セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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ユメとホシノによるセリカ歓迎会!

貸家の古びた洗面台から、錆びついた配管を震わせるような重苦しい音が響き、蛇口からは不規則に水が吐き出された。掌に溜めたその刺すように冷たい水で顔を洗うと、指先から脳へと突き抜けるような冷徹な感触が、昨夜の出来事がけっして質の悪い白昼夢などではないことを、残酷なまでのリアリティをもって突きつけてきた

 

タオルで顔を拭い、ひび割れた鏡の中に映る自分を真っ向から見つめる

 

そこにいたのは、自分のよく知る「アビドス」の刺繍が入った制服ではない、少しデザインの異なる――今この時代で息づいているアビドス高校の予備制服を纏った、見慣れぬ姿の自分だった。その瞳の奥には、強気な自分を演じきれないほどの心細さが、澱のように沈んでいる

 

(……はぁ。やっぱり、夢じゃなかったわね。起きたら『あー変な夢だった!』って笑って、いつもの部室でノノミ先輩の淹れたお茶を飲めるんじゃないかって、心のどこかで期待していたんだけど……)

 

重く湿った溜息が、狭く湿っぽい洗面所の空気に溶けて消えていく。セリカは小さく首を振り、縋りたくなるような感傷を無理やり振り払うと、生き抜くための思考を一つずつ整理し始めた

 

(今、私がやるべきことは二つ。まずは何が何でも、元の時代に帰る方法を死ぬ気で探し出すこと。そしてもう一つは……。ホシノ先輩とユメ先輩に、私が未来から来た人間だっていう事実を、何があっても悟られないようにすることよ。変に時間軸を混乱させたら、それこそ未来がどう書き換わっちゃうか分かったもんじゃないわ。それに、お人好しのユメ先輩はともかく……今のあの『狂犬』みたいなホシノ先輩が、そんなお伽話を信じてくれるわけないしね……。下手をすれば、また銃口を突きつけられるのがオチだわ)

 

鏡に向かって一度深く呼吸を置き、停滞しそうな自分の精神に喝を入れるように、両頬をパチンと赤くなるほどの強さで叩き上げた。その痛みと共に、鏡の中の瞳にはいつもの負けん気の強い、鋭い光が宿る

 

「よしっ! 立ち止まって弱気になってる暇なんて、一秒も残ってないんだから!」

 

借り物の硬い制服の襟を正し、腰に吊るした借りたハンドガンの重みを掌で確かめる。セリカは覚悟を決めた足取りで、淡い朝日に照らされ始めた、砂塵の舞うアビドスの街へと力強く踏み出した

 

校門をくぐり、慣れ親しんだはずの学び舎へと足を踏み入れる

 

ふと、吸い寄せられるように一室の前で足を止める。そこは、未来では自分たちが毎日を過ごし、時に笑い、時に喧嘩を繰り広げる「対策委員会」の教室だった

 

「……あ」

 

期待と不安が入り混じったまま、重い扉を数センチだけ押し開けて中を覗き込む。だが、そこに広がっていたのは、放課後のティータイムも、アヤネの小言も、シロコの銃を整備する音も存在しない、ただの無機質な空間だった

 

埃を被った古い机や、用途の分からない備品が天井近くまで乱雑に積み上げられただけの、冷え切った倉庫

 

(へぇ……。この時は、ここってこんな風になってたんだ。なんだか、胸の奥がソワソワするっていうか……変な感じ)

 

セリカは小さく息を吐き、視線を彷徨わせる。整理整頓されたアヤネのデスクも、ノノミが持ち込んだ高級な茶器セットも、そしてホシノが昼寝の供にしていたあの巨大なクジラのクッションも、ここには影も形もない。あるのは、過去から取り残されたような古い紙の匂いと、静寂だけだった

 

(……まだ、どこにもないのね。私たちの場所は)

 

喉の奥にこみ上げる感傷を無理やり飲み込み、セリカは再び廊下を歩き出す。目的地は、二人が待っているはずの生徒会室だ

 

しかし、廊下の曲がり角に差し掛かり、長い影が伸びる窓際を通り過ぎた瞬間、彼女の鼻腔を奇妙な刺激臭が不意に掠めた

 

「……? なに、これ。何か焦げ臭いような……」

 

眉をひそめ、くんくんと鼻を鳴らしてみる。それは紙を焼く匂いよりもずっと鋭く、鼻の奥をチクチクと刺激するような、明らかに「何かが修復不可能なレベルで炭化している」不穏な匂いだった

 

(火事……? いや、それにしては煙が見えないわね。……気のせいかしら。それとも、砂漠の熱で何かが焼けてるの?)

 

この広大な校舎だ。古い建物特有の籠もった匂いか、あるいは中庭の掃除でゴミでも焼いているのだろう。自分にそう言い聞かせて納得させようとするが、胸のざわつきは収まらない。セリカは一歩、また一歩と慎重に足を進め、ついに不協和音のような匂いの発信源である生徒会室の扉へと手をかけた

 

ガラガラと、建付けの悪い生徒会室の重厚な扉を横に滑らせる。乾燥した木材が擦れる乾いた音が静かな廊下に響き渡った

 

「おはよ――」

 

慣れ親しんだ挨拶が、最後まで紡がれることはなかった。開かれた扉の向こう側に広がっていたのは、セリカの想像力を軽々と飛び越え、成層圏まで突き抜けるようなカオス極まる光景だったからだ

 

「あわわっ!? セリカちゃん、もう来ちゃったの!? まだ準備の途中なのに……ホラ、ホシノちゃん、もっと右側をグイッと上げて! 歪んじゃってるよぉ!」

 

「……これ以上は無理です、精一杯やってますから……っ!」

 

部屋の中央、古びた脚立の上でフラフラと危うげに身体を揺らしながら、ユメが必死の形相で壁に大きな紙を貼り付けている。そこには、お世辞にも洗練されているとは言えないが、一文字一文字が驚くほど丁寧に、そしてこれでもかというほど多色使いでカラフルに彩られた**『セリカちゃん歓迎会』**の文字が躍っていた。手作り感溢れるその垂れ幕は、見る者の視神経を直接刺激するような熱量に満ちている

 

「……は? 歓迎会……?」

 

呆然と立ち尽くすセリカの視界の端で、重苦しい溜息が漏れた

 

「ほら……。だから言ったじゃないですか、ユメ先輩。身の丈に合わない凝った演出なんてしようとするから、肝心の本人が来るまでに間に合わないんですよ」

 

不機嫌そうに腕を組み、いつもの鋭い眼光を放ちながらそこに立っていたのは、ホシノだった。……だが、その冷徹なまでの威圧感は、一点の致命的な要素によって完全に台無しになっていた。彼女の桃髪の頭上には、あろうことか誕生日パーティーの主役が被るような、派手な水玉模様の**『三角帽子』**が、ゴム紐を顎に食い込ませながらちょこんと載っていたのであ

 

「……えっと。先輩たち、朝っぱらから一体何してるのよ……?」

 

あまりに情報の密度が高すぎる光景に、セリカの脳内回路はショート寸前だった。こめかみを押さえながら絞り出すように問いかけると、ユメは脚立から軽やかにぴょんと飛び降り、その豊かな胸を誇らしげに張りながら、朝の陽だまりのような満面の笑みを浮かべた

 

「何って、決まってるじゃない! セリカちゃんの歓迎会だよ♪ 昨日はいろいろ大変だったけど、せっかくこのアビドス高校に来てくれた、記念すべき三人目の生徒なんだもん! 盛大にお祝いして、パァーッと賑やかに始めなきゃ!」

 

「……私は、未だにこの女の身元は怪しいと思ってますし、そもそも『(仮)』扱いの人間に、こんな浮かれた真似をする必要はないって何度も進言したんですけどね……」

 

ホシノはあらぬ方向を向き、遠い目をしながら心底迷惑そうに呟く。しかし、吐き出される言葉がどれほど辛辣で冷静であっても、その頭上でゆらゆらと揺れるシュールな三角帽子のせいで、彼女が纏うはずの「狂犬」の威厳は跡形もなく霧散していた。むしろ、無理やり付き合わされている不憫さと、律儀に帽子を被り続けている真面目さが奇妙なコントラストを生み出し、セリカのツッコミ待ちの状態にしか見えなかった

 

(……いや、その格好で言われても説得力ゼロなんだけど! むしろアンタが一番ノリノリに見えるわよ!)

 

セリカの喉元まで出かかった鋭いツッコミは、発せられる直前、ホシノが不意にこちらへ向けた冷ややかな視線によって物理的に飲み込まれた

 

「……なに? セリカ、何か言いたいことがあるならハッキリ言ったほうがいいですよ? 遠慮なんて、この学校には必要ありませんから」

 

ふわり、とホシノの背後に物理的な質量すら感じさせる濃厚な黒いオーラが立ち昇る。口元は微かに弧を描いているが、その双眸は一切の光を通さず、深淵のような冷たさを湛えていた。いわゆる「黒い笑顔」だ。逆らえば即座に校庭の砂に埋められ、物理的に口を封じられかねない圧倒的な圧力を肌で感じ、セリカは「……いえ、別に。なんでもないわよ」と視線を虚空へ逸らすのが精一杯だった

 

そんな二人の、氷点下と沸点を行き来するような極端な温度差などどこ吹く風で、ユメはさらに期待に胸を膨らませ、弾むような声で告げる

 

「ふふふーん♪ 驚くのはまだ早いよ、セリカちゃん? なんとね……今日のお祝いの目玉、心のこもった手作り料理も、今まさに作ってるところなの! 楽しみにしててね!」

 

「……ふん。私も、不本意ながらそのお手伝いをしてあげてますから。食べる専門の私に準備をさせたことを、精一杯光栄に思って感謝してくださいよ?」

 

何故か勝ち誇ったようなドヤ顔で胸を張るホシノ。頭上の三角帽子が誇らしげに揺れるその姿は、威厳があるのか抜けているのか判別不能だが、二人の慌ただしくもどこか温かなやり取りを見ているうちに、セリカの心には微かな灯がともったような感覚が広がっていた

 

未来のアビドスでも、形は違えどこうして騒がしく、他愛もないことで笑い合っていたはずだ。時を超えても変わらないこの空気感に、セリカは柄にもなく少しだけ絆されそうになっていた

 

しかし、ふとした瞬間に先ほどから鼻腔を突いていたあの「焦げ臭い」刺激が、一段と濃度を増して漂ってきたことに気がつく

 

「ねぇ……ここに来る途中でも薄々思ってたんだけど、なんだか焦げ臭い匂いがどんどん強くなってない? 準備してるって言ってたお祝いの料理、本当に大丈夫なの?」

 

セリカが放ったそのあまりにも正論な一言が、静かな室内に冷水を浴びせかけた

 

その瞬間、室内の時が完全に凍りついた。垂れ幕の微調整をしていたユメの指先がピタッと硬直したまま動かなくなり、先ほどまで自信満々にドヤ顔を決めていたホシノの頬が、みるみるうちに血の気を失い、青ざめていく

 

「あ、あああーーっ!? いっけなーい! 火をつけて煮込んでたの、すっかり忘れてたーー!?」

 

ユメが手元にあった垂れ幕を無造作に放り出し、喉が張り裂けんばかりの悲鳴を上げながら廊下へ飛び出した。その背中からは、先ほどまでの聖母のような余裕は微塵も感じられな

 

「ユメ先輩!? カレーの火加減なら、この私に任せてってあれほど豪語しましたよね!? なんで目を離してこんなところで工作なんてしてるんですか!」

 

ホシノもまた、頭の三角帽子を激しく左右に揺らしながら、血相を変えてその後を追う。ドタドタと無様に響き渡る二人の足音と、遠ざかっていくパニック交じりの怒鳴り合いを聞きながら、セリカの胸中には、先ほどまで抱いていた小さな感動をすべて黒く塗りつぶすほどの、どす黒い不穏な予感が渦巻いていた

 

(……ちょっと、嫌な予感しかしないんだけど。あの二人、本当の本当に大丈夫なの? そういえば……昨日、二人とも料理が苦手だって白状してたような気がするけど……)

 

居ても立ってもいられなくなったセリカは、吸い寄せられるように二人の後を追い、こっそりと調理室の方向へ足を向けた。廊下を進むにつれ、空気の質は明らかに変化していく。最初は単なる「焦げ」だった匂いが、次第に鼻の粘膜をチクチクと刺激する「化学的な何か」に近い、生物が嗅いではいけないタイプの異臭へと変貌を遂げていく

 

「……うわっ、何これ!? 目が痛いんだけど!」

 

ハンカチで鼻を押さえながら、セリカは調理室の扉を勢いよく開けた。しかし、その瞬間に目に飛び込んできた光景に、彼女は言葉を失い絶句した

 

昨日、自分が最高の一杯を作り上げるために、ピカピカに磨き上げたはずの聖域――

 

そこは一夜にして、凄惨な戦場……あるいは、正体不明の兵器が炸裂した「爆心地」のような有様へと無残に変貌を遂げていたのだ

 

整然としていたはずの壁や天井の至る所には、昨日は影も形もなかった謎の「黒い跡」が点々と、あるいはペンキをぶちまけたようにべっとりと付着している。それは、単に食材が焦げて飛び散ったというレベルを遥かに超越していた。まるで、鍋の中で何らかの高エネルギー体が発生し、それが内圧に耐えきれず四散した衝突痕のようにすら見えた

 

異様な熱気と、紫色の不気味な靄が立ち込める中、セリカは呆然と立ち尽くすしかなかった。これから始まるのは「歓迎会」などという生易しいものではなく、命を懸けた「除染作業」あるいは「生存競争」になるであろうことを、彼女の本能が激しく警鐘を鳴らしていた

 

(嘘でしょ……!? 確かに昨日の夜、二人とも料理が苦手だって白状してたけど、これ、下手とかいうレベルじゃないわよ! 下手以前に、物理法則が崩壊してるじゃない! 一体全体、どういう手順を踏んだら、ただのカレーを作ってる最中に教室全体が爆破テロに遭ったみたいな跡がつくのよ!?)

 

セリカの脳内では、未来のアビドスでノノミが淹れてくれる、平和の象徴のような紅茶の香りが遠い記憶の彼方へと消え去っていく。恐る恐る視線をコンロへと落とせば、そこにはもはや「カレー」という概念すら冒涜された、ドロドロとした暗紫色の未知の物質が鎮座していた。それは鍋という境界を越えようとするかのように、底の方からマグマのごとき粘り気を持って「ヴォフッ、ヴォフッ」と不気味な重低音を響かせ、粘着質な泡を吐き出している

 

「さあ、ここからが仕上げだよ! 砂漠の砂溜まりでひっそり生えてた新種のカラフルなキノコと、特売で山積みになってた『産地不明・謎のブロック肉』! 隠し味には、新入生歓迎会らしく元気がもらえる栄養満点のプロテインパウダーと、コクと甘みを引き出すためにイチゴジャムを贅沢にまるごと一瓶、投入しちゃいまーす♪」

 

背後から忍び寄ったセリカの気配に全く気づいていないユメは、鼻歌混じりに、もはや食材と呼ぶことさえ憚られる冒涜的な物体を、次々とその深淵のような鍋へと叩き込んでいく。極彩色のキノコが紫の沼に沈み、ジャムの赤い塊が混ざり合う光景は、さながら禁断の錬金術の実験現場だ

 

そして、その惨劇を横で眺めていた一年生のホシノは、あろうことか深く得心したように何度も頷き、真剣な眼差しで鍋の中の「毒物」を観察していた

 

「……なるほど。糖分、タンパク質、そして未知の菌類によるブースト。非常に効率的ですね。なんだか嗅いでいるだけで身体の奥底から力が湧いてくるような、戦場で強くなれそうな匂いがしてきました。流石です、美味しそうですね、ユメ先輩」

 

(そんなわけないじゃない!? どこをどう見たら、その地獄の煮凝りみたいなやつが美味しそうに見えるのよ! その目は節穴なの!? それとも嗅覚が砂漠の熱で蒸発しちゃったわけ!?)

 

セリカの喉が千切れんばかりの絶叫ツッコミは、あまりの衝撃に声帯が凍りつき、ただの心の叫びとして空虚に室内に木霊する。しかし、そんな彼女の絶望を余所に、ホシノの暴走はさらに加速していった。彼女は無造作に懐へと手を差し込むと、そこからまだ微かに鋭い毒針を揺らし、カサカサと足を動かしている巨大な砂漠サソリを取り出したのだ

 

「あ、ユメ先輩、これも。今朝、校門の前で生意気にトゲを振り回していたので、訓練がてら捕獲しておきました。これを入れると甲殻類特有の出汁が出てコクが増しますし、揚げ焼きにすると結構美味しいんですよ? 隠し味に入れてみます?」

 

「えっ、本当!? さすがホシノちゃん、新入生への気遣いが行き届いてるねぇ! 採用、即採用だよ!」

 

ユメが満面の笑みでサソリを受け取ろうと手を伸ばす

 

(嫌ぁぁーー!?!? サソリなんか入れないでよ!? そもそもそれは料理じゃなくて暗殺よ! 生きたまま放り込む気!? 誰か、誰かアヤネちゃんを呼んで……あ、まだいないんだった! 嘘でしょ、この時代のアビドスってこんなに命の危険があるの!?)

 

それから、調理室がさながら禁忌の実験場のような熱気と異臭に包まれて一時間が経過した頃

 

「できたぁー!!」

 

ユメとホシノの二人が、声を揃えて歓喜の声を上げた。その表情には、数々の困難を乗り越え、難攻不落の要塞を陥落させた将軍のような清々しい達成感が満ち溢れている。二人は互いの健闘を称え合うように、額に浮かんだ玉のような汗を、誇らしげにエプロンの袖で拭った

 

しかし、肝心の鍋の中身は、お世辞にも「料理」というカテゴリーに分類できる代物ではなかった。鍋の底からは、遠目からでもはっきりと視認できるほど禍々しく、不気味な光沢を帯びた紫色の濃霧が立ち上っている。さらに恐ろしいことに、その煙は物理法則を無視して空中で不自然にうねり、巨大なドクロの形を形成した。それはまるで、これからこの「暗黒物質」を摂取する者の運命を予見しているかのように、実体を持たない口を歪め、「ヒヒヒ……」と低い笑い声を上げた……そんな錯覚すら抱かせるほどに呪術的な気配を纏っていた

 

ユメが軽快な鼻歌を歌いながら、お玉でその未知のドロドロとした物質を掬い上げ、皿に盛り付けようとした――まさにその瞬間

 

「ちょっと待ったぁぁぁーーーーーー!!」

 

背後でその惨劇の一部始終を、戦慄と共に見守っていたセリカが、ついに我慢の限界を迎えて肺の底から声を張り上げた。その叫びは、調理室の窓ガラスを微かに震わせるほどの切実さに満ちていた

 

「あ、セリカちゃん! なんだぁ、来てたなら一言声をかけてくれたら良かったのに! 見て見て、愛情と栄養を限界まで詰め込んだ、特製『アビドス新入生お祝いカレー』の完成だよ!」

 

振り返ったユメは、背後に後光が差しているのではないかと錯覚するほどの、汚れなき聖母のような微笑みを浮かべている。その後ろでは、いつもは冷静なホシノまでもが、誇らしげに胸を張り、満足げに深く頷いていた

 

「今日の主役はセリカですからね。毒見……いえ、一番美味しいところを、誰よりも先に食べていいですよ。……さあ、どうぞ。遠慮はいりません」

 

ホシノが差し出した皿の上では、紫色の粘体が「ピチャッ」と嫌な音を立てて波打っている。セリカは引き攣った顔で、一歩、また一歩と後ずさりした

 

「気持ちは! 気持ちだけは死ぬほど嬉しいけどっ! 物理的にドクロが湧き出してるカレーなんて、この世の誰が食べられるっていうのよ!? 二人とも、本当の本当に正気なの!? ていうか、味見! 誰か一人でも、完成前に味見をした人間はいないわけ!?」

 

セリカの魂を削るような必死のツッコミを受け、ユメとホシノは、まるで「アジミ」という未知の単語を初めて耳にしたかのように、不思議そうに顔を見合わせた

 

「え? 味見……? 料理は何よりも愛情が隠し味だって言うし、セリカちゃんを驚かせようって想いを込めるのに必死で、ついうっかり工程から抜けちゃったかなぁ?」

 

ユメは人差し指を頬に当て、まるでお気に入りの小物をどこかに置き忘れたかのような軽い調子で小首をかしげた。その背後では、どこまでも大真面目な顔をしたホシノが、理路整然とした口調で追随する

 

「……完成してからのお楽しみ、というサプライズ要素も重要だと思いまして。ユメ先輩、私たちが込めた『愛情』は、分子レベルで十分に練り込みましたよね?」

 

「うん! 愛情(物理)なら、お鍋の底が見えなくなるくらいたっぷりと沈めてあるよ♪」

 

「どんな愛情よ! その愛情は重すぎて物理的に人が死ぬのよ!!」

 

セリカの絶叫が調理室の窓ガラスをビリビリと震わせるが、当の本人たちはどこ吹く風だ。むしろ、せっかくの力作を拒絶されたことが不思議でたまらないといった様子で、ユメは困ったように眉を下げた

 

「えー? こんなに色鮮やかで美味しそうにできたのに……。セリカちゃん、食わず嫌いは人生の半分を損しちゃうよ? ほら、まずは一口だけでも食べてみて?」

 

「嫌に決まってるでしょ! 視覚が全力で『生存本能に従え』って警鐘を鳴らしてるんだから!」

 

「もう、しょうがないなぁ。じゃあ、まずは私が毒見……じゃなくて、お手本を見せてあげるね!」

 

ユメはそう言って、禍々しい紫色の湯気と共にドクロの残像を撒き散らすスプーンを、躊躇いもなく口へと運んだ。一点の曇りもない、太陽のようなニコニコとした笑顔のまま、豪快に一口

 

……刹那、世界が静止した

 

ユメの健康的な桃色の頬が、瞬きする間に不気味な土気色へと変色していく。瞳からは光が消え、焦点がどこか遠い銀河の彼方へと飛び去った

 

「あはは……見て見てホシノちゃん、セリカちゃん……。空一面に、見たこともない綺麗なお花畑が広がってるよぉ……。あ、おじいちゃんが川の向こうで手振ってる……」

 

「ユメ先輩――っ!? ほら見なさい、作った本人が真っ先に自爆してるじゃない!!」

 

バタン、と派手な音を立てて床に倒れ伏すユメ。白目を剥いて幸せそうに(?)痙攣するその姿は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。セリカが慌てて駆け寄ろうとしたその時、ふと隣を見ると、信じがたい光景が視界に飛び込んできた

 

「……? 別に、普通に食べられるじゃないですか。そんなに騒ぎ立てるほどのことでもないと思いますけど」

 

そこには、意識を失った先輩の横で、何事もなかったかのように淡々とスプーンを動かしているホシノの姿があった。ドクロの煙を肺いっぱいに吸い込みながら、暗黒物質を一口、また一口と、無表情で胃袋へ収めていく

 

「パクパク食べないでよ! アンタの胃袋はチタン合金製なの!? それとも味覚をどこかで落としてきたわけ!?」

 

セリカの必死のツッコミを、ホシノはどこか遠くを見るような虚ろな瞳で受け流し、最後の一粒までどんぶりを空にした

 

「……動けるだけのエネルギーが、効率よく摂取できればいいんです。生存に必要な栄養が摂れれば、味なんて二の次、三の次ですから。戦場では、泥水だって貴重な資源になるんですよ、セリカ」

 

「……っ、食べられたらなんでもいいって本気で言ってるの!? 料理ってのはね、食べた人を笑顔にして、明日も頑張ろうって幸せにするためにあるのよ! そんな『効率』だの『栄養素』だのだけで考えてるから、ドクロが湧き出る暗黒カレーなんてものを錬成しちゃうのよ!」

 

セリカは右手でこめかみを強く押さえ、あまりの価値観の相違に眩暈を覚えた。このままでは、アビドスの再興を夢見る前に、この二人(と気絶している一人)は自分の料理という名の「生物兵器」によって全滅しかねない

 

「いい、よく聞きなさい! 私がこの手で、アンタたちに本当の料理ってやつを叩き込んであげるわ! もう一度最初から作るわよ、分かった!?」

 

セリカの瞳に、未来の対策委員会を支える看板娘としての矜持が、激しい炎となって宿った瞬間だった

 

「……えー。私は食べる専門なので、もう作らなくていいですよ。そもそも料理なんて、お腹が膨れれば工程なんてどうでもいいじゃないですか。面倒ですし、時間の無駄です」

 

ホシノが猫のようにしなやかな身のこなしで、その場から逃げ出そうと踵を返した瞬間だった。セリカの右手が、電光石火の速さでホシノの肩をガシッと力強く掴み取った。昨夜からずっと、未来から来た自分を受け入れてもらうために「信頼を勝ち取らなきゃ」と神経を尖らせていた遠慮など、今のセリカには微塵も残っていない。目の前にあるのは、食文化を冒涜し、あまつさえ自爆する先輩たちの惨状に対する、料理人としての、そしてアビドス生としての正当な怒りだった

 

「……作るわよね? ホ、シ、ノ、先、輩?」

 

至近距離から放たれる、有無を言わさない凄まじい「圧」。未来で数々の修羅場を潜り抜け、強情な仲間たちを纏め上げてきたセリカの眼力は、鋭い刃のようにホシノを射抜く。そのあまりの気迫に、先程までツンと尖った態度で銃口さえ向けてきた一年生のホシノも、流石に目を丸くして驚き、一瞬だけ言葉を失った

 

「う、うん……分かりました、やりますよ。そんなに怖い顔しないでください……」

 

蛇に睨まれた蛙のように、ホシノは力なく頷くしかなかった。その頃、床で白目を剥いていたユメが、ようやく「ひぃん……」と情けない声を漏らして意識を取り戻した

 

「なんだか……すごく綺麗な川が見えたよぉ。向こう岸に、見たことないくらい大きなクジラが泳いでて……」

 

「ユメ先輩、それは三途の河です! 帰ってきてください! さあ、立って!」

 

こうして、鬼監督セリカによる「地獄のお料理教室」が幕を開けた。だが、その前途は多難どころか、絶望的と言わざるを得なかった

 

「ホシノ先輩! どこから持ってきたのよ、その棘だらけのサボテン! カレーにトゲのトッピングなんていらないって言ってるでしょ! 今すぐ鍋から出しなさい!」

 

「……サボテンは果肉に水分が豊富で、過酷な砂漠を生き抜くための知恵ですよ。ビタミンも豊富で、戦闘継続能力の向上に……」

 

「栄養以前に、食べた瞬間に口の中が血まみれになって戦闘不能になるわよ! 全没収! 次、ユメ先輩! 塩を一摘み、指先で少しだけって言ったでしょ! なぜ砂糖の業務用袋を逆さまにして投入しようとしてるの!?」

 

「だってぇ、隠し味は大胆な方が個性的でいいかなって……。それに、甘口のほうが、みんなニコニコ笑顔になれるでしょ?」

 

「袋ごと入れたらそれはもうカレーの形をしたお菓子よ! 甘口を通り越して、一口食べただけで糖尿病になるわよ!」

 

右に左に、怒号と制止を絶え間なく繰り返すセリカ。もはや指揮官というよりは、猛獣使いの域である。自己流という名の暴走を止められない二人の手から、劇物の種になりそうな怪しい食材を奪い取り、コンロの火加減を秒単位で監視し、浮かび上がってくるアクを執念深く取らせる

 

「いい、料理は算数なの! 決まった分量を決まった手順で入れる! 余計なアレンジは、まともなものが作れるようになってから言いなさい!」

 

セリカの徹底した管理指導のもと、阿鼻叫喚の調理室には、ようやく「人間が食べても命に別状がない」どころか、食欲をそそる芳醇なスパイスの香りが立ち込め始めた。劇物から料理へと、物質が再構成されていく。セリカの額には、ヘルメット団との乱戦でも見せたことがないほどの、激しい疲労の汗が滲んでいた

 

「……ふぅ。やっと終わったわ……。これでようやく、まともな食事にありつけるわね……」

 

セリカは調理台に両手をつき、肺に残っていた熱気をすべて吐き出すように深い溜息をついた。戦場さながらの混乱を極めた厨房も、彼女の鬼気迫る指揮によって、どうにか「食卓」としての平穏を取り戻している

 

やり遂げたという奇妙な達成感に浸り、ふと顔を上げたその時だった。セリカの視界に、剥がれかけたテープで壁に踏みとどまっている、あの極彩色で手作り感満載の**『セリカちゃん歓迎会』**という文字が飛び込んできた

 

その瞬間、セリカの思考が急速に冷え込み、そして次の刹那、猛烈な勢いで再点火した

 

「……ちょっと待って。今更だけど……これ、私の歓迎会よね!? なんで主役の私が誰よりも喉を枯らして働いて、挙句の果てに先輩二人に包丁の持ち方から叩き込んでるのよ!! おかしいでしょ、この状況! 普通は座って待ってるもんじゃないの!?」

 

セリカの悲痛な叫びが、静まり返った午後の校舎に空虚に響き渡る。だが、そんな彼女の正論を余所に、アビドスの静かな教室には、今度こそ正真正銘の「本物の料理」が持つ芳醇なスパイスの香りが、優しく、けれど力強く満ち溢れていた

 

カチ、カチとスプーンが陶器の皿を叩く軽やかな音。そして、熱いカレーを頬張る二人の、心底幸せそうな満足げな吐息。セリカは、もはやツッコむ気力さえ使い果たし、ぐったりとパイプ椅子の背もたれに体重を預けながら、その光景を眺めていた

 

「はふぅ……やっぱり、セリカちゃんの作るお料理は最高に美味しいね! スパイスがピリッときて、でも野菜の甘みが溶け込んでて……なんだか、乾いた心の中にまで、一気に春が来たみたいだよ♪」

 

ユメは両頬を桃色に染め、蕩けるような笑顔で目を細めている。その姿には、先ほど三途の河を渡りかけていた悲惨な面影は微塵もない

 

一方、その隣に座る一年生のホシノは、いつもの淡々とした、どこか冷徹さすら感じさせる無表情のままだった。けれど、その手つきは昨日よりもずっと柔らかく、名残惜しそうに最後の一口を丁寧に掬い上げ、ゆっくりと喉へ運んでいた

 

「……ふむ。料理の腕に関しては、貴女が厨房に立った瞬間から信じていましたから。これくらいの結果、最初から予測の範疇ですよ」

 

「どの口が言ってるのよ! さっきまで『食べられたら泥水でもなんでもいい』なんて、味覚が死んでるようなセリフを吐いてた人の言葉には聞こえないわね!」

 

セリカがジト目で容赦のないツッコミを入れるが、ホシノはどこ吹く風で、食後のお茶をずずっと啜っている

 

「それはそれ、これはこれです。なんでも食べれるけど美味しいに越したことはないってことです」

 

そう言って、謎の自信に満ちた涼しい顔で微笑むホシノ。そんな二人の、噛み合っているようで噛み合っていない、けれど不思議と調和の取れたやり取りを見ていると、先ほどまでの激しい疲労が嘘のように、セリカの心には温かく穏やかな充足感が広がっていった

 

(……まぁ、いいわ。主役の私が一番働かされて、歓迎される側のはずが完全に『お母さん』扱いだったのは納得いかないけど。でも……二人がこんなに喜んで、美味しそうに食べてくれたなら。……今日は、これで良しとしましょうか)

 

アビドスの再興という重い現実も、元の時代に帰らなければならない焦燥も、この瞬間だけは、芳しいカレーの香りの向こう側へと追いやることができた

 

そう自分を納得させ、ようやく自分も一息つこうと腰を落ち着けようとした、その時だった

 

「あっ、そうだ! 大事なことを忘れちゃうところだったよ!」

 

まだカレーを口いっぱいに含んだまま、ユメが弾かれたように勢いよく立ち上がった。もぐもぐと幸せそうに喉を鳴らして飲み込むと、椅子の脇に置いてあった、使い込まれて革の角が擦り切れた年季の入った鞄の中をガサゴソと一心不乱に漁り始める

 

「ちょっと、食べてる最中に急に何よ。歓迎会の次は、今度は何の余興のつもり?」

 

セリカが呆れ顔でスプーンを置くと、ユメは「えっへん」と言わんばかりのドヤ顔で、一枚の紙を机の上に広げた。それは端が茶色く変色し、湿気と乾燥を繰り返したせいか、指で触れれば今にもパリパリと音を立てて崩れ落ちそうな、古文書のような風合いを纏った代物だった

 

「ふふふーんだ! 驚かないでね? これはね……かつてのアビドスに眠ると言われる『伝説の宝の地図』だよ!」

 

ユメが机いっぱいに広げたその地図には、現在のアビドスでは大半が容赦ない砂の海に飲み込まれてしまったはずの「大オアシス」周辺の、極めて詳細な地形図が記されていた。等高線は複雑に入り組み、特定の地点には、色褪せてはいるものの不気味な存在感を放つ赤黒いインクで、大きな「×」印が乱暴に書き込まれている

 

「何よ、宝の地図って……。そんなの、大昔の卒業生が残した悪戯か何かじゃないの?」

 

「それがね、ただの悪戯じゃないみたいなんだよ! 昔のアビドス生徒会が、ある『とんでもなく凄いもの』をオアシスのほとりに埋めたっていう公式の記録を見つけたの。ずっと生徒会室の奥で資料を探してたんだけど、この前ようやく、この地図の在り処を突き止めたんだよ!」

 

「ふごいもの……へすか?(もぐもぐ)」

 

ホシノが、カレーを詰め込みすぎてリスのように膨らんだ片頬を動かしながら、首を傾げて地図の「×」印をじっと覗き込む。彼女の瞳には、興味があるのかないのか判別しがたい独特の光が宿っていた

 

ユメはもはや興奮を抑えきれないといった様子で、身振り手振りを大きく交えながら、その「お宝」の正体について熱っぽく語り始める

 

「それはね、昔のアビドスが誇った技術の結晶……特殊な希少鉱石を贅沢に使った、伝説の『プラズマ花火』なの! 普通の火薬燃焼とは根本的に仕組みが違って、物理的な衝撃や熱刺激をトリガーにして、周囲の大気を高エネルギーのプラズマ状態へ変質させる……空全体を七色の極光で塗りつぶすような、失われたロストテクノロジーが使われているんだって。でもね、当時のお祭りで打ち上げる直前、なぜか制御が上手くいかなくて不発に終わっちゃって……。結局、危険物扱いになって、余った分は湖に一括して破棄されちゃったらしいんだよ」

 

「……プラズマによる発光現象、および空を彩る高エネルギー技術、ですか」

 

ホシノはようやく口の中のカレーを嚥下し、真剣な眼差しで地図のバツ印を凝視する。戦術的な観点からその「高エネルギー」という言葉の響きを精査しているようにも見えた

 

一方のセリカは、ユメの語るその夢のような単語の羅列を聞きながら、胸の奥を掻きむしられるような奇妙な感覚に襲われていた

 

(プラズマ花火……? どこかで、絶対に聞いたことがある。でも……どうして? 思い出そうとすると、頭の中に冷たい霧が立ち込めたみたいに、肝心なところが何も見えなくなる……)

 

必死に記憶の糸を手繰り寄せようとするが、その単語に触れようとした瞬間に、思考が真っ白に塗りつぶされる。まるで、その記憶自体を隠すように、不自然な断絶が脳内を支配していた

 

そんなセリカの苦悩を余所に、二人の会話はさらに現実的な――そして、あまりに衝撃的な方向へと加速していく

 

「なるほど。つまり、その『破棄された遺物』が、今も砂の下に眠っている……ということですね」

 

ユメの説明を聞き終えたホシノの口から、感心の溜息が漏れる。しかし、その直後にユメが茶目っ気たっぷりに付け加えた「補足情報」が、室内の空気を一瞬で沸騰させた

 

「しかもね、ここだけの話! その花火に使われている希少鉱石、実は精製された状態なら、たった100gで1000万円以上の価値がつくんだって!」

 

「……は!? せ、一千万っ!?」

 

セリカの椅子が後ろにひっくり返りそうになる。一千万。それは、今の自分たちが必死にアルバイトをして稼いでいる金額とは、文字通り桁が違う「天文学的な数字」だった。もしそれが本当なら、アビドスが抱える重い借金の返済に、とてつもなく大きな光が差し込むことになる

 

一方で、ホシノはあまりに非現実的な数字に、かえって疑わしげな表情で眉をひそめた

 

「ユメ先輩……。そんな100gで一千万もするような高価な代物、私たちが砂漠をどれだけ這いつくばって探したって、カケラ一つ落ちてなかったじゃないですか。話がうますぎますよ、それは……。どうせ、どこかの酔っ払いが吹聴した眉唾ものの噂話か何かですよ」

 

ホシノがジト目で、冷めた紅茶を啜りながら切り捨てる。その隣で、セリカも腕を組んで深く頷いた

 

「そ、そうよ! それに、もし本当にそんな国を動かせるレベルのお宝が埋まってるなら、とっくにハイエナみたいな賞金稼ぎか、あの強欲なカイザーコーポレーションの連中に見つかって、根こそぎ掘り起こされてるはずでしょ?」

 

二人の至極真っ当、かつ現実的な正論の集中砲火を浴びて、ユメはたじたじになるかと思いきや――待ってましたと言わんばかりに、人差し指をチッチッと左右に、誇らしげに振ってみせた

 

「ふふふー、二人ともまだまだだね! 良い? この地図に記されているのは、アビドスに豊かな『湖』がこんこんと湧き出ていた頃のお話。つまり、今とは地形すら違う、気が遠くなるほど大昔のことなんだよ。当時は水底深くにあった場所が、今は干からびて砂漠と化した……。そんな呪われたような旧オアシスの跡地に、わざわざ危険を冒してまで足を踏み入れる物好きなんて、今の時代、私たち以外に誰もいないでしょ? ということは、つまり……!」

 

「……かつての水底、今は深い砂の下に、数十年もの間、誰にも知られず希少鉱物が眠り続けている……。そういうことですか?」

 

ホシノが確認するように、一文字ずつ噛みしめるように問い返すと、ユメは「その通り!」とばかりに力強く、何度も頷いた

 

ホシノとセリカは、一瞬だけ無言で顔を見合わせた

 

一千万。その額があれば、この学校を苦しめている膨大な借金がどれだけ目に見えて減り、明日への希望がどれだけ確かなものになるか。あるいは、今日のような豪華な晩ごはんを、毎日だってみんなで食べられるようになるかもしれない

 

「ユメ先輩……。今、自分が何を言ってるのか、本当に分かってますか?」

 

「そうよ、ユメ先輩……。一千万よ? 一千万……」

 

低く、地を這うような二人の静かな声に、ユメは思わず「ひぇっ」と肩をすくませた

 

(あわわ、やっぱり怒られちゃうかな……? ホシノちゃんには『また夢みたいなこと言って』って呆れられるし、セリカちゃんも出会ったばかりだけど、すごく真面目な子だから……『そんな不確かなことに時間を使ってる余裕なんてないわよ!』って、二人まとめて怒りに来るんだわ……!)

 

ユメは最悪の説教タイムを覚悟して、ギュッと両目を閉じ、嵐が過ぎ去るのを待つように身を固くした

 

しかし、次に返ってきた反応は、彼女の予想とは正反対の――文字通り、地を揺らすような熱量を持ったものだった

 

「こうしちゃいられないじゃないですか! ユメ先輩、のんびりカレーを食べてる場合じゃありませんよ! 今すぐ装備を点検して、一分一秒でも早く出発です!」

 

「そうよ! 一千万よ!? もしそんなお宝が埋まってるなんて他の誰かに知られたら、砂漠中のハイエナどころか、ヘルメット団だって軍勢で押し寄せてきて盗まれちゃうわよ!!」

 

二人の瞳には、伝説のプラズマ火花にも負けないほどの、ギラギラとした黄金色の輝きが宿っていた。それは純粋な好奇心というよりは、アビドスの過酷な家計を支える者としての、切実かつ猛烈な「執念」に近い光だった

 

「そ、そう! そうだよ! 二人とも、まさに私が言いたかったのはそれなんだよぉ! あはは、話が早くて助かっちゃうなぁ♪」

 

あまりの食いつきの良さと、物理的な圧に圧倒されながらも、ユメはいつものふんわりとしたニコニコ顔に戻って、密かに胸を撫で下ろした。

 

(よかったー……。ホシノちゃんもセリカちゃんも、すごくしっかりしてて真面目な二人だから、『そんな夢みたいなこと言ってないで現実を見なさい!』って、二人まとめて正論で怒られちゃうのかと思ったよー……意外にも2人ともそういう所って似てるのかな?)

 

「うへへ〜、そうと決まれば話は別です。作戦行動には何よりエネルギーが必要ですからね。早くこれ(特製カレー)を全部綺麗に片付けてから、砂漠に乗り込みましょうよ!」

 

「そうね! 私も一千万……じゃなかった、お宝探しを完遂する体力をつけるために、今のうちにがっつり食べておくわよ! ………って、ちょっと、お鍋の中身がほとんど残ってないじゃない!?」

 

セリカが意気揚々と自分のお皿を差し出した瞬間、視界に入ったのは、先ほどまでなみなみと注がれていたはずのカレーが底をつきかけている、非情な現実だった

 

「はひゃいものがひだよ(早い者勝ちだよ)……もぐもぐ、ごっくん。……ふぅ、戦場では一瞬の迷いが命取りですからね」

 

「アンタが迷いなく食べ尽くしただけでしょ!!」

 

先ほどまで「主役なのに一番働かされた」と憤慨していたセリカの不満は、一千万という魔法の言葉の響きによって、今や綺麗さっぱり砂漠の彼方へと消し飛んでいた。なりふり構わずスプーンを動かして残りのルーを争奪し合う二人を見て、ユメは少しだけ引き攣った笑みを浮かべながら安堵の溜息を漏らす

 

(……あ、でもホシノちゃん。それ。さっきまでお鍋いっぱいに入ってたはずのカレー、冷静に見て八割くらいは一人で食べてないかな……?)

 

案の定、食べ終わった直後だというのにリスのように膨らみきったホシノの両頬を、セリカが横からガシッと掴み取った

 

「ちょっと、食べ過ぎよこの食いしん坊! ほとんど一人で完食してるじゃない!! これから動くんだから、お腹壊しても知らないわよ!?」

 

「ひ、ひふぁいでふ(痛いです)、セリカ……。ふふ、ふふ……でも、これで準備は万全ですよ……」

 

ムニムニと思いっきり引っ張られ、涙目になりながらも満足げな表情を浮かべるホシノ

 

ドタバタと騒がしく、それでいてどこか「未来」への決意に満ちたアビドスの昼下がり

 

少女たちは、深い砂の下に眠る「失われた夢」と、アビドスを救うための「一千万」を目指し、照りつける太陽が待つ大砂漠へと漕ぎ出す準備を始めるのだった




普段後書きとか考えないのでたまには書きますかということで…

前に過去ホシノが現代に来るという話を書いた時に同級生がいたらどんな感じなのかなーってものを感じて欲しくて今回のを書いてみました!その際にこの宝探しは外せないと感じてこの後いろんな事を経験して欲しいと思っていたりします。まぁ何をさせるかなどは決めていませんが…ちなみにセリカ一人で来たのにも理由があったりします
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