原作の悲しきエンディングをどう変えるのか?
第8話と同時公開!
潮の匂いがやけに鼻につく。
船の揺れが収まったと思ったら、今度は足元がふわつく。
伊藤カイジは桟橋に降り立った瞬間、軽くよろけた。
「おいおい大丈夫かいな」
横から笑いながら声をかけてきたのは服部平次だ。
「顔色、紙みたいやで」
「うるせえ……船は反則だろ……」
胃の奥がまだ揺れている感覚が残っている。地面に立っているはずなのに、どこか現実感が薄い。
「もう、カイジさんってば」
毛利蘭が苦笑する。
その横で江戸川コナンがいつもの調子で周囲を見回している。
そして、偉そうに腕を組んでいるのが毛利小五郎だ。
「ふん……ここが月影島か」
静かすぎる島だった。
人の気配はある。だが妙に音がない。風の音だけがやけに耳につく。
背中に、理由の分からないざらついた感覚が残る。
こういう場所はろくなことにならない――そんな直感が、やけに強く働いていた。
「で、その手紙やけど」
服部が小五郎の方を見る。
「ああ、これだ」
小五郎が封筒を取り出す。
「差出人は……麻生圭二」
蘭が少し驚いたように言う。
「でもその人、亡くなってるんですよね?」
「そうだ。十年以上前に火事でな」
死んだ人間からの依頼。
あり得ない話だが、現実にここまで来ている。
胸の奥に、嫌な重さがじわじわと広がっていく。
笑えない。これは冗談で済む話じゃない。
島の住民に聞き込みをしながら、五人は診療所へ向かう。
「先生に聞けば分かると思いますよ」
そう言われて案内された建物は、古びてはいるが妙に整っていた。
「月影島診療所」
木の看板が風に揺れている。
扉を開けると、外の空気とは違う静けさが広がった。
「すみませーん」
蘭が声をかける。
少しして、奥から足音が近づいてくる。
「はい、どなたですか?」
現れたのは白衣を着た人物。
浅井成実。
柔らかい笑顔。落ち着いた声。人当たりの良さがにじみ出ている。
「私、この島の医師をしている浅井成実です」
丁寧に頭を下げる。
第一印象は、完璧だった。
優しい。穏やか。信用できそうな人間。
だが――
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
理由は分からない。ただ、どこかで警鐘が鳴っている。
こういう違和感は、大抵当たる。
「俺は名探偵・毛利小五郎だ」
小五郎が前に出る。
「ある依頼でこの島に来た」
「依頼、ですか?」
成実が首を傾げる。
その瞬間、コナンが口を挟む。
「麻生圭二って人、知ってる?」
空気が一瞬だけ止まった。
ほんのわずか。だが確かに止まった。
成実の表情が、一瞬だけ硬直する。
見逃すような変化じゃない。
その後すぐに、元の笑顔に戻る。
「ええ……知っていますよ。有名なピアニストでしたから」
服部がじっと成実を見ている。
「“でした”っちゅうことは……」
「はい……もう亡くなっています。火事で……」
静かに語るその声。
だがその奥に、感情の濁りのようなものが見え隠れする。
完全に隠しきれていない。
診療所の中は、外の静けさとはまた違う、妙に整った空気が流れていた。
消毒液の匂い。規則正しく並べられた器具。
その中央に立つ浅井成実は、やはり穏やかな笑顔を崩さない。
だが――
さっきから引っかかっている。
視線、声のトーン、わずかな間。
そして何より――
頭の奥に直接流れ込んでくる“声”。
(私のお父さん……あいつらに家族全員が殺された……絶対に許すものか)
強い。
あまりにも強すぎる。
悲しみと怒りが混ざり合って、ぐちゃぐちゃになっているような声。
それなのに芯だけは折れていない。
むしろ、研ぎ澄まされている。
この場にいる誰よりも――
危険な温度を持っている。
カイジは無意識に息を飲む。
この声は目の前の女から聞こえている。
間違いない。
だが違和感がある。
名前は浅井成実。
さっき話に出た麻生圭二とは苗字が違う。
結婚か?
いや、違う。
そんな軽い話じゃない。
もっと根本的に――何かを隠している。
診療所の空気は相変わらず静かだった。
穏やかに会話は進んでいる。
浅井成実は変わらず優しく、丁寧に受け答えをしている。
だが――
引っかかる。
さっきからずっと、何かがおかしい。
その違和感が、頭の奥でざわざわと音を立て始める。
ざわ……ざわ……
気のせいじゃない。
確実に“ある”。
そして――気付く。
その違和感の正体に。
ざわ……ざわ……
そうだ……違う……
喋っている声と、心の声。
高さが違う。
1オクターブ――いや、それ以上のズレ。
耳で聞く声は柔らかく、落ち着いている。
だが、頭に直接響く声は、もっと低く、重い。
同じ人物のはずなのに、どこか別人のような響き。
思い出す。
あの時の感覚。
怪盗キッドが毛利蘭に変装していたとき――
あの時も“ズレ”があった。
ただ、あれは分かりやすかった。
声そのものが違ったから。
だが今回は違う。
声は同じだ。
なのに――高さだけが違う。
微妙で、気付きにくいズレ。
だが一度気付けば、もう誤魔化せない。
あっ……
あっ……
そうか……
視線が自然と成実へ向かう。
優しい笑顔。整った仕草。女性らしい立ち振る舞い。
だが、その奥にある“声”。
彼女は――
いや、違う。
彼は……
麻生成実(あそうせいじ)だ。
だからか。
「お父さん」と言った理由。
苗字が違う理由。
全部、繋がる。
偽名。
いや、それ以上だ。
存在そのものを作り替えている。
頭の中で、別の記憶が浮かぶ。
姉の言葉。
戸籍にはフリガナはない。
読み方は役所で登録するだけ。
そして、その読み方は簡単に変えられる。
つまり――
“成実”を「なるみ」と読むか「せいじ」と読むか。
それは自由に変えられる。
名前のトリック。
そんなところに気付く人間は、ほとんどいない。
そしてもう一つ。
もっと重要なこと。
あの心の声。
あれは、知っている。
嫌というほど、知っている。
あの怒り。
あの復讐心。
あの、底に沈んだ悲しみ。
あれは――
人を殺す直前の人間の声だ。
間違いない。
このままいけば、こいつはやる。
確実に、殺す。
だが同時に――
あの声には、まだ残っている。
悲しみが。
完全に壊れきっていない証拠。
なら――
止められるかもしれない。
今まで、そんなことは一度もなかった。
事件はいつも起きてからだった。
死体が出てから、真実を暴いてきた。
だが今回は違う。
起きる前に気付いた。
どうする……俺……
視線を横に向ける。
こうちゃん。
そして服部。
どちらも頭の切れる人間だ。
だが――
説明できない。
「心の声が聞こえる」なんて言っても信じるはずがない。
ましてや、「これから殺人が起きる」なんて。
根拠がなければ、ただの妄言だ。
なら――
やるしかない。
俺が、止める。
まずは説得だ。
事件が起きる前に、こいつを止める。
感情を揺らす。
迷わせる。
復讐を踏みとどまらせる。
そして――
見張る。
徹底的に。
一瞬も目を離さない。
もし、少しでも動いたら――
その時は、こうちゃんと服部を頼る。
あいつらなら、物理的にでも止められる。
それしかない。
ざわ……ざわ……
この島で起きるはずの“事件”。
それを、起こさせない。
それが今の俺の役目だ。
――潮風がゆっくりと頬をなでる。
月影島の静かな空気の中で、妙に胸がざわつく。
俺は、目の前にいる三人――こうちゃん、服部、そしてコナンを見ながら、口を開いた。
「なあ……ひとつ聞いていいか」
自然と声が低くなる。自分でも分かる。これはただの雑談じゃない。
こうちゃん――毛利小五郎が腕を組んで「なんだ?」と気だるそうに返す。
服部はニヤッと笑いながらも、どこか真剣な目でこちらを見る。
コナンは……静かにこちらを見ている。全部分かっている顔だ。
「もしさ……殺人事件が起きなかったら……探偵って、いらないのか?」
一瞬、風の音だけが響いた。
こうちゃんが先に口を開く。
「はあ?何だ急に」
ぶっきらぼうに言いながらも、少し考えるように目を細める。
「そりゃあよ……事件がなきゃ、出番は減るだろうな。だがな」
タバコを取り出す仕草をしながら、言葉を続ける。
「トラブルってのはな、殺人だけじゃねえ。浮気調査もあれば、行方不明もある。人間がいる限り、問題は消えねえよ」
現実的な答えだ。
だが――それは俺が聞きたい答えの“半分”だ。
服部が口を挟む。
「せやけどやな……カイジの言いたいことは、そういうことちゃうやろ?」
ニヤリとしながらも、鋭い。
「“未然に防げたらどうなんや”って話やろ?」
図星だ。
服部は腕を組み、少しだけ真面目な顔になる。
「理想論で言えばや……殺人なんか起こらん方がええに決まっとる。誰も悲しまへんしな」
少し間を置く。
「でもな、人間ってのはそこまで単純ちゃう。感情で動く生き物や。恨みも、怒りも、どうしても止められへん瞬間がある」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
あの声――あの復讐心を思い出す。
コナンが静かに口を開いた。
「でも……止められる可能性があるなら、止めるべきだと思うよ」
子供の声なのに、不思議と重い。
「事件が起きてから解決するのが探偵の仕事って思われがちだけど……本当は違う」
真っ直ぐこちらを見る。
「人を救うことが目的なら、起きる前に止めるのが一番いい」
……そうだ。
そうなんだよな。
俺の中で何かが噛み合っていく。
こうちゃんがフッと笑う。
「ガキのくせにいいこと言うじゃねえか」
コナンは苦笑する。
こうちゃんは続ける。
「まあよ……理想はそうだ。だが現実は難しい。証拠もねえ、未来も見えねえ中で“これから殺します”なんて止められるか?」
痛いところを突く。
……そうだ。そこなんだ。
証明できない。説明できない。
俺のこの“力”は。
服部がポンと肩を叩く。
「せやけどな、カイジ」
少し優しい声だ。
「お前が“おかしい”と思ったんなら、それは大事にした方がええで。探偵ってのはな、理屈だけやない。“違和感”で動くことも多いんや」
コナンも頷く。
「うん。全部を止めるのは無理かもしれない。でも、一つでも防げたら、それは意味がある」
――ざわ……ざわ……
胸の奥がざわつく。
だが、さっきまでの不安とは違う。
少しだけ、道が見えた気がする。
俺は小さく息を吐いた。
「……そうか」
完全な答えなんてない。
でも――やるしかない。
やれることを。
こうちゃんが手を叩く。
「よし!難しい話は終わりだ!腹減った!」
空気が一気に緩む。
服部が笑う。
「せやな、メシ行こか。島の飯もうまそうやしな」
コナンもいつもの顔に戻る。
「うん!」
俺も少しだけ笑った。
――その裏で、決意が固まっていく。
もし、あの声が本物なら。
もし、これから何かが起きるなら。
今度こそ――止める。
事件が起きる前に。
そう心に決めながら、俺は三人の後を追った。