氷下の命脈ー放っておくには、雪が冷たすぎたー 作:冷やかし中華
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胆振新報デジタル版 11月4日 18:07配信
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【続報】胆振管内・子供3人行方不明
捜索14日目 「限界」指摘相次ぐ中、捜索継続
胆振管内で子供3名が行方不明となっている件について、捜索が14日目に入った現在も、発見に至っていない。
専門家や有識者からは「生存可能性は著しく低い」との見解が相次いでいるが、家族側は捜索の継続を求めており、関係機関は対応を継続している。
一方、長期捜索に伴う山岳救助隊員の消耗が深刻化しており、一部隊員の交代が行われたことが関係者への取材で判明した。
現場付近での大型ヒグマの活動も継続して確認されており、捜索班の安全確保を最優先とした対応が続いている。
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▼ 人気コメント
「交代が入ったか……それだけ消耗してるってことだよ」
「14日目。もう諦めてほしい、捜索隊の人たちのために」
「交代した隊員の方々、本当にお疲れ様でした」
「まだ諦めないでほしい。諦めないでください」
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※
十四日目の夕方、隊長が戻ってきた。
玄関扉が開いた瞬間、冷気が廊下まで流れ込んだ。
スピードシンボリは、その顔を見た。
十四日間、毎朝山に入り続けてきた人間の顔だった。疲れていた。それだけではなかった。消耗という言葉が正しかった。消耗しきって、まだそこに立っている人間の顔だった。
「……お疲れ様でした」
それだけ言った。言いながら、外套を受け取った使用人の手から、それをそのまま引き取った。
重かった。雪と水と泥が染みた外套の重さだった。
「温かいものを用意させます。すぐ」
隊長は一度だけ頷いた。
「報告があります」
隊長は言った。
「捜索班の疲労が、安全に支障を及ぼす水準に達しました。今夜、第二陣と交代します。中村支部長と田中さんが入ります。田中さんが紹介した方も一緒に」
スピードシンボリは動かなかった。
「コハギさんも、ということですか」
「はい。田中さんのご判断です。あの方が入れば、ビバーク地点からさらに奥まで行ける。田中さんはそう言っています」
スピードシンボリはしばらく、何も言わなかった。
コハギが、初めてビバーク組になる。十七か八の娘が、今夜から雪山のテントに泊まる。
「わかりました」
それだけ言った。
「一点だけ」
隊長が続けた。
「今夜の交代の前に、コハギさんから田中さんへの申し送りがあります。あの個体の方角が、また変わったと。南東から——さらに東寄りに動いているかもしれない、と」
東。
スピードシンボリは、その一語を胸の奥に落とした。南西から始まって、南、南東、そして東。弧を描いている。コハギが言った通りだった。
「わかりました。引き続き、お願いします」
隊長は頷いた。それから、廊下を歩いた。その足音が、ひどく重かった。重さの中に、十四日間分のものが詰まっていた。
スピードシンボリは、その背中を見ていた。
この人が戻ってきたことで、誰かが今夜山に入る。その誰かの中に、コハギがいる。
私たちを止めることはできない、と言った。言い続けた。その言葉の重さが、今夜は別の形で自分に返ってきた。
それでも、捨てていなかった。
捨てないと決めたんです、と言った。まだ、そうだった。
※
静止していた。
気配が、消えた。
長い日数をかけて山に染みついていた複数の気配が、まとめて南へ向かっていった。足音が遠ざかった。呼吸の音が消えた。金属の油の匂いが、風に散っていった。
鼻を上げた。
空気を深く吸い込んだ。肺の奥まで、冷たい風を流し込んだ。
何もなかった。
布の匂いが、かすかに残っていた。それだけだった。人の吐息も、体温も、もうない。
血が、疼いた。
疼きながら、止まらなかった。血の奥の、ずっと深いところで、何かが鳴っていた。
動かなかった。
鼻が、ゆっくりと風の向きを読んだ。北から南へ。
体が、雪に沈んだ。
質量の塊が、音もなく沈んだ。雪が体を包んだ。冷たさが、熱を奪った。奪いながら、体の芯を研ぎ澄ました。
耳が、立った。
新しい足音が、遠くから近づいてきた。複数。前の気配より、軽い。消耗していない。
鼻が、甘い匂いを捉えた。
甘かった。体が、それを知った。
舌が、唇の端を舐めた。
犬は、いなかった。今回も、いなかった。
金属の匂いがした。
動かなかった。
新しい気配の中に、一つ、違うものがあった。山を体で知っている踏み方だった。他と違う。それだけだった。
血の奥の何かが、また疼いた。
前の疼きとは、違う質だった。
しかし——血が、まだ鳴っていた。
あの障壁の気配が、山のどこかにいる。遠い。遠すぎて正確には読めない。でも、確かにいる。
腹を、さらに深く雪に沈めた。
動かなかった。
今夜は、動かなかった。
風が、また変わった。
※
テントを張り終えた頃、日が落ちていた。
コハギは手拭いで手を拭きながら、山の方角を一度見た。見なければよかった、とは思わなかった。でも、見た後で、首の後ろが冷えた。
冷気のせいではなかった。
視られている、と思った。
根拠はなかった。音も、気配も、はっきりとは感じなかった。ただ、山の暗さの中に、こちらを知っているものがいる気がした。目が合っているわけではなかった。でも、捉えられていた。
「コハギ」
田中さんが呼んだ。
「入れ」
コハギは山から目を離した。離してから、もう一度だけ見た。
何もなかった。
暗い木立が、雪の白さの中に沈んでいた。それだけだった。
テントの中に、六人が入った。
コハギは端に位置していた。
外の冷気が、布越しに伝わってくる。山を歩き慣れた体でも、この冷えは別物だった。日中、体を動かし続けているうちはわからない。止まった時に、冷えが来る。
田中さんが、消灯前に確認を取った。
「夜間は一人で外に出るな。用を足す時も、必ず声をかけてから」
全員が頷いた。コハギも頷いた。
「何かあったと思ったら、まず起こせ。一人で判断するな」
田中さんは静かに言った。長くやってきた人間の言い方だった。怒鳴らない。ただ、言い切る。言い切ることが、この場では法律だった。
「わかりました」
コハギは答えた。
灯りが消えた。
テントの外で、風の音がした。昨夜より、弱かった。弱い風が、布を静かに叩いていた。
耳が動いた。
意識してのことではなかった。山で眠る時の癖が、早くも体を支配し始めていた。音の中から、違う音を聞き分けようとする。風のノイズの向こうに、別の何かがないか。
鼻が、動いた。
テントの布越しに、外の空気が微かに入ってくる。雪の冷たさ。木の脂の匂い。それから——言葉にならない何かが、ほんの薄く、混じっていた。
今日の山に、なかったものだった。
昨日の山にも、なかった。
いつからか、という問いには答えられなかった。ただ、今夜は感じた。感じた、というだけで、確かではなかった。
コハギは寝袋の中で、息を浅くした。
外の音を聞いていた。
何も聞こえなかった。それは正しかった。風の夜に、この距離で特定の音を聞き取ることは難しい。それはわかっていた。
でも、耳が止まらなかった。
山を知っている体が、何かを知ろうとして、止まらなかった。
まどろんでいた。
眠っているのか、起きているのか、境界がなくなっていた。六人の中で唯一の女性という緊張が、体のどこかに残っていた。消耗した体が眠ろうとするのに、五感だけが眠ることを許さなかった。
その時だった。
―――ギ。
何かを耳が拾った。心臓が強く鳴った。耳を澄ませた。
――ハギ。
聞こえた気がした。何かが。また心臓が鳴った。
——コハギ。
今度は聞こえた。自分の名前だった。強くなる鼓動とは裏腹に、きつく目を瞑った。
——コハギ。
また聞こえた。聞き間違えではなかった。
低い音だった。誰の声かは、わからなかった。テントの中の声ではなかった。外から来たような気がした。気がした、というだけで、確かではなかった。
うっすらと、目蓋を開けた。身体を起こして、テントの中を見渡した。
一、二、三、四、五——六。
全員、いた。全員の呼吸が、それぞれの規則で続いていた。誰も起きていなかった。田中さんも、眠っていた。
誰も、呼んでいなかった。
目を閉じた。
また、まどろみの縁に戻っていった。でも耳は、閉じなかった。風の音を聞いていた。布が揺れる音を聞いていた。何かが混じっていないか、ずっと確かめていた。
また、風が鳴った。
四章は、五月中に完結予定だったのですが、仕事がタヒぬほど忙しくなったのと、諸般の事情で後半部分に関して見直しております。
なるべく早く再開するようにしますので、それまでの間、お待ちいただければ幸いです。