僕のヒーローアカデミア〜シスターズ・ニュー・ワールド〜 作:BONDX
深夜、冷え切った台所で冷は震える手で受話器を握っていた。
電話の向こうにいる実母へ、縋るような、それでいて壊れた機械のような声で言葉を漏らす。
受話器を握る轟冷の指は、白く病的に震えている。
「……お母さん、もう、無理なの……」
冷の瞳には光がなく、ただ暗い台所の隅を見つめている。
「焦凍の左側が……あの子の左側が、どんどんあの人の面影が強くなっていくのが、見ていて苦しいの……。それに、零火も。あの子は、私にそっくりな顔をしているのに……」
冷の脳裏に、白い炎を揺らめかせる娘の姿が浮かぶ。炎なのに冷たく、氷なのに燃える。自分の家系にも、あの人の血筋にもない、理(ことわり)から外れた未知の力。
「……あの子の個性は、魔法みたいで……いいえ、魔法なんて綺麗なものじゃない。私にも、あの人にも理解できない、得体の知れない何かなの。……怖い。あの子が、怖いのっ…!」
冷の呼吸が荒くなる。
「炎でもない、氷でもない……あんな得体の知れないものを宿した子、もう育てられない。……育てちゃいけないのよ、私には……!」
その時、背後で微かな足音がした。
寝付けずに水を飲みに来た焦凍と、兄を心配してついてきた零火。
「……お母さん?」
焦凍の声に、冷が弾かれたように振り向く。
その瞳に映ったのは、愛しい我が子ではなく、自分を追い詰める「赤」と、理解を拒絶する「白炎」の化身だった。
「――っ!!」
その母の目を見た瞬間、零火はほぼ反射的に動いていた。
反射的に手に取った沸騰したヤカン。
「焦凍!危ないっ!」
零火が焦凍を突き飛ばして身代わりになった瞬間、熱湯が彼女の右半身を、そして僅かな量の飛沫が焦凍の顔の左側を襲う。
「う、ああっ!!熱っ!」
「あ、ああああああああああぁぁぁ!!」
視界が、真っ白に染まった。
お湯の沸く音、母の悲鳴、そして一耳を突き破るような、零火の絶叫。
「あ…………、 が、ああああああッ!!!」
それは、 いつも焦凍の後ろをトボトボとついてく る、ひ弱な妹の声ではなかった。
彼の左側(ひだり)を 、 父と同じ火を焼こうとした熱湯。そのほとんどを、零火の右半身が飲み込んでいた。
「れい……か……?」
熱い。左目のあたりがヒリつく。けれど、目の前で崩れ落ち、自分の腕を掻きむしりながら白炎を噴き上げている妹に比ベれば、そんなの 無傷に等しかった。
零火の喉が裂けるような悲鳴。
あまりの激痛に零火は半狂乱になり、無意識に個性を発動させた。
「熱い!!熱い熱い熱いッ!!嫌だ!消えて!!熱いの消えてよおおおッ!!!」
噴き出したのは、どす黒い意志を辛んだ白炎。
零火は無我夢中で、自分の焼かれた右半身をその火で包み込み、無理やり凍らせようとする。
けれど、混乱した感情は制御不能な「冷たい爆発」とな って台所を真っ白に染め上げた。
「零…火…?ああ、ああああ零火!焦凍!ごめんなさい!あああなんてことを!零火 !焦凍!」
娘の悲鳴を聞いて我に返った冷が、真っ青な顔で零火 に駆け寄る。
泣きながら、その焼かれた身体を冷やそうと手を伸ばした、その瞬間。
「い、嫌あああああ!!!」
恐怖と激痛で理性を失った零火の右手に、白炎で創られた氷の刃が鋭く結実した。
反射的に振られたその刃が、差し伸べられ た母の掌を、深く、容赦なく斬り裂いた。
真っ赤な血が、零火の白い髪に飛び散った。
鮮血が、白い床に飛び散る。
冷たい炎を纏った刃に斬られた傷口は、瞬時に凍りつき、母の悲鳴さえも冷気に呑み込まれていっ た。
氷刃が空を裂き、駆け寄ろうとした冷の掌を深く斬りつける。
鮮血が飛び散り、台所は熱湯の湯気と、白炎の冷気、そして親子の悲鳴が混ざり合う地獄絵図と化した。
喉の奥が引き掌れる。
怖い。母が怖い。泣き叫ぶ妹が怖い。
でも、それ以上に一自分を庇って壊れてしまった「半分」を放っておくことは焦凍にはできなかっ た。
「……零火。零火!やめろ、落ち着け…!」
焦凍は、自分の左側の痛みも忘れ、狂ったように 白炎を振り回す零火に飛びついた。
冷たくて、熱い。
触れた箇所から肌が凍りつくような感覚。けれど
焦凍は、暴れる妹の小さな身体を、折れそうなほど 強く抱きしめた。
「嫌!嫌ああああ離して!離してよ!!殺されちゃう、お母さんに殺される っ!!」
「殺させない…………!大丈夫だ、僕がいる。零火、僕を見ろ!!」
必死に呼びかける。
いつも「ずるい」と思っていた。父に期待さ れず、地獄の外にいると思っていた。
けれど違った。妹は、零火は自分よりもずっと深い地獄の底で、自分を守るためにその身を焼いていたのだと焦凍は思い知った。
「……あ……、しょ……と……?」
ようやく、零火の瞳に光が戻る。
けれどその瞳に映っているのは、優しかった母ではなく、手から血を流して倒れる「被害者」としての母の姿だった。
「わたし…お母さんを、斬っちゃった……。お母さんを………!!」
零火の震える声が、焦凍の胸に突き刺さる。 その時、廊下から重い足音が響いた。
「何事だッ!!」
父・轟炎司
この地獄を創り出した、元凶の熱がやってきた。
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救急車のサイレンが、静まり返った轟家に鳴り響く。
冷、焦凍、そして最も重症を負った零火。
それぞれが搬送され、冷と零火はそれぞれ別の病室で離れ離れに入院となり、焦凍は零火の眠るベッドの側に座り、左顔面に当てられた氷嚢の冷たさを、他人事のように感じていた。
隣のベッドでは、右半身を包帯で巻かれた零火が、 痛み止めの影響で泥のように眠っている。
そこへ、音と共にエンデヴァーが入ってきた。
彼は妻·冷の容態を気にする様子もなく、真っ直ぐに焦凍の元へ歩み寄る。
「焦凍、安心しろ。医者の話では、お前の左側の傷は浅いそうだ。それなら痕も残らん。数日もすればすぐに特訓に戻れるだろう」
エンデヴァーの声には、安堵の色さえ混じってい た。
焦凍は、伏せていた顔をゆっくりと上げた。その 瞳には、すでに子供らしい光は欠片も残っていな い。
「…安心、したの?」
「当然だ。最高傑作であるお前の身に、万が一のことがあっては困るからな。
冷の錯乱には驚いたが、零火がお前の盾になってくれたのは僥倖だった。こいつも初めて役に立ったな。正に不幸中の幸いというやつだ」
----不幸中の、幸い?
その言葉が、焦凍の中で鋭い刃となって、最後の理性を切り裂いた。
隣で、呼吸器に繋がれ、肉を焼かれた激痛に耐えながら眠る妹。
母さんに「醜い」と拒絶され、それでも自分を守った零火を、この男は「盾」と呼び、使い捨ての道 具のように笑ったのだ。
「つ·…、あああああああ…ッ!! !」
焦凍の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
それは、父への、そしてこの『左側』への、煮え くり返るような純粋な憎悪。
「…幸い、なんて…言わせない…っ!!」
焦凍は氷嚢を叩き落とし、自らの左手を、まだ赤 みの残る火傷の箇所へ押し当てた。
その掌に、憎き父から継いだ「熱」を、最大出力 で宿らせる。
「お母さんは……『左側が醜い』って言ったんだ!お前のせいだ!全部…僕の中に、お前がいるから……零火をこんな目に遭わせたお前の血が!僕の中に流れてるから……!!」
「焦凍!何をする!?止せぇ!!」
エンデヴァーが血相を変えて手を伸ばすが、遅か った。
ジュウウッ !!
肉が焼ける、悼ましい音が処置室に響く。
自らの意志で、自らの体を焼き切る狂気。
「…あ、ああ ツ、あああああああ!!」
絶叫。
焦凍は、自分の肌が炭化し、永久に消えない「呪
い」へと変わっていく苦痛を、 併惚とした憎しみで受け入れた。
視界が涙で歪む中、焦凍は立ち尽くすエンデヴァ ーを脱みつけた。
「これで……跡が残らないなんて……言わ せない…!お前の思い通りには、ならない… ッ!!!」
「焦凍ッ…!?」
エンデヴァーが血相を変えて手を伸ばす。だが、焦凍はその手を振り払うように身を振り、父を晩みつけ た。
右目からは、激痛に耐えかねた涙が頼を伝い落ち る。
けれど、そのロ元は一歪に、吊り上がってい た。
(…ははっ…… 見たか…クソ親父!)
自分の体を壊してまで、父の「最高傑作」という 夢を汚した。その歪んだ達成感が、焦凍の脳内に麻 薬のように回る。
激痛と憎悪。その狭間で、少年は狂気を含んだ笑顔で、父の絶望を噂笑った。
エンデヴァーは立ち尽くした。
今、彼のその目に映る息子は、自分の理解を超える 怪物に見えた。
だが、彼はその現実を直視できない。
(…ショックで、混乱しているだけだ…そう に決まっている!焦凍、お前は…!)
エンデヴァーは、自分に都合のいい解釈(ノイ ズ)で耳を塞ぎ、目を逸らした。
そのすぐ側で、意識を膝麗とさせながらその光景を見て いた零火が、小さく震える。
(……焦凍が、壊れちゃった… …………私のせいだ…私が、守れなかったから……)
――この日、4人の「聖域」だった空き地での約束は、一度完全に、灰となって消えた。