セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話   作:気弱

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アビドスの看板娘 セリカ 誕生!?

灼熱の太陽が容赦なく照りつける、アビドス大砂漠のど真ん中

 

かつては豊かな緑と水を湛え、「大オアシス」と呼ばれ誇り高く存在していた場所も、今や見渡す限りの死の世界――果てしない砂の海へと変貌していた。その過酷な熱砂に膝まで埋まりながら、二人の少女たちは、手にしたスコップを狂ったような手つきで動かし続けていた

 

カチン、と乾いた音を立てて弾かれる虚しい石の感触。そして、掘り返したそばから無情にも流れ落ちていく、サラサラとした砂の音。それだけが、絶望的な静寂に包まれた砂漠の中に、空虚に響き渡っている

 

「……ねぇ。ホシノちゃん……セリカちゃん……。あ、あのね……」

 

ユメが、砂と汗にまみれた額を腕で拭い、今にも消え入りそうな声で口を開いた。その瞳からは、出発する際に宿っていた「一千万のお宝への確信」という名の爛々とした輝きが、熱気に当てられた雫のように、一滴、また一滴と漏れ出すように消え失せていた

 

「言わないでください、ユメ先輩! 余計な言葉はいりません……っ! 私たちだって、もう……薄々どころか、確信を持って感じてますから……っ!」

 

短く切り揃えられたピンクの髪を振り乱し、ホシノが酸素を求める魚のように喘ぎながら叫び返した。キツめの双眸は血走らんばかりにギラついており、肩を激しく上下させながらも、スコップを握る手だけは頑なに止めようとしない

 

滝のように滴り落ちる汗が、熱せられた砂に吸い込まれては一瞬で消えていく。その執念は、もはや「希望」ではなく「意地」に近いものだった

 

「……そ、そうだよね。やっぱり、そうだよね……。私だけじゃないよね、この底知れない『何も出てこない感』を肌で感じてるのは……。ねぇ、二人とも……そろそろ、やめる……?」

 

ユメの弱気な提案が、陽炎にゆらゆらと揺れる空気の中に、力なく溶けていく

 

実際、彼女たちが掘り起こしたのは、数え切れないほどの小石と、干からびたサボテンの無残な根、そしていつの時代のものかも分からない空き缶の残骸だけだった。一千万どころか、一円の価値もないゴミの山

 

希望という名の熱気は去り、そこにはただ、残酷なまでの「現実」という名の砂が広がっているだけだった

 

「ま、まだです……。まだ、こんなところで、諦めるわけにはいきません……っ! あまりの過酷さに無念にもこの砂漠に散っていった、セリカのためにも……っ!」

 

ホシノが、熱に浮かされたような悲痛な表情で、視線の先をチラリと見やった。そこには、彼女のすぐ横で、ピクリとも動かず大の字になって砂に沈んでいる「何か」があった

 

そこに横たわっていたのは、もはや少女の形をした抜け殻だった。あまりの暑さと、絶望的な重労働に心身を削り取られ、真っ白な灰のように燃え尽きてしまったセリカの姿。薄く開いた口からは、魂(のような白く透き通った何か)がゆらゆらと天に昇りかけており、完全に白目を剥いて意識の彼方へと旅立っている

 

「勝手に殺さないでよ!? 私、まだ……っ、魂の最後の一滴で、ギリギリ生きてるわよ!! もー!!」

 

砂漠の死体のように完全に沈黙していたはずのセリカが、怨念と怒りの混じった絶叫と共に、バネのようにガバッと跳ね起きる。その顔面は砂と汗が混じり合って泥遊びの後のようにドロドロになり、黒色の髪には、さっきの掘削作業で飛んできたであろう小さなサボテンのトゲが、勲章のようにいくつも突き刺さっていた

 

「やっぱり、最初から最後までガセネタだったじゃないのよぉぉ!! 一千万なんて、ただの夢のまた夢……砂漠が見せた幻覚だったのね! 私の、私の一日分の貴重なカロリーと体力を今すぐ返しなさいよ!!」

 

怒りという名の劇薬を心臓に直接打ち込み、生命力を再点火させたセリカが、行き場のない憤りを砂にぶつけて猛烈に蹴り上げる。その、瀕死からの凄まじい復活劇と激しい咆哮を目の当たりにして、ユメは驚きに目を白黒させながらも、頬を引き攣らせて力なく笑うしかなかった

 

「あはは……。セリカちゃん、すごい生命力だねぇ。やっぱり若いっていいなぁ……」

 

「……2歳しか違いませんよね?」

 

その言葉も虚しく、熱波は三人の絶望をあざ笑うかのように、ただ静かに、そして激しく砂漠を包み込み続けていた

 

灼熱の太陽から一時的に逃れるように、3人はホシノがどこからともなく取り出した、アビドス高校のロゴが薄く剥げかけた巨大なパラソルの下へと逃げ込んだ。熱せられた砂から放射される熱気が、わずかな影の中にまで容赦なく這い上がってきて、彼女たちの体力をじわじわと削り取っていく

 

「……ひぃん。みんな、ごめんね……。私のせいで、こんな砂まみれに……しかも、一円にもならない作業をさせちゃって……」

 

まだ冷たさの残るスポーツドリンクのペットボトルを、熱を持った額に押し当てながら、ユメが消え入りそうな声で謝罪を口にする。その隣で、全身の水分と気力を使い果たして砂の上にへたり込んだセリカが、幽霊のように力なく首を振る

 

「……気にしないで。もう、先輩を怒る気力すら残ってないわよ。……一千万なんて、そんな甘い夢を本気で信じた私たちが馬鹿だったのよ、きっと……」

 

「でも……一体どこで間違えちゃったのかなぁ。生徒会室の机の奥で見つけた、あの古びた宝の地図の座標は、間違いなくこの『旧大オアシス跡地』の中心を差してたのに。どれだけ必死に掘っても、出てくるのは角の取れた石ころと、干からびたサボテンの根っこ、それにお菓子のゴミだけだなんて……」

 

重苦しい溜息をつきながら、ユメが絶望に打ちひしがれてうなだれる。すると、ぬるくなったドリンクのストローをギュッと噛み締めながら、ホシノが冷淡な、けれどどこか自虐的な響きを含んだ声を被せる

 

「……どこで間違えたか、ですか? そんなの、ユメ先輩が根拠も何もない『古代アビドスの秘宝伝説』なんていう、怪しさ満点の胡散臭い計画を持ち込んできた、その瞬間からに決まってるじゃないですか。冷静に考えれば、そんな都合のいい話、落ちてるわけないんですよ」

 

「うぐっ……! そ、それを直球で言われると、ぐうの音も出ないよぉ……」

 

物理的な衝撃を受けたかのように胸を押さえて悶絶するユメ。だが、セリカはそんな彼女を庇うように、あるいは自分たちの浅ましさを呪うように、乾いた笑いを漏らして空を見上げた

 

「……もういいわよ、先輩。私たちだって、その『一千万』っていう魔法の言葉を聞いた瞬間に、目を輝かせて尻尾を振って、この無謀な計画に乗ったんだから……。結局、目先のお金に目が眩んだ私たち全員、同罪よ」

 

「……うう、セリカちゃんまで、そんな悲しいこと……」

 

二人の正論による無慈悲な挟み撃ちに、ユメは灼熱の砂に焼かれるトカゲのように小さくなって縮こまった。しかし、セリカはふと、先ほどからずっと喉の奥に引っかかっていた、最大かつ根本的な「違和感」を爆発させるべく、飲みかけのドリンクを砂の上に置き、、ぶるぶると震えるユメと、あさっての方向を向いて無関心を装うホシノの二人を見る

 

「……それより。私、一言だけ、どうしても二人に……特にユメ先輩に聞きたいことがあるの」

 

「え? な、なにかな、セリカちゃん。そんな、鬼みたいに怖い顔して…ホシノちゃんみたいだよ…?」

 

ユメが完全に腰が引けた状態で首を傾げ、ホシノも「なんですか、藪から棒に。暑苦しいですよ」と、気だるげに片目だけを開けて応じる。セリカは、熱を帯びた砂を蹴立てて立ち上がると、自分たちが今身にまとっている「現在の格好」を、指が折れんばかりの勢いでこれでもかと指差しながら、静まり返った大砂漠を切り裂くような怒声を張り上げる

 

「なんで私たち、さっきから当たり前のように『水着』を着て作業してるのよーーーっ!!」

 

その魂の絶叫は、陽炎の向こう側、地平線の彼方まで虚しく、そしてあまりにも切実に響き渡った

 

「宝探しなら! 普通の制服か、せめて動きやすい体操服でいいでしょ!? なんでわざわざ、こんな露出狂みたいな格好に着替えたのよ! 見なさいよ周りを! 湖なんて一滴どころか湿り気すらありゃしない、ただの干からびた地獄じゃないの!! 誰かに見られたら恥ずか死ぬわよ、こんな格好でスコップ振り回してるなんて!!」

 

「ひ、ひぃん……! ご、ごもっともです……。よく考えたら、やっぱり水着は一ミリも必要なかったみたいだね。ごめんね、二人とも……。せっかくセリカちゃんの予備の分まで、真っ暗な備品倉庫の奥から一生懸命探してきて、ホシノちゃんにも『絶対こっちの方がお宝探しっぽいよ!』って説得したのに……」

 

砂の上にぺたんと座り込み、ユメは申し訳なさそうに両手の指先を合わせ、所在なげにモジモジと身体を揺らした。その大きな瞳には、自分の思慮の浅さと、無駄に消費させた後輩たちの自尊心を本気で悔やむような、潤んだ光が宿っている

 

「……えっ。ユメ先輩、もしかして、何の戦略的意図も、深い意味も……本当に何もなく、ただの『ノリ』と『雰囲気』だけで私たちを着替えさせたんですか!? なんでこの、一歩間違えれば遭難するレベルの過酷な砂漠のど真ん中で、防御力の欠片もない水着をチョイスしようと思ったんですか!?」

 

ホシノが、驚愕のあまり飲んでいたドリンクを吹き出しそうになりながら声を荒らげた。普段は冷静沈着を気取り、一年生ながらに「対策委員会(当時は生徒会)」の武闘派として鋭い眼光を放っている彼女も、この時ばかりはパラソルの下で目を丸くし、自分の肩にかかった水着のストラップを忌々しそうにパチンと弾いた

 

「だって……だってぇ! ここは元々、アビドスでも一番大きな湖だった場所でしょ? 伝説のお宝を掘り起こした瞬間に、古い封印が解けて地下からドカン! と、こう……大量の水が溢れ出してきて、あたり一面がキラキラした水辺に戻るかなって……。そうなった時に、すぐ泳げた方が楽しいでしょ……? 準備万端なほうがいいかなって……」

 

ユメは両手を広げて大きな身振り手振りを加えながら、頬をリスのように膨らませ、上目遣いで必死に訴えた。彼女なりに、お宝発見の感動と、失われたオアシスの復活という「最高にハッピーで奇跡的な結末」を、一点の曇りもなく本気で想定していたのだ

 

その、あまりにもお花畑全開で、科学的根拠を砂漠の彼方へ放り投げた、けれどどこまでも純粋すぎるユメらしい「夢」を聞かされた瞬間――

 

「「そんな都合のいいこと、あるわけないでしょ(ですよ)!!」」

 

「ひぃん!息ぴったりだよ…!」

 

セリカとホシノの叫びが、事前の打ち合わせなど微塵もなかったはずなのに、完璧なタイミングと音程で重なり、静まり返った大砂漠の空気をビリビリと震わせた

 

「あのね、ユメ先輩!地質学的にも物理学的にも、スコップ一本で適当に掘り返したくらいで地下水が噴き出すわけないでしょ!妄想も大概にしなさいよ!」

 

セリカが、砂にまみれた拳を振り上げながら、逃げ場のない正論を叩きつける。その勢いは、照りつける太陽よりもなお熱い

 

「そうですよ!そもそもお宝と水脈は別物です!先輩のその無駄にポジティブすぎる想像力のおかげで、私たちは今、砂漠の真ん中でただの変な格好をして必死に砂を掘ってるだけの、救いようのない不審者集団ですよ!」

 

ホシノもまた、普段のどこか冷めた態度をかなぐり捨て、鋭い視線をユメへと向けた。一年生らしいトゲのある、それでいてユメの突飛な言動に振り回され慣れてしまった者の、切実な叫びである

 

「ひぃんっ!ご、ごめんなさいー!二人ともそんなに声を揃えなくてもいいじゃない!私、ただみんなで『やったー!』って言いながらパチャパチャお祝いしたかっただけなのー!」

 

息の合った二人の猛烈なツッコミという名の熱波に晒され、ユメは耳を塞いでウサギのように小さくなって縮こまった。その姿は、生徒会長としての威厳など微塵も感じさせないが、どこか憎めない愛嬌に満ちている

 

「……はぁ。もう、全力でツッコむのも疲れ果てたわ……」

 

セリカが糸の切れた人形のように、ぐったりと砂の上に寝転がった。熱せられた砂の熱が水着越しに伝わってくるが、もはやそれを不快に思う気力すら残っていない

 

「全くです……。先輩の『夢』に付き合うには、水着よりも先に強靭な精神力が必要でしたね……」

 

ホシノも深いため息をつき、パラソルの下には気まずくも、どこか肩の力が抜けたアビドスらしい奇妙な静寂が再び訪れた

 

遠くで陽炎がゆらゆらと揺れ、砂漠の静寂を吸い込んでいく。シュンと目に見えて肩を落とし、砂の上に指先で「の」の字を書きながら猛省(?)しているユメ。その少し離れた場所で、セリカはパラソルの影に身を潜めながら、隣に座るホシノの方へと顔を寄せた

 

「……ねぇ、ホシノ先輩。ちょっと気になったんだけど……。ユメ先輩って、いつもあんな感じなの? あからさまに無鉄砲で中身のない計画ばかり立てて……それにつき合わされるのが、日常なの?」

 

呆れを通り越して、もはや純粋な学術的疑問に近いトーンで問いかけたセリカに対し、ホシノは今日一番の深く、そして重たい溜息を吐き出した。その吐息は、砂漠の熱風よりも重苦しく湿っている

 

「そうですよ……。あの人は、脳裏をよぎった思いつきを、その瞬間に『全人類の幸福に繋がる至高のアイデア』へと昇華させて、そのまま無策で実行に移す天才ですからね。……この前なんて、どこからか『ご飯が永久に食べられる魔法のカードがある』なんて眉唾な噂を聞きつけてきて、どう見ても食べきれるわけがない特盛ラーメンの大食いチャレンジに突撃したんですよ。……もちろん、私の忠告なんて一秒で聞き流して」

 

「……それで、どうなったの?」

 

「決まってるじゃないですか。開始三分で『ひぃん、もうお腹いっぱいで動けないよぉ……助けてホシノちゃん…』って涙目になってギブアップ。……結局、残された山のような麺とチャーシューを、全部、私が処理させられたんです」

 

「……あはは。ホシノ先輩も、相当……っていうか、想像を絶する苦労をしてるのね……。なんだか、他人事とは思えないっていうか、猛烈な親近感が湧いてきたわ……」

 

セリカが遠い目をして、共感のあまりガックリと肩を落とすと、その言葉に含まれた重すぎる「実感」に、ホシノの鋭い瞳がピクリと動いた

 

彼女は珍しく、砂漠に落ちていた「得体の知れない後輩」であるセリカに対して、ただの警戒心ではない、個人的な興味を孕んだ視線を向けた

 

「……『も』? セリカ、貴女のいた場所……いえ、貴女の知っている『先輩』も、何かとんでもないことでもやらかしたんですか? その言い草、まるで私と同じ苦労した経験があるみたいですけど」

 

ホシノの射抜くような視線がセリカを捉える。ホシノ特有の鋭利な警戒心と、同じ「苦労人」の匂いを嗅ぎ取った微かな同族意識。セリカは一瞬、言葉に詰まった。今はまだ「セリカの知っているホシノ」の欠片もない目の前の少女が、将来どれほど奔放に自分を振り回すことになるか。それを正直に伝えるわけにはいかない

 

「え? あ、いや……私のところの先輩は……そうね。とにかく行動力が極端っていうか、常識の枠組みが物理的に破壊されてるっていうか……。一番のトラブルメーカーは、事あるごとに『銀行強盗』を日課のジョギング感覚で提案してくるような人だったわね。……あ、もちろん冗談じゃなくて、覆面まで用意して本気でね」

 

「…………はぁ!?」

 

ホシノの口から、これ以上ないほど素っ頓狂な驚愕の声が漏れた。普段は冷徹な一年生の「狂犬」として振る舞い、砂漠の過酷な環境下でも鉄の仮面を崩さないはずの彼女が、持っていたドリンクのボトルを砂の上に落としそうになるほど激しく動揺している。

 

「ぎ、銀行強盗……!? しかも日課!? ちょっと、貴女のいた場所は修羅の国か何かですか!? 私のところのユメ先輩も大概ですけど、それは流石に次元が違いすぎますよ! 犯罪じゃないですか、それ!」

 

「そうなのよ! 止めるこっちの身にもなってほしいわよ……。でも、それだけじゃないわ」

 

セリカは一度堰を切ると止まらない、未来の「対策委員会」での苦労の数々を、名前を伏せたまま吐き出し始めた

 

「他にも、私を無理やりアイドルにするために、あの無敵の笑顔のまま『セリカちゃ〜ん、逃げても無駄だよ〜?』って校内中を追いかけてくる先輩とか……。あとは、とにかくお昼寝がしたいからって、山積みの書類を私ともう一人の一年生の女の子に全部押し付けて、『あつ〜い、おじさんもう動けないよぉ〜』なんて言いながら、自分は特大のクジラクッションに顔を埋めてスヤスヤ寝ちゃうような先輩も居たわね」

 

セリカはこめかみを指の腹で強く押さえ、次々と溢れ出す「未来の苦労話」の濁流に、遠い目をして頭を抱えた。その光景は、単なる愚痴を超えて、長年積み重なってきた深い疲弊を物語っている。だが、その声の端々には、そんな理不尽な先輩を放っておけないという、どこか切っても切れない腐れ縁のような、深い情愛が滲み出ていた

 

「……何なんですか、その……。アイドルに、おじさん自称の怠け者……。貴女の周り、まともな神経の人が一人もいないんですか?」

 

ホシノは引き攣った笑いを浮かべながらも、自分以上の「被害者」を目の当たりにしたことで、妙な連帯感を感じ始めているようだった。

 

「……アイドルの方は、正直言って何を企んでいるのか理解の範疇を超えていますけど。サボるためだけに、自分たちの責任である仕事を後輩に一方的に押し付けるような先輩は、教育上も組織運営上も、お世辞にもろくな人間じゃありませんね。そんなの、先輩としての風上にも置けませんよ。私なら、そんな無責任な真似、天変地異が起きてもあり得ません。もし私がそんな風になったら、その場で私を砂に埋めていいですよ」

 

ホシノは、冷徹なまでの正論を吐き捨てた。その瞳には、規律を乱す不真面目な輩に対する、年相応ではない鋭い軽蔑の光が宿っている

 

(……いや、後半はアンタのことなんだけどね!? 未来のホシノ先輩、今その言葉が特大のブーメランになって、2年後の自分に音を立てて突き刺さってるわよ!)

 

喉元まで出かかったそのツッコミを、セリカは必死の思いで飲み込んだ。目の前で「ろくな人じゃない」と断言している凛々しい彼女が、2年後にはまさにその「ろくな人じゃない」言動の権化となる。セリカは、そんな未来を知らない今のホシノを、憐れみと懐かしさが入り混じった、何とも言えない複雑な眼差しで見つめ返すしかなかった

 

「? ……な、なんですか。さっきから、妙に憐れむような、あるいは遠くを見るような変な視線を向けて。私の顔に、何かサボテンのトゲでも着いていますか?」

 

ホシノが不審そうに眉をひそめ、自分の頬をペタペタと触りながら小首を傾げる。その仕草はまだ幼く、今の彼女からは想像もつかないほど未来の彼女は「だらけた先輩」として完成されているのだ

 

「……ううん。トゲっていうか、なんというか……。ただ、アンタも将来、今の自分に全力で謝りたくなる日が来るかもしれないなーって思っただけよ。特大のブーメランを背負ってね」

 

「……はぁ? ますます意味が分かりません。私はいつだって全力でアビドスのために行動しています。仕事を押し付けるなんて……絶対に、あり得ませんから。安心してください」

 

(その『絶対に』が、わずか2年後にはクジラクッションの柔らかさと怠惰な微睡みの中に溶けて、跡形もなく消え去るのよ……。あんなに堂々と、今の自分を裏切るような発言をしちゃって……)

 

セリカは、胸の奥に渦巻く特大のツッコミと、未来で自分を散々振り回す「おじさん」への複雑な感情を、深すぎるため息と一緒に砂漠の熱気へと吐き出した。目の前でキリッとした表情を崩さないホシノは、自分の言葉がどれほどのフラグになっているか、露ほども気づいていない

 

「……セリカ。貴女が突然教室に現れた時は、正直、どこから来たのかも分からないし、得体の知れない不審者として一生信用することはないだろうと思っていましたけど……」

 

ホシノが、ドリンクのボトルを砂に置き、パラソルの影からセリカの瞳をまっすぐに見つめた。砂漠の熱風に短く切り揃えられたピンクの髪をなびかせながら、彼女の唇に、今日初めて見るような、どこか吹っ切れた柔らかい笑みが浮かぶ

 

「……どうやら『救いようのないダメな先輩に振り回される、報われない苦労人』という一点においては、私と貴女は驚くほど気が合うみたいですね。地獄の底で同じ釜の飯を食ったような、妙な連帯感を感じますよ」

 

ホシノはそう言うと、年相応の少女性を感じさせる微かな気恥ずかしさを隠すように、細く、けれど数々の修羅場を潜り抜けてきた自負の宿る片手を、セリカの方へと差し出した。それは「監視対象」としての境界線を越え、同じ痛みを分かち合える「仲間」としてセリカを認めた、ホシノなりの不器用で最大の歩み寄りだった

 

「ふふ、そうね。……どこの先輩たちも、どいつもこいつも揃いも揃って型破りで、常識を砂漠の彼方に放り投げてるってことに関しては、完全に同意するわ。そこだけは、私とアンタは……心の底から、全く一緒よ」

 

セリカは、その小さくも力強い手を迷うことなくギュッと握り返した

 

夕暮れが砂漠の地平線を鮮やかなオレンジ色に染め上げ、影が長く伸びていくドラマチックな光景。その情緒的な空気の中で、一年生二人の絆がかつてないほど深まっていく傍ら、完全に会話の輪から弾き出されていたユメは、寂しそうに唇を尖らせていた

 

彼女は自分の居場所を探すように、足元に置いていた砂まみれのボロボロのバッグをガサゴソと必死に漁り始め、そして中か使い込まれて端が丸まった一冊のノートを取り出す

 

その表紙には、独特すぎるゆるいタッチで描かれたバナナのキャラクターが鎮座しており、その上には『たのしいバナナとり』という、切迫したアビドスの現状からはおよそ想像もつかない脱力感を誘うタイトルがデカデカと書き殴られていた。ユメはそのまま無言でペンを走らせ、何事かを猛烈な勢いで、時に「ふふっ」と怪しい笑みを漏らしながら書き込み始めた。

 

「……ユメ先輩。今度は一体、何を取り出したんですか? その、持っているだけで精神を逆撫でされるような、IQの低そうなタイトルのノートは」

 

ホシノが、地を這うような低い声とジト目でその手元を覗き込む。しかし、ユメはノートを大事そうに抱え込むようにして、子供っぽくプイッと顔を背けた

 

「ふんだ! 二人が寄ってたかって私を仲間外れにして、ひどい先輩の話で盛り上がるから……。今日のこの悲しい出来事と、これからもっともっと、私たちが『宇宙一仲良しになるための改善案』を、しっかりこの反省ノートに刻んでおこうかなって思ったの! 題して、アビドス絆大作戦だよ!」

 

「ちょ!? ちょっと待ってください、ユメ先輩! 何をそんな熱心に書き殴ってるのかと思えば……。そんな、後世に残す価値も、アビドスの歴史に刻む価値も一ミリだってないような本日の大失敗を、わざわざ文字にして、しかも図解付きで残さないでくださいよ! 黒歴史の永久保存版じゃないですか!」

 

ホシノが慌てて身を乗り出し、ユメの手元にある『たのしいバナナとり』ノートをひったくろうと必死に手を伸ばす。しかし、ユメは「あはは、捕まえてごらーん!」と、砂漠で鍛えた(?)身のこなしでそれをひらりと躱し、何やら確信犯めいた悪戯っぽい笑みを浮かべながら、さらさらとペンを走らせ続けた

 

そのドタバタ劇を横から呆れ顔で眺めていたセリカだったが、ふと風に煽られてめくれたノートの隅に書かれた「ある一文」が不意に視界に飛び込んできた

 

「ちょっと! なんでそこ――『後輩と一緒に水着を着て必死に砂を掘った』なんて、人生最大級の黒歴史まで詳細に書き込んでるのよ!? しかもご丁寧に『恥ずかしがってるセリカちゃんがとっても可愛かった』なんて余計な注釈まで添えて! 修正しなさい、今すぐその部分を砂漠の砂で削り落としなさいよ!」

 

セリカの絶叫が、夕暮れの空に吸い込まれていく。二人の後輩からの猛烈な抗議の嵐を浴びながらも、ユメはどこか遠くを見つめるような、それでいて深い慈愛に満ちた瞳で『たのしいバナナとり』ノートをぎゅっと抱きしめた

 

「ダメだよ!これは生徒会長としての……ううん、アビドスの『今』を守る者の義務というかさ。こうして大失敗したことも、みんなで馬鹿みたいに笑い合ったことも、全部書き残しておけば、きっと後々……何年か経った時に、二人の役に立つ日が来ると思うんだよ」

 

ユメは慈しむような笑顔で、パラソルの外に広がる黄金色の砂漠を見つめた

 

「ほら、いつか辛いことがあった時にさ、これを見返して『あんな馬鹿なことしたなぁ』って、三人で笑い合えるような……そんな心の支えになる気がするんだ。未来の自分たちへの、贈り物みたいなものかな」

 

感動的なBGMでも流れ出しそうな、ユメの精一杯の「いい話」。しかし、それを待っていたのは感動の涙ではなく、冷酷なまでの現実だった

 

「「……一ミリも役に立ちません(わよ)!!」」

 

「ひぃん! 即答! しかもハモったぁ!」

 

ユメがもっともらしい顔で紡いだ言葉を、セリカとホシノの鋭い拒絶が物理的な衝撃となって遮った。あまりにも完璧すぎるユニゾンでの否定に、ユメはついに力尽きたように砂の上に突っ伏し、もごもごと砂を噛むような情けない声で嘆き始める

 

「ひぃん……。私の渾身の『未来への贈り物』が、一瞬で不燃ゴミ箱行きだよぉ……。それに、後輩たちが私を仲間外れにして、私をイジることでどんどん絆を深めて仲良くなってる……。嬉しいような、でもやっぱり寂しいよぉー……」

 

「……先輩、そんなところでいじけてないで、さっさと立ち上がってください。これ以上砂の上で転がってたら、水着の隙間に砂が入り込んで、後で絶対に後悔しますよ。……というか、もう入り込んでるでしょう?」

 

短髪のホシノが呆れたように、けれど拒絶とは裏腹に優しい手つきでユメに手を差し伸べた。その隣で、セリカも「ほら、さっさと帰るわよ。このままだと、お宝の代わりに私たちが熱中症の『行き倒れ』として見つかることになっちゃうわ」と、ユメの背中をポンと叩く

 

重い足取りを引きずりながら、夕闇に溶け始めたアビドスの街を三人の影が歩いていく

 

校舎のシャワーでようやく砂のざらつきを洗い流し、砂まみれの水着を脱ぎ捨てて、慣れ親しんだ制服に着替え終わった頃には、空は燃えるような茜色から深い群青へと溶け込み始めていた。一千万という儚い夢を追いかけ、一日中熱砂を掘り続けた疲労は、心地よい気だるさとなって彼女たちの肩に重くのしかかっている

 

校門を出て、重い荷物を抱え直して歩き出した、その時だった

 

「ううー……さ、さむー……っ」

 

ユメが両腕を抱きしめ、大袈裟なほどに身を震わせた。数時間前まで自分たちの体力を奪い続けていたあの暴力的な熱気は、太陽が地平線に沈むと同時に嘘のように消え去り、代わりに芯まで冷えるような凍てつく夜気が砂漠の街を支配し始めている

 

「さっきまではあんなに暑かったのに……今度は一転して寒すぎるわよ……! 風邪引いちゃうじゃない、もう……っ!」

 

セリカが制服のカーディガンをきゅっと合わせ、不満げに肩をすくめる。昼間の火傷しそうな熱砂とのあまりのギャップに、肉体も精神も悲鳴を上げていた

 

「仕方ないですよ、砂漠とはそういうものなんですから。文句を言っても太陽は戻ってきません。さっさと歩いて体温を上げましょう」

 

短髪のホシノは冷たい風に目を細めながらも、一年生らしい淡々とした口調で正論を述べる。しかし、その耳たぶは寒さで少し赤くなっており、彼女もまたこの急激な気温の変化に少なからず参っているようだった

 

砂漠特有の過酷な寒暖差に文句を言い合い、足早に自宅への道を急ごうとした、その時

 

「ギュ~~~~~……ッ!!」

 

静まり返った夕暮れの街道に、なんとも情けない、けれど驚くほど生命力に溢れた腹の虫の音が鳴り響いた

 

三人の足が、ピタリと止まる

 

音の出所は、あまりの空腹に、もはや歩くことすらままならなくなったユメのお腹からだった。彼女は顔を真っ赤に染めながら、自分のお腹を恥ずかしそうに両手で押さえ、力なくへなへなと道端にしゃがみ込んでしまった

 

「あはは……。やっぱり、あんなに動いたから、正直にお腹が空いちゃったぁ」

 

ユメが照れくさそうに、けれどどこか確信犯めいた茶目っ気のある笑顔を浮かべ、ぺたんとお腹をさすった。その無防備で屈託のない笑顔は、砂漠での空振りに終わった重労働を、一瞬で「楽しい思い出」へと塗り替えてしまうような不思議な力がある

 

そんな先輩の姿を見て、セリカの胸の内に、ある「温かい風景」が鮮明に浮かび上がった。未来では失われてしまった、けれど自分の身体が覚えているあの場所

 

「……そういえば。私、ちょっと寄ってみたいところがあるのよね」

 

「行きたいとこ? セリカちゃんが自分から言い出すなんて珍しいね!」

 

「どこですか? 砂漠の真ん中にお宝がなかった以上、今の私たちにとっての財宝は食べ物以外にあり得ませんが」

 

セリカはどこに行くかは告げず、困惑する二人を促すように、自然と足早に歩き出した。未来の彼女にとっては、生活費を稼ぐためのアルバイト先であり、学校以外で唯一、本当の意味で自分をさらけ出せた場所。時には不機嫌な顔で暖簾をくぐり、時には仲間たちと肩を並べて馬鹿笑いをした、文字通り「心の拠点」とも言える場所だ

 

だが、セリカの知る未来において、その「建物」は不運(?)な爆破事件によって瓦礫の山と化していた。建物が消え、大将は屋台を引いて再起を誓い、今はもう跡形もなくなってしまった悲しい空き地が、彼女の記憶の中の風景だった

 

(……ちゃんと、形としてあるわよね……?)

 

期待と、ほんの少しの恐怖を抱えながら角を曲がった瞬間。セリカの鼻腔を、暴力的なまでに食欲をそそる濃厚な豚骨のコクと、醤油の香ばしい匂いがくすぐった

 

(……! あった……本当に、あった……!)

 

そこには、未来では二度と拝むことができないと思っていた、あの懐かしい**「柴関ラーメン」**の看板が、夕闇の中で温かな電球の光に照らされて誇らしげに掲げられていた。未来で屋台として営業している大将の背中ではなく、どっしりと地に足をつけた店舗としての姿。建物の窓から漏れるオレンジ色の光が、セリカの視界をじんわりと滲ませた

 

「ええーっ! すごい! こんなところに、こんなに可愛くて美味しそうなラーメン屋さんなんてあったんだ! 私、全然気づかなかったよぉ!」

 

ユメが歓声を上げ、子供のようにその場に飛び跳ねて立ち止まる。看板に描かれた愛らしいパンダのキャラクターを指差し、その瞳は夜空の星よりも輝いていた

 

「……ふむ。ココ最近オープンしたばかりのお店だって噂には聞いていましたけど、実物を見るのは初めてですね。うへへ……この匂いだけでお腹が三回、いえ十回は鳴りそうです。看板の『柴関』という文字から、なかなかの硬派さを感じますよ」

 

短髪を揺らしながら、ホシノもいつもより一段と瞳を大きく見開いた。普段は警戒心の強い彼女だが、漂ってくるあまりにも芳醇なスープの香りの前では、その防御壁も脆く崩れ去っているようだ。暖簾の隙間から勢いよく溢れ出す真っ白な湯気は、冷え込んできた夜の空気の中で、まるで手招きをする精霊のように三人を誘っていた

 

セリカは、胸の鼓動が激しく打ち鳴らされるのを感じていた。

 

「……柴関、ラーメン……」

 

セリカは、消え入りそうな声でその名を呟く。

 

未来で失われたはずの風景。自分がアルバイトとして汗を流し、仲間たちと笑い合い、何より守りたかった日常の象徴。それが今、目の前で確かに熱を持って息づいている。湯気の向こうから聞こえる小気味よい麺切りの音や、店主の威勢のいい声が、セリカの鼓動をかつてないほど激しく打ち鳴らす

 

(……よかった。また、この場所で、この暖簾をくぐれる日が来るなんて)

 

「ほらほら、二人とも! 突っ立ってないで入ろうよ。お宝は見つからなかったけど、最高の晩ごはんが見つかったじゃない!」

 

感傷に浸るセリカの背中を、ユメが明るく叩く。未来のアビドスでは建物自体は消失してしまったが、セリカにとっては砂漠のどんな金銀財宝よりも大切な「居場所」がそこにある

 

カランカラン、と乾いた鈴の音が店内に響き、三人が暖簾をくぐると、そこには立ち込める湯気の向こうで額に汗を浮かべながら、必死に平ザルを振る大将の姿がある。

 

「いらっしゃい! ……あぁ、ちょっと待ってな、今すぐ片付けるから!」

 

大将は一人で注文を取り、麺を茹で、さらには会計までこなしており、その動きはどこか余裕がなく慌ただしい。未来でセリカが知っている、どんなに混んでいても動じない泰然自若とした姿とは少し違う、開店直後の初々しさと必死さが同居した「大将」がそこにはいた。

 

三人は空いているカウンター席に腰を下ろすと、壁に手書きで貼られた品書きの中で一番大きく書かれた「オススメ!特製柴関ラーメン」を三人前注文する。

 

しかし、そこからが長い戦いだった。

 

「……お腹と背中がくっついて、そのまま砂漠の砂に還りそうです……」

 

短髪を揺らしながらカウンターに突っ伏したホシノが、消え入りそうな声で零す

 

「ひぃん……。お腹が空きすぎて、なんだかラーメンの湯気が黄金色のお宝に見えてきたよぉ……。キラキラしてる……幻覚かなぁ……」

 

ユメも力なく首を振り、幽霊のような声を漏らしてぐったりと揺れている

 

十分が過ぎ、十五分が経過する。お宝探しという名の過酷な重労働で体力を使い果たした二人にとって、立ち上るスープの香りを嗅ぎながら待つこの時間は、砂漠を歩くよりも過酷な試練となっていた

 

そんな二人を横目に、セリカは厨房の中をじっと見つめる。注文の順番が前後しそうになり、山積みになった洗い物に一瞬立ち尽くす大将。

 

(……そうよね。この時代の大将は、まだたった一人でこの店を切り盛りしているんだわ。ホールも厨房も、洗い場だって一人。注文が重なれば、どれほど手際が良くても物理的に回らなくなるのは必然よ。仕方ない、今はただの客として大人しく待つしかないのよ……)

 

セリカは膝の上で拳を握りしめ、必死に自分を宥めようとする。しかし、視線の先で繰り広げられる光景が、彼女の「プロのバイト意識」を容赦なく逆撫でする

 

「あの、すみません! こっちの注文、まだですか!?」

 

「あぁ、悪い! 今やってるから、もうちょい待ってくれ! すぐ出すから!」

 

重なる催促に、大将の動きが目に見えて焦りを帯びる。平ザルを持つ手がわずかに震え、あわやスープをこぼしそうになる。その瞬間、セリカの中で張り詰めていた「何か」が、音を立てて弾け飛んだ。

 

未来のアビドスで、廃校寸前の危機を救うために数え切れないほどのシフトをこなし、アビドス復興資金の一円一銭を稼ぎ出すために心血を注いできた日々。あの過酷な労働の中で身体の芯まで染み付いた「最強のバイト魂」が、理屈や時間軸の矛盾を軽々と飛び越え、猛烈な勢いで燃え上がってしまったのだ

 

「……もう、見てられないわね!」

 

ガタッ! と、座っていた丸椅子を蹴るような勢いでセリカが立ち上がる。そのあまりの気迫に、隣で机に突っ伏していた二人が、弾かれたように顔を上げた

 

「ちょっと、セリカちゃん!? どこ行くの!? トイレならあっちだよぉ!」

 

「セリカ……? まさか、空腹のあまり理性を失って、厨房を武力で襲撃するつもりですか……?」

 

背後から飛んでくるユメの困惑とホシノの戦慄混じりの声を余所に、セリカの足取りに迷いはない。彼女はまるで、ここが自分の家であるかのような慣れた足取りで厨房の脇にあるスタッフルームへと突き進んでいく

 

「ちょっと! アンタ何やって……!」

 

店主が驚いて声を荒らげるが、セリカはそれを鋭い眼光で制した

 

「大将!予備の制服、借りるわよ!文句は後!」

 

「おう!?……って、おい!誰だお前!一般人は入っちゃ……!」

 

困惑し叫ぶ大将の声など、セリカの耳には届かない。彼女は驚異的なスピードでサイズを合わせ、わずか一分も経たずに、見慣れた「柴関ラーメン」の制服と前掛けを完璧に着こなして厨房から姿を現した。そのあまりの馴染み具合に、店内の風景がパズルの最後のピースがはまったかのような、奇妙な調和を見せ始める。

 

「ちょ、ちょっと!セリカちゃん、何やってるの!?その格好、似合いすぎじゃない!?というか、最初からその店員さんだったみたいだよぉ!」

 

「着替えのスピードが特殊部隊の潜入任務並みですよ……。あの淀みのない動き、年季の入り方が尋常じゃありません……」

 

二人が目を丸くして固まる中、セリカは呆然と立ち尽くす大将の前に立ち、凛とした声で言い放った。その背中からは、未来で幾多の困難を乗り越えてきた「看板娘」としての揺るぎないプライドが立ち昇っている

 

「大将!貴方は麺を茹でて、スープを作ることに専念して!私がフロアと盛り付けの補助、全部回すから!無駄口叩いてる暇があったら、平ザルを動かしなさい!」

 

「お、おう……!?分かった、任せたぜ、嬢ちゃん!」

 

セリカの放つ、理屈を超えた圧倒的な「熟練者」のオーラ。大将は名前すら聞かぬまま、その眼光に気圧されるように反射的に頷いてしまった

 

そこからのセリカは、まさに疾風怒濤だった。彼女が厨房を、そしてフロアを支配した瞬間、店内の空気感そのものが劇的に変貌を遂げる

 

「一五番テーブル、特製上がり!盛り付け、ネギ多めで行くわよ!大将、チャーシューの切り置き切らしてるわ、補充しておいて!」

 

「三番さん、お待たせしました!こちら餃子になります!醤油とラー油はあちらをどうぞ。熱いから気をつけてくださいね!」

 

無駄のない洗練された動線、正確無比なオーダー管理、そして客を一秒たりとも待たせない的確な配膳。混乱の極致にあった店内の空気は、セリカという一つの「秩序」が加わったことで、まるで魔法にかけられたかのように改善されていく

 

(……この感覚。やっぱり、ここが私の戦場なんだわ!)

 

セリカの脳内には、未来の柴関ラーメンで叩き込まれた全マニュアルが完璧な状態で展開されていた。どの客が何を頼み、どのテーブルの水が切れているか、どのタイミングで会計が重なるか――そのすべてを予見し、先回りして動く

 

滞っていた注文はあっという間に捌かれ、店内には殺気立った焦燥感の代わりに、心地よい活気と食事を楽しむ客たちの満足感が満ち溢れていった

 

「ふぅ……。これで一段落ね」

 

セリカは額に浮いた微かな汗を、制服の袖で無造作に拭う。その動作一つをとっても、無駄がなく、流れるような美しさがあった。最後に残った二つの丼を、まるであつらえたかのような正確さでカウンターの所定の位置へと置く。黄金色に輝くスープの表面には、大将こだわりの背脂が美しく散り、その上には低温でじっくり仕上げられたチャーシュー、絶妙な半熟具合の味玉、そして磯の香りが立ち上る海苔が、黄金比とも呼べる完璧な角度で添えられていた

 

「はい、お待たせ! 特製柴関ラーメン三丁、上がりよ!」

 

「わあぁ……! セリカちゃん、すごすぎるよぉ! 初めて入ったお店なのに、どうしてそんなに迷いなく、まるで魔法みたいに動けるの!? 注文を取る声も、どんぶりを運ぶ足取りも、まるでお店の一部……ううん、お店そのものみたいだったよ!」

 

ユメが身を乗り出し、宝石でも見つけたかのような驚きと深い尊敬が入り混じった眼差しでセリカを見つめる。その隣では、ホシノが既に割り箸をパチンと割りながらも、その片方の鋭い眼光をセリカの挙動の隅々にまで向けていた

 

「……初めてにしては、あまりにも手際が良すぎますね。客の誘導からバッシングのタイミング、果てはスープの乳化具合を寸胴の淵でチェックする仕草まで……。まるでもう何年もここで修羅場を潜り抜けてきた『伝説の店員』のような、一切の淀みがない動き。セリカ、貴女……本当は何者ですか? 砂漠の隠れ里でラーメン修行でもしていたんですか?」

 

ホシノの核心を突くような、冷徹かつ的確な推測。セリカは心臓が口から飛び出しそうなほど大きく跳ね上がるのを感じた。未来の自分にとって、この厨房は「家」であり、戦場であり、魂の拠り所なのだから身体が勝手に動くのは当然なのだが、今の自分はあくまで「突然現れた謎の一年生」で通さなければならない

 

「き、気のせいよ! 私はただ、人よりちょっとだけ要領がいいだけ! ほら、大将がまだ奥でバタバタしてるから、私はもう少しだけ残務を手伝ってくるわ。アンタたちは伸びないうちに先に食べてなさいよね!」

 

セリカは耳まで真っ赤に染め上げ、追及を逃れるようにそそくさと厨房の奥へと退散した。背後から「あはは、照れてるのかなぁ、可愛いねぇ」というユメののんきな声と、ホシノの「……怪しいですね」という低く呟く声が聞こえてきて、さらに歩を早める

 

それからしばらくして、店内の喧騒が潮が引くように収まり、夜の静寂が暖簾越しに忍び寄る頃。ようやく自前の制服に着替え直し、前髪を整えたセリカが、「……ふぅ、心地よい疲れだわ」と肩を回しながらカウンターへと戻ってきた。そこには、スープの一滴まで綺麗に平らげられた丼を前に、幸せそうな溜息をつきながら彼女を待っていたユメとホシノの姿があった

 

最後のお客さんも満足げな顔で店を後にし、店内にはアビドスの三人だけが残る。大将は、首に巻いたタオルで額の汗を豪快に拭いながら、まるで生き別れの師匠に再会したかのような感極まった表情で厨房から出てきた

 

「嬢ちゃん! 今日は本当に、本当ぉーーに助かったよ! おかげでいつもより三倍は楽に店が回せた! 正直、お前さんがいなけりゃ今頃店はパンクして俺の心も折れてたところだ……。なぁ、お門違いなのは百も承知で聞くが、もし良かったら、うちの店でバイトとして働いてみないか? 嬢ちゃんなら、時給アップで明日からでも大歓迎だ!」

 

大将は鼻息を荒くして、もはや懇願に近い熱烈なスカウトを開始した。そしてその「誠意」の証として、丼の縁からはみ出さんばかりの分厚いチャーシューがこれでもかと敷き詰められた、特盛のまかないラーメンをセリカの前にドスンと置いた

 

「ええっ、バイト!? セリカちゃん、入店初日にして伝説のスカウトをされちゃったね! 才能の塊だよぉ!」

 

ユメがパチパチと手を叩いて囃し立てる中、セリカは目の前に置かれた、湯気と共に立ち上る懐かしい香りに、ふっと強張っていた表情を緩めた

 

未来でも、過去でも、変わることのないこの匂い。豚骨を長時間煮込んだ濃厚なコクと、キレのある醤油の調和。この匂いを深く吸い込むだけで、時代を超えて一人ぼっちで迷い込んだ不安や、心のどこかにこびりついていた寂しさが、春の雪のように溶けてなくなるのを感じる

 

「……そうね。まぁ、学業に支障が出ない範囲で、たまになら……手伝ってあげてもいいわよ。大将一人じゃ、見てて危なっかしいしね」

 

セリカが少しだけ誇らしげに、ツンとした態度を崩さずに了承すると、大将は「よし! 天は俺を見捨てなかった!」と拳を天高く突き上げ、大喜びで予備の新品の制服一式を「また明日、絶対に来てくれよな!」と強引に彼女の腕に押し付けた

 

「よーし、そうと決まれば今日は解散だ! 砂漠の夜は冷えるからな、気をつけて帰れよ、アビドスの生徒たち!」

 

威勢のいい大将に見送られ、夜の冷たくも心地よい風が吹き抜ける通りへと踏み出す三人。セリカの手元には、ずっしりと重い、未来の自分を象徴する制服の入った袋が握られていた

 

三人が夜の静寂に包まれたアビドスの街路を歩き始めると、街灯の淡い光が、砂漠の冷えた空気の中に三筋の長い影を落とす。昼間の暴力的な熱気が嘘のように引き、肌を刺すような夜風が制服の隙間に入り込むが、お腹を満たした温かな幸福感が、彼女たちの足取りをわずかに軽くさせていた

 

ユメは先程の興奮が冷めやらない様子で、隣を歩くセリカに満面の笑みを向ける

 

「それにしても、今日のセリカちゃんは本当に凄かったね! 注文を捌く時のあの凛々しい声とか、お皿を運ぶ時の軽やかなステップとか……。まるでお店全体を魔法で操ってるみたいだったよ。私、見てて感動しちゃった!」

 

「も、もう……。そんな大袈裟に言わないでよ。ただ、あの大将が一人でパニックになってて大変そうだったから、体が勝手に動いただけだってば……。それに、あそこの厨房、意外と動線が分かりやすかったから、ちょっと見れば誰でもできるわよ」

 

セリカは照れ隠しにマフラーを口元まで引き上げ、逃げるような早歩きで二人の数歩前を行こうとする。その耳たぶが寒さのせいか、あるいは気恥ずかしさのせいか、赤く染まっているのを月光が照らし出していた

 

だが、その斜め後ろで静かに歩を進めていたホシノは、先ほどから一言も発していない。彼女の左右に揺れる短髪の影に隠れた双眸は、鋭く冷徹な観察眼をセリカの背中に向けていた

 

(……いや、あまりにも洗練されすぎている。いくら要領が良いと言っても、初めて入った店の備品の配置を完璧に把握し、寸分の狂いもなく盛り付けを補助し、挙句の果てには十年来の相棒のような阿吽の呼吸で大将と連携を取るなんて、普通の一年生にできる芸当じゃない……)

 

ホシノの思考は、夜の砂漠のように冷たく研ぎ澄まされていく。あの「柴関ラーメン」は、アビドスでもごく最近オープンしたばかりの新店舗だ。それなのに、セリカの動きには、何百回、何千回とその現場を駆け抜けてきた者にしか宿らない、特有の「練度」と、空間そのものへの「馴染み」があった

 

(……何か決定的な隠し事をしているのは間違いない。突然教室に現れたのも、意図的な演出だとしたら? もし彼女が、存続の危機にある私たち生徒会を内部から切り崩すために、どこかの学園か多国籍企業から送り込まれた熟練のスパイだったとしたら……? 私たちの警戒心を解き、懐に入り込んで弱みを握ろうとしているのだとしたら……)

 

そこまで思考を巡らせたホシノだったが、不意に、この短くも濃密な二日間の情景が鮮やかな色彩を伴って脳裏を過ぎる

 

砂まみれになって、あるかも分からない「一千万」という幻を追いかけ、馬鹿みたいにスコップを振るった徒労の時間。水着姿で文句を言い合いながらも、結局はドタバタと笑い転げ、空腹に耐えかねて肩を寄せ合った夕暮れ。 何より、自分たちの「型破りな先輩っぷり」に深い溜息をつきながらも、放っておけずに甲斐甲斐しく世話を焼く彼女の姿。その「ダメな先輩に振り回される苦労人」としての眼差しは、初対面のはずなのに、どこか何年も一緒にいた戦友のような、不思議な既視感と信頼をホシノの心に抱かせていた

 

そして歓迎会で、湯気を立てるカレーの鍋を囲んで交わした、拙くも温かい言葉たち

 

(……。……違う、よね。たった二日間しか一緒にいないけれど、直感で分かる。彼女の瞳には、私が今まで嫌というほど見てきた、汚い大人たちの薄汚れた嘘や、邪なことを企む奴らの淀んだ色なんて、微塵も混じっていないから。……本当に、あの先輩と同じくらいにお節介で、お人好しなだけ。……ほんの少しだけ、本当に少しだけなら、信じてあげてもいいのかな)

 

張り詰めていたホシノの頬の強張りが、春の陽光を受けた雪解けのように、ふっと穏やかに緩んでいく。彼女は自分の過剰な警戒心を振り払うように小さく自嘲気味に笑うと、隣を歩くセリカに、先程までの冷徹な疑念など最初から存在しなかったかのような、柔らかく澄んだ声で語りかけた

 

「セリカ。……今日は災難でしたけど、あのラーメンは最高でした。また今度、必ず三人であのお店に食べに行きましょうね。次は砂を掘った後じゃなくて、もっと心穏やかな時に」

 

出し抜けにかけられた、棘のない純粋な誘いに、セリカは一瞬、弾かれたように肩を震わせた。驚きに目を見開き、それからすぐに、どこか泣き出しそうなほどに嬉しい感情を隠すように、いつもの調子で唇を尖らせる

 

「……っ。……え、ええ、もちろんよ! 私もお気に入りのお店なんだから。……あ、でも! 私がバイトに入ってる時に、変な冷やかしで見に来たりするのは絶対に禁止よ! 恥ずかしいし、仕事に集中できなくなるんだから!」

 

セリカが顔を赤らめ、必死に予防線を張るように釘を刺すと、案の定、隣を歩くユメが「ええーっ!」と大袈裟に両手を広げ、心底ガッカリしたような声を上げた

 

「そんなぁ、セリカちゃん! あの制服姿、すっごく凛々しくて可愛かったのに! 私は毎日でも通い詰めて、セリカちゃんの働く勇姿をこの『バナナノート』に一挙手一投足、余さずスケッチしておきたかったのにー!」

 

「先輩! そのノートに私のこと書くのだけは、死んでもやめてって言ってるでしょ!! 呪いの書になっちゃうわよ!」

 

「うへへ、私もユメ先輩に大賛成ですよ。あんなに職に馴染んでいるんですから、客として冷やかしに行って、後輩の働く姿をニヤニヤ眺めるのは、先輩としての崇高な義務というものです。ね、ユメ先輩? 明日の放課後あたり、抜き打ちで『看板娘』の査定に行きましょうか」

 

「ちょっとホシノ先輩まで! からかわないでって言ってるでしょ! もう、知らない! 先に帰るわよ、追いかけてこないで!」

 

「あ、待ってよセリカちゃん! 置いていかないでー!」

 

足早に逃げ出すセリカと、それを楽しそうに追うユメ。最後尾で「元気ですねぇ」とぼやきながらも、その瞳に確かな信頼の光を宿すホシノ

 

冷たく澄み切った夜の砂漠に、少女たちの賑やかで、どこか救いを感じさせる笑い声が静かに溶けていく

 

結局、一千万のお宝は見つからなかった

 

けれど、アビドスの広大な夜空には、未来でも、過去でも、そしてどんなに絶望的な状況にあっても決して変わることのない、美しい星々が力強く瞬いていた

 

その光は、遠い未来から迷い込んだ一人の少女の帰るべき道を、優しく、そして確かに照らし出していた




ようやくホシノが心を開いたようです…!
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