとわかっていた。でも今朝は、別の理由があった。コハギの耳が、ほんの少し前に向いていた。山の方角を確かめている時の耳だった。

 

「何かありますか」

 

スピードシンボリが近づいて、小さく聞いた。

 

「……今朝、来る前に少しだけ山の入口に寄ってきました」

 

コハギは声を低くして答えた。

 

「跡が出ていました。昨夜の跡だと思います」

 

「距離は」

 

「ビバーク地点から、地形で読むと二キロ弱です」

 

一昨夜は三キロだった。昨夜は二キロ弱になった。

 

スピードシンボリは何も言わなかった。言わないことが、答えだとわかっていた。

 

「田中さんと中村支部長には伝えます」とコハギは続けた。「ただ——」

 

「ただ?」

 

「今朝の跡は、来た方角が違いました。今まで南西から来ていたのが、今朝は真南でした」

 

真南。捜索班が毎朝入るルートに近い方角だった。

 

スピードシンボリは、窓の外を見た。山が、雲の下に沈んでいた。今日は稜線が見えない。煙が立っていても、今日は見えない。

 

「わかりました。田中さんへの報告は、私からも確認します」

 

コハギは頷いた。腰まで折って、田中さんの方へ歩いていった。

 

 

    ※

 

 

話し合いが始まったのは、朝の八時過ぎだった。

 

警察の副隊長格の男と、猟友会の中村支部長と、田中さんと、コハギと、メジロアサマ。それから、この三日間で到着していたシリウスの両親と、ルドルフの母親。応接間に、これだけの人間が集まった。

 

副隊長格の男が、まず口を開いた。

 

「先日ご提案いただいた費用と人員の件について、持ち帰り検討した結果をお伝えします」

 

全員が男を向いた。

 

「民間からの費用受け取りについては、仕組み上、正式な形では受け取れません。ただし、独自に民間の専門業者を手配されることは、妨げません」

 

一拍置いた。

 

「……捜索班の中に、今夜もビバーク泊の者がいます。その者たちの安全については、私どもも——」

 

そこで止まった。

 

言葉の続きは出なかった。出せなかった。仕組みと、現場と、その間にある何かが、男の喉の前で詰まっていた。

 

スピードシンボリは頷かなかった。

 

壁は、形を変えてそのままそこにあった。

 

「独自に動ける部分は、すでに動かしています。ありがとうございます」

 

それだけ言った。

 

男は続けた。田中さんが足跡の状況を補足した。今朝の跡。二キロ弱。方角の変化。数字が並ぶほど、部屋の空気が重くなっていった。

 

「以上を踏まえまして——」

 

副隊長格の男が言いかけた時だった。

 

椅子を引く音がした。

 

シリウスの父親が、立ち上がっていた。

 

声を荒げたわけではなかった。テーブルを叩いたわけでも、男を遮ったわけでもなかった。ただ、立った。立ったことで、部屋の空気が変わった。それまで数字を追っていた全員の視線が、その人物に向いた。

 

十三日間、この人はほとんど何も言わなかった。

 

メジロアサマからの説明を聞いた。副隊長の報告を聞いた。スピードシンボリとのやり取りを、傍で聞いていた。シリウスの父親として、シンボリ家の人間として、この場に座り続けていた。その間、一言も発しなかった。

 

スピードシンボリはこの十三日間、何度かその横顔を見た。何かを言いかけて、止める瞬間を、一度だけ見た気がした。言葉を選んでいるのではなく、言葉を押さえ込んでいる人間の、静かさだった。

 

「……娘を」

 

低い声だった。

 

部屋中に聞こえる声ではなかった。それでも、全員が聞いた。聞こえた、というより、届いた。

 

「娘を、この山に置いていく気にはなれない」

 

副隊長格の男が顔を上げた。

 

「捜索は続けています。現状では安全上の——」

 

「置いていく、と言っているのではない」

 

シリウスの父親は男を見た。怒っていなかった。責めてもいなかった。ただ、言葉を選んでいた。十三日間、言葉を選び続けてきた人間が、今朝初めて声に出した言葉を、丁寧に置いていた。

 

「あの子が——あの子たちが、どこにいるとしても」

 

一度、止まった。

 

「シンボリの者が、冷たいままであっていい道理はない」

 

もう一度、止まった。

 

「冷たいままにしておきたくない。それだけのことです」

 

誰も何も言わなかった。

 

言えなかった。

 

「冷たいままにしておきたくない」という言葉が、部屋の中で形を持った。形を持った瞬間に、それまで言葉の外に置かれていたものが、輪郭を持った。アサマが十日目の夜に言わせなかったもの。スピードシンボリが喉の手前で引き戻してきたもの。この十三日間、誰もが知っていて、誰もが声に出さなかったもの。

 

それに、名前がついた。

 

冷たいままにしておきたくない、という言葉が、その名前だった。

 

ルドルフの母親が、口元を押さえた。声は出なかった。シリウスの母親が、夫の袖に手を触れた。それだけだった。

 

スピードシンボリは、シリウスの父親の背中を見ていた。

 

十三日間、黙ってきた人間が立った。その重さが、今この部屋の空気に溶けていた。引き戻させてはいけない、とスピードシンボリは思った。この言葉を、言葉の外に戻してはいけない。

 

副隊長格の男が、口を開いた。

 

「専門家としての意見を——」

 

「専門家の意見は、十分伺いました」

 

スピードシンボリが言った。

 

静かだった。怒鳴ってはいなかった。しかし、男の言葉はそこで止まった。

 

男がスピードシンボリを見た。

 

「あなた方の尽力は、わかっています」スピードシンボリは続けた。「この十三日間、毎日山に入ってくださったことも。判断が正しいことも。雪の中で人命を失うわけにはいかない——そのご判断は、正しい」

 

間を置いた。

 

「それでも——俺たちには、俺たちの事情がある」

 

男は何も言わなかった。

 

「あの子たちをどこで待つか。何を優先するかは、私たちが決めます。あなた方のご判断を妨げる気はありません。ただ、私たちを止めることもできない」

 

男はしばらくスピードシンボリを見ていた。

 

何かを測っていた。目の前にいる人間が、どこまで本気か。引き下がる余地があるかどうか。測って、答えを出した。

 

頷いた。

 

「……わかりました」

 

男が立ち上がった。礼をして、部屋を出た。足音が廊下を遠ざかっていった。

 

応接間に、残った者たちが座っていた。

 

シリウスの父親が、椅子に戻っていた。また座っていた。また静かになっていた。しかし、今朝の静かさは、この十三日間の静かさとは違った。言うべきことを言った人間の静かさだった。

 

メジロアサマが、シリウスの父親を見た。

 

何も言わなかった。言葉は要らなかった。ただ、少しだけ頷いた。

 

シリウスの父親は、窓の外を見ていた。山が見えない、曇った窓の外を。それでも、見ていた。

 

 

    ※

 

 

田中さんが残っていた。

 

コハギも残っていた。中村支部長も残っていた。三人は応接間の端に座って、地図を広げていた。今夜のビバーク移動の検討だった。

 

スピードシンボリは、その地図を覗き込んだ。

 

「今朝の跡が真南からということは」

 

「ええ」と田中さんが言った。「南西から南に変わった。理由はわかりません。ただ、方角が変わるということは、何かを測っている可能性があります」

 

「コハギさん」

 

コハギが顔を上げた。

 

「あの個体が、この十三日間、直接こちらに来なかった理由が何かあるとすれば」

 

コハギは少し間を置いた。

 

「わかりません」と言った。「ただ——」

 

地図の上に、指を置いた。

 

「南西。南。そして今朝、真南。確かめていないので確かではありませんが——弧を描いているように、見えます」

 

「弧」

 

「私たちのビバーク地点を中心にして、ぐるりと回り込むように動いている。風上になる位置を探しているのか、死角を探しているのか、理由はわかりません。ただ、ただ近づいているのではない、という気がします」

 

田中さんが地図を見た。中村支部長が地図を見た。二人とも何も言わなかった。

 

コハギは指を地図から離した。

 

あちら側。

 

スピードシンボリは、コハギが地図を見ずに、山の方角を向いていることに気づいた。地図ではなく、山を見ている。体で方角を確かめている。

 

「……あの人が、今もあそこにいるなら」とコハギは続けた。「あの個体を引き付けている何かが、あちらにある、ということかもしれません」

 

何かが。

 

スピードシンボリは、その言葉を聞いた。

 

確認する手段はなかった。確認できないまま、十三日が経っていた。煙を見た。見ていた。でも、届かなかった。届かないまま、今日も山が曇っていた。

 

 

    ※

 

 

昼過ぎに、一人の男が邸宅を訪ねてきた。

 

弁護士だと名乗った。名刺を差し出した。スピードシンボリは受け取って、一瞥した。

 

「この度の件につきまして、私どもの依頼人より、ご家族へのご連絡をと伺いました」

 

「依頼人は」

 

男は名刺の端を指で軽く押さえた。

 

「シンボリ産業の主要株主の一人でいらっしゃいます。ご子息の安否を大変心配されておりまして……長引けば、株主総会における議案提出の際に、企業としての危機管理体制について、一定の懸念を表明せざるを得ない、とのご意向です」

 

スピードシンボリは名刺を返した。

 

「危機管理体制、ですね」

 

「はい。ご家族のプライベートなご事情が、企業価値に影響を及ぼす可能性について、株主として真剣に検討せざるを得ない、と」

 

「帰ってください」

 

声は低く、しかし揺るがなかった。男は動きを止めた。

 

「……失礼しました」

 

礼をして、出ていった。

 

廊下に出たところで、アサマが立っていた。

 

「聞いていましたか」

 

「少しだけ」

 

「同じような形のものが、先週も来ました。直接ではなく、人を介して。今回は少し、形が変わりました」

 

「丁寧になった、ということです」

 

「ええ」

 

アサマは、廊下の窓の外を見た。山が、雲の下に沈んでいた。

 

「メジロ家への接触も、先週から増えています。ラモーヌの父方の——ある事業関係者から。内容は同じです。長引けば、という話です」

 

スピードシンボリは何も言わなかった。

 

長引けば。その言葉が、何度もこの邸宅に届いていた。形を変えながら、ルートを変えながら、届き続けていた。届くたびに、少しずつ何かを削っていった。名家であることが、守りではなく、攻撃の口実になっている。

 

「アサマさん」

 

「なんですか」

 

「今夜も山を見ますか」

 

アサマは少し間を置いた。

 

「見ます」

 

「俺も見ます」

 

アサマはスピードシンボリを見た。スピードシンボリは山の方角を向いていた。今日は雲が低くて、稜線が見えなかった。それでも、向いていた。

 

「捨てていません」

 

スピードシンボリが言った。

 

「俺は、まだ捨てていません」

 

アサマは何も言わなかった。

 

言わないことが、答えだった。

 

 

    ※

 

 

夜になって、捜索班が戻ってきた。

 

コハギが最後に戻った。玄関で雪靴を叩いて、一日分の山を落とした。スピードシンボリは、そのコハギを廊下で待っていた。

 

「今日の山は」

 

「……静かでした」

 

コハギは少し間を置いた。

 

「鳥は、今日もいませんでした」

 

「あの個体は」

 

「痕跡はありました。夜の移動の跡だと思います。ビバーク組は今夜、もう一キロ動きます。中村支部長が判断しました」

 

もう一キロ。

 

一昨日は三キロ。昨日は二キロ弱。明日の朝には、さらに縮まっているかもしれない距離。

 

「コハギさん」

 

「はい」

 

スピードシンボリはコハギを見た。十七か八の娘だった。十三日間、毎朝山に入ってきた。山を知っている。この山を、誰より知っている。

 

「正直に教えてください。あなたが今夜、一番心配していることは何ですか」

 

コハギは手拭いを、両手で握った。

 

「……あの個体が、方角を変えた理由です」

 

「南西から真南へ」

 

「はい。理由が測れていない。測れていない動きは、予測できません」

 

「予測できない、ということは」

 

コハギはしばらく黙っていた。

 

「明日の朝、また方角が変わっているかもしれません。それだけです」

 

それだけです、と言いながら、コハギの耳は山の方角を向いていた。意識してのことではなかった。体が先に反応していた。

 

スピードシンボリは、その耳の向きを見た。

 

コハギが向いている方角に、今夜も何かがいる。今夜も、誰かがそこにいる。その何かと、その誰かが、今夜も同じ山の中にある。

 

「ありがとうございます」

 

コハギが頷いた。雪靴の底で石畳を踏んで、夜の中へ出ていった。

 

扉が閉まった。

 

スピードシンボリは、扉の前に立ったまま、しばらく動かなかった。

 

廊下の奥で、柱時計が鳴っていた。一秒ずつ、積み上がっていく。

 

シリウスが、寒いのが苦手だということを、また思い出した。

 

考えるのをやめなかった。あの子の肩に、今夜も外套をかけてやれない。その事実だけを、静かに抱えていた。

 

 

    ※

 

 

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SNS投稿 11月3日 収集分

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道内在住 自営業 @hokkaido_jiei_2024

正直に言います。

 

13日目になりました。

専門家は「低体温症の生存限界は72時間」と言っています。

もちろん条件次第で変わることも知っています。

 

でも、13日間です。

 

捜索隊の方々にも家族がいます。ビバークしながら、あの雪山の中で、毎日動いてくれています。

 

そろそろ、「見つける」ではなく「帰ってくる」を優先することを、関係者の方々に考えてほしいと思います。

 

心からご冥福をお祈りします。

 

  8,234 ❤ 31,102

 

 ▼ リプライ

 「気持ちはわかるけど、まだわからないじゃないですか」

 「捜索隊の安全を心配するのは正しい。でもなぜ今」

 「ご冥福って……まだ見つかってもいないのに」

 「名家だから特別扱いしてるって言いたいんでしょ」

 「捜索を続けてほしいという声の方が多いと思う」

 ▼ 本人返信

 「批判は受け入れます。ただ現実を見てほしいだけです」

 

 

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普通の道民 @futsu_no_domin_55

聞いた話なんですが、今回の捜索って警察と猟友会が2週間近く総動員されてるんですよね。

 

この時期、農家や牧場への羆被害の対応とか、ほかの地域の安全確保とか、普通にあるじゃないですか。

 

名家の子の捜索のために、地域全体のリソースが割かれ続けてるの、正直どうなんですかね。

 

もちろん子供の命は大事です。

でも、同じくらい大事なものが、ほかにもあるんじゃないかと思ってしまいます。

 

  3,109 ❤ 9,872

 

 ▼ リプライ

 「これは正論だと思う」

 「子供が3人いるのに何言ってんの」

 「名家だから優遇されてるって言いたいの?」

 「捜索隊の方々が自分で判断して入ってるんじゃないの」

 「こういうこと言う人嫌い。でも気持ちはわかってしまう」

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