セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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覆面水着団集合 涙の別れと2人の約束

現実の残酷な轟音も、肌を焼く火花の熱も届かない、深い意識の深淵

 

セリカはその静寂の底で、重い瞼をゆっくりと押し上げた

 

「……こんな時にまで、またあの夢なのね。私、よっぽど精神的に追い詰められてるのかしら。……あれ?」

 

自嘲気味に吐き出した溜息は、白く霞むことなく透明なまま霧散した

 

違和感に辺りを見渡すと、そこは砂に埋もれた古い講堂でも、油と錆が鼻を突くヘルメット団の汚らしい倉庫でもなかった

 

そこは、柔らかな春の陽光のような朝日が窓から差し込む、見知らぬ教室だった

 

宙を舞う埃さえも黄金色の光の粒となって踊るその空間は、初めて足を踏み入れたはずなのに、胸が締め付けられるほど懐かしい香りがした

 

セリカは困惑し、浮き足立つような感覚を覚えながら室内を歩く。入り口の扉を確認するが、それは外の世界の喧騒を拒絶するように固く閉ざされ、びくともしない

 

視線を教室の中央に戻すと、そこには不自然なほど存在感を放つ大きな会議机と、主を待つように整然と並べられた「五つ」の椅子があった

 

そして、壁のホワイトボード。そこには、誰かが一生懸命に書いたのであろう、丸みを帯びた可愛らしい筆致でこう記されていた

 

『アビドス廃校対策委員会』

 

「アビドス廃校……対策……委員会……?」

 

その文字をなぞるように呟いた瞬間、心臓の奥がドクンと大きく、鋭く跳ねた。まるで、眠っていた魂が無理やり呼び起こされたかのような衝撃

 

「!?……だれ!?」

 

背後に鋭い視線を感じ、セリカは弾かれたように振り返った。そこには、数秒前まで影も形もなかった「それ」が、静かに横たわっていた

 

使い込まれた傷跡や擦れさえも、指先が覚えているほど愛おしく感じる、黒と赤のラインが印象的な一挺のアサルトライフル

 

そしてその傍らには、悪趣味で不気味なはずなのに、見つめているだけで不思議と勇気が湧いてくる、白地に鮮烈な紅の「4」が刻まれた覆面

 

「さっきまで、こんなのなかったのに……」

 

抗えない引力に惹かれるように、セリカは吸い寄せられるようにその銃と覆面へ手を伸ばした

 

指先が冷たく、しかし魂にまで馴染んだ重厚な金属の質感に触れた、その瞬間――

 

ダムが決壊したかのように、膨大で、あまりにも鮮烈な「記憶の奔流」が彼女の脳内を蹂躙した。それは単なる情報の記録ではなく、五感のすべてを伴った圧倒的な熱量を持つ「生きた時間」の断片だった

 

抜けるような青空の下、遮蔽物の隙間に吹き込む熱風を感じながら、屋上で五人で笑い合い、分け合ったお弁当の、ささやかで温かい味

 

不器用なほど真っ直ぐな、銀髪の少女が差し出した「これ、食べる?」という一言のぶっきらぼうな優しさ

 

いつも笑顔を絶やさず、けれど時折、親のようにも姉のようにも、自分を甘やかしてくれた金髪の先輩が淹れてくれた紅茶の、胸に染み渡るような香り

 

そして、その隣で静かに本を読みながらも、誰よりもしっかりと自分たちの「日常」を計算し、守ろうとしてくれた、知的な黒髪の少女との何気ない軽口

 

視界を塞ぐほどの激しい砂嵐の中、背中を預け合い、強大な敵を相手に絶望を跳ね除けて戦い抜いた夜の焦燥と昂ぶり

 

そして、常に最前線で盾を構え、その小柄な背中で嵐のすべてを受け止めてくれていた、絶対的な信頼を預けるべき「最高の先輩」の後ろ姿

 

それだけではない

 

「セリカちゃん、またバイト? 働きすぎだよー」と、呆れたように、けれど愛おしそうに自分を呼ぶ、あの大切な、家族のような四人の声

 

そして、何者でもなかった自分を「アビドスの生徒」として見つけ出し、導いてくれた、あのお節介で、けれど誰よりも自分たちのために傷ついてくれた「先生」の、大きくて温かな手の感触

 

「っ、はぁ……っ、はぁ……!!」

 

額に脂汗を浮かべ、セリカはその場に崩れ落ちるように膝をついた。肺が焼け付くような、激しい感情の過負荷

 

今まで自分の胸にぽっかりと開いていた巨大な空白。そこを埋めるべきだったのは、寂しさでも恐怖でもなく、この「守るべき大切な日々」のすべてだったのだ

 

記憶の波が凪いだ後、顔を上げた彼女の瞳には、先ほどまでの迷いや空虚さは微塵も残っていなかった

 

そこにあるのは、自分を救ってくれた、そして自分たちが救おうとした大切な仲間たちを、一瞬でも忘却の彼方に追いやっていた自分自身への激しい憤り

 

そして、何が起きようとも揺らぐことのない、アビドス高等学校・対策委員会「黒見セリカ」としての、強固な誇りだった

 

「……なんで。なんでこんなに、一番大切だったものを忘れていられたのよ……っ!」

 

絞り出すような声が、無人の教室に虚しく響いた。溢れそうになる涙を、彼女は血が滲むほど強く唇を噛んで堪えた

 

思い出さなければならなかった

 

あの退屈で、けれど何物にも代えがたかった黄金の日々を。自分を「セリカちゃん」「セリカ」と呼び、時にからかい、時に支えてくれたあの家族のような場所を

 

「そうだ。私は……私は、アビドス高等学校、対策委員会の……」

 

セリカがその名を、自らの魂に刻み込むように宣言しようとした瞬間、静寂に包まれていた世界が地震のような激しい振動に襲われた

 

「なになに!? 教室が崩れるの!?」

 

視界が激しく揺動し、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げる。慌てて目の前の大きな机を掴んで踏ん張るが、セリカは直感的に察した

 

この揺れは、この精神世界そのものの崩壊ではない

 

現実にある自らの肉体が、あるいは魂の連続性が、外側からの凄まじい物理的衝撃に晒されているのだ。

 

「……そういえば私、ヘルメット団に攫われて……意識を失ったんだったわね。……ってことは、今の揺れは現実でホシノちゃんやユメ先輩が戦ってる音なの!?」

 

胸を刺すような焦燥が彼女を突き動かす。ホシノが一人で、あるいは頼りないユメを連れて、自分を助けるために死線を潜り抜けている

 

そう確信した瞬間、もうここに留まっている理由はなくなった

 

出口を探して必死に周囲を見渡すと、先ほどまで固く閉ざされていた背後の扉が、ガラガラと小気味よい音を立てて自ら開いた

 

そこには誰もいない。廊下の先も見えない。けれど、開かれた扉の向こうから、砂の匂いが混じった温かな風が吹き抜けた

 

それはまるで、かつての――そして未来の仲間たちが、「行ってらっしゃい、セリカちゃん」「頑張ってね」と、背中を優しく、力強く押してくれているかのようだった

 

「……ええ。行ってくるわ。見てなさいよ、あんたたち! 私を誰だと思ってるのよ!」

 

セリカは涙を拭い、不敵にクスリと笑った

 

机の上の愛銃を迷わずひったくり、赤い覆面を乱暴に懐へ押し込む。彼女はもう、迷い子の少女ではない

 

眩い光が溢れ出し、すべてを飲み込もうとする扉の向こう側へと、セリカは一歩、力強く足を踏み出した

 

廊下に出た瞬間、強烈な光の粒子が猛吹雪のようにセリカを包み込み、視界を純白に塗り潰していく

 

意識が遠のく中、彼女の耳には、遠く現実の世界で響く戦火の音と、自分を呼ぶ悲痛な叫びがかすかに届き始めていた

 

鉛のように重い瞼をゆっくりと押し上げると、視界に飛び込んできたのは、ひび割れたコンクリートの梁と、砂埃が舞い狂う暗い倉庫の天井だった。肺に流れ込む空気は火薬の臭いと砂の味が混じり、喉を焼く

 

セリカは、自分の体が小刻みな振動と共に運ばれていることに気づいた

 

必死に走り、自分を逃がそうとしているユメの背中。その細い肩が、恐怖と疲労で激しく震えているのが伝わってくる

 

「……ユメ、先輩……?」

 

「っ! セリカちゃん!? 良かった、意識が戻ったんだね……! どこか痛むところはない? 苦しくない……!?」

 

ユメは安堵のあまり声を上ずらせ、周囲の安全を確かめながらセリカをゆっくりと地面に下ろした

 

セリカはまだ麻酔の名残でふらつく足を、強靭な意志で叱咤して立ち上がる。視界を埋めるのは、無慈悲に吹き荒れる暴力の嵐だった

 

「体は大丈夫。……それより、どういう状況なの、これ。あいつらは?」

 

「それが……」

 

ユメが絶望に顔を歪ませ、指差した先。そこには、夕闇の中で鈍く光る三台の戦車――鋼鉄の怪物が鎮座していた

 

その砲身から放たれる苛烈な火力が、一人の少女へと集中している

 

「ホシノちゃん……! 一人で、あんなもの三台を相手に……っ」

 

「私たちが後ろにいるから……私たちがいるせいで、ホシノちゃんは思うように戦えないの。弾丸を避ければ、後ろにいる私たちに直撃しちゃうから……! このままじゃ、あの子が……っ!」

 

ユメの悲痛な叫びを、セリカは静かに聞き届けた。ホシノの背中は、すでに爆風と破片で傷だらけだ。本来の彼女なら、あの鈍重な戦車など一分と経たずに鉄屑に変えていただろう。それを阻んでいるのは、自分たちの「弱さ」という名の足枷。

 

セリカは、懐にある確かな「感触」を確かめた。夢の中から現世へと持ち帰った、あの冷たくも馴染み深い重厚な金属の質感

 

指先がトリガーガードに触れた瞬間、体の芯から熱い力が湧き上がってくるのを感じた

 

彼女は静かに、けれど燃えるような黄金の闘志を瞳に宿し、ホシノの傷ついた背中を見つめた

 

「……足手まとい、ね。ふん、そんなの――今すぐ終わらせてやるわよ」

 

「セリカちゃん、待って!? 何を言ってるの!? 確かにセリカちゃんは強いけど……相手は歩兵じゃない、鉄の塊なのよ! それに、本気で動くホシノちゃんについていくなんて、今の私たちには無理だよ!」

 

ユメが悲鳴のような声を上げ、無謀な特攻を止めようとセリカの細い腕を掴んだ。だが、セリカはその手を、拒絶ではなく、安心させるような確信に満ちた力強さで振り払った

 

彼女の瞳には、つい数分前までの霧がかった迷いも、自分を見失っていた空虚さも微塵も存在しない。そこにあるのは、死線を幾度も超えてきた者だけが纏う、冷徹で美しい殺気だった

 

「安心して、ユメ先輩。何回も……何回も私は……いいえ、『私たち』は。あいつの戦い方も、その背中も、嫌っていうほど見てきたんだから。今さら、後れを取ったりしないわよ」

 

「待って、セリカちゃ……」

 

ユメが言いかけるのを遮るように、セリカは不敵な笑みを浮かべた

 

それはいつもの勝ち気な彼女でありながら、どこか遠い未来の時間を経たような、慈愛と自信に満ちた笑顔。彼女はそのまま、弾丸の雨が降り注ぎ、戦車砲が唸る地獄の只中へと、迷いなく駆け出した

 

その後ろ姿を見送るユメは、驚愕に目を見開いたまま動けなかった

 

「あれ……セリカちゃんの持っている、あの武器……」

 

セリカの右手に握られていたのは、先ほどまで持っていた護身用のハンドガンではない

 

夕闇の残光を吸い込み、漆黒の輝きを放つ、見覚えのないアサルトライフル。無骨ながらも機能美に溢れ、異様なまでのプレッシャーを放つその一挺は、まるで持ち主の覚醒に呼応するように、狂おしく唸りを上げているようだった

 

「ホシノちゃん! あとは私に任せて!」

 

吹き荒れる火炎と鉄錆の臭いを切り裂き、セリカの凛とした声が戦場に響き渡った

 

肩で激しく息を乱し、降り注ぐ主砲の爆風と飛散するコンクリート破片に塗れながら、必死に盾を構え続けていたホシノが、驚愕に瞳を見開いて振り返る

 

その視界に映ったのは、もはや守られるだけの軟弱な「一般生徒」ではない、鋭利な刃物のような意志を宿した親友の姿だった

 

「来ちゃダメです……! ここは私一人で十分です。セリカは、セリカだけはユメ先輩を連れて、今すぐにこの場所から脱出を――!」

 

「大丈夫よ。ユメ先輩も、この救いようのない絶望的な状況も……全部まとめてひっくり返してやるから、私を信じて任せなさい!」

 

セリカが断固たる口調で叫んだ、その刹那だった

 

空気を物理的に圧縮するような凄まじい衝撃波が走り、中央に鎮座していた主力戦車の重厚な車体が、まるで見えない巨大な鉄槌で上空から叩き潰されたかのように無残にひしゃげた

 

強固な装甲が紙細工のように歪み、直後、内部の弾薬庫に引火したかのような激しい爆発が巻き起こる。轟音と共に炎の華が咲き乱れ、戦車は一瞬にして鉄の棺桶へと変わり果てた

 

「なっ……!? いま、何が起きたんですか!?」

 

ホシノはあまりの光景に思考を凍りつかせ、その場に固まる。自らの切り札を一瞬で瓦礫に変えられたヘルメット団もまた、理解不能な事態にパニックを起こしながら、猛烈な爆炎と黒煙が上がるその中心地を凝視した

 

砂塵のカーテンを割って、ゆらゆらと陽炎のように揺らめく「三つの人影」がそこに立っていた

 

それは実体を持たない半透明な幻影のようでありながら、戦場に漂うどんな硝煙よりも濃密で、戦車という質量兵器をすら凌駕する圧倒的な殺気を放っている

 

全員が顔を隠すように数字が刻まれた奇妙な覆面を被り、その手には現在のホシノが見たことの無い未知の重武装が握られていた。

 

「1」の覆面を被った小柄でしなやかな影が、手にした多機能ドローンを冷徹な手つきで操作し、空中からの支援態勢を整える

 

「2」の覆面を被った大柄でどこか優雅な影は、巨大な多砲身ガトリングガンの銃身を、冷却を兼ねて静かに、しかし威圧的に回転させ始めた

 

そして、その中心。セリカより少し身長の低い「3」の覆面を被った幻影が、腰に手を当ててセリカを真っ直ぐに指差すと、クイックイッと楽しげに、それでいてどこか強引に手招きをした

 

彼女の口元は、まるで生意気な後輩を叱りつけるかのようにせわしなく動いているが、その声は現実の音としては一滴も漏れ聞こえてこない

 

「あ、怪しすぎる……。何なんですか、あの銀行強盗を絵に描いたような物騒な集団は……。アビドスを狙う新手の、武装テロリストか何かですか……?」

 

ホシノが全身の産毛を逆立たせるような戦慄を覚えながら、反射的に背後のユメの安否を確認しようと振り返った

 

その時だった

 

「ひぃん!? な、なな、何ですか貴方はぁ! 近寄らないでくださいぃ!」

 

「ユメ先輩!?」

 

ホシノが叫ぶ

 

ユメのすぐ隣には、いつの間にか「0」と書かれた鮮やかな黄色の覆面を被った、知的で冷静な雰囲気を纏う第四の人影が音もなく寄り添っていた

 

慌てて銃口を向けるホシノに対し、その黄色い覆面は、自分に敵意がないことを示すように、見るからに慌てふためいた様子で両手を左右にブンブンと振ってみせる。その、どこか間の抜けた、しかし親しみを感じさせる光景を見たユメは、頬を引きつらせた苦笑いを浮かべたまま、ホシノを制するように手を振った

 

「あー……大丈夫よ、ホシノちゃん。見た目はすごく……その、怪しいし、夜道で会ったら泣いちゃいそうなくらい怖い感じだけど。なんだか、とっても、言葉にできないくらい温かい『味方』な感じがするから……」

 

「み、味方!? どこをどう解釈したら、あの覆面集団が味方に見えるんですか先輩!」

 

困惑の極致に叩き込まれたホシノを余所に、セリカは確信していた

 

「3」の覆面を被った幻影が、巨大なミニガンを軽々と肩に担ぎ直し、まるで「早く来ないと、セリカちゃんの見せ場を全部奪っちゃいますよ?」とでも言いたげに、ぷんぷんと可愛らしく怒りながら地団駄を踏むようなジェスチャーを繰り返している。その、優雅さと物騒さが同居したノノミらしい挙動に、セリカは深い、深い、呆れと愛着の混じったため息をついた

 

「もう……わかったわよ、そんなに急かさないでよ。本当にわがままなんだから、みんなして……。でも、そうね。アビドスをバカにしたあいつらには、たっぷりお返しをしなきゃいけないものね」

 

セリカは懐から取り出した赤い「4」の覆面を、迷いのない動作で頭から被った。その瞬間、彼女の背筋は鋼のように真っ直ぐに伸び、纏う空気は完全に「対策委員会」のいや、「覆面水着団」の4号へと変貌した

 

「待たせてごめん。……さてと。アビドス高校1年、生徒会会計……そして! アビドス廃校対策委員会の黒見セリカよ! 私たちの、最高に大切で大好きな学校に…そして私の親友に、泥を塗ったんだから、タダで済むと思わないことね。覚悟しなさい!」

 

宣戦布告と共に、赤い覆面の少女は弾丸の雨が降り注ぐ戦場へと、猛然と駆け出していった。その背中には、先ほどまでの迷いも、自分を見失っていた空虚さも微塵も感じられない

 

呆然と立ち尽くすホシノとユメ、そして目の前の異常事態に言葉を失い、戦慄するヘルメット団

 

静寂が支配しかけた戦場だったが、ヘルメット団のリーダーが自身のこめかみを強く叩き、恐怖による硬直を振り払うように絶叫した。

 

「何がタダですまないだ、何が覆面だ! あんな頭のおかしな、ふざけた格好の連中に負けてたまるか! 全員、撃て! 狙いなんていらねぇ、跡形もなくハチの巣にしてやりなさいッ!!」

 

リーダーの号令と共に、生き残った二台の主力戦車が主砲を唸らせ、周囲の歩兵が一斉に引き金を引き絞る。空気を切り裂く弾丸の豪雨と、視界を紅く染め上げる無数の火線

 

しかし、その死の暴風を前にしても、セリカと「幻影の仲間たち」が怯むことは万に一つもなかった

 

「……ふん。相変わらず、数だけはいっちょ前ね! でも、そんなの……当たんなきゃ意味ないのよ!」

 

セリカが鋭い咆哮を上げると同時に、隣にいた「2」の覆面を被った幻影が、重力を無視したようなしなやかさで地を蹴った。彼女はまるで風そのものになったかのように、戦車の至近弾を紙一重の制動で回避。空中でドローンと完璧にリンクしながら、正確無比な狙撃を敵兵のバイザーへと次々と叩き込んでいく

 

続いて「3」の覆面を被った影が、巨大なガトリングガンの圧倒的な重量を感じさせない軽やかな足取りで前進を開始した

 

「ふふっ、お掃除の時間ですよ♪」

 

実際に声は聞こえないはずなのに、その場にいる全員の脳内に直接、花が咲くような陽気な台詞が響き渡った。直後、回転する銃身から放たれた莫大な火力の奔流が戦場を蹂躙する。弾丸の幕が、ヘルメット団が盾にしていた遮蔽物を、文字通り紙細工のように粉砕していく

 

そして「1」の覆面を被った少女の幻影は、まるで戦場という舞台で舞踏を踊るかのように、最も激しい激戦区へと滑り込んだ

 

彼女はセリカと背中を預け合い、一切の視線も言葉も交わすことなく、完全にシンクロした動作でリロードの隙を埋め、互いの死角を完璧にカバーし合う

 

セリカが右から迫る脅威を鋭い一撃で射抜けば、1号の少女が左の死角から飛び出す敵を盾で弾き飛ばし、ショットガンでなぎ倒す

 

二人の銃火は絶え間ない一つの完成されたリズムとなり、暴力の嵐の中で美しくさえある調和を奏でながら、戦場の主導権を完全に掌握していった

 

ホシノは、ユメを庇うようにその傍らへと駆け寄った。しかし、手にした散弾銃の無機質な冷たさも、左腕を締め付ける盾の重圧さえも忘却の彼方へ追いやられるほど、彼女の意識はその異様な光景に釘付けになっていた

 

「……信じられない。一度も互いの位置を確認していないのに。言葉による意思疎通すら、1文字も交わしていないのに……。まるで、何千回、何万回と死線を共にしてきたような……あんなに、完璧に息の合った連携なんて……」

 

ホシノの言葉は、隠しきれない驚愕に震えていた。かつて「アビドスの最終兵器」と恐れられた彼女の冷徹な戦術眼を持ってしても、目の前の光景は既存の軍事教本では説明がつかない代物だった

 

個々の技術が卓越しているのは明白だが、それ以上に異質なのはその「密な繋がり」だ

 

呼吸の一致、視線の誘導、歩幅の同期――それらすべてが、目に見えない強固な鎖で結ばれているかのように調和している。

 

そして何より、その中心にいるセリカだ。彼女はこれまでに見たこともないほど「自由」に、そして心の底から「楽しそうに」地獄のような戦場を駆けている。

 

「……ホシノちゃん、見て。セリカちゃん……あんなに笑ってる。まるでお祭りの最中にいるみたいに」

 

ユメが震える指で戦場を指差す

 

その言葉の通り、赤い覆面の隙間から覗くセリカの口元には、不敵で、それでいて眩いほどの笑みが浮かんでいた

 

彼女にとってこの戦いは、もはや生還を賭けた絶望的な防衛戦などではなかった。それは、奪われていた記憶のピースを一つずつ拾い集め、欠けていた魂の形を元に戻していく、神聖な「祝祭」に他ならなかった

 

隣では、黄色い覆面を被った「0」号の少女が、手元の高度な情報処理端末を舞うように操作していた

 

彼女が導き出した弾道演算、敵の挙動予測、そして最短の勝利ルート。それら膨大なデータが、不可視のネットワークを通じて覆面の少女たちのバイザーへと初めてリアルタイムで送信される

 

通信機器すら持たないセリカだったが、彼女に端末など必要なかった。隣を走る仲間の肩の動き、銃口の向き、そして魂に刻まれた経験だけで、彼女は次に何をすべきかを完璧に察知し、迷いなく引き金を引き絞る

 

「……これで、終わりよ!」

 

セリカの鋭い叫びが、火薬の爆ぜる音を突き抜けた

 

その言葉を合図に、四挺の銃火が一箇所――戦車の砲塔基部という、極めて狭い装甲の弱点へと正確無比に収束した

 

金属が悲鳴を上げ、装甲が熱量に耐えかねて溶解する

 

直後、轟音と共に二台目の戦車がその巨体を大きくのけ反らせ、夕闇が降り始めた砂漠に巨大な火柱を上げ、内部の誘爆が連鎖し、鉄の怪物は断末魔を上げるように崩れ去る

 

ホシノとユメは、ただ呆然と、その圧倒的な「奇跡」の光景を、瞬きすることさえ忘れて見守り続けていた

 

主力戦車は二台とも瞬く間に無惨な鉄屑へと変わり果て、周囲を固めていた歩兵たちも、その圧倒的な暴力の前に戦意を喪失して霧散した

 

黒煙が濁流のように倉庫の天井を焦がし、先ほどまでの絶望が嘘のような静寂が訪れる

 

形勢が完全に逆転したことを悟ったヘルメット団のリーダーは、顔を真っ赤にして地団駄を踏み、歯噛みしながら後ずさりした

 

「お、覚えてろよ! こんなデタラメな連中に負けたなんて、私は認めねぇからな! いつか必ず、もっと大勢の兵隊と最新の兵器を揃えてリベンジしに来てやる! 首を洗って待ってろッ!!」

 

怒りと屈辱に顔を歪ませ、リーダー格の女は捨て台詞を絶叫した

 

敗北の恐怖を虚勢で塗り潰しながら、彼女は最後の一台となった戦車のハッチから身を乗り出し、全速力での撤退を命じようと喉を震わせる。しかし、その背後に死神の如き冷徹さと、悪戯が成功した子供のような楽しげな色を孕んだ少女の声が響いた

 

「何言ってるのよ。私たちを相手に無防備にハッチを開けて、たった一台きりになった時点で……貴方たちの負けだって言ってるの」

 

セリカが不敵に言い放った、その直後だった

 

逃走を図ろうとエンジンを唸らせていた最後の一台の砲塔を、一筋の「桃色の閃光」が横切った

 

「なっ……!? いつからそこに――」

 

リーダーが驚愕に目を見開いた時、視界のすぐ先にはピンク色の「1」という数字が刻まれた覆面を被った少女が、羽毛のように軽やかな身のこなしで飛び乗っていた

 

小柄で華奢な体躯でありながら、鋼鉄の巨体の上に立つその姿には、荒れ狂う砂嵐の中でも決して揺るがない山のような安定感と、狙った獲物を一瞬で仕留める捕食者の鋭い殺気が同居している

 

その流麗かつ合理的な動きを目撃したユメは、あまりの衝撃に言葉を失い、思わず息を呑んだ

 

(あの、無駄のない重心の移動……。相手の隙を突き、翻弄するような独特のステップ……。まるで、本気のホシノちゃんにそっくり……!)

 

ユメの視線の先で、覆面の少女は荒れ狂う戦場にいることさえ忘れたかのような余裕を見せ、驚愕で硬直したリーダーの鼻先で、挑発的にコテリと首を傾げてみせた

 

「なっ、何突っ立ってんだお前ら! 早く、早くこのガキを振り落とせ!! 殺せ、殺しちまえ!!」

 

リーダーが喉を潰さんばかりに絶叫し、操縦手が戦車のレバーを乱暴に操作して蛇行させ、無理やり「1号」を振り落とそうと車体を激しく揺さぶる。しかし、少女の足裏はまるで強力な磁石で吸い付いているかのように、どれほど激しい挙動を繰り返しても鋼鉄の装甲から離れることはない

 

「無理です! こんな狭い倉庫の中で、これ以上派手な動きなんて出来ませんよぉ! 崩れた瓦礫に足を取られて、こっちが横転しちゃいます!!」

 

装甲の底から悲鳴のような操縦手の声が反響する

 

パニックに陥り、自滅の道を辿り始めたヘルメット団をよそに、ピンクの覆面の少女は、マスク越しでも分かるほど満面の、花が咲くような笑みを浮かべた

 

そして彼女は、スカートのポケットから流れるような手慣れた動作で三つの手榴弾を取り出すと、軽快な音と共にピンを抜き、開いたままのハッチの暗闇へと無造作に滑り込ませた

 

「じゃあね〜」

 

物理的な声は一切聞こえないはずなのに、その仕草からは、そんな茶目っ気たっぷりの別れの言葉がはっきりと聞こえた気がした

 

少女は爆発が巻き起こるコンマ数秒前、夕闇を背に翼を広げた鳥のように華麗に宙を舞い、吸い込まれるように地面へと着地する

 

――ドォォォォォォンッ!!

 

戦車の内部で三連鎖の爆音と衝撃波が荒れ狂い、行き場を失った紅蓮の火炎が煙突のようにハッチから噴き出した

 

数トンの重みを誇る鉄の巨体は、内側からの膨大な圧力に耐えかねて無残にひしゃげ、ヘルメット団の浅ましい野望と共に、最後の一台も完全に沈黙した

 

静まり返った倉庫に、パチパチと火花が散る音だけが空虚に響く

 

ピンクの覆面を被った少女は、着地の衝撃を逃がすように軽やかに膝を曲げた後、スッと立ち上がった

 

彼女は手にしたショットガンを無造作に肩へ担ぎ、砂塵を纏いながらゆっくりとセリカたちの元へ歩み寄る

 

戦場を支配していた暴力の轟音は、最後の一台が沈黙したことで唐突な、そしてあまりにも静かな終わりを迎えた

 

背後で上がる爆炎を逆光に背負い、砂塵の中から陽炎のように揺らめきながら歩み寄る覆面の集団

 

その中心にいた赤い覆面の少女は、ホシノとユメの目前まで来ると、躊躇いなくその赤い布を脱ぎ捨てた。

 

「……ふぅ。やっぱりこれ、少し恥ずかしいのよね。視界も悪いし、ちょっと蒸れるし」

 

現れたのは、見間違えるはずのない、セリカの顔だった。けれど、その表情には先ほどまでの「危うさ」や、居場所を失った「空虚感」は微塵も残っていない

 

そこには、迷いを断ち切り、自分という存在を完全に取り戻した者だけが持つ、晴れやかで清々しい笑顔が浮かんでいた

 

しかし、ホシノは安堵して駆け寄ることさえできず、ただ震える声で問いかけた

 

「……セリカ。貴方は、本当に何者なんですか? その銃、その迷いのない戦い方……。本気の私だって、あんなに完璧な連携は知りません」

 

その問いが空気に溶けた瞬間、セリカの指先から、蛍の光を淡くしたような青白い粒が零れ落ちた

 

光の粒は、彼女の輪郭をなぞるように次々と溢れ出し、夜の気配が濃くなり始めた倉庫内を幻想的に照らし出す

 

それはセリカだけではなかった。背後に佇む「0号」から「5号」までの幻影たちも同様に、その体躯が星屑の集まりのように透け始めていた

 

「っ、光が……!? セリカ、体が消えかかって……! 」

 

慌てて手を伸ばそうとしたホシノの動きを、セリカは静かな眼差しで制した。彼女は自らの透けゆく掌を少しだけ寂しげに見つめ、けれど納得したように目を細める

 

「……時間ってことね。やっぱり、借り物の奇跡はそう長くは続かないみたい」

 

「時間って、どういうことですか……! さっき貴方が口にした『対策委員会』、それに、見たこともないほど洗練されたチームワーク…そしてあの武装は一体何なんですか! 隠さずに全部、全部話してください!」

 

ホシノの悲痛な叫びに呼応するように、周囲の幻影たちの崩壊が加速していく

 

まず、「0号」の黄色い覆面を被った少女が、名残惜しそうに手元の端末を閉じ、ユメの目を見て深く、深く、感謝を込めるように頭を下げた。彼女の体は、知性を感じさせる静かな光の帯となって虚空へ消えていく

 

続いて、重火器を担いでいた「3号」と、アサルトライフルとドローンを手にしていた「2号」が、互いに顔を見合わせるような仕草をした後、砂の城が崩れるように粒子となって夜風に攫われていった

 

最後に残ったピンクの覆面の「1号」は、ホシノの目をじっと見つめると、いたずらが成功した子供のように楽しげに右手を振り、その場からふっと輪郭を失った

 

残されたのは、半透明になり、背景の闇が透けて見えるほどに希薄になったセリカ一人だけだった

 

彼女を取り巻く青白い光は、まるで夜明け前の静寂のように、美しくも残酷な別れの時を告げていた

 

「私、この時代の人間じゃないのよ」

 

セリカの声は、静まり返った倉庫の空気に染み渡るように、穏やかで、けれど避けようのない真実の重みを伴っていた

 

彼女を取り巻く光の粒子はさらに激しさを増し、その体は夜の闇に溶け出す寸前の幻灯機のように、たどたどしく明滅している

 

「何を言って…」

 

「前にも話したでしょ。仲間たちと学校の怪談を追っていたら、私一人だけ変な場所に迷い込んだって。……あれね、嘘じゃなかったの。本当の話だったのよ」

 

セリカは自嘲気味に、けれどどこか愛おしそうに目を細めた

 

「なんで私がこの世界に飛ばされたのか、その理由は最後まで分からなかった。でも、多分……この場所で、あなたたちに出会う必要があったからなんだと思う。……でもね、もう、お別れみたい。無理に繋ぎ止めていた時間が、元の場所に戻ろうとしてるのがわかるの」

 

その告白が耳に届いた瞬間、ホシノの思考は真っ白なノイズに塗り潰された

 

目の前にいる、自分と同じ16歳の季節を歩んでいるはずの少女。自分を真っ向から否定し、傲慢だった鼻柱をへし折り、それでいて誰よりも真っ直ぐに自分を案じてくれた唯一無二の親友

 

その彼女が、実は数年の時を隔てた未来からの迷い人だった

 

今朝、自分の弱さと恐怖のせいで彼女を傷つけ、最低な言葉で八つ当たりをしてしまった。謝りたかった。一緒にラーメンを食べたかった。下らない喧嘩をして、それからまた笑い合いたかった

 

そんな当たり前の未来が、謝罪の言葉を口にする隙さえ与えられず、指の間から砂のように零れ落ちようとしている

 

「……だ」

 

掠れた、震える声がホシノの唇から漏れた

 

「ホシノちゃん……?」

 

セリカが不思議そうに首を傾げる

 

その仕草さえも、もうすぐ失われる記憶の一部になってしまう。その恐怖が、ホシノの心を真っ二つに叩き割った

 

直後、ホシノの瞳から堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。彼女はなりふり構わず走り出し、光に透け、今にも霧散してしまいそうなセリカの体に、折れんばかりの勢いでしがみついた

 

「いやだ……! 私……セリカと別れたくない……っ!!」

 

「ホシノ、ちゃん……」

 

「まだ言わないといけないことが、謝らなきゃいけないことが、山ほどあるんです! どこにも行かないで……お願いだから……っ! 行きたいところだって、もっとお話ししたいことだって、数え切れないくらいあるんです! それなのに、こんなお別れなんて嫌です……! 行かないでください、セリカ!!」

 

ホシノの声は、もはや「暁のホルス」と呼ばれた最強の守護者のものではなかった

 

それは、たった一人の大切な存在を引き剥がされることを恐れる、剥き出しで無垢な子供の悲鳴だった

 

冷徹に自分を律していた仮面も、強がりな不遜な笑みもすべて剥がれ落ち、ただ一人の友人を失いたくないと願う、あまりにも純粋で、あまりにも脆い少女の心がそこにはあった

 

抱きしめた腕の中には、確かにセリカの温もりが残っている。けれど、その感触は一秒ごとに希薄になり、ホシノの必死な願いをあざ笑うかのように、夜風へと溶け始めていた

 

その背後で、ユメもまた静かに涙を流しながら、二人の惜別を祈るように、そしてその光景を魂に刻みつけるように見つめていた

 

崩れ落ちそうなホシノを支えたいという思いと、これが二人の少女にとって不可侵の、美しくも残酷な聖域であるという確信が、彼女の足をその場に留めていた

 

セリカは困ったように、けれどこの上なく愛おしそうに眉を下げて笑うと、指先から透け始め、物理的な実体を失いつつある手で、優しく、慈しむようにホシノの頭を撫でた

 

その感触は、もう羽毛よりも軽く、幻のように淡い

 

「……私も。本当は、同い年のホシノちゃんと、もっともっと遊びたかった。一緒に汗を流してアルバイトしたり、大将のラーメンを食べに行ったり……。時には借金の相談に乗ってもらったりして、そんな下らない、何でもない日常の中で笑い合いたかった。……でも、ごめんね。私も、帰らなきゃいけないの。向こうで、私の帰りをずっと待っている、私の本当の居場所……大切な仲間たちのところへ」

 

「セリカ……っ」

 

ホシノが縋るようにその名を呼ぶが、セリカは優しく、けれど抗うことのできない運命の力を持って、ホシノの体を自ら離した

 

その距離が、今まさに二人の間に横たわろうとしている二年の歳月そのもののように感じられた

 

「ホシノちゃんの言いたかったこと……謝りたかったことも、これからのことも、今は全部は聞けないけれど。その言葉は、必ず未来で聞くわ。……これは、時を超えた私とあなたの約束よ」

 

セリカの足元はもはや完全に光の奔流へと溶け去り、夜の闇を青白く染め上げている

 

「ユメ先輩と仲良くしなさいよね? もし喧嘩別れなんてしたら、私が未来から飛んできてでも許さないんだから! ……それと、お願いがあるの。これから二年後、アビドスに一人の生徒が入ってくるわ。すごくワガママで、すぐ怪しい商売に騙されて、素直になれなくて……。でも、誰よりもアビドスを、そして何より『貴方』のことを愛している後輩がいたら。その時は……どうか、優しく迎えてあげて。彼女の居場所を、作ってあげて」

 

未来の自分を託すようなその言葉に、ホシノは溢れる涙を震える拳で何度も拭い、胸を突き上げる悲鳴のような感情を、未来への強固な誓いへと変えて飲み込んだ

 

「……私、必ずやり遂げます。貴方が守ってくれたこの学校で、『アビドス砂まつり』を絶対に開きます! 例え今はたった二人きりの小さな火種でも、いつかみんなが心の底から笑えるような、そんな最高のお祭りに育ててみせますから……! だから……セリカも、未来で、絶対に来てください。約束……約束ですからね!」

 

「……ええ。もちろんよ。必ず行くわ。……バイバイ、ホシノちゃん。また、未来でね」

 

満開の桜が散るような、最高に眩しい満面の笑みを残し、黒見セリカの姿は完全に光の粒となって、凍てつく夜の風に溶け、星空へと吸い込まれていった

 

その瞬間、地平線の彼方へと太陽が完全に没し、世界は深い、深い暗闇に包み込まれた

 

先ほどまでの死闘の火花も、奇跡のような再会のぬくもりも、すべてが幻だったかのように冷たい静寂だけが倉庫を支配する

 

「う……あああ……うぁぁぁぁぁ……っ!!」

 

ホシノは糸が切れた人形のようにその場に膝から崩れ落ち、砂の浮いた冷たいコンクリートを、血が滲むほど拳で叩いて泣き叫んだ

 

ようやく、ようやく見つけた。最強の兵器としてではなく、ただの「ホシノ」として、対等に背中を預け、明日を語り合えるたった一人の親友

 

謝ることも、未来を共に歩むことも叶わず、ただ果てしない時間の先に繋がれた「約束」だけを遺して、彼女は消えてしまった

 

胸を引き裂くような絶望と孤独、そして自分への後悔が混じり合った慟哭が、虚しく倉庫の壁に反響し続ける

 

「……きっとまた会えるよ。大丈夫、約束したんだもん。ね、ホシノちゃん」

 

ユメは静かに歩み寄り、子供のように声を上げて泣きじゃくるホシノの背中に、そっと、包み込むような温かな手を置いた

 

彼女はそれ以上、慰めの言葉を重ねることはしなかった。ただ、溢れ出す悲しみが少しでも和らぐように、その温もりだけで絶望の底にいる後輩を、夜が明けるまで支え続けた

 

砂漠の夜はどこまでも深く、静寂はすべてを飲み込むかのように重い。しかし、慟哭を終えたホシノの胸の中には、冷たい絶望とは異なる熱が宿っていた

 

それはセリカが命を賭して、そして未来という名の希望を託して残していった「約束の光」。微かではあるが、決して消えることのない灯火が、彼女の閉ざされた心を内側から静かに照らし始めていた

 

それから二人は、砂に埋もれた荒野を横切り、静まり返った夜の帳を突っ切って、アビドス高等学校へと戻った

 

重い足取りで辿り着いた生徒会室。つい数日前まで、三人でくだらない言い合いをし、笑い、安っぽい茶菓子を囲んでいたその部屋は、今は青白い月光が窓から差し込むばかりだ

 

主を失ったかのようながらんとした空間が、残酷なまでの静寂をもって二人を寂しげに迎える

 

「ひぃん……本当に、一生分くらいのことが一気に起きた、大変な一日だったねぇ……」

 

ユメが深く、長くため息を漏らした

 

それは、張り詰めていた緊張が解けた安堵と、失ったものの大きさを噛み締める、自分自身を奮い立たせるための独り言のようだった。

 

「……はい……」

 

ホシノの返答は短く、その声には以前のような鋭さも覇気もなかった

 

腫らした瞳の端にはまだ痛々しい赤みが残り、窓の向こう側に広がる、境界の消えた砂漠の闇をただ凝視している

 

その心は未だに、光の粒子となって消えていった少女の残像を追い、遠い未来か、あるいは戻らない過去のどこかへ取り残されているようだった

 

(ホシノちゃん……やっぱり、すごく寂しいよね。大切だったもんね。……そうだ、あの子のために、私たちにできることがまだある!)

 

その沈み込んだ横顔を見兼ねたユメは、ふと部屋の隅、闇に沈んだ床に視線をやった

 

そこには、今朝のいざこざで、無残に引き裂かれて捨てられたままになっていた「アビドス砂まつり」のポスターの残骸が、埃にまみれて力なく散らばっていた

 

「……ユメ先輩?」

 

怪訝そうに眉をひそめるホシノを余所に、ユメは膝をついて、バラバラになった紙片を一枚ずつ、壊れ物を扱うように愛おしそうにかき集めた

 

泥に汚れ、靴跡がついたその破片をすべて拾い上げると、彼女は大きな会議机の上にそれらを広げ、古びたセロハンテープの台座を「ドン!」と、景気よく置いた

 

「ホシノちゃん。体も心もボロボロに疲れてると思う。今すぐ眠りたいかもしれない。……でもね、これ、今から二人で直そう! セリカちゃんが、私たちのために、命がけで守ろうとしてくれたアビドスの……私たちの、大切な思い出なんだもん!」

 

「……っ」

 

ホシノの肩が、びくりと小さく揺れた。机の上に広げられた無残なポスター

 

それは今朝、自分が「こんなの無駄だ」と否定し、踏みにじられた夢の成れの果てだ

 

けれど、セリカはこれを「いいポスターじゃない」と笑ってくれた。このツギハギの夢のために、彼女は戦ってくれたのだ

 

「……そうですね。せっかくあの子と約束したのに、その証拠がこんなバラバラのままじゃ、未来で再会したときに『あんた何やってんのよ!』って、また怒られちゃいますからね」

 

ホシノは一度だけ、溢れそうになる感情を抑えるように強く目を擦ると、迷いを振り切って前を向いた

 

二人は生徒会室の古びたスイッチを入れ、パチパチと不規則に明滅する蛍光灯の下で、静かに、けれど確かな熱量を持って作業を開始した

 

それから、どれほどの時間が経ったのだろうか

 

二人は一言も交わさず、ただ黙々と、パズルのピースを埋めるように千切れた紙の繊維を慎重に合わせていった

 

指先が糊や埃で汚れ、重い睡魔が瞼にのしかかっても、二人の手は止まらなかった。一枚、また一枚とテープを貼るたびに、セリカがこのポスターを見て紡いだ言葉、彼女がこのアビドスで過ごした短くも濃厚な時間のすべてが、バラバラだった記憶と共に一つに繋ぎ合わされていくような感覚

 

それは、失われた時間を取り戻すための儀式のようでもあった

 

やがて窓の外が青から白へと移り変わり、砂漠の果て、地平線の向こう側から黄金色の朝日が力強く差し込み始めた頃

 

ホシノが最後の一片――ポスターの中央、三人の夢が交差する部分を、震える指先でピタリとはめ込み、最後のテープでしっかりと固定した

 

「「……できたぁーっ!!」」

 

重なり合った二人の晴れやかな声が、誰もいない早朝の静まり返った校舎に、壁を伝い、廊下を駆け抜け、どこまでも高く響き渡った

 

完成したポスターは、決して美しいとは言えなかった

 

無数のセロハンテープが継ぎ目だらけに走り、朝日に反射してギラキラと不揃いに光っている。けれど、その歪な継ぎ目のひとつひとつが、三人が確かにここで出会い、共に笑い、泥にまみれて戦い抜いた、何物にも代えがたい絆の証明だった

 

二人はその「奇跡の結晶」を、生徒会室の一番目立つ場所、未来の光が最も差し込む壁に、誇らしげに、大切に貼り出した

 

「……ユメ先輩。必ず、開きましょうね。この砂まつりを。セリカが、あの子がいつ戻ってきてもいいように。……そして、いつか合流する『もう一人の後輩』を驚かせてやるくらい、この場所を世界で一番賑やかなお祭りで満たしてやりましょう」

 

貼り出されたポスターの、中央で笑う歪なイラストを仰ぎ見ながら、ホシノが静かに、けれど鋼のような硬い決意を込めて呟いた

 

その瞳には、もう一片の迷いも、昨日までの後悔もない

 

「……うん! もちろん。約束だよ、ホシノちゃん。最高のお祭りにしようね♪」

 

ユメは隣で、いつものひだまりのような、すべてを包み込む笑顔を浮かべて力強く頷いた

 

窓から差し込む眩い朝日は、並んで立つ二人の少女の背中と、壁に掲げられたツギハギだらけの夢を、優しく、そして未来を切り拓くかのように力強く照らし出していた

 

砂漠の風は今日も吹く。けれど、彼女たちが紡ぎ始めた物語は、決して砂に埋もれることはない。二年の歳月を越えて繋がる約束が、今、ここから静かに動き出したのだ




自分でも伏線回収できたかなーって自惚れてます。分かりづらかったでしょうか

……あっまだ続きます
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