永劫の火追いを映画化して黄金裔を現実にする話   作:Mr.レック

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設定集を見まくって書いてるんでなんか間違ってたら諦めるか指摘してください。


ファイノンと星の街歩きインタビュー

 

 週刊タヌキ編集部は、その日も朝から騒がしかった。

 

「ピンマイク、接続テストオーケーです!」

「カメラ、予備バッテリー持った!?」

「ドローン班、撮影許可の書類どこ!?」

 

 バタバタ慌ただしい音を立てるタヌキ達が走り回る。記者の1人(匹?)がパソコン画面から浮き出るホログラムを回転させて星に向けながら叫んだ。

 

「ラクーン様、動画サムネ案出来ました!」

「今はサムネより本編!でもそんな感じで他の皆の分もおねがい!」

 

 サムネ案を一瞥して悪くないと思った星はそう叫び返し、机の上の機材を次々とかき集めた。小型カメラ、ピンマイク、手持ちスタビライザー、簡易照明。

 

 タヌキ達もそれぞれの手に撮影器材を持って外出の準備を完了させている。

 ネット記事と配信で世界に愉悦を提供してきたタヌキ編集部が、今日はやけにものものしい映像班のような装備をしている。

 

 編集部の片隅に鎮座するホワイトボードには、昨日のうちに決定した文字が大きく残っていた。

 

 "黄金裔降臨記念インタビュー企画 第一回 ファイノン独占インタビュー"

 

 そのタイトルの前で、当の本人はというと。

 

「この企画、本当に街中を歩きながらやるのかい?」

 

 ファイノンは、どこか困ったように笑っていた。

 

「もちろん!」

 

 星はにこやかに答えた。

 

「スタジオで座って話すだけじゃつまらないでしょ?せっかく二相楽園に来たんだから、“今ここにいる”って絵がほしい」

 

「なるほど、絵作りか」

 

「あと、じっと座ってるとたぶん、変に真面目な受け答えしかしないと思うんだよね」

 

「僕が?」

 

「そう。絶対する!」

 

 ファイノンは少し考えてから、あっさり認めた。

 

「確かに……そうかもしれないね」

 

 その素直さに、星はそういうとこだよと笑う。

 

 そんなことを思っているうちに準備が整い、タヌキ記者達は編集部のドアを出ていった。

 待たせるのも悪いねとファイノンが歩きだし、星は忘れ物が無いか机の上を確認した。

 

「ヨシ!忘れ物なし!」

「気をつけて行って来てくださいね、グレーたん!」

 

 ドアの横でヒアンシーがやわらかな笑みで手を振って送り出してくれた。

 

 ケリュドラはわざわざ近寄って来て、ドアを出ていくファイノンへ低く告げた。

 

「天外の都を歩くなら、民の視線を観よ。王たる者の最初にして最大の学びである」

 

「カイザー、僕は王様じゃないんだけど」

 

「世負いの半神だろうと救世主だろうと、はたまた壊滅の血を流した無名の英雄であろうと、生きるのに必要な事に大差ないであろう」

 

 その言葉に、ファイノンは答えなかった。ただ、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「はいはい、重い話は本編で!」

 

 星は機材バッグを肩に担ぎ、編集部の扉を押し開ける。

 

「じゃ、行こうか。第一回ゲスト、ファイノンさん」

 

「了解、相棒」

 

 そうして二人は、二相楽園の市街へ出た。

 

 鳩川区は常に暗い。だが昨夜とは別の顔をしていた。

 

 どことなく楽しい空気は、きっと自分の心持ちのせいかな、などと星は考えながらタヌキ記者達へハンドサインを送った。撮影開始の合図である。

 

 ドローンカメラが上空で軽く旋回し、赤い録画ランプが点った。

 

 星は胸元のマイクを指で叩いた。

 

「あーテスト、テスト。週刊タヌキ特別企画、黄金裔降臨記念インタビュー動画、第一回。聞こえてる?」

 

 インカム越しに、後方で機材を抱えて歩く若い記者の声が返る。

 

『音、問題なしです!』

 

「よし。じゃ、始めるよ」

 

 星は軽く息を吸い、歩きながらドローンカメラへ向き直った。

 

「皆さんこんにちは、週刊タヌキ編集部です。本日は特別企画として、現実化した黄金裔に直接話を聞いていきます!第一回のゲストは――」

 

 横にいる青年へ、手で示す。

 

「エリュシオン出身、“火追いの囚人”、そして“世負い”の半神。ファイノンです!」

 

 ファイノンは少し照れくさそうに、それでもまっすぐカメラを見た。

 

「こんにちは。僕はエリュシオンのファイノン。こうして天外の街を歩きながら話せるのは、不思議な縁だと思う」

 

「真面目だね」

 

「最初だから、少しはね」

 

「やっぱり」

 

 星が即座に突っ込むと、ファイノンは苦笑した。

 二人はゆっくりと歩き始めながら街並みを眺める。

 

「じゃあ最初の質問といこう。二相楽園、ここは鳩川区って言うんだけど歩いてみてどう?」

 

「そうだね……とても賑やかだ」

 

 ファイノンは本当にそう思っている顔で、左右の街並みを見た。

 

「オクヘイマの聖都みたいな壮大さとも、オンパロスの辺境みたいな長閑さとも違う。人と人の距離は近いのに、互いを放っておく距離感もある。不思議な場所だ」

 

「放っておく距離感?」

 

「誰かが変な格好をしていても、見て見ぬふりをしてくれる。もしくは笑って受け入れてくれてるのかな」

 

「それ、自分のこと言ってる?」

 

「かもしれない」

 

 星は吹き出した。

 

「安心して。たぶんコスプレくらいに思われてるよ」

 

「コスプレ……仮装、という事かな」

 

「私の憶泡から作った映画がひと山当てちゃったからね。ファイノンだけじゃなくて、オンパロスの皆の衣装を真似てコスプレしてる人は沢山いるんだ」

 

「それは光栄なことだね。この街並みには似合いそうにないけど」

 

「いやいや、二相楽園の雑多でサブカルな雰囲気は何でも包み込んでくれるよ」

 

「それじゃあ、その懐の深さに感謝しないとだね」

 

 会話を続けながら、二人は二次元シティへと踏み入れた。

 

「お、急に明るくなったね」

 

「二相楽園はちょっと変わっててね。場所によって時間帯が固定されてるんだ。鳩川区は夜、二次元シティは昼、みたいにね」

 

「それは随分と不思議な感覚だね……」

 

 怪しい店の軒先に金属片や古びた時計、欠けた陶片が並んでいた。普段は見かけないが露天売りだろうか。

 ファイノンの足が、品物を眺めるようにそこで止まる。

 星は手持ちのミニカメラを向けながら尋ねた。

 

「何か気になる?」

 

「そうだね。少し」

 

 彼は机の上に置かれた真鍮のコンパスを手に取った。

 埃をかぶっているが、蝶番の作りは細かい。蓋の内側には細い文字が彫られている。

 

「これは模造品だね。でも、わざと古く見せるための加工が雑じゃない。良くできてるよ」

 

「分かるんだ?」

 

「趣味で少し。骨董の鑑定は嫌いじゃない」

 

 星は素直に感心した。

 ファイノンは救世主だの英雄だのと呼ばれているが、こういう時だけ妙に年相応というか、静かな好奇心を見せる。そういうところが、彼を単なる“重い設定の人”で終わらせないのだと、星は思う。

 

「じゃあ、ここで質問二つ目。ファイノン個人としては、どんなものが好き?」

 

「難しい質問だね」

 

「英雄だとか黄金裔だとかじゃなくて、個人としての答えが知りたいな」

 

「個人として、か」

 

 彼は考え込んだあと、手元で弄っていたコンパスを机へ戻した。

 

「きれいに磨かれた道具を見るのは好きだ。誰かが長く使ってきたものとか、役目を果たしてきたものとか。そういうものには、持ち主の時間が染み込んでる気がする」

 

「時間、ね」

 

「あと、甘いものも好きだよ」

 

「急に親しみやすいな」

 

「親しみやすい方がいいだろう?」

 

「それ、今ちょっと狙って言ったでしょ」

 

「バレたかい?でも真面目なだけじゃ駄目らしいからね」

 

 やっぱり口が達者だ。

 星は内心そう思いながら、歩幅を合わせて進む。

 

 路地を抜けると広い通りに突き当たる。歩道橋を渡り切ると、星は振り向いてイタズラっぽく微笑んだ。

 

「今渡った歩道橋、実は歩道橋アイドルの橋美さんなんだよ」

 

「ほ、歩道橋アイドル……そんな存在まで居るのかい?」

 

 歩道橋の柱周りに集まる橋美さんファンを横目に見ながら、二人はしばらく並んで歩く。

 二相楽園名物のアミューズメントプラザが見えてきた。中央の巨大な像は、陽光を受けてキラキラと輝いている。

 広場へ出たところで、星は足を止めた。

 

「じゃあ、ここからちょっと本題だよ」

 

 声音を少しだけ落とす。

 

「ファイノン、自分が“救世主”って呼ばれること、どう思ってる?」

 

 周囲の喧騒が、少し遠のいた気がした。

 

 ファイノンはすぐには答えなかった。

 広場の向こうで、誰かが笑い、屋台の店主が声を張り上げる。そういう日常の音の真ん中で、彼だけが一歩だけ静かな場所に立っているように見えた。

 

「……重いよ。いや、重かったと言うべきだろうね」

 

 やがて、彼はそう言った。

 

「今となっては、黒幕とか陰謀とか色々と解決して、その役割はそこまで気負うことでもなくなった。だけど、火を追う旅の最中は、自分で自分を追い詰めるほどにきつい役割だった」

 

 星は何も挟まず待つ。

 カメラも、ドローンも、スタッフも、その沈黙を壊さない。

 

「最初は、役目の名前だったんだと思う。世界を救うために選ばれた者。そういう、物語の中の肩書きみたいな感じかな。でも、自分でそう思う度、人からそれを口にされる度に、少しずつ重さが変わっていく」

 

「変わる?」

 

「うん。救世主って呼ばれたら、もう自分一人の失敗で済まなくなる。僕が転べば、誰かの希望まで一緒に転ばせる。立ち止まれば、誰かの明日まで止めてしまう。そういう言葉だ」

 

 星は小さく頷き言葉の続きを促す。

 

「特に僕は、火種の継承も遅かった。紛争の継承も失敗してしまった」

 

 紛争の火種を回収し、継承の試練に向かったファイノンは、試練を越える事が出来なかった。

 

「おそらく最も強いタイタンであっただろうニカドリーの火種。僕はそれが欲しくて、モーディスに無理を言った。結局は彼が継ぐ事になったけど」

 

 ファイノンは、笑っていなかった。けれど苦しそうに歪んでもいない。ただ真っ直ぐだった。

 

「そりゃあもう焦るさ。欠けたところの無い完璧な器とまで呼ばれておいて、まだ何も成していないんだから」

 

苦笑しながら、ファイノンは当時を思い出す。

 

「だからね、僕は単語の意味を間違っていたんだと思うんだ」

 

「救世主って単語の?」

 

「そう。『人々は1人と別れを告げ、その者だけが奇跡を目にする事になる』」

 

「それは神託の……」

 

「この1人。僕なんじゃないかって思った。皆もそう思っていただろう。創成を成す1人とは、きっと僕の事なのだと」

 

 星はオンパロスの神託を初めて聞いたときを思い出す。遥か昔の事みたいに感じるが、確かに最後に残るのはファイノンだと思っていた。

 

「だから僕は、弱音を出せなかった、と言うと他責に過ぎるか。僕が、そういった物を出したく無かったんだ。弱さとか、迷いとか、普通の願いとか」

 

 彼は二次元シティの喧騒へ視線を落とした。

 

「おなかが空いた、とか。疲れた、とか。怖い、とか。そういう当たり前のことを言ってはいけない気がしてしまう。救世主だから、って」

 

 そこで彼は少しだけ笑った。重かった空気が霧散するように、柔らかい笑顔に戻ったファイノンは星に言葉を向けた。

 

「でも結局、救世主となったのは僕ではなかった。君の飾らない振る舞いを見ていると、なんだか心が楽になる気がするんだ」

 

「私はお腹すいてるなら、腹減ってるって言えーってタイプだから」

 

「知ってる」

 

「じゃあ、今は?」

 

 ファイノンは軽くお腹に手を当てて考えた。

 

「少し減ってるみたいだ」

 

「早いな」

 

「朝から撮影だし」

 

 星は思わず笑った。

 重さのある話の途中でも、彼はちゃんと人間の場所へ戻ってくる。そのバランスが、たぶん彼を壊しきらせなかったのだろう。

 だからこそ、欠点の無い完璧な黄金裔とされていたのかもしれない。

 

 

 

 難しい話は一旦置いて何か食べようとした二人は、屋台でたい焼きを食べ、近くのカフェで腹ごしらえをし、猫の看板が特徴のドリンクショップでテイクアウトをして歩き出した。

 

 来た道を戻るように、鳩川区へ帰ってきた二人。

 再び夜域に入り暗くなった周囲に影響されたように、更に重い話題へと切り込んでいく。

 

「じゃあ次、オンパロスのループについて」

 

 その言葉を口にした瞬間、ファイノンの表情がわずかに変わった。

 星には、その一瞬だけ、光そのものが冷えたように見えた。

 

「設定上の話じゃなくて、ファイノン自身が知ってる“繰り返し”の感覚を聞きたい」

 

「……これはまた、難しい質問だね」

 

「一回目から重いって言ったでしょ」

 

「言ってた」

 

 彼は少しだけ視線を空へ逃がした。二相楽園の人工的に区切られた四角い空を、まるでそこに別の天蓋が広がっているように見上げる。

 

「前提として、この僕は過去の周回でフレイムスティーラーとなったファイノン達が受け継いできた火種と、記憶や記録を継いだだけだから、正しく自身の主観が回帰しているわけではない、ということは知ってると思う」

 

「あのキュレネが造った儀礼剣がその媒介だったよね」

 

「そうだね。その上で答えさせてもらう。永劫回帰って表現を聞くと、同じ事を何度もやり直すみたいに思えるかもしれない。でも、あれはもっと嫌なものだった」

 

 ファイノンはいつも通りの微笑みを浮かべながらも、少しだけ表情を陰らせた。

 

「たとえば、誰かと交わした会話がある。別の巡りでも、似たような言葉をまた聞く。見た景色も、流れた血も、失ったものも、形を変えてまた現れる。完全に同じじゃない。だからこそ、余計に囚われる」

 

 星は黙って隣を歩き出した。

 ファイノンもまた、それに合わせて広場を抜ける。

 

「初めて見た悲劇なら、まだ怒れる。でも十度目、百度目になってくると、自分の心の方が先に擦り減っていく。磨耗した心でどうせまた来ると分かっているものに、毎回同じだけ傷つくのはとても難しい」

 

「それでも、あなたは立ち向かった」

 

「立ち向かわないと、誰もいなくなるから」

 

 その返答は、あまりにも簡潔だった。

 簡潔すぎて、そこに含まれるものの重さが逆に際立つ。

 

「回帰する感覚を知ってしまうとね、時間の流れがわかりにくくなるんだ」

 

 彼は続けた。

 

「今この一歩が、本当に前に進んでいるのか。それとも、大きな輪の中をただ回っているだけなのか。分からなくなる」

 

「今は?」

 

「今は……」

 

 ファイノンは通りの向こうで手を振る子どもを見返し、少しだけ目を和らげた。

 

「少なくとも、前とは違う景色を見ている気がする」

 

「二相楽園だから?」

 

「君と並んで、こうして歩いているから、かもしれない」

 

 星は即座にそちらを向いた。

 

「変な意味じゃないよね?」

 

「もちろん」

 

「だよね」

 

 次に二人が向かったのは、川沿いの遊歩道だった。

 

 二相楽園を横切る広い川は、海ではないのにどこか潮の名残を感じさせる風を運んでくる。欄干には小さな幻造種が留まり、通行人へパンフレットを配っていた。橋の向こうには観覧車が回り、そのさらに向こうで高層ビル群が陽炎のように揺れている。

 ちらほらと、ファイノンの姿を見て驚く人が増えてきた。

 

「この雰囲気、少し好きかもしれないな」

 

 ファイノンが河原の風に吹かれながら、ぽつりと言った。

 

「へえ」

 

「水の匂いが少しある」

 

「セイレンスが喜びそうだ」

 

「彼女なら、これは海じゃないと不満がるだろうけど」

 

「絶対言うね」

 

 星は欄干に寄りかかり、手持ちカメラの画角を調整した。

 

「じゃあ、少し軽めの質問」

 

「それは助かるよ」

 

「ファイノンさん、学生時代に弁論大会十連覇って本当ですか?」

 

思いもよらぬ所から出てきた質問に、ファイノンは面食らったように質問を返した。

 

「よくそんな事を覚えてるね?」

 

「設定を読んだからね」

 

「怖いなあ、その設定」

 

「じゃあ本当なんだね」

 

「そうだね。真面目に勉強していたとは言えないけど、神悟の樹庭で学んでいる時に口は達者だと言われたよ」

 

「じゃあ、コメント欄の皆さんに向けて、何か説得力のある一言をどうぞ」

 

「いきなりだな……」

 

 彼は少し困った顔をしてから、すぐにカメラへ視線を向けた。

 

「ええと。たぶん、皆もそれぞれ何かを背負って生きてると思う。世界を救うとか、そんな大きな話じゃなくてもいい。今日を終えることとか、誰かの支えになることとか、明日また起きることとか。そういう小さなことを果たしていくのも、立派な前進だ」

 

 さらりと言う。

 気負いがないのに、やけに届く。

 

「……はい、名言いただきました」

 

「からかわれてる?」

 

「少し」

 

「やっぱり」

 

 星は笑いながらカメラを下ろした。

 

 その時だった。

 河原の辺りで、人だかりがざわめいた。

 何事かと見ると、巨大な鳥型の幻造種が、広告用の翼をばたつかせながら制御を失っている。どうやら何かしらの漫画から抜け出して来たらしい。

 

 シンウィッシュビルの上空、夜空を背景に発光する金属製のくちばしが看板を弾き、通行人たちが悲鳴を上げて散っていく。

 

 ファイノンはその鳥を見上げ、懐かしむように呟いた。

 

「巨大な機械仕掛けの鳥……まるでエーグルみたいだ」

 

『ラクーン様! 危険です、下がって!』

 

 インカムの向こうからスタッフの叫び声がする。

 

 星は反射的に踏み出そうとした。

 だが、その前にファイノンが進み出ていた。

 

「大丈夫」

 

 振り返りもせず、彼はそう言った。

 

「倒してしまっても良いんだろう?」

 

 その声音は穏やかなままだったのに、空気だけが変わった。

 川風が一瞬、熱を帯びたように揺れる。

 

 出現した脅威に反応したのか、幻造種の巨鳥がこちらへ向き直り、金属音を立てて急降下した。

 ネオンに輝く翼が夜空を切り裂き迫る。

 普通の人間なら逃げる距離だ。いや、逃げることすら出来ず吹き飛ばされるだろう。

 だがファイノンは動かない。

 

 いや、動かないのではない。

 ただ、そこに立っているだけで十分なのだ。

 

 周囲の景色の方が彼に合わせて輪郭を変え始めていた。

 

「……見せるには、ちょうどいいか」

 

 小さく、彼は呟いた。

 

「ここで!?」

 

 星が叫んだ次の瞬間、ファイノンの全身を、黄金の火にも似た光がすっとなぞった。

 

「黎明を、灯そう!」

 

 眩しいのに、焼けるような熱ではない。

 けれど見ているだけで心が震えるような圧がある。

 

 彼の背後で、空気そのものが薄くひび割れたように見えた。

 ほんの一瞬だけ、世界の境界が覗く。

 広げればきっと、他の誰もが画面から消え、彼ひとりだけが立つ領域――そんなものの片鱗が、確かにそこにあった。

 

「えっ、ちょ、待っ……!」

 

 星が慌てて声を上げる。

 

「ファイノン、それフルではやらないで! 撮影班ごと画角から消える!」

 

「撮影の心配かい?逞しいな!分かった、抑えてみよう!」

 

 言っている内容は穏やかなのに、その姿はもう先ほどまでの青年ではなかった。

 

 白く研ぎ澄まされた烈日。

 人の輪郭を保ったまま姿をひび割れさせ、どこか神話に近づくかのように翼を広げた姿。

 編集部で半ば冗談のように呼ばれていた“カスライナモード”という呼称が、急に冗談ではないほど強烈な存在感。

 

 幻造種の巨鳥が突っ込んでくる。

 ファイノンは一歩だけ踏み込み空中へ舞い上がると、片手を振り下ろした。

 

 轟音は、遅れてやって来る。

 

 巨大な剣が巨鳥を叩き落とし、地面に縫い付ける。

 斬った、というより、進行方向ごと叩き潰したようだった。

 巨鳥は悲鳴も上げられぬまま地に伏し、そのまま力を失って遊歩道の端へ崩れ落ちる。破片は飛び散らず、周囲の人間にも傷一つない。

 

 沈黙。

 

 次の瞬間、どこからともなく拍手が起きた。

 避難していた通行人たちが、恐る恐る戻ってきて、やがて歓声に変わる。

 

「うわ、本物だ……」

「今の何!?」

「撮れてる!?」

「救世主(ファイノン)やばすぎ……」

 

 星は呆然としたまま、手持ちカメラを確認した。

 ぶれてはいるが、しっかり映っている。白い光、ひび割れた空気、そして一撃で事態を収めた彼の背中。

 

 ファイノンはゆっくりと振り返り、光を収めた。

 そこにいたのはまた、いつもの穏やかな青年だった。少しだけ照れたように頭を掻く。

 

「……こんな感じかな」

 

 星は数秒遅れて我に返る。

 

「いや、“こんな感じかな”じゃないでしょ!」

 

「派手すぎた?」

 

「派手とかそういう問題じゃなくて!今どうやったの!?」

 

「簡単に言うと、少しだけ本気に近い姿を見せた」

 

「少しだけ!?そんな器用な!」

 

「本当に少しだけだよ。あれ以上やると、たぶん君たちが全員いなくなる」

 

「いなくなるって意味深な表現やめてー!」

 

「正確には、僕の戦う領域から外れるだけだけど」

 

「映像的にはだいぶ致命的だよ!」

 

 ファイノンは本当に可笑しそうに笑った。

 

「ハハッ、でも視聴者は喜んでくれそうだろう?」

 

「それは、まあ……そうかも」

 

 星は認めざるを得なかった。

 インカムの向こうでは、スタッフが大騒ぎしている。

 

『撮れてます! 撮れてます!!』

『今のサムネ確定です!』

『タイトル変えましょう、“ついに御披露目”入れたい!』

『待って音割れしてないか確認――いやしてても使いたい!』

 

 星は額を押さえた。

 

「もうやだ、この編集部」

 

「いい編集部だと思うけど」

 

「当事者じゃないから言えるんだよ」

 

 すると、遊歩道の端で立ち止まって見ていた小さな子どもが、おそるおそる近づいてきた。

 

「おにーさん、いまの、ヒーロー?」

 

 ファイノンは少しだけしゃがみ、目線を合わせた。

 

「どうだろう。ヒーローを名乗れるかな?」

 

「すっごくつよかったし、かっこよかったよ!」

 

「ありがとう」

 

「でも、ひとりでたたかうの?」

 

 その問いに、ほんの一瞬だけ、彼の笑みが止まる。

 

「……まあ、そういう時もある」

 

「さみしくない?」

 

 無邪気な問いだった。

 だからこそ、鋭かった。

 

 ファイノンは子どもの頭をそっと撫でた。

 

「少しね」

 

「じゃあ、だれかいっしょのほうがいいよ!払暁レンジャーも皆で戦うんだよ!」

 

 子どもがそう言った所で、母親に呼ばれて駆け戻っていった。

 

 その背を見送りながら、星は静かにカメラを下ろした。

 

「今の質問、インタビュアー泣かせだ。私の台詞を取られちゃった」

 

「本当だね」

 

「……ひとりで戦うの、慣れてるって?」

 

「慣れたくはなかったけど」

 

 ファイノンは川面を見た。

 光が、流れていく。

 

「役目の果てでは、どうしても独りになる場面がある。誰かを巻き込まないために、自分だけが前へ出るしかない瞬間が」

 

「救世主だったから?」

 

「それもある。でも、たぶん僕自身の性分もある」

 

「平和主義者なのに?」

 

「平和主義者だから、かもしれない」

 

 星は少し考え、それから頷いた。

 

「なるほどね。自分が引き受ければ、他の人が傷つかなくて済むって発想」

 

「安直だと思う?」

 

「ううん。すごく、あなたらしい」

 

 ファイノンは視線を上げた。

 驚いたような、少し救われたような顔だった。

 

「ただし」

 

 星は人差し指を立てる。

 

「それを“救世主だから当然”って言われるのは、私も嫌い」

 

「……相棒」

 

「そういう単語、便利すぎるんだよ。背負ってる本人以外にとっては」

 

 川風が吹く。

 二相楽園は夜だろうと明るい。煌々と明るいのに、話している内容だけが時々、オンパロスの長い影を引きずってくる。

 

「じゃあ、質問を変える」

 

 星は言った。

 

「救世主って単語を一回置いといて、ファイノン本人として、今やりたいことは?」

 

「今?」

 

「今。世界とか運命とか抜きで」

 

 彼は少し考えた。

 それから、実に拍子抜けするほど自然に答えた。

 

「昼を食べたい」

 

「だと思った」

 

「あと、この街をもう少し見たい」

 

「それは取材継続ってことで?」

 

「もちろん」

 

「よし採用」

 

 星はカメラへ向き直り、笑った。

 

「というわけで、黄金裔降臨記念インタビュー第一回、まだ続きます。救世主は重い話もするけど、お腹も空くんです」

 

 その後、二人は屋台で軽食を買い、歩きながら撮影を続けた。

 

 ファイノンは意外と何でも素直に食べ、甘いものにも目を輝かせた。

 古書店の前では立ち止まって装丁を眺め、路地裏の落書き壁では「これは願力で動き出したりしないの?」と真顔で聞き、星に「するかもしれないから近づきすぎないで」と止められた。

 

 途中、巨大な電波塔の下を通った時、星は最後の質問を投げた。

 

「ファイノン。もし、今この映像を見てる人たちに、一言だけ残すなら?」

 

 彼は少しだけ歩みを緩めた。

 空には塔に巻き付く雷龍の影がゆっくり回り、地上にもまた、影が蛇行した螺旋を描く。永劫回帰を思わせる輪だったが、同時に、今はただ前に進む波形でもあった。

 

「……たぶん、こう言うかな」

 

 ファイノンはカメラを見た。

 

「僕は救世主なんて大きな名前で呼ばれたことがある。でも、本当は、誰か一人が世界を救うんじゃない。明日を諦めない人が、そのぶんだけ世界を先へ押していくんだ」

 

 声は静かだった。

 けれど、ひどくよく届いた。

 

「だから、もし黎明がまだ遠いと思うのなら」

 

 彼はわずかに笑う。

 

「僕と一緒に、少しだけ前へ進もう」

 

 星は、そこで録画を止めた。

 

 これ以上撮ると、たぶん余計なものまで映る気がしたからだ。

 カメラの中には、街を歩く二人と、笑い声と、重い言葉と、ひとときの白い烈日が確かに残っている。

 

『ラクーン様ー! 最高です!』

『今の締め、完璧でした!』

『動画一本で特集号組めます!』

 

 インカムの向こうでスタッフたちが騒ぎ立てる。

 星は耳元の通信を少し離しながら、隣の青年を見た。

 

「お疲れさま」

 

「そっちこそ」

 

「思ったより、ちゃんとインタビューになったね」

 

「途中で派手なハプニングはあったけど」

 

「主にあんたが原因のね」

 

「善処したつもりだよ」

 

「たしかに力加減は完璧だった」

 

 二人は顔を見合わせ、それから同時に笑った。

 

 恋愛感情かと言われればたぶん違うと答える。そんなものを挟む余地もないほど、この二人の間には、もっと別のものが積み重なっていた。だからこそ、二人は互いを相棒と呼ぶのだ。

 

 戦いの記憶。喪失の重さ。肩を並べた旅路。互いに互いを“英雄”だと見てしまう、少し厄介で、けれど確かな信頼。

 

 世界は回る。

 川は流れる。

 街は今日を続けている。

 

 もう永劫回帰は必要ない。この一日は繰り返しではなく、ちゃんと進んでいるのだ。

 

「編集部戻ったら大変だろうなあ」

 

「編集が?」

 

「コメント欄も、切り抜き班も、たぶん全部」

 

「じゃあ、頑張って」

 

「他人事だなあ」

 

「次もあるんだろう?」

 

「あるよ。そりゃもう、たっぷり」

 

「なら、僕も付き合うよ」

 

 星は少しだけ目を細めた。

 

「ほほう。次回も?」

 

「誰か他の人のインタビューだろうけど、必要ならね」

 

「いいね。その言質、もらった」

 

「しまったな、弁論大会十連覇でも口を滑らせることがあるみたいだね」

 

「今のも切り抜くから」

 

「本当に容赦ないね、君は」

 

「編集者だからね」

 

 それから二人は、観覧車の影を抜けて、来た道を戻り始めた。

 

 その背中を、街のざわめきと、遅れて追いつくスタッフの足音と、まだ興奮の冷めないドローンカメラが追っていく。

 

 きっとこの動画は、ものすごく再生される。そんな予感した。

 切り抜かれて、語られて、また誰かの願いになる。

 そうして願力は集まり、物語は現実を少しずつ上書きしていくのだろう。

 

 けれど、星がいちばん確かだと思ったのは、そんな壮大なことではなかった。

 

 歩く速度。

 隣から聞こえる息遣い。

 真面目な話のあとに挟まる、どうでもいい会話。

 撮影の合間に交わす、「腹減った」「じゃあ食べるか」みたいな、ひどく普通のやり取り。

 

 奇跡というのは、たぶんそういうものだ。

 

 世界を変える一撃のことじゃない。

 朝になっても消えず、街を歩き、名前を呼べば振り向いて、インタビューを撮ればちゃんと答えてくれる。そういう日常が確かに持つ重みを手に入れたことを、人は奇跡と呼ぶのだ。

 

 編集部に戻ったら、まずは素材を取り込んで、テロップ案を出して、サムネ文言を詰めて、公開日時を決めて、切り抜き候補を洗って――やることはいくらでもある。

 

 だから星は、その前に一度だけ、空を見上げた。

 

 二相楽園の空は、今日も晴れている。

 

「ねえ、ファイノン」

 

「うん?」

 

「次回予告、もう考えてる?」

 

「まだだけど」

 

「じゃあ、歩きながら考えようか」

 

「それ、また取材になる?」

 

「もちろん」

 

「本当に休ませる気がないなあ」

 

「人気者は大変なんだよ、救世主さん」

 

「……やっぱり、その単語は重いよ」

 

「分かってる。だから、今だけは別の呼び方にしとく」

 

「何て?」

 

 星は少しだけ笑った。

 

「私の相棒」

 

 ファイノンも、つられるように笑った。

 

「それなら、少し気が楽だ」

 

 そうして二人は、騒がしい街の中へまた歩き出す。

 第一回の撮影は終わった。




すぐ終わると思ってたら1万字超えて疲れた。
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