セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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お気に入りが300超えました!!いつも見てくださってる方、コメントをしてくださってる方本当にありがとうございます…!

……ここに投稿して結構経ちますが…星9が多いの凄いと思うんですよ…セリホシをみんなで推していきましょう!


過去と今を繋ぐ思い出の味

セリカとの間にあったわだかまりが氷解し、対策委員会の絆が揺るぎないものとなってからも、アビドスを巡る過酷な運命の歯車は一度として止まることはなく、それは加速していた。

 

九億六千万という、個人の想像を絶する天文学的な借金の重圧

 

そして、少女たちの故郷を音もなく、けれど確実に侵食し続ける無慈悲な砂漠化の進行

 

それら既存の脅威に追い打ちをかけるように、アビドスのみならずキヴォトス全域の理を捻じ曲げる「色彩」の到来や、虚無の深淵から這い出してきた多次元的な脅威、底知れぬ悪意に満ちた巨大な陰謀が次々と彼女たちの前に立ちはだかる

 

その激動の濁流の中で、ホシノたちは幾度となく、魂を削り取るような過酷な試練に直面した。カイザーグループによる強引な学園買収という政治的・武力的な蹂躙

 

地下生活者が冷徹な手つきで盤面を操り、死の香りを漂わせて仕掛けた悪意の遊戯

 

そして……救いようのない絶望に染まり、別の時間線で果てるはずだった「もう一人のシロコ」と、色彩の侵食によって異形へと成り果てた「違う世界の先生」との、痛切な対峙

 

しかし、幾多の嵐を乗り越え、今、ホシノがその双眸に映す世界は、かつての凍てつくような孤独がまるで遠い前世の記憶であったかのように、色彩豊かで愛おしい光に満ちている

 

そこには、共に死線を潜り抜けた、忘れ得ぬ戦友たちの姿が鮮やかに息づいていた

 

前代未聞の銀行襲撃という荒唐無稽な騒乱の最中、奇妙な巡り合わせで出会った少女、トリニティ総合学園の生徒でありながら、覆面を被り、泥まみれになりながらも「普通」の幸せを守るために真っ直ぐに突き進む阿慈谷ヒフミ

 

彼女の放つ眩いばかりの純粋さは、殺伐とした戦場にすら一筋の救いをもたらし、ホシノたちの心に奇妙な連帯感と、確かな友情の種を蒔いた

 

ゲヘナ学園の頂点に君臨する最強の個人戦力と謳われ、畏怖の対象として語られる少女。規律を重んじ、絶え間なく続く部内の騒動と終わりの見えない過密業務に追われながら、常に眉間に皺を寄せて奔走する風紀委員長、空崎ヒナ

 

敵対と共闘の狭間、立場を越えて言葉を交わす中で見えた彼女の献身と孤独は、同じ「最強」という看板を背負わされたホシノの心に、静かな共鳴を呼び起こした

 

そして何より、この世界よりもさらに残酷で、何もかもを失った果てに辿り着いた悲劇の未来からやってきた、もう一人の砂狼シロコ、通称「クロコ」

 

かつてのホシノ自身がそうであったように、あるいはそれ以上に重く、冷たく、暗い過去の荷物を背負いながらも、なお「明日」へと歩みを止めない彼女

 

鏡合わせのような彼女たちと過ごす時間は、戦いに明け暮れ、傷ついて硬くなったホシノの心に、砂漠を優しく潤すオアシスのような、かけがえのない平穏をもたらしていた

 

守るべき場所があり、背中を預けられる友がいる。その実感が、ホシノをかつてないほど強く、そして優しく変えていた

 

夕暮れ時、茜色の光が斜めに差し込む誰もいなくなった対策委員会室。放課後の喧騒は潮が引くように去り、ただ古びた校舎が砂に削られる乾いた音だけが響いている

 

ホシノは独り、かつての尖っていた頃の面影をどこかに置き忘れたような、慈しむような柔らかな表情を浮かべ、古いスマホをそっと耳に当てていた。その指先は、まるで壊れやすい宝物に触れるように慎重で、温かい。

 

「……あはは、それでね? ヒナちゃん、また過労で倒れちゃったんだ。おじさん、あれほどお昼寝を勧めたのに。本当に、放っておけない頑張り屋さんだよねぇ」

 

スピーカーの向こう側から、「ふふ、お昼寝協会の会長さんに言われると、なんだか説得力があるねぇ」と、のんびりとした懐かしく甘やかな声が返ってくる

 

それは陽光に舞う塵のように優しく、透明な温かさを帯びていた

 

「ひどいなぁ、先輩。おじさんはいつだって至極真面目に、健やかな成長のための睡眠を推奨してるんだよ。この前なんてヒナちゃんにさ、『あなたみたいに問題を起こす人が多いから休めないのよ』なんて、おじさん心外なこと言われちゃったんだから。もう、おじさんのガラスのハートは粉々だよ」

 

冗談めかして笑うホシノ。しかし、スピーカーから返ってきたのは、少しだけ悪戯っぽく、けれど確かな核心を突く言葉だった

 

「あはは、そうそう……この前も……えーと、神秘が反転……? して大変だったからね〜」

 

その一言に、図星を突かれたホシノは目に見えてうろたえ、泳いだ視線をさらに泳がせた

 

「う……それは言わないでよ、先輩……。なんであんなに一人で突っ走っちゃったのか、今となってはおじさん自身にもよく分からないんだから……」

 

ホシノは電話越しに気まずそうに目を瞑る

 

脳裏をよぎるのは、数ヶ月前の冷たい記憶

 

ある日、疲れ果てた様子で頭を抱えていた先生から聞いた、忌まわしき「列車砲」の噂。アビドスの過去の遺産であり、あまりにも強大な破壊の象徴

 

その言葉を耳にした瞬間、ホシノの思考は濁流のような強迫観念に飲み込まれた

 

(私が壊さなければ。私が終わらせなければ。これ以上、誰も失わせないために――)

 

「自分でも制御不能」な衝動に取り憑かれ、結果として神秘は歪み、闇に飲まれるテラー化という最悪の事態まで引き起こしてしまった

 

かつてない絶望の底で、彼女を救い上げたのは、もう一人の自分であるクロコ、そして必死に手を伸ばしてくれた後輩たち、急報を受けて駆けつけたヒナ

 

そして何より、誰よりもホシノの幸せを願い、その危うい背中をずっと案じ続けてくれていたユメの、祈るような慈愛に満ちた導きだった

 

ホシノにとっても、ユメはただの「先輩」という言葉では片付けられない、魂の半分を預けたような唯一無二の存在。その温かな眼差しが、暗闇に沈もうとしていたホシノの心を、もう一度光へと繋ぎ止めてくれたのだ

 

「ふふ、もう過ぎた事だし気にしてないけど、あまり無茶したらダメだからね? ホシノちゃんが壊れちゃったら私、悲しくてまた泣いちゃうよ?」

 

「……はいはい、分かってますよ〜だ。……あ、そうそう。クロコちゃんもね、少しずつだけどこっちの『日常』に馴染んできたみたい。相変わらずシロコちゃんとは、どちらが先生の隣に座るべきかっていう難解な議題で、目に見えない火花を散らしているけれどね。あれ、解決するのに何年かかるんだろうねぇ」

 

「あはは、想像しただけで賑やかで楽しそう! ホシノちゃん、本当に素敵な友達がたくさんできたんだね。よかった……本当によかった。私、今とっても安心してるんだよ」

 

弾むように嬉しそうなユメの声を聴きながら、ホシノは満足そうに目を細める

 

窓の外には、かつて二人で肩を並べて見上げ、果てない夢と不安を分かち合ったあの日と何一つ変わらぬ、燃えるような紅蓮の夕焼けが地平線まで広がっている

 

その茜色は、ホシノの頬をかつての少女時代のような赤みに染め上げた

 

ホシノは、まるで目の前に最愛の人が座り、自分の言葉に一つ一つ頷き、慈しむような微笑みを返してくれているかのような、至福に満ちた声で語り続ける

 

「ユメ先輩……聞いてる? 毎日がね、耳を塞ぎたくなるほど騒がしくて、時々ちょっとだけ疲れちゃうこともあるけれど……でも、これ以上ないくらい、とっても幸せなんだよ。あの時、先輩が信じてくれた未来が、今ここにあるんだ」

 

「うん、ちゃんと聞こえてるよ。……頑張ったね、ホシノちゃん。あなたは私の自慢の後輩だよ」

 

その温かな声は、砂漠の熱を冷ますように優しく撫でる風に乗って、遥か彼方の空の向こう、星が産声を上げる場所へと溶けていった

 

「……それじゃあ、またね。ユメ先輩」

 

静かに通話を切り、深い、それでいて晴れやかな吐息をついたホシノ

 

彼女の視界の端、茜色の光に照らされた部室の片隅で、誰もいないはずの向かい側の椅子が、陽炎のように一瞬だけ温かく揺らめいて見えた

 

主を失ったはずのその場所には、たった今、誰かが座って立ち上がったかのような微かな温もりが残っている

 

「……さてと。そろそろ帰ろうかな。おじさん、今日はぐっすり眠れそうだよ」

 

立ち上がったホシノの背中を、夕陽が長く、けれどどこか力強く照らし出す

 

そこには、過去を背負い、未来を見つめ、そして「今」を愛するアビドス高等学校生徒会長としての、凛とした後ろ姿があった。彼女の愛した「日常」は、今も、そしてこれからも、ずっと彼女と共に在り続ける

 

ユメ先輩との穏やかな「報告」を終えてから、数日が経った

 

アビドス高等学校、対策委員会の部室。西日に照らされた部屋の中では、午後の定例会議がまさに締めくくられようとしていた

 

「――以上で、今週の収支報告と各校の動向確認を終わります。それでは、他に何か提案や、話しておきたいことがある人はいますか?」

 

アヤネが手元のタブレットをまとめ、眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら一同を見渡す

 

その仕草はいつも通り事務的だが、声の端々には会議を無事に終えた安堵感が滲んでいる

 

普段なら、このタイミングでホシノが「はーい、おじさんはお昼寝の準備に入りまーす。座布団が呼んでるんだよ〜」と、のらりくらりと手を挙げるところだったが、今日は意外な人物が、それよりも早く声を上げた

 

「はい! あの、私から提案があるんだけど……」

 

少し緊張した面持ちで、それでいて決意を秘めた瞳で手を挙げたのはセリカだった

 

その唐突かつ真剣な様子に、隣にいたシロコが「ん……。バイトで何か問題があった? もしかして、また迷惑なお客さんを銃を持って追いかけ回したとか」と、真顔で首を傾げる

 

「違うわよ! シロコ先輩、私をなんだと思ってるのよ!? 私は正当な防衛と接客のガイドラインに従ってるだけなんだから!」

 

反射的にツッコミを入れたセリカだったが、すぐに咳払いを一つして、居住まいを正した

 

「……あのね。最近、本当にいろいろありすぎたでしょ? 借金返済の追い込みもそうだけど、あの『色彩』の件とか……。みんな、ずっと心が張り詰めてた気がするの。だから、その……たまには羽を伸ばして。明日、対策委員会のみんなで学校でお泊まり会をしないかなって」

 

少し照れくさそうに、けれど仲間の心の疲弊を誰よりも察していた彼女らしい、真っ直ぐな提案だった

 

戦いと緊張に明け暮れた日常に、ふと舞い降りた穏やかな休息の予感。その言葉に、部室の空気が魔法がかかったようにふんわりと和らいでいく

 

「お泊まり会……! いいですねぇ、パジャマパーティーをしましょう♪ 特製のお菓子も用意しちゃいますね」

 

「ん、賛成。夜の校舎でのタクティカル・トレーニングも兼ねて、暗視ゴーグルの点検もできる」

 

「シロコ先輩、だから訓練じゃなくて『ゆっくり』するのが目的なの!」

 

ノノミの楽しげな賛同と、シロコのあまりにストイックすぎる解釈。そのやり取りにセリカの鋭いツッコミが飛ぶ

 

アヤネも「たまには、そうやって肩の力を抜いて親睦を深めるのも、委員会運営には必要かもしれませんね」と、嬉しそうに微笑んだ

 

ホシノは、そんな賑やかな後輩たちのやり取りを、細めた両の眼に優しく収めていた

 

(セリカちゃん……。本当、おじさんの知らないところで、立派にみんなのことを思いやれるようになったんだねぇ)

 

かつて、刺々しい態度で周囲を拒絶していたあの頃の自分を思い出し、今のこの光景がどれほど奇跡に近いものかを噛み締める

 

ふと、ホシノはセリカが口にした「対策委員会みんな」という言葉を反芻し、ある一人の少女の姿を思い浮かべた

 

「それじゃあ、クロコちゃんも誘ってみよっか。せっかくの機会だし、彼女にもアビドスの夜を楽しんでほしいもんね」

 

ホシノがそう提案すると、部室の温度がさらに数度上がったかのように、みんなの顔がぱっと明るくなった

 

ホシノはポケットから年季の入った端末を取り出し、今は別の場所で孤独と折り合いをつけながら過ごしている「もう一人のシロコ」へと通信を繋ぐ

 

数回の無機質な呼び出し音が響いた後、聞き慣れた、けれど少しだけ硬さの残る、慎重な声が返ってきた

 

「……ん、ホシノ先輩? 何かあった? またホシノ先輩が一人で突っ走って暴走した、とかいう報告はやめてほしいんだけど」

 

「あはは……それはもう言わないでよ、おじさんの心が折れちゃう。実はね、明日みんなで学校でお泊まり会をしようって話になったんだ。クロコちゃんも、もし良かったらどうかなと思ってさ」

 

ホシノの誘いに、スピーカーの向こう側で一瞬、呼吸すら止まったような静寂が流れた

 

かつて彼女が失い、二度と取り戻せないと思っていた「日常」。その断片が差し出されたことへの困惑か、あるいは憧憬か。しばらくして、ポツリと、どこか寂しげな余韻を含んだ声が響く

 

「ん……。誘ってくれて、嬉しい。……本当は、すごく行きたい。みんなと、一緒に」

 

「……でも、ごめん。その日は、どうしても外せない用事があって。……どうしても、今は行けないんだ」

 

その声は、かつての自分を知る場所へ、愛した仲間たちの元へ帰りたいという切実な本心と、それをまだ許しきれない自分への、あるいは変えられない運命へのやるせなさが滲んでいるようだった

 

「そうかぁ、残念だね。じゃあ、クロコちゃんの分までおじさんたちが全力で楽しんでくるからさ。次に会った時、耳にタコができるくらいお土産話を話してあげるから、楽しみにしててよ」

 

「ん。……楽しみにしてる。……ありがと。ホシノ先輩」

 

通話が切れた後の部室に、微かな、けれど確かな寂しさが残る。彼女の座るはずだった空席を、夕陽が静かに照らしていた

 

クロコが抱える「用事」が何であれ、彼女がまだこの温かな輪の中に完全には飛び込めないでいることを、ホシノは静かに察していた

 

それは物理的な距離の問題ではなく、彼女自身の内側にある「許し」の境界線。かつての自分がそうであったように、失ったものの大きさを知る者ほど、新しく差し出された幸福を手に取ることに臆病になってしまう

 

「ま、クロコちゃんの分も、おじさんたちが思いっきり楽しまないとね! 後で耳にタコができるくらい、たっぷり自慢話を聞かせてあげるんだから」

 

ホシノはあえて努めて明るく振る舞い、後輩たちの屈託のない笑い声の中に再び身を投じた

 

けれど、窓の外に広がる茜色の砂漠を見つめるその瞳の奥には、かつて自分が一人きりで歩んできた凍てつくような孤独の記憶と、今のクロコが背負っている長く重い影が、痛切なほど鮮やかに重なって映っていた

 

お泊まり会当日、夕闇が静かに迫り、砂漠の熱気が夜の冷気に溶け始めるアビドスの校舎。静まり返った廊下に、いつもより少しだけ浮かれた、弾むような足取りの対策委員会メンバーが集結した

 

「見てください! 可愛いトランプに、最新式のボードゲームも持ってきちゃいました♪ 夜更かしの準備は万端ですよ〜」

 

ノノミが鞄から、まるで魔法の道具を取り出すように次々と楽しそうなアイテムを机に並べていく

 

それに負けじと、セリカも少し照れくさそうに、新調したばかりのパステルカラーのパジャマを披露した

 

「ちょ、ちょっと気合入れすぎたかしら……。でも、せっかくのお泊まり会なんだから、形から入るのも大事でしょ?」

 

賑やかな準備の真っ最中、静かになった部室に「ぐぅ〜……」と、誰かのお腹の鳴る音が切なくも可愛らしく響く

 

「ん……遊ぶ前に、十分なエネルギー補給が必要。セリカ、カレーの材料は?」

 

「分かってるわよ、シロコ先輩。今夜は私の特製カレーなんだから。さあ、みんなで協力して作るわよ!」

 

セリカが手際よく野菜や肉を取り出すと、ホシノが袖を捲りながら「よーし、おじさんも手伝うよー」と、ひょこひょこと調理台へ歩み寄った

 

その瞬間、室内の空気が一変する

 

「ま、待ってください……! わ、私たちが準備しますから、ホシノ先輩はそこに座ってて、いえ、むしろ寝ててください!」

 

「ん! ホシノ先輩は大人しくしてるべき。……危険。下手したら私たちの命に関わる…!」

 

ノノミとシロコが、まるで時限爆弾の解体作業でも見守るかのような、必死の形相でホシノを制止した

 

あまりの勢いに、事情を知らない一年生のセリカとアヤネは「え……?」と顔を見合わせて首を傾げる

 

「ちょっと、二人とも失礼じゃない? カレーくらい誰だってできるわよ。皮を剥いて、切って、煮込むだけなのよ?」

 

「そうですよ。その言い方は流石にホシノ先輩が可愛そうです」

 

「……セリカちゃん、アヤネちゃん。知らないのは、本当に幸せなことなんですよぉ……」

 

ノノミが、遠い目をしながら、できれば意識の奥底に封印しておきたかった過去の惨劇を反芻するように、ポツリと漏らす

 

「ホシノ先輩……実は、壊滅的な料理音痴なんです……。いえ、音痴という言葉では到底説明がつかないレベルの……」

 

「ええっ、ホシノ先輩が!? 嘘だ……あんなに何でもスマートに完璧にこなすのに……」

 

驚愕に目を見開く一年生二人を余所に、ホシノは「もー、ひどいなぁ二人とも。おじさんだって進化してるんだよ? カレーくらいなら大丈夫だって」と、止める二人を軽くいなして包丁を手に取った

 

強行突破するホシノに対し、ノノミとシロコは「ああっ、阿鼻叫喚の再来が……! 逃げ場のない室内で……!」と、最悪の事態を想定して頭を抱えて身構えた

 

――が

 

(トントン、トントン……)

 

軽快で、かつ一定のリズムを刻む心地よい音が部室に響き渡る

 

「…………え?」

 

期待(あるいは恐怖)を裏切り、ホシノの手元では、野菜が極めて正確に、かつ丁寧な手つきで次々と切り分けられていく

 

その迷いのない、流れるような包丁捌きは、料理音痴どころか、むしろ「長年キッチンに立ち続けている熟練者」のそれであった

 

「ん……信じられない。ホシノ先輩、もしかして……中身が別人の偽物? 」

 

「ほ、ホシノ先輩!? どうしちゃったんですか!? 普通に、いえ、プロ顔負けに、とっても上手です……!」

 

あり得ない光景を目の当たりにした二人は、幽霊でも見たかのように目を丸くして、その場に固まってしまった

 

「うーん……おじさんが壊滅的な料理音痴だったのは認めるけどさ。そこまで化け物を見るような目で言われると、流石におじさんの繊細なガラスのハートも、パリンと粉々に砕け散っちゃうよー」

 

流れるような手つきで人参を正確な乱切りにしながら、ホシノは困ったように、けれどどこか楽しげに片目を細めて苦笑いする

 

その背中は、かつての刺々しさを微塵も感じさせないほど、夕闇の部室に穏やかに溶け込んでいた

 

あまりに手慣れた包丁捌きに、先ほどまで身構えていたアヤネが、毒気を抜かれたように不思議そうに二人へ問いかける

 

「えっ……普通に、いえ、むしろプロ顔負けに上手ですよね……? お二人は一体、ホシノ先輩の何に対して、そこまで怯えていたんですか?」

 

「……アヤネちゃん。知らないというのは、時にこの上ない幸福なんですよぉ……」

 

ノノミが、当時の命の危険を本能で感じ取った記憶を呼び起こすように、震える声で重々しく口を開いた

 

「忘れもしません。初めてホシノ先輩が『おじさんも今日のご飯を手伝うよ』って言い出したあの日。どういうわけか、キッチンに家庭用とは到底思えない、殺傷能力の高そうな業務用の火炎放射器を持ってきたりしたんですよ……?」

 

「火炎放射器!? 料理じゃなくて、それはもう焦土作戦じゃないですか!」

 

アヤネの絶叫に近いツッコミが響く中、シロコも淡々と、けれど確かな恐怖の余韻を込めて追撃を開始する

 

「ん……それだけじゃない。その後、泥のついたままのゴボウを『大地の味』と言ってそのまま鍋に放り込もうとしたり、隠し味と言ってサバイバル用の固形燃料を投入しようとしたり……。ワイルドを通り越して、もはや一種のテロリズムだった」

 

シロコが語る、あまりにパンクで規格外な調理風景。それを脳内で再生してしまった一年生二人の顔は、見る間に引きつり、背筋を冷たいものが走り抜けていく。

 

「で、でも、今はそんな不穏な様子、これっぽっちもないわよ……?」

 

セリカが恐る恐る、すでにじゃがいも、人参、玉ねぎをすべて寸分の狂いなく切り終えたホシノの方を注視する。まな板の上は清潔に整えられ、火炎放射器どころか、焦げ跡の一つすらどこにも存在しない

 

「まぁ、他の料理は今でも正直絶望的だけどね。カレーだけは、おじさんでも胸を張って『出来る』って言えるんだ」

 

ホシノは包丁を置き、腰に手を当てて、誇らしげに鼻を高くする。どうやらカレーに関しては、彼女の中で譲れない絶対的な自信があるらしい

 

その満足げな「ドヤ顔」を眺めながら、ノノミはやれやれと肩の力を抜き、釘を刺すように優しく、けれど強く付け加えた

 

「せめて他の素材を扱う時も、爆発物や火器じゃなくて、今日みたいにちゃんとした調理器具を使ってくださいね……? 今日は、本当に『食べられるもの』が出てきそうで、心の底から安心しました」

 

ノノミの安堵混じりの言葉に、セリカがふと、純粋な疑問を抱いたように顔を上げる

 

「……ねぇ、もしかして誰かに教わったとか? そうじゃないと、カレーという一品料理だけをこれほど完璧に仕上げられるようになるなんて、理屈に合わないわよね」

 

その何気ない、けれど核心を突く問いかけが部室に響いた瞬間

 

ホシノの、次の作業へ移ろうとしていた手が、ピタリと止まる

 

窓の外では、砂漠の冷ややかな夜風が古びた校舎を撫で、ガタガタと窓枠を小さく鳴らす。その音に呼応するように、ホシノは一瞬だけ調理の手を休めた

 

彼女の視線は手元の野菜ではなく、もっとずっと遠く、時間という砂に埋もれた記憶の深層を見つめているようだった

 

「そうだね……大切な人に、根気強く教わったんだよ。まぁ、その時もおじさん、地獄の底から湧き出たドクロのマークが浮き出てきそうな真っ黒なカレーを作っちゃって。その人を散々、頭抱えさせちゃったんだけどね」

 

「ちょっと、どんなカレーよそれ!? 逆にどうやったらそんな不気味なもの作れるのよ!」

 

セリカが身を乗り出して、戦慄混じりのツッコミを入れる。その真っ直ぐな瞳に見つめられ、ホシノの脳裏には、セリカが一年生だった頃の懐かしい光景が鮮やかに蘇っていた

 

かつて、料理の「り」の字も知らなかったホシノが、良かれと思ってとんでもない隠し味を次々と投入し、鍋から紫色の煙を上げさせていたあの日

 

それを見ていた一年生のセリカは、ひっくり返るほど驚き、頭を抱えて絶望していた。けれど彼女は、そんな不器用で尖っていた先輩を見捨てることは決してしなかった

 

「これ、食べ物じゃないわよ!」「もっと普通の調味料を使いなさいよね!」と怒鳴りながらも、根気強く横に立ち、ホシノの手を引いて人並みの料理が作れるまで付き合ってくれたのだ

 

そして、セリカが元の「世界」に戻ってからも、ホシノは独り、あの時教わった思い出の味に少しでも近づけるよう、人知れずカレーだけは作り続けてきたのだ

 

ホシノは困ったように、けれどこの上なく愛おしそうに眉を下げて苦笑いした。その横顔には、今の対策委員会のメンバーには計り知れない、けれど決して色褪せることのない深い敬愛と温かな情愛が滲んでいる

 

それは、喪失を乗り越え、託された味を守り抜いてきた者だけが宿す、静かで力強い慈しみの色だった

 

その後、調理は驚くほど円滑に進む。ホシノの無駄のない、テキパキとした動きに感心しながら、全員で協力して大鍋を火にかける

 

飴色に炒められた玉ねぎの甘い香りに、独自にブレンドされた数種類のスパイスが混ざり合い、部室の隅々まで芳醇な匂いが満ちていく

 

グツグツと煮込まれる音は、空腹の彼女たちにとって最高のリズムを刻んでいた

 

「よし、完成だね。アビドス特製、おじさんカレーの出来上がりだよ」

 

ホシノが静かに火を止め、重厚な大鍋の蓋をゆっくりと持ち上げる

 

溢れ出した蒸気の向こう側には、食欲をそそる深い黄金色に輝く見事なカレーが、まるで宝物のように鎮座していた

 

それぞれのお皿にたっぷりと盛り付けられた、湯気の立ち上るカレー。五人は一斉にスプーンを手に取り、まずは一口、その琥珀色の海を口へと運んだ

 

「美味しい……! 芳醇な香りといい、隠し味のコクといい、本当にあのホシノ先輩が手伝ったとは思えないほど美味しいです!」

 

ノノミが頬を染めて目を輝かせれば、シロコも「ん……これなら、いくらでも食べられる。完全に補給効率を凌駕してる。お代わり、最大出力で要求」と、無心でスプーンを動かし続ける。アヤネもまた、眼鏡を曇らせながら何度も幸せそうに頷いた

 

「ホシノ先輩、味付けが本当に最高ですね! スパイスの複雑な辛味の後にくる優しさが絶妙です!」

 

「あはは……みんな、おじさんを褒めてるのか貶してるのか、なんだか不思議な気分だよ。おじさん、そんなに信用なかったかなぁ」

 

ホシノは照れくさそうに後頭部を掻きながら、まだ何も言わずに、じっと手元のカレーを見つめているセリカの方へと視線を移した

 

セリカは一口、また一口と、その味に込められた「何か」を確かめるようにゆっくりと飲み込み、やがて顔を上げた

 

その瞳には微かに熱いものが浮かび、口元には満面の笑みが広がっている。

 

「最高に美味しいわ……。これなら、柴関ラーメンのサイドメニューとして、即座にお店に出せるレベルね。私が大将に直談判してあげてもいいくらいよ!」

 

バイト先での評価を基準にする、セリカにとって最大級の賛辞

 

その言葉を受け、ホシノの胸の奥底には、かつて自分が受け取った以上の温かな火が灯った。教わったあの日、あの場所の味を、今、こうして新しい仲間たちが心から「美味しい」と笑って食べてくれている。その幸福な連鎖が、おじさんの仮面をふわりと緩ませた

 

「ほらほら! セリカちゃんもみんなも、おじさんの得意料理をもっと食べてよ♪ お代わりはいっぱいあるからね! 『もう』おじさん独り占めなんてしないから安心してよね♪」

 

ホシノが茶目っ気たっぷりにそう付け加えると、セリカが「これ一人で食べるつもりだったの!? さっきの美談はどこに行ったのよ!」と即座に鋭いツッコミを入れる

 

部室には一気に弾けるような笑い声が広がった

 

ホシノはいつになく声を弾ませ、お玉を軽快に動かしながら、賑やかな食卓の輪の中へと深く溶け込んでいく




『なぜか』起きてしまったホシノのテラー化…何故でしょうね…?
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