トリニティ小話   作:how-kyou

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ある日、未来が垣間見えたセイア。
それは彼女にとって、良き予知夢だった。
彼女がどう行動するか、一日を追う話です。


未来視泣かせのサプライズ

未来視泣かせのサプライズ

 

『久しぶりに……夢を見た』

 

朝、コンコンと静かに扉がノックされる。

 

「開いてるよー」

 

一拍置いて、扉が開かれる。

ひょっこりと姿を見せたのは、珍しくトリニティの百合園セイアだった。

 

「君だったのか…おはようセイア」

 

「私だとも。おはよう、先生」

 

いつも通りの穏やかさを思わせる声。

けれど…ハッキリとは分からないが“どこか”が違うと先生は感じていた。

 

そんな百合園セイアは、

執務室へ入るなり、

ひとつ息を吐いた。

 

「朝からすまない…相談したいことがあってね」

 

「いいよ。今日は余裕あるし、なんでも聞けるよ?ささ、座って」

 

「ありがとう…それじゃあ失礼して」

 

椅子に座る所作は落ち着いているのに、

座ったあとも、彼女の細い指先だけが、

僅かに迷っている様子だった。

 

そして逡巡した後。

 

「…その、少しばかり厄介な。――いや、少し、というのは適切ではないかな。私にとっては、そこそこ重大だ」

 

「…分かった、まずは落ち着こうか。紅茶でいい?」

 

「…ああ、すまない…頂こう。…それにしても、話が早くて助かる。君は、こういう時に余計な前置きをしないから」

 

肯定を聞く前から、先生は彼女の分の紅茶を手早く淹れていた。

彼女たちに付き合っているうちに、その淹れ方も随分サマになっていた。

 

先生が用意していた紅茶は、人を選ばないものだった。

シンプルに好まれる淹れ方なら、熱湯を注いで僅か四十五秒ほど待つだけで完成する。

 

つまり、初動から1分もかからないが故に。

 

「私が前置きをしてる間に冷めちゃうからね」

 

彼女が言い淀んでいる内に出来上がり、というわけだ。

この慣れた手際の良さには彼女も少し面食らう。

 

「ふふ…淹れるのも早いのか。…ありがとう…では、頂くよ」

 

湯気の立つカップを受け取ってから、一口含んだ。

(美味しいよ…)と呟いたのちに、セイアは少しだけ目を伏せた。

 

先生は言葉が紡がれるのを待つ。

 

「先生。…今朝、夢を見たんだ」

 

その一言だけで、先生にはだいたい分かった。

 

「……戻ったのかい?」

 

「いつもは鈍感なのに、凄まじい直感力も持ってるんだね」

 

相談に来ているというのに、少しばかりセイアは呆れてしまう。

 

「でも…セイアがわざわざ朝一番で来る夢の話なんて、そう多くないでしょ?だから、そう難しくない推理だよ」

 

 確かに、とセイアは苦笑する。

 

「そうとも。戻ったよ。正確には、“戻ったように感じた”が正しいかな。失ったはずの予知夢が、今朝だけ…何故か観測できてしまった」

 

 先生は黙って先を促す。

 

「見えたものは、その殆どが断片的だ。青いノート。見覚えのあるティーカップ…そこから湯気のたつミルクティー。夕方の屋上で……いや、それはいいか。…いずれにせよ、脈絡や関連性はない。けれど、あの感覚だけは誤りようがなくてね」

 

「…体調はどうだい?」

 

「そうだね…以前ほどの眩暈も頭痛もない。少しだけ、朝から世界が“薄く二枚重なっている”ような感覚で落ち着かないけどね?」

 

そう言って、セイアは紅茶を一口飲んだ。

 

「戻ったこと自体より、戻り方が気味が悪い。だから、まず先生に報告しておこうと思ったんだ」

 

「そうか…ありがとう。話してくれて」

 

「君は、本当にそう返すんだね」

 

「何がだい?……あ、予知夢かな?」

 

「いや、そうじゃない。…“何が見えた?”って普通は聞きたくなるはずなんだが…それよりも先に、“話してくれてありがとう”だ。…まったく、可笑しな先生だよ」

 

「…えっと、それは褒めてるのかな?」

 

「七割ほどは」

 

「じゃあ残り三割は?」

 

「…狂わされっぱなしの、私からの仕返しだよ」

 

 

「リンちゃんに連絡はしておいたし……セイアが急に体調悪くなるかもしれないから…今日は一日、私が付き添うよ」

 

電話を終えた先生の言葉に、彼女は少しばかり目を見開いた。

 

「一日私に付き添って、くれるのかい…?」

 

セイアは紅茶のカップをそっとソーサーへ戻し、静かに先生を見る。

見定める。

 

それは予知夢の監視のためか。

私を保護するためか。

――それとも、キミなりの誠実さ、なのか?

 

彼女は開けた目を細めた。

 

「なら、有り難くその気持ちに甘えさせてもらおうか」

 

小さく頷いたあと、セイアは指先でカップの縁をなぞる。

 

「でも、一つだけお願いがある…その…今日、君は私に“見えたもの”の答え合わせをさせないで欲しいんだ」

 

「分かった」

 

「……ずいぶんと即答だね?内容は気にならないのかい?」

 

「気にならない、と言えば嘘になるよ。でも…セイアのお願いだからね」

 

その言葉に、セイアはほんの一瞬だけ言葉を失った。

 

 それから、視線をわずかに逸らす。

 

「……朝から困ったものだよ、先生」

 

「そうかな?」

 

「そうとも。そういう真っ直ぐなことを、さも当然みたいな顔で言われると……こちらとしては、むず痒い」

 

「セイアでもそういうことあるんだ」

 

「あるよ。私をなんだと思ってるんだ」

 

そう言って肩を竦める仕草はいつも通りだったけれど、その特徴的とも言える耳にだけ、ほんの少し熱が集まっていて…いつもよりも、赤く染まっているように見えた。

 

「じゃあ決まりだ。予知夢のことは一旦脇に置いておこう」

 

「一旦、かい?」

 

「うん。一旦…それまでは…」

 

先生は悩むそぶりを見せる。

そして、

 

「…よし!じゃあ、今日は考え込む前に外へ出よう!セイアはどこか行きたい場所無い?……ちなみに私にはあるよ!!」

 

「どうしてそうなった…?」

 

「うん?いや〜折角、一日付き添うって決めたんだからね。なにより…ここで向かい合って唸ってるだけじゃ、もったいない一日になっちゃうよ?」

 

「……相談に来たはずが、気づけば外出の予定が決まっている。こういう時の君はやはり、少し強引だね」

 

「嫌だったかな?」

 

そう問われて、セイアは少しだけ考えるように黙った。

それから、ふっと柔らかく笑う。

 

「……いや。嫌ではないよ」

 

「よかった」

 

 セイアはソーサーの脇に置いていたカップを見て、名残惜しそうに指先で取っ手に触れた。

 

「…それで、先生の行きたい場所はどこなんだい?」

 

「まだ秘密」

 

「ふむ…まあそれも一興かな」

 

「…どうしたんだいセイア?その顔は?」

 

「いやなに、私は今日学校を休んでいるわけじゃないか?」

 

「そうだね、体調不良だし仕方ないよ」

 

「私もそう思う。だが…先生はそんな生徒を、秘密のところに連れて行こうとしているわけじゃないか?…いよいよ本格的に大人に誘拐される気配が強まってきたな、と思ってね」

 

「ひどい言われようだ」

 

「冗談だよ」

 

先生は苦笑しながら上着を取る。

 

「でも、ちゃんと付き添うからね?途中で具合が悪くなったらすぐ戻るし、嫌になったならすぐ予定変更する」

 

「……そういう保険を、先にきちんと並べるんだね」

 

「大事なことだから」

 

「まったく。抜けているようで、妙なところは抜け目がない」

 

「褒めてる?」

 

「六割くらいは、かな」

 

「さっきよりかは減ったね?」

 

「でも…残りは、今日の私はあまり君の調子に合わせすぎると危険だ、という警戒心だからね?」

 

先生は肩をすくめる。

 

セイアは思う。

あんな夢を見た手前、平然と距離を詰められると困るんだ。

……主に私がね、と。

 

最後の一言だけ、少しだけ柔らかかった。

先生は小さく笑って、執務室の扉を開ける。

 

「じゃあ、エスコートさせてもらおうかな」

 

「……先生」

 

「はい」

 

「そういう台詞は、もう少し考えて言った方が安全だよ」

 

「え、今の危なかった?」

 

「少なくとも、勘違いをされかねないね」

 

そう言ってセイアは先に廊下へ出る。

けれど、その足取りは、執務室へ入ってきた時よりほんの少しだけ軽く見えた。

 

その姿に先生が笑い、小さく呟いた。

 

「……分かったよ、気を付ける」

 

 

    ◇

 

 

最初にセイアが連れて来られたのは、シャーレ近くの文具店だった。

 

「ちょっと買いたい物があってね…」

 

学生向けのノートやペンがずらりと並ぶ店内を見回して、セイアが静かに息をつく。

 

「……」

 

「詮索するつもりはないけど…もしかして、夢で見た場所だったり?」

 

「近いね。正確には“ここに似た場所”のような気もするが…。夢というものは、肝心なところほど輪郭が曖昧になるからね」

 

 セイアは先生の隣に並びながら、さらりと言った。

 

「そうかなあ」

 

「そうだとも」

 

先生は苦笑しながら棚を見て回る。

 

ボールペン、付箋、メモ帳、ファイル。

それらを一通り見たあと、手帳が並ぶ棚の前で立ち止まった。

 

青、白、淡い灰色、若草色。

整然と並ぶ表紙たちを前に、先生は少しだけ考えるように顎へ手を当てる。

 

「……やっぱり、このシリーズかな」

 

「必要なものを見つけたのかい?」

 

「うん。仕事用の手帳、そろそろ新しいのに変えようと思っててさ」

 

「成程ね」

 

「そうそう。最近、プラ…シッテムの箱からも、『自分の予定は自分で管理した方が良いです』なんて言われてたし」

 

「ふふふ…それはまた随分と珍しい機能も備わっているんだね?もっとも…君が注意される側については、あまり驚きがないが」

 

「ひどいなあ」

 

「事実だよ」

 

そう言いながらも、セイアの視線は並んだ手帳の表紙へ向いていた。

 

先生は数冊を手に取り、表紙を見比べる。

 

「……でも、せっかくだから色はセイアに選んでほしいな」

 

「私が選ぶのかい?しかし…」

 

「いいからいいから」

 

先生が手帳を何冊か抜き出して見せる。

その中に、深い青の表紙に小さな銀の箔が散った一冊があった。

 

 その瞬間、セイアの目が止まった。

 

 ――青。

 ――銀の、細かな光。

 ――手の中に収まる、静かな形。

 

 胸の奥が、ひくりと小さく鳴る。

 

「……どうしたの、セイア?」

 

「……いや、なんでもない」

 

答えながらも、セイアの視線はその一冊から動かなかった。

 

見覚えがある。

いや、“見覚え”という表現は少し違うかもしれない。

おそらく…これは今朝、夢の中で見たものだ。

 

輪郭は曖昧だった。

色も、光も、断片的だった。

けれど今、目の前にあるそれは、その曖昧な像に不思議なほどぴたりと重なる。

 

「……これが気になる?」

 

先生にそう問われて、セイアはようやく瞬きをした。

 

差し出されたその一冊を受け取り、指先でそっと表紙をなぞる。

 

落ち着いた深い青。

そこに散る銀箔は控えめで、けれど確かに目を引く。

 

夢の中で見た“青いノート”と、ほとんど同じだった。

 

「中を見てみても十分な余白がある。飾り立てすぎていないし、かといって素気なさすぎもしない。何かを記すための器としては悪くない」

 

「…やっぱりセイアは、しっかり見てるねぇ」

 

「君は、私にもっと雑な感想を期待していたのかな?…“なんとなくカッコいいから”とか」

 

「ちょっとだけ」

 

「確かにそれも間違いではないよ。深みのある色で格好がつくだろうし」

 

そう言ってから、周りを見て、セイアは一拍置いた。

 

「……成程」

 

「どうしたの?」

 

「今の“格好がつく”は手帳に向けた言葉だったのだが、君が少し満足げな顔をしたせいで、別の意味に聞こえそうだ」

 

「…確かにそうとも受け取れてしまうね」

 

「そうだろうとも」

 

そこでふと、セイアは一息ついてから、視線を僅かに横へ流した。

 

少し離れた棚の向こう。

文具を選んでいたらしいどこかの生徒が二人、こちらをちらちらと窺っている。

 

セイアと目が合った。

 

その瞬間、相手は慌てて視線を逸らした。

 

けれど、その逸らし方があまりにも分かりやすい。

どう見ても、“見てはいけないモノを見たか…あるいは聞いてはいけないコトを耳にしてしまった”側の反応だった。

 

セイアは僅かに眉を寄せたが、否定こそしなかった。

 

「先の発言の訂正はしないが……あまり得意げな顔をされると、こちらとしては少々困るよ」

 

「でも意識してしまうと…難しいかなあ」

 

「厄介だね、先生は」

 

呆れたように言いながらも、その声音は柔らかい。

 

先生はセイアの手元の青い手帳を見て、ふと首を傾げた。

 

「じゃあ、せっかく選んでくれたんだし、それにしようか?」

 

「是非そうしてくれ…私は先に外で待っているよ」

 

 

  ◇

 

 

セイアは店の外で待っていた。

 

待つこと数分。

買い終わった先生の姿を見て、セイアが呟く。

 

「無事に買えたようだね」

 

先生は袋からノートを取り出し、軽く掲げてみせる。

 

「なんとかね………そして、これはセイアの分」

 

 その一言に、セイアは言葉を失った。

 

「……私にかい?どうしてまた??」

 

「…お買い上げ3000円以上でクジが引けるっていうから、買っちゃった」

 

「そのクジで得た物はなんなんだい?」

 

「三個入り、水に流せるポケットティッシュ…まぁ…あると便利だよね、うん」

 

たはは、と笑う先生。

それを見て思わずため息を吐くセイア。

 

「…うん、というわけでセイアにあげる。せっかくだし……そうだね、日記とかつけてみるのはどうだい?」

 

セイアは、またしばらく言葉を失った。

日記、か…。

 

「……君っていう人は」

 

「え、だめだった?」

 

「違うよ」

 

夢で見た断片と、同じような青。

同じような銀箔。

 

それが今、現実の手の届く場所にある。

そして、そのきっかけは先生だった。

 

「なら嫌だった?」

 

「いや、それも違う」

 

 セイアは小さく首を振った。

 

「ただ……今日は随分と、先生に一本取られる日らしい」

 

そう言いながらも、セイアの指先は、先生の持つそのノートへ自然と伸びていた。

 

先生は少し笑って、それを彼女に手渡す。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「ちなみに“日記”と言った理由を聞いても?」

 

「今日のことでも、なんでも。セイアが書きたいものを書けたらいいなって」

 

 その答えに、セイアは静かに目を伏せる。

 

「…以前の私なら、こういうものには“見えたもの”を書いたかもしれないね」

 

「うん」

 

「断片的な明晰でも、朧げな兆しでも、忘れないように」

 

「……そっか」

 

「だが、今は」

 

 セイアはノートを胸元へ抱く。

 

「今は…今日のことを、なんと書けばいいのか少し迷うよ」

 

「迷っていいんじゃない?」

 

「いいのかい?」

 

「うん。例えば、今日の紅茶が美味しかったとか、そういうのでも」

 

その言葉に、セイアは少しだけ目を見開き、それからふっと笑った。

 

「君は、本当にそういうところだ」

 

「また可笑しな先生って言われる?」

 

「いや」

 

セイアは目を細める。

 

「今のは、悪くないよ…しかし、夢の断片と同じものを、こうして手渡されると……意味を考えたくなるね」

 

先生は言葉を待つ。

セイアはノートをそっと抱え直した。

 

「しかし…今日はそれを、少し後回しにしてもいい気がしてきた」

 

その声音は、朝よりずっと軽い。

 

先生はそんな彼女を見て、ようやく少し安心したように笑った。

 

「じゃあ、次はどこに行こうか?」

 

「歩きながら考える…でもいいんじゃないかな?」

 

 その足取りは、シャーレを出た時より、確かに軽くなっていた。

 

 

    ◇

 

 

歩きながら考える、などと言ったものの

特段向かいたい場所は思いつかず…セイアの体調が悪くなってしまう可能性を考慮し、早々にトリニティへ向かうこととなった。

 

向かう道中は穏やかだった。

 

昼の授業のある時間帯だからか、校内外問わず、生徒は少なく。

トリニティ総合学園に敷き詰められた石畳の道は、二人分の足音だけが小さく鳴っていた。

 

そんな中をほどほどに進み、セイアが開け慣れた扉の前に至る。

気を遣った先生が扉を開けると、整えられた机と椅子、差し込む柔らかな光、棚に並ぶ茶器たちが目に入った。

 

「当たり前だが、誰もいないね」

 

「授業の時間だからね…寛げる時間としては、ちょうどよかった」

 

セイアはそう言って部屋へ入り、抱えていたノートをそっと自分の定位置である、机の端へ置いた。

 

青い表紙が、光の差し込む白い机に映える。

それだけのことなのに、どこかしっくりきて…セイアは満足気に見えた。

 

「置き場所って大事だよね」

 

「大事だとも。これで…少なくとも、君のように書類の山へ雑に混ぜる未来は回避できる」

 

「えぇ…私…そんな風に見えるかな?」

 

「かなりね」

 

先生が苦笑すると、セイアは茶器棚の方へ目を向けた。

 

「さて」

 

「ん?」

 

「朝のお礼をまだしていなかった」

 

「お礼って?」

 

「紅茶を淹れてくれただろう? あれで結構落ち着けたんだ…だから、今度は私の番だ。せっかくトリニティまで来てくれたんだ、とっておきを振る舞わせてくれ」

 

セイアはそう言って、慣れた手つきでポットを用意し始めた。

動きに無駄がない。

普段から見慣れた所作のはずなのに、こうして改めて見ると、その一つ一つが静かに洗練されている。

 

「座って待っていてほしい、先生。…おっと流石に毒は入れないから安心してくれたまえ?」

 

「そこは信頼してるよ……たぶんね」

 

「“たぶん”が余計だね」

 

湯が注がれ、茶葉が開いていく。

部屋の中にやわらかな香りが満ちる頃には、さっきまで胸の奥にあった曖昧なざわつきも、また…少しだけ輪郭を失っていた。

 

やがてセイアは、淹れた紅茶を先生の前へ置く。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

「渾身の出来だ、しっかりと味わってほしい」

 

 先生がカップを口元へ運ぶ。

 一口飲んで、目を少し見開いた。

 

「……美味しい」

 

「それは結構」

 

セイアも自分のカップを手に取り、向かいへ座った。

二人きりのティーパーティー室は、普段よりずっと広く、そして静かに感じられる。

 

しばらく紅茶を飲んでから、セイアがふと口を開いた。

 

「…ところで先生」

 

「ん?」

 

「せっかくの機会だから聞かせて欲しいんだが…最近、ナギサとミカとはどうなんだい?」

 

「…どう、って言うのは?」

 

「そのままの意味だよ。あの二人と、ちゃんと穏便にやれているのか、という話だ」

 

「穏便に…?…うーん」

 

先生が少し考え込むと、セイアが目を細める。

 

「随分と歯切れが悪いね」

 

「いや、なんというか………うん、穏便ではある、と思うよ?でも、セイアの言う穏便の定義をあの二人相手にどこまで広く取るべきかが難しくて」

 

「成程成程。つまり、先生は既に感覚が麻痺しているわけだ」

 

「ひどい言われようだね」

 

「でも事実だよ」

 

セイアは紅茶を一口飲み、それから少しだけ笑った。

先生はそんなセイアを見て答える。

 

「…ナギサは最近、以前ほど“ホストとして”と気負わなくなった気がする」

 

「それは喜ばしいことだね」

 

「だね」

 

「それで、ミカとはどうなんだい?」

 

先生は「うーん…」と少し視線を上へやってから、苦笑した。

 

「前より、思ったことをそのまま口にするようになったかな。変に誤魔化したり、勢いで笑って流したりしないで……嬉しい時は嬉しい、拗ねてる時は拗ねてるって、素直にそのまま出してくる」

 

「成程」

 

 セイアは肩を竦める。

 

「私が見るに、それはかなり大きい進歩だよ。あの子は本来、素直に見えて妙なところで照れ屋だからね」

 

「そうなんだよね……。この前も、何か言いかけて、結局ナギサのロールケーキで口を塞がれてたし」

 

「それは塞がれたのではなく、塞がせたのではないかな」

 

「どっちだろうね」

 

「少なくとも、以前より君に対して素直に表現できるようにはなってきたはずだよ」

 

「……そっか」

 

「うん。もっとも、まだ少々遠回りではあるがね」

 

「そこはミカらしいかな」

 

「そうだね。だが遠回りでも、向かっている先が同じだというのなら、悪い話ではない」

 

セイアは紅茶で喉を潤わせる。

 

「…どちらも、君に対しては少しずつ気の抜き方を覚えてきたんじゃないかな。だから、まあ……悪くはないんじゃないかと、私も思うよ」

 

「…セイアから見てそうなら、たぶん大丈夫かな」

 

「もっとも…私の観測を、そこまで無条件に信用するのは少々危ういが」

 

「でも、観測云々関係なく…セイアのそういう見方って…だいたい当たるんじゃない?」

 

その返しに、面食らったセイアは一瞬だけ黙った。

そしてカップの縁へ視線を落とす。

 

「……それは、素直に受け取るべきなのだろうね、些かこそばゆいが」

 

 彼女は小さく首を振った。

 

「セイア?」

 

「今はもう、“十全に見えること”より、“見えないまましっかりと付き合えること”の方が大事なのかもしれないと…、思わずそんなことを考えてしまっただけだよ」

 

静かな声だった。

 

悲しみではない。ただ、過去の自分を少しだけ遠くから眺めているような響き。

 

先生はそこへ踏み込みすぎることなく、代わりにティーカップを持ち上げる。

 

「でも私は、そういうセイアも良いと思うよ」

 

セイアが、わずかに目を瞬く。

 

「……ほう?」

 

「見えるとか見えないとかに囚われるんじゃなくてさ。ナギサやミカのことを、ちゃんと気にかけてて、二人が少しでも楽になってるならよかったって思ってる……そういうのって、すごく友達想いなんだなって」

 

言われた瞬間、セイアはすぐに返事ができなかった。

 

ほんの少しだけ視線を伏せ、それから肩の力を抜くように小さく息をつく。

 

「……君は、本当にそういうところがあるね」

 

「変なこと言っちゃった?」

 

「…いや」

 

セイアはゆっくりと首を横に振る。

 

「変ではないよ。むしろ、そういうことをきっぱりと言えるところこそ、君が良き教育者だという証なのだと、私は思っている」

 

「…えっ?」

 

「なんだい、その反応は?」

 

「いや、その……真正面から言われると、ちょっと」

 

「ふふふ…少しは私の気持ちを理解してもらえたかな?」

 

少しだけ頬を緩めたセイアは、カップを持ち直す。

 

「君は、生徒を“役割”ではなく、ちゃんと一人の相手として見ている。だからナギサも、ミカも……きっと、私も。君の前では少しずつ素直になれるのだろう」

 

「セイア……」

 

「だから、その評価はありがたく受け取るよ。君からのものなら、尚更ね」

 

そこまで言ってから、セイアはわずかに視線を逸らした。

 

 言葉そのものは落ち着いているのに、耳のあたりだけがほんの少し熱を持って見える。

 

先生はそれに気づいて、少しだけ目を細めた。

 

「あれ?…セイア、もしかしてちょっと照れてる?」

 

「…はぁ、先生?」

 

「はい」

 

「今、良い流れで終われそうだったのだが」

 

「ごめん」

 

「まったく。キミっていう人は…」

 

そう言ってから、セイアは小さく笑った。

 

「本当に気をつけないといけないよ?」

 

「…どうしてだい?」

 

「そういう無自覚さが、本当に君の厄介なところだからだよ」

 

「無自覚さ?」

 

「うん。君は時々、自分で思っている以上に真っ直ぐで、思っている以上に距離を詰めてる」

 

 セイアはカップの縁に視線を落とし、静かに続ける。

 

「そのせいで、色々な人の心拍数を上げている」

 

「…そんなにかな?」

 

 セイアは少しだけ目を細めた。

 

「少なくとも、今日は私が証明しているよ?…“ここ”に耳を傾けて確かめてみるかい?」

 

「……ぅ」

 

胸を張ったセイアに対して、

先生が気まずそうに視線を逸らす。

その反応が少し可笑しくて、セイアは肩を揺らした。

 

「ふふ、ようやく効いてきたかな?この勝負は私の勝ちだね…セクシーなセイアですまないね?」

 

「…セイア、目のやり場に困る」

 

「君に一本取られ続けているから、少しは取り返したくもなるさ」

 

そのあと、不意に静けさが落ちた。

 

窓の外から、遠く授業の気配が微かに聞こえる。

けれどこの部屋だけは、取り残されたみたいに穏やかだった。

 

セイアは机の端に置いた青いノートへ目をやる。

 

夢の断片。

 

そこに先生がいた。ティーカップがあった。夕方の屋上があった。

 

そして。

 

…先生に、

もう一つ、

言わなかった、否、

言えなかったことがある。

 

夕暮れの屋上で、先生の胸元に自分が倒れ込んでいる光景。

 

その予知は、

あまりにも曖昧で、

あまりにも一瞬だった。

 

だから、あえて言わなかった。

言えなかった、と言うべきかもしれない。

 

それをどう解釈すればいいのか、自分でも分からなかったからだ。

 

「……どうしたの、セイア?」

 

「いや」

 

 セイアはカップを置いた。

 

「少しだけ、夢の続きを考えていた」

 

「何か思い出せた?」

 

「残念ながら、そう都合よくは行かないね」

 

そう言いながら、セイアは少しだけ目を伏せる。

 

 嘘ではない。

 ただ、全部を言っていないだけだ。

 

ナギサの気持ちも、ミカの気持ちも、分かっているつもりだった。

 

 二人とも、先生に対して少しずつ素直になり始めている。

 そしてその裏側にある、彼女達の気持ちも理解しているつもりだ。

 その変化は、友人である自分にとっては喜ばしいものとして見ていた。

 いや、実際に喜んでいる。

 

 けれど。

 

 その上でなお、屋上の夢にほんの少し期待してしまった自分がいた。

 

 そして、それは…裏切りに近く、

 少しだけ、彼女たちに悪いことをしているように思えてしまった。

 

「……おそらく…予知通りなら」

 

 ぽつりと、セイアは呟く。

 

「このあと、屋上へ向かうことになる」

 

「屋上?」

 

「うん。夕方の屋上。夢の断片の一つだよ」

 

「じゃあ、行ってみる?」

 

「……いいのかい?」

 

「セイアが行きたいなら」

 

 先生は当たり前みたいに答えた。

 

「それに、答え合わせはしない約束だけど……今のセイアが少し気にしてるなら、避けるより一緒に見に行った方がいい気がする」

 

「君は」

 

 セイアは小さく息を吐いた。

 

「本当に、生徒想いだね」

 

「そうかな?」

 

「そうだとも」

 

 そこでセイアは、ほんの少しだけ苦笑する。

 

「だが、私はちょっぴり悪い子のようだ」

 

「セイアが?」

 

「うん。君がそうして…真っ直ぐに気遣ってくれるほど、こちらとしては少しばかり後ろめたくなる」

 

「どうして?」

 

「それは」

 

セイアは青いノートを手に取った。

窓から差し込む光を受けて、銀箔がかすかにきらめく。

 

「…ふむ…まだ、言葉にするには早いかな」

 

 そして立ち上がった。

 

「行こうか、先生」

 

夢の続きを見に。

 

    ◇

 

夕方、最後に向かったのは屋上だった。

 

茜色へと傾いた空の下、風は少しだけ冷たい。

 

「ここも見たんだ」

 

セイアがそう言った。

 

「屋上、夕暮れ、君。……そして、その先は霧がかかっていた」

 

「じゃあ、ここからは初見かな?」

 

「そうだね。…私にとっても、半分くらいは」

 

「半分?」

 

「いや、なんでもない…こちらの話さ」

 

 セイアはおもむろに…屋上の端へ向かって歩き出した。

 

 だが、その途中で、予知夢のせいか、ほんのわずかに足元が揺れた。

 

「……ぁっ」

 

「ちょっ!?セイア!!!?」

 

 先生が咄嗟に手を伸ばす。

 

 次の瞬間、セイアの体は先生の胸元に支えられていた。

 

 夕暮れ。屋上。先生の腕。

 夢で見た光景と、ほとんど同じ構図。

 

 けれど。

 

「……成程、なるほどね」

 

 セイアは数秒遅れて、小さく笑った。

 

「こういうことだったのか」

 

「セイア? 大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ。少しふらついただけだ。……まったく、予知夢というものは意地が悪いね」

 

「何か見えてたの?」

 

「いや…言っただろう?断片的だった、と」

 

セイアは先生に支えられたまま、少しだけ目を細める。

 

「…まぁ、正直に言おうか?…私はてっきり、この屋上で君に抱きつく夢を見たのかと思っていた」

 

「…えっ」

 

「そして、今しがたまで、予知夢のそれをどう受け取るべきか、少しばかり悩んでいた」

 

「…えっ!?」

 

「先生は、それしか言えないのかい?」

 

 クックックッとセイアが笑う。

 先生が固まる。

 

その反応があまりにも分かりやすくて、セイアは思わず笑ってしまった。

 

「ふふ。だが、安心したよ」

 

「何に?」

 

「二人を裏切らずに済みそうだ」

 

「二人って?」

 

「さーて。誰のことだろうね」

 

セイアは先生の腕からそっと離れ、青いノートを抱え直す。

 

「少なくとも、これは告白の予知ではなかったらしい」

 

「こ、告白って」

 

「違ったのだろう?」

 

「そ、それはまあ……今のは転びそうになったのを支えただけだから」

 

「うん。だから…安心したんだ」

 

 セイアは夕焼けを見上げる。

 

「夢の断片は、やはり断片でしかない。意味を急いでつけると、随分と滑稽なことになってしまった」

 

 風が吹いた。

 

 青いノートの表紙で、銀箔が小さく光る。

 

「最初の一頁には、こう書こうかな」

 

「どんなふうに?」

 

「――“今日は、未来から少し、からかわれた日だった”とかかな?」

 

「セイアっぽいね」

 

「そうかい?」

 

「うん」

 

「なら悪くない書き出しだね」

 

 セイアは少しだけ笑って、それから先生を見る。

 

「それに、今日の私は一つ学んだ」

 

「何を?」

 

セイアはほんの少しだけ悪戯っぽく目を細めた。

 

「キミが予想以上に狼狽える様は、実に面白い」

 

「そこ!?」

 

「そこだとも」

 

 先生が額に手を当てる。

 セイアは楽しそうに笑った。

 

 しばらくして、先生が少し真面目な顔に戻る。

 

「…空に夜の気配が広がってきたね、そろそろ戻るかい?」

 

「……そうだね、そうしようか」

 

 先生はそう言ってから、続けた。

 

「さっきもふらついてたし、寮まで送らせてもらうよ」

 

 ぴたり、とセイアの動きが止まった。

 

 それから、彼女はゆっくり瞬きをする。

 

「……先生」

 

「はい」

 

「それは、送り狼というやつだね?」

 

「違うよ!?」

 

 あまりに綺麗な即答だった。

 

 その反応を見て、セイアは堪えきれずに笑った。

 

「ふふっ……冗談だよ」

 

「冗談にしては心臓に悪いんだけど」

 

「今日、私の心拍数を上げた分だ。少しくらいキミも上げたって罰は当たらないだろう?」

 

 セイアは青いノートを胸元に抱え、夕日の中で穏やかに微笑んだ。

 

「では、責任を取って送り届けてくれたまえ、先生」

 

 先生が真面目に頷くと、セイアはまた小さく笑った。

 

 夢は、やはり夢だった。

 未来のようで、ただの断片で。

 告白のようで、転びかけた体を支えられただけで。

 

 けれど、その勘違いも含めて、今日という現実は悪くなかった。

 

「まったく」

 

 セイアは小さく呟く。

 

「今日は、本当に一本どころでは済まなかったね」

 

 そう言って歩き出した彼女の足取りは、朝よりもずっと軽かった。

 

 

 

 




この間のガチャで200回回してセイア来ていただきました。
あ〜耳吸いたい。思いっきり。余すことなく。
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