神性の武将を堕とせるか

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貴様もルームの犬となれ

 

 深更、要塞に設けられた総司令官の執務室で、灯に燻る油の匂いをかすかに感じながら、白い紙に筆を走らせる。

 

 東アシア遠征軍総司令官プブリウス・アエリウス・コルネリウス大将より参謀総長に報告を送る。

 

 ハン国に対する第六次の大攻勢において、我が軍団は勝利を制した。敵軍の歩兵打ち取ること一万弱、騎兵と石弓兵部隊も撃滅し、十余人の敵将校の首も胴体と泣き別れさせ、敵地に大いに歩みを進めた。皇帝陛下の光輝と武威に栄あれ。

 

 しかし、私は何の臆面もなく言うが、これは戦術的な勝利であって戦略的な勝利ではない。ハン国は未明の社会で将兵の質は我が方に比べ話ならぬほど低次元だが、そのような生態の常として人草は無尽、兵隊が雲霞のごとく湧いていくる。敵国の首都を落とすような全面的な勝利にはもうしばしの時間をいただきたい。念のため申し添えるが、これは私の能力の不足を意味するものではなく、予想外の要素により予定の攻略期間を過ぎるものの、戦いは万事順調に進んでいる。

 

 また、六度にわたる攻勢のため、我が軍にも少なからず被害が生じている。三万人の兵士を増派して欲しい。無論、増派がなくとも勝利を制することができると約束するが、増援が到着すれば、より事は簡単に進むだろう。

 

 報告書とともに銀鉱で採掘した銀を送るので――

 

 筆跡がかすれてきたので墨壺に筆をつけ、続きを書こうとしたが、力加減を間違ったのか墨壺を倒してしまった。

 

 真っ黒い墨汁が白い紙を徐々に犯していく。支配地域を拡充する作戦地図のようだ。

 

「これはいけない、墨壺を倒してしまいました。代わりの紙と墨をお願いできますか」

 

「はっ。直ちに用意します閣下」

 

 脇に控えていた従卒のアリウス曹長が答えた。

 

 彼は手際よく、代わりの品を用意し手巾で机を拭いた。

 

「ありがとうございます、さて」

 

 私は目の前に置かれた紙と墨壺をじっと見つめた。そして発作的にその墨壺を掴んで壁に叩きつけた。

 

「なぜ、こんなことになっているのだ!」

 

 俺は叫んだ。

 

「閣下、お気を確かに」

 

 アリウスが私の体を支えようとする。

 

「黙れ! 話が違うではないか!」

 

 俺は激情のままアリウスの手を振りはらう。

 

 俺が家名の力や賄賂や後ろ暗い手段まで使って東アシア遠征軍の総司令官になったのは、奴らが弱敵だと聞いていたからだ。ルーム帝国の軍隊は世界最強、東アシアの未開人など敵ではないと。ただ軍隊を率いて東に行くだけで全ての栄光が得られる。誰もがこぞってこの遠征の総司令官になりたがり、俺がその座を射止めてからは羨望の視線を送った。

 

 それがどうだ。

 

 確かに遠征の序盤は優勢だったのだ、ハンの徴収兵はルームの職業軍人に比べるものではなく、文治主義を掲げるハンは武官を冷遇していたので、将官も士気は低かった。むしろこちらに寝返るものが多かった。

 

 しかし、半年前、対ルーム軍の総司令官として新しい将軍が赴任してから全てが変わった。

 

 その男の名はユエン・ムー。元は北方の国境で遊牧民相手に戦っていたと聞く。剽悍な北方騎馬民族相手に国境を守り切ったのだ。その時点でただものではない。

 

 だが、俺は大して危惧はしていなかった。ルーム軍は至強、ただ戦場の定石を守るだけで勝利は約束されていると思っていた。

 

 しかし、ユエン・ムーに率いられたハン軍は一変していた、兵士たちは死兵のごとく命を惜しまず戦い、将校たちは時に陣頭に立って、軍団を指揮した。戦線は膠着した。

 

 俺は苦い思いを禁じられなかった。どこで聞いた話なのかは忘れたが、偉大な将軍というのは部下たちに神性を感じさせるものらしい。彼に率いられた軍は神に従うがごとく戦う。

 

 それは俺にはない素質だと分かっている。

 

「おい、貴様。今すぐ俺の目の前にユエン・ムーを連れてこい! 脳天に鉄をくれてやる!」

 

 俺はアリウスを睨む。アリウスは一部の隙も見せず直立したまま何も言わなかった。

 

 俺はアリウスの横面を殴り飛ばした。アリウスが床に倒れこむ。その胸ぐらをつかむ。

 

「抱いてやる、寝室に来い」

 

「はっ。了解しました閣下」

 

 アリウスが敬礼しようとしたので、もう一発拳を叩きこもうとした瞬間だった。扉が乱暴に叩かれる。

 

 俺とアリウスは黙って見つめあった後、お互い威儀を正した。

 

「どうぞ、鍵は開いています」

 

 アリウスが扉の向こうに声をかける。

 

 急ぎ足で入ってきたのは副司令官だった。いつも厳粛で表情を崩さない老将は珍しく、顔に狼狽を浮かべていた。

 

「閣下、問題が生じました」

 

 私は彼に椅子を進めると、アリウスに葡萄水を二つ頼んだ。

 

「マクシムス中将、何が起こったというのです?」

 

「降兵です」

 

 マクシムスは葡萄水を一息に呷っていった。

 

「ただの降兵ではないのでしょう? それなら貴方はそんなに焦らない」

 

「御意。敵軍の将校数名が降ってきております。そして」彼は顔をこちらに近づける「彼らはユエン・ムーを捕縛してきております」 

 

 

 

 私は降兵の代表者を会議室に呼んだ。緊急招集を受けた遠征軍の将校たちの視線がまだ年若いアシア人の青年に集中している。その顔には疑いと軽蔑が浮かんでいた。

 

「ハン帝国対ルーム軍で騎兵将校を務めるリー・ウーであります。我々は貴軍団に降服を申し出ます。要塞の外にムー将軍を捕縛してきておりますので、降伏を認められ次第、お引渡しします」

 

「降伏を受け入れます」私は上官を売った者に対する蔑視を表に出さぬように彼に笑いかけた「歓迎しますよ、リー殿。ご要望があればなんなりと」

 

「はっ。一つお頼みしたいことがあります」リーは真剣な表情で言った「ユエン・ムー将軍の身の安全を総司令官殿の名前において約束してください」

 

 会議室に静かなざわめきが起こった。マクシムスがリーを睨む。

 

「貴様がムー将軍を誘拐しなければ、彼の身の安全など心配する必要もない話だったはずだが」

 

「ご指摘はごもっともです」リーは揺るがない「しかし、残念ながらそうではなかったのです。ハンの宮廷はムー将軍が謀反を企んでいるとして、処刑命令を出しました」

 

 室内を耳が痛くなるような静かさが領した。

 

 俺はマクシムスと目線を交わした。彼は難しい顔をしている。

 

 確かに対ユエン・ムーの作戦としてハンの宮廷内にムーの謀反のうわさを流したことは事実だ。しかし、それはムー将軍に対抗するための数多い謀略の一つであって、決して本命ではなく、率直に言うとやるだけ無駄だと思われていたような手段である。

 

 ムーが真実謀反を企んだのなら、すでにハンという国名は地上から失われている。そんなことぐらい誰だって分かりそうなものだが、ハンの宮廷は何を考えているのか。それともこれはリーの嘘で何かの作戦なのか。しかしムーを囮にした罠などありえない。すべてを信用するわけじゃないが、ここは受け入れてもいいだろう。

 

「悲劇の名将というやつですね、お気の毒に。分かりました、東アシア遠征軍総司令官プブリウス・アエリウス・コルネリウス大将の名前でムー将軍の身の安全を保障します」

 

「総司令官閣下の寛大な心遣いに衷心から感謝申し上げます」

 

 リーは地面に触れ伏す勢いで頭を下げた。

 

 

 

 ムーは地下の一室に運び込まれた、牢屋ではない。光こそ差さないが、調度品は整えられ、貴人を遇するに相応しい部屋に改造されている。

 

 私は護衛の兵を引き連れ扉を叩いた。返事を待たず室内に踏み入る。

 

 髭の長い面長の男が瞑目し、床に座っていた。彼はこちらを瞥見すると立ち上がる。俺はその背の高さに驚いた。東アシアに人種はルーム人に比べ小柄だが、彼は俺より頭一つ以上背が高い。その割に細身で、なんとなく長命な植物のような雰囲気がある。彼はかすかに笑った。

 

「降将の礼儀として、私から名乗り申し上げます。ハン帝国対ルーム軍ユエン・ムーです」

 

 穏やかな声音だった。

 

 俺は動揺を隠しながら返す。

 

「東アシア遠征軍総司令官プブリウス・アエリウス・コルネリウス大将です。お初にお目にかかります。ムー将軍」

 

 私たちは数瞬、黙り込んで、そしてどちらからともなく笑った。

 

「我々がお互いに相まみえる時は、どちらかは胴体がないものと思っておりました。この度はとんだ災難に合われましたね将軍。私が言うのもなんですが、ハンの宮廷は何を考えているのでしょうか?」

 

「さて」ムーは首を傾げる「一介の武官には分かりかねます。しかし、私はハンを信じておりますよ」

 

「信じる?」私は何か自身の繊細な部分を荒々しく撫でられた気がした「何を信じるのです?」

 

「彼らの国を思う志です」ムーは遠くを見つめる表情をした「私を処刑命令を出したのなら、それは必要なことだったのでしょう。私は粛然とそれを受け入れるのみです」

 

 突然ムーは高笑いをあげた。

 

「こういうと悟っているようですが、正直なところ予想していた展開の一つですから別段驚きもないのですよ。縁者とは総司令官になった時に関係を断ちました、誰にも類は及びません」

 

「へえ」俺はムーに詰め寄った「貴方はハン上層部に切り捨てられる覚悟で戦ってたと? 率直に言って理解に苦しみますね。功績にはそれに合った褒賞が支払われるべきだ。それは社会の基本だし、国家を強くしますよ」

 

「然り、我々が貴方の国に比べて弱いのはそのせいでしょう。遠征軍相手に国家を総動員しなければ防衛しえない。貴方の国は素晴らしいです」

 

「私としては貴方の国を圧倒したかったのですがね」

 

「私のあとを襲う者次第といったところでしょうか。座りませんか?」

 

 俺たちは床に直接座った。

 

 どうもムーに主導権を握られているような気がする。俺は焦って切り出した。

 

「貴方には二つの道がある、ルーム本土で安楽な生活を送るか、私の相談役としてハン遠征軍に加わるか。どちらでも厚遇は約束する」

 

「第三の選択肢を。私の首を切り飛ばし、ハンの陣営に投げ込んでください」

 

 俺はしばらく黙り込んで答えた。

 

「何故だ。あんたが忠誠を尽くしても誰も認めてくれんぞ」

 

「貴方は他者の目を必要とする人ですね」

 

「なんだと?」

 

「貴方は他人に認められて初めて自分の価値を実感できる。私は違います。本質的に他人を必要としません。自分一人が満足し、自分一人が納得できればそれでいいのです。ああ、私は忠誠を尽くしたと納得して死ねるなら、死後に墓を汚されようと気にしません」

 

 俺は目の前に男の表情を観察する。虚勢も欺瞞もそこには見つけられない。

 

 ああ、この男の全てが気に入らない。超然とした態度も、俺を歯牙にもかけない態度も、敵に捕らわれたというのに恐怖も何もない態度も。

 

 ならば、どうするか。

 

 

 

 転向させてやる。

 

 

 

 

 俺は決意した。あらゆる手段を使って目の前に男を堕とす。そのためにどんな犠牲を払ってもいい。

 

「ムー将軍は部下に裏切られて動転しておられるのではないですか」

 

 俺は立ち上がった。

 

「しばらくはこの要塞でお過ごしください。将軍の処遇は追ってまた決めましょう」

「ご随意のままに」

 

 ムーは深々と頭を下げた。

 

 俺は心中にふつふつと湧き上がるものを感じながら、意識して扉を丁寧に閉める。

 

 神性の武将……神性の武将!

 

 俺は小さい声で呟きながら執務室に戻った。

 

 

 

 これは、俺とムーの愛憎の一年間の物語。

 

 


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