セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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セリカのかっこいい大作戦

翌朝。澄み渡るようなアビドスの抜けるような青空とは裏腹に、ホシノの枕元ではスマートフォンがけたたましく振動し、静寂を切り裂いた

 

重い瞼をこじ開け、ぼんやりとした視界で画面を覗き込む。

 

そこに表示された「セリカちゃん」という五文字を認めた瞬間、ホシノの脳内は瞬時に覚醒した。しかし、そこは百戦錬磨の「ホシノ」である。あえて布団に潜り込み、喉を鳴らして、わざとらしいほど眠たげな声を演出して通話ボタンを押す

 

 

「んぅ……セリカちゃん? おはよう……。朝からどうしたのぉ〜?」

 

「……今日、休みでしょ? もし暇なら、今から一緒に出かけない?」

 

受話器越しに届いた声は、いつもの威勢の良さが嘘のように低く、底知れない疲労感と形容しがたい怨念を孕んでいた。だが、大好きなセリカからの予期せぬ誘いに舞い上がるホシノは、その微かな、いや、明らかな違和感に気づく余裕もなかった

 

「おっ、デートの誘いかな!? もちろん暇だよぉ〜。おじさんはいつだってセリカちゃんの味方だからね! すぐに準備して飛んでいくよ!」

 

「それじゃあ……駅前で待ってるわね」

 

電話が切れるや否や、ホシノは最短記録を更新する勢いで身支度を整え、文字通り待ち合わせ場所へと全速力で駆け出した

 

(ふふーん♪ セリカちゃんとデート……。久しぶりに水入らずで遊べるなんて、今日は最高の日だなぁ……♪ ……あっ)

 

合流地点の駅前。少し離れた場所からでも、ピンと立ったツインテールのシルエットはすぐに見つかった。しかし、距離が縮まるにつれて、ホシノの足取りがわずかに鈍る

 

今日のセリカは、見慣れたアビドスの制服を纏っていなかった。清楚な白のブラウスにしなやかなデニムを合わせた、年相応の可愛らしさが光る私服姿

 

その新鮮な装いに、ホシノの胸は高鳴る

 

「セリカちゃーーん! お待たせ! おおっ、今日は私服なんだねぇ。……もしかして、おじさんの為にわざわざおめかししてくれたのかな? いやぁ〜、今日のセリカちゃんも一段と、目が覚めるほど可愛いねぇ!」

 

ニヤニヤとだらしない笑みを浮かべ、いつものように茶化し半分、本音全開の賛辞を投げかけながら詰め寄るホシノ。だが、返ってきたのは、期待していた小気味よいツッコミではなかった

 

「……可愛い、ですって?」

 

セリカがゆっくりと顔を上げた。その瞳にはハイライトが一切なく、まるで全ての感情が砂漠の砂嵐に飲み込まれてしまったかのような、「死んだ魚の目」をしたセリカがそこに立っていた

 

「セリカちゃん……? ど、どうしたの……? 目が、深海魚みたいになってるよ?」

 

「……昨日、夕方にユメ先輩と会ってね。なぜかそのまま居酒屋に連行されたのよ。そこまでは、まあ、良かったわよ。でもね、あの人……たった一杯目のサワーでベロンベロンに酔っ払った挙句、私の背中で……盛大に、ぶちまけたのよ……」

 

「え……?」

 

「それだけじゃないわよ! そんな惨状で家まで背負って帰ってあげたのに、そこから一時間以上も、同じ話を延々とリピートされて……。極め付けに抱きつかれた拍子に、服だけじゃなくて私の髪にまで、あの『酸っぱい匂い』が完全に染み付いたのよ!! 私がせめてお風呂に入らせてって頼んでも、離してくれないんだもの!」

 

セリカの声は地を這うように低く、怒りと悲しみが煮凝ったような響きを帯びていた

 

彼女が私服を着ているのは「おめかし」という華やかな理由などではなく、洗濯機がフル回転してもなお落ちない「惨劇の痕跡」に制服が屈したからに他ならなかった

 

「一晩中、予備の制服を洗って、乾かして、でもどうしても匂いが鼻について一睡もできなかったの……。今の私、完全に洗濯洗剤とユメ先輩の胃酸が複雑にブレンドされたような、不浄なオーラを纏ってる気がするのよ……。だからさっき、泣く泣く制服を特殊クリーニングに出してきたところなの!」

 

「そ、そうなんだ……それは……なんていうか、未曾有の大惨事だったねぇ……」

 

流石のホシノも、これには引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。期待していた甘酸っぱいデートの余談どころか、文字通り「酸っぱい物理現象」の犠牲となったセリカの心中を察すると、茶化す言葉も喉の奥に引っ込む

 

(ユメ先輩、お酒は全然ダメなはずなのに……。おじさんがシャーレでセリカちゃんの惚気話ばかりしてたのがストレスだったのかな……それとも、何かお祝いしたくなるような『いいこと』があったのかな……)

 

ホシノの脳裏には、かつての先輩のふにゃふにゃとした笑顔と、酒に飲まれて泥酔する姿が重なる

 

「……でも、そんなことより今日の計画よ。いい、ホシノちゃん。今日一日、私のストレス発散に付き合ってもらうわよ。……分かったわね?」

 

セリカが突きつけた宣言は、もはやお出かけの誘いというよりは、聖戦への動員命令に近い響きを持っていた

 

ホシノは、昨夜の惨劇の余波で、いまだにどこか「酸っぱい」空気を纏っているような後輩の剣幕に、たじたじとなりながらも両手を挙げて降参のポーズをとる

 

「ん、了解。おじさん、今日はセリカちゃんの奴隷にでも何にでもなるよ……。とりあえず、リフレッシュしに行こうか……ね?」

 

「ええ…この怒りをぶつけないと気が済まないわ」

 

セリカの目に宿る、怨念にも似た不穏な決意。それに圧倒されながらも、ホシノは昨夜の理不尽な災難に耐え抜いた愛した後輩の横を歩き出す

 

セリカ本人は「ユメの胃酸の残り香」を異常なまでに気にしているようだったが、隣を歩くホシノの鼻腔をくすぐるのは、朝から念入りに洗い流したであろう清潔なシャンプーの、甘く柔らかな香りと、彼女自身の体温が混ざり合った心地よい匂いだけだった

 

(……本人はあんなに気にしてるけど、おじさんにはシャンプーのいい匂いしかしないんだけどなぁ。まぁ、それを言ったらまた怒られちゃうか)

 

そんなことを考えながら、二人が辿り着いたのは、無機質な打球音が鳴り響くバッティングセンターだった

 

「バッティングセンター?」

 

「そうよ。ストレス発散といったら、ここってシロコ先輩が言ってたし……とにかく、黙ってついてきなさい!」

 

セリカに半ば強引に腕を引かれ、場内に足を踏み入れる。周囲には金属バットが空を切る風切り音と、コンクリートの壁に硬球が激突する快音が絶え間なく反響していた

 

セリカは一切の迷いがない足取りで、ゲージの最も端、そこだけ空気が張り詰めているような「150km/h」の看板が掲げられた打席へと突き進む

 

(まずはこれよ! 圧倒的な反応速度と、誰もが驚くようなパワーを見せつければ、ホシノちゃんも「可愛い」なんて言葉、喉の奥に引っ込むはず!)

 

鼻息荒く、貸し出し用の重いバットを両手で構えるセリカ

 

しかし、現実は非情である

 

漆黒の投球口から放たれた時速150キロの剛速球は、セリカの未熟な動体視力をあざ笑うかのように、文字通り「視界から消える」速度で通過していく

 

――空振り

 

バットが空を切る虚しい音が、ゲージの中に響き渡る

 

二球目、三球目、四球目。焦れば焦るほどスイングは乱れ、フォームが崩れる

 

五球目が、キャッチャーミット代わりの防護壁を爆音と共に叩いたとき、背後からホシノののんびりとした、けれど確実に彼女のプライドを逆撫でする声が飛んできた

 

「セリカちゃーん、無理せずにもっと遅いところに行った方がいいよー? おじさん、セリカちゃんがバットの重さでひっくり返らないか心配だよ〜。あはは、一生懸命バット振ってる姿、小動物みたいで可愛いねぇ」

 

(……ふっ。来たわね、その余裕!)

 

セリカは内心でほくそ笑む

 

ここまでは計算通り――いや、正直に言えば半分は予想外の苦戦だったが、結果オーライだ。どん底から這い上がってこその「かっこよさ」ではないか

 

彼女は一度目を閉じ、深く呼吸を整える

 

連日のアルバイトで培った強靭な足腰に重心を落とし、地を這うようにバットを構え直す

 

目は、マシンの放出口一点を、まるで獲物を狙う鷹のように鋭く見据えた

 

運命の六球目

 

投球機がうなりを上げ、白球が飛び出した瞬間、セリカの世界がスローモーションに変わった。弾け飛んできた光の軌道を、彼女の集中力が完全に捉える

 

――キィィィィィンッ!!

 

金属バット特有の高音が、場内の騒音をかき消すように響き渡った。芯で完璧に捉えられた打球は、一直線のライナーとなって前方へ突き抜け、防球ネットを激しく揺らした

 

「おおーっ! セリカちゃん、当たった! 凄い凄い!」

 

ホシノが防護ネット越しに身を乗り出して、純粋な感心の声を上げる。それを合図に、セリカの快進撃が始まった

 

七球、八球、九球……

 

放たれる150キロの衝撃を、セリカはまるで軌道が分かっているかのように、次々と正面へ打ち返していく。そのスイングは鋭さを増し、私服のブラウスの下で躍動する筋肉の動きさえ感じさせるほど、力強く、そして凛としていた

 

そして運命の最後、二十球目

 

渾身の力を込めて振り抜かれた一撃は、ひときわ高い打球となって放物線を描き、センター奥に設置された「ホームラン」の的に吸い込まれるように直撃した

 

「やったぁぁ! ホームランよ! 見た!? 見たわよね、ホシノちゃん!」

 

「わぁぁ! セリカちゃん、今の完璧な当たりだったよ! おじさん、たまげちゃったなぁ!」

 

二人は打席の中で手を取り合って飛び跳ね、無邪気な喜びを爆発させる

 

セリカは激しく上下する肩を落ち着かせながら、額に滲んだ汗を手の甲で拭い、勝ち誇った顔でホシノを見据えた。今こそ、あの渇望していた言葉が来るはずだ

 

「セリカちゃんやるねぇ! まさか本当にホームラン出しちゃうなんて、いやぁ、今日はおじさん驚きの連続だよぉ。うんうん、元気なセリカちゃんが見られておじさんは嬉しいよ」

 

「……うん、まあね。それほどでもないわよ」

 

「?」

 

セリカはクールを装って髪をかき上げたが、内心では地地団駄を踏んでいた

 

(「やるねぇ」!? 「やるねぇ」じゃないわよ! そこは「かっこいい」でしょ!? なんでこういう時だけ、褒め言葉が完璧に年上目線なのよ……!)

 

セリカの内心は、荒れ狂う砂嵐のようだった

 

150キロを打ち返し、ホームランまで叩き出したのだ。本来なら、ホシノがその圧倒的な実力に目を丸くし、頬を赤らめて「かっこいい……」と漏らす、完璧な筋書きだったはずだ。それなのに、返ってきたのは孫の成長を喜ぶ祖父のような温かい労い

 

嬉しい。確かに嬉しいのだが、今のセリカが渇望している「対等なパートナーとしてのかっこよさの承認」には、あと数光年ほど届かない

 

この解消しようのない、もどかしい不完全燃焼感を抱えたまま、二人は吸い寄せられるようにバッティングセンター併設のゲームセンターエリアへと足を踏み入れた

 

(落ち着け、私……。まだ勝機はあるわ。アヤネちゃんがデータで言ってたじゃない、「ホシノちゃんはクレーンゲームが絶望的に下手」だって。あの子が欲しそうにしているものを、私がスマートに、一発で仕留めて差し出す。……これよ! これこそが理想の『かっこいい先輩』像じゃない!)

 

セリカが周囲を鋭い索敵モードで見回していると、ふと、隣を歩くホシノの足が、磁石に引かれたようにピタリと止まった

 

その視線の先には、ある一台のクレーンゲーム機

 

筐体の中には、ホシノの好みにドンピシャであろう、なんとも言えない緩い表情をした、マシュマロのように白いクジラのぬいぐるみが山積みになっていた

 

(……あ。あの顔、1年生の時のホシノちゃんが、水族館のお土産コーナーで黙ってじーっと見つめてたキーホルダーにそっくりじゃない)

 

セリカの脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする

 

あの頃のホシノは、何か欲しいものがあっても「ユメ先輩やセリカも我慢しているし、私だけ買うのはダメですよ」と、無理やり自分を律し、健気なほど物欲を押し殺していた

 

今の彼女はだいぶ素直になったとはいえ、土壇場で「自分より他人」を優先し、自分の願いを後回しにしてしまう、あの不器用で遠慮がちな癖は、本質的には変わっていない

 

セリカはわざと少し意地悪く、けれどその奥に限りない優しさを秘めて問いかけた

 

「ホシノちゃん、それ、欲しいの?」

 

「あ、い、いやー……。あはは、可愛いなーって思ってただけで……。ほら、おじさんこういうの苦手だしさぁ。お金をドブに捨てるようなもんだし、見てるだけで十分だよぉ」

 

ホシノは慌てて目を逸らし、誤魔化すように後頭部を掻いた。けれど、その白い耳の端が、隠しきれない熱を持って少しだけ赤くなっているのを、セリカは見逃さない

 

(……ふふん。決まったわね。ここで完璧に落としてやるわ!)

 

セリカは迷わず私服のポケットから100円玉を取り出し、カラン、という小気味よい音と共に投入口へ滑り込ませた

 

「え? せ、セリカちゃん?」

 

「……見てなさい、ホシノちゃん。あなたへのプレゼント、私が一発で仕留めてあげるから!」

 

「おお……セリカちゃん、本気だねぇ。おじさん、そんなに熱い視線を向けられたら、クジラさんより先に照れちゃうよ〜」

 

ホシノがのんびりと軽口を叩いている間に、セリカは集中力を極限まで高めてクレーンを操作した

 

その指先には、バッティングセンターでホームランをかっ飛ばした時の「今の私なら、キヴォトスの理さえねじ伏せられる」という全能感に近い確信が宿っていた……はずだった

 

しかし

 

無情にも、プラスチックのアームはクジラの丸っこい体を優しく愛撫するだけで、重力に逆らう意思を全く見せずに、虚空を掴んで戻ってきた

 

「……っ。ま、まぁ、今のは小手調べよ。アームの可動域と強さを物理的にシミュレーションしただけなんだから!」

 

強がって二枚目、三枚目と硬貨を滑り込ませる。だが、現実は想定よりも遥かに非情だった

 

アームはまるで労働意欲を完全に失ったかのような緩慢な動きでクジラの背中を滑り、持ち上げたかと思えば、獲得口のわずか数ミリ手前で、意地悪な子供のように獲物を「ぷいっ」と放り出す

 

気がつけば、セリカの手元にあった小銭は瞬く間に蒸発し、彼女は無言のまま千円札を両替機へと叩き込んでいた

 

「ちょっと! なんなのよこの機械! さっきから絶対、景品の摩擦係数とアームの保持力が計算に合わないわよ! もしかしてこれ、奥の部屋でブラックマーケットの連中が遠隔操作して嫌がらせしてるんじゃないの!?」

 

「まぁまぁ、セリカちゃん。落ち着いて。おじさん、そんなに無理して取ってもらわなくても、その気持ちだけで胸がいっぱいだよぉ。十分すぎるほど伝わったから、ね?」

 

苦笑いを浮かべたホシノが、熱を帯びたセリカの肩を優しく叩いて宥める。だが、今のセリカにとって、その慈悲深い言葉は火に油、ガソリンに爆薬だった

 

「いやよ! ここまでバイト代を投入して、手ぶらで撤退するなんてプライドが許さないわ! 意地でも、絶対に取ってやるんだから!」

 

「あはは……。ムキになって顔を真っ赤にしてるセリカちゃん、本当に可愛いねぇ。まるで一生懸命、冬支度のどんぐりを探してるリスさんみたいだよ」

 

ホシノが、もはや「可愛い後輩」を通り越して「愛らしい幼子」を見守る聖母のような、果てしなく余裕に満ちた眼差しを向ける

 

その瞬間、セリカの中で張り詰めていた何かが、パチンと派手な音を立てて弾けた

 

(可愛い……!? また「可愛い」って言ったわね!? 私は今、あんたを喜ばせたくて、かっこいいパートナーとしての背中を見せようとしてるのに、なんでそんなに、いつまでも安全圏から私を見てるのよ!?)

 

セリカの脳内で、怒りと恥じらい、そして強烈な対抗心が核融合を起こし、莫大なエネルギーが充填されていく

 

もはやこれは単なるクレーンゲームではない。ホシノの余裕という名の城壁を打ち砕き、自らの「かっこよさ」という名の旗を掲げるための、誇り高き聖戦なのだ

 

それからというもの、セリカの猛攻は苛烈を極めた

 

「右よ! 違う、もう少し奥……そこっ! ここで引き上げればモーメントが最大に……!」

 

独り言のボリュームは限界を突破し、両替機と筐体を往復する足取りには、戦場を駆ける戦士のような鬼気迫るものがある

 

ボタンを押す指先は、もはや繊細な芸術品を扱う時計職人のように鋭く、冷徹だった

 

そして、追加の1000円札が三枚目も飲み込まれ、通算投入金額が「二人分のちょっとした豪華なフルコース」の領域に突入した、まさにその時――

 

ガコンッ

 

鈍く、けれど何よりも重みのある衝撃音と共に、丸っこいクジラがついに、獲得口へと転がり落ちた

 

「はぁ……はぁ……っ! 見た!? 見たわよねホシノちゃん!? これが……これが私、黒見セリカの実力よぉ!!」

 

肩で激しく息を切り、額に張り付いた髪や乱れたツインテールを直す余裕すらなく、セリカは獲得口から救い出したクジラを天高く掲げた

 

その表情には、数分前までの焦燥は微塵もなく、ただ勝利の美酒に酔いしれる凱旋将軍のようなドヤ顔だけが輝いている。それは確かに、幾多の困難を乗り越えて目的を完遂した英雄の姿であり……同時に、数千円という莫大な犠牲を払ってようやく数百円の景品を手にした、執念の塊が形を成したような姿でもあった

 

「う、うん! 凄いね、セリカちゃん! 執念……じゃなくて、今の、まさに『実力』だったね! ありがとう、このクジラさん、おじさん一生……いや、来世まで大事にするよぉ」

 

ホシノは、若干引きつった笑顔を浮かべながら、セリカから差し出されたクジラを両手で恭しく受け取った

 

彼女の脳内では、(……セリカちゃん、今のクジラさん一匹のために、結局千円札を何枚吸い込ませたのかな。計算上は、これ市販の高級ぬいぐるみが三つ、下手したら特大サイズが買えたよね……)という冷徹かつ現実的なコスト計算が火花を散らしていたが、そんな野暮な指摘を口にするほど、ホシノは無作法ではなかった

 

「ふんっ。当然よ。……ま、ホシノちゃんがどうしても欲しそうな、情けない顔をしてたから、私が特別に取ってあげただけなんだから。もっと私に感謝しなさいよね」

 

乱れた呼吸を無理やり整え、精一杯の「余裕あるかっこいい先輩」を演じるセリカ。しかし、彼女の足元には、激戦の代償として虚しく散らばった100円玉の空き袋や、残高がゼロになったプリペイドカードの残骸が、冷たい風に吹かれて転がっていた

 

それは、彼女の財布の中身が壊滅的な打撃を受けたことを無言で物語っていた

 

「さあ、次行くわよ! まだまだ私の本気……本当の『かっこよさ』を見せてあげるんだから!」

 

軍資金(生活費)の深刻な目減りに気づかないふりをして、セリカは再びホシノの手を強く引き、次なる目的地へと突き進む

 

ホシノは、胸に抱えたクジラに「君、随分と高くつくお嫁さんになっちゃったねぇ……」と心の中で語りかけながら、どこか危うい、けれど真っ直ぐなセリカの背中を、苦笑いと共に追いかけた

 

「次はここよ!」

 

辿り着いたのは、アヤネが「最新の戦術データによれば、セリカちゃんの瞬発力と一点集中力を最も高純度で活かせるのはここ以外にありません」と太鼓判を押した射的場だった

 

薄暗い店内に漂う微かな火薬の匂いと、ターゲットが倒れるたびに響く「カコン」という乾いた無機質な音。そこは、遊び場というよりは、どこかストイックな訓練場に近い空気を纏っていた

 

「へぇ〜、こういう場所があるんだねぇ。おじさん、あんまりこういう娯楽施設には縁がなかったから新鮮だよ〜。的を狙うなんて、練習以外だと不思議な気分だね」

 

呑気に首を傾げて周囲を見渡すホシノ。その隙だらけの姿に、セリカは内心で邪悪な、もとい勝利を確信した笑みを浮かべる

 

(ふ、ふふふ……! ここよ、こここそが私の真骨頂! 毎日バイトで重い荷物を運び、合間を縫って射撃訓練を欠かさない私の洗練された腕前を見せつければ、今度こそ『可愛い』じゃなくて『かっこいい』って言葉を引き出せるわ!)

 

受付を済ませ、年季の入った横並びの射撃台につくと、セリカは挑戦的な、それでいてどこか芝居がかった仕草でホシノを指差した

 

「ホシノちゃん! ただ漫然と撃つだけじゃつまらないわ。ここで私と、アビドスの名誉を賭けた真剣勝負よ!」

 

「え? 勝負なのはいいけど……セリカちゃん、本当に大丈夫? おじさん、手加減とかそういう器用なことはあんまり得意じゃないよ〜?」

 

本当に心配そうに眉を下げるホシノに対し、セリカはさらに強気な態度で畳み掛ける

 

「ふふふー、何よ? 私に負けるのが怖いの? なんなら、ホシノちゃんが一番得意そうな、やりたいコースを自由に選んでもいいわよ。私にはハンデなんて一切必要ないんだから!」

 

「んー……まぁ、セリカちゃんがそこまで言うならいいけど……それならこれかな?」

 

ホシノが指差したのは、画面の隅で不気味に明滅する最高難易度設定の「プロフェッショナル・ストライク」モードだった

 

苦笑いするホシノを余所に、セリカが自信満々にスタートボタンを押すと、冷徹なカウントダウンが始まった

 

そして合図と共に、予測不能な軌道でターゲットが射出される

 

(な、何よこれ!? 早すぎるわよ!!)

 

セリカの視界を、不規則なジグザグ走行や急加速を繰り返す的が、稲妻のような速さで横切っていく

 

セリカは必死に銃口を振るが、トリガーを引くコンマ数秒の間に、ターゲットは既に別の場所へと逃げ去っている

 

「っ、このっ! 当たれ……っ! 当たんなさいよ、この生意気な的なんだから!」

 

焦れば焦るほど呼吸が乱れ、弾道はターゲットの遥か後方を虚しくなぞるだけ。空振りのたびにスコアボードには冷酷な「MISS」の文字が並び、セリカの額には冷や汗が流れる

 

対照的に、隣のレーンからは驚くほど規則的な、まるでメトロノームがリズムを刻むような安定した発砲音が聞こえていた

 

「ふぁぁ……」

 

あくびを噛み殺しながら、ホシノは重い競技用の銃身を、まるで自分の腕の延長線上にあるかのように自然体で保持していた

 

彼女の目は半分閉じ、寝ぼけているようにさえ見える。しかし、その銃口から放たれる弾丸は、見えない糸で繋がっているかのようにターゲットの急所を、確実に、そして無慈悲に穿ち続けていた

 

そして、運命のラスト一発

 

ホシノはもはや前方を見ることすらやめ、セリカのスコアボードに残された惨状を横目で眺めながら、意識の欠片も向けていないような片手間の動作でトリガーを引いた

 

カコンッ。

 

「お疲れ様〜。んー、おじさんにはちょっと退屈だったかなぁ。もうちょっと刺激があっても良かったかもね」

 

電光掲示板に表示された結果は残酷だった

 

ホシノ:300(満点)。対するセリカ:122。

 

圧倒的。まさに次元が違うという事実を、これ以上ないほど残酷な数値で可視化した結果だった

 

セリカは握りしめていた競技用銃をゆっくりと台に置き、その場に力なく、ガっくりと膝をついた。それは、自尊心が木っ端微塵に砕け散ったセリカの、あまりにも物悲しい敗北の姿だった

 

(そ、そうだった……!! ホシノちゃん……普段はあんなにふにゃふにゃして、隙あらば昼寝のことばかり考えているけれど、こと「銃火器の扱い」に関しては、このアビドス……いいえ、キヴォトス全域を探しても右に出る者がいないほどの怪物だったわ……! 真正面から挑んで勝てるはずなんて無かったのよ、最初から……!!)

 

己の浅はかな見通しを呪い、身の程知らずな慢心に打ちひしがれるセリカ

 

跪いた膝から伝わる床の冷たさが、今の惨めな敗北感をいっそう際立たせる。せめて、ホシノがいつものように「うへへ〜、やっぱりおじさんの勝ちだねぇ。悔しがってるセリカちゃんも可愛いねぇ」と、鼻に付く態度で茶化してくれれば良かった

 

そうすれば、この情けなさを「怒り」という慣れ親しんだ感情に変換して、無理やりにでも立ち上がることができたはずなのだ

 

しかし、現実はどこまでもセリカの計算を裏切る

 

ホシノは、膝をついたまま動けないセリカの隣に、音もなくそっと寄り添うようにしゃがみ込んだ。そして、震えるその背中に温かな掌を添え、本当に愛おしくてたまらないという風に、ゆっくりと優しくさすったのだ

 

「ま、まぁ……今のコースはちょっと初見殺しっていうか、意地悪すぎたよねぇ。でも、セリカちゃんのフォーム、以前よりずっと無駄がなくなってて、すごく綺麗だったよ? おじさん、セリカちゃんが毎日どれだけ頑張ってるか、ちゃんと分かってるから。だから、そんなに気にしなくていいんだよ」

 

「………………っ!!」

 

それは、セリカにとって文字通りのトドメだった

 

軽口でも、マウントでも、計算された煽りでもない。100%の善意と慈愛から紡がれた、心からの「慰め」

 

それは、セリカが今日一日、必死になって否定しようともがいていた「守られるべき未熟な後輩」への眼差しそのものだった。セリカの自尊心は、300点満点を弾き出したあの完璧な弾丸よりも深く、鋭く胸を射抜かれ、音を立てて粉々に砕け散った

 

射的場を後にした二人の上に、街を包む色はすっかりオレンジ色を通り越し、濃い藍色が混ざり合う不穏な夕闇へと変わり始めていた

 

「……次が、最後よ」

 

絞り出すような低い声で、セリカがポツリと呟く

 

その肩越しに漂う空気は、もはや「かっこいい」という理想からは程遠く、底冷えするような「怨念」に近い重圧を放っていた

 

(うわぁ……セリカちゃん、これマジで怒ってる……? おじさん、良かれと思って励ましたつもりだったんだけど、何か特大の地雷でも踏んじゃったかなぁ……)

 

ホシノは、抱きかかえたクジラのぬいぐるみを、壊れ物を扱うようにぎゅっと抱きしめ直し、冷や汗を流しながらその後ろ姿を追った

 

セリカが最後に向かう場所――それはユメが昨夜の泥酔による不祥事への謝罪と共に、モモトークでこっそり共有してくれたその場所は、アビドスの喧騒から少し離れた、小高い丘の上にある小さな公園だった

 

今はもう子供の姿もなく、使い古されて錆びついたブランコが二台、寂しげに並んでいる

 

セリカは無言でその一つに腰を下ろし、ホシノも誘われるように隣へと座った

 

目の前に広がるのは、遮るもののない地平線の彼方まで続く砂漠を、燃え上がるような朱色で塗り潰していく巨大な落日。その圧倒的な光景は、静寂と共に二人の時間を止めていく

 

公園まで歩いてくる間に、セリカの頭に登っていた沸騰寸前の血は、夜の気配を含んだ風によってすっかり冷やされていた。しかし、熱が引いた後の胸に沈殿していたのは、泥のように重く、逃げ場のない「敗北感」だった

 

(あーあ……今日の私、本当に空回りばっかり。かっこいいところを見せるどころか、ムキになって、最終的には手加減されて、慰められて……。全然、あの人を支える対等なパートナーなんて柄じゃないわね)

 

自分の器の小ささに肩を落とし、砂場に描かれた自分の影を見つめていた、その時

 

「今日は楽しかったね、セリカちゃん」

 

隣で、セリカが全財産を賭けてもぎ取ったクジラを、まるで世界に一つしかない宝物のように大切に抱えながら、ホシノが穏やかに微笑んでいた

 

その声には、セリカの失敗を笑う色など微塵もなく、ただ隣にいられる幸福だけが満ちている。その響きに、セリカは強張っていた心がわずかに解けるのを感じ、小さく溜息を吐いた

 

「……そうね。私も、なんだかんだで、楽しめたわよ」

 

それからしばらくの間、ブランコがギィ……ギィ……と規則的なリズムで鳴る音だけが、静まり返った夕暮れの空域に響き渡る

 

心地よい、けれどどこか心臓の鼓動を急かすような、落ち着かない沈黙。それを破ったのは、やはりホシノの方だった

 

「ねぇ、セリカちゃん。もしかしておじさんに、何か……本当に伝えたかったこと、あったのかな?」

 

「ど、どうしてよ……っ!?」

 

心臓が大きく跳ねた。驚いて隣を向くと、ホシノは沈みゆく太陽の残滓を、細められた琥珀色の瞳で見つめたまま、独り言のように静かに言葉を紡ぎ出した

 

「なんだか今日のセリカちゃん、ずっと何かを覚悟してきたような目をしてたからさ〜。うへへ、もしかしておじさんに、熱烈な愛の告白とか? 心の準備はできてるよぉ〜」

 

いつものように、ふにゃふにゃとした弛緩しきった口調。しかし、その言葉の裏には、相手の微かな呼吸の乱れさえも見逃さない、鋭敏な観察眼が隠されていた

 

(……確かに、ユメ先輩の言う通りだわ。この人、肝心なところで驚くほど敏感なんだから……)

 

セリカは、手のひらに鉄の匂いが移るほど強くブランコの鎖を握りしめた

 

ユメのアドバイスが脳裏をよぎる

 

『真っ直ぐな瞳で本音を伝えれば、あの子の余裕なんて一瞬で吹き飛んじゃうよ』

 

今、この夕闇に紛れて、全てをぶつけるべきなのか。「私を可愛い後輩としてだけ見るのはやめて。私はあんたを守り、支えられる、かっこいいパートナーになりたいの」と

 

(でも、仮にそれを今、素直に口にしたところで、一体何が変わるっていうの……?)

 

セリカの思考は、夕暮れの迷路に迷い込む。言葉でお願いして「かっこいい」と言ってもらうのは、彼女が理想とする姿ではない。

 

「可愛いと言わないで」と頼み込み、ホシノが気を使って言葉を選んでくれるようになったとして、それはホシノの懐の広さに甘えているだけで、結局は「守られる側」の立ち位置から一歩も出られていないのではないか

 

それでは結局、ホシノに余計な「気遣い」という名の重荷を背負わせているだけで、彼女の心の奥底にある「セリカは私が守らなきゃいけない存在」という強固な評価を書き換えることには繋がらない

 

「……セリカちゃん? そんなに黙り込んじゃって、やっぱりおじさんへの愛のメッセージを練ってる最中かなぁ?」

 

返事のない後輩を覗き込むようにして、ホシノが不思議そうに首を傾げる。そのあまりにも純粋で、どこまでも優しい瞳

 

「……なんでもないわよ! …バカ!」

 

セリカは、胸の中に渦巻く割り切れない葛藤や、空回りし続けた一日への気恥ずかしさを全て吐き出すかのように、勢いよくブランコから飛び降りた

 

西の空を黄金色に染める夕日を背負って立つホシノへと、弾かれたように向き直る。その瞬間、セリカの顔には、先ほどまでの不機嫌そうな曇りは微塵もなかった

 

夕日に照らされ、オレンジ色に輝く髪を揺らしながら、セリカはホシノに対して、心からの、そしてとびきりの笑顔を向ける。それは、自分の未熟さを認めつつも、隣に立つことへの決意を秘めた、強くて眩しい、救世主に相応しい笑顔だった

 

「今日は久しぶり……って言っても、私はあの絶望的な過去からすぐにこっちへ戻ってきたから、あんまり時間の経過に実感はないんだけど。とにかく! 今日はただ、あんた……ホシノちゃんと二人で、小細工なしに遊びたかっただけなんだから! 変な勘繰りしてニヤニヤしないでよね!」

 

「うへぇ……。そう直球で言われると、なんだかおじさん、嬉しくて舞い上がっちゃうねぇ。セリカちゃんは本当に素直でいい子だなぁ」

 

ホシノは照れ隠しに、抱えたクジラのぬいぐるみの頭をぽんぽんと撫でる

 

その無防備な仕草を見ていると、一日中「かっこよさ」に固執して空回りし続けていた自分自身が、なんだか急に滑稽で馬鹿らしく思えてきた

 

(いいわよ、もう。言葉で分からせようなんて、私らしくなかったわ。いつか、あんたが認めざるを得ないくらい、背中で語れるようになってやるんだから)

 

セリカは小さく、けれど確かな決意を込めて鼻を鳴らす

 

「……ほら、すっかり暗くなってきたし、そろそろ帰るわよ。あんまり遅くなるとユメ先輩やシロコ先輩が心配するでしょ? それとも何? 私の家で、ついでにご飯でも食べていく? 」

 

「! うん、行く! 行くよぉ! セリカちゃんのご飯、おじさん大好きなんだよぉ〜。やったぁ、今日は最高の締めくくりだね!」

 

ホシノは弾かれたようにブランコから立ち上がった。その子供のように純粋で、全身で喜びを表現する反応に、セリカは耐えきれずに少しだけ口角を緩めた

 

「ったく、現金なんだから。ほら、行くわよ。遅れないでついてきなさい!」

 

セリカは照れ隠しにパッと背を向けると、夕闇に染まり始めた公園の出口の方へ、迷いのない力強い足取りで歩き出した。その背中には、今日一日の空回りを経て、何か吹っ切れたような、一皮剥けた不思議な凛々しさが宿っている

 

そんな「セリカ」の後ろ姿を、眩しそうに細めた瞳で見送っていたホシノだったが、不意に何かを思い出したように声を上げる

 

「あっ! ちょっと待って、セリカちゃん。おじさん、先生にちょっとだけ電話しなきゃいけないこと思い出してさ。すぐ済ませるから、出口のところで待っててくれないかな?」

 

「もう、早くしなさいよー! 今晩の献立の買い物にも行かないとなんだからねー?」

 

ぶっきらぼうな、けれど親愛の情がたっぷりと詰まったセリカの声が夕闇に溶けていく

 

背後でホシノが慌てた様子で木の影の方へ走り去るのを見届け、セリカは一人、小さく鼻歌を歌いながら公園のゲートへと向かった

 

一方、巨木の影――。

 

「……っ、はぁ……っ、ふぅ……!!」

 

ホシノは携帯電話を取り出すどころか、構える余裕すら持てなかった

 

そのまま太い幹に背中を預け、耐えきれなくなった膝が折れるようにして、ずるずると地面に座り込んでしまった

 

「……危なかった……。本当におじさんの心臓、今の笑顔で粉々に破裂するかと思ったよ……」

 

両手で真っ赤に火照った顔を覆い、ホシノは勝手に緩んでしまう口元を必死に抑えようともがいていた

 

指の隙間から漏れる吐息は熱く、バッティングセンターや射的場でも見せなかった動揺が全身を駆け巡っている

 

今日一日のセリカ

 

150キロの剛速球に食らいつき、その背中で風を切りながらバットを豪快に振り抜いた、あの凛々しくもひたむきな後ろ姿

 

クレーンゲームでムキになり、ホシノのために、ただそれだけのために顔を真っ赤にして、なりふり構わず執念でもぎ取ってくれたクジラのぬいぐるみ

 

そして、茜色の夕日に照らされながら、飾らない言葉で「二人で遊びたかっただけ」と言い切り、それまでの強がりが嘘だったかのように見せた、あの屈託のない純粋な笑顔

 

「……かっこよすぎでしょ、あんなの。反則だよ……」

 

ホシノの脳裏には、セリカが今日一日、必死になって証明しようと足掻き、そして届かなかったと思い込んでいる「かっこいい黒見セリカ」の残像が、鮮烈な熱を持って焼き付いていた

 

その瞬間、ホシノの思考は今この時を離れ、かつてアビドス生徒会が三人だった頃の記憶へとダイブする

 

まだ人を疑い、尖ったナイフのように周りを拒絶していた自分と、ただ一人でアビドスを背負おうとしていたユメ。そんな、壊れる寸前だった二人の前に現れた「未来のセリカ」の姿

 

今のホシノには、はっきりと理解できる

 

あの時、自分たちの隣で誰よりも鋭く戦場を駆け、迷いなく銃火の中を突き進んでいた彼女。未来の自分とさえ阿吽の呼吸で連携を取り、絶体絶命の運命をその手で鮮やかに塗り替えてみせた、あの気高きセリカの姿

 

ホシノにとって、セリカはもうとっくに「守られるべき弱き存在」なんかではない

 

自分たちの想像を遥かに超えて成長し、あの日、地獄の淵にいた自分たちさえも救い上げてしまった、希望の光そのものなのだ。あまりに眩しく、あまりにかっこよく、そして誰よりも頼もしい。だからこそ――

 

(だからこそ、その光に気後れしちゃいそうで……。おじさん、怖くなっちゃうんだよね)

 

もし、セリカの「かっこよさ」を正面から認めてしまったら。彼女が一人前の戦士として、もう自分の腕の中から飛び立っていけることを認めてしまったら

 

それはホシノにとって、この上ない誇りであると同時に、耐え難い寂しさでもあった

 

(だから、おじさんは「可愛い」って言葉の檻に彼女を閉じ込めて、ずっと手の中に置いておきたくなっちゃうんだ……。おじさん、本当に狡いよねぇ)

 

セリカが「可愛い」と言われるたびに憤るのは、彼女が対等になりたいと願っている証拠だ

 

そしてホシノが頑なに「可愛い」と言い続けるのは、彼女を対等な……いいえ、自分を追い越していくほどの「一人の女性」として意識し、畏怖している裏返しだった

 

「ん、やっぱりセリカちゃんは……世界で一番可愛くて。……最高に、かっこいいなぁ」

 

暗い影の中で、誰にも見せない幸せそうな、そして独占欲と慈愛が入り混じった複雑な笑みを浮かべながら、ホシノは腕の中のクジラを強く抱きしめる

 

「……そんなセリカちゃんが好きだなぁ。困っちゃうくらい。うへ、うへへ……」

 

幸せな溜息を一つ吐き出し、ホシノはなんとか火照った頬を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す

 

出口で「遅い!」と怒鳴るであろう、けれど決して自分を置いてはいかない「自覚のないヒーロー」の元へ駆け出すために。ホシノは立ち上がり、スカートの砂を払うと、愛しい背中を追いかけて夜の入り口へと走り出した




無自覚にホシノのハートを射止めるハードボイルドセリカちゃん(?)
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