1万の竜に滅ぼされる世界に転生した。 作:絶望の未来
銀色の残光は、霧散した。
『
傍らに立つドラコの姿が、陽炎のように薄く透けていく。
「……すみません、マスター。魔力の供給が……途絶えました……」
「…………下がってろ」
掠れた声で、消えゆく相棒を影へと押し戻す。
目の前には、退屈そうに本を捲るマルド・ギール。
「無意味な抵抗だ。魔力を失った魔導士が、何をもって我ら悪魔に抗う?」
マルド・ギールが指を弾く。
刹那、大地から無数の漆黒の荊(いばら)が噴出し、俺の四肢を、胴を、容赦なく貫かんと襲いかかった。
「
「…………ッ!」
回避する魔力も、防御を張る余力もない。
俺はただ、無言で両腕を交差し、急所を護る一点にのみ全神経を集中させた。
――ガギィンッ!
肉を裂く音ではなく、硬質な物体が衝突する音が響く。マルド・ギールが眉をひそめた。本来なら串刺しにするはずの荊が、少年の皮膚を貫けず、表面を削るに留まっている。
「……ほう。呪法を受けて、その程度か。貴様の肉体……もはや人の皮を被った魔獣の類だな」
飛竜の谷での2年半。毒に侵され、炎に焼かれ、数万回の打撃を浴び続けて変質した肉体。魔力が空になろうとも、骨身に刻まれた「耐性」と「密度」だけは、神話の領域に達していたのかもしれない。
「…………ああ、効かないな。……これくらいじゃ」
吐血混じりに、俺は一歩、踏み出す。魔力による強化ではない。ただの筋力、ただの執念。
「……未来を泣かせた絶望が、……この程度なわけ、ないだろ」
呪法の荊を引きちぎり、無防備な拳を固める。魔力を纏わぬ、ただの「拳」。だが、その一歩ごとに、踏みしめた地面が俺の異常な自重で沈み込む。
「身の程知らずが。……肉体が滅びぬなら、精神を摩耗させてやろう」
マルドギールの目が冷酷な色を帯びる。
一方的な蹂躙が始まった。音速を超える荊の乱打が俺の体を打ち据え、岩壁へと叩きつけ、地面へと埋没させる。防戦一方。反撃の糸口すらない。
それでも。
泥に塗れ、全身から血を流しながらも、俺は一度として悲鳴を上げず、虚ろな、しかし昏く燃える瞳で冥府の王を睨み据え続けていられた。
視界が爆ぜる。無数の荊(いばら)が、逃げ場のない嵐となって俺の体を打ち据えた。魔力防御のない肉体は、一撃ごとに悲鳴を上げ、皮膚は裂け、骨が軋む。だが、俺の意識は皮肉にも冴え渡っていた。
「…………(これ、だけか)」
飛竜の谷で浴びた、山を砕くブレス。猛毒の爪。それに比べれば、この呪法の痛みすら「耐えられる範疇」でしかない。
マルドギールが退屈そうに、トドメの一撃として巨大な荊の槍を振り下ろした。
今だ!!
「……果てろ。人間」
その瞬間。俺は回避を捨て、最短距離で一歩、踏み込んだ。
踏みしめた足元の岩盤が、魔力ではなく純粋な脚力だけで粉砕される。
「…………ッ!」
突き出した右拳。魔力は一滴も残っていない。光の尾も、衝撃波もない。
だが、そこには星の重力を浴び続け、鋼鉄を素手で引きちぎるまでになった「質量」が宿っていた。
――ドォォォォンッ!
マルドギールの腹部に、拳がめり込む。物理的な衝撃波が、彼の背後の空気をドーナツ状に押し広げた。
「……なっ、がはっ……!?」
冥府の王の顔が、驚愕と苦痛に歪む。魔力による攻撃ではない。ただの肉の塊が、呪力を貫通して「実体」を物理的に粉砕しに来たのだ。
マルドギールの体が、クレーターの縁を数十メートルも滑るように吹き飛んだ。
「…………まだ、だ」
止まらない。よろめく俺の体。視界は掠れ、意識は遠のく。
それでも、俺は引き戻した左の拳を、さらに強く握り込んだ。
飛竜の谷で、何度死にかけた?一万の絶望に勝つために、俺は何を捨ててきた?
2撃目。体勢を立て直そうとしたマルドギールの顔面に、無骨な拳を叩き込む。鈍い音と共に、冥府の王の端正な顔が横に振られ、彼が手にしていた書物が宙を舞った。
「……き、さま……人間、風情が……!」
マルドギールの瞳に、初めて明確な「殺意」が宿る。俺は二発の拳を放った代償に、右腕の筋肉が断裂し、そのまま前のめりに崩れ落ちた。魔力も、体力も、文字通り全てを使い果たした。
「…………ふ、ぅ……」
泥を舐めながら、俺はそれでも、倒れ伏した地面で不敵に口角を上げた。1万のドラゴンを前に、悪魔の王に「一太刀」入れた。
一瞬だけ思った。これなら、……まだ、戦えると。
「……不快だ。人間風情の拳に、マルドギールが身を委ねる屈辱……。もはや塵も残さぬと決めた。見せてやろう、マルドギールの究極体である、エーテリアスフォームを」
マルドギールの声から感情が消えた。刹那、彼の肉体が膨れ上がり、漆黒の呪力が暴風となって谷を吹き抜ける。端正だった顔面は異形の仮面へと変わり、背中からは夜を切り裂くような巨大な悪魔の翼が突き出した。
『エーテリアスフォーム』
それは、究極の呪いそのものが受肉した姿。マルドギールの翼が羽ばたいた。
「…………(速い!!)」
思考が追いつかない。次の瞬間、俺の視界からは景色が消え、強烈な衝撃と共に背後の岩壁へと叩きつけられていた。回避どころか、彼が動いたことすら認識できない。
――ドガァァンッ!
岩山が半分ほど崩落し、俺の体はその下敷きになる。吐き出した血が、自分の視界を赤く染める。
「…………っ、が、は……」
「喚くな。その無意味な命、一秒ごとに削り取ってやろう」
追撃。マルド・ギールが虚空を薙げば、無数の漆黒の荊が「光速」で俺の全身を貫き、縫い止める。先程までの比ではない。一本一本が、
左肩が砕け、右足の腱が断たれる。俺はただ、串刺しにされたまま、宙吊りの状態で冥府の王に弄ばれるしかなかった。
「……ほう。まだ意識があるか。その強靭な肉体、刻んでバラせば何秒保つか試すとしよう」
マルドギールの巨大な爪が、俺の胸元を容赦なく裂く。骨が削れる不快な音が鼓膜に響き、内臓が冷気に晒される感覚。
2年半の修行で得た「耐性」すら、エーテリアスフォームの呪力の前では紙細工に等しかった。
「……………………」
叫ぶ気力さえない。ただ、自分の体から溢れ出す血の温かさだけが、自分がまだ生きていることを教えてくれる。
マルドギールは冷酷な笑みを浮かべ、その異形の掌を俺の至近距離に掲げた。
「飽きたな。……塵すら残らぬ『無』へと還れ」
掌の先に収束するのは、漆黒の虚無。生も死も、過去も未来も、一万の絶望への誓いさえも――全てを無価値に変える、究極の絶望。
「『メメント・モリ』」
瞬間、漆黒の闇が、俺の視界の全てを塗り潰した。
「塵(ちり)すら残さぬ。……存在そのものを、世界から抹消してやろう」
エーテリアスフォームへと変貌を遂げたマルドギール。その異形の双翼から放たれるのは、究極の呪い。
『メメント・モリ』
逃れる術はない。漆黒の虚無が津波となって俺を飲み込み、肉体、記憶、そして魂の輪郭さえもが、冷たい闇に溶け始めていく。
指先から感覚が消える。ドラコとの繋がりさえも、遠い彼方へ。
「…………(ああ、これが……無か)」
未来を救う。あの娘の涙を止める。その誓いさえ、闇に喰われようとした。
その時だった。
――ドクンッ、と。
「完全なる無」の直前。魂の最深部、2年半の間一度も扉を叩くことのなかった『絶対の聖域』に、何かが触れた。
「…………っ、これは」
意識の底。燃え尽きたはずの魔導士としての「器」のさらに下に、もう一つの、底知れない巨大な「海」があることに気づく。
かつて、転生前の知識で読んだことがある。魔導士には、平時では決して引き出せない予備の魔力源――『セカンドオリジン』が存在することを。
今の俺は、自らの魔力を使い果たし、肉体を限界まで損壊させ、さらに「存在の消滅」という究極の圧力を受けた。その絶体絶命の重圧が、皮肉にも、魂にかけられた強固な『栓』を内側からブチ抜いたのだ。
――ドクンッ。
一拍。
心臓ではない。魔力の核が、産声を上げる。それは今まで使っていた魔力とは、質も、密度も、格も違った。
俺の体内の奥深く、2年半の地獄でも、デウス・セーマの行使でも、決して開くことのなかった「
――パリンッ!
魂にかけられた枷が、物理的な音を立てて砕け散る。虚無の闇の中、一点の銀光が灯った。
「…………ッ!!!」
それは、飛竜の谷で吸い込み続けた「星の記憶」。枯渇し、焼き切れたはずの魔力回路が、かつてない密度で再構築されていく。
今までが「器に溜めた水」をやりくりしていたのだとすれば、今は「銀河そのもの」を脊髄に流し込んでいるような、全能の重圧。
「……な、に……!?」
マルドギールが、その異形の貌(かお)を驚愕に歪めた。消滅の呪法を内側から食い破り、立ち昇る銀色の柱。その瞳には、全身を星霊界の「法衣」に等しい銀の魔力膜で包み、瞳に銀河を宿した俺の姿があった。
「…………(まだだ。……消えるわけにはいかない)」
溢れ出す魔力が、周囲の空間を物理的に歪め、マルドギールの呪力を一方的に押し返していく。
覚醒。
飛竜の谷の夜空から引き込んでいた星のエネルギー。それが、借り物ではなく、俺自身の血肉として完全に同化した「真の魔力」。
「………………あ」
理解した。これが、俺の『真の始まり』だ。
枯渇し、焼き切れていたはずの魔力回路が、銀色の奔流によって再構築されていく。神経の一本一本が星の光で編み直され、砕かれた骨が重力魔法の結晶として凝縮される。
虚無の闇を押し返し、俺の胸の奥から「銀河」が溢れ出した。
「…………セカンド、オリジン……」
無意識に、その名を唇に乗せる。視界を覆っていたメメント・モリの漆黒が、内側から放たれた銀光によって「パリン」と硝子のように砕け散った。
闇を切り裂き、俺は再び、地獄の戦場へと這い上がる。
「馬鹿な……メメント・モリを、力ずくで押し留めたというのか……!」
俺は、震える右拳を再び握り込む。今度は違う。星の質量(セーマ)が、俺の意思一つで拳の中に「圧縮」されていく。
星霊界のゲートが再び開いた。
「マスター、戻りました、でもどうやって…」
「今は良い…………ドラコ。……やるぞ」
「はいっ」
影から復活したドラコが、歓喜に震える咆哮を上げた。
逆襲の準備は、整った。
セカンドオリジン解放!!
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