ドクズ転生 〜本音と正反対に翻訳される呪いを添えて〜   作:ヤッくん

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7話 侍女ミリアの消えぬ疑念と続く苦難――ミリア編――

アイギス王立騎士学園の男子寮、ユウ・エゴ・イーストの私室。

朝の柔らかな光が差し込む中、ミリア・ルミナスは完璧な所作で主人の寝台を整えていた。

 

「――おはよう、ミリア。今日も君の淹れてくれた紅茶の香りが、俺を正しい朝へと導いてくれるよ。……ありがとう、君という献身的な光に感謝を」

 

――ピクッ

 

「……もったいないお言葉です、若様。お目覚めがよろしいようで何よりですわ」

 

ミリアは淑やかに膝を折り、柔和な微笑みを返した。

 

パブリック・モードの彼女は、誰もが憧れる理想の侍女だ。黒髪をなびかせ、清楚なリボンを整え、没落寸前の辺境伯家の次男――ユウを支える半身として振る舞っている。

 

……だが。

彼女の心の中では、警報が鳴り止まない。

 

(……おかしい。絶対におかしいわ。今の言葉、響きは清らかだけど……空気の振動が、さっきから『あー、だりぃ。二度寝してぇ。ミリアの淹れた茶なんてどうでもいいから二郎系ラーメン食いてぇ』ってリズムを刻んでる……!)

 

ミリアの五感は、幼い頃から異常に鋭かった。特に「言葉と本音の乖離」に対しては、物理的な違和感としてそれを受け取ってしまう。

 

(まぁ、さすがに相手の心の内まではわからないから、さっきのは予想でしかないけれど......)

 

ユウ・エゴ・イースト。

 

かつては無能と臆病の代名詞のようだった主君は、あのアシュリー第三王女殿下を暴漢から庇い、そのお腹を刺されてからというもの、まるで魂を入れ替えたかのように変貌している。

 

没落寸前だった辺境伯家を立て直すべく、その知略を振るい、高潔な言葉で人々の心を鷲掴みにするその姿は、確かに覚醒という言葉が相応しいのかもしれない。

 

ユウが時折、ふとした瞬間に見せる、濁った沼の底のような濁った目。

民の救済を説くその甘い声の裏側で、微かに震える怠惰の波動。

 

嘘に関して過敏な彼女だけは、そのメッキの下に隠されたドブの臭いを嗅ぎ取ってしまう。

 

「――ミリア、どうしたんだい? そんなに俺を見つめて。……俺の顔に、何か平和へのヒントでも付いていたか?」

 

「いいえ、若様。ただ、若様のあまりの高潔さに、つい見惚れてしまいまして」

 

彼女はあえてトゲのある称賛を投げた。

だが、ユウは「フフ、困った人だ」と、眩しいばかりの聖者スマイルで流してしまう。

 

(……いつからこんな詐欺師に! 待ってなさい。私だけは、その化けの皮を剥いで、あなたの腐れきった本性を白日の下に晒してやるんだから……!)

 

 

ある日の午後、戦略学部の片隅にある旧校舎でのこと。

 

ユウは、学園から支給された慈善活動用の予算を手に、神妙な面持ちで今後の計画を練っていた。その横顔は、誰が見ても未来の君主、あるいは慈悲深い軍師のそれだった。

 

「――ミリア。この資金は、苦しむ学生たちの支援に充てるべきだ。『名誉の人助け』と行こうじゃないか」

 

周囲の学生たちは「おお……!」と感極まり、その言葉をメモに刻んでいる。

だが、彼女の聴覚と嗅覚は、全く別の情報を処理していた。

 

ユウの背後から漂う、微かなポテトチップスの幻臭。

 

言葉の響きの中に混じる、「(よし、これで今夜はカジノ三昧だ。慈善活動なんて名目、サボるための隠れ蓑にすぎねぇぜ、ケケケ!)」という卑俗極まりないリズム。

 

空気の振動そのものが、ゲスい色気を孕んで彼女の鼓膜を叩いていた。

 

「……若様。今の『名誉の人助け』というフレーズ、『レイズで一儲け(ひともうけ)』と同じアクセントで発音されていませんでしたか?」

 

「な、何を言っているんだミリア。疲れているのか? 少し休んだ方がいい」

 

ユウは涼しい顔で返答していたが、その指先が僅かに震えているのだった。

 

 

週末の午後、エゴイスト家にて。

 

ユウは、近隣の豪商から寄贈されたという名匠の黄金壺を鑑賞をしていた。

周囲には、彼の高潔な立ち居振る舞いを一目見ようと、女子生徒たちが遠巻きに集まっている。

 

「――素晴らしい造形だ。この壺を見ていると、職人の魂が叫んでいるのを感じるよ。……セバス、この壺は後にオークションに出し、その収益を全て貧民街の井戸掘り資金に充てよう。……形ある美よりも、民の喉を潤す水の方が、私にとっては価値があるんだ」

 

「若様……! なんという無欲! なんという慈悲深き決断か……っ!」

 

ユウの背後で執事のセバスが、ハンカチを噛み締めて号泣している。

周囲の女生徒たちからも「ああ、ユウ様……」「なんて気高いの……」と溜息が漏れた。

 

だが、彼女――ミリア・ルミナスだけは、その瞬間を逃さなかった。

 

「……ひっ」

 

(今の笑い方! 完全に、善良な市民を騙して路頭に迷わせるタイプの詐欺師の笑い方でした!)

 

ユウが壺を覗き込んだ刹那、その口角がわずか0.5ミリだけ吊り上がり、瞳の奥に借金取りから逃げ切ったギャンブラーのような下卑た光が宿ったのを見逃さなかった。

 

(……嘘。今、確実に『カジノで全突っ込みしてぇ。』って顔した! それに何なの、さっきからこのポテトチップスの臭いは! この人、心の中でギャンブルとポテチことしか考えてないの?!)

 

ユウがミリアの視線に気づき、ハッとしたように表情を整えた。瞬時に、あの忌々しい紳士モードが発動した。

 

「――ミリア、見てごらん。この壺に注がれる水が、いつか枯れた大地を潤す希望となるように……。我々もまた、清廉な器であり続けなければならないね」

 

ユウは、窓から差し込む夕光を浴びながら、この世の全ての不幸を救うかのような慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。

 

彼女は、震える手でティーカップを置いた。

 

言葉は紳士。表情は穏やか。

けれど、彼女の五感だけが、その内側に潜む不純な欲望を察知し続けている。

 

「……若様の仰る通りですわ。……これ以上なく、収益性の高い……いえ、慈悲深い計画ですわね」

 

(……くっ、反論できない! 言葉が綺麗すぎて、この五感の違和感を説明する術がない……っ!)

 

(ああ……もう!私以外の人間は、全員耳も鼻もバカになってしまったんですか!?あなたがどんなに希望だの清廉だのと言葉を飾っても無駄よ。私が、そのドブのような本性を暴いてやるんだから!)

 

彼女はギリリと奥歯を噛み締めた。

世界中が彼を盲信し、彼の放つ甘い毒に酔いしれている。

 

彼女一人が「この人はドブの臭いがするクズです!」と叫んだところで、変態の妄想か、ユウへの過剰な愛ゆえの嫉妬として片付けられるのがオチである。

 

(……いいわ。ならば、徹底的に監視してやるわ。あんたが一人になった瞬間、そのドブ色の本音を吐き出す瞬間を、私は絶対に見逃さないんだから!)

 

彼女は、侍女としての完璧な礼を保ちつつも、その瞳には獲物を狙う狩人のごとき鋭い光を宿した。

 

《エリート侍女ミリアの、孤独で不憫な嘘発見器としての戦いは、まだ始まったばかりだった》

 

 

その日の夜、ミリアは廊下で執事長チャン・セバスを呼び止めた。

 

ユウの部屋へ夜食を運び終えたセバスは、自分の手帳に「本日、若様が放たれた慈悲の光:黄金壺売却の勇姿について」と、恐ろしい熱量で筆を走らせている最中だった。

 

「セバスさん、少しお話があります」

 

「おや、ミリア殿。若様の輝きを間近で浴びすぎて、知恵熱でも出されましたかな?」

 

セバスはモノクルを光らせ、慈愛に満ちた笑みを彼女に向けた。

 

ミリアは周囲を警戒し、声を潜めて切り出した。

 

「いいえ、逆です。……セバスさん、若様は時々、すごく悪い……いえ、ドブのような顔をしていませんか? 今朝も壺を見て、完全にイカサマ師の笑みを浮かべていたんです!私は、若様が私たちを騙しているのではないかと危惧しているんです」

 

セバスの動きが止まった。

次の瞬間、廊下の気温が数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの圧が放たれる。

 

「……ミリア殿。誠に、誠に残念です」

 

「え?」

 

「若様の放つ覇道の輝きはあまりに強く、あまりに鋭い。凡人の者には、その光があまりに眩しすぎて、網膜に焼き付いた残像を影……すなわち不浄なものと誤認してしまう。……貴殿の精神は、まだ若様の神聖さを直視できるほどに鍛えられていないようだ」

 

「違います! あれは覇道じゃなくて邪道です! 目が¥(えん)マークになってたんですよ!」

 

「フフ、¥(エン)……。それは縁(えん)を大切にせよという若様の無言の教えでしょうな。なんと……なんと深い御心だ……!」

 

(ダメだ。このジジイ、話が通じない)

 

「若様は今、ポテトチップスを食しながら、領土内の兵站(ロジスティクス)を咀嚼されているのです。あの揚げ物の匂いは、戦火に焼かれる大地を忘却せぬための自戒の香り。……邪魔をしてはなりませんぞ」

 

「ただの油の臭いでしょ!?」

 

セバスの解釈はもはや鋼鉄の城壁。彼女の正論は、その前で虚しく砕け散るばかりであった。

 

セバスは若様=神という宗教の教祖であり、ミリアは若様=クズという真理を掲げる孤独な革命家となっていた。。この絶望的な宗教戦争において、現段階では彼女には味方など一人もいない。

 

(……ああ、もう! どいつもこいつもバカばっかり! 精神が削れるわ……っ!)

 

 

数日後。事件は、ユウが戦略学部の秘密基地と称して入り浸っている旧校舎の一室で起きた。

 

掃除と称して踏み込んだミリアは、ユウが机の引き出しの奥に隠していた「ガリア風トリュフ塩ポテト」の袋と、明らかに学園外から持ち込まれた「王宮自立ての黒ビール」の空き瓶を発見した。

 

「……若様。これは、一体どういうことでしょうか?」

 

彼女は袋を突き出し、冷徹なジト目で問い詰めた。

ユウは一瞬、肩を跳ねさせた。

 

「――ミリア、それは……。そう、この地の土壌汚染を調査するための、サンプルだよ。酒精(アルコール)を使って、浄化の儀式を……」

 

「嘘を仰らないで。これ、昨日カジノ帰りの行商人が売ってた『ガリア風トリュフ塩ポテト』ですよね。袋に『酒のつまみに最高!』って書いてあります」

 

「――っ、それは、……民の娯楽が健康に及ぼす影響を、自らの身で確かめようと……」

 

「言い訳は結構です。没収します。若様は明日から、セバスさんが用意した『完全無添加の薬草サラダ』だけを食べていてください」

 

「…………っ!!」

 

ユウの顔が、みるみるうちに般若のごとく歪んだ。

あまりの監視の厳しさに、ついに彼の忍耐が限界を超えたのだろう。

そして瞬間は訪れた。

 

 

「――おい、いい加減にしろよ。お前、いつまで俺のプライベートに首を突っ込むつもりだ?」

 

 

「……え?」

 

 

彼女は耳を疑った。

聞こえてきたのは、耳を洗いたくなるような清らかな声ではなかった。

低く、低く、魂の底を直接掴んで揺さぶるような、有無を言わせぬ支配者の声。

 

「そんなに俺が気になるなら、一生俺の足元で犬みたいに吠えてろ。……お前の居場所は、俺の隣以外にねぇんだよ。分かったか、この無能女」

 

「…………っ!?」

 

ユウが彼女の顎を乱暴にクイッと持ち上げ、耳元で低く、威圧的な声で吐き捨てた。

目は、かつての放蕩息子時代以上の冷酷さを湛え、声には隠しきれない傲慢さと独占欲が混じっている。

 

ユウはハッとして、すぐに冷や汗を流して顔を背けた。

 

しかし、

 

(……な、……なによ、今の……!)

 

ミリアの脳内では、理性が「最低! 史上最悪の暴言よ!」と警鐘を鳴らし、真っ赤なランプが回転している。

 

だが、それと同時に――もう一人の彼女が、猛烈なスタンディングオベーションを始めていた。

 

(……今の『俺の隣以外にねぇんだよ』っていう響き。この突き放すような、支配的な声。私の愛読書『暴君王子の甘い束縛』の128ページ目――傲慢な王子がヒロインを追い詰めるシーンの台詞と、完全に一致してるじゃない……っ!?)

 

ドクン、と彼女の心臓が跳ねる。

 

(最悪だ。最低だ。この男は、正真正銘のクズだ。……なのに。)

 

 

 

(……あ、……あぁぁぁ……! た、たまらないよぉ……! もっと言って、もっと見下すような目で私を見てぇ……っ!!)

 

 

 

彼女の顔面が沸騰しそうなほど赤くなる。

 

冷静になったのか、ユウが慌てて「――ミリア、今の言葉は、君がいないと私は道を誤ってしまうという意味で……」とフォローを始めたが、もはや彼女の耳には入っていなかった。

 

「……っ、……さ、詐欺師! ドクズ! 変態!」

 

彼女は精一杯の罵倒を投げつけ、没収したポテトを抱えたまま、旧校舎を走り去った。

胸の高鳴りが止まらない。

 

彼女は確信した。

 

(あいつはクズだ。世界一のクズだ)

 

(……そして、世界で私一人だけがアイツの本当の姿に気づいてる。私が管理して、矯正しなきゃ。アイツがイースト家の跡取りになったら、この辺境伯家はおしまいよ……きっと彼の罵倒を浴びて飼い慣らされるなんてごめんだわっ!)

 

不本意な侍女生活は、ここから制御不能な地獄のループ(悦び)へと突入していくのであった。

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