セリカがタイムスリップして1年生のホシノと同級生になる話 作:気弱
「……こんなところで、何をしてる?」
「!? 」
突然、背後から一切の足音もなく近づいてきた何かが、自分の後頭部にツンと硬い感触を容赦なく突きつけてきた
一瞬、心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いたセリカだったが、耳に届いたあまりにも聞き馴染みのある、いつもの気の抜けた声音に、すぐさま身体の緊張を解く
呆れた様子で肩をすくめながら後ろを振り向くと、そこにはプラスチック製の安っぽいピンク色の水鉄砲を銃口に見立てて構え、ニヤニヤと悪戯が完全に成功したかのような、子供っぽい満面の笑みを浮かべるホシノが立っていた
「――って、ホシノ先輩……! あんたこそ何してるのよ、本気で驚かせないでよ! 」
「うへぇ〜、すぐにバレちゃうか〜。やっぱりセリカちゃんを驚かせるのは骨が折れるなぁ。それと……シロコちゃんたちにはね、『ちょっと頭を冷やしに外の空気を吸ってくる〜』って言って、私だけが内緒で追いかけてきたからさ。ここにはもう誰も来ないよ? だからさ……いつもみたいに、おじさんのこと……『ホシノちゃん』って、呼んで欲しいな?」
ホシノは悪戯っぽくオッドアイの瞳をパチパチと瞬かせながら、どこか甘えるようにセリカの顔を覗き込んできた
その姿は、先ほどまでお風呂場で見せていた「だらしないおじさん」のそれではなく、どこかセリカの知っている、あの過去の世界で一緒に過ごした「一年生のホシノちゃん」の、甘えたがりな少女の面影を色濃く残していた
「はいはい……分かったわよ、ホシノちゃん……。全く、あの過去の世界にいた頃の、トゲトゲしてて、でもどこか凛々しくて格好良かったホシノちゃんは、一体どこの砂漠の彼方に消えちゃったのかしらね」
「うへえ、それは言わないお約束だよ、セリカちゃん。おじさんも日々、アビドスの過酷な環境に合わせて進化してるってことさ」
ホシノは心底満足そうに微笑むと、手に持っていた水鉄砲をトントンと机の上に置き、セリカのすぐ隣へと寄り添うようにして並んだ。そして、セリカの肩が微かに触れ合うほどの距離で、窓の外に広がる壮大な月夜の砂漠を見上げ始めた
特に何か具体的な用事があるわけでもなく、何を話すわけでもない。ただ、冷ややかな砂漠の静寂に包まれた旧生徒会室の中で、二人は肩を並べて静かに、静かに月を見上げ続けていた
ただそれだけの、贅沢で穏やかな時間の流れが、先ほどまで怒りと興奮でのぼせ上がっていたセリカの心を、驚くほど酷く穏やかに、そして優しく落ち着かせていく
「……そういえばさ、さっきのホシノちゃんの不意打ちの仕草、なんだか物凄く懐かしいわね? 私とホシノちゃんが初めてこのアビドス高校の敷地内で出会った時も、これと全く同じだったじゃない。パジャマ姿の私に警戒心丸出しのホシノちゃんから本物の冷たい銃口を思いっきり後頭部に突きつけられたんだっけ」
ふと思い出した過去の壮絶な出会いの記憶を他愛なく口にすると、それまで余裕そうに月を見ていたホシノの身体が、物理的に目に見えてピキリと強張る
「うぐ……っ! ちょっとセリカちゃん、自分で『あの頃』なんてネタを振っておいて何なんだけど……今思い返すと本気で黒歴史っていうか、意外と、いや物凄く恥ずかしいからそれ以上言うのは本気でやめてよぉ……!」
ホシノはボッと耳の裏まで真っ赤に染め上げると、きまずそうに両手で顔を覆いながらフイと視線を逸らした。普段はどんな絶望的な戦況にも決して動じないアビドス最強の先輩が、まるで年相応の少女のように慌てふためいている
そのあまりに新鮮で可愛らしい反応を見て、セリカはそれまでの陰鬱な気分が晴れるのを感じ、ついに堪えきれずにクスッと小さく愛らしい笑い声を漏らす
「ふふっ……いい気気味だわ。お風呂場とさっきの不意打ちの水鉄砲で、私のことを散々からかってくれた、その仕返しよ」
セリカは勝ち誇ったように細い胸を張り、青白い月光の中で悪戯っぽく微笑んだ
「……それで……。おじさんの過去の若気の至りはさておいて、セリカちゃんはこんな薄暗い場所で一体何をしてたの?」
ホシノは自分の顔の赤さを夜の闇に紛れ込ませるように、あからさまな咳払いを一つ挟みながら、大急ぎで話題を切り替えるべくセリカに問いかける
「何って……ただお風呂でのぼせた頭を冷やすためにフラフラと歩いてたら、無意識にここに辿り着いたのよ。そしたら、閉まってるはずの扉の鍵がかかってなくてね。引き寄せられるみたいに、つい中に入っちゃったの」
「ん? 鍵?」
ホシノはオッドアイの瞳を瞬かせ、机の上に置いたプラスチック製の安っぽい水鉄砲に視線を落としながら、小声で首を傾げた
「おかしいなー……。おじさん、この部屋を出る時は絶対に鍵を掛けたはずなんだけどなー……。アビドスの防犯対策はこれでも一応バッチリのはずなんだけど……」
「現に今、開いてたわよ? もしかして、普段から自分でおじさんおじさんって言い続けてるうちに、脳みそまで本物の老後を迎えて記憶が飛んじゃったんじゃないの?」
セリカがいつものツンとした調子で意地悪く、冗談半分に笑い飛ばすと、ホシノは予想以上に分かりやすくがっくりと肩を落とし、まるで世界が滅亡したかのような絶望の表情を浮かべた
「うう……。冗談でもそれ、今のおじさんの繊細なメンタルにめちゃくちゃ深く刺さるんだよね……。だってさ、最近ユメ先輩にも『ホシノちゃん、また見ないうちに本物のおじさんに近づいたね』なんて同じようなことを言われたばかりなんだもん……。おじさん、まだ十代真っ盛りの美少女なのに……」
本当に泣き出しそうなほど落ち込むホシノの姿に、セリカは少しだけ罪悪感を覚えつつも、すぐに胸の中にあった純粋な疑問を口にした
「……まぁ、鍵の閉め忘れのことはいいわ。それより、よく私がここにいるって分かったわね。校舎は無駄に広いし、他にも隠れられる空き教室なんていくらでもあるのに」
その問いを聞いた瞬間、ホシノは待ってましたとばかりに顔を勢いよく跳ね上げ、へにゃりとしていた眉を一転して誇らしげに吊り上げた。小さな胸をこれでもかとばかりに張り、ふんぞり返ってドヤ顔を決める
「ふふん♪ 甘いよセリカちゃん! おじさんを誰だと思ってるのさ。セリカちゃんのことならね、どこで何を考えて、どんな風に迷子になってるかまで、なーんでもお見通しなんだよ♪ 愛の力ってやつだね!」
「…………それはそれで、なんだか一歩間違えればストーカーみたいで本気で気持ち悪いわね」
セリカがゴミを見るかのような、極限まで冷ややかな視線を向けると、ホシノは一瞬にして石のように硬直した
「す、すと……ストーカー……。おじさん、ただの頼れる過保護な先輩のつもりだったのに、そこまで言わなくても……。うう、床が冷たいや……」
今度は本当に膝を地面につき、無機質なコンクリートの床に指で呪いの文字でも書き始めそうな勢いで落ち込み始めるホシノ。セリカは呆れて溜息をついたが、その劇的なコミカルさの裏側にある、ホシノの「本質」に触れるため、静かに声音のトーンを落とした
「……じゃあ、聞くけど。私が今、何をそんなに悩んでいるのかも、知ってるの? ……というより、あの時の屋上での話、やっぱり全部聞いてたわね?」
セリカのその言葉に、ホシノは床を見つめたまま、しばらくの間ピタリと動きを止めた。やがて、小さく細い息を吐き出しながら、ゆっくりと立ち上がる
その顔からは先ほどまでの悪ふざけの表情は完全に消え去り、どこか申し訳なさそうで、それでいてすべてを受け止めるような、ひどく静かな大人の表情に変わっていた
「……まぁね。隠そうとしても無駄だよ。おじさん、耳だけは昔から無駄に良いからさ……。あの日、セトの憤怒を倒す前、極限状態の戦場でセリカちゃんが叫んだ言葉も、その意味をクロコちゃんと二人で夜空の下で確かめ合っていたことも……全部、知ってる」
「まぁ、ホシノちゃんなら、聞かれて困るような隠し事でもないからいいのだけどね。どうせ、いつかは話さなきゃいけないことだったし……」
セリカはどこか運命を諦めたように、寂しげな笑みを浮かべて窓の外を見つめなおす
その瞬間。セリカは、自分の着ている浴衣の袖が、ぐっと微かな力で引かれるのを感じた
視線を落とすと、ホシノの小さな手が、セリカの紺色の袖をきゅっと強く握りしめていた。爪が白くなるほどのその力強さは、目の前の少女が決して冗談やノリでそれをやっていないことを雄弁に物語っている
「ホシノちゃん……?」
問いかけるセリカの声に、ホシノはすぐには顔を上げなかった。ただ、満月の光に照らされた桃色の髪を微かに震わせながら、消え入りそうな、けれど確かな熱を孕んだ声音で、ぽつり、ぽつりと胸の内を吐き出し始める
「おじさんさ……この世界にいた、あの真っ直ぐでツンツンしてたセリカちゃんのことも、もちろん大好きなんだよ? 命を賭けてアビドスを守ろうとしてくれた、かけがえのない仲間だと思ってる。最初、今ここにいるセリカちゃんが現れた時は、内面があまりにも違いすぎて、別の存在なんだって自分に言い聞かせて割り切ろうとしてた。……でもさ、ダメなんだよね。毎日を一緒に過ごして、一緒にお風呂で騒いで、こんな風に笑い合ってたら……今の、おじさんを『ホシノちゃん』って呼んでくれるセリカちゃんが、この世界から消えちゃうなんて、そんなの絶対に嫌だ。……欲を言えばさ、セリカちゃんが二人になったらいいのに。そしたら、誰も悲しまなくて済むのにな、なんて……そんな子供みたいなことを、本気で考えちゃうんだよ」
少女の形をした最強の盾が、その内側にある、あまりにも脆くて壊れそうな本音を曝け出していた
それを聞いたセリカは、胸の奥が甘酸っぱい痛みで満たされていくのを感じながら、どこか愛おしそうに苦笑いを浮かべる
「……ふふ。本当に、欲張りねぇ、ホシノちゃんは」
「うへぇ……。一体誰のせいかな? おじさんをこんなに弱くて欲張りな身体にしちゃったのは、全部全部、セリカちゃんが優しくしてくれたからなんだよ?」
ホシノは無理に作るような、へにゃりとしたいつもの笑みを浮かべて顔を上げた。そのオッドアイの瞳には、ほんの少しだけ涙の膜が張っているようにも見えた
セリカはそんな彼女の視線を真っ向から受け止めると、優しく語りかけるように言葉を紡いだ
「でも、その気持ち……私にもよく分かるわ。私もね、あなたが言う『前の世界のホシノちゃん』……ううん、あの世界なら『ホシノ先輩』って言った方がいいかしら? あの人のことも、ホシノちゃんと同じくらい好きなのよ。あの人も今のホシノちゃんとほとんど同じで、本当に手が焼けるし、水族館の綺麗なお魚を『可愛いね』って見てる私に対して、大真面目な顔で『美味しそうだね〜』なんてデリカシーのない返事をするような人だし、対策委員会の教室ではいつもお昼寝ばかりしてサボってばかりだったけれど」
「せ、セリカちゃん? なんか今、おじさんに対する日頃の私怨が物凄い勢いで混ざり込んでない? 悪口の具体性が高すぎておじさん泣いちゃうよ?」
「気のせいよ。ただの事実だし。……でもね、そんな風にだらしなくて、でもいざという時には誰よりも頼りになる『ホシノ先輩』のことも、今こうして私の隣で甘えてくれる『ホシノちゃん』のことも、私は同じくらい大好きなの。だから、私ももし許されるなら、二人のホシノちゃんが同時に存在してくれたらいいなって、心の底から思うわよ。ほら、私だってあんたと同じくらい、十分に欲張りでしょ?」
「……ふふ、そうだね」
セリカは満月の光を背に受けながら、これ以上ないほど悪戯っぽく、そして慈愛に満ちた笑みをホシノに向けた。二人の欲張りな願いは、冷たい旧生徒会室の空気を、確かな温もりで満たしていく
「でも、本当に懐かしいね。おじさん、セリカちゃんと出会ってからもう随分と時間が経ったような気がするよ」
ホシノはそう呟きながら、窓枠にそっと両肘を預けた。満月の柔らかな光が彼女の細い肩を包み込み、どこか遠い目をしたオッドアイの双眸が、記憶の彼方にある景色を追うように細められる
「そうね。色々なことがありすぎたもの。でも、どんなに時間が経っても、あの最悪で最高だった出会いのことだけは、昨日のことみたいに鮮明に覚えてるわ」
セリカもまた、ホシノの隣で静かに息を吐き出しながら、月を見上げる
冷たい夜風が二人の髪を優しく揺らし、心地よい静寂が生徒会室を満たしていく。しかし、その穏やかな空気の底には、常に一つの大きな疑問が澱のように沈んでいた
アビドスを揺るがす奇妙な現象――その最後のパズルピースについて、ホシノは意を決したように声を潜めて切り出した
「ねぇ、セリカちゃん。……そういえばさ、七不思議の最後のひとつって、セリカちゃん自身の存在や、あの『2年前』の記憶とも、すごく深い関係があるんだよね? 何か、今になって思い当たるフシとか、小さな違和感みたいなものってない?」
「そう言われてもね……。私が元いた世界で知っていた噂は、七不思議とかじゃなくてただシンプルに『夜な夜な校舎を黒い影のようなものが独りで歩き回る』っていう、どこにでもあるような怪談だったのよね。だから、こっちの世界に来てから、アヤネちゃんが調べてくれた内容が『人の強い後悔や執着が作り出した幸福な幻を見せる影』なんていう、全く別物にすり替わっているのを知った時は、本当にびっくりしたわ」
セリカはうーんと唸りながら、記憶の糸を熱心に手繰り寄せる。眉間に小さな皺を寄せ、腕を組んで考え込むその姿は、いかにも彼女らしい真面目さに満ちていた
「そっか……。怪異の内容そのものが変化している。それはきっと、単なる偶然じゃないね。世界線を越える過程で、あるいはセリカちゃんがこの場所に存在すること自体が、その影の性質を歪めてしまったのかも。……ねぇ、良かったらさ、セリカちゃんが最初に『過去の世界』へ飛ばされた、あの始まりの夜の出来事を、もう一度詳しく教えてくれないかな?」
ホシノの眼差しに、いつになく真剣な光が宿る。ただの世間話ではなく、事態の核心に迫るための鋭い観察者の目が、セリカの横顔をじっと見つめていた
「その時、のこと? ……大した話じゃないわよ。確か、ホシノ先輩が大真面目な顔をして作り上げた悪趣味で怖い話のせいで、アヤネちゃんが完全に腰を抜かしちゃってさ。夜中に一人でトイレに行くのが怖いから着いてきてって、半泣きで頼まれたのよね。その帰り道、泣き声が聞こえて声の元を辿ったら生徒会室にたどり着いた。ただそれだけよ?」
セリカは当時の情景を思い浮かべながら、淡々と語る。その内容に、ホシノはどこか遠い目をしながら、ふっと小さな苦笑を漏らした
「おじさんは、どの世界に行っても変わらずにそんなイタズラをしてるんだねー……。なんだか、その世界の自分にちょっと親近感が湧いちゃうな。……それで? その不気味な泣き声に気づいて、部屋の中に入ったセリカちゃんは、そこで一体何を見たの? 何か変なものや、おかしな現象は起きなかった?」
「……部屋の真ん中でね、周囲の光を全て吸い込んだみたいに、真っ黒な『ひとの形』をした影が、膝を抱えてうずくまって泣いていたのよ。あまりにも悲しそうな声だったから、私も戸惑いながら、その影の肩にそっと触れてみたら……。次の瞬間には、視界が真っ白な光に包まれて、気がついた時にはあのユメ先輩のいる過去の世界に行っていたわ」
「真っ黒な影……。人間ではない、けれど確かに人の形をした、強い感情の塊。……そいつが、もしかしたら今回の七不思議を引き起こしている、全ての元凶であり、黒幕なのかもしれないね」
ホシノは顎に手を当て、深く思考の海へと潜り込んでいく。セリカの体験談は、アヤネが収集した「強い後悔や執着」というキーワードに、これ以上ないほど合致していた
「そうかもしれないわね……。でも不思議なのは、私がこっちの世界に来てから、その影を一度も目撃していないことなのよ。対策委員会のみんなで何度も夜間探索をしたけれど、足音ひとつ聞こえやしなかったし――」
セリカがそこまで言いかけた、まさにその瞬間だった
――ひっ、……う、うう……っ……。
冷え切った生徒会室の静寂を切り裂き、二人の背後、暗がりの奥深くから、低く、押し殺したような少女の啜り泣きが、じわじわと鼓膜に這い上がってきた
ピキリ、と室内の空気が一瞬にして凍りつく。のぼせていた身体が一気に冷徹な現実に引き戻されるのを、セリカは肌の粟立ちと共に感じた
「……ねぇ、セリカちゃん。もしかして、その影の泣き声って……こんなふうな、胸が締め付けられるような感じ、だった?」
ホシノの声から、完全にいつもの軽薄さが消え失せていた。彼女の手は、いつの間にか机の上に置かれた水鉄砲ではなく、制服の奥に隠された、数々の戦場を潜り抜けてきた本物の銃のグリップへと、音もなくかけられている
「……ええ。間違いないわ、この声よ……」
セリカは小さく、しかし確実に首を縦に振った。ゴクリと唾を飲み込む音が、やけに大きく室内に響く
「さっきまで、おじさんたちの後ろには……誰も居なかったよね? 出入り口の扉も動いてないし、窓はおじさんさんたちが立ってた」
「……確実に、誰もいなかったわ。ねぇ、ホシノちゃん。あんたは戦闘のプロでしょう? 異変が起きる直前、何か不審な気配とか、空間の歪みみたいなものは感じなかったの?」
「……おじさんもね、今この瞬間に、初めて明確な気配を感じてる。さっきまでそこには何も無かったはずなのに、まるで最初からそこに存在していたみたいに、唐突に現れた……そんな, 嫌な感じの気配だよ」
ホシノの言葉を合図にするように、二人は極限の緊張感の中で、極力音を立てないよう、ゆっくり、ゆっくりと背後へと振り返った
満月の青白い光が、窓から容赦なく室内に降り注んでいる。その白銀の光線に照らされているはずの場所――部屋の隅、ユメとホシノの写真が貼られた、あの古いロッカーのすぐ前に、それはいた
光を浴びているにもかかわらず、その存在だけが世界から切り取られたように真っ黒で、小さな、少女のような輪郭をした「ナニカ」が、床に深く蹲り、両顔を膝に埋めて激しく肩を震わせていた
「…………アヤネちゃんたちを、通信で呼んだ方がいいかな? 敵の正体が分からない以上、戦力は多いに越したことはないけれど」
ホシノが視線を影から逸らさないまま、静かに問いかける。いつでもシールドを展開し、セリカの前に飛び出す準備は完了していた。アビドス対策委員会としての合理的な判断を下すなら、今すぐ全員を招集し、万全の態勢で包囲するのが正解だ
「……普段の私なら、間違いなくアヤネちゃんたちに最優先で通信を繋いで、今すぐ応援に来てって頼むと思うわ……。けど、ねえ、ホシノちゃん」
セリカは張り詰めた緊張の糸を断ち切るように一瞬だけ言葉を区切ると、横に控えるホシノの方を真っ直ぐに向いた。そして、胸の奥底で燻っていた全ての迷いや割り切れない不安を吹き飛ばすように、彼女の代名詞とも言えるあの真っ直ぐで、太陽のように眩しい笑顔をニカッと弾けさせてみせた
暗い旧生徒会室の空気を一瞬で塗り替えるような、いつもの強がりで、どこまでも愛おしいセリカの笑顔だった
「この最後の七不思議だけは、アヤネちゃんたちを巻き込みたくないの。……私は、ホシノちゃんと二人だけで、これを解決したい。ううん、解決しなきゃいけない気がするのよ」
その毅然とした言葉の裏にある、セリカの並々ならぬ覚悟の重さを、ホシノは長年の修羅場で培った野生の勘で瞬時に察知した
これは学園や世界の危機を救うための合理的な戦いなどではない。異世界から迷い込んできたセリカという一人の少女の、過去と現在、そして未来を清算するための、極めて私的で重要な儀式なのだと
「……そっか。分かったよ、セリカちゃん。おじさんに全部任せて。何が起きて、どんな世界がひっくり返ったとしても、セリカちゃんのことだけは、この命に代えてもおじさんが絶対に、傷一つつけずに守り抜いてみせるから」
ホシノはそれまでの迷いを完全に捨て去り、力強く深く頷くと、セリカのすぐ隣へと肩を並べる
二人は互いに無言で視線を交わし、意を決して、その月光の檻の中で不気味に震え続ける黒い影へと同時に手を伸ばした。躊躇うことなく、その冷徹な闇の輪郭へと二人の指先が触れた、まさにその刹那だった
キィィィィィン――!!
脳髄を直接突き刺し、鼓膜を破壊せんばかりの恐ろしい高周波の破裂音が炸裂し、二人の視界は、爆発的に膨れ上がった純白の閃光によって完全に塗りつぶされた。あらゆる色彩と輪郭が光の中に融解していく
あまりの眩しさと衝撃に、セリカもホシノも、強く目を閉じてその場にうずくまることしかできなかった
光の奔流が、自分たちが立っている空間のすべてを分子レベルで激しく書き換えていくような奇妙な感覚。重力が失われ、世界の境界線そのものがドロドロに融解していくような不気味な浮遊感のあと、不意に、耳元で鳴り響いていた世界の騒音がピタリと静止した
「……っ、う……、頭が……」
網膜に焼き付いていた光の残像が徐々に消え去り、セリカは強烈な目眩に襲われながら、ゆっくりと重い瞼を持ち上げた
最初に目に飛び込んできたのは、驚くほど美しく、そして埃一つなく綺麗に磨き上げられた、見違えるような旧生徒会室の光景だった
先ほどまで積まれていたはずの煤けた段ボールや古い椅子は跡形もなく消え去り、中央の木製の机の上には整理された書類が整然と並んでいる。部屋全体が、まるで誰かが今も大切に使っているかのような、生活感のある暖かな空気に満ちていた
ふと違和感を覚えて自分自身の身体に目を落とすと、気がつけば二人は先程まで着ていた浴衣姿から、いつもの着慣れたアビドス高校の制服へと一瞬にして変わっていた
「……私、また……あの始まりの夜の時みたいに、過去の世界に移動した……とかかしら?」
セリカは困惑しながら自分の両手を何度も見つめ、見違えるほど綺麗になった周囲の空間を見渡しながら、微かな希望を込めて声を漏らした。しかし、その甘い疑問は、隣に立つホシノの低く、尋常ではない警戒に満ちた声音によって、即座に否定されることとなる
「いや……違うみたいだよ、セリカちゃん。ここは、おじさんたちの知っている過去の世界なんかじゃない。……ほら、あそこを見てごらん」
ホシノがこれまでに見たこともないような深刻な表情のまま、細い指先で窓の外を指し示した。その指先は微かに震えているようにも見えた
セリカは誘われるようにそちらへ視線を向け、そして言葉を失って息を呑んだ
窓の向こうに広がっていたのは、いつもの見渡す限りの広大な砂漠でも、懐かしい緑豊かなアビドスの街並みでも、先ほどまで自分たちを照らしていた美しい満月の夜空でもなかった
そこにあったのは、上下左右の概念すら完全に失われた、どこまでも、どこまでも果てしなく続く、純白の虚無
何一つとして存在しない、光すらもその場に固定されてしまったような、不気味なほどに真っ白な、完全なる「無」の空間だけが、窓の外の景色の全てを冷酷に支配していたのだ
「なによ、これ……。一体、どうなっちゃってるの……?」
窓のサッシに両手をかけ、身を乗り出すようにして外の異常な光景を凝視したセリカの口から、掠れた戦慄の言葉が漏れ出た
網膜を真っ白に焼き尽くさんばかりの、完全なる無の世界。地平線も、砂の一粒も、風の音すらも存在しないその空間は、まるで世界そのものが未完成のまま神様に見捨てられて放置されたかのような、悍ましいまでの静寂を保っている
どれだけ目を凝らしても、距離感すら掴めない均一な白が無限に続くだけで、自分たちがいるこの旧生徒会室だけが、虚空に浮かぶ一辺の箱舟のようにぽつんと孤立していた
「うへぇ……。流石のおじさんも、こんなに気味の悪い景色は生まれて初めて見たよ
あの黒い影に触れた瞬間、理不尽な超常現象によって、わけのわからない特異空間に叩き込まれた――っていうこと以外、現状じゃ何一つとして合理的な説明がつかないね」
ホシノはそう言いながらも、その視線は窓の外の虚無ではなく、既に部屋の内部、自分たちの退路であるはずの空間へと鋭く向けられていた
「……ねぇ」
突如として、どこか虚ろな背後から生徒会室の空気を激しく震わせたのは、冷気そのものが形を成して耳元で囁いたかのような、ひどく朧気で、それでいて心臓の奥を直接掴むような重みを持った声音だった
「っ!?」
二人の身体が同時に、示し合わせたかのように跳ね上がる。反射的に頭で考えて振り返るよりも早く、ホシノの小柄な身体が、まるで強風に吹き飛ばされた弾丸のようにセリカの前に滑り込んでいた
それは長い年月と、数え切れないほどの凄惨な戦場を潜り抜けてきたことで肉体そのものに刻み込まれた、護衛としての本能的な最適解
ホシノは自身の片腕を大きく横へと広げてセリカを完全に自らの頑強な背後へと隠し、もう片方の手で、いつでも引き金を引ける完璧な位置へと、制服の奥から抜き放った本物の銃のグリップを音もなく力強く構え直した
満月の青白い光が完全に消失し、網膜を狂わせるような均一の白い光に満ちた、この奇妙な生徒会室の境界線。そこに、いつの間にかそれは幻影のように佇んでいた
その全体の大きさは、目の前にいるホシノとほとんど変わらない。先ほどまで旧生徒会室の古びたロッカーの前で激しくうずくまっていた、あの小さな子供のような、しかし明確に小柄な少女の輪郭を持った真っ黒な影
それは一切の光を反射することを拒絶し、ただそこに存在しているというだけで、周囲の空間のあらゆる色彩を急速に奪い去り、世界を鉛色に濁らせていくような、圧倒的で悍ましいほどの異質さを放っていた
冷たい銃口が一点に向けられ、張り詰めた一触即発の緊迫感が室内に満ちていく。しかし、セリカはホシノの華奢な背中の向こうから、その不気味な影の様子をじっと息を潜めて見つめていた
その時、彼女の胸の奥を支配していたのは、不思議なことに恐ろしさや戦慄ではなく、どこか胸を締め付けられるような哀愁に似た、奇妙なほど穏やかで切ない感覚だった
「……ホシノちゃん、待って。お願い、武器を下げて。多分、大丈夫よ。私でさえ、この子……? から、私達を傷つけようとするような殺気とか、暗い悪意の類が一切ないのははっきりと分かるんだから
誰よりも戦いの気配や敵の害意に敏感なホシノちゃんなら、本当はもう、頭の中では気づいているんでしょ?」
セリカが背後からホシノの制服の肩をそっと優しく叩き、諭すように静かな声をかける。その温かい言葉に、ホシノは構えていた銃の角度をわずかに数センチだけ下げたが、そのオッドアイの鋭い視線だけは、決して目の前の影から外そうとはしなかった
「……んー、一応ね。おじさんの野生の直感も、こいつが今すぐ牙を剥いて襲いかかってくるような危険な存在じゃないって、そう告げてるよ
でもさ、セリカちゃん。おじさん、さっき『命に代えてもセリカちゃんを守る』って大見得を切ったばかりなんだからさ。少しは後輩の前で格好つけさせてくれたっていいじゃない?」
ホシノは前方の影へ視線を鋭く保ったまま、口元だけで少しだけ困ったような、へにゃりとした苦笑いを浮かべた。しかし、その背中からは、大切な後輩を何があっても絶対に二度と戦火や危険に晒させないという、命を賭した絶対的な決意が痛いほどに伝わってくる
セリカはそんな頼もしい先輩の後ろ姿に一瞬だけ愛おしそうな表情を浮かべたが、すぐに引き締まった真面目な顔に戻ると、ホシノの肩越しに、その真っ黒な少女の影へと真っ直ぐに毅然とした言葉を投げかけた
「それで……。もう出し惜しみはなしにしましょう。このアビドス高校で数日前から起きている一連の奇妙な現象、そして私たちがこんなわけのわからない空間に閉じ込められたこと……その全ての原因であり犯人は、あんたっていうことでいいのよね?」
セリカの真っ直ぐな、しかし決して相手を一方的に弾劾するわけではない、静かな問いかけに対し、黒い影はしばらくの間、微動だにせず深い沈黙を保っていた。やがて、その輪郭の掴めない漆黒の頭部が、肯定を示すように、静かに、ゆっくりと縦に揺れた
「どうしてこんな事を……アビドスの七不思議なんていう、胡散臭い噂をわざわざ利用して、一体何が目的でこんな大騒ぎを起こしたの? というより……あんたは、本当は何者なのよ。何のためにここにいるの?」
セリカがさらに自分の足で一歩踏み込んで問い詰める。その声には、相手の正体を暴いて排除するためのトゲなどは微塵もなく、ただ純粋に、目の前で悲しそうに肩を震わせる存在の本質と痛みを理解したいという、切実な響きが含まれていた
「……私は……強い、強い後悔の念が、アビドスの砂漠に産み落とした……ただの、哀れな怪異ですよ……」
地を這うような、消え入りそうなほど小さな、けれど驚くほどに耳の奥まで透き通ったその声音が、真っ白に染まった生徒会室の四方に冷たく響き渡った
「!」
その瞬間、セリカとホシノの二人の背中に、同時に凄まじいまでの電流が走り抜けた
影の口から聞こえてきたその声は、他でもない――小鳥遊ホシノ自身の声だったからだ。しかし、それは今ここにいる、あらゆる苦難を乗り越えてどこか達観したような、のんびりとしたおじさん然とした現在のホシノの声では決してなかった
それは、セリカがかつて不思議な時間跳躍で迷い込んだ過去の世界で何度も耳にし、時に激しく反発してぶつかり合い、時に固い信頼で背中を預け合った――あの、周囲の全てを拒絶するようなトゲだらけで、けれどアビドスを守るために誰よりも必死で直向きだった「1年生の時のホシノ」そのものの鋭い声音だった
まるで、時間そのものがその場所で急激に逆流し、かつての彼女自身がそこに立って冷たく話しているかのような強烈な錯覚に、二人は言葉を失って激しく息を呑む
驚きに目を見開く二人の目の前で、その真っ黒な影がゆっくりと、細い細い腕を持ち上げ、真っ直ぐにホシノの胸元を指差した。その影の輪郭を今になってよく観察すると、現在のホシノのように背中まで長く伸ばされた桃色の髪ではなく、耳のあたりで綺麗に切り揃えられた、短いボブカットのシルエットをしていることがはっきりと見て取れた
「……私の正体……他の誰でもない、あなたなら……本当は、最初から胸の奥で分かっているはずですよね」
影が紡ぎ出す言葉の一言一言が、ホシノの胸の最も深い傷跡を容赦なく鋭利に抉っていく
真っ黒な指を差された当の本人は、左右で色の異なるオッドアイの瞳をごくわずかに見開き、その黒い輪郭の奥にある目を背けたくなるような本質を悟ったように、掠れた小さな声で静かに呟いた
「……もしかして、君は……私が産んだ…後悔の残滓……なの……?」
「はい。正確には……そっちのセリカが元いた世界の、小鳥遊ホシノの後悔。
私はね……あの日、ユメ先輩が一人で冷たい砂の上で息絶えて、亡くなってしまったその後に……あなたが抱いた、あまりにも強すぎた、自分自身を切り刻むような絶望と後悔が産んだモノ。
……この姿も、あなたが生まれて初めて、世界が全て真っ黒に反転してしまうほどの強い絶望を抱いた時の……あの『1年生の時』の姿を、形としてこの空間に借りているだけなんですよ」
そう語る影の表面に、言葉の終わりと同時にさらなる異変が起き始めた
周囲の光を全て吸い込んでいたはずのドロドロとした真っ黒な表面が、内側から鮮やかな光によって侵食されるようにして、うっすらと確かな色彩を帯びていく
所々はまだ、世界の不吉な裂け目のように不気味な真っ黒い霧がモヤモヤと這い回っていたが、その境界線からは、二人が確かによく見覚えのある、あの頃のアビドス高校の旧制服の青い布地や、衣服の質感が鮮明に現れ始めていた
色褪せたアビドスの古い制服。肩のあたりで雑に切り揃えられた、夕暮れ時の砂漠を思わせる、どこか寂しげで淡い桃色の髪。そして、内側から沸き立つ黒い霧の隙間から、まるで世界の全てを拒絶するようにして覗く、左右で異なる色彩を持った一対のオッドアイ
衣服の輪郭が完全に実体を取り戻したその姿は、間違いなく、かつて最愛の先輩であるユメを理不尽な砂の中に失い、その心に癒えない大穴を抱えたまま、周囲のあらゆる他者に対して刺々しいトゲを張り巡らせていた、あの頃の小鳥遊ホシノそのものだった
しかし、その片方の瞳に宿っていたのは、セリカがかつて不思議な時の跳躍で目撃してきたような、近づく者全てを容赦なく威嚇し、切り裂くような鋭い野生の獣の光ではなかった。そこにあったのは、今にも大粒の涙が堰を切ったように溢れ出しそうな、あまりにも痛々しく、見ていられないほど深い悲しみに満ちた、一人の幼い少女の絶望の表情だった
色彩を完全に取り戻しつつある、痛々しい自分自身の幻影を目の前にして、ホシノは言葉を失い、喉を何かに強く締め付けられたようにして、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。セリカはそんなホシノの傷ついた様子を横目で深く気遣いながらも、静かに、しかし決して揺らぐことのない確かな足取りで影へとさらに問いを重ねた
「……その、ホシノ先輩の心から生まれた後悔の怪異が、どうして今になって、このアビドスの街にこんな大掛かりで奇妙な現象を引き起こしているの?
これまではずっと、誰も寄り付かない校舎の奥底で、ただの無害な古い噂話としてひっそりと眠っていたはずでしょう? 何が、あんたを動かしたのよ」
「元々は……そう、その通りだったです。
私はただ、主である彼女が抱えきれなくなって胸の奥底に捨て去った、重すぎる後悔の質量を密かに肩代わりして……この誰もいない旧生徒会室の真ん中で、ただその人の代わりに、夜な夜な静かに膝を抱えて泣き続けるだけの……実体のない、消え入りそうな哀れな怪異だった。
この姿を与えられてからも、私の本質は何一つ変わらずに、ただ暗闇の中で無力に涙を流すことしかできなかった……。
……でもある日を境に、私の内側に、私の小さな器の許容量を遥かに超えるほどの、莫大で、濁った『力』が、まるで堰を切った濁流のように一気に溢れ、流れ込んでくるようになったんだよ」
「ある日……? 力が溢れるようになったって、一体何が起きたっていうのよ。その力の源は、一体どこから来たの?」
セリカの切実な問いに対し、影は、その悲しげなオッドアイをゆっくりと静かに瞑り、世界の終わりを冷酷に告げる予言者のような重い言葉を、一つずつ記憶に刻みつけるように丁寧に紡ぎ出し
「『列車砲「シェマタ」』……『ユメ先輩』……世界そのものを残酷に反転させる、恐るべき『色彩』の到来……そして、そのすべての絶望を受け止めてしまった、小鳥遊ホシノの『テラー化』……」
「それって……!?」
そのあまりにも不吉な単語の羅列を聞いた瞬間、セリカの脳裏に、あの日、このアビドスが未曾有の最大の危機を迎えた一連の激戦の記憶が、鮮烈な痛みを伴って蘇った。砂漠の守護神セトの憤怒との命懸けの死闘、そして、別世界からやってきたあの白黒の狼――クロコがこの世界線へと流れ着く直接の原因となった、あの壮絶で、誰もが正気を失いかけた運命の交差点
「そう……あの日、このアビドスの広大な地で、世界の境界線がドロドロに歪むほどの巨大な力が正面から衝突した時。主であるあなたの内側にある『強い後悔』という名の回路を逆流して、あなた達で言う『神秘』や『恐怖』の悍ましい残滓が、この狭い部屋で一人で泣いていた私の中へと、一気に流れ込んできたんだ。
本来なら、噂から生まれたただの脆弱な概念に過ぎない怪異に、そんな奇跡のような強大な力が宿るはずなんて絶対にない。けれど……それは、他でもない『あなた』の後悔が、今もなお、この世界の底で、何一つ解決しないまま激しくドクドクと流れ続けているからこそ……起きてしまった、因果の歪んだ奇跡なんだよ。
この、みんなで楽しく過ごす『幸福なお泊まり会』という幻も、私がその膨大な力を使って、彼女の――あなたの胸の奥にある『一番叶えたかった、あり得もしない幸せな時間』を現実に無理やり具現化させてあげただけなの。
……だって、そうでしょう? 私の、ううん。あなたの『小鳥遊ホシノ』としての願いは、あの日からずっと、何一つ変わっていないんだから」
影は自らの華奢な胸元を、消えてしまうのを恐れるように酷く愛おしそうに強く抱きしめながら、そのオッドアイから、一筋の青白い光の涙を、ぽつりと冷たい床へと滴らせた。その水滴が床に触れた瞬間、周囲の白い空間が波紋のように微かに揺らぐ
「……その奇跡も、もう終わり。だから、隠し通せなくなって、私たちの前にこうして姿を現したってこと?」
セリカは喉の奥から掠れた小さな声を絞り出すようにして、白銀の光に染まる影へと静かに問いかけた。その緑色の双眸には、世界の残酷な真理を完全に看破してしまったがゆえの、深い諦観と、張り裂けそうなほどの悲しみが宿っていた。
「セリカちゃん……!? それって、一体どういうこと……? 終わりって、何が……」
すぐ隣に立つホシノは、後輩が口にしたその言葉の裏にある、致命的で取り返しのつかない意味を敏感に察知し、弾かれたようにセリカの顔を覗き込んだ
ホシノのオッドアイの瞳が、これまでにないほどの激しい狼狽と恐怖に揺れ動いている
セリカはそんな、世界で一番大好きな先輩の視線を優しく受け止め、困ったように微笑みながら、自らの推測を言葉として紡ぎ、誰もいない旧生徒会室の虚空へと置いていった
「あんたの力が、もう完全に尽きかけているんでしょう? だから……この優しくて温かくて、本当に幸せだった空間――いいえ、あえて『幻』って言わせてもらうわね。この世界そのものを無理やり繋ぎ止めていた異質な魔力が限界を迎えたからこそ、もう隠し通せなくなって、最後に私たちの前に出てきた。……ねえ、違わないよね?」
「っ……そ、それじゃあ、もしこの場所が崩壊したら……セリカちゃんは、一体どうなっちゃうの……!?」
ホシノの細い肩が、未知の恐怖によって微かに震え始める。かつて戦場でどれほど強大な軍勢や神の如き敵を前にしても、決してその足を踏み外さなかったアビドス最高の絶対盾が、目の前にある大切な後輩の喪失の予兆を前にして、文字通り精神の根底から瓦解しかけていた
そんなホシノの痛々しい動揺を優しく労わるように、セリカはさらに声を落とし、どこか寂しげな、けれど全てを受け入れたような綺麗な笑みを浮かべた
「……多分ね、この空間が完全に消え去れば、私は本来あるべき歴史の強い修正力によって、元の世界……あの、ユメ先輩がどこにもいなくて、私が2年間の過酷な孤独をたった一人で耐え抜いた方の世界へと、強制的に引き戻されるんじゃないかしら
そして、それと入れ替わるようにして、こっちの世界に本来いるはずだった、私によく似た、でも私じゃない『もう一人の私』がこの場所に帰ってくる
……それが、私という異物が紛れ込んで歪んでしまった因果を正すための、一番まっとうで、正しい結末なんだと思うの」
セリカの胸の内にある、あまりにも残酷で、けれどどこまでも他人の幸せを思いやった、あまりにも彼女らしい自己犠牲の覚悟。それを誰よりも深く理解し、かつて同じように大切な人を失った経験を持つホシノだからこそ、喉の奥まで出かかった「行くな」という叫びを言葉にすることができず、ただ血が滲むほどに唇を強く噛み締めて立ち尽くすことしかできなかった
満月の光を失った、不気味なほどに白い部屋に、胸が引き裂かれるような、重く切ない、お別れの静寂の時間だけが静かに流れていく。
しかし――
「え? ……いや、そんな大層なことは絶対に起きないですよ」
唐突に、その美しくも悲壮感に満ちていたはずの静寂を、乱暴かつ信じられないほど呆気なく切り裂いたのは
先ほどまで部屋全体を涙で濡らさんばかりに響いていた、あのこの世の終わりかのような悲痛な声音……とは、明らかに一線を画す
本気で『こいつら一体何を言ってるんだ?』と言わんばかりの、あまりの温度差に完全に呆気にとられた、ひどく間の抜けた地声のトーンだった
「「……え?」」
先ほどまでの永遠の別れの決意や、涙を誘うような悲劇的な雰囲気は一体どこへ行ってしまったのか
セリカとホシノの二人は、示し合わせたかのように、間抜けた、情けない声を綺麗にハモらせてその場に硬直した。あまりの温度差に、背後の白い虚無すらどこかシュールに思えてくる
「私の力が限界を迎え、もうこれ以上、怪異としてこのアビドスの街に存在し続けられないというのは、確かに事実です
……しかし、セリカ
あなたが元の世界に引き戻されることも、誰かと入れ替わって消え去ることも、絶対にありません
あなたは、このままこの世界に、アビドス対策委員会の『黒見セリカ』として、何一つ変わらずに残り続けますよ?」
影は、左右で色の異なるオッドアイの片目をパチクリとさせながら、至極当然のことのように淡々と告げた。その表情は、先ほどまでの絶望が嘘のように、どこか呆れたようなニュアンスすら含んでいる
「な、なによそれ、意味がわからないわよ……!? あんたが消えたら、あんたの能力で維持されていたこの幸せな空間自体が霧散して、全てが元通りになる……それが、この手の怪異の普通で、お決まりの結末じゃないの!? それに……もし私がここに残り続けるんだとしたら、こっちの世界の、元からいたはずの『もう一人の私』の存在は一体どうなっちゃうのよ!」
セリカは、自分の必死の覚悟を真っ向から梯子を外された形になり、羞恥心と困惑がごちゃ混ぜになった様子で、訳も分からず影に向かって叫んだ
自らの悲壮な決意を返してほしいと言わんばかりに、その顔はのぼせた時とは違う意味で、耳の裏まで真っ赤に染まっている
「う、うへぇ……。おじさんも今、完全に涙を流すタイミングを失っちゃったよ……。ねえ、怪異ちゃん、説明不足は良くないと思うなー?」
ホシノも構えていた本物の銃をゆっくりと下げ、少しだけ肩の力を抜きつつも、眉間に小さな皺を寄せて影を睨みつけた
当の黒い影は、激昂するセリカと不満げなホシノの様子を前にして、少しだけ気まずそうに視線を泳がせると、顎に手を当てて、しばらくの間考えるように深く腕を組んだ
そして、ぽつりと、釈明を求める後輩たちへと真実の断片を零した
「……そうですね。確かに、私一人の力だけだったなら、あなたの言う通り、お決まりの哀しい破滅の結末を迎えていたのかもしれません。世界は無情に修正され、すべては無に帰していたでしょう」
「あなた一人の力では……出来なかった?」
ホシノが眉をひそめ、困惑と猜疑心の混ざったような声音でその言葉を繰り返す。オッドアイの瞳が、影の言葉の真意を探るように細められた
「はい。私は確かに、世界を反転させるほどの莫大な力を一時的に得ました。
……しかし、いくら膨大な神秘や恐怖を内包したところで、私はしょせん、一人の生徒の後悔が産み落とした『怪異』の域を出ません。
そんな矮小な存在に、過ぎ去った人の死を無かったことにする権能も、世界の因果そのものを都合よく書き換えて過去を改変する力なんて……最初からあるはずがないでしょう。
どれほど強大な力を振るおうと、私はどこまでいっても、あなたの『終わってしまった過去』の象徴でしかないのですから」
「じゃ、じゃあ、現にこうしてユメ先輩が生きていて、私たちがこんなに幸福な今を過ごせているのは、どういう事だって言うのよ!
現実が書き換わってなきゃ、こんなこと起きるはず地がないじゃない!」
セリカが納得いかないとばかりに地団駄を踏み、激しく食ってかかる。しかし、影は冷静に、どこか諭すような口調で言葉を返した
「ですから、先ほどから言っているではないですか。……『私一人の力では出来なかった』と。鍵は最初から、私の外側にあったんですよ」
「外側……?」
あまりにも要領を得ない影の物言いに、セリカがさらに怒りを爆発させようとした、その時。横でずっと戦況を見つめ、思考を巡らせていたホシノの脳裏に、電撃のような一つの仮説が閃いた
ホシノは目をごくわずかに見開き、信じられないものを見るような眼差しで、隣のセリカへと視線を向けた
「……待って。もしかして、この奇跡がただの幻で終わらずに、本物の現実として成立している理由って……。今、おじさんの隣にいる、このセリカちゃん自身の存在が『原因』になってる……ってこと?」
「え? 私……!? どういうことよ、ホシノちゃん」
セリカが驚いてホシノを見つめると、対峙する黒い影は、待っていましたとばかりに深く、満足げに頷いてみせた
「はい。まさに、その通りです
……あなたは、たまたま偶然の悪戯とはいえ、私の引き起こした歪みによって過去の世界へと飛び、そこで1年生の時の小鳥遊ホシノと、そしてユメ先輩との間に、確固たる『絆』を築き上げました
本来の歴史であれば、その時代にあなたが存在しているはずなどない、あり得ないはずの絆。それも、ただの先輩と後輩としてではない。当時の私にとっては、本来の人生では絶対に得られるはずのなかった、対等な『同級生』としての……いえ、それ以上の、魂の深いところで結びついた、絶対的な絆です
現に、世界の因果はあまりにも冷酷で、あなたが書き換えたはずの優しい歴史を完全に消し去ろうと、小鳥遊ホシノを無理やり『恐怖(テラー)』へと反転させる事態にまで発展してしまいました
世界そのものが、あなたの紡いだ奇跡を拒絶し、すべてを元の絶望へと押し戻そうとした
……だけど。あなたがかつて見た夢のように、この世界のセリカが、あの時、無意識に放ったたった一言
それこそが、時空の拒絶さえも跳ね除けて、冷徹な歴史の因果を本当に書き換えてしまったんです
その結果として、小鳥遊ホシノはあの部屋で、ユメ先輩と共に破れてしまった『砂まつり』のポスターを修理し、彼女が無事に卒業を迎え、最愛の先輩と最愛の後輩に囲まれるという未来が確定した。本来の歴史がどれほどそれを拒もうと、その幸福な結末だけは、もう誰にも奪えない絶対の真実としてそこに刻み込まれたんだよ
……セリカ。あなたが過去に遺したその『選択』と『絆の強度』こそが、私の傲慢な願いを本物の現実へと繋ぎ止める、最強の楔になったんだよ」
二人は完全に言葉を失い、白銀の光が満ちる旧生徒会室で、ただお互いの顔を見合わせるしかなかった。常識の範疇を遥かに超えた因果の連鎖。自分たちが今ここに生き、笑い合っているという奇跡の重みに、息をすることすら忘れてしまいそうになる
「私が……ユメ先輩を、ホシノちゃんを、救った……?」
「うん……。おじさん、あの時セリカちゃんが隣にいてくれなきゃ、絶対に前を向けなかった。ユメ先輩の手を、あんなふうに握り返せなかったよ……」
ホシノが優しくセリカの肩に手を置く。そんな二人の動揺と納得を察してなのか、1年生の姿をした黒い影は、どこか宥めるような、それでいて少しだけ困ったような声音で言葉を続けた
「……それに、さっきセリカが言っていた、もう一つの質問についてだけど
結論から言えば、この世界に本来存在するはずの『もう一人のセリカ』も、どこかに消えちゃったわけじゃなくて、今も確かに存在しているよ
私の力が完全に尽きて、この空間を維持する役割を終えることによって、この世界はあなたが元いた世界……つまり、あなたが孤独を抱えて生きていた元の世界線と、完全に『統合』されることになる
その結果、こちら側のセリカも、あなたが経験したのと全く同じ、あの『過去』の記憶や体験を一つの可能性として内包した状態で、このアビドスへと帰ってくるんだ
言うなれば、別々に枝分かれしていた二つのパラレルワールドが、あなたの紡いだ絆を接着剤にして、一つの強固な現実へと溶け合うようなもの
これ以上、この複雑な現象を言葉で噛み砕いて説明するのは、さすがに私にとっても限界かな……
……要するに、二人で一人の、最強の黒見セリカが爆誕すると思っておけば間違いありません。ふふっ、楽しみですね、セリカ?」
影は少しだけおどけるように、けれど優しく微笑むように首を傾げてみせた
「な、なによそれ……。じゃあ、何か決定的な破滅が待っているわけでもなくて、誰かが犠牲になって消えなきゃいけないわけでもないって言うの……? つまりは……ここは、私が守りたかった、私の大好きなみんながいる世界そのものにちゃんとなっていく……ってこと?」
セリカの瞳に、今度は大粒の、本当の嬉し涙がじわりと浮かび上がる。
「そうなりますね。誰も消えませんし、誰も悲しい思いをする必要はありません。あなたの紡いだ絆が、世界の理不尽に勝ったんです」
影のあまりにもあっけらかんとした、しかしこれ以上ないほどに優しい肯定の言葉を聞いた瞬間、セリカの張り詰めていた緊張の糸が、音を立ててぷつりと切れた
「……はぁぁ……。ちょっと、なによそれ。だったら、私がこれまで一人で勝手に最悪の結末を予想して、夜も眠れないくらいに思い詰めて悩んでたのは、一体全体なんだったのよ……!」
セリカは完全に身体の力が抜けてしまったのか、情けない声を漏らしながら、その場にへなへなとゆっくり床へ崩れ落ちるように座り込んだ
数日前のクロコとのシリアスな会話から、今夜の覚悟に至るまで、彼女の張り詰めていた心がどれほど限界だったか。その背中を、ホシノは酷く愛おしそうに、そしてどこかホッとしたような切ない眼差しで見つめると、そっと優しくセリカの肩に手を置いた
その手の温もりが、セリカの心に残っていた最後の不安を綺麗に溶かしていく
「……そろそろ、時間、ですかね」
ぽつり、と。旧生徒会室の空気を震わせる影の声が聞こえ、二人が顔を上げると、目の前の光景に息を呑んだ
影の表面をドロドロと覆っていた不気味な黒い霧が、今や完全に剥がれ落ちて霧散していた。満月の光の代わりに部屋を満たしていた白い残光の中で、そこには完全に色彩を取り戻した、紛れもない「1年生の時の小鳥遊ホシノ」の姿が立ち尽くしていた
短く切り揃えられた桃色の髪、色褪せた旧制服。だが、その足元からは、パチパチと夜空の星が弾けるような、淡く美しい光の粒が無数に湧き上がり、彼女の身体をゆっくりと虚空へと消し去ろうとしていた
「……もう、行ってしまうの?」
セリカが床に座り込んだまま、消え入りそうな声で尋ねる
「はい。……私は元々、歪んだ因果の隙間で仮初めの力を得ただけの、本来なら力のないただの怪異ですから。主であるあなたの後悔が薄れ、私の役目が終われば、こうして消えるのが当然の理です
……ですが、例えこの世界のあなた自身ではないにしても……私はずっと、暗闇の中でただ一人、果てしない後悔と孤独に身を焦がし、苦しみ続けていた小鳥遊ホシノの姿を、誰よりも近くで、ずっと見守り続けてきましたから
……だから、今こうして、信頼できる仲間に囲まれて、本当に幸せそうに笑っている未来の私の姿を……最後に特等席で見ることができて……
……私は、十分に満足です。本当に、よかった……」
怪異は、自分の元となった主を愛おしそうに見つめ、穏やかに微笑んだ。その歪みのない純粋な言葉に、ホシノの胸の奥から自然と温かい感情が溢れ出す
「……そっか。色々とややこしいことを仕掛けてくれたけど、最後にこんな素敵な今を遺してくれたんだものね。……ありがとうね、『私』」
ホシノが真っ直ぐな瞳で感謝を告げると、
「!」
怪異は、まるで予想外の言葉を掛けられたかのように驚いた様子で大きく目を見開いた。そして、少しだけ照れくさそうに、けれどどこか嬉しそうな気恥ずかしさを浮かべながら、再びセリカの方を向き直した
「……ふふ。お礼なんて、そんな大層なものじゃないよ。
それよりも、セリカちゃん。……これからの『私』のことを、どうかよろしくね?
自分で言うのも何だけど、知っての通り、放っておくと独りで勝手に背負い込んで突っ走るタイプの天災みたいな人だし。
本当は好きな子には構って欲しい寂しがり屋のくせに、どうやって甘えればいいのか分からないから、とりあえず気を引くために子供っぽいイタズラばかりを仕掛けるような、本当に手の焼く困った人で……。
それに、実は『嫌われてたらどうしよう』って、変に奥手な所もあるんだから」
「うぐっ……!?」
そのあまりにも的確で容赦のない人物評を前に、横で聞いていた現在のホシノは、完全に言葉を失って声を詰まらせていた
いつもなら「ちょっと待ってよ! おじさんを一体何だと思ってるのさ!?」と大騒ぎして盛大なツッコミを入れ、全力で話をはぐらかすはずの場面だった
しかし、目の前で静かに光の粒となって消えかけている怪異を前にしては、そんな言葉は喉の奥にへばりついて出てこない。今のこの静かで、どこか神聖さすら漂う厳かな雰囲気を壊したくないという気持ちが勝っていたし、何よりも自分自身に「奇跡の今」を遺してくれた恩人に対して、どうしても強い言葉を返すことなどできなかった
反論したい気持ちと、耐え難いほどの羞恥心、そして怪異への深い感謝が胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、ホシノはただ顔を耳まで真っ赤に染め上げ、言葉にならない声で唸りながら、泳ぐ視線を彷徨わせることしかできない
言葉による弁明を完全に諦め、ただがっくりと両肩を落として降伏の溜め息をつく現在のホシノ
自分の生き写しであり、かつては世界のすべてを呪うほどの絶望を抱えていたはずの「過去の自分」から、まさかこれほど客観的かつ容赦なく内面を暴かれるとは思ってもみなかったのだ。そのあまりにも情けない、けれどどこか人間味に溢れた先輩の姿を見て、セリカの目元に残っていた涙はすっかり吹き飛んでしまった
「ぷっ……、あははは! 本当、その通りじゃない! ホシノちゃんってば、いっつもそうやって子供みたいに意味の分からないイタズラばかり仕掛けてくるんだから! でも、そっか……あれ、全部寂しさの裏返しだったのね」
セリカは呆れたように、けれどこれ以上ないほど愛おしそうな笑顔を浮かべて、からからと笑い声を上げた
「う、うへえ……。セリカちゃんまで一緒になって悪ノリしないでよぉ……。おじさん、明日からどんな顔をして対策委員会の教室に行けばいいのさ。ただでさえ先輩としての威厳とか、そういうのが怪しくなってきてるっていうのに……」
本気で恥ずかしさが限界に達したのか、現在のホシノはついに両手で完全に顔を覆い隠してしまい、指の隙間から蚊の鳴くような声でぶつぶつと愚痴をこぼしている
そんな主の様子を、まるで手を焼く我が子を眺める母親のような、優しくもどこか悪戯っぽい眼差しで見つめながら、怪異はさらに言葉を続けた
「……ですが、私にとっては、そんな不器用で困った彼女も……まるで自分の手を焼く娘みたいなものなんです。……だから、どうか、よろしくお願いします」
怪異は、まるで大切な宝物を預けるかのように、セリカに対して深く、静かに頭を下げた。その真摯な姿に、セリカは少しだけ困ったような、けれどこれ以上ないほど優しい苦笑いを浮かべて答えた
「……全く、仕方ないわねぇ。そんなの、言われなくたって分かってるわよ。その不器用で、イタズラ好きで、でも誰よりも優しいホシノちゃんのことは、私が責任を持ってこれからの人生、ずーっと隣で面倒を見てあげるわ。だから、安心して任せておきなさい」
セリカが胸を張って力強く請け合うと、怪異は心底安心したようにその表情を和らげた。光の粒は既に彼女の腰の辺りまでを包み込み、消滅の瞬間がすぐそこにまで迫っている
「……ふふ、ありがとうございます。……それと、消えゆく怪異がこんな身勝手なことをあなたに頼むのも、少し変な話なのですが……最後に、もう一つだけ、我が儘を言ってもいいですか?」
淡い光の粒を散らしながら、1年生の姿をした怪異は、どこか悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて小首を傾げた。その輪郭は徐々に夜の闇へと溶け込み始めており、残された時間がごく僅かであることを雄弁に物語っている。
「なによ? 私に出来ることなら、何でも聞いてあげるわよ」
セリカは、いかにも彼女らしく少しだけぶっきらぼうに、けれどその実、声音には隠しきれない優しさを滲ませて答えた。
「……私のこと、最後に一度だけでいいので……『ホシノちゃん』って、呼んでくれませんか?」
「……は?」
そのあまりにも突飛で、それでいてあまりにも切実な要求に、横で二人のやり取りを静かに見守っていた現在のホシノの方が、本気で困惑したような声を上げてオッドアイの目を丸くした
自分が自分に名前を呼ばせるような、奇妙で気恥ずかしい感覚に襲われたのかもしれない
「……長い間、小鳥遊ホシノという一人の少女の、あまりにも強すぎる感情や愛着を受け入れ、同調し続けていたからでしょうね。
どうやら私の内側にも、少しだけ彼女の心が移ってしまったみたいです。
……最後に、大好きなあなたに、その名前を呼んで欲しい。
……なんてね」
怪異は、目を白黒させて慌てている現在のホシノを一瞬だけ盗み見ると、どこか自嘲気味に、けれど愛おしそうに小さく苦笑いした。それは怪異としての未練ではなく、一人の不器用な少女の後悔が紡ぎ出した、あまりにも純粋な祈りのようだった
セリカは、足元からさらさらと消えかけていくかつての先輩の幻影を見つめた
そして、フゥと一つ、観念したような、けれどどこか深い愛おしさを孕んだ大きなため息をつくとゆっくり地面から立ち上がり、長い黒髪と猫耳を夜風に揺らしながら、何一つ躊躇うことなく光を放つ怪異の元へと歩みを進める
「……セリカちゃん?」
現在のホシノが心配そうに、その細い背中に向かって声をかける。しかし、セリカは振り返ることもなく、ただ真っ直ぐに前だけを見つめていた
一歩、また一歩と距離を詰め、パチパチと星が弾けるような白銀の光の粒の中に、その身を完全に投じた次の瞬間
「「っ!?」」
言葉もなく、セリカは目の前で消えかけていた怪異の小さな身体を、その両腕で力強く、そして壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめた
現在のホシノはもちろんのこと、無理な我が儘を頼み込んだ当の本人であるはずの怪異すらも、全く予想だにしていなかったセリカの行動に、オッドアイをこれ以上ないほど大きく見開いて完全にフリーズしてしまった
セリカの腕に包まれた怪異の細い身体は、驚きと戸惑いで微かに強張っている
そんな彼女の耳元で、セリカは包み込むような温かい声音で、静かに、ゆっくりと語りかけた
「……今まで、誰もいないこの暗い部屋で、一人きりでホシノちゃんの代わりに泣き続けてくれて、本当にありがとうね。……お疲れ様、もう一人のホシノちゃん。あとのことは全部、私に任せておきなさい」
その声は、かつて孤独に苛まれていた先輩を救い出すために、時空を超えて響かせた誓いそのものだった
セリカの腕の中で、驚きに凍りついていた怪異の身体から、すうっと静かに力が抜けていく
セリカの背中に回されかけた彼女の幻影の手は、実体を結ぶことなく光の粒子へと変わって夜空へ舞い上がっていったが、その顔には、これまでのどんな瞬間よりも穏やかで、すべての呪縛から解き放たれたような、最高の幸福に満ちた笑みが浮かんでいた
「……ありがとう、セリカ
……私の、大好きな、最高の同級生……」
その最期の言葉が、旧生徒会室の空気に優しく溶けるようにして消えた瞬間――
爆発的な、しかし決して目を眩ませることのない温かい光の粒子が部屋全体を包み込み、そして、すべての感覚が本来あるべき元の現実へと引き戻されていく
一瞬の心地よい浮遊感の後、気がつくと、二人は元の場所にいた。ブラインドの隙間から差し込む満月の青白い光だけが静かに床を照らす、真っ暗で静まり返った旧生徒会室の中に、並んでぽつんと立ち尽くしていた
耳を澄ませても、もうあの胸を締め付けるような悲しげな啜り泣きは、世界のどこからも聞こえない
そこにあるのは、ただどこまでも優しく、どこまでも温かい、アビドスの静かな夜の空気だけだった
ブラインドの隙間から差し込む、冷たくも優しい満月の青白い光が、再び旧生徒会室の床を静かに照らし出していた
いつの間にか二人の服装は、制服から先程までパジャマパーティーで着ていた見慣れた浴衣姿へと戻っている。先ほどまで視界を果てしなく埋め尽くしていた、あの悍ましいほどの純白の虚無は影も形もなく、窓の外には見慣れたアビドスの広大な砂漠が、夜の帳の中で静かに波打っていた。風が校舎の隙間をすり抜け、ガタガタと古びた窓枠を小さく揺らす音が、ここが紛れもない自分たちの現実の世界であることを、二人に優しく告げていた
どちらからともなく言葉を交わすわけでも、合図を送るわけでもなかった
二人はただ、磁石のように自然と引き寄せられるようにして再び窓辺へと歩みを進め、並んで腰をかけるようにして、夜空にぽっかりと浮かぶ見事な満月を見上げる。火照っていた身体に砂漠の涼しい夜風が心地よく染み渡り、先ほどまでの時空を股に掛けた大冒険が、まるで遥か昔の出来事であったかのような、奇妙な錯覚さえ覚えさせた
「……うへえ。なんだか、本当に大変な夜だったね」
ホシノがぽつりと、いつもの気の抜けたような、それでいてどこか愛おしそうな口調で呟いた。だが、その声音の奥底には、隠しきれない深い安堵と、言葉にできないほどの温かい感情がじわりと滲んでいる
「そうね……。本当に、これが全部タチの悪い夢だったって言われた方が、まだ現実味があるくらいだわ」
セリカは自嘲気味に小さく苦笑いしながら、ふぅと胸の内に溜まっていたものをすべて吐き出すように、大きなため息を吐き出した。重い肩の荷が完全に下りた彼女の横顔は、ここ数日の張り詰めた表情が嘘のように、穏やかで、どこまでも年相応の少女の優しさに満ち溢れていた
しかし、隣に立つホシノからの視線が、どこかじっとりと熱を帯びて自分に向けられていることに気づき、セリカは怪訝そうに眉をひそめた
「……セリカちゃん。……それとね、私、今猛烈に怒ってるからね?」
「え……?」
セリカは驚きのあまり、目を丸くしてホシノの顔を凝視する
ホシノが自分のことを「おじさん」ではなく、「私」と呼んだ。その事実だけでも十分に異常事態だったが、それ以上に、満月の光に照らされたホシノの顔が、今にも爆発しそうなほど真っ赤に染まっていたからだ
普段のへらへらとした態度や、掴みどころのない笑顔は完全に鳴りを潜め、オッドアイの瞳には本気の不満と、それ以上の羞恥が渦巻いている
「ちょっと、ホシノちゃん? 急にどうしたのよ、私、何か怒られるようなことしたかしら……」
「したよ! 大有りだよ! ……いくら、私を救ってくれた恩人だからってさぁ。……私だけの、私とセリカちゃんだけの特別な呼び方をして、あんなに優しく抱きしめちゃうなんてさ。……ズルいよ」
ホシノはむぅと子供のように頬を膨らませると、気まずそうに視線を泳がせながら、セリカの浴衣の袖をツンツンと人差し指で突き始めた。その手つきは、怒っているというよりは、完全にへそを曲げた子供のそれだった
「主であるこの私を差し置いて、あんなに熱烈にハグするなんてさー。おじさん、横で見てて本気で嫉妬しちゃったんだからね? なんだか、自分の大切な宝物を、過去の自分に横取りされちゃったみたいな、そんな変な気分なんだよ……」
拗ねた子供のように愚痴をこぼす先輩の姿に、セリカは一瞬だけ呆気に取られた
あの大冒険を終え、世界を救うような因果の改変を成し遂げた直後の会話がこれなのだろうか。しかし、その理由のあまりの可愛らしさと純粋さに気づいた瞬間、セリカの胸の奥はくすくぐったいような、そして弾けそうなほどの温かい熱で満たされていくのを感じた
「もう……。そんなことで怒ってたの? 呆れた。あんた、本当に我が儘で寂しがり屋なんだから。……そんなに羨ましかったのなら、言ってくれたら、私、いつでもいくらでもしてあげるわよ」
セリカが困ったような苦笑いを浮かべながら、少しだけからかうように言うと、ホシノは突き始めていた指をピタリと止め、ゆっくりと顔を上げた
そのオッドアイの瞳が、悪戯を思いついた子供のようにキラキラと輝き始める
「へぇ……。いつでも、いくらでも、ね? ……じゃあ、後で誰もいないところで、おじさんが満足するまでたっぷりと、その約束を果たしてもらおうかな」
「っ……、ば、バカ言わないでよ! 今のはただの例えっていうか、言葉の綾よ!」
「うへえ、セリカちゃん、さっそく前言撤回? おじさん、悲しくてまた素潜りしちゃうよ?」
「だからお風呂の話はもうやめなさいってば!」
いつも通りの、どこまでも軽妙で騒がしいやり取り。言葉の応酬を交わすたびに、張り詰めていた緊張が心地よい日常の質感へと溶けていく。しかし、一頻り笑い合った後、二人の間にふっと、少しだけ気恥ずかしいような、密やかな静寂の時間がおとずれた
ホシノは窓枠に預けていた手をきゅっと握りしめ、先ほどまでの拗ねた様子から一転して、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げながら、消え入りそうな声でぽつりと言葉を漏らした
「……ねぇ、セリカちゃん。……あのさ、さっきのことなんだけど……」
「さっきのこと?」
セリカが不思議そうに首を傾げる。怪異が消え去る直前の、あの怒涛の会話の中に、何か言い残したことでもあったのだろうか
「だ、だから……! さっき、あの怪異の私が言ってたことだよ……! 私が、セリカちゃんのことを、その……どれくらい、特別に想っているかって話……。……わ、分かってるくせに、わざわざ私に、もう一回口に出して言わせようとしないでよ……」
ホシノは完全に余裕を無くし、両手で顔を覆うようにしてフイと横を向いてしまった
あのキヴォトス最強の一角と謳われる先輩が、ただの一人の恋する少女のように、細い肩を震わせて恥ずかしがっている。浴衣の襟元から覗くうなじまでが、ほんのりと赤く染まっていた
その様子を見たセリカの心に、ほんの少しだけ悪戯心が芽生えた。普段は振り回されてばかりの先輩が、今だけは自分の手のひらの上にいる
セリカは口元に意地の悪い、けれど最高に愛らしいニヤニヤとした笑みを浮かべると、わざとらしくホシノの顔を覗き込んだ
「えー? なんのことだか、私、さっぱり分からないわね。怪異のあんたが何か言ってたかしら? ほら、本物のホシノちゃんの口から、ハッキリと口に出して言ってくれないと、私、理解できないわ」
「あー、もう! 分かったよ! 言えばいいんでしょ、言えば!」
ホシノはヤケクソ気味に顔を覆っていた手を離すと、真っ赤な顔のまま、セリカの目を真っ直ぐに見つめ返した。そのオッドアイには、これまでのどんな過酷な戦場よりも強い、まさに命がけの決意が宿っている
「私は! セリカちゃんのことが、本当に、心の底から大好きなの! ……友達としてでも、頼れる同級生としてでも、先輩と後輩としてでもなくて……一人の女の子として、誰よりも特別に、大切に想ってるの! ……だから、その……」
そこまで一気に捲し立てたところで、最後の最後、まさにあの怪異が予言していた通りに、ホシノは急に恥ずかしさが限界に達してしまい、声がどんどん小さくなって言葉が続かなくなってしまった
普段の「おじさん」という仮面を完全に剥ぎ取られ、剥き出しになった本心が、彼女の喉を拒んでしまう
金魚のように口をパクパクさせながら、視線を床へと落として俯いてしまうホシノ
それを見たセリカは、ふっと優しく目を細めた。もう、それ以上彼女をからかう必要も、言葉を重ねさせる必要もなかった。無言でホシノの小さな身体へと一歩近づき、その細い腰に両腕を回して、正面からぎゅっと力強く抱きついた
「せ、セリカちゃんっ!?」
突然の肉体の温もりに、ホシノは飛び上がるほど驚き、慌ててセリカの肩を押し返そうとした。しかし、セリカの腕には、決して離さないと言わんばかりの、優しくも確固たる力が込められていた。浴衣の重なり合う衣擦れの音が、静かな室内に小さく響く
セリカはホシノの耳元にそっと顔を寄せ、少しだけ悪戯っぽく、けれどこれ以上ないほど甘い声音で囁いた
「なによ? あんた、さっき私のことを『この命に代えても守る』って、大見得を切ってくれたじゃない。……こうして、誰よりも近くに一緒にいないと、私のこと、守れないわよ?」
「……っ」
あまりにも真っ直ぐで力強い言葉に、ホシノは息を呑んだ。しかし、セリカはそこで言葉を止めず、さらにホシノの体をぎゅっと引き寄せながら、いたずらっぽく、けれど最高に不敵な笑みをその声に混ぜる
「まぁ……ただ守られてるだけの私じゃないけどね? あんたがまた一人で背負い込もうとしたら、今度は私が、あんたを力ずくで引っ張ってあげるんだから」
その言葉は、かつて先輩の後ろを追いかけるだけだった後輩の、対等な「同級生」としての、そして隣を歩む者としての、頼もしくも愛おしい誓いだった
ホシノは完全に言葉を失い、ただセリカの心地よい体温と、甘い日向のような、どこか懐かしくて安心する匂いに包まれていた。胸の奥を焦がしていた焦燥感も、押し返そうとしていた手の力も、その温もりの前には嘘のようにゆっくりと抜けていく
張り詰めていた彼女の心から、ようやく完全に強張りが消え去った
全てを受け入れ、完全に降伏したことを示すように、ホシノはセリカの背中へとゆっくりと両腕を回すと、愛おしさを噛み締めるようにその小さな身体を強く抱きしめ返す
「……本当に、セリカちゃんは、おじさんに対してだけは、世界一の意地悪さんだね」
ホシノはセリカの肩口に顔を埋め、幸せそうに、けれど少しだけ悔しそうに呟く
それ以上の言葉は、二人の間には必要なかった。ただ、お互いの胸の鼓動が、静まり返った旧生徒会室の中で重なり合い、規則正しく響き渡る。言葉にしなくても、ホシノの伝えたかった感情の全てが、そしてセリカの返答の全てが、その抱擁の温もりを通じて、確かに魂の深いところで伝わっていた。二人の影が満月の光によって床に一つに結ばれ、長く伸びている
「……よし、それじゃあ、そろそろ戻ろっか。みんな、きっと心配して待ってるわよ」
セリカが名残惜しそうに腕の力を緩めると、ホシノもへにゃりとした、いつもの愛らしい笑みを浮かべて頷いた。その表情には、先ほどまでの爆発しそうな羞恥は消え、穏やかな幸福感だけが残っていた
「……うん、そうだね。アヤネちゃんあたり、今頃心配で行き倒れてるかもしれないし」
二人はゆっくりと身体を離すと、どちらからともなく自然に手を伸ばし、お互いの指をしっかりと絡め合うようにして、強く手を繋いだ。そして、大切な仲間たちが、温かい明かりを灯して待っている本校舎の教室へと向かって、一歩ずつ歩み出した
ガタン、と古びた扉が閉まり、廊下を遠ざかっていく二人の規則正しい足音が、夜の静寂の中に完全に消え去った、そのあと
誰もいなくなった、満月の光だけが静かに降り注ぐ旧生徒会室
セリカがかつて愛おしそうに撫でていた、あの空っぽだったはずの古いロッカーの隙間から、風もないのに、一枚の古ぼけた写真が、ひらひらと軽やかに床へと落ちた
それは、白銀の光の中に浮かび上がる、奇跡の証
かつて時間跳躍をした世界で、3人のアビドス生徒会として過ごしていたあの短い日々の中の、一瞬を切り取った思い出の断片
ドジを踏んだユメが派手に転んでしまい、それを見てお腹を抱えて大笑いしているセリカと、そんな二人に対して「もう、何やってるんですか!」と怒ってはいるものの、その口元には隠しきれない楽しそうな笑みを浮かべている、あの短髪の、1年生の時の小鳥遊ホシノの姿
写真の中の3人は、今も変わらない、永遠の幸福の笑顔を浮かべたまま、静かに新しい未来を祝福していた
めっちゃ長くなってしまった…
オマケなのですが…実は伏線回収を忘れて10分前にねじ込んでます…(((