セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

17 / 39
総UA13000、お気に入り200超えありがとうございます!!


アビドス砂まつり 後編

「ちょっとホシノ先輩、速いわよ! どこまで行くつもり!?」

 

人混みを縫うように進むホシノの足取りは、いつもの「ダラダラとした先輩」からは想像もつかないほど軽やかだった

 

提灯の明かりが交互に照らし出す彼女の背中を、繋がれた手を離さないよう、セリカは夜の波間を泳ぐように必死でついていく

 

「あはは、ごめんごめん。でも見てよセリカちゃん、あそこの射的! 景品にクジラのぬいぐるみが並んでるよ。これはおじさんとして、スルーするわけにはいかないよねぇ」

 

裸電球の光に照らされ、原色の景品たちが怪しくも魅力的に輝く射的の屋台。二人の足音に気づいた店主が、ねじり鉢巻の下から威勢のいい笑みを飛ばし、客寄せの合図を送った

 

「へいらっしゃい! お嬢ちゃんたち、腕試しはどうだい? 狙い目はあの上の棚、特大のクジラさんだ! そう簡単には落ちないよ!」

 

「へぇ、自信満々だねぇ、店主。……それじゃあ、このおじさんに三発ほど撃たせてくれるかな?」

 

ホシノは慣れた手つきでコルク銃を手に取ると、指先で軽やかに銃身を回してみせた。セリカはそのあまりの手慣れた様子に、少し引き気味で声をかける

 

「ちょっとホシノ先輩、そんなに気合入れちゃって……。どうせ倒れな——」

 

「ふふーん……♪」

 

セリカの言葉を遮るように、ホシノがスッと銃を構えた

 

片目を細め、狙いを定める。その瞬間、彼女の瞳に一瞬だけ、数多の戦場を渡り歩いてきたプロの鋭い光が宿る

 

パァン! と、小気味よい乾いた音が夕暮れの喧騒に響く

 

放たれたコルクは、店主が「絶対に落ちない」と豪語していたクジラのぬいぐるみの眉間を正確に捉え、重量感のあるぬいぐるみが鮮やかに台座から叩き落とされた

 

「お、おいおいマジかよ! 嘘だろ、一発で落としやがった……!」

 

「あはは、腕は鈍ってないみたいだね。……はい、おじさん、これ貰っていくよ」

 

ホシノは店主から差し出された、まだ新しいぬいぐるみの感触を確かめるようにポンポンと叩くと、そのまま隣のセリカの腕の中にすぽっと押し込んだ

 

「はい、セリカちゃん。これ、今日のお祭りの記念に」

 

「えっ……。あ、ありがと。……っていうか、自分で取ったんだから自分で持っていればいいじゃない。欲しかったんでしょ、これ」

 

「いいんだよ〜。おじさんはね、隣でセリカちゃんが『あぐっ』て驚いた顔が見られただけで、もう十分元が取れちゃったからね」

 

「な、なによそれ! 人を面白い生き物みたいに言わないでよ!それにそんな顔してないわよ!」

 

ぶっきらぼうに言い返しながらもセリカはその大きなぬいぐるみを落とさないよう、大切そうにぎゅっと脇に抱え直す

 

「……もう。次、行くわよ。次はあっちの『型抜き』! 今度は私が、先輩に負けないくらい良い景品取ってあげるんだから!」

 

「お、やる気だねぇセリカちゃん。おじさん楽しみにしてるよ〜」

 

射的での借りを返そうと鼻息を荒くするセリカに連れられ、二人は年季の入った「型抜き」の屋台に腰を下ろした

 

祭りの熱気を吸い込んだ木製の長椅子はどこか心許なく、二人の重みを受けてわずかに軋む

 

目の前に置かれたのは、裸電球の光を透かして儚く光る淡いピンク色の砂糖菓子と、冷たい銀色を放つ一本の細い針だった

 

「いい、ホシノ先輩。こういうのはね、冷静さと根気が大事なの。先輩みたいにいつも居眠りしてる人には絶対向かないんだから」

 

「へぇ〜、言うねぇ。それじゃあ、どっちが綺麗に抜けるか勝負しよっか」

 

二人は並んで座り、小さな針で砂糖菓子を削り始める。

 

セリカはわずかに舌を出し、眉間にシワを寄せて全神経を指先に集中させる。対するホシノは、どこか遠い目をして鼻歌まじりに針を動かしていたが、その手元に迷いはない。微かに揺れる裸電球の光が、二人の手元にある淡いピンク色の板を、影と共に濃淡深く浮かび上がらせる。

 

屋台の軒先を風が撫で、カリカリと砂糖を削る乾いた音だけが、祭りの喧騒を遠くに置き去りにして響く。

 

「…………あっ」

 

沈黙を破ったのは、セリカの悲劇的な、消え入りそうな声だった。

 

「嘘でしょ……あと少しだったのに……。ねぇ、ホシノ先輩、そっちはどうな……って、ええええっ!?」

 

セリカが隣を覗き込むと、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 

普段はおっとりしているホシノだが、この時ばかりは驚異的な集中力を発揮したらしい。一切の無駄がない動きで、最も難易度が高いとされる細い柄のついた「傘」の形を、完璧に抜き出していた

 

電球の黄色い光に透かされた「傘」は、まるで精巧な細工品のように、その薄氷のような輪郭を鮮やかに屋上の夜に晒していた

 

「ほら、できた〜。おじさん、実はこういうの内職みたいで得意なんだよね。昔、暇な時にずーっとやってたからさ」

 

ホシノは出来上がったばかりの「傘」を、満足げに電球の光にかざした。薄く削り出された砂糖の縁が、夜の闇に白く浮き立っている

 

「信じられない……! なんでそんな適当にやってる風に見えて、そんなに繊細なのよ!」

 

「あはは、セリカちゃんのは……あー、これはこれで『斬新な芸術』ってことで! ほら、見方によっては……砂漠に咲く枯れ木、的な?」

 

「フォローになってないわよ! あーもう! ……店主のおじちゃん、もう一回! もう一回よ!!」

 

セリカは悔しさに顔を上気させ、カウンターの向こうで暇そうに煙草をふかしていた店主に食ってかかった

 

勢いよく小銭を台に叩きつけると、店主は「お、威勢がいいねぇ」と笑いながら、新しいピンク色の板と針を差し出す

 

「はいはい、おじさんも何回でも付き合うよ〜。でもセリカちゃん、そんなに力んだらまたパキッといっちゃうよ?」

 

「うるさい! 次は絶対に最高難易度の『お城』を抜いてみせるんだから!」

 

闘志を燃やすセリカの横顔を、ホシノは細められた瞳で見守る。熱を帯びた夜風が屋台の暖簾を揺らし、二人の影が足元の砂地に長く伸びていた。

 

型抜きの熱戦を終えた後も、二人の食べ歩きは止まらない

 

「あ、見てセリカちゃん! かき氷だって。砂漠の夜はまだ熱気が残ってるから、こういうのが欲しくなるよねぇ」

 

「ちょっと、さっき焼きそば食べたばかりじゃない。……まあ、いいわ。私も少し喉が渇いてたし、付き合ってあげる」

 

二人は並んでプラスチックのカップを手に取った。ホシノが選んだのは、鮮やかな青色のシロップがたっぷりかかったブルーハワイだ

 

カップの縁までこんもりと盛られた白い氷に、夜店の灯りを反射する毒々しいほどに澄んだ青が染み込んでいく

 

「ん〜、冷たくて美味しい……。あ、見て見てセリカちゃん、おじさんの舌が真っ青〜。ベーーー」

 

「ちょっと、子供じゃないんだから! 外でそんな顔しないの! ほら、シロップが端から垂れそうよ、ちゃんと拭きなさいよ!」

 

呆れながらも、セリカは自然とバッグからウェットティッシュを取り出して甲斐甲斐しく世話を焼く

 

忙しなく動くセリカの指先と、そのひたむきな表情を、ホシノは細めた瞳で眩しそうに見つめていた

 

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。ほら、セリカちゃんも一口食べてみる? はい、あーん」

 

「はぁ!? 何言っ……ちょ、ちょっと、近いわよ! 自分ので食べ「はい、あーん♪」

 

有無を言わさないホシノの笑顔と、鼻先に突き出されたスプーン。セリカは顔を真っ赤にしながらも、周囲の視線を気にして「……っ、一口だけよ!」と、観念して小さな口を大きく開けた

 

スプーンに乗った青い氷の塊が、屋台の光を弾いて宝石のように一瞬だけきらめく

 

「…………っ、冷たっ!!」

 

「あはは! 一気に食べすぎだよセリカちゃん。頭キーンってなってない?」

 

「……な、なってるわよ! 確信犯でしょ、今の! あーもう、舌が冷えちゃって味がわかんないじゃない!」

 

「それなら、おじさんが温めてあげようか〜?」

 

「そういう意味不明なセリフはいいの! ほら、次はあっちのリンゴ飴! 口直しに行くわよ!」

 

「あはは、おじさん置いていかないでよ〜」

 

悶絶しながら足早に歩き出すセリカの背中を、ホシノは楽しそうに追いかける

 

砂漠の夜風が、二人の賑やかな笑い声を攫って、星の瞬く暗闇へと運んでいく

 

お面屋さんの前を通りかかった時には、二人の足がふと止まった。裸電球のオレンジ色の光を浴びて、壁一面に並んだキツネやひょっとこ、極彩色のキャラクター面が、夜の闇の中で怪しくも賑やかに浮き上がっている

 

その中からホシノがひょいと、隅の方にあった絶妙に情けない表情の「ひょっとこ面」を手に取った

 

「ねぇねぇセリカちゃん、おじさんに新しい顔が授けられたよ〜」

 

「……何よそれ。ホシノ先輩、それ絶対に似合わないって……」

 

セリカが呆れ顔で振り向いた瞬間、ホシノはお面を顔に当て、腰を落としてひょこひょこと妙なステップで踊り始めた

 

お面のひんやりとしたプラスチックの質感と、ホシノの細くしなやかな四肢が、提灯の光に照らされてチグハグな残像を描く

 

「ほらほら〜、砂漠の守護神ひょっとこおじさんだよ〜。セリカちゃんも一緒にどう? ほら、このおかめ面とお揃いでさ」

 

「やらないわよ! っていうか、動きが妙にキレ良くて気持ち悪いからやめて! あはは、もう、恥ずかしいわね……っ!」

 

必死に眉をひそめて抗議するセリカだったが、ホシノの無駄にテクニカルな動きと、お面の間の抜けた表情のギャップに耐えきれず、ついには吹き出してしまった

 

揺れる光の中で、セリカの弾けるような笑顔が、夜祭の喧騒に鮮やかに溶け込んでいく

 

「あははは! ちょ、ちょっと、本当にお腹痛いから……! 早く外してよ、それ!」

 

「お、セリカちゃんに笑顔が戻ったねぇ。それじゃあ、このおじさんの舞も大成功かな?」

 

ホシノはお面をずらしてニカッと笑うと、満足げにそれを元の棚に戻した

 

「もう……先輩といると、本当に調子が狂うわ。……でも、まぁ。お面なんて、何年ぶりかしらね」

 

「ん、そうだね。次はもっと可愛いものに化けよっか、セリカちゃん」

 

セリカはまだ笑いの余韻で肩を揺らしながらも、「もう変なのは勘弁してよね」と口を尖らせ、色とりどりの屋台が続く夜の波間を、隣を歩くホシノの歩幅にそっと合わせた

 

「あはは、それじゃあ次はあっちに行ってみようか」

 

お面屋さんの余韻でまだ頬を緩ませているセリカを連れて人混みを歩いていると、ふと、屋台の影で少し困ったような、けれど穏やかな顔をしたヒナの姿が目に入った。提灯の淡い光が、彼女の小さな肩と揺れる銀髪を優しく縁取っている

 

そしてその隣には、血眼になってメニューを吟味しているアコの姿があった

 

「……アコ。だから、私はそんなに食べられないって言っているじゃない。……それから、さっきから長細いものばかり食べさせるのも、いい加減やめて」

 

「何を仰るんですか委員長! ゲヘナからここまで一人でいらしたんです、栄養を補給して英気を養っていただかないと困ります! さあ、次はこのチョコバナナを……あ、ホシノさん」

 

アコがこちらに気づき、わずかに居住まいを正した。どうやら仕事から一人抜け出し、執念でヒナと合流したらしい

 

アコの眼鏡の奥の瞳が、祭りの熱気に当てられたのか、あるいはヒナへの忠誠心(?)からか、異常な熱を帯びてギラついている

 

「やあ、アコちゃん。お疲れ様だねぇ。ヒナちゃんを独り占めできて満足かな?」

 

「なっ……! 別にそういうわけでは……! 私はただ、委員長の健康管理と護衛を兼ねて……!」

 

顔を赤くして言い淀むアコを横目に、ホシノはふとスマートフォンの画面を確認した

 

その瞬間、彼女の瞳にいたずらっぽい光が宿る。液晶の青白い光が、ホシノのオッドアイに一瞬だけ鋭く反射した

 

「さてと……お楽しみはこれから、かな。ねぇセリカちゃん、ちょっと付き合ってよ。おじさん、どうしても行きたいところがあるんだ」

 

「えっ、ちょっとどこ行くのよ。ヒナさんたちに挨拶くらい……わわっ!」

 

ホシノはセリカの手をぎゅっと握ると、有無を言わさない力強さで彼女を人混みの奥へと引っ張っていく

 

繋がれた手から伝わる確かな熱が、夜風を切り裂くようにしてセリカの全身を駆け巡った

 

「ヒナちゃんたちはゆっくり楽しんでねー!」

 

「あ、ちょっと! ホシノ先輩……!」

 

嵐のように去っていく二人の背中を、アコは呆気にとられたように見送っていた

 

「……ヒナ委員長。あの二人、以前からあんなに距離が近かったでしょうか? なんだか、以前よりもずっと……その、特別な空気を感じますが」

 

アコの呟きに、ヒナは夜空に浮かぶ提灯を見上げ、少しだけ目を細めた。揺れる光の粒が、ヒナの瞳の中で星のように瞬いている

 

「……分からない。けど、あのホシノがあんなに楽しそうに笑っているんだもの。それでいいんじゃないかな」

 

「委員長がそう仰るなら……。……あ! 委員長、あそこにジャンボフランクがありますよ! さあヒナ委員長、さっそく咥えて——」

 

「……アコ。後で、説教ね」

 

「へっ? ……あ、いえ、委員長! 今のは決して変な他意があるわけでは——!」

 

冷や汗を流しながら弁解するアコの声と、ヒナの深いため息

 

そんな賑やかなやり取りを背中で聞きながら、ホシノは一度も振り返ることなく、鮮やかに彩られた祭りの喧騒を飛び出し、深い闇に沈む静かな校舎の方へとセリカを連れて駆けていった

 

ホシノに手を引かれ、やってきたのは静まり返った校舎だった

 

お祭りの喧騒が壁一枚隔てただけで遠のき、夜の学校特有の、少しひんやりとした静寂が二人を包み込む

 

階段を上がり、本来なら安全のために封鎖されているはずの屋上へ。セリカは「ここ、今日は入っちゃダメなんじゃ……?」と不安げに首を傾げながらも、迷いのないホシノの背中についていく

 

「ちょっと先輩、勝手に入ったらまたアヤネちゃんに怒られるわよ? 鍵だって閉まってるんじゃ……」

 

「あはは、大丈夫だよ〜。おじさん、ここの管理責任者(自称)だからね。ほら、鍵もこの通り」

 

ホシノは指先で鍵を軽く回してみせると、手慣れた様子で錠を外した

 

「それに、おじさんには今日、どうしてもここに来なきゃいけない理由があるんだ」

 

「理由……? もしかして、この前言ってた『スペシャルゲスト』と関係あるの?」

 

「鋭いねセリカちゃん、正解だよ。……ねえセリカちゃん、そんなに怖がらなくても、おじさんがちゃんとエスコートしてあげるからさ」

 

ホシノは一度立ち止まり、繋いだままだったセリカの手を少しだけ強く握り直した

 

「……もう。怖がってなんてないわよ。ただ、先輩が変なこと考えてないか心配なだけ。……ほら、早く行きましょうよ」

 

セリカは顔を背けながらも、その手を振り払うことはしなかった

 

階段の最後の一段を登り切り、二人は屋上の重い鉄扉の前に立つ。ホシノが力を込めて扉を押し開けると、錆びついた蝶番が微かな悲鳴を上げ、その隙間から溢れ出した夜風が、二人の髪を激しくかき乱した

 

重い扉を開けると、そこには夜風が吹き抜ける静寂があった

 

つい数分前までの喧騒が嘘のように遠く、下から響く祭りの囃子や人々の笑い声は、まるで厚い水層を隔てた底から届く夢の跡のように、おぼろげな残響となって耳を打つ

 

二人は並んで、冷えた金属の感触を掌に感じながら柵の方へ歩み寄り、無数のオレンジ色の提灯が光の波となってうねる校庭を見下ろした

 

「今日は、本当に楽しかったねぇ……」

 

ホシノが噛みしめるように呟くと、セリカもどこか感慨深げに頷く。

 

「そうね。……準備は死ぬほど大変だったし、予算の計算で頭が痛かったけど。でも、またいつか、こういう日を作れたらいいなって……今は、素直にそう思うわ」

 

「あはは、セリカちゃんらしいね。おじさんはね、こうしてセリカちゃんと一緒にこの景色を眺められただけで、もう十分すぎるくらいなんだけどさ」

 

「……何よ、急に。先輩らしくないわね」

 

セリカは照れ隠しに腕を組み、横に立つホシノを盗み見た

 

ホシノの視線は、提灯の光が届かない夜の深淵へと向けられ、その瞳にはかつてのアビドスの幻影と、今目の前にある黄金色の光景が、二重露光のように重ね合わされているようだった

 

屋上を吹き抜ける風が、二人の間にわずかな静寂を運んでくる。ホシノの横顔を照らすのは、星明かりと下界から逆光のように射し込むオレンジ色の光

 

その柔らかな輪郭が、いつになく神秘的に、そしてどこか遠くへ消えてしまいそうなほど儚くセリカの目に映った

 

「ねぇ、ホシノ先輩。……今日は、おふざけモードじゃないの?」

 

「んー、どうかな。おじさんもたまには、かっこいい先輩の顔をしてみたい時があるんだよ〜」

 

しばらくの間、二人は言葉を交わさず、眼下に広がる光の海を見つめていた。無数の提灯が夜の暗波に揺らめき、校庭全体が黄金色の鱗をまとった巨大な生き物のように息づいている

 

ふと、セリカは準備期間からずっと抱いていた疑問を思い出し、夜風に熱を冷まされながら、静かに唇を開いた

 

「そういえば……二人のスペシャルゲストって、結局誰のことなのよ? ヒナさんやヒフミのこと? さっき会ったけど、わざわざゲストとして招待するって感じでもなかったし……」

 

尋ねると、ホシノは少しだけ困ったように眉を下げて笑う。

 

その琥珀色と淡い青の瞳に、祭りの灯りが柔らかな光の粒となって溶け込み、彼女の微笑みに複雑な陰影を落としていた

 

「あはは、ヒナちゃんたちももちろん大切なお客さんだけどね……別の人だよ。……教える前に、少しだけ話しておきたいことがあるんだ」

 

「何よ、改まって。……借金のことなら、今夜くらいは忘れてもいいわよ?」

 

「ううん、違うよ。……セリカちゃん、おじさんが『砂まつり』をやりたいって言った時、どう思った?」

 

唐突な問いに、セリカは少し間を置いてから、夜空を見上げて答えた

 

「そうね……。いつもは眠ってばかりのホシノ先輩からの提案なんだもの、正直最初はびっくりしたわよ。でも、準備が始まってからのホシノ先輩、いつもの不真面目さがどこに行ったのかしらって思うくらい真面目だったし……なんだか、いつもの倍くらい楽しそうだなって。……私、そんな先輩を見てるのが、少しだけ嬉しかったのかも」

 

「おじさんだって、やる時はやるんだよ〜? ……大切な友達の、願い事だったからね」

 

「え……? 誰かそんなこと言ったかしら……」

 

ホシノは答えず、ふと夜の深淵を見つめた

 

彼女の視線の先、何もなかったはずの暗闇に、冷たい夜気を切り裂くような熱い火種が点る

 

「……そろそろ、かな」

 

「なんのことよ。……ねぇ、ホシノ先——」

 

セリカがホシノの横顔を覗き込もうとした瞬間だった

 

——「ひゅぅぅぅ……」という、空を切り裂くような高い音が静寂を破る。一条の光が尾を引いて高度を上げ、天に届くほどの軌跡を屋上の夜に刻んでいく

 

「え……?」

 

言いかけた言葉は、夜空を埋め尽くす大輪の光によってかき消された

 

ドォォォォォン、と腹の底を震わせる轟音が響き渡り、刹那、鮮やかな火花が星空を塗り潰して世界を極彩色に染め上げる

 

「綺麗……」

 

「ん。……本当だね」

 

降り注ぐ光の飛礫に見惚れるセリカに、ホシノが肩が触れ合うほどの近さまで寄り添った

 

爆ぜる火花の残光が二人の輪郭を交互に照らし出し、ホシノは重なり合うような熱を感じながら、静かに、けれど熱を帯びた声で言葉を紡ぎ出した

 

「先生に無理を言ってお願いしたんだ。『どうしても花火を見せてあげたいスペシャルゲストの子がいるから』って。さすがに無理かなぁと思ったけど、先生、即答でOKしてくれたんだよ」

 

次々に打ち上がる光の華が、ホシノの横顔を鮮やかに、そしてどこか儚く彩っていく。火花が爆ぜるたびに、彼女の瞳には朱や藍の閃光が走り、その白い肌を夜の影が濃く、深く切り取った。

 

「…そろそろ教えなさいよ、そのスペシャルゲストを……」

 

聞き返したセリカに、ホシノは優しく、それでいて確信に満ちた声で囁いた。

 

「セリカちゃん。……花火、見たかったでしょ? ずっと、ずっと昔に……誰かと約束したみたいにさ」

 

「……え?」

 

驚きでセリカの心臓が跳ねた。横を向くと、そこには提灯の反射ではなく、夜空を埋め尽くす大輪の花火を鏡のように映して輝くホシノの瞳があった

 

その双眸はいつになく真剣で、銀河を閉じ込めたかのように深く、見る者を吸い込むほどに澄んでいる

 

「約束とは少し形が違って、小さなお祭りになっちゃったけど……。みんなが心の底から楽しめる、最高の『砂まつり』を開いたよ。……私とユメ先輩と君がずっと待ってた、お祭りだよ」

 

ホシノは一呼吸置くと、いたずらっ子のような、それでいて慈しむような笑みを浮かべて、まっすぐにセリカを見つめた

 

背後で炸裂した黄金色の枝垂れ柳が、二人の影を屋上のコンクリートに長く、鮮明に焼き付ける。

 

「——ね、セリカ」

 

その、いつもとは違う響きを込めた呼びかけに、セリカは声も出せず立ち尽くす

 

爆鳴響が遠ざかり、一瞬の静寂が屋上を包んだ。ホシノは吸い寄せられるように少しだけ顔を近づけ、火薬の香りと夜風に混じって、セリカの鼓膜にしか届かないほどの囁き声で言葉を継いだ

 

「……セリカ。……もう一度、『ホシノちゃん』って呼んでよ」

 

「……っ!?」

 

セリカの心臓が、今日一番の音を立てて跳ねた

 

なぜ、今その呼び方を求めるのか

 

なぜ、ホシノ先輩はそんなに愛おしそうに、そして今にも泣き出しそうな、切ない顔で自分を見ているのか

 

セリカが震える唇を開き、その名前を呼ぼうとした——その刹那だった

 

バタン!!

 

勢いよく屋上の扉が開き、荒い息遣いと共に誰かが飛び込んできた

 

「ごめんホシノちゃん! お仕事遅くなっちゃったぁ!!」

 

「え……?」

 

思考が停止したセリカが恐る恐る振り返ると、そこにはスーツ姿で、肩で息をしながらも夜空の花火に負けないほどの満面の笑みを浮かべる女性が立っていた

 

「……ユメ先輩、タイミング悪すぎますよ……」

 

ホシノががっくりと肩を落として呟く

 

「ほ、ホシノちゃん? なんだか、すごく怒ってる……?」

 

「な、なんで……ユメ先輩……? 生きて……どうして……?」

 

あまりの光景に混乱し、セリカの視界がぐらりと揺れる。この世界には居ないはずの、ホシノがかつて失った最も大切な人

 

その本人が今、提灯の暖かな光を浴びて実体を持ってそこに立っているという事実に、思考が真っ白に塗り潰される

 

そんなセリカの様子を見て、ユメは少しだけ頬を膨らませ、おどけたように怒ったふりをして見せた

 

「もー、セリカちゃん。なんでそんな酷いこと言うの? 私、ちゃんと生きてるよー! ほら、ほっぺた触ってみる?」

 

セリカが驚きのあまり、金魚のように口をパクパクさせて固まっていると、ホシノがその様子を眺めてクスクスと喉を鳴らした

 

ホシノのオッドアイには、困惑する後輩への悪戯心と、その光景を眺められる日常への深い安堵が、夜祭の火花の残光のように溶け合っている

 

「いや〜、私も最初は本当に驚いたんだよ。だって、再会した瞬間にセリカちゃんに抱きついたのに、当の本人は『何この人!?』みたいな顔して何も知らないんだもん。おかげで私、ものすごく恥ずかしい思いをしたんだからね?」

 

ホシノはそう言って、かつての「1年生」の頃のような、少し尖りつつも親愛の情が滲む口調で肩をすくめた

 

その言葉を聞いたユメは、確信を得たようにポンと手を打つ

 

「ふむふむ……なるほどねぇ! ホシノちゃんが言ってたこと、本当に本当だったんだ!」

 

ユメは感心したように、キラキラとした瞳でセリカとホシノを交互に見つめた

 

夜風に煽られる彼女のスーツの裾が、コンクリートを優しく掃くように揺れ、確かな存在感を屋上の闇に晒している。

 

セリカは、まだ事態の輪郭が掴めないまま、震える呼吸をどうにか繋ぎ止め、 縋るような思いでユメに問いかけた

 

「えっ……な、何を言ったの? ホシノちゃ……じゃなくて、ホシノ先輩が、ユメ先輩に何を……」

 

「あのね、ホシノちゃんがすっごく嬉しそうな声で電話をくれたんだよ。セリカちゃんが、自分のことを『ホシノちゃん』って呼ぼうとしたって! 私たちが出会ったこっちのセリカちゃんなら、絶対にそんな呼び方しないはずなのに……もしかしたら、あの時のセリカちゃんなんじゃないかって」

 

ユメはそう言って、優しくセリカの肩に手を置いた

 

その手のひらから伝わる柔らかな体温に、堰き止めていた感情が漏れ出すように、セリカの肩が微かに、けれど激しく震える

 

「『セリカに、あの時見せられなかった花火を絶対に見せてあげたいんだ』って……。ホシノちゃん、ずっとそればかり言ってたんだよ? 他にも他にも〜、早く『ホシノちゃん』って呼ばれたいってのろけられちゃった♪」

 

ユメの言葉を隣で聞いていたホシノは、バツが悪そうに視線を泳がせ、火花の残光よりも赤くなった耳を隠すように、 乱れた髪を乱暴に掻いた

 

「……もう、ユメ先輩。余計なことまで言わなくていいんだよ〜」

 

夜空を焦がす花火の光に照らされて、二人の先輩が子供のように笑い合う

 

セリカの視界は、いつの間にか溢れ出した熱い涙で滲んでいた

 

あの日、激しい砂塵の中で交わした、叶うはずのなかった「約束」が、次元も時間も超えて、今この屋上の夜に大輪の華となって鮮やかに果たされようとしていた

 

「つまり……今の私は、あの時の世界からそのまま2年後に飛んできたってこと……?」

 

セリカが震える声で尋ねると、ホシノとユメは顔を見合わせ、最高の悪戯を仕掛けた子供のようにニヤリと笑った

 

「おかえり、セリカ」

 

「おかえりなさい! セリカちゃん」

 

その言葉が鼓膜に届いた瞬間、セリカの瞳から大粒の涙がポロポロと溢れ出した。視界が滲んで、提灯の光も、二人の笑顔も、万華鏡のように歪んで溶けていく

 

止めたくても嗚咽が漏れそうになり、胸の奥が焼き切れるように熱い

 

二人はそんなセリカを、春の陽だまりのような温かい眼差しで見守り、彼女が心を整えるのをじっと待つ

 

「た……だいま……っ。二人とも……!」

 

ようやく絞り出した声と共に、セリカは二人の胸に飛び込んだ

 

「あはは、今度は立場が逆になっちゃったね」

 

ホシノが優しく笑いながら、小さな宝物を慈しむようにセリカの背中を、一定のリズムでトントンと撫でる

 

ユメも「そうだね」と幸せそうに微笑みながら、反対側からそっと手を添えて、途切れていた時間を縫い合わせるように何度も彼女の頭を撫でた

 

やがて夜空を彩った花火の余韻も静かに消え、階下からは屋台の片付けを始める喧騒が微かに聞こえ始めた頃。ようやくセリカの涙も止まり、穏やかな呼吸が屋上の空気に混じり始めた

 

「ねぇ、セリカ。今度は邪魔が入る前に、ちゃんと『ホシノちゃん』って呼んでよ〜おじさんずっと待ってたんだから」

 

ホシノがセリカの腕に自分の腕を絡め、少し体重を預けるようにして甘えた声を出す。柔らかな髪がセリカの肩に触れ、ホシノから微かに漂う祭りの香りが鼻腔をくすぐった

 

セリカは一瞬、戸惑ったように目を丸くしたが、すぐに困ったような、それでいて深い慈愛の入り混じった笑みを浮かべる

 

「……もう、本当に甘えん坊になったわね。……ホシノちゃんは」

 

「えへへ、いいじゃない。おじさんの特権だよ〜」

 

「おじさんなんだか、お姫様なんだか……」

 

呆れながらもセリカがその頭を優しく撫でると、ホシノは幸せそうに目を細める

 

そんな二人の親密な空気を、ユメは少し離れた場所から、まるで夜空に瞬く一番星を見守るような優しい眼差しで見つめていた

 

「ふぅ……。ところでさ、ちょっと気になってたこと聞いてもいいかな?」

 

不意にユメが、何かを企んでいるような楽しげな表情で尋ねる。提灯の逆光に照らされた彼女のシルエットが、悪戯っぽく肩を揺らした

 

「……どうしました?」

 

ホシノが少し身構えるように聞き返すと、ユメはニヤニヤとした笑みをいっそう深めて畳み掛けた

 

「セリカちゃんがこっちに来る前に言った、『貴方のことを愛してる後輩』って言葉……。あれって、どう考えても告白よねぇ? ホシノちゃん、答えはちゃんと出したの?」

 

「なっ……!?」

 

「っ!!?」

 

その瞬間、セリカとホシノの顔が一気に沸騰したかのように真っ赤に染まった。あまりの熱量に、夜の冷たい風さえ一瞬で蒸発してしまいそうなほどだ。

 

二人の頬の赤みは、打ち上がる花火のどの色よりも鮮烈に屋上の闇を彩った

 

「あ、あ、あああれは! その、言葉の綾っていうか、勢いっていうか……! 別に変な意味で言ったわけじゃ……!」

 

セリカが千切れんばかりに腕を振り回して必死に弁解すれば、ホシノもまた、余裕たっぷりの「おじさん」がどこかへ消え去ったような慌てぶりで言葉を継ぐ

 

「そ、そうですよユメ先輩! セリカの『愛してる』は、あくまで先輩に対する最大限の敬愛の念で……け、決して破廉恥な意味じゃないんですってば!」

 

かつての一年生の頃のような初々しい口調に戻って必死に否定するホシノ

 

そんな二人の、あまりに「お似合い」で重なり合うような反応を見て、ユメの鈴を転がすような笑い声が、夜の静寂を明るく塗り替えていった

 

「あははは! 息ぴったりじゃない! もう、二人とも可愛すぎるよ〜!」

 

ユメの底抜けに明るい笑い声に釣られ、顔を真っ赤にしていたセリカとホシノも、最後にはこらえきれずに小さな笑い声を漏らした

 

三人の笑い声が重なり、夜風に乗って、かつて砂塵に消えたはずの記憶を優しく癒していく

 

その時、屋上の重い扉が再び開き、ひょっこりと二人の少女が顔を出した

 

「ん、やっぱりここにいた」

 

静寂に包まれていた屋上に、聞き慣れた声が響いた。扉の向こうから姿を現したのはシロコとクロコだった

 

その後ろには、アヤネとノノミも少し息を切らせながら続いている

 

屋上の冷えた空気が、彼女たちが連れてきた祭りの熱気と混ざり合い、白く微かな霧のように揺れた

 

「あ、ユメ先輩も来てたんだ」

 

シロコが平然とした様子で声をかけると、ユメの瞳がパァッと輝いた

 

「きゃー! シロコちゃん、すっごく大きくなってるー! 綺麗になったねぇ!」

 

ユメは猛烈な勢いでシロコ……ではなく、隣にいたクロコの方へダイブした

 

抱きしめられたクロコの黒いタイツが夜風にさらりと揺れ、 彼女は驚きで硬直しながらも、「ん……合ってるけど、ちょっと間違ってる。シロコは……こっち……」と、赤面しながら隣のシロコを指さす

 

「ユメ先輩、また間違えてる。私はこっち」

 

シロコが少しだけ頬を膨らませると、屋上は一気に賑やかな空気に包まれた

 

そんな温かい光景を眺めながら、セリカはふと胸に抱いていた疑問をホシノに投げかけた

 

「ホシノちゃ……先輩。……みんな、ユメ先輩のこと、知ってるの?」

 

「あはは、セリカの呼びやすいほうでいいよ。おじさん、どっちでも嬉しいからさ」

 

ホシノは優しく微笑んでそう言うと、続けて少しだけ真剣な、それでいてどこか悟ったような表情で答えた

 

その瞳の奥には、数多の星々を飲み込んだような、深く静かな慈愛が湛えられている

 

「多分だけど、セリカが知ってる歴史とは少し違うんじゃないかな? こっちの歴史では、ユメ先輩は無事にアビドスを卒業して、今はシャーレに就職してるんだよ。こうやってイベントがあるたびに、無理やり休みを取って顔を出してくれてるんだ」

 

セリカが元いた世界では、ユメがこの世を去っていること。その残酷な事実を、今のホシノは知らないはずだった。けれど、目の前の「後輩」が抱えてきた孤独や戸惑いを察するように、ホシノは確信を持ってそう告げた

 

その声は夜風に溶け、セリカの心にある「欠落」をそっと埋めていく。

 

「そっか……。こっちの世界では、みんな一緒に……」

 

セリカの胸に、すとんと腑に落ちるものがあった。あの日、砂塵の中で必死に守ろうとした未来。形は少し違うけれど、自分が今立っている場所こそが、あの時夢見た「救い」そのものだったのだ

 

眼下で揺れる提灯の光が、まるで祝福の喝采のように優しくまたたいた

 

「片付けも終わったし、大将が打ち上げにラーメン奢ってくれるって。だから迎えに来た」

 

シロコが淡々と言葉を添えると、それを聞いたユメは目に見えて肩を落とした

 

「えー!? 私、さっき来たばかりで何も食べられてなかったのに〜! もしかして、もう屋台も全部閉まっちゃったのぉ?」

 

「ふふ〜、それなら大丈夫ですよ! そうなると思って、私とアヤネちゃんで各屋台の美味しいものを一通り確保しておきました♪」

 

「はい、冷めないように魔法瓶や保温バッグに詰めてありますから、安心してくださーい」

 

ノノミとアヤネが手に持っていた大きな袋を掲げて見せると、ユメの表情はパァァと向日葵が咲いたように明るくなった

 

夜闇の中でも、彼女の笑顔は太陽のような眩しさを放ち、屋上の冷えたコンクリートさえも温め直していくようだった

 

「わぁぁっ! さすが二人とも、気が利く〜! 大好き!」

 

ユメは感涙にむせびながら二人に抱きつかんばかりの勢いで駆け寄る

 

「それじゃあ、早く打ち上げにいこー! 柴関ラーメンが待ってるよー!」

 

そう叫ぶなり、ユメは生徒会長だった頃のような天真爛漫さで、先頭を切って階段を駆け下りていった

 

彼女が通った後の空気には、ひだまりのような甘い残り香が漂う

 

「あ、待ってよユメ先輩! 転んでも知らないわよ!」

 

「ん、追撃開始」

 

「ふふ、私たちも行きましょうか」

 

慌てて後を追うセリカと、マイペースに続くシロコたち

 

賑やかな足音が遠ざかっていく中、ホシノはその背中を愛おしそうに眺め、最後に残ったクロコと視線を合わせた。二人は言葉を交わさずとも、互いの胸にある「もう一つの記憶」を共有するように静かに頷き合う

 

その沈黙は、冬を越えた者同士だけが通じ合える、深く静かな共鳴だった

 

「……先に行ってて。おじさん、少しだけ片付けてから行くから」

 

「……ん。待ってる」

 

クロコが静かに扉の向こうへ消えようとしたその時、ふと思い出したように、ホシノはまだ階段の踊り場にいたセリカの背中へ声をかけた。

 

「……ねぇ、セリカ」

 

ホシノが優しく呼びかけると、一段下りかけていたセリカが足を止めて振り返った

 

踊り場の薄暗い電球に照らされた彼女の瞳が、驚きでわずかに揺れる。

 

「なによ、ホシノ……ちゃん」

 

慣れない呼び方に少し頬を赤らめるセリカに、ホシノは今日一番の穏やかで、そして慈愛に満ちた笑顔を向ける

 

「——これからも、よろしくね」

 

「……っ。あったりまえでしょ! 私がいないと、ホシノちゃんはすぐダメになっちゃうんだから!」

 

セリカは照れ隠しに一段と大きな声を張り上げると、今度こそ弾んだ足取りでみんなの待つ下階へと駆けていった

 

賑やかな足音が完全に遠ざかり、屋上には再び夜風の音と、祭りの終わりの遠い喧騒だけが残る

 

一人取り残された屋上で、ホシノは夜空に残った一筋の煙を見上げ、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた

 

「……あれが、あの子なりの勢いだったとしても。たとえ、告白じゃなかったとしても……構わないよ」

 

ふっ、と自嘲気味に、けれど愛おしそうに目を細める

 

彼女の視線の先では、暗い空に溶け残った花火の残像が、星明かりに混じって儚く消えていく

 

「……いつかは私から、伝えなきゃね。私の、一番大切なものを守ってくれたセリカに。……あの日からずっと、私の真ん中に居座ってる、この気持ちの正体をさ」

 

それは、かつての自分には決して許せなかった、けれど今の自分だからこそ抱ける、臆病でいて前向きな「宿題」だった

 

その想いは、砂漠の地中に深く根を張る種のように、いつか芽吹く時を静かに待っている。

 

「ホシノちゃ……先輩! はやく来ないと何も残ってないわよー!」

 

階段下から響く、セリカの元気な怒鳴り声。その「不器用な愛」に満ちた呼びかけに、ホシノは顔を綻ばせる

 

「はーい! 今行くよー! おじさんの分もちゃんと残しておいてよー!」

 

返事をしながら、ホシノも軽やかな足取りで階段を駆け下りる

 

もう、過去を振り返って立ち止まることはない

 

賑やかな声が響き、湯気が立ち込める柴関ラーメンののれんの先。大好きな仲間たちが待つ、光り輝く日常の只中へと、彼女は迷うことなく飛び込んでいった




これにて完結………?おや、書く手が止まらないようだ(?)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。