セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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おあがり!セリカ特製ラーメン!

ユメが淹れてくれた温かいお茶を、両手で包み込むようにして一口啜る

 

……渋い。けれど、その奥に微かな甘みがある。それは、セリカの知っているホシノが、時折気だるげに淹れてくれるお茶よりもずっと素朴で、どこか懐かしい茶葉の匂いがした

 

湯飲みの向こう側では、一年生のホシノが、まるですぐにでも愛用のショットガンを抜き放たんばかりの鋭い体勢で私を凝視している。その眼光は、親しみやすさなど微塵も感じさせないほど冷ややかで、セリカは生きた心地がしなかった

 

「それで……貴方は、どうしてそんな格好――パジャマ姿なの?」

 

ユメが不思議そうに首を傾げ、セリカの格好を指差す。柔らかな日差しの中で、パステルカラーのパジャマ姿は、あまりにもこの殺伐とした「アビドス」の空気から浮き上がっていた

 

(……言えるわけないじゃない! 未来の対策委員会室で、みんなでお泊まり会を楽しんでいて、トイレに怯えるアヤネちゃんを連れて行ってあげたら、廊下で正体不明の黒い影に触れて飛ばされました……なんて!)

 

荒唐無稽すぎて、自分でも信じられないような真実を胸の奥に押し込む。セリカは動揺を悟られないよう、できるだけ言葉を選びながら口を開いた

 

「……気がついたら、あの場所にいたんです。その、友達と一緒にちょっとした『変な噂』を調査していて……気づいた時にはパジャマのまま、ここに立っていました」

 

嘘はついていない。ただ、一番肝心な「いつの時代から、どうやって来たか」という核心だけを、霧の中に隠した。今のセリカにできるのは、この異常な状況下で、彼女たちの不信感をこれ以上煽らないように振る舞うことだけだった

 

セリカが必死の思いで「決して怪しい者ではない」と訴えかけると、ユメは「へぇ〜、それは大変だったんだねぇ」と、拍子抜けするほどあっさりと頷いた。その瞳には微塵の疑いも混じっておらず、春の陽だまりのような温かさだけが宿っている

 

「ユメ先輩、信じちゃダメですよ! 帰る場所がないなんて、スパイが潜り込む時の常套句じゃないですか。この前だって先輩、格安の砂漠緑化セットを買おうとして詐欺師に捕まったばかりでしょ!」

 

「ひぃん! ホシノちゃん、その話はもうしないでぇ……」

 

ホシノの容赦ない正論が飛び、ユメは情けなく身を震わせた。その光景を眺めながら、セリカはふと、未来でホシノが「ユメ先輩は本当にお人好しで、騙されやすい性格だったんだよね〜」と懐かしそうに語っていたことを思い出し、思わず口元に苦笑いを浮かべた

 

(……ああもう、ホシノ先輩のせいで話が全然進まないわね。こんなに警戒してるホシノ先輩からどうやってこの場での信頼を勝ち取ればいいのよ。怪しまれるのは当然だけど、このままじゃ本当に追い出されちゃう。何か、この二人を納得させる決定的な材料はないの……?)

 

眼前に座る「狂犬」モードの少女をどう説得すべきか。セリカが頭をフル回転させて必死に言葉を探していた、その時だった

 

静まり返った生徒会室に、「ぐぅ〜……」という、驚くほど盛大で気の抜けた音が鳴り響いた

 

「…………ユメ先輩?」

 

ホシノがまじまじと見つめると、ユメは顔を林檎のように真っ赤にして、恥ずかしそうにお腹をさすった

 

「し、仕方ないよぉ!? 昨日の夜、書類整理が終わらなくて、今朝は寝坊して朝ごはんを食べ損ねちゃったんだからー!」

 

「だから溜め込まないでくださいって私言いましたよね!?」

 

「ひぃん!」

 

張り詰めていた氷のような緊張感が、その間の抜けた音とユメの弁明によって、一気に霧散していくのが手に取るようにわかった。一触即発の危機を救ったのは、皮肉にも生徒会長の空腹だったのだ

 

(――そうよ。信頼を得るなら、まずは胃袋を掴むことからよね!)

 

名案を思いついた瞬間、セリカはガタッと勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。突然の挙動に驚く二人をよそに、パジャマのポケットを探ると、なけなしのバイト代の残りが指先に触れる。これだけあれば、学校の近くにある店で材料は揃うはずだ

 

「二人とも、ちょっと出かけてくるわね! すぐ戻るから!」

 

「ええっ!? ちょっと、どこに行くの!?」

 

「あっ、ちょ……こら、待ち……っ、行っちゃった……」

 

呆然と立ち尽くすユメと、追いかけようとして出し抜かれたホシノを背に、セリカは迷うことなく生徒会室を飛び出していった

 

セリカは風のように生徒会室を飛び出すと、迷うことなく近所のコンビニへと足を向けた。砂塵に覆われ、未来では錆びついた看板だけが寂しく突き出していたその場所は、今、温かな光を灯して確かに営業している。その「生きた」光景に一瞬だけ胸を締め付けられたが、今は感傷に浸っている暇はない。彼女は手早く、かつ的確に食材を買い込むと、まだ現役の学び舎として息づいているアビドス高校の調理室へと滑り込んだ

 

静まり返った調理室に、小気味よい包丁の音と、スープがふつふつと沸き立つ芳醇な香りが広がる

 

セリカの動きには一切の迷いがなかった。麺を茹で上げるタイミング、どんぶりに秘伝のタレを合わせる手つき。それは、未来のバイト先で大将から嫌というほど叩き込まれた、文字通り「体で覚えた」技だった。完成したのは、黄金色のスープが輝く「柴関ラーメン・セリカ特製(時短バージョン)」。彼女はそれをお盆に載せ、自信に満ちた足取りで再び生徒会室の扉を蹴るように開けた

 

「お待たせ! 特製ラーメン、上がりよ!」

 

「どこに行っていたのかと思えば……って、えっ? なんだか、ものすごくいい匂いが……」

 

「わぁぁ! ラーメンだぁ! セリカちゃんすごーい!!」

 

湯気と共に広がる醤油と出汁の香りに、ユメが弾かれたように身を乗り出す。一方で、ホシノは鼻をピクリと動かしつつも、未だに不信の眼差しを崩さない

 

「ユメ先輩! 毒が入っているかもしれないのに、簡単に手を出さないでくださいってば!」

 

「もう、そんなこと言わないでよ……あ、そんなに疑うならホシノ先輩の分は私が食べちゃってもいいのよ?」

 

「!?」

 

セリカがわざとらしくどんぶりに手を伸ばすと、ホシノは目に見えて狼狽した。彼女はぐう、とお腹の鳴る音を必死に誤魔化しながら、どこか見覚えのある――セリカ自身にも通じるような――ツンデレ全開の口調で言い放った

 

「っ!…こ、これはあくまで『毒見』ですからね! 仕方なく、食べるだけですから! 勘違いしないでくださいよ!」

 

そう宣言して、ホシノは半ば奪い取るようにどんぶりを取った

 

(ふふふ……芝関ラーメン大将直伝、魂の一杯よ。二人とも、覚悟なさい!)

 

「「…………っ!?」」

 

一口、麺を啜り、スープを流し込んだ瞬間。二人の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれた

 

「おいしーーい!! セリカちゃん、これ本当にお店の味だよぉ! 体に染み渡るぅ〜!」

 

「ま、まぁ……味だけは……その、少しだけ、認めてあげなくもない、です……」

 

言葉では抗いながらも、ホシノの手は止まらない。フーフーと熱いスープを吹きながら、夢中で麺を啜り、最後にはどんぶりを傾けてスープの一滴まで完飲してしまった

 

「ふふん♪ 当然でしょ! 私のバイト先で死ぬ気で叩き込まれた、秘伝のレシピなんだから!」

 

ユメからキラキラとした羨望の眼差しを向けられ、セリカは悪い気がせず、つい得意げに鼻を高くする。さっきまでの「不審者」扱いはどこへやら、食卓を囲む空気は驚くほど柔らかくなっていた

 

「私たち、二人とも料理は全然ダメだから……。セリカちゃんがいてくれたら、本当に頼もしいよ! 毎日がパーティーになっちゃうね!」

 

「……ふん。ま、まぁ……これだけ美味しいものが作れる人に、悪いスパイはいない……かもしれません。少しくらいは、信じてあげますよ」

 

ようやくホシノから放たれていた刺々しい棘が、わずかに、けれど確実に取れたのを感じた。セリカは一つ大きく息を吐き、改めて「一年生」としての背筋を伸ばした

 

「私の名前は、黒見セリカ。……一年生よ」

 

セリカは、危うく口から出そうになった「アビドス高等学校」という所属先を飲み込んだ。今この瞬間に自分たちが立っている場所の所属を名乗る不自然さを、咄嗟の直感で回避したのだ。あくまで一人の迷い込んだ生徒として、学年だけを告げる

 

「えっ! ホシノちゃん、セリカちゃん一年生だって! 同級生だよ。良かったねぇ、新しいお友達だよ♪」

 

ユメが自分のことのようにパチパチと手を叩き、満面の笑みを浮かべる。その純粋な喜びに当てられたのか、隣に座るホシノは「同級生……?」と呟き、所在なげに視線を彷徨わせた。未来では「おじさん」を自称し、飄々と後輩たちを導いていたあのホシノが、今は年相応の少女として戸惑いを見せている。その初々しすぎる反応に、セリカは胃の辺りがむず痒くなるような、奇妙な調子の狂いを感じずにはいられなかった

 

しかし、ホシノの瞳から完全に警戒の火が消えたわけではなかった。彼女はふと何かを思い出したように、眉を寄せてセリカを凝視した

 

「……そういえば。セリカ、私の名前どこで聞いたの? 私は一度も、自分の名前を名乗った覚えはないんだけど」

 

(ギクッ……!!)

 

セリカの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。そうだ、最初に出会った瞬間、動転していたとはいえ思いっきり「ホシノ先輩」と呼んでしまっていた。名前を知っているどころか、親密な間柄であることまで露呈させていたのだ

 

セリカは引きつった笑顔を必死に張りつかせ、冷や汗が背中を伝うのを感じながら、必死に脳細胞を回転させる

 

「あ、あはは……。ほら、アビドスの『暁のホルス』って言えば、他校の生徒でも有名じゃない? 噂で聞いたことがあったから……だからつい、アハハ……」

 

「……ふーん? 随分と耳が早いんだね。それに、さっきから気になってたんだけど」

 

ホシノは納得した様子もなく、さらに一歩踏み込むようにジトッとした視線をセリカに突き刺した。

 

「セリカ、私と同じ一年生のくせに、なんで私のことをさっきから『先輩』なんて呼んでるわけ? それに、妙に距離感がおかしいっていうか……まるでもっと前から私を知ってるみたいな……」

 

(痛い! 痛すぎるわよその指摘……!)

 

セリカは内心で悲鳴を上げた。未来の対策委員会で過ごした日々の中で、「ホシノ先輩」と呼ぶことは呼吸と同じくらい当たり前の習慣として染み付いてしまっている。それが今、この過去の世界では決定的な綻びとなって自分を追い詰めていた

 

「そ、それはその……えっと! アビドスの生徒会長さんと一緒にいるから、そのお連れの方にも敬意を表してっていうか……! 礼儀よ、礼儀!」

 

「怪しい……絶対になにか隠してる……」

 

ホシノの疑念は深まり、再び生徒会室にヒリついた空気が戻り始める。絶体絶命のピンチ。そう冷や汗を流していた時、横からユメがパン! と勢いよく、かつ柔らかに手を叩いた

 

「もう! 二人とも同級生なんだから、そんなにギスギスしちゃダメだよ? 折角の出会いなんだから、仲良くしなきゃ!」

 

「ユメ先輩、これは仲良くとかそういう情緒的な問題じゃなくて、この女の身元の不透明さを……」

 

「いいのいいの! 私が決めたんだから。私の権限で、セリカちゃんは今日からアビドスの『仮一年生』に決定! はい、おめでとう!」

 

「「えええええっ!?」」

 

セリカとホシノの声が、見事なまでのシンクロを見せて生徒会室の天井を突き抜けた。余りにも唐突で、余りにもユメらしい強引な「お節介」。驚きに目を見開く二人の前で、ユメだけが春の嵐のような明るい微笑みを浮かべていた

 

「ちょっとユメ先輩! 普段そんな『権限』なんてこれっぽっちも振りかざさないくせに、なんで今に限って使うんですか!? この女、身元も来歴も怪しすぎるって何度も言ってるじゃないですか!」

 

ホシノが詰め寄る。その剣幕は、大切に守っている平穏な居場所に、得体の知れない異物が放り込まれたことへの純粋な防衛本能の表れだった。対するユメは、困ったような、それでいてどこか確信犯的な笑みを浮かべて身体を揺らす

 

「だ、だってぇ、セリカちゃん行き場も学校もなくて本当に困ってるみたいだし……。あとは、その……セリカちゃんがアビドスの……そう、私たちの後輩になってくれたら、毎日あの美味しいラーメンが食べられるかなーって……じゅるり♪」

 

あろうことか、生徒会長ともあろう人物が、一時の食欲に負けて本当にヨダレを垂らしながらだらしない顔で笑っている。そのあまりに無防備で、計算高さの欠片もない姿に、セリカは毒気を抜かれる思いだった

 

(……アビドスの生徒会長がこんなに緩い人だったなんて。未来の対策委員会のみんなが聞いたら、驚きすぎてひっくり返るわね。……あ、でもホシノ先輩だけは『でしょー? おじさんも昔は苦労したんだよ〜』なんて、いつもの調子で笑い飛ばしそうだけど……)

 

呆れるのを通り越して、セリカの口元からは思わず乾いた苦笑いが漏れた。けれど、その直後、目の前で賑やかに文句を言い合い、子供のように笑い合う二人の姿を見つめていると、胸の奥が鋭い針で刺されたようにチクりと痛んだ

 

(……この二人が、未来ではあんなに悲しい別れ方をするなんて。あんなに酷い喧嘩をして、修復できないくらいバラバラになっちゃうなんて……。今の二人を見ていたら、そんな残酷な未来、どうしても信じられないわ……)

 

喧嘩の具体的な理由も、その後に待っていた最悪の結末も、セリカは未来のホシノから語られた断片的な知識でしか知らない。けれど、目の前で確かに息づいているこの温かで幸せな光景が、いつか砂嵐の中に消え、冷たい拒絶へと変わってしまう。その事実が、たまらなく切なく、耐え難いものに感じられた

 

「……はぁ。もういいです。こうなっちゃった時のユメ先輩は、地平線の果てまで説得しても絶対に折れませんから。……仕方ないです、一旦、信じてあげますよ」

 

ホシノが深いため息を吐き出し、渋々了承してくれた。そして、ぶっきらぼうに、どこか照れ隠しのような動作で、セリカの方へと右手を差し出す

 

「……居場所が見つかるまでは、ここに居ていいです。その代わり、少しでも変な真似をしたら……その時は、承知しませんからね」

 

「も、もちろんよ。そんなことしないわ」

 

セリカは差し出されたその手を、しっかりと握り返す

 

その掌は、自分の知っている「ホシノ先輩」の手よりもずっと小さくて、白くて、まだ幼さが残っている。けれど、その指先から伝わってくる芯の通った確かな体温と、決意を秘めた力強さは、セリカが未来で何度も背中を預けてきた、あの頼もしい「先輩」の感触そのものだった

 

その光景をニコニコと、まるで自分のことのように嬉しそうに眺めていたユメが、ふと思いついたように掌をポンと打ち鳴らす

 

「あ、そうだ! そういえばセリカちゃんは、普段どんな銃を使うのかな? 見たところ、何も持ってないみたいだけど」

 

「え……? 私の銃……? あ」

 

ユメの素朴な疑問に、セリカは雷に打たれたような衝撃を受けた。咄嗟に自分の腰回りに手をやるが、そこにあるはずの愛銃の感触はどこにもない

 

(……最悪! 私の銃、未来の対策委員会の部室に置いたままじゃない……!!)

 

パジャマ姿でタイムスリップしてきたのだから当然といえば当然だが、今の自分は文字通りの丸腰だ。これから待ち受けているであろう、この時代の「修羅場のアビドス」を武器も持たずに生き抜くなど、自殺行為以外の何物でもない。真っ青な顔をして、虚しく空を掴むセリカの様子を見て、ホシノが呆れたようにため息をつく

 

「……はぁ、本当に抜けてるんだから。少し待ってなさい」

 

ホシノは生徒会室の隅に置かれた、年季の入った備品机の方へと歩いていった。引き出しの奥を弄り、重々しい音と共に取り出したのは、一丁のハンドガンだった

 

「これ、私が少し前まで使ってたやつ。今はこっちのショットガンをメインにしてるから、予備として保管してたんだけど。……手入れだけは完璧にしてあるから。居候の間、セリカに貸してあげる」

 

無造作に放り投げられた冷たい金属の塊を、セリカは慌てて両手で受け止めた

 

掌に伝わる、ズシリとした確かな重量感。未来で使い慣れた自分の銃とは全く違うが、丁寧にオイルが引かれたその銃身からは、持ち主の深い愛着と規律が感じられた。不思議と、その重みのおかげで、先ほどまで止まらなかった心の震えがわずかに収まっていくのがわかった

 

「……いいの? ホシノ先輩にとって、これ大切なものなんじゃないの?」

 

「別に。……武器も持たない同級生に、すぐ横で死なれる方が寝覚めが悪いですから。無駄死にだけはしないでくださいよ」

 

ぶっきらぼうで、突き放すような物言い。けれど、その言葉の裏側に隠された、不器用ながらも真っ直ぐな優しさが、今のセリカには何よりも心強く、温かく感じられた

 

「それじゃあ、私からは予備の制服を貸してあげるね! さすがにずっとパジャマじゃ風邪引いちゃうし!」

 

ユメが自分の胸に手を当てて快活に提案するが、すかさずホシノから冷静なツッコミが飛ぶ

 

「……ユメ先輩。先輩のサイズが、セリカに合うように見えますか? どこをどう見ても、持て余すのが目に見えてますけど」

 

「ちょっと、ホシノちゃん!? 喧嘩売ってるの? 私だって、そんなに……その、太ってないもん!」

 

「そちらの方ではないですよ」

 

頬を膨らませるユメと、冷ややかな視線を送るホシノ。二人のコミカルなやり取りに、セリカは思わず吹き出しそうになった。結局、学校の備品室に眠っていた、持ち主のいない予備の制服――セリカの着ていたデザインとは微妙に異なる、今の時代の「アビドス高校」の制服を借りることになった

 

着替えを済ませ、ようやく一人の生徒らしい姿になったセリカは、ユメの案内で学校のすぐ近くにある一軒の貸家へと連れて行かれた。そこは、砂漠化が進む街の中で、奇跡的にまだ人の住める体裁を保っている静かな住居だった

 

「今は誰も使っていない空き家だけど、電気も水道もちゃんと通ってるから安心してね。アビドスの自治会が管理してる場所だから、勝手に追い出されたりもしないよ!」

 

ユメは街灯の乏しい夜道に響くような明るい声でそう言い、使い古された鍵をセリカに手渡した。隣に立つホシノは、疲れているのか眠たげな、それでいてどこか思慮深い眼差しを室内に向けながら付け加える

 

「毛布とか、最低限の生活用品は明日持ってくるから。今日はそのソファーで我慢して。……不便でしょうけど、パジャマで砂漠を彷徨うよりはマシでしょ」

 

「それじゃあ、また明日学校でね、セリカちゃん!」

 

二人はそう言い残すと、並んで夜の暗闇の中へと消えていった。遠ざかっていく二人の足音と、ユメの楽しげな話し声が完全に聞こえなくなったのを見届けてから、セリカはそっと扉を閉めた

 

カチリ、と冷たい金属音が室内に響き渡る

 

その音を合図にするかのように、急激な静寂が押し寄せてきた。未来のアビドスよりも良い意味でも悪い意味でもずっと活気があるはずのこの時代でも、夜の静けさは変わらない。むしろ、誰もいない見知らぬ部屋に一人残されたことで、その静寂はセリカの鼓膜に痛いくらいに突き刺さった

 

彼女は吸い寄せられるようにベランダへと足を運び、外の空気を吸った。夜風は砂の匂いを孕み、肌寒く、セリカの頬を無遠慮に撫でていく

 

手の中には、ホシノから借りたばかりのハンドガンが握られていた。鈍く光る銃身。その冷徹な重みだけが、今の自分が置かれている現実を繋ぎ止める唯一の錨のように感じられた。見上げる夜空には、満天の星が広がっている。それは未来で仲間たちと一緒に見上げた空と同じはずなのに、なぜか今のセリカには、手が届かないほど遠く、拒絶されているかのように冷たく見えた

 

(……私、これからどうなるんだろう。アヤネちゃん、シロコ先輩、ノノミ先輩、それに……ホシノ先輩。みんな、今頃パニックになって私を探してないかな。アヤネちゃんなら泣きそうになりながらヘリを飛ばしてるかもしれない。シロコ先輩は無言で砂漠を走り回ってるかも……。それに、先生も……。みんなに、ひどく心配をかけてるよね……)

 

目を閉じると、いつも通り賑やかな対策委員会の部室の光景が浮かんでくる。文句を言い合いながら食べるお弁当の匂い、シロコが銃を整備するカチカチという音、アヤネが淹れてくれる少し濃いめのお茶。耳の奥で、確かにみんなの声が聞こえる気がした

 

「……寂しいよ…」

 

ぽつりと漏れた独り言は、重い夜の静寂に吸い込まれ、霧散した。誰にも届かない言葉が、孤独をいっそう際立たせる。不意に視界が潤みそうになった瞬間、セリカはハッと目を見開いた

 

……ダメ。こんなの、私らしくない!

 

「――っ、よし!」

 

彼女は自分の両頬を、真っ赤になるほどの強さでパチンと叩き上げた。乾いた音が夜気の中に響き、痛みが意識を鮮明に塗り替える

 

「弱気になってどうすんのよ、黒見セリカ! 泣き言を言うのは、元の場所に帰ってからで十分よ! 今はとにかく、この時代で生きて、帰る方法を見つけることだけを考えなさい!」

 

自分自身を鼓舞するように、そして自分を待っているはずの仲間たちへの誓いのように、暗い夜空に向かって強く宣言した

 

部屋に戻ったセリカは、貸し出された古いソファーに身を投げ出した。使い込まれて少し硬くなったクッションが、今の彼女には不思議と心地よかった

 

押し寄せる心細さも、拭いきれない不安も、今はただ、泥のように蓄積した疲労の波がすべてを押し流していく

 

アビドスの静かな、けれど嵐の前の静けさを孕んだ深い夜。セリカは借り物のハンドガンを胸に抱くようにして、深い、深い眠りへと落ちていった




書き方変えたのにその先の展開的に元に戻してしまった…
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