セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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セリカはかっこいいと言われたい

砂まつりの狂乱が過ぎ去り、アビドス高等学校には平穏が戻っていた。しかし、その静寂は以前の寂れた空虚さとは無縁のものであり、活気に満ちた、けれど以前とは決定的に毛色の違う「新しい日常」が着実に息づき始めている

 

セリカも、この心地よい平和な空気感にようやく身体が馴染んできたところだ

 

……もっとも、日常のふとした隙間に、かつての時間線との奇妙な乖離を見つけては立ち止まってしまうことも少なくない

 

「あれ? あんな所に壁が壊れた跡なんてあったかしら……」

 

対策委員会の教室の隅、西日に照らされた箇所に、妙に真新しく不器用な修理の跡があるのを見つけ、セリカは首を傾げながら指をさす

 

彼女の知る限り、校舎に刻まれた傷痕のすべては、容赦のない銃撃や無慈悲な爆破による、血生臭い戦闘の記憶そのものであったはずなのだが

 

「あはは、セリカちゃん。それね、この前ユメ先輩が遊びに来た時に、テンションが上がっちゃって派手に転んで壊しちゃったやつだよー。アヤネちゃんが怒りながら直してたんだよね」

 

ノノミが紅茶の準備をしながら、鈴を転がすような声で笑う

 

「……何やってるのよ、あの人は。相変わらずというか、加減を知らないんだから」

 

呆れたように溜息をつくセリカだったが、その唇の端は自然と柔らかく弧を描いていた

 

今、目の前にある破壊の痕跡は、かつてのような「喪失」の象徴ではない。信じられないほど平和で、あまりにも間抜けな、けれど愛おしい理由で刻まれた「生」の証だ

 

その認識のズレこそが、自分が死に物狂いで、運命の歯車を強引に捻じ曲げてまで書き換えた「幸せな未来」の何よりの証明なのだと思うと、不思議と悪い気はしなかった

 

むしろ、記憶にはないはずの「笑いながら盛大に転ぶユメ先輩の姿」を想像して、胸の奥底がじんわりと、陽だまりのような温かさに包まれていくのを感じる

 

「……ま、平和ならそれでいいんだけどね」

 

独り言のように呟いて空を見上げる

 

そこには、もう砂塵に霞むことも、絶望に沈むこともない、どこまでも透き通ったアビドスの青空が誇らしげに広がっていた

 

ただ、一つだけ……。今の平和なアビドスにおいて、どうしてもセリカが頭を抱えたくなる、深刻かつ気恥ずかしい問題があった

 

「あーっ! おはよう、セリカちゃん! 今日のツインテールの角度、左右合わせて完璧な黄金比だねぇ! おじさん、その眩しすぎる可愛さに視神経が丸焦げに焼かれちゃいそうだよ〜」

 

「っ……、もう! 声が大きいわよ、ホシノ先輩! というよりどんな観察眼してんのよ、あんたは!」

 

教室の扉を勢いよく開けるなり、廊下の突き当たりまで響き渡るような大声で飛んできた、ホシノの「全肯定・甘やかし攻撃」

 

セリカは茹で上がったタコのように顔を一気に真っ赤にして応戦するが、当のホシノは「えへへ、おじさん感激。寿命が千年延びたよ」と鼻の下を伸ばしてふにゃふにゃとだらしなく笑うばかりだ

 

かつてのような「重荷」を背負わなくて良くなったホシノは、その反動なのか、それとも溜め込んでいた愛着が爆発したのか、セリカに対して異常なまでの熱量で接してくるようになっていた

 

あの夜、砂まつりの花火が夜空を鮮やかに彩る屋上で、二人きりで交わした、誰にも言えない秘密の約束

 

それ以来、ホシノの甘えっぷりはブレーキの壊れたダンプカーのごとき勢いで加速の一途を辿っていた

 

セリカも、あの時の感傷的な流れと、自分を見つめるホシノのあまりに愛おしそうで、どこか脆い硝子細工のような微笑みに毒気を抜かれ、ついつい「ホシノちゃん」と呼ぶことを許してしまっていたのだが……

 

(……流石に、祭りのあとの打ち上げ会場でシロコ先輩たちに執拗に詰め寄られた時は、本当に心臓が口から飛び出して止まるかと思ったわよ)

 

その時の光景は、今思い出しても背筋を嫌な汗が伝うほど鮮明に脳裏をよぎる

 

喧騒と熱気に包まれた宴の中、ふとした瞬間に訪れた沈黙の隙間。それを、野生的な直感に優れたシロコが見逃すはずもなかった

 

「ん……セリカ。さっきからずっと気になってた。……さっきの屋上、それから今の移動中。セリカ、ホシノ先輩のこと……自然な口調で『ホシノちゃん』って呼んでなかった?」

 

部室の片隅、焼きそばのパックを片手に持ちながら、シロコが獲物を見定めた猛禽類のような、冷徹で鋭い視線をスッと送ってきた

 

「っぶふぉ!? な、ななな、何のことよ! ホシノ先輩はどこまでいってもホシノ先輩でしょ! 私が先輩を呼び捨てにしたり、ちゃん付けで呼んだり……そんな失礼なこと、口が裂けてもするわけないじゃない!」

 

「いいえ〜、セリカちゃん。残念ながら、私もバッチリと耳に残っていますよ♪ 騒がしい会場でしたけど、セリカちゃんのあの、甘酸っぱい響きを含んだ『ホシノちゃん!』っていう呼び方……乙女の直感に、とっても強く響きました」

 

ノノミが楽しそうに、けれど逃げ道を決して作らせないと言わんばかりの圧を持って、ジリジリと物理的な距離を詰めてくる

 

アヤネに至っては、既に勝利を確信したような手つきで眼鏡のブリッジを押し上げると、手元のタブレットで録音データ、あるいは精巧な分析ログを確認するかのように指を流麗に動かしていた

 

「砂まつりのドタバタが落ち着いてからというもの、お二人の距離感が妙にバグってるんですよね。ホシノ先輩は以前にも増してセリカちゃんにベタベタと密着していますし……何よりセリカちゃん、なんだかんだで当然の権利のようにそれを受け入れている。それどころか、さっきも無意識に『ホシノちゃん、飲み物取ってあげようか?』って言いかけてましたよね?」

 

「……そ、それはその、ホシノ先輩が今回のアビドスのために人一倍頑張ってたから! ちょっとくらい、わがままな頼みを聞いて甘やかしてあげようとしただけよ!」

 

必死に喉から絞り出したセリカの言い訳に対し、シロコは鼻を鳴らし、さらに一歩、セリカのパーソナルスペースを物理的に侵食してきた

 

「ん。嘘。今のホシノ先輩、隙あらばセリカに構ってもらおうとして、見えない犬の尻尾が千切れんばかりに振れているのが見える。蕩けた顔、しすぎ。……それを『後輩としての配慮』という言葉で片付けるのは、あまりに無理がある。セリカ、仲間内での隠し事は良くない」

 

「わ、わわわ、わかったわよ! もう、ちょっとだけ……そう、屋台を回る時に、負けたら一日ちゃん付けで呼ぶっていう罰ゲームをかけて勝負したの! 本当にそれだけなのよ!!」

 

(……あんな胃の痛くなるような尋問、二度と御免だわ……!)

 

まさか「実は私、時空を超えて過去のアビドスに飛んで、性格が尖りまくっていた頃のホシノちゃんと仲良くなって、そのついでに告白に近いこと言われちゃいました」なんて、正気とは思われない説明ができるはずもない

 

結局、公の場や学校内では「ホシノ先輩」

 

二人きりになる放課後の帰り道、あるいは事情をすべて察した上で「若いねぇ、青春だねぇ」と生温かい守護霊のような目で見守ってくれているユメが側にいる時にだけ、「ホシノちゃん」

 

そう厳密に呼び分けることで、なんとか薄氷の上の均衡を保っているのが現状だった

 

「ほら、そんなにニヤニヤしてないで手を動かす! 先生に頼まれた配布物の整理、まだ半分も終わってないんでしょ!」

 

「えー、セリカちゃんが手取り足取り教えてくれるなら、おじさんもっと頑張っちゃうんだけどな〜? ねぇ、もう一度だけ、ホ・シ・ノ・ちゃん、って呼んでくれたら……なんてね?」

 

「っ! 耳元で囁かないでよこのバカ先輩!!」

 

(……もう、本当にこの先輩、中身まで入れ替わっちゃったんじゃないの!?)

 

セリカは、自分の胸の鼓動が耳の奥でうるさく鳴り響いているのを悟られないよう、わざとらしく大きく、深い溜息をついて見せる

 

その日のお昼休み

 

突き抜けるような、雲ひとつないアビドスの青空の下。セリカは校舎の屋上で、錆びついたフェンスに寄りかかりながら一人、頬杖をついて深く、深く悩んでいた

 

「……ホシノちゃん、私に『可愛い』って言う頻度、流石に高すぎるわよ」

 

乾いた砂混じりの風に乗り、ぽつり、と独り言が漏れる

 

初めこそは、いつもの調子――つまり、いつもの調子のいい「ホシノ節」だと思ってあまり気に留めていなかった

 

けれど、今日のようにツインテールの角度だの、歩くたびに揺れる髪の軌道だの、自分でも意識したことのないような些細で、ともすれば重箱の隅をつつくようなポイントにまで「可愛い」を連発され始めると、流石に恥ずかしさを通り越して困惑の方が強くなっていた

 

今のホシノの視線は、単に目に入れても痛くない後輩を愛でるそれよりも、もっと湿度が、密度が濃い。それはどこか執着的で、一秒たりとも見逃したくないと言わんばかりの切実さを孕んでいるのだ

 

「……これじゃあ、あの時のホシノ先輩と同じじゃない」

 

セリカの脳裏に、かつていた世界の――もう二度と繰り返してはならない、昏い記憶が鮮烈に蘇る

 

あの凄惨な戦いの中、ホシノ先輩がテラー化して絶望の淵へと沈み、残された仲間たちで必死に手を伸ばして、喉が枯れ果てるまで名前を呼び続けて

 

ようやくホシノがそれに応えて、昏い泥の中から光の方へ戻ってきてくれたという、あの涙なしには語れない極限状態の再会シーン

 

それなのに、九死に一生を得たホシノがセリカに対してだけ放った第一声は、重厚な空気感を一瞬で霧散させるような、どこまでも緊張感のない「やっぱりセリカちゃんは可愛いね〜」という言葉だった

 

(あの時は『空気読みなさいよ、このバカ先輩!』って怒鳴り散らして済ませたけど……。でも、今のホシノちゃん、あの時以上の熱量で私を見てない? まるで、自分の宝物を誰にも取られたくないと固執する子供のような……そんな必死さが透けて見えるのよ)

 

かつて二人きりだった生徒会に、ほんの一時ではあるが在籍し、別れ際には大粒の涙を流して自分との別れを惜しんでくれた、あの過去の時間線のホシノ

 

その時の「救世主」に対する強烈な憧憬と、彼女を一人にしてしまったという「後悔の残滓」が、今の平和な世界のホシノの中に無意識の深層心理として合流しているのだとしたら、この異常なまでの溺愛にも説明がついてしまう

 

だが、このまま甘んじているわけにはいかなかった

 

いつまでも「愛でられるだけのマスコット」や「守られるだけの後輩」という狭い枠組みに閉じ込められていては、背中を預け合える対等なパートナーとしての面目が丸潰れだ

 

「このままじゃいけないわ……。一度、根本的な対策を練って、あのお気楽な先輩に私の『かっこよさ』をわからせないと」

 

セリカは、決意を固めて屋上の床を蹴り立ち上がった。キツく結い直したツインテールを意志の強さを示すように揺らし、迷いのない足取りで階段を駆け下りる

 

折よく、ホシノは「今日はユメ先輩のところ――シャーレにちょっと顔を出してくるね〜。先生の秘蔵のお菓子、奪い取って持ってくるから期待しててよ〜」と、だらしなく手を振って、浮かれた足取りで校門を去っていった

 

まさに絶好のチャンス、千載一遇の好機だ。この「守護神」のいない隙に、外堀を埋めてしまわなければならない

 

セリカは部室に残っていたシロコ、ノノミ、そしてアヤネの三人を集め、意を決して切り出した

 

「ねぇ、みんな。少し……いえ、かなり真剣な相談があるのだけど……」

 

昼下がりの穏やかな日差しが差し込む部室に、セリカの切実な、どこか悲壮感すら漂う声が響いた

 

その場のただならぬ空気を感じ取った三人は、それぞれ手にしていたペンを置き、カップをソーサーに戻し、改まった様子でセリカと向き合う

 

………………

 

「……それで、ホシノ先輩の度を超した、もはや一種のハラスメントに近い『可愛い』攻勢に困っている、と?」

 

アヤネは手に持っていた学校予算の資料を机に置き、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、冷静に現状を整理した

 

「そうなのよ! 今日なんて見てたでしょ? 髪の角度が黄金比だなんて、普通言う!? ほとんど無理やり褒めるポイントを探してるようなものじゃない!」

 

セリカが身振りを交えて呆れたように声を上げると、ノノミは花の咲くような笑顔で歌うように返した

 

「いいじゃないですか、セリカちゃん。ホシノ先輩ったら、セリカちゃんを褒めている時が一番生き生きして、まるでお日様に当たっている猫ちゃんみたいですよ? 見ているこっちまで、なんだか心が温まって幸せな気分になっちゃいます♪」

 

「ん……それにセリカを甘やかすのは、今に始まったことじゃない。最近は特に、二人だけの世界に入り込みすぎて、私たちが入り込める隙間がまったくない。正直、少しだけ……羨ましいくらい」

 

「シロコ先輩…目が怖いわよ…」

 

シロコが少しムスッとした目で、じとーっと湿度の高い視線をセリカに注ぐ

 

その射抜くような視線に耐えかねたように、アヤネも困ったような、それでいて全てを見透かしたような苦笑を浮かべて言葉を添えた

 

「それにセリカちゃん。言葉ではそう言いながらも、なんだかんだで先輩に甘やかされている時は、すっごく嬉そうで満更でもなさそうに見えますよ。ホシノ先輩と二人きりの時に、自分がどんなに蕩けた顔をしているか、自覚あります?」

 

「っ~~~! そ、それとこれとは、まったくの別問題よ!!」

 

顔を一気に沸騰させ、耳の先まで真っ赤にしたセリカが、勢いよく机を叩いて抗議する。しかし、その必死な拒絶も、激しく揺れるツインテールや泳ぐ視線のせいで、友人たちの前では隠しきれない甘い本音を余計に際立たせているだけだった

 

「私はただ、いつまでも子供扱いされるんじゃなくて、もっと……頼りになる存在だと思われたいのよ!」

 

セリカの叫びは、部室に虚しく、けれどどこか愛らしく響き渡った

 

アヤネは「あはは……」と乾いた笑いを漏らしながら、改めてセリカの顔を覗き込んだ。机に身を乗り出し、逃げ場をなくすようにして問いかけるその瞳には、親友としての慈愛と、ほんの少しの悪戯心が混ざり合っている

 

「つまり、セリカちゃんはホシノ先輩にどう思われたいんですか? 単なる『可愛い後輩』以上の、何か特別な……たとえば、一人のパートナーとして?」

 

「……な、なんだか……」

 

勢いのあったセリカの肩が、電池が切れたようにふっと落ちる

 

彼女は激しく動揺した視線を泳がせ、行き場を失った指先でツインテールの毛先をくるくると弄り始めた。頬は夕焼けよりも赤く染まり、伏せられた睫毛が小刻みに震えている

 

そして、誰にも聞こえないような、消え入りそうな小さな声で呟いた

 

「……可愛いばかり言われると、いつまでも守られるだけの後輩、にしか聞こえないのよ。……あの人は、いつも私を子供扱いして、頭を撫でて、全部一人で背負おうとするでしょう? だから……私も、ホシノ先輩に……かっこいいって、頼りになるんだって言われるようになりたいの。対等に隣に立っていたいのよ」

 

セリカの絞り出すような、けれど確かな決意が籠もった告白の後、部室には静まり返った沈黙が流れた

 

カーテンの隙間から差し込む真昼の陽光が、宙に舞う微細な埃をキラキラと照らしている。セリカは自分の発言のあまりの気恥ずかしさに耐えきれず、顔を真っ赤にして俯いたまま、膝の上で拳を握りしめていた

 

その沈黙を鋭く切り裂いたのは、シロコだった

 

彼女は無機質な、しかし事の本質を無遠慮に突き刺すような声を上げる

 

「ん……それってつまり、ホシノ先輩が逆に惚れ直して、あまりのイケメンっぷりに腰を抜かすような、完璧なセリカになりたいってこと?」

 

「ちっ、違うわよ! なんであんたの解釈はそう極端なのよ!?」

 

セリカは弾かれたように立ち上がり、椅子が大きな音を立てて後ろに下がった

 

しかしシロコはどこ吹く風で、顎に手を当てながら「攻略対象、小鳥遊ホシノ。ガードは固いけど、セリカに関してはガバガバ。……難易度は高いけど、非常にやりがいはある」と、独自の軍事作戦さながらのプランを脳内で練り始めている

 

「あらあら、いいじゃないですか♪ それならホシノ先輩をスマートにエスコートして、悪い人たちや降り注ぐ砂嵐から守り抜く、白馬に乗った騎士のような存在になりたいんですね、セリカちゃん♪」

 

ノノミが胸の前で手を合わせ、うっとりと瞳を輝かせる。彼女の背後には、もはや幻覚とは思えないほど鮮やかなバラの花々と、キラキラとした少女漫画風のエフェクトが溢れ出していた

 

「だから違うってば! 騎士って何よ、騎士って! どうして話がどんどんおかしな方向――というか、私のキャラじゃない方向へ飛んでいくのよ!?」

 

「二人とも、セリカちゃんをいじめすぎですよ……。ほら、涙目になってるじゃないですか」

 

呆れたようにアヤネが割って入ると、セリカは砂漠の果てで清らかなオアシスを見つけた旅人のような、救いを求める表情で「あ、アヤネちゃん……!」と縋るような視線を向けた

 

やはり、この狂乱の対策委員会において頼れるのは、冷静で常識的なアヤネだけだ

 

 

――そう確信した次の瞬間

 

「セリカちゃんは単に、ホシノ先輩のあまりに重すぎる、ともすれば執着に近い愛に対して、自分も同じくらい頼りがいのある姿を見せて、真っ向からその愛に答えたいだけなんですから」

 

「アヤネちゃん!?」

 

理解者のフリをして、最悪の精度で核心(という名の恋心)を突いてきたアヤネに、セリカの渾身のツッコミが炸裂した

 

もはや羞恥心でオーバーヒート寸前のセリカを他所に、アヤネは眼鏡を指でスッと押し上げ、知的な笑みを浮かべる

 

「ふふ、流石に冗談ですよ。でもそうですね……。確かにこのままだと、部室で繰り広げられるセリカちゃんへの『可愛い攻撃』が激しすぎて、シロコ先輩が嫉妬で暴れ出しかねませんし。何より、私たちが計算業務や書類整理に集中できなくなってしまいますから」

 

アヤネがそう言って隣に視線を向けると、シロコは既に愛銃のボルトを無意識にガチャガチャと弄りながら、どこか遠く……あるいはかつての市街戦の戦場を見つめるような、底冷えする鋭い目つきをしていた

 

「ん。同意。ホシノ先輩の溺愛は、私の忍耐の限界に深刻な影響が出るレベル。……このままだと、嫉妬のあまり気がついたら覆面を被って、用もないのに銀行の前に立っているかもしれない。だから、ホシノ先輩が『可愛い』と言う暇もないくらい、あまりの凛々しさに言葉を失って顔を赤らめるような、完璧にかっこいいシチュエーションを、私たちが責任を持ってプロデュースする必要がある」

 

シロコが静かに、けれど逃走用のドローンでも起動させるかのような迷いのない力強さで拳を握りしめた

 

隣でノノミも「いいですね〜! シロコちゃんが本当に暴走して街を壊しちゃう前に、私が衣装から演出、特殊効果のゴールドスプレーまで、最高のプランを立てちゃいます♪」と、満面の笑みで賛成した

 

セリカの「シロコ先輩、それいつもの行動じゃない……? というか、銀行強盗は解決策にならないわよ!」という至極真っ当なツッコミを置き去りにして、対策委員会は一気に「セリカ・イケメン化計画」への異常なまでの熱狂に包まれていった

 

「それでは対策委員会緊急議題、『セリカちゃんイケメン化計画』の特別戦略会議を始めましょうか!」

 

アヤネがホワイトボードに向かってキュッキュと小気味よい音を立ててペンを走らせ、会議は怒涛の勢いで取り仕切られていく

 

ボードの端には「標的:小鳥遊ホシノ」「最終目標:『かっこいい』と言わせて余裕を奪う」という文字が、決戦を控えた作戦指令室さながらにデカデカと踊っていた

 

(アヤネちゃんたちに相談したのだけど……本当に大丈夫かしら……。これ、絶対に面白がってるわよね……)

 

先ほどまでの弄られっぷりのせいで、協力者三名への信頼度が垂直落下しているセリカは、半目で三人の背中を見つめる

 

その懸念を裏付けるように、シロコがまずは真っ先に口を開いた

 

「ん。かっこよくなるなら、まずは圧倒的な肉体美と威圧感から。手始めにフル装備で砂漠を十周。その後、シロコ・クロコ式の超高負荷自重スクワットを五千回……。仕上げにカイザーの無人機を素手で引きちぎる訓練をする」

 

「私の体力が先に死ぬわ! かっこよくなる前に干からびてミイラになって、部室のオブジェになるのがオチでしょ! それに素手で無人機なんて、私を何だと思ってるのよ!」

 

「……大丈夫。セリカが倒れたら、私が特製の高濃度プロテインを口移しで……」

 

「余計なことしないでちょうだい!! むしろトドメを刺されるわ!!」

 

セリカの鋭いツッコミが炸裂するが、シロコは「ん、残念」と無表情のまま、ホワイトボードにさらに過酷な「筋肉育成メニュー」を書き足していく

 

続いてノノミが、どこから取り出したのか一輪の真っ赤なバラをくわえ、キラキラとしたオーラを背負いながら楽しそうにステップを踏んだ

 

「それなら、王道の壁ドンなんてどうでしょう♪ ホシノ先輩を廊下の隅に追い詰めて、逃げ場をなくしたところで、顎をクイッと持ち上げて……『私のこと、いつまでもただの後輩だと思ってたら……怪我するわよ?』って、低めの吐息混じりで囁くんです!」

 

「ノノミ先輩……相手を考えなさいよ! あのホシノ先輩に壁ドンなんてした瞬間に、一瞬で手を逆に掴まれて、気がついたら私が壁に押し付けられてるわよ! 伝家の宝刀『壁ドン返し』を食らって、挙句の果てに『セリカちゃん、顔真っ赤だよぉ〜? 可愛いねぇ〜?』ってニヤニヤしながら頭を撫で回されるのが関の山よ!」

 

容易に想像できる地獄の展開に、セリカは深いため息をついて頭を抱える

 

ホシノ相手に力技や付け焼き刃の恋愛テクニックが通用しないことなど、彼女が一番よく知っていた

 

「ん。なら、ライディング・アタック。私が用意したサイドカーにホシノ先輩を乗せて、時速200キロで廃墟のビル群を駆け抜ける。吊り橋効果と風圧で、セリカが世紀末の覇者みたいに雄々しく見えるはず」

 

「ただの暴走族じゃない! そもそも私、免許持ってないし運転なんてできないわよ!」

 

「それなら、アビドス伝統の『強盗ごっこ』の最中に、ホシノ先輩を庇って華麗に覆面を脱ぎ捨てるのは? スローモーションで髪がなびく演出も入れますよ〜♪」

 

「伝統にするな! しかもなんで身内相手にそんな自作自演しなきゃいけないのよ! 虚しいだけじゃない!」

 

二人のあまりに飛躍しすぎた、そしてズレすぎた提案に、セリカの血管がピキピキと音を立てる

 

もはや会議は「カッコいい」の定義を置き去りにして、いかにしていかなる状況でも余裕を崩さないあの無敵のホシノを動揺させるかという大喜利大会、あるいはセリカを合法的にいじって遊ぶ娯楽の時間と化していた

 

すると、今まで黙々とホワイトボードを整理していたアヤネが、カチリとペンを置く

 

眼鏡の奥の瞳が、これまでにないほど冷徹で、かつ極めて合理的な光を宿していた

 

「……皆さん、少し落ち着いてください。ホシノ先輩は百戦錬磨です。生半可な演出や小細工では、すべて『可愛い後輩の微笑ましい背伸び』として、優しく処理されてしまいます」

 

「そうよ! さすがアヤネちゃん、わかってるじゃない!」

 

セリカがようやく現れた「まともな意見」に、砂漠でオアシスを見つけたかのように身を乗り出した

 

だが、期待は一瞬で裏切られることになる

 

「――ですから。言葉も演出も無意味なら、既成事実を作るしかありません。もうセリカちゃんが、理性を捨ててホシノ先輩を部室の床に押し倒して、そのまま襲ってしまった方が早い気がします。圧倒的な力と情熱でねじ伏せて、身体でわからせるんです」

 

「アヤネちゃん!?」

 

本日最大級の絶叫が部室に響き渡った

 

冷静な事務方の代表であり、対策委員会の理性の砦であるはずのアヤネが放った、あまりにも野蛮で直接的な爆弾発言

 

シロコとノノミさえも「ん、アヤネ、意外と過激派……」「アヤネちゃん、実は一番の肉食系でしたか〜♪」と目を丸くして感心している

 

「だって、その方が確実でしょう? ホシノ先輩の鉄壁の余裕を物理的に剥ぎ取って、女の顔にさせる。それこそが真の『かっこよさ』……私たちが望むセリカちゃんの姿ではないでしょうか。さあ、まずは押し倒す角度の計算から始めましょう」

 

「何を言ってるの!? 私はそんな破廉恥なことしないでしょ!! あーもう! そんな不純な図解をホワイトボードに書かないでよ!」

 

赤面を通り越して顔から蒸気を出しているセリカを他所に、アヤネは淡々と「ホシノ先輩、奇襲・制圧プラン」の工程を、まるで精密な軍事行動のようにボードに書き込み始める

 

こうして、セリカの意志とは裏腹に、暴走という言葉すら生ぬるい対策委員会一同による――本気で面白がっているだけの気がしてならないが――「カッコいい救世主(という名のヤンデレ迎撃)プロデュース」が、賑やかに、そして取り返しのつかない不穏さを孕んで幕を開けた

 

それからも、会議という名を借りた「セリカを徹底的にいじり倒す大喜利大会」は延々と続き、最終的に出された結論は「とりあえず明日の放課後、ホシノを強引に連れ出して、主導権を握ったまま完璧にエスコートしてみる」という、具体性があるようでないような、不安と羞恥心しかない代物だった

 

アビドスの広大な敷地に長い影が落ちる頃、セリカは夕暮れの道を一人、魂が抜けたような顔で歩いていた

 

オレンジ色に染まった砂の道を蹴りながら、彼女は重苦しい溜息をつく

 

(……シロコ先輩やノノミ先輩には最初から期待してなかったけど、まさか最後のアヤネちゃんまであんな風に暴走するなんて。押し倒すって……私の尊厳、一体どこに置いてきたのよ、もう……)

 

脳裏に浮かぶのは、あの冷静で真面目なアヤネが、真剣な眼差しで「力こそパワーです」と言わんばかりに、非人道的な襲撃プランをホワイトボードに書き殴っていた姿だ

 

日頃の書類仕事のストレスが、セリカという格好のターゲットを見つけて爆発してしまったのだろうか

 

「かっこいいって言わせるどころか、このままだと余計に『変なことして背伸びしてる、手の焼ける可愛いセリカちゃん』で処理される未来しか見えないじゃない。はぁ……」

 

自分の不器用さと、仲間たちの規格外な暴走っぷりに頭を抱えていた、まさにその時だった

 

「あっ、セリカちゃん! おーい!」

 

背後から、乾いた風に乗ってよく通る、明るい声が響いた

 

聞き間違えるはずのない、太陽のように屈託のないその響きに、セリカは弾かれたように立ち止まり、振り返る

 

そこには、夕日を背負って一人で歩くユメの姿があった。肩にかけた鞄には書類が詰まっているようだが、その足取りは驚くほど軽い

 

「あ……ユメ先輩」

 

「やっぱりセリカちゃんだ! 奇遇だねぇ、こんなところでバッタリ会えるなんて。今日は朝から占いでも一位だったのかなぁ、私」

 

ユメはパタパタと小走りで駆け寄ってくると、いつもの、見ているこちらの毒気が抜けてしまうようなふにゃっとした笑顔を向けた

 

「ユメ先輩こそ、今日はお仕事中だったんじゃ……。ホシノ――先輩が、会いに行くって言ってたけど」

 

セリカが問いかけると、ユメは「あはは」と少し照れくさそうに笑いながら、自分の後頭部をポリポリと掻いた

 

「それがさ、ホシノちゃんったら。シャーレのオフィスに来るなり、ずっとセリカちゃんの自慢話ばっかりしてるんだもん。『今日のセリカちゃんのツインテールは神がかってた』とか、『おじさん、セリカちゃんを眺めてるだけで栄養が五臓六腑に行き渡る気がするよ』とかさぁ……」

 

「っ……!!」

 

セリカの顔が、西空を染める夕焼けの赤を凌駕するほどの勢いで、一気に沸騰した

 

「……もう、あのバカホシノちゃん、シャーレまで行って何言いふらしてんのよ……!」

 

「あはは、いいじゃない。それだけ熱烈に愛されてるって証拠だよ。あまりに惚気話が長くなりそうで、先生もちょっとタジタジだったからさ。私がホシノちゃんを先生に押し付けて、先に抜け出してきちゃったってわけ。あ、このことはホシノちゃんには絶対内緒だよ?」

 

ユメはいたずらっぽくウインクをしてみせる。その親しみやすく、かつアビドスで最も長い年月を過ごしてきた彼女なら、シロコたちとは違う、もっと血の通ったアドバイスをくれるかもしれない

 

セリカは藁にもすがる思いで、隣を歩き始めたユメを見つめる

 

「あの、ユメ先輩。ちょっと……聞いてもらいたいことがあるんだけど……」

 

「ん? なあに、セリカちゃん。私で良ければ、お悩み相談室いつでも開店中だよ!」

 

こうして、夜の帳が静かに降りてくる帰り道

 

セリカは、本日二度目となる、けれど今度は本気で「切実」な人生相談を、アビドスの最年長者へと切り出すことに決めた

 

「それじゃあ、立ち話もなんだし……場所を変えよっか! お腹も空いてきた頃だしね」

 

「え? あ、はい。どこかカフェでも――」

 

セリカが言いかけるのを遮るように、ユメは快活に笑い、セリカの腕を引いてぐいぐいと歩き出した

 

向かった先は、放課後の女子高生にはおよそ縁のない、路地裏にひっそりと佇む赤提灯が揺れる居酒屋だった。縄のれんの隙間から、煮込み料理の香ばしい匂いが漂ってくる

 

「えっ……ちょ、ちょっと待ちなさいよ?! ここ、どう見ても居酒屋よ!? ユメ先輩、お酒飲めるの!?」

 

「えへへ、まあ一応ね。アビドスの代表として、大人の社交場も知っておかないとね!」

 

暖簾をくぐり、使い込まれた木のカウンター席に腰を下ろしながら、セリカは周囲をキョロキョロと見回して動揺した声を上げた

 

対照的に、ユメは手慣れた様子でおしぼりを受け取ると、「あ、いつもの感じでお願いしまーす」と壁に貼られたメニューも見ずに声をかける

 

「んー、私、あまり強くはないんだけどね。でも、たまーにこう、冷たいのをキュッといきたくなる時があるんだよね。これこそ大人の特権、かな?」

 

(確かそれ度数低いような…)

 

ユメは茶目っ気たっぷりに笑うと、運ばれてきたホワイトサワーを一気に飲み干さんばかりの勢いで口にする

 

「ぷはぁ、今日一日分の疲れがアルコールと一緒に流れていくねぇ」と、幸せそうに目を細めた。隣には、鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが置かれている

 

「それで、改まってどうしたの? セリカちゃんが私を頼ってくれるなんて、お姉さん嬉しいなぁ」

 

ユメの穏やかな、けれど全てを見透かしたような促しに、セリカは手元のグラスを両手で包むように持ち、視線をオレンジ色の液体に落とした

 

グラスの中の氷が、カラン、と小さな音を立てて溶けていく

 

「……あの、贅沢な悩みだってことは分かってるの。でも……」

 

セリカは、部室でシロコたちに話したのと同じ、けれどより切実な想いを、ぽつりぽつりと小さな声で話し始めた

 

ホシノが自分に向ける「可愛い」という言葉の数々。それが、かつて経験したあの絶望的な夜を越えた今、自分を「いつまでも守られるだけの弱い存在」に繋ぎ止めているようで苦しいのだということ

 

「私は……あの時、ホシノちゃんを助けたくて、がむしゃらに走ったの。だから、今はもう『守られる後輩』じゃなくて、あの人を支えられる……かっこいい、対等なパートナーになりたいのよ。なのに、ホシノちゃんときたら……」

 

「なるほどね〜。ふふ、そっかぁ……」

 

ユメはサワーのグラスを回しながら、セリカの話を最後まで黙って聞いていた

 

その表情は、どこか遠い日を懐かしむようでもあり、目の前の後輩の成長を誇らしく思っているようでもあった

 

「実はね? 変なことを考えるより…ストレートに言った方がホシノちゃんには効果があったりするんだよ」

 

「ストレートに…?」

 

セリカは手元のオレンジジュースのグラスを見つめ、ストローで氷をカランと鳴らした

 

居酒屋の少し脂ぎった、けれどどこか落ち着く空気の中で、ユメの言葉がじわじわと染み込んでくる

 

「うん! 変に背伸びして『エスコートしなきゃ』とか『壁ドンしなきゃ』とか考えるより、ずっといいと思うよ。ホシノちゃん、ああ見えて人の本音にはすごく敏感だから。セリカちゃんが真っ直ぐな瞳で『可愛いじゃなくて、かっこいいって思われたいの』って伝えたら、あの子、たぶん余裕なんて一瞬で吹き飛んじゃうんじゃないかな」

 

ユメは空になったサワーのグラスをコトッと置き、少しだけ遠い目をした

 

「あの子はね、自分が誰かを守る側だって、ずっと思い込んできたの。私がいなくなったあとのアビドスを、たった一人で背負わなきゃいけないって……。だから、誰かに『守ってあげる』とか『かっこいい姿を見せてあげる』なんて言われることに、全然慣れてないんだよ。特に、一番大切で、一番守りたいと思っているセリカちゃんに言われたら……もう、私には想像しただけでニヤニヤしちゃう光景が浮かぶよ」

 

「……真っ直ぐ、本音を……」

 

セリカは自分の胸に手を当てる

 

かつての凄惨な記憶の中での自分。そして、この幸せな日常を取り戻すために必死だった自分。そのすべての原動力は、ホシノを救いたい、支えたいという一心だった。その想いを、小細工なしにぶつける

 

(それって、シロコ先輩たちのプランより、ずっと……ずっと恥ずかしいじゃない!)

 

けれど、同時に確信があった

 

今まで「可愛い」と言い続けてきたホシノの言葉は、ある種の壁だったのだ

 

セリカを「守られるべき対象」として固定することで、自分が再び傷つくのを防ぎ、同時にセリカを自分の手の届く場所に閉じ込めておくための。その壁を壊せるのは、おそらく自分自身の剥き出しの言葉だけだ

 

「……ユメ先輩、私、やってやるわ。明日、放課後に…!」

 

「ふふ、いい顔だね、セリカちゃん。今の表情、すっごくかっこいいよ?」

 

ユメは満足そうに頷くと、店員さんに「すみませーん、ホッケの開き追加で!」と明るく声をかけた

 

「伝授しちゃおうかなー、なんてね! あはは、ホシノちゃんが腰を抜かして『セリカちゃん、そんなに男前だったのー!?』って泣きついちゃうくらいの秘策だよぉ……」

 

勢いよく拳を振り上げたユメだったが、その直後、ふらりと上体が大きく揺れた

 

セリカがおかしいと思ってユメの顔を覗き込むと、そこにはお酒を一口も飲んだことのないセリカですら一目で「異常事態」だと察するほど、真っ赤に熟れきったユメの姿があった

 

瞳はとろんと濁り、焦点はどこか砂漠の彼方へと飛んでいっている

 

「えっ!? 嘘でしょ、もしかしてユメ先輩……たった一杯目で酔ったんですか!?」

 

「な、なにおー……私は、まだよっへないよぉー。ほら、足元だって、こーんなに、シャキッとして……ひゃっ!?」

 

「呂律が回ってない上に、椅子から落ちかけてるじゃない! 全然シャキッとしてないわよ!」

 

そこからのユメは、先ほどまでの「頼れる年上の相談役」という皮をかなぐり捨て、絵に描いたような酔っ払いに変貌した

 

「セリカちゃぁん、ホシノちゃんのこと、泣かせちゃダメだよぉ? でもねぇ、たまには困らせるのも、愛情表現っていうかぁ……へへっ。あー! もう、セリカちゃんは本当にいい子だねぇ! 私がホシノちゃんだったら、今すぐ抱っこしてアビドスを三周しちゃうよ!」

 

「声が大きいわよ! 誰が抱っこしろなんて言ったのよ!」

 

ユメは何度も空のグラスを掲げては(いつの間にか追加されていた)酒を煽り、セリカの肩に頭を預けては「セリカちゃんのポニーテール、美味しそうだねぇ」などと意味不明な絡みを延々と続けた

 

しかし、嵐のような暴れっぷりも長くは続かない

 

先ほどまでゲラゲラと笑っていたかと思えば、急に静かになったユメは、カウンターに突っ伏したまま、まるで糸が切れた人形のようにすやすやと寝息を立て始めた

 

「……これ、結局私が送っていかないといけないわよね」

 

深い、深いため息をつきながら、セリカはユメのポケットから財布を取り出し、申し訳なさそうにする店員さんに代金を支払った

 

もちろん、自分のオレンジジュース代は意地でも自分の財布から出したが

 

「よいしょ……っ、重っ! ユメ先輩、見た目よりずっと……」

 

ぐにゃりと柔らかいユメの体をなんとか背負い込み、セリカは夜の帳が下りた店を後にした

 

「うう……背中に、とてつもない大きくて、柔らかいものが……。これ、歩くたびに形が変わるっていうか……何なのよ、この先輩。栄養が全部そこに行ってるんじゃないの……? ひょっとしてノノミ先輩より大きいんじゃ…」

 

背中に押し付けられる、暴力的なまでの感触

 

重い、けれどこの重さは、彼女が間違いなくここで生きている証なのだ。そう自分に言い聞かせ、セリカは少しずつ足を進める。街灯の光が、二人の重なった影を長く伸ばしていた

 

しばらく歩き続けていると、不意に背中のユメが「……ん、ううっ」と身悶えし、むくりと顔を上げた

 

「あ、ユメ先輩。起きたのね。もうすぐ家だから、しっかりしてよ。道はこっちで――」

 

セリカが、安心させようと少しだけ声を和らげた、その瞬間だった

 

「お、おえええええええ……っ!!」

 

「ぎゃぁぁぁあああああ!? 背中に、背中に生暖かいドロドロしたものがぁぁぁー!?!?」

 

アビドスの静まり返った夜の街に、少女の悲痛すぎる絶叫が響き渡った

 

「私の制服にゲロが染み込んでる!?」

 

「ごめ、ごめんねぇ……セリカちゃん……うぷっ、もう一波、来るかも……」

 

「来るな! 飲み込むのよ、意地でも飲み込みなさいよ!!??」

 

ホシノを「かっこよさ」で落とすための作戦会議は、あまりにも無残で、酸っぱい匂いの漂う最悪の結末で幕を閉じた

 

セリカの「ヒーロー」への道は、文字通り前途多難。まずは洗濯機との格闘から始まることになりそうだった




どことなくハードボイルドを目指す社長のようになっているセリカちゃん
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