The Unsung Mission   作:Maat-ka-Usir

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気づいたら、とんでもない文量になっていました。
カッコいいユメ先輩が書きたい作者vsカッコいい連邦生徒会長を書きたいAIvs情けないシラクニちゃん大好き誤字修正AI もう滅茶苦茶です。
今回も最後まで読んでいただければ幸いです。


偽神の箱庭と、夢の終わり

ユメの、彼女の底知れない怒気を受け止める連邦生徒会会長は、しかし、どこまでも静かだった。

 

『……怒り、悲しみ。そして莫大な借金という不確定要素からの、神秘の爆発的向上』

 

連邦生徒会会長は、パチパチと爆ぜる炎の熱気すら意に介さず、ただ静かに目の前の少女を見下ろしていた。その酷薄なまでに冷静な瞳は、まるで出来の悪いテスト用紙の誤答を赤ペンでなぞるかのように、ユメという存在を分析し、評価を下していく。

 

『理解に苦しみます。なぜ、あなたはそこまでして、たかが一つの自治区に固執するのですか。…キヴォトスの最適化という絶対の命題の前では、いずれ切り捨てるべき誤差でしかないというのに』

 

『……たかが、じゃないよぉ』

 

ユメの声は、決して張り上げるようなものではなかった。

だが、その響きは地の底で煮えたぎるマグマのように深く、重く、夜の空気をビリビリと震わせた。

彼女の指が、ゆっくりと、一切の迷いのない滑らかな動作で、腰と背中のホルスターへと滑り込む。

 

チャキッ、と。

夜風を切り裂く、冷たく重厚な金属音が二つ、同時に屋上に響き渡った。

 

彼女が引き抜いたのは、本来であれば2丁で扱うことなど想定されていない、あまりにも異質で、不格好な二丁の大型リボルバーだった。

 

右手には、敵に罰を与え豊穣を約束する『殻竿ネケク』。

左手には、アビドスを統べる王権の象徴、『王笏ヘカ』。

重さも、重心も、射撃時の反動も、そしてそこに込められた意味合いすらも全く違う。

あまりにもいびつな、狂気の二丁拳銃。

 

――その瞬間、シラクニは、自身の理性が悲鳴を上げるのを聞いた。

(嘘でしょ。バランス、最悪じゃない。重さも反動も違う二丁を、同時に…ッ!? あんなので撃ったら、手首が粉々に…ッ!)

天才ハッカーの演算が導き出したのは、ただ一つ…長期戦になれば、相手に倒されるよりも早く、ユメが反動で自滅してしまうという絶望的な結論だった。

 

だが、第三者の視点、あるいは古き神話を知る者が見れば、その構えは別の意味を持っていた。

右手にネケクを左手にヘカを…

古代アビドスの王たるオシリスの権能が、今、この満身創痍の少女の身体を借りて、いびつで不完全なまま現臨したのだ。

 

「な、何よ……あのいびつな構え……。カッコいいけど、……なんか、怖いわよ」

セリカがポカンと口を開け、恐怖にも似た感嘆の声を漏らす。

 

そのセリカの横で、シロコが食い入るように画面を見つめ、低く呟く。

「…右手は、M329。スカンジウム合金フレーム。左手は、クラシックな鋼鉄製のM29。ん、これがユメ先輩の本気、多分」

 

先生は、何も言わなかった。

ただ胸が締め付けられるような思いで視線を注いでいた。

 

ユメは、いびつな二丁を力強く構え直した。限界を超えた集中力によって、頭上の黄金のヘイローが不穏なまでの輝きを放つ。

眼前に立つのは、連邦生徒会長。同じ生徒会長の席に連なる者。

 

しかし、一切の感情を排し、世界をただの数式として最適化しようとするその冷徹な在り方は、紛れもなく『キヴォトスというシステム』そのものだった。

ユメは、その理不尽なまでの超越者を真っ直ぐに睨み据え、魂の底から吠えた。

 

『アビドスは……可愛い後輩が、やっと見つけた「居場所」なんだよぉッ!!』

その咆哮が夜空を震わせた、まさにその瞬間。

 

――チャキッ。

 

瞬きすら許されない速度。音もなく、純白の超人の両手にも、二丁の巨大なリボルバーが握られていた。

右手には、一切の装飾を削ぎ落とした、暴力のためだけの漆黒の鉄の塊『Demiurge』

左手には、血と泥に塗れた戦場にはおよそ不釣り合いなほど美しく、神聖な金銀の幾何学的な彫金が施された『Sophia』。

 

それを見たシラクニは、その時代遅れなフォルムに、自身を支配する恐怖を誤魔化すように、思わず引きつった嘲笑を漏らした。

『……はっ。何よあれ、シングル・アクション・アーミー? ミレニアムじゃとっくに博物館行きのポンコツよ。こんな死線で、西部劇の真似事でもする気……?』

 

だが――映像を見つめる現在のアビドス部室で、シロコのオッドアイが戦慄に細められた。

 

「……違う。あれはSAAなんかじゃない」

「えっ? でも形はどう見ても、カウボーイが使ってるような古い拳銃じゃない!」

「ん。フォルムは似せてるけど、シリンダーの分厚さとフレームの強度が異常。……あれは、フリーダムアームズのモデル83」

 

シロコのただならぬ声色に、アヤネが慌てて手元のタブレットを叩く。

「モデル83……あ、ありました! 猛獣狩り用に極限まで強化された大型の狩猟用リボルバー……使用弾薬は、えっと…….454カスール弾!?」

 

「カスール弾……って、ユメ先輩の使ってる.44マグナム弾より強いの……?」

セリカの恐る恐るの問いに、先生が、ひどく重々しい口調で答えた。

 

「……単純な運動エネルギーで言えば、.44マグナムの約2倍だ。防弾ベストごと人体を粉砕し、象やサイすら撃ち倒すバケモノだよ。人間が両手で扱える限界点…普通は連射なんて不可能な代物だ」

 

先生の言葉に、部室の空気が完全に凍りつく。

 

画面の中の超人は、人間には制御不可能なはずのそのバケモノ二丁を、まるでオーケストラの指揮棒のように、寸分の狂いもない完璧な対称性で構えていた。

強烈な反動など、彼女のシステムの前には存在しないかのように。

 

『……理解に苦しみます』

 

感情の抜け落ちた超人の声音には、微かな、しかし確かな哀惜が混じっていた。

 

ドガァァァァンッ!!

 

静寂を破り、ユメが先手を取った。

満身創痍の身体からは想像もつかない踏み込みと共に、左手の『王笏ヘカ』が火を噴く。重厚な鋼鉄の銃身から放たれた.44マグナムの凶弾が、正確無比に超人の眉間へと迫る。

 

だが、超人は瞬き一つしなかった。

ただ涼しい顔で、左手に握った芸術品――『Sophia』の引き金を、指揮棒を振るうように軽やかに引いた。

 

ギャリィィィィンッ!!!

 

夜空で、強烈な閃光と激しい金属の破砕音が弾けた。

 

超人の放った弾丸が、ユメの.44マグナム弾と空中で『真正面』から激突したのだ。

そして、圧倒的な質量差の前に、ユメの放ったマグナムの弾頭はスライムのように無惨にひしゃげ、空中で粉々に粉砕されて散った。

 

それは、決して偶然などではない。

超人の左手にある『Sophia』は、ユメの筋肉の僅かな収縮、呼吸のタイミング、屋上に吹く風向き、そして銃身のコンマ数ミリの角度に至るすべてを演算し、導き出された『未来の弾道』を完璧に予知して撃ち落としていたのだ。

 

「な、弾を、弾で撃ち落とした……!?」

映像を見つめるセリカが、信じられないものを見るように絶望的な声を上げた。

 

「ん……ありえない。ただ撃ち落としたんじゃない、.454カスールカスール弾の質量で、.44マグナム弾を一方的にすり潰した……。あんなの、どうやって……」

シロコすらも冷や汗を流し、そのオッドアイを戦慄に揺らしている。

 

『無駄です。私の前では、あなたの足掻きはすべて既に計算された、つまらない既知の事象に過ぎません』

 

その無慈悲な宣告と、突きつけられた絶望的な事実を前に、ユメは戦慄した。

(……弾道を、完全に読まれてる。次元が違いすぎる……ッ!)

 

これ以上の戦闘は、背後にいるシラクニまで確実に巻き込んでしまう。

ユメは咄嗟に足元へ視線を落とすと、二丁拳銃を抜くために手放していた強靭なバリスティックシールド『IRON HORUS』を足の甲で激しく弾き上げた。

そして、アメミット☆ブレスを装填済みのショットガン『ネブ・アブジュ』ごと、背後のシラクニの胸へと強引に押し付けた。

 

『きゃっ……!?』

 

ズシィッ! と、常人には持ち上げるのすら困難な圧倒的な重量がのしかかり、シラクニがたたらを踏む。

ユメは、シラクニへ向けて悲痛なまでに吠えるように警告を発した。

 

『それを持って、離れて!! 格が違いすぎるッ!』

 

どんな窮地にあっても、決して底抜けの明るさを失わなかったアビドスのファラオ。その彼女の悲鳴に近い声には、誤魔化しようのない焦燥と、圧倒的な死の予感に対する「余裕のなさ」が生々しく滲んでいた。

 

シラクニは押し付けられた盾のあまりの重さに腕を軋ませながらも、即座に理解した。自分がいれば確実に足手まといになり、この次元の違う激突の『余波』だけで自分は肉片も残らず消し飛ぶと。

 

彼女は恐怖にガタガタと歯の根を鳴らしながら、重い盾を引きずるようにして、急いで瓦礫の陰へと逃げ込んだ。

 

圧倒的な実力に裏付けられた強者特有の余裕か、傲慢か、超人はシラクニが退避するまで動くことはなかった。

そして、超人が優雅な足取りで、静かに歩みを進める。

 

左手の『Sophia』が未来予測によってユメの回避ルートを完全に塞ぐように牽制射撃を行い、そして退路を絶たれたその場所へ――右手の『Demiurge』から、規格外の破壊力を持つカスール弾が容赦なく叩き込まれる。

 

ドガァン! ドガァン! ドガァン!!

 

『くはッ……、あああぁぁぁッ!!』

 

暴力的な質量が、屋上の分厚いコンクリートを豆腐のように抉り、巨大なクレーターを作って吹き飛ばす。

ユメは極度に軽量化された右手の『殻竿ネケク』と、重厚な左手の『王笏ヘカ』を交互に咆哮させ、必死の抵抗を試みる。強烈な反動が撃つたびに彼女の腕の骨と筋肉を激しく軋ませるが、ユメは決して足を止めなかった。

 

放たれる.44マグナムの凶弾。しかし、そのすべてが超人の『Sophia』による未来予知と、歩くような僅かな体捌きによって、虚しく宙を切るか、あるいはカスール弾によって空中で粉砕される。

 

防弾シールドすら紙くずに変えるカスール弾の衝撃波と破片の前に、ユメの身体は少しずつ、だが確実に削り取られていく。制服が赤く染まり、頬を掠めた銃弾が夜風の中に鮮血を散らした。

 

『……無駄な足掻きです』

 

硝煙と血煙の向こうから、一切の無駄なく、顔色一つ変えずにバケモノのようなカスール弾を連射する純白の超人が、酷薄な声で言い放つ。

 

『その程度の力……世界を灼いたゲヘナの雷帝には遠く及ばない。所詮、貴女は砂に沈む古王国の愚王に過ぎない』

 

『うるさいっ……!』

 

ユメは血を吐きながらも、両手のマグナムの引き金を絞り続ける。だが、弾丸は届かない。

その残酷なまでの「格の違い」は、瓦礫の陰で震えるシラクニの心を完全にへし折っていた。

 

『私の創る理の先にあるのは、絶対の平和です。悲劇もバグもない、完璧なユートピア。……そのためなら、多少の犠牲は仕方ないのです』

 

超人の冷徹な瞳が、満身創痍で足掻くユメを見下ろす。

『貴女に、私が開く楽園への切符は…ありません』

 

その言葉に、ユメの瞳に宿る黄金の光が、かつてないほどの激しい怒りとなって燃え上がった。

『貴女はそうやって昔から……何でもかんでも切り捨てて、神にでもなったつもりでッ!!』

 

吼える王。彼女の怒りは、自分の命が切り捨てられることに対してではない。血の通った生徒たちの痛みや、不格好に生きる未来すらも「犠牲」として冷酷に計算する、その神に対する根源的な怒りだった。

 

だが、超人は、その怒りすらも取るに足らないとばかりに冷たく受け流す。

『私は神ではありません。あぁ、『Sophia』が導き出した、未来を一つ、貴女にも教えてあげましょう』

 

ピタリ、と。

超人の右手に握られた『Demiurge』が、ユメの心臓を完璧にロックオンした。

 

『――小鳥遊ホシノ。……彼女は、いずれ雷帝以上の脅威となるのです』

 

『……えっ』

 

ユメの動きが、凍りついたように止まった。

マグナムを握る手に込められていた力が、嘘のように抜け落ちる。

 

『貴女も先ほど目にしたでしょう? 全てを無に帰す色彩に蹂躙されるキヴォトスを。……その教導者こそが、小鳥遊ホシノ』

 

クラフトチェンバーのデータから一瞬だけ漏れ出した、あの血のように赤い空と、砕け散った月の光景。

その絶望の中心に、あの小さくて不器用な後輩がいるというのか…

 

『そして、彼女をそこまでの脅威に至らしめる原因こそが……貴女という不確定因子。貴女の存在が、キヴォトスの未来に致命的なバグを生み出すのです。……だから』

 

――神の宣告――

 

(……ホシノちゃんが、脅威になる……? わたしが、原因で……?)

それは、ユメにとって自身の死よりも恐ろしい、最愛の後輩が『世界の敵』に堕ちるという、魂を砕く絶望の予言だった。

 

『消えなさい、イレギュラー!!』

『Demiurge』の引き金が、無慈悲に絞られた。

 

漆黒の暴力そのものを凝縮したような、不気味なまでの威圧感を放つ『Demiurge』

そのノンフルーテッド・シリンダーに収められたワイルドカートリッジ.454カスール弾。

通常以上に強化された暴力的な火薬量が、夜の屋上の静寂を粉砕する轟音と共に放たれた。

 

対して、もう片方の手で静かに夜風を切る『Sophia』には、およそ血なまぐさい戦場には似つかわしくない、神聖で幾何学的な金銀の象嵌が施され、冷たい月の光を反射している。

 

暴力的な不気味さと、侵しがたい神聖さ。

そのいびつで完璧な二面性を体現する純白の超人は、その刹那――。

 

『チェックメイトです、古き王よ』

 

感情を持たず、世界を最適化するだけのシステムであるはずの彼女の口角が。

ほんの僅かに、だが確かに、酷薄な弧を描いて吊り上がっていた。

それは、イレギュラーを排除できたことへの達成感か、あるいは神としての絶対的な傲慢が顔を出した瞬間だったのか。

 

ドォォォォォォォンッ!!!!!

 

次の瞬間。通常以上に強化された暴力的な火薬量が、夜の屋上の静寂を物理的に粉砕する轟音と共に放たれた。

 

予言の衝撃で硬直したユメの身体は、回避行動をとるコンマ数秒の猶予すら与えられず。

超高温のガスを纏ったバケモノのような弾丸は、一切の抵抗なく、ユメの胸のど真ん中、その心臓を、音速を超えて貫通した。

 

ギャリィィィッ!!

 

凄まじい風圧と衝撃波。制服の生地が弾け飛び、夥しい量の鮮血と、砕け散った骨の破片が、夜の空気の中に赤い華のように撒き散らされた。ユメの豊満な胸に、向こう側がはっきりと見えそうなほどの、風穴が開く。

 

糸が切れたように。アビドスの最強王、梔子ユメの身体が、仰向けに冷たいコンクリートの上へと崩れ落ちる。

そして、明滅していた彼女の太陽を模った黄金のヘイローが、音もなく、完全に、ショートして消滅した。

 

キヴォトスにおける、絶対的な『死』の瞬間だった。

 

『……あ、ぁ……』

 

瓦礫の陰、重厚な盾の裏で身を縮めていたシラクニの喉から、ひゅう、と間の抜けたような音が漏れた。

握りしめていたタブレットが、力なく指先から滑り落ちる。ガチャン、と画面が割れる乾いた音が、静まり返った屋上にやけに大きく響いた。

理不尽な暴力から自分を庇い、底抜けの笑顔を見せていたお人好しの王が、ただの物言わぬ血だまりに成り果てた。そのあまりにも唐突な光景は、シラクニの精神を根本から破壊し、発狂寸前のパニックへと陥れる。

 

――そして、その絶望は、時を超えて現在のアビドス部室をも完全に呑み込んでいた。

 

「嘘……でしょ? だって、ファラオなんでしょ……? あんなに強かったじゃない……! なんで、ヘイローが……消えてるのよ……ッ!?」

セリカが魂が抜け落ちたような掠れ声を漏らし、アヤネが「嫌です……っ」と両手で顔を覆って泣き崩れる。ノノミでさえ、完全に言葉を失い、ポロポロと涙を溢れさせていた。

 

「ん……ありえない。心臓を完全に破壊された。……ヘイローの消失。……完全な、死」

 

画面にへばりつくように見ていたシロコのオッドアイが見開かれ、その瞳孔が極限まで収縮している。

それは、歴戦の戦士としての単なる状況分析ではなかった。彼女の内に眠る『死を司る神』の神秘が、画面越しの事象を”覆るはずのない絶対の死”として本能で確信し、告げていたのだ。

キヴォトスにおける死の案内人。その彼女が下した判定だからこそ、その言葉には誰の言葉よりも重く、冷たく、絶望的な説得力があった。

 

先生は、ただ無言で拳を強く、爪が掌に食い込んで血が滲むほどに握りしめていた。

(……これが、ホシノがたった一人で背負い続けてきた『過去』の”真実”……。映像越しで初めて知った彼女の生き様が、こんなにも残酷に、無残に奪われたっていうのか……)

 

ホシノが頑なに語ろうとしない、偉大な先輩の最期。あの小さくて飄々とした少女が、どれほどの絶望と後悔を心の奥底に隠し持っていたのか。それを今、これほど惨たらしい形で突きつけられている事実。

胃が粟立つような吐き気と、どうしようもない無力感。部室の空気は冷たい泥のように沈み切り、すすり泣く声だけが響いていた。

 

――アヌビスの宣告通り、誰もが、彼女の物語はここで終わったのだと信じて疑わなかった。

 

映像の中の連邦生徒会長ですら、口角の笑みをスッと消し、死体となったユメから既に興味を失ったように視線を外した。そして、瓦礫の陰でガタガタと震える残るノイズへと、冷たい一瞥をくれる。

 

シラクニの足元には、先ほど絶望のあまり落とし、画面が完全に砕け散った『最新型のタブレット端末』が転がっていた。

 

『……排除の必要すらありませんね』

 

連邦生徒会長のシステムが、瞬時に状況を演算する。

「ユメの完全沈黙」。「機密データを抽出した端末の物理的破壊」。そして、残されたシラクニ自身の「脅威度ゼロ」という確定的事実。

 

『私の創る完璧な理の前では、貴女のような小石はノイズにすらなり得ない。そのまま、這いつくばって眼前より去りなさい』

 

彼女はシラクニを処理する必要さえない小物だと切り捨て、純白の靴音を響かせて背を向けた。

全ては計算通り。完璧な未来予知によって導かれた、イレギュラーの排除完了。……彼女はそう確信していた。

 

だが、それは致命的な『勘違い』だった。

シラクニが本当にデータを抽出した媒体は、タブレットではない。彼女のリュックの中に隠された、時代遅れで分厚い『古いノートパソコン』である。

 

連邦生徒会長は、未来を見通す神などではなかった。ただ、目に見える事象から極めて高度な確率計算を弾き出しているだけの、冷徹な『偽神』に過ぎなかったのだ。その完璧に見えた演算は、決定的な馬脚を現していた。

 

――そして、彼女の演算が導き出せなかった「致命的なバグ」が、もう一つ。

 

意識の底。

冷たく、暗い水を滑るように進む、冥府(ドゥアト)へと向かう古びた小舟の上。

ユメの魂は、一切の痛みのない静寂の中で、深く、甘い微睡みに落ちようとしていた。

 

(……ああ、わたし、死んじゃったんだぁ……)

 

胸を貫かれた致命傷。そしてヘイローの消失…

不思議と恐怖はなかった。むしろ、天文学的な借金の重圧や、終わりの見えない砂漠での穴掘り、そして左腕を砕くほどの激痛から解放され、このまま深い暗闇へと溶けていくのも悪くない。普通の、ちょっとポンコツなだけの少女としての『ユメ』は、安堵と共にそう思った。

 

(……ごめんね、ホシノちゃん。…あとのアビドスのことは、頼んだよ。未来の可愛い後輩たちを、守ってあげてね……)

まるで美しい映画の遺言のように、都合のいい、甘い願いだけを遺して眠りにつこうとした、その時だった。

 

――チャキリ、と。

 

冥府の静寂を切り裂くように、重厚で神聖な金属音が二つ、同時に響き渡った。

小舟の反対側。冥府の暗闇の中から、アビドスの夕暮れを思わせる、禍々しいほどに神々しい黄金の光を纏った、もう一人の自分が立っていた。

 

ポンコツなユメが、目を見開いてその姿を見つめる。

 

それは、生徒服を模したような、けれど古代の神秘が織り込まれた神聖なシェンティ(腰布)を纏った姿。胸には、真理を測る「マアトの天秤」と「アビドスの太陽」を象り、琥珀やラピスラズリ、そして本物の砂が埋め込まれた、重厚な黄金のペクトラル(胸飾り)が下げられている。

 

頭上には、ウレウス(聖蛇)の代わりにアビドスの黄金の太陽を象り、ダチョウの羽飾りが左右に伸びた、冥府の王たるオシリスのアテフ冠を模した禍々しいヘイローが輝いている。

 

左手には、ヒエログリフで『真理(マアト)』の文字が刻まれ、宝石が嵌め込まれた黄金の王笏ヘカ。右手には、敵を砂へと還す死の風を巻き起こす、宝石が嵌め込まれた黄金の殻竿ネケク。

 

死と再生を受け入れ、冥府の王としての絶対的な威厳を纏いながらも、その琥珀色の瞳には、ユメ特有の「困ったような、けれどすべてを受け入れるような優しさ」が、より深く、神話的な解像度で宿っていた。

 

『――本当に、それでいいの? わたし』

 

(……だって、仕方ないよぉ。あんなバケモノみたいな生徒会長、わたしなんかじゃどうしようもなかったし……。あとは、ホシノちゃんたちがなんとかしてくれるよぉ)

 

『「後輩を守ってあげて」。……そんな、呪いみたいな無責任な言葉をあの子に押し付けて、自分だけ楽な眠りにつくの?』

 

(え……呪い、って……)

 

『あの子はまだ、自分のことすら手一杯な、ただの傷ついた女の子なんだよ。それなのに、たった一人で、この死にゆく砂漠の学校を背負わせるの? ……わたしたちが逃げ出した、その重すぎる責任を』

 

甘い逃避に似た弱音を吐く等身大のユメを、アビドスのファラオたるユメは、容赦なく切り裂いていく。

冥府の川底にファラオたるユメはふわりと王笏ヘカを向ける

同時に、偽神が残した冷酷な予言が、冥府の川底から泥のように湧き上がってきた。

 

『――色彩の教導者こそ、小鳥遊ホシノ』

『――彼女を脅威に至らしめる原因こそが、貴女という不確定因子』

 

冥府の小舟の上で、ユメの魂が激しく粟立った。

 

『あの小さくて、不器用で、本当は誰よりも優しい後輩。彼女が未来で、絶望に染まり、色彩の教導者として世界を灼き尽くしてしまうのだとしたら。……それは紛れもなく、ここで彼女を一人置いて逃げた、「わたしたちのせい」だよ』

 

(そんな……わたしが、ホシノちゃんを……世界の敵に……?)

 

王としての自分が、静かに首を振る。

 

『ホシノちゃんが、本当はどう思っていたか……知っているでしょう?』

 

――「先輩はまた無茶ばっかり言って。少しは自分の身の丈に合った行動をしてくださいよ」

 

いつも口尖らせて、呆れたように吐き捨てていた後輩の言葉。

その裏に隠されていた本当の心は…。

 

ファラオたるユメが突きつけてくる、残酷な現実。

それは、自分自身の「優しさ」という皮を被った「無責任」に対する、決定的な断罪だった。

 

無責任でポンコツなユメの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。

(そんなの……絶対に、ダメだよ……ッ!!それに、わたしは……「後輩を守ってあげて」なんて、そんな都合のいい、甘い願いだけを遺して……なのにッ、自分は、それをホシノちゃんにしてあげられないの……?)

 

――ビリッ!!!

 

痛みのない、絶対的な静寂に包まれていたはずの冥界(ドゥアト)の空気が。

何か、分厚い紙か、あるいは「世界を隔てる壁」そのものが乱暴に破られるような音と共に、大きくひび割れた。

 

『そうやってふわふわと、奇跡だのなんだのって……貴女はアビドスの生徒会長なんですよッ!?』

 

冥府の暗闇に閃光のように奔ったのは、聞いたことのない、最愛の後輩の言葉。

それは、これから先の世界で、血の涙を流しながらあの子が叫ぶであろう、魂からの慟哭。

 

(……ホシノ、ちゃん)

 

『もう少し、その肩に乗った責任を自覚したらどうなんですかッ!!』

 

その、愛おしい叱責が、ユメの魂に強烈な楔を打ち込んだ。

等身大の「ポンコツなユメ」と、気高き「ファラオとしてのユメ」。二つの魂が、その声を聞いた瞬間に、ピタリと一つに重なり合う。

 

――そうだ。わたしは、アビドスの生徒会長だ。……アビドスの王だ。

 

あの子が必死に前を向こうとしているのに。あの子がッ…あんなにも悲痛な声で、わたしに「責任を持て」と伝えて来ているのにッ!!

自分だけがッ!!ここで責任を放棄して、冥府の闇で安らかに眠るなんてッ!!そんな身勝手は、絶対に許されないッ。

許される…ハズが無いッ!!今ッここで眠るわけには、いかないッ!!

 

(ホシノちゃんを一人にするくらいなら……!)

 

ユメは、深い微睡みへと誘う冥府の小舟の縁を、強く、強く掴んだ。

ミシミシと、死者の乗る舟が悲鳴を上げる。

ユメ”先輩”を前へ前へと進ませる動力源は、いつだって神の予言でも、ファラオの使命でもない。ただ一人の、後輩の存在だけなのだ。

 

『無責任でポンコツな梔子ユメはもう要らないッ!!ホシノちゃんの青春を脅かすモノがあるのなら、わたしがッ!!』

『だから…ッ!!』

 

連邦生徒会長が、システムによる演算の「完了」を確信し、冷徹に背を向けて歩き出そうとした。その刹那だった。

 

死を司る神の、覆るはずのない絶対的な死の判定。

それを、キヴォトスの理そのものを、根底から凌駕する事象が、音もなく発生した。

 

コンクリートに横たわり、物言わぬ死体となっていたユメの、血に濡れた指先が、ピク、と動いた。

 

(……っ!?)

 

目の前の光景にシラクニは、瓦礫の陰で重厚な『IRON HORUS』の裏に這いつくばったまま、悲鳴すら上げられずにガタガタと震えた。

 

(う、うそ……死んだ、はず……。ヘイローも、消えたのに……。なんで、動くのよ……ッ!)

 

彼女の喉は恐怖に張り付き、全身の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出る。死体が動くという本能的な恐怖、彼女の精神は完全にちびり上がり、指一本動かすことすらできずに硬直した。

 

ブラウン管越しにその「指先の動き」を目撃した先生は、拳を握りしめ、言葉を失っていた。

(……ホシノ。君は…)

 

前のシーンで聞こえた、尖っていて、必死で、不器用にユメを叱りつけるホシノの声。それは、痛切な本音だった。

先生は、ホシノがたった一人で抱えてきた過去の闇の深さに、改めて胸を締め付けられるような思いでいた。

 

「ん。……ありえない。完全な死を確認した。……ヘイローの消失は、絶対」

 

シロコのオッドアイが見開かれ、その瞳孔が極限まで収縮している。

アヌビスの神秘を持つ彼女が下した、覆るはずのない死の判定。

それが今、画面の向こうで覆ろうとしている。

 

背を向けて歩き出そうとしていた連邦生徒会長が、あり得ない気配に気付き、弾かれたように振り返る。

 

コンクリートに横たわるユメは、残された最期の神秘を燃やしていた。

右手の『殻竿ネケク』と、左手の『王笏ヘカ』。

血に塗れた両手の重厚な銃を、彼女は胸の風穴を隠すように、静かに、そして力強く「十字」に交差させた。

 

――その瞬間。

 

バチチチチチチッ!!!

 

キヴォトスの空間そのものが悲鳴を上げるような、激しいノイズ。

消滅していたはずの彼女の頭上に、新たなヘイローが再臨した。

だがそれは、先ほどまで彼女の頭上で煌々と輝いていた、生きるファラオたる『太陽神(ラー)』を模った黄金のヘイローではない。

 

真理を測る天秤と黄金の太陽を象り、どす黒く、禍々しい深淵の闇色でありながら、見る者の魂をひれ伏させるほどの圧倒的な神々しさを放つ、冥界の王たる『アテフ冠のヘイロー』。

どす黒く、禍々しい深淵の闇色でありながら、見る者の魂をひれ伏させるほどの圧倒的な神々しさを放つ光。

 

太陽神(ラー)から、冥界の王(オシリス)へ。

死という概念そのものを自らの権能として取り込み、現世へと帰還した『深淵のヘイロー』だった

 

『……、ぐあぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

 

胸に風穴を開けたまま。

王の口から、獣のような、けれどどこまでも神聖な、死を超克する咆哮が夜空に迸った。

死の淵、神話的な蘇りの儀式によって、彼女は自身の肉体を強制的に繋ぎ止めた。

胸の風穴。夥しい鮮血。骨が砕け、肉が引き裂かれたその致命傷。

その傷口が、古代アビドスの呪術的な神秘によって砂へと変わり、再び肉体として形成されていく。

骨を繋ぎ、肉を縫い、死を拒絶するその「死と再生」は、映像を見ているアビドスの面々に、恐怖すら感じさせるほどの異質な神秘だった。

 

『ありえない……。『Sophia』の未来演算をもってしても、死を超克するなどという事象は……!』

 

彼女の左手の 『Sophia』が、未来を指し示すことを完全に拒否し、ただ激しいエラーノイズだけを弾き出す。

完璧な超人の顔に、初めて、明確な「畏怖」の色が走った。

世界を最適化するシステムの演算には存在しない、「死からの蘇り」という巨大なバグ。

 

『……貴女は、9c74uMではなく、T3rr0r_だとでも言うのですか……!?』

 

超人の声には、これまでになかった、ひび割れたようなパニックが混じっていた。

彼女は、ユメの規格外の蘇りを、キヴォトス全土を脅かす色彩による「反転」だと誤認し、あるいはその可能性に初めて「恐怖」を感じていたのだ。

 

『システムが導き出す未来は、絶対……! 夢は終わり、恐怖が始まるとでも……!』

だが、超人は瞬時にその動揺を強引に切り捨て、氷のような冷徹さを取り戻す。

 

『……不合理なエラーです。システムが導き出した未来は、不変。蘇ろうとも、この場ですり潰すだけです』

 

漆黒の『Demiurge』の撃鉄が、再び引き起こされる。かつてゲヘナの雷帝と渡り合い、キヴォトスの理を執行してきたその力は、蘇ったばかりの亡霊など、微塵も意に介さない。

 

ユメは、死と再生の激痛に耐え、血を吐きながらも、その禍々しいヘイローを輝かせ、再びいびつな二丁を構え直した。

 

『……さあ。続きを、始めようか』

 

ドガァァァァァァァンッ!!!!!

 

漆黒の夜空を、深淵の闇色と、純白の閃光が十字に切り裂いた。

神と王の、文字通りの『神話的なラストバトル』の幕開けだった。

 

蘇ったユメの神秘は、以前とは比べ物にならないほど禍々しく、そして重厚なものへと変貌していた。

右手の『殻竿ネケク』からは、触れるものすべてを風化させ砂へと還す、冥府の死の風が巻き起こり、左手の『王笏ヘカ』からは、アビドスの真昼の太陽を凝縮したような超高熱のマグナム弾が放たれる。

 

対して、純白の超人は、一切の感情を排した完璧な対称で、.454カスール弾を涼しい顔で連射し続ける。

彼女の左手『Sophia』による未来予知は、ユメの神秘によって強化されたマグナムの弾道すらも冷徹に計算し尽くし、右手『Demiurge』の圧倒的な暴力が、冥府の風ごとユメの身体を容赦なく削り取っていく。

 

ドガァン! ドガァン! ドガァン!!

 

屋上のコンクリートが粉々に爆散し、暴風が吹き荒れる。

瓦礫の陰で、シラクニは『IRON HORUS』の裏に這いつくばりながら、理解を超えた殺し合いに、ただ戦慄し、息を呑むことしかできなかった。

 

激闘の最中。

連邦生徒会長は、ユメの変則的な動き、死と再生のメカニズム、そしてヘカとネケクの非対称な反動を利用した予期せぬ弾道のすべてを、瞬時にアップデートし続けていた。

 

(…演算完了。対象は死と再生を繰り返すごとに神秘を増幅させているが、肉体という器の崩壊は既に不可逆の領域。…『Sophia』の告げる最適解は、肉体ではなく、彼女の『神秘の根源』そのものを断つこと)

 

超人の瞳が、無機質で冷徹な光を帯びる。

次の瞬間、彼女はあえてユメの放った『王笏ヘカ』の一撃を受け入れる。

自らの体勢を崩し、純白の制服に朱くシミを作ってまで、たった一発の「絶対の必中弾」を放つための射線を確保した。

 

ドガァン!!

 

連邦生徒会長の放った一撃。

それは、ユメの心臓でも、頭部でもなかった。

 

彼女が左手の『Sophia』で予測し、右手の『Demiurge』で正確に撃ち抜いたのは――ユメの制服の襟元。そこに揺れる、一つの古びたパスケースだった。

 

キィンッ!! という、ガラスを砕くような甲高い音が夜空に響く。

 

ユメの制服に付いていた、王の証(カルトゥーシュ)を模した『アビドス生徒会証』。

借金まみれの泥臭い日々の中で、彼女が誇りを持って身につけ続けていたその小さなプラスチックの板が、超人のカスール弾によって無惨に粉砕され、夜風の中に無価値な破片となって飛び散った。

 

――その瞬間。

 

【記録外指定事象・抹消】

 

―― Damnatio Memoriae ――

 

キヴォトスで、静かな、けれど決定的な絶望のノイズが走った。

『梔子ユメ』という存在が、公的記録から、システムから、まるで風に吹かれた砂の城のようにサラサラと崩れ去り、消滅していく。

 

現在のアビドス部室で映像を見ていたアヤネが、悲鳴を上げた。

「えっ……!? 画面が……ユメ先輩の姿が、ノイズで……!」

ブラウン管に映るユメの姿に、激しいブロックノイズが走り始めた。それはテープの劣化ではない。キヴォトスの理が、過去の映像記録からすらも、彼女の存在を『なかったこと』にしようと執行を始めた証だった。

 

『……、……え』

 

ユメの頭上で禍々しく輝いていた、冥府の王たるアテフ冠のヘイロー。

カルトゥーシュ(神秘の根源)を破壊された瞬間、その絶対的な輝きがステンドグラスのようにひび割れ、光の粒子となってボロボロと空へ溶け出し始めた。

 

蘇りの神秘で繋ぎ止めていた、彼女の存在そのものが、世界から剥がれ落ちていく。

誰の記憶からも消え、痕跡すらも砂に埋もれる。死よりも残酷な、存在の抹消。

 

『……不確定因子への、有効打、確かに確認しました』

 

超人は、襟元のカルトゥーシュを失い、崩れゆくユメを、ただ静かに見下ろした。

 

『名(カルトゥーシュ)を失ったファラオに、王としての権能はありません。これで、貴女が残したエラーはキヴォトスから完全に消去される。……貴女の夢は、ここで終わりです』

 

『Demiurge』の撃鉄が、引導を渡すために三度、引き起こされる。

誰もが、今度こそ終わったと絶望した。

 

世界から忘れ去られ、神秘を失い、ただの血まみれでボロボロの少女へと戻っていくユメに、神の理に抗う力など、もう一欠片も残っているはずがないと。

 

――しかし。

 

カルトゥーシュを失い、ノイズに塗れ、ヘイローが砕け散っていくユメの瞳。

そこに宿る「光」だけは、まだ決して死んではいなかった。

 

彼女は、自身の存在が世界から忘れ去られていく、その魂を削り取られるような喪失感に晒されながらも。

むしろ、自身の存在が綺麗さっぱり消え去ることで、忌まわしい予言の呪縛が解け、最愛の後輩の未来が『世界の敵』という運命から解放されるのだとしたら。

 

(……うん。これで、いいんだ)

 

くちなしの花のように、白く儚く、そして気高く。

彼女は、自身が消えゆく運命を、最高のお人好しの笑顔で受け入れた。

 

だが、それでおとなしく屈する彼女ではない。

彼女はアビドスの生徒会長だ。後輩に理不尽な重圧を押し付ける、この傲慢な世界に対して、先輩として、最後に一発だけ、盛大なお見舞いをしてやらなければ気が済まない。

 

ユメは、震える右手で、重厚な鋼鉄の『王笏ヘカ』をだらりと下げると、親指でシリンダーラッチを押し込んだ。

 

手首を、鋭く振る。

 

チャキッ、と重たい金属音を立ててシリンダーが横に振り出され、熱を持った空の薬莢たちが、カラン、カランと冷たいコンクリートの上へ虚しく転がり落ちた。

 

もう、神秘の加護はない。

彼女は、血と泥に塗れた指を制服のポケットへと滑り込ませ、一番奥底に忍ばせていた『最後の一発』を取り出した。

 

黄金色に鈍く光る、特製の.44マグナム強装弾。

弾頭の表面には、不格好な手彫りのヒエログリフで『マアト』と刻まれている。いつか、アビドスの枯れたオアシスで泥だらけになって発掘した未知の鉱石を削り、彼女自身が夜なべして弾頭に仕立て上げた、お守りのような一発だ。

 

指先が震え、うまく力が入らない。

それでも彼女は、自身の存在が薄れゆく恐怖を噛み殺し、祈るようにその一発をシリンダーへと近づける。

 

(…ホシノちゃん。ふふっ、お元気でね…)

 

弾丸を薬室へと滑り込ませる、その僅か数秒の間に。

彼女の脳裏を、走馬灯のような万感の思いが駆け巡った。

 

見渡す限りの果てしない砂漠。天文学的な数字が並ぶ借金の催促状。

馬鹿みたいにでっかいクジラのぬいぐるみ。

そして何より、あの埃っぽい夕暮れの部室で、呆れ顔で、けれどどこか嬉しそうに自分を呼ぶ、愛おしいオッドアイの後輩の顔。

 

たった一つの弾丸に。

その暖かくて、不格好で、最高に愛おしい「アビドスでの日々」の全ての記憶を込める。

自分の存在が世界から消え去ろうとも、この弾丸に込めた『想い』だけは、絶対に消させはしない。

 

――カチリ。

 

澄んだ音を立てて、冷たい薬室に、真理の弾丸が収まった。

 

ユメは、血まみれの自身の太ももにシリンダーを強く押し当て、ガチャンッ! と乱暴に銃を閉鎖する。

そして、感覚を失いかけの右腕を、己の執念と、残された骨の髄だけを支えにして、ゆっくりと、神へと真っ直ぐに持ち上げた。

 

ギリリリ……と、死に絶えようとする筋肉を強制的に駆動させ、親指で重厚な撃鉄を引き起こす。

 

唯人の使う弾など通用しないと、傲慢にも余裕を見せていた連邦生徒会長に向け。

ただの泥だらけで不器用な一人の少女が、限界を超えた引き金を引く。

 

『アビドスに明日を!!ホシノちゃんに、黄金色の青春を!!』

 

ガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!

 

それは、神秘なき彼女が放った、神への儚いレジスタンス。

限界のさらに向こう側、弾け飛ぶ自身の右腕の肉と引き換えに放たれた『王笏ヘカ』の.44マグナム弾。

 

彼女がこれまでの過酷な人生の中で積み上げてきた、泥だらけの愛と、後輩への想い、そして意地。そのすべての感情を、ただの鉛の弾丸に圧縮して撃ち出した、真理の一撃。

 

【 マアト 】

 

これは、神秘なき彼女が「悲劇のない完璧な箱庭」を謳う神へと向けた最初で最期の殺意。

泥だらけで、不格好で、間違えたり、傷ついたり……それでも、自分たちの足で歩いて選び取る『明日』こそが、何よりも美しい真理であると。

 

後輩の安寧を願う王の、最初で最後の神への傲慢。

そのあまりにも理不尽で、演算不可能な一撃の速度に、連邦生徒会長が悲鳴を上げた。

 

『――っ!? 第1種から第4種までの多重防壁、全展開……ッ!!』

 

超人は咄嗟に空間の防壁を何重にも展開し、対抗しようとした。

だが、すべての理を無視して直進する『マアト』の弾丸は、青白いホログラムの防壁をまるで薄いガラスのように次々と叩き割り――。

 

――キィィィィィィンッ!!!!

 

夜の空気を切り裂く、ひどく硬質で、甲高い破砕音。

弾丸が直撃したのは、連邦生徒会長の左手。

彼女の「完璧な計算」と「未来予知」の象徴であり、美しく神聖な金銀の彫金が施された芸術品――『Sophia』の、その銃身のど真ん中だった。

 

圧倒的な意志の力の衝突。

絶対の強度を誇っていたはずの芸術的な銃身が、見るも無惨にひしゃげ、ひび割れ、精巧なシリンダーのパーツがパラパラと無価値な鉄屑になってコンクリートへ弾け飛ぶ。

 

『私の……理が……っ!?』

 

銃を破壊された衝撃が超人の左腕を激しく跳ね上げ、その純白の身体が、屋上のコンクリートの上を数メートル、無様によろめき後退した。

 

――完璧な対称が、崩れた。

 

芸術的なタクトをへし折られ、右手の『Demiurge』だけを残して呆然と立ち尽くす超人。

硝煙が、夜明け前の冷たい風に千切れていく。

屋上のコンクリートの上に散乱する、金銀の美しい彫金――完璧なる神のタクト『Sophia』の無惨な残骸が、群青色の空の下で微かに瞬いていた。

 

連邦生徒会長は、空になった己の左手と、自らの理を砕いた眼前の少女を静かに見下ろした。

 

彼女が目指していたのは「キヴォトスという箱庭の、完全なる安寧」である。悲劇も、不条理も、理不尽な喪失も存在しない、傷のない整然たる未来。そのためには、過去の遺物である古き願いは、痛みを伴わずに上書きされねばならなかった。

彼女の願うユートピアは、強烈な傲慢であると同時に、世界全体に向けた彼女なりの「巨大で冷徹な愛」だった。

 

だが、その計算は今、一人の少女の血に塗れた執念によって打ち砕かれた。

 

『……理解に苦しみます』

感情の抜け落ちた超人の声音には、微かな、しかし確かな哀惜が混じっていた。

 

『私の創る理の先にあるのは、絶対の平和です。あなたがその身を挺して守ろうとした後輩も、私の箱庭であれば、二度と理不尽な傷を負うことなく、美しい永遠の中で生きられたはず。…あのような結末さえも変えて…なぜ、その安寧を拒むのです』

 

それは、愚か者への非難ではなく、あまりにも非合理な選択への純粋な問いだった。

眼前のユメの肉体は、既に致命的な崩壊を始めている。

限界の向こう側から放たれた『マアト』は、自らの右腕と、命の灯火そのものを代償にした、一度きりの奇跡。

血に染まった制服は痛々しく、カルトゥーシュを失い消えかかっている彼女の存在は、風前の灯火のようにノイズに塗れていた。

 

それでも。

消滅を宣告されたユメの顔に浮かんでいたのは、花が咲くような、ひどく穏やかな微笑みだった。

 

『……うん。きっと、あなたの言う通りなんだろうね』

 

血の滲む唇から紡がれる声は、酷く掠れて、けれどどこまでも優しかった。

ユメは痛みを堪えながら、自身の足で真っ直ぐに立ち続ける。

 

『あなたの創る世界は、きっと正しくて、誰も傷つかなくて済む、完璧な「夢」なんだと思う。……でもね』

 

ユメは、ゆっくりと白み始めた東の空へ視線を向けた。

夜の帳が引き剥がされ、暖かな”暁の光”が、二人の横顔を照らし出す。

 

『あたたかくて、ずっと見ていたい夢でも……朝が来たら、人は起きなくちゃいけないんだよ。だって、夢は終わりを告げるものだから』

 

『……自ら朽ちゆく運命を選び、その喪失の痛みすら、愛する後輩に背負わせるというのですか。それが、あなたの言う「明日」ですか』

 

連邦生徒会長の言葉は、氷のように鋭く、ユメの胸を抉る。

しかし、古き王の眼差しは揺るがなかった。

 

『違うよ。わたしが終わることで、ホシノちゃんの「明日」が始まるの』

 

ユメは、同年代の少女を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと告げた。

 

『人が生きていく世界は、誰かが決めた完璧な箱庭なんかじゃなくていい。泥だらけで、不格好で、間違えたり、傷ついたり……それでも、自分で選び取る「明日」じゃなきゃいけないんだよ。わたしは、その後輩の明日を守ってあげたかっただけ…』

 

それは、ただ一人の少女の未来を願う、あまりにも人間らしく、非合理で、美しい祈りだった。

連邦生徒会長は、静かに目を伏せた。

 

完璧な未来を祈る少女と、愛する者の明日を祈る少女。

どちらも世界の安寧を願いながら、決して交わることのない二つのイデオロギーが、屋上の風の中で確かに衝突し――そして、完璧な計算機が、バグの想いを受け入れた。

 

チャキッ、と。

生徒会長は、右手で唸りを上げていた『Demiurge』の撃鉄を静かに戻し、銃を下ろした。

 

『……不合理なエラーです。既に命脈の尽きた亡霊に、これ以上のリソースを割く意味はありません。このバグは、次回の観測に持ち越すとしましょう』

 

振り向いた生徒会長の純白の姿が、蜃気楼のように揺らぐ。

彼女は最後に一度だけ、血だらけで、しかし誰よりも気高く立ち尽くす王を一瞥し――世界を書き換えるノイズと共に、屋上から完全に姿を消した。

 

偽神は去った。

後に残されたのは、吹き抜ける朝の風と、寂寥たる静寂だけ。

 

『……へへっ。ざまぁみろ、だよ……っ』

 

ズタズタに引き裂かれた右腕から血を滴らせながら、満足げに笑うユメの姿があった。

 

そして、

『シラクニちゃんッ!! 飛ぶよぉッ!!』

 

ユメは、完全に消滅しかけている身体の最後の力を振り絞り、瓦礫の陰でへたり込んでいたシラクニの襟首を強引に掴み上げた。

 

『えっ、ちょっと、嘘でしょバカユメェェェェッ!? 盾は!? 盾はどうすんのよ!!』

 

『そんな重たいの、置いてくよぉ!!』

 

パニックに陥るシラクニの悲鳴を置き去りに。

ユメは、煌びやかなネオンが宝石のように瞬くキヴォトスの夜明けの空へと、一切の躊躇うことなく、その身を投げ出した。

 

暗い空へと落下していくユメの顔に浮かんでいたのは、死への恐怖でも、忘れ去られることへの絶望でもなく。

どこまでも自由で痛快な、してやったりの、最高にお人好しな笑顔だった。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございます。
完全に迷走しZ級映画に並ぶ、内容の整合性の無さになってしまいました。
次回で完結予定です。
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