永劫の火追いを映画化して黄金裔を現実にする話   作:Mr.レック

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叶った奇跡とスタートライン

週刊タヌキ編集部の朝は、普段ならもっと死んでいる。

 

 前社長の終わっている金運に端を発する経営不振。終わらない業務。未払いの給料。もっとも、ラクーン様こと星が実権を握って以降、ネットニュース部門の評判は少しずつ持ち直してきてはいるのだが――それでも本来ここは、どこにでもある修羅場の延長線上にあるべき場所だった。

 

 だが今朝の編集部には、どう考えても“どこにでもある”では済まない面子が揃っていた。

 

 星は社長席の前で腕を組み、静かに現実逃避していた。

 

 くだらないことで張り合っているファイノンとモーディス。

 穏やかに微笑むアグライアの隣で、猫みたいに気ままな気配を漂わせるサフェル。

 周囲を理性的に観察しているアナイクスは、いかにも学者然としている。

 給湯室ではヒアンシーとキャストリスが肩を並べ、すっかり落ち着いた様子で何か話していた。

 窓辺ではケリュドラが外の街を見つめ、その背後にセイレンスが静かに付き従っている。

 トリビー、トリアン、トリノンはパソコンの周りでがちゃがちゃと未知の文明に挑み、

 そして少し離れたところでは、華やかなドレスをまとったキュレネが朝の光をその身に集めるように立っていた。

 

 ……多い。

 

「ラクーン様、確認なんですけど」

 

 若いタヌキ記者が、引き攣った笑みのままメモ帳を握りしめる。

 

「昨夜の時点では“奇跡が起きた”で思考停止してたんですけど、改めて数えると十四名いらっしゃいませんか?」

 

 星は憮然とした表情で切り捨てた。

 

「数えないで」

 

「数えますよ!?」

 

「数えたら現実味が増すでしょ!」

 

「もう十分すぎるほど増してます!」

 

 悲鳴じみた応酬に、壁際のソファからサンポが愉快そうに肩を揺らした。

 

「いやあ、壮観ですねえ。映画の打ち上げ会場に、本物が全員いらしたみたいだ」

 

「他人事みたいに言わないで」

 

「他人事ではありませんとも。ワタシ、とっても感動しております」

 

 そう言う顔は、いつも通り胡散臭い笑みでいっぱいだった。

 

「感動してる人の顔じゃない」

 

「では、商機を感じてる顔ですね」

 

「はぁ……最悪だよ」

 

 星がため息をつくと、近くで小さな笑い声が弾けた。

 トリビーだった。トリアンとトリノンを引き連れ、社内の回転椅子を新種の遊具みたいに占領している。

 

「この椅子、すごい滑らかに回るよ! 何回転回せるか試ちてみよう!」

 

「編集部の椅子で試さないで。倒れたら危ないから」

 

「でもね、ぐるぐるちてると、ここがほんとうに“いま”なんだなってわかるんだ」

 

 トリビーはきゅっと椅子を止め、くるりと星を見上げた。

 舌足らずな言葉の奥に、妙に透き通った実感がある。

 

「夢じゃないんだね、グレーちゃん」

 

 その一言で、星は軽口を返せなくなった。

 

 夢ではない。

 少なくとも、胸の奥がそう断言するように痛んでいた。

 朝日に照らされた空間で改めて見ると、懐かしい声も、息遣いも、そこにある輪郭も、昨夜よりずっと鮮明だった。触れれば消える幻ではなく、今この場に息づく現実の重みを帯びている。

 

「……うん」

 

 星は短く答えた。

 

「夢じゃない。それは分かってる。だから困ってるんだよ」

 

「困ってるの?」

 

「大困り。人数分の朝食も、身分証も、寝床も、対外説明も、何一つ足りてない」

 

「現実的な悩みですね」

 

 静かにカップを配りながら、ヒアンシーが柔らかく微笑んだ。

 ふわりと立つ茶の香りが、徹夜明けのささくれた空気を少しだけ和らげる。

 

「ですが、まずは皆さまを落ち着かせるのが先でしょう。昨夜から興奮と緊張が続いていますから」

 

「さすが天空の医師……」

 

 若い記者は涙目でカップを受け取り、ほとんど拝むように抱え込んだ。

 

 一方で、窓際に立つケリュドラは、編集部の外――鳩川区の街並みを静かに眺めていた。薄暗い路地裏、けばけばしい看板、表通りを行き交う人々の見慣れぬ衣服。そのすべてを、星の海への進出を夢見た少女の眼差しで見つめている。

 

「……これが、天外の文明にある都か」

 

 誰にともなく、彼女は呟いた。

 

「自身の力のみで辿り着いた終点ではないが……存外、感じ入るものが少ないな」

 

 独白のようでいて、その声には妙に場を引き締める重みがあった。

 昨夜までポスターの向こうにいた皇帝が、今は編集部の窓辺でこの街を見定めている。状況はあまりにも異常なのに、その立ち姿だけは奇妙なほど現実だった。

 

「おい、星」

 

 低い声で呼んだのはモーディスだった。王としてはあまりに行儀悪く、会議机に腰掛けたまま指を鳴らしている。

 

「で、俺たちは何をすればいい」

 

「何をって……」

 

「待つだけというのは性に合わん。戦えと言うなら戦うし、守れと言うなら守る。決めろ」

 

「朝の編集部で戦うことある?」

 

「あるかもしれんだろう」

 

「ないよ!」

 

 星が即座に突っ込むと、モーディスは喉の奥で楽しそうに笑った。

 その横で、ファイノンが苦笑まじりに肩をすくめる。

 

「彼はやることがなくなると、勝手に勝負を探し始めるからね。気を付けたほうがいいよ」

 

「ほう? いつも勝負を仕掛けてくるのは貴様のほうからだったと記憶しているが?」

 

 視線に火花を散らす二人だが、どこか楽しそうだった。

 見慣れた調子に、星の胸の奥がほんの少し温かくなる。

 

「灰色の小魚」

 

 ケリュドラの背後を離れ、セイレンスが音もなく近づいてくる。空気を撫でるように指先を動かし、彼女は低く言った。

 

「乾いた場所だな。潮の香りがひとつもしない」

 

「ここ都会だからね。近くに大きな川はあるけど、海はまだ見てないなぁ」

 

「そうか。なら、せめてメーレはあるか?」

 

「無いよ! しかもそれお酒だよね!? 朝から飲むの!?」

 

「飲むさ。朝だからな」

 

「名言っぽく言わないで!」

 

 そのやり取りの端で、サフェルが猫のように資料棚へひらりと腰かけた。

 

「ふふ、にぎやかでいいじゃん。ほら見なよ、もうみんな“本物だ”って顔してる」

 

 彼女が顎で示した先では、昨夜は腰を抜かしていたタヌキ記者たちが、恐る恐る黄金裔に話しかけ始めていた。

 

 名前。

 好きな食べ物。

 眩しいのは平気か。

 現代の服は着られるか。

 取材は可能か。

 

 しょうもないのに、切実だった。

 生きていくための質問ばかりだった。

 

「人ってさ」

 

 サフェルは頬杖をついたまま笑う。

 

「泣いた次の日には、ちゃんと腹が減るんだよね。逞しいじゃん」

 

 その言葉に、アグライアが静かに目を伏せた。

 長い時を生きた織り手は、雑多な編集部をゆっくり見渡す。

 

「──願いが、ここまで精緻に形を持つことがあるとは思いませんでした」

 

 静かな声。だが、その一言には深い感嘆が滲んでいた。

 

「二相楽園に満ちる願力。人々の関心、憧憬、執着……話に聞く限り、それらは本来、絵や模型に生命を宿す程度の、小さな奇跡を起こす力なのでしょう。ですが今回は少々、趣が異なります」

 

 彼女の視線が、星の机に置かれた《紡がれた物語》へ落ちる。

 

「あなたが人々へ記憶を与え、物語が骨子を作り、天外の世界から注がれた無数の視線が肉を与えた。そして私たちは、記憶を連続させたままここにいる」

 

「──つ、つまり……」

 

 若い記者が神妙な顔でメモを走らせる。

 

「皆さんは、願力で現実化しただけじゃなくて、オンパロスで生きた記憶を保持している、“本人”なんですか?」

 

「ざっくり言えば、そういうことになるでしょうねえ」

 

 いかにも待ってましたとばかりに、サンポが一歩前へ出た。

 

「この楽園には、願われた像が命を得る素地がある。そこへ《紡がれた物語》という“オンパロスそのもの”を象る器があり、さらに開拓者様直々の夢の泡で全宇宙規模の共通認識が発生した。ええ、まあ、事実を並べていけば、起こるべくして起きた奇跡ですよ」

 

「さらっと言うけど、その奇跡の規模おかしいからね?」

 

「ここは愉悦の星神が祝福した二相楽園ですので」

 

 万能すぎる返答だった。

 

 そこで、今まで黙っていたアナイクスが冷たく口を開いた。

 

「奇跡という単語で思考停止するのは感心しませんね」

 

 学者の鋭い声に、場の空気がぴんと張る。

 

「現象として発生した以上、条件と持続性を検証すべきです。我々がどの程度この世界に定着しているのか、願力の供給が断たれた場合にどうなるのか、《紡がれた物語》が媒介としてどこまで機能しているのか。少なくとも、感動して終わる話ではない」

 

「……そうだね」

 

 星は本を見た。

 昨夜から机の上で静かに光り続ける、オンパロスを象る一冊。

 ページは閉じているのに、触れれば今にも物語が溢れそうな気配がある。

 

「消えるかもしれない、ってこと?」

 

 誰かが小さく呟いた。

 トリアンだったか、トリノンだったか、一瞬では判別できなかった。だが、その問いの重さは全員に平等に落ちた。

 

 きし、と空気が軋む。

 

 ファイノンが静かに本のそばへ歩いてきた。

 昨夜と同じ、穏やかで、けれど芯のある足取りだった。

 

「可能性はあると思う」

 

 彼は正直に言った。

 

「僕たちは“呼ばれた”ばかりだ。この先もここで生きていけるかどうかは、まだ分からない」

 

 誰もすぐには口を開けなかった。

 星の胸にも、ひやりとした不安が落ちる。やっと届いた再会が、また形を失うかもしれない。その想像は、人を簡単に臆病にさせる。

 

 だが次の瞬間、ピンク色の髪が朝の光をやわらかく掬った。

 

「だったら、確かめればいいじゃない」

 

 鈴のように心地よい声。

 キュレネだった。

 

 彼女は波打ち際から歩いてきたような軽やかさで微笑む。無邪気さと、どこかこの世ならぬ優雅さが、ひとつの笑みの中で不思議に溶け合っていた。

 

「あなたはずっと、そうしてきたでしょう? 開拓して、世界を救って、物語にしてきた。なら今回も同じよ、星」

 

 その声音に、星は瞬きを忘れる。

 ミュリオンの面影と、完成されたキュレネの輝きが、ひとつの声に自然に重なっていた。

 

「ねえ、わたしたちの続きを書いて」

 

 キュレネは微笑んだ。

 

「今度は、失わないために」

 

 その瞬間、胸の奥にあった何かが、妙にすとんと収まった気がした。

 

 怖い。

 消えるかもしれない。

 だったらなおさら、立ち止まるわけにはいかない。

 

 星はホワイトボードを引き寄せ、勢いよくマーカーを走らせた。

 

 ──緊急特別企画──

 帰ってきた黄金裔 独占連続インタビュー

 第一回 ファイノン――「ただいま、の次の話をしよう」

 

「……は?」

 

 アナイクスが露骨に眉をひそめる。

 サフェルが吹き出し、モーディスが面白そうに頬杖をついた。

 トリビーたちは「どくせん!」「れんぞく!」「インタビュー!」と無邪気に拍手する。

 

「まず発信して、記憶に刻む」

 

 星はきっぱり言った。

 

「誰がどう現れて、何を感じて、これからどう生きるのか。願力でも奇跡でも何でもいい。消えるかもしれないなら、なおさら世界に刻み直す。あんたたちが“居た”じゃなくて、“居る”ってことを」

 

 しばしの沈黙。

 それから、ぱちぱちとサンポが手を叩いた。

 

「実にあなたらしい」

 

「手伝ってもらうからね」

 

「ええ、もちろん。良心的な監修料でお手をお貸し致します!」

 

「却下」

 

「即答!」

 

 編集部のあちこちで、張り詰めていた緊張が笑いに変わる。

 ヒアンシーがやわらかく目を細め、ケリュドラが静かに頷き、セイレンスは「悪くない航路だ」と低く笑った。

 キャストリスだけは相変わらず静かだったが、その横顔は朝の淡い光の中でたしかにやわらいで見えた。

 

「では」

 

 ファイノンが星を見た。

 

「最初の取材相手は僕、でいいのかな。相棒……いや、社長?」

 

「ラクーン様、で統一して」

 

「了解、ラクーン様」

 

 その言い方が妙に真面目で、星は思わず吹き出した。

 

「やめて、冗談だよ。なんかくすぐったい」

 

「でも、ここではそう呼ばれてるんだろう? 何故かは分からないけど」

 

「それは晴天航路もふもふ号のせいで……」

 

「なんにせよ、郷に入っては郷に従えだ」

 

 少し得意げに言われて、星は反論できずに唸る。

 その様子を見てモーディスがさらに大笑いし、サフェルは「いいねえ、救世の坊やにしては余裕があるよ」と囃し立てた。

 

 窓の外では、朝が完全に街を起こしていた。

 世界は何も知らない顔で回り続けている。

 けれど、この編集部の中だけは、昨夜の奇跡がちゃんと今朝へ繋がっていた。

 

 白紙の原稿。

 湯気の立つカップ。

 騒がしい声。

 そして、ここにいる十四人分の新しい人生。

 

 星はペンを握り直す。

 

 もう、後日談ではない。

 これは“帰還”のその先を生きるための、本当の続きだ。

 

「よし」

 

 彼女はファイノンの向かいに椅子を引いた。

 

「じゃあ始めようか。第一回、独占インタビュー。質問はひとつ目から重いよ」

 

「望むところだよ、相棒」

 

「だから今はラクーン様!」

 

「失礼、ラクーン様」

 

 また笑いが起きる。

 朝日の差し込む編集部で、第一回の取材が始まった。

 

 願いが現実を呼び込んだのなら。

 その現実を定着させるのは、きっと次の言葉だ。

 

 星は白紙に最初の一行を書いた。

 

 ──奇跡とは、たった一瞬のことではない。

 それが朝になっても消えず、名前を持って座っている時、人はようやく“奇跡が起きた”と言えるのだ。




これでひとまず区切りです。
また描きたいシーンが出来たら頑張って書きます。
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