心読みの逆転探偵録 カイジVS名探偵コナン   作:梅酒24

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ファイル11:ピアノソナタ『月光』殺人未遂事件 後編

 

――服部の言葉が、頭の中で何度も反響する。

お前が“おかしい”と思ったんなら、それは大事にした方がええで。

探偵ってのはな、理屈だけやない。“違和感”で動くことも多いんや。

……ざわ……ざわ……

胸の奥が騒ぐ。

逃げるな。ここで黙ったら終わりだ。

「――確かにそうだ!」

思わず声が大きくなる。

三人の視線が一斉にこっちに向く。

「だったら言うぞ……あの成実先生……あいつは――男だ」

一瞬の静寂。

「……は?」とこうちゃん。

「なんやて?」と服部。

コナンは黙っているが、目だけが鋭くなる。

来る……ここからが勝負だ。

「なぜそう思う?」コナンが静かに聞く。

……理由?

ある。だが言えない。本当の理由は。

心の声なんて。

だから――ハッタリだ。積み上げろ。

「まず……喉だ」

「喉?」こうちゃんが眉をひそめる。

「喉ぼとけが、出ている」

すぐに服部が返す。

「いや、それだけやったら決め手にはならんで。女性でも多少出とる人はおる」

ぐっ……来たか……!

「分かってる……だからそれだけじゃない」

押せ……引くな……!

「肩だ」

「肩?」こうちゃん。

「なで肩じゃない。むしろ……骨格がしっかりしてる。あれは男の肩だ」

服部がすぐに被せる。

「それも弱いな。スポーツやっとる女やったら普通にある」

……くそっ……理屈で来やがる……!

さすが探偵。甘くない。

だが――ここで引いたら終わりだ。

ざわ……ざわ……

胸がざわつく。

でも、それ以上に――焦りが強くなる。

このままじゃ……間に合わない。

「歩き方もだ」

コナンがピクリと反応する。

「重心の置き方が違う……女性特有の柔らかさじゃない。軸が前に出てる。あれは男の歩き方だ」

「……観察は鋭いけど」とコナン。

「それでも“断定”するには弱いね」

ぐっ……!

正論だ……正論すぎる……!

こうちゃんが腕を組む。

「おいカイジ、お前な……印象だけで決めつけるのは危険だぞ」

服部も頷く。

「せや。探偵は“証拠”で動くもんや」

……証拠。

そんなもん……ねえよ……!

ざわ……ざわ……

でも――

ここで引いたら、全部終わる。

あの声。

あの怒り。

あの復讐心。

あれは……ただの思い込みじゃない。

「……だったらなんだよ」

気づけば、低い声が出ていた。

三人が一瞬黙る。

「全部説明できなきゃ動けないのか?」

「……」

「確かに証拠はねえよ……理屈も穴だらけだろうよ」

自分でも分かってる。

無茶苦茶だって。

「でもな……」

喉が渇く。

それでも言葉を吐き出す。

「俺は……あいつから“ヤバい匂い”を感じてる」

服部の目が少し変わる。

「ヤバい匂い……?」

「そうだ」

一歩踏み出す。

「ただの違和感じゃねえ……もっとこう……底の方で何かが渦巻いてる感じだ」

言葉にできない感覚。

でも、確実にある。

「このまま放っておいたら……絶対に後悔する」

静寂。

こうちゃんが目を細める。

「……お前、それ本気で言ってんのか」

「ああ」

即答だった。

コナンがじっとこちらを見る。

その目は――試している。

「もし違ったら?」

「……」

答えは簡単だ。

「その時は、俺が笑い者になればいい」

一拍置いて続ける。

「でも……もし当たってたら?」

誰も答えない。

「その時、止められなかったら……どうなる?」

……ざわ……ざわ……

空気が重くなる。

服部がゆっくり息を吐いた。

「……なるほどな」

ニヤッとする。

「理屈はボロボロやけど……覚悟は本物や」

こうちゃんが頭をかく。

「まったく……面倒なこと言いやがって」

だが、その声は少し柔らかい。

コナンが小さく頷く。

「……いいよ」

「え?」

「証拠はない。でも――違和感は無視しない方がいい」

……来た。

「ただし」

コナンの目が鋭くなる。

「間違ってたら、その責任は取ってもらうよ」

思わず笑いそうになる。

「ああ、望むところだ」

服部が肩を回す。

「ほな決まりやな」

こうちゃんがため息をつく。

「仕方ねえ……付き合ってやる」

――通った。

ギリギリだが……通した。

ざわ……ざわ……

胸のざわつきは消えない。

むしろ強くなる。

だが――

これでいい。

これで……止められるかもしれない。

まだ、間に合う。

そう信じて、俺は成実のいる方へ視線を向けた。

――ざわ……ざわ……

胸の奥が、嫌な音を立てる。

さっきから消えない違和感。それどころか、どんどん形を持ち始めている。

俺は、三人の顔を順に見た。

「……あの手紙」

静かに切り出す。

こうちゃんが「手紙?」と首を傾げる。

服部は腕を組み、コナンはじっとこちらを見ている。

「依頼のやつか」

「ああ……あれだ」

俺は続ける。

「普通に考えたらよ……あれは“事件を解決してくれ”って意味だ」

一拍置く。

「でも……違う」

ざわ……ざわ……

「俺は……“止めてくれ”だと思ってる」

空気が変わる。

「止める?」服部が低く聞き返す。

「ああ」

言い切る。

「これから起きる“何か”を止めてくれって意味だ」

コナンの目がわずかに細くなる。

「どうしてそう思うの?」

……理由はある。

だが、全部は言えない。

だから――繋げる。

「タイミングだ」

「タイミング?」こうちゃん。

「こんな島にわざわざ呼び出して……わざわざ探偵を集める理由」

一歩踏み込む。

「もう起きた事件なら、警察でいいはずだろ」

……確かに、という空気。

「なのに呼んだ……しかも匿名で」

服部が小さく頷く。

「つまり……警察に知られたらまずい、ってことか」

「そうだ」

俺は続ける。

「そして……その“まずいこと”ってのは――これから起きる」

ざわ……ざわ……

「つまり」

コナンが静かに言う。

「誰かが……止めてほしいと思っている?」

「ああ」

俺は強く頷く。

「そして、その中心にいるのが……成実先生だ」

こうちゃんが眉をひそめる。

「おいおい……さっきの“男説”と繋がってんのか?」

「ああ、繋がってる」

一気に言い切る。

「成実先生は――麻生圭二の息子だ」

沈黙。

風の音だけが通り抜ける。

「……証拠は?」コナン。

来ると思った。

だが、ここは――押す。

「だからそれを探してほしいんだよ!」

声が少し強くなる。

三人がわずかに反応する。

「戸籍でもいい、島の噂でもいい、過去の記録でもいい!」

「麻生圭二に家族がいたのか、その息子がどうなったのか――全部だ!」

服部がじっと見る。

「……お前、自分では調べへんのか?」

「俺は――」

一瞬、言葉が詰まる。

だが、すぐに吐き出す。

「俺はあいつと話す」

「なに?」

こうちゃんが目を見開く。

「直接……?」

「ああ」

ざわ……ざわ……

怖い。

正直、めちゃくちゃ怖い。

だが――それしかない。

「俺にしかできない役割だ」

コナンが静かに問う。

「どうしてそう思うの?」

……言えない。

“心の声が聞こえる”なんて。

だから――言い換える。

「勘だ」

短く言う。

「俺は……あいつの中にまだ“止まれる余地”があると思ってる」

一歩踏み出す。

「完全に壊れてる奴じゃねえ……まだ戻れる」

服部の目が鋭くなる。

「……説得する気か」

「ああ」

はっきりと。

「殺人をする前に……止める」

こうちゃんが頭をかく。

「簡単に言うなあ……」

「簡単じゃねえよ」

即答する。

「だから、お前らが必要なんだ」

三人を見渡す。

「俺があいつと話してる間に――」

「証拠を集めてくれ」

「麻生圭二の過去、この島で何があったのか……全部」

コナンが小さく頷く。

「もしそれが本当なら……動機に繋がる」

服部も続く。

「せやな……背景が分かれば、止める材料にもなる」

こうちゃんがため息をつく。

「ったく……面倒な役割分担だな」

だが、その顔はもう拒否していない。

俺は頭を下げた。

「頼む」

自分でも驚くくらい、真っ直ぐな声だった。

「今回だけでいい……力を貸してくれ」

静寂。

数秒が、やけに長く感じる。

やがて――

服部がニヤッと笑う。

「ええで」

こうちゃんが肩をすくめる。

「仕方ねえな」

コナンが静かに言う。

「……やろう」

――決まった。

ざわ……ざわ……

胸の奥がまだ騒いでいる。

だが、それでもいい。

これで――動ける。

「じゃあ分担だ」

俺は顔を上げる。

「俺は成実先生を見張る。そしてタイミングを見て話す」

「お前らは情報収集だ」

「島の連中、役場、古い記録……なんでもいい」

服部が指を鳴らす。

「任せとけ」

こうちゃんが言う。

「聞き込みなら得意だ」

コナンは静かに頷く。

「真実を掴むよ」

――ざわ……ざわ……

風が吹く。

この島のどこかで、何かが動いている。

だが――

まだ、間に合う。

そう信じて、俺は一人、成実のいる方へ歩き出した。

止めるために。

殺人が起きる、その前に。

――潮の匂いが、やけに重い。

――静かな診療所。

潮の匂いがかすかに漂う中、白いカーテンがゆらりと揺れる。

成実先生は、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。

白衣、整った姿勢、穏やかな声――どこから見ても“いい医者”そのもの。

だが、その奥。

確実に、別の何かがいる。

「どうしました?伊藤さん。顔色があまり良くないですよ」

その声は優しい。

だが、カイジの耳には――どこか“作られた温度”に聞こえていた。

心の奥で、ざわざわと何かが鳴る。

ざわ……ざわ……

「いや……ちょっとな……島の空気にまだ慣れてねえだけだ」

とぼける。

だが内心では、完全に確信していた。

この女――いや、この“人間”。

何かを隠している。

しかも、とびきり重いものを。

成実は小さく頷き、カルテを閉じた。

「無理はなさらないでくださいね。この島、外から来た方には少し閉鎖的に感じるかもしれませんから」

柔らかい言葉。

完璧な受け答え。

だが――

(……今日だ……今日、あいつらを……終わらせる……)

ぞわり。

来た。

やはりだ。

この穏やかな仮面の裏で、確実に“殺意”が燃えている。

しかも、迷いのないやつだ。

カイジの背中に冷たい汗が流れる。

(くそ……やっぱりやる気だ……今日……このあと……)

それでも成実は、何事もない顔で続ける。

「ところで、伊藤さんはどうしてこの島へ?観光にしては少し時期が外れている気もしますけど」

探り。

だが自然すぎる。

普通の医者なら当然の質問。

カイジは一瞬だけ考え、口を開く。

「……まあ、ちょっとした用事だ。人探しみたいなもんでな」

「人探し、ですか」

成実は微笑む。

「それは大変ですね。でも、この島は小さいですから。すぐ見つかると思いますよ」

(見つかる……そうだ……必ず……あいつらはこの島にいる……逃がさない……)

まただ。

表情は変わらない。

だが心の中は、まるで別人。

ざわ……ざわ……

カイジは一歩踏み込む。

「先生はどうなんだ?この島、長いのか?」

「ええ。しばらくになりますね」

「へえ……じゃあ昔のことも詳しいのか?」

一瞬。

ほんの一瞬だけ、空気が止まる。

だが成実は、すぐに笑みを戻した。

「昔、ですか?そうですね……多少は」

(……あの事件……忘れるわけがない……全部……全部……)

その心の声は、今までで一番重かった。

怒り。

悲しみ。

そして、決意。

完全に“復讐者”のそれ。

カイジは確信する。

(間違いねえ……こいつはやる……今日……誰かを殺す……)

だが――

「この島って、昔なんかあったんだろ?」

あえて、踏み込む。

成実は首をかしげる。

「どうでしょう?どこの場所にも、多少の出来事はありますよ」

とぼける。

完全に。

一切、認めない。

「……例えば、麻生って名前とか」

ピクリ。

今度は、確実に反応した。

だが――それでも。

「麻生……?さあ、聞いたことがあるような、ないような」

完璧な嘘。

そして同時に――

(麻生圭二……父さん……)

カイジの中で、確信が完成する。

ざわ……ざわ……

だが、ここで“当てる”のは悪手。

逃げられる。

閉じられる。

だからカイジは、方向を変える。

「……なあ先生」

「はい?」

「人ってさ……復讐とか……考えるもんか?」

唐突な問い。

だが成実は、まったく動じない。

むしろ、優しく諭すように言った。

「復讐、ですか……」

一拍。

「おすすめはしませんね」

その声は、あくまで穏やか。

「復讐は、何も生みませんから。むしろ、自分自身を壊してしまうことが多いです」

(それでも……やらなきゃいけない……)

矛盾。

言葉と心が、完全に逆。

「……医者として、ですか?」

「ええ。人の命を預かる立場として、そう思います」

(命……?あいつらにそんな価値があるのか……?)

カイジは歯を食いしばる。

(くそ……全部流される……しかも正論で……)

そうだ。

この男――いや、この人間は賢い。

絶対にボロを出さない。

正論で包み、感情を隠し、

“いい医者”を貫く。

完全防御。

だが――

(それでも……このままじゃ終わりだ……誰かが死ぬ……)

カイジは一歩踏み出す。

「……それでもよ」

「はい?」

「それでも、どうしても許せねえことってあるだろ」

成実は少しだけ目を細める。

「……あるかもしれませんね」

(許さない……絶対に……)

「だったら――」

カイジの声が、少しだけ荒くなる。

「止められねえだろ、それ」

静寂。

数秒。

成実は、ゆっくりと微笑んだ。

「……伊藤さん」

「なんだ」

「あなた、少し疲れているんじゃないですか?」

かわされた。

完全に。

「復讐なんて物騒なこと、考えない方がいいですよ」

(もう決めてる……今さら止まれない……)

ざわ……ざわ……

カイジの拳が、無意識に握られる。

(くそ……ダメだ……言葉じゃ止まらねえ……)

この男は――

・殺す気でいる

・だが絶対に認めない

・論理で全てをいなす

最悪のタイプだ。

(どうする……どうする俺……)

初めてだ。

事件が起きる前に止めようとしている。

だが――

(……絶対に止める……)

カイジは、ゆっくりと顔を上げる。

逃げるな。

ここで引いたら終わりだ。

「先生」

「はい?」

「……俺はあんたを見てる」

一瞬だけ、空気が変わる。

だが成実は、やはり笑った。

「どうぞご自由に」

(見てろ……全部終わらせる……)

その心の声が、静かに響いた。

――時間は、もう残されていない。

――ダメだ。

まるで手応えがない。

こっちは心の中まで見えている。

復讐心が燃え上がっているのも、今日“やる”と決めているのも分かっている。

それなのに――

まったく、揺れない。

ざわ……ざわ……

成実は目の前で、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

白衣の袖を整えながら、静かにこちらを見る。

完璧な“医者”。

だがその奥では――

(あいつらを……許さない……今日で終わりだ……)

燃えている。

黒く、深く、消えない炎。

それなのに。

俺の言葉は、全部――空振り。

(なんでだ……?なんで刺さらねえ……?)

ざわ……ざわ……

考えろ。

何が違う。

何がズレてる。

――そうか。

気付く。

(俺の話になると……こいつはその土俵に乗らねえ……!)

俺が「復讐はどうだ」とか、「許せないことがあるだろ」とか、

そういう“直接的な話”をすると――

全部、“一般論”で返してくる。

医者として。

第三者として。

絶対に“当事者”にならない。

(逃げてる……いや違う……戦場を変えてる……!)

ざわ……ざわ……

だったら――

土俵を変える。

俺の話でも、成実の話でもない。

“誰か”の話にする。

「……なあ先生」

「はい?」

「例えばの話だ」

成実は小さく頷く。

「ある奴がいたとする」

「ええ」

「そいつの家族が……理不尽に殺されたとする」

一瞬だけ。

ほんのわずかに、呼吸が止まる。

だが顔は変わらない。

「……つらい話ですね」

(……ああ……つらいなんてもんじゃない……)

心の中では、確実に反応している。

よし、乗った。

「で、その犯人たちはのうのうと生きてる」

「……」

「そいつは、どうすると思う?」

成実は少し考える素振りを見せてから、答える。

「人それぞれでしょうね」

「逃げる奴もいれば、忘れようとする奴もいるでしょう」

(忘れられるわけがない……)

「でも中には――復讐を考える人もいるかもしれません」

来た。

だが。

「ただし」

スッと、線を引く。

「それが正しいとは言えません」

(正しいかどうかじゃない……やるかやらないかだ……)

ざわ……ざわ……

カイジは食い下がる。

「じゃあよ」

「そいつが復讐を選んだとして……止めるのか?」

成実は穏やかに微笑む。

「止めます」

即答。

「理由は簡単です。復讐は新しい悲しみを生むだけですから」

(そんなもの……知ってる……それでも……!)

心の中は、否定している。

だが口では――

完璧な正論。

「法律もありますし、倫理もあります」

「感情だけで動いてしまえば、取り返しのつかないことになります」

(取り返しなんて……最初からついてない……)

ざわ……ざわ……

(くそ……全部正しい……だから厄介なんだ……!)

カイジはさらに踏み込む。

「じゃあ、その復讐相手がクズだったらどうだ?」

「救いようもねえ、最低の人間だったら?」

成実は少しだけ目を伏せる。

「……それでも同じです」

「どんな理由があっても、命を奪うことは許されません」

(許されなくてもいい……)

その声は、もはや迷いがない。

(俺が……終わらせる……)

ざわ……ざわ……

カイジの喉が乾く。

(ダメだ……完全に分離してる……)

“言葉の成実”と

“心の成実”が

完全に別物。

いくら正論で包んでも、内側の炎は消えていない。

「……先生」

「はい?」

「その“誰か”はよ」

「止められると思うか?」

静かに問う。

成実は、ゆっくりと首を横に振る。

「……難しいでしょうね」

「強い感情で動いている人を止めるのは、とても大変です」

(止められない……誰にも……)

だが、続ける。

「でも」

「それでも、止める努力はすべきです」

(……来るなら来い……全部終わらせる……)

ざわ……ざわ……

カイジの中で、確信がさらに強まる。

(こいつ……完全に決めてやがる……)

もう後戻りはない。

説得も、理屈も、正論も――

全部、外側で処理される。

中には届かない。

(どうする……)

ざわ……ざわ……

(このままじゃ……絶対に起きる……)

カイジはゆっくりと息を吐く。

(だったら……)

言葉じゃない。

“タイミング”だ。

“現場”だ。

“その瞬間”を叩くしかない。

カイジは成実を見据える。

「……ありがとな先生」

「え?」

「いい話聞けた」

成実は、いつもの笑顔で頷く。

「それは良かったです」

(……もうすぐだ……)

その心の声が、静かに響く。

ざわ……ざわ……

(……見てろ……絶対に止めてやる……)

カイジの中で、覚悟が固まる。

説得は通じない。

なら――

その“瞬間”を潰す。

それだけだ。

――もう回りくどいのはやめだ。

このままじゃ、間に合わない。

ざわ……ざわ……

目の前の“医者”は、相変わらず穏やかな顔をしている。

だがその奥では、確実に刃を研いでいる。

(今日で終わりだ……全部……)

その声が、はっきりと響く。

カイジは、ゆっくりと口を開いた。

「……なあ先生」

「はい?」

「さっきの“そいつ”の話だがな」

成実は微笑む。

「ええ」

「――あれ、お前だろ」

沈黙。

ほんの一瞬だけ、空気が止まる。

だが――

成実は、崩れない。

「……何のことでしょう?」

声は穏やか。

むしろ、少し困ったような笑みすら浮かべている。

(……やっぱり来たか……でも……)

心の中では、わずかに警戒が走る。

(証拠はない……この人は何も掴んでいない……)

ざわ……ざわ……

カイジは一歩踏み込む。

「とぼけるな」

「家族を殺された話……あれはお前の話だ」

「復讐しようとしてる……違うか?」

成実は、ゆっくりと首を傾げる。

「……伊藤さん」

その声は、あくまで柔らかい。

「少し考えすぎではありませんか?」

(図星……でも……認めない……)

「私はただ、一般論としてお話ししただけですよ」

「誰か特定の人物の話ではありません」

完璧な切り返し。

ざわ……ざわ……

(くそ……やっぱりそう来るか……!)

カイジは食い下がる。

「じゃあ否定しろよ」

「復讐なんて考えてねえって言え」

成実は、ほんの少しだけ目を細める。

「……復讐を肯定するつもりはありません」

「医者として、人として、それは間違っていると思っています」

(復讐は……必要だ……)

ざわ……ざわ……

言葉と心が、完全に乖離している。

だが表面は、非の打ち所がない。

「……質問に答えろ」

カイジの声が低くなる。

「お前はやろうとしてるのか?」

成実は、一歩も引かない。

むしろ、静かに返す。

「“やろうとしている”とは、何をですか?」

「具体的に言っていただけますか?」

(来い……どうせ何も言えない……)

ざわ……ざわ……

詰められる。

証拠がない。

決定打がない。

「……殺しだ」

それでも言う。

「お前、今日誰かを殺そうとしてるだろ」

成実は、はっきりと首を横に振る。

「いいえ」

即答。

「そのような事実はありません」

(ある……でも……言うわけがない……)

「もし本当にそのような疑いがあるなら、警察に相談すべきです」

「ここで私に問い詰める理由にはなりませんよ」

正論。

完璧な防御。

ざわ……ざわ……

(全部正しい……だからこそ崩せねえ……!)

カイジは歯を食いしばる。

「……じゃあ聞く」

「お前、“麻生”って名前に反応したよな」

一瞬。

また、わずかな揺れ。

だが――

「先ほども言いましたが、よくある名前ですから」

「どこかで聞いたことがあるのかもしれません」

(危ない……でもまだ大丈夫……)

「それがどうかしましたか?」

逃げる。

いや、かわす。

「……じゃあこれも一般論か?」

カイジはさらに踏み込む。

「家族を殺された奴が、その犯人を恨むのは普通だろ」

「そいつが復讐を考えるのも、普通だ」

「違うか?」

成実は静かに頷く。

「感情としては、理解できます」

(理解なんて……いらない……)

「ですが、それと行動は別です」

「人は理性で自分を律するべきですから」

(理性……そんなもの……)

ざわ……ざわ……

カイジの拳が震える。

(ダメだ……全部流される……)

目の前の男は――

・絶対に認めない

・証拠がない限り崩れない

・正論で全てを封じる

完全な要塞。

「……いいのかよ、それで」

「え?」

「もし本当にその“誰か”が復讐しようとしてるなら」

「止めなきゃダメなんじゃねえのか?」

成実は、少しだけ微笑む。

「そうですね」

「止めるべきでしょう」

(誰にも止められない……)

「ですが」

「その“誰か”が誰かも分からないのに、どうやって止めるんですか?」

(お前だよ……!)

ざわ……ざわ……

完全に、論理で押し返される。

「……俺は分かってる」

カイジは低く言う。

「それがお前だってな」

成実は、優しく首を振る。

「残念ですが、それはあなたの思い込みです」

「証拠はありますか?」

(ない……だろ……)

ざわ……ざわ……

沈黙。

その一言で、全てを封じられる。

「……」

カイジは言葉を失う。

「もし証拠がないのであれば、それはただの推測です」

「人を疑うには、少し根拠が足りないのではありませんか?」

(その通りだ……でも……)

「私は医者です」

「患者さんを助ける立場の人間です」

(……そして……殺す……)

「その私が人を殺すなんて、考えにくいと思いませんか?」

ざわ……ざわ……

完璧だ。

論理も、立場も、言葉も。

全部揃っている。

(くそ……完全に負けてる……言葉じゃ……)

だが――

カイジは、ゆっくりと顔を上げる。

「……証拠はねえ」

成実は頷く。

「ええ」

「でもな」

カイジの目が、鋭くなる。

「俺は止める」

「え?」

「お前がやるって分かってるからだ」

ざわ……ざわ……

成実は一瞬だけ黙る。

だが、すぐに微笑む。

「……そうですか」

(……好きにすればいい……止められるものなら……)

「それはご自由に」

穏やかな声。

だがその奥には――

決して揺らがない決意。

ざわ……ざわ……

(時間がねえ……)

カイジは踵を返す。

言葉は通じない。

証拠もない。

だが――

(それでも止める……)

それしかない。

――ぐにゃあああああああああああ……

世界が、歪む。

視界がねじれる。

床も、壁も、天井も――全部が溶けていく。

ざわ……ざわ……

(無理だ……)

分かってしまった。

何をどうやっても――届かない。

心は読めている。

復讐するって、はっきり分かっている。

なのに。

止められない。

ざわ……ざわ……

(なんでだよ……)

この能力は何だ。

人の心が読める。

嘘も、本音も、全部見える。

普通の人間なら一生かけても辿り着けない領域。

神の視点。

神の力。

それなのに――

(なんで一人も救えねえんだよ……!)

ざわ……ざわ……

事件は解決してきた。

終わった後なら、いくらでも分かる。

誰が犯人で、何を考えて、どう動いたか。

でもそれは――

“後”だ。

全部終わった後。

誰かが死んでから。

血が流れてから。

(意味ねえじゃねえか……!)

ぐにゃあああああ……

膝が崩れる。

立っていられない。

(未然に防ぐ……?)

やったことがない。

一度も。

一度だって。

(できるわけねえだろ……!)

ざわ……ざわ……

あいつは決めている。

揺るがない。

論理も通じない。

感情も届かない。

完璧に、自分の中で完結している。

(詰みだ……)

この状況。

証拠なし。

説得無効。

時間なし。

(終わってる……最初から……)

ぐにゃあああああ……

頭を抱える。

指に力が入る。

(くそ……くそ……くそ……!)

歯を食いしばる。

ギリッ……!

そのまま、さらに力を込める。

(なんでだよ……!)

ギリギリギリ……!

口の中に、鉄の味が広がる。

血。

歯茎が裂ける。

だが止めない。

(俺が……!)

ギリッ……!

(俺がポンコツなせいで……!)

血が垂れる。

顎を伝い、床に落ちる。

(目の前の一人すら……!)

ぐにゃあああああ……

(救えねえ……!)

限界。

視界が暗くなる。

音が遠ざかる。

ざわ……ざわ……が、ゆっくりと沈んでいく。

(クソが……)

最後に浮かんだのは、それだけだった。

――ドサリ。

意識が、途切れる。

***

……どれくらい経ったのか。

ゆっくりと、意識が浮かび上がる。

柔らかい感触。

背中にある。

ベッド……?

かすかに、薬の匂い。

白い天井。

ぼやけた視界が、少しずつ焦点を結ぶ。

「……気が付きましたか?」

声。

聞き慣れた声。

横を見る。

そこにいたのは――

成実。

白衣のまま、椅子に座り、こちらを覗き込んでいる。

穏やかな表情。

優しい目。

まるで何もなかったかのように。

「……無理をしすぎですよ」

静かな声。

「急に倒れたので、びっくりしました」

その手が、額に触れる。

冷たい。

医者の手。

(……なんでだよ……)

意識の奥で、またざわつく。

ざわ……ざわ……

(なんでお前が……そんな顔してんだよ……)

さっきまで。

あんな声を。

あんな決意を。

聞いたばかりなのに。

「少し休めば良くなります」

成実は微笑む。

(……今日……やるんだろ……)

その心の奥から、かすかに漏れる。

(もうすぐだ……)

ぞくり。

カイジの指が、シーツを掴む。

(くそ……)

体が動かない。

頭も、回らない。

それでも――

(まだだ……)

終わっていない。

まだ、“その時”は来ていない。

(まだ……止められる……)

わずかな希望。

ほとんどゼロに近い、それでも。

ざわ……ざわ……

カイジは、ゆっくりと目を閉じる。

そして――

もう一度、歯を食いしばった。

今度は、血が出ない程度に。

(絶対に……止める……)

その意思だけは、消えていなかった。

――……天井。

白い。

ぼやけていた視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻す。

身体が重い。

頭の奥が鈍く痛む。

……どれくらいだ。

ゆっくりと首を動かし、壁にかかった時計を見る。

針の位置を認識した瞬間――

ざわ……ざわ……

(……一時間……?)

気を失ってから、丸々一時間。

その事実が、じわりと胸に落ちてくる。

その間。

ずっと、ここにいたのか。

横を見る。

椅子に腰掛けたまま、静かにこちらを見ている成実。

白衣のまま。

眠っていたわけでもなく、ただ静かに。

「……起きましたか」

いつもの声。

穏やかで、優しい。

ざわ……ざわ……

(……この人は……)

分かる。

もう、はっきりと。

この人間の本質。

(ねっからの……医者だ……)

怪我人がいれば手当てをする。

倒れていれば看病する。

敵だろうが、味方だろうが関係ない。

命を前にしたら、迷わない。

(見捨てない……)

誰一人。

……ただし。

ざわ……ざわ……

(例外がある……)

自分自身。

そして――

復讐の相手。

(……そんなの……)

胸の奥が締め付けられる。

(悲しすぎるだろ……)

他人は救う。

でも、自分は壊す。

その歪さ。

その矛盾。

(納得できるかよ……!)

ざわ……ざわ……

でも――

(……それでも……)

救いたい。

この人間を。

絶対に。

その瞬間。

頭の奥で、何かが弾ける。

ざわ……ざわ……ざわ……

(……ある……)

思考が、一気に繋がる。

(ひとつだけ……)

今まで、意図的に考えないようにしていた。

思考停止していた。

“それ”。

(禁じ手……)

分かっている。

これを使えば――

止められる可能性がある。

だが同時に。

(……最悪の手だ……)

一線を越える。

戻れなくなる。

(だから……考えないようにしてた……)

ざわ……ざわ……

だが――

ゆっくりと、視線を成実に向ける。

(……俺が覚悟を決めれば……)

そのとき。

静かな声が、耳に届く。

(最後の患者がカイジさんで良かった……)

――ッ!

身体が反応する。

(ゆっくり休んで……)

心の奥から、確実な決意。

(俺は今から……殺しに行くのだから……)

バシッ!!

反射的に、腕を掴む。

「行かせない!!」

声が、勝手に出ていた。

成実が驚いた顔をする。

「……伊藤さん?」

そんなの関係ない。

もう、抑えられない。

「最後の患者なんて言うなよ!!」

ざわ……ざわ……

「ふざけんなよ……!」

息が荒い。

思考がぐちゃぐちゃだ。

でも――

これしかない。

「俺は……!」

喉が焼ける。

それでも吐き出す。

「心が読めるんだ!!」

沈黙。

空気が、止まる。

成実の目が、わずかに見開かれる。

「……何を言っているんですか」

当然の反応。

だが――

「だから止めようとした!!」

全部、ぶちまける。

「お前が何考えてるか分かってるからだ!!」

ざわ……ざわ……

もう止まらない。

「復讐するって思ってることも!!」

「今日やるって決めてることも!!」

「全部聞こえてんだよ!!」

息が乱れる。

でも、構わない。

「だから言ったんだろ……!」

「復讐はやめろって……!」

沈黙。

数秒。

成実は、静かに口を開く。

「……それは、妄想ではありませんか?」

冷静な声。

いつもの調子。

「人の心が読めるなんて、非現実的です」

ざわ……ざわ……

(来ると思った……!)

カイジは即座に返す。

「じゃあ証明してやる!!」

一歩、踏み込む。

「今、お前こう思っただろ」

指を突きつける。

「“証拠はない、だから否定し続ければいい”ってな!!」

ビクッ――

ほんの一瞬。

成実の呼吸がズレる。

(……!)

ざわ……ざわ……

さらに畳みかける。

「それと……!」

「“もうすぐ時間だ、こいつを振り切れば間に合う”って思ってる!!」

沈黙。

今度は、長い。

空気が重くなる。

「……」

成実の表情が、わずかに変わる。

初めて。

仮面に、ヒビが入る。

ざわ……ざわ……

「……偶然、ですね」

それでも、崩さない。

「そういう風に考える人は多いですから」

(違う……こいつ……)

内心では、明確な動揺。

(……読まれている……?)

カイジはさらに近づく。

「まだ言うか?」

「“父さんのことを思い出すと手が震える”ってのもか?」

ピタリ。

完全に、止まる。

ざわ……ざわ……

空気が、凍る。

「……」

成実は、何も言わない。

言えない。

(……なんで……)

その心の声が、初めて揺れる。

(なんでそこまで……)

カイジは息を吐く。

「分かっただろ……」

声が、少しだけ落ち着く。

「俺は、全部知ってる」

「だから――」

腕を、さらに強く掴む。

「行かせねえ」

ざわ……ざわ……

「やめろ」

「復讐なんて……」

言葉が詰まる。

それでも――

「……お前が壊れるだけだ」

沈黙。

長い、長い沈黙。

その中で――

初めて。

成実の中の“何か”が揺れ始めていた。

ざわ……ざわ……

(……止められるのか……?)

カイジの中で、不安と希望がせめぎ合う。

だが――

もう、引かない。

禁じ手を使った。

後戻りはない。

(ここで止める……!)

その覚悟だけが、強く残っていた。

――ベッドの上。まだ少しだけ残る鈍い痛み。

だがそれ以上に、胸の奥でざわつくものがあった。

ざわ……ざわ……

逃げ場はない。

言葉じゃ届かない。論理でも届かない。

なら――見せるしかない。

俺はゆっくりと体を起こし、成実先生を見据えた。

「証明してやる……」

喉が渇いている。だが構わない。

ここで引けば終わりだ。

「今から成実先生の心の声を俺が全部読み上げる」

一瞬、空気が止まった。

成実は静かに笑う。いつもの優しい医者の顔だ。

だがその奥――俺には見える。聞こえる。

「……面白い冗談ですね、カイジさん。まだ頭が混乱しているんじゃないですか?」

穏やかだ。完璧だ。

だが――

(この人……本気で言ってる……?でも、そんな能力……あるわけがない……落ち着いて、流せばいい)

ざわ……ざわ……

俺はそのまま口を開く。

「“この人……本気で言ってる……?でもそんな能力あるわけない……落ち着いて流せばいい”……そう思ってるだろ」

ピタリ、と成実の指先が止まる。

ほんの一瞬。だが確実な“ズレ”。

「……偶然ですよ。人間、似たようなことは考えますから」

(落ち着け……まだ偶然の範囲……動揺するな……)

間髪入れずに叩き込む。

「“落ち着け……まだ偶然……動揺するな”……だろ」

ざわっ――

空気が変わる。

さっきまでの“医者”の空気じゃない。

それでも成実は崩さない。崩さないが――

(なにこれ……どうして……どうして分かるの……?)

「“なにこれ……どうして分かるの……”」

俺は被せるように言う。

沈黙。

時計の針の音だけがやけに大きく響く。

ざわ……ざわ……

それでも成実は笑みを作る。

だが、もう“作っている”のが丸わかりだ。

「……仮にそうだとして、それが何になるんですか?人の心が読めるからって――」

(やめて……これ以上踏み込まないで……)

「“やめて……これ以上踏み込まないで……”」

「っ……!」

ついに息が詰まる。

逃げ場がない。

心の奥、そのままを引きずり出されている。

俺は一歩踏み出す。

「まだやるか?雑談でも何でもいい……全部拾ってやる」

成実は黙る。

それでも、目は逸らさない。

(この人は危険……でも……ここで認めたら……全部崩れる……復讐も……覚悟も……)

ざわ……ざわ……

俺は低く、しかしはっきりと言う。

「“ここで認めたら全部崩れる……復讐も覚悟も……”」

その瞬間。

成実の肩が――わずかに震えた。

沈黙。

長い、長い沈黙。

そして――

「……本当に……読めるんですね」

小さく、しかし確かに。

仮面が、ひび割れる。

だがまだ、完全には崩れない。

(でも……だから何……?それでも私は止まらない……止まれない……)

ざわ……ざわ……

俺は歯を食いしばる。

まだだ。

まだ届いていない。

「“それでも私は止まらない……”」

言葉にするたびに、胸が締め付けられる。

それでも――やめない。

ここで止めなきゃ、この人は本当に――

取り返しのつかない一線を越える。

ざわ……ざわ……

「だったら……その“止まらない理由”を全部引きずり出してやる……!」

俺の声が震える。

怒りじゃない。

焦りでもない。

――必死さだ。

目の前の一人を、どうにかして救いたいという。

どうしようもなく、不器用な――

必死さだった。

――空気が重い。

息をするだけで肺が軋むみたいな、そんな圧迫感。

それでも俺は、逃げなかった。

ざわ……ざわ……

成実先生は、まだ立っている。

あの優しい顔のまま。

でもその奥――煮えたぎる復讐心は、隠しきれていない。

俺は一歩踏み込む。

「……この島の連中、あんたのこと好きだよな」

静かに言った。

「医者として信頼されてる。優しい先生だって……みんな思ってる」

成実は微笑む。

「ありがたいことですね。それが私の仕事ですから」

(だからこそ……壊せない……この仮面は……)

ざわ……ざわ……

「“壊せない……仮面……”」

俺はすぐに拾う。

成実の目が、ほんのわずかに揺れる。

「……それでも人は、辛いことを抱えて生きてます。特別なことじゃない」

来た。

正論。一般論。完璧な受け流し。

でも――

ざわ……ざわ……

「特別じゃねえだと……?」

喉の奥が焼ける。

「ふざけんな……俺の人生、聞かせてやろうか」

止まらない。

止められない。

「借金まみれ……底辺……クズ扱い……誰にも信用されねえ……

働いても搾取されて……気付けば何も残らねえ……」

拳を握る。血が滲む。

「希望なんて一度もねえ人生だ……!それでも……」

俺は成実を睨む。

「人、殺してねえんだよ……!!」

ざわ……ざわ……ざわ……

空気が震える。

成実は静かに返す。

「……だから何ですか。辛いことは誰にでもあります。あなたが耐えたからといって、他人にも同じことを強いる理由にはならない」

(この人は自分を正当化してるだけ……私とは違う……)

「“この人は自分を正当化してるだけ……私とは違う……”」

即座に叩き返す。

「違わねえよ!!」

声が割れる。

「辛いことなんていくらでもある!!裏切られることも、奪われることも!!」

ざわ……ざわ……

「でもな……だからって殺していい理由にはならねえだろうが……!」

成実は目を伏せる。

だが心は叫んでいる。

(違う……あれは“奪われた”なんて言葉で済むものじゃない……)

「“奪われたなんて言葉で済むものじゃない……”」

俺は一歩、さらに踏み込む。

「だったら教えろよ……」

低く、絞り出すように言う。

「家族のこと」

ピクリと反応。

「父親……母親……妹……」

ざわ……ざわ……

(やめて……そこは……)

「“やめて……そこは……”」

逃がさない。

「名前は……麻生圭二……だろ」

沈黙。

空気が、完全に止まる。

「……どうして、その名前を」

震えている。

声が、わずかに崩れる。

ざわ……ざわ……

「俺はな……」

ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「生きてる人間だけじゃねえ……死んだ人間の声も……聞こえる」

成実の目が見開かれる。

(嘘……そんなこと……)

「“嘘……そんなこと……”」

「嘘じゃねえ」

俺ははっきり言い切る。

「さっきから……聞こえてるんだよ……」

――ざわ……

違う“声”。

静かで、優しくて、でも深い悲しみを抱えた声。

俺はそれを、そのまま言葉にする。

「……“成実……もうやめなさい”……って言ってる」

成実の呼吸が止まる。

「“お前は優しい子だ……復讐なんて似合わない”」

膝がわずかに揺れる。

「“生きてくれ……幸せになってくれ……”」

ざわ……ざわ……ざわ……

涙が――こぼれそうになるのを、必死に堪えている。

俺はさらに続ける。

「母親も言ってる……」

「“あなたが笑ってくれることが一番の願いよ”」

「妹も……」

「“お兄ちゃん……もういいよ……”」

限界だった。

成実の肩が、大きく震える。

(やめて……やめて……やめて……)

「“やめて……”」

俺は叫ぶように言う。

「やめねえ!!」

ざわっ――

「ここで止めなきゃ……あんた本当に戻れなくなるだろうが!!」

息が荒い。

胸が痛い。

でも止まらない。

「復讐して……何が残る……?」

「家族が喜ぶと思うのかよ……!?」

ざわ……ざわ……

「違うだろ……」

声が震える。

「幸せになってほしいって……言ってるじゃねえか……!」

沈黙。

長い、長い沈黙。

成実は顔を覆う。

指の隙間から――涙が落ちる。

それでも――

(それでも……私は……)

ざわ……ざわ……

まだ消えない。

復讐の炎が、まだ消えていない。

俺は歯を食いしばる。

「……くそっ……!」

ここまでやっても――まだ届かねえのかよ……!

それでも。

それでも俺は――

この人を、止める。

絶対に。

ざわ……ざわ……

 

――逃がすかよ。

ざわ……ざわ……

崩れかけている。だがまだ折れていない。

このままじゃ……このままじゃ届かねえ。

俺は踏み込む。

そして――成実の腕を掴んだ。

その瞬間だった。

ドクン……ドクン……

心臓が、跳ねる。

いや、違う。俺のじゃない。

何かが――流れ込んでくる。

ざわ……ざわ……ざわ……

意識がぐらつく。視界が歪む。

立っていられない。

――違う景色。

白い天井。

消毒液の匂い。

ベッドの上で、小さな身体が咳をしている。

……成実だ。

弱々しく、それでも必死に生きている。

「……お父さん……お母さん……」

掠れた声。

そして――

優しい手。

「大丈夫よ、成実。すぐ良くなるからね」

母親の声。

「お前は強い子だ。ちゃんと乗り越えられる」

父親の声。

その隣で、ちょこちょこと動く小さな影。

「お兄ちゃん、がんばれー!」

妹の声。

ざわ……ざわ……

胸が締め付けられる。

温かい。

あまりにも温かい。

――次の瞬間。

炎。

赤い。熱い。

叫び声。

「やめろ……やめろ……!!」

成実の声。

だが届かない。

家族が――消えていく。

ざわ……ざわ……ざわ……

――違う。

場面が変わる。

静かな部屋。

机に向かって、必死に勉強している成実。

震える手で参考書をめくる。

「……絶対に……医者になる……」

決意。

復讐じゃない。

この時はまだ――純粋な願いだった。

「……あの先生みたいに……人を救うんだ……」

ざわ……

胸が痛い。

――そしてまた変わる。

キッチン。

小さな成実が、嬉しそうにパンケーキを見つめている。

「わあ……!」

たっぷりのホイップクリーム。

「いただきます!」

頬を緩めて、幸せそうに食べる。

ざわ……ざわ……

その光景を――

遠くから見ている影。

――母親。

柔らかく笑っている。

「……よく一人で頑張ったわね」

優しい声。

「医学部に合格して……本当に……」

涙を浮かべながら。

「いとしの成実……」

その手には――

ホイップクリームを山ほど乗せたパンケーキ。

「ほら、好きだったでしょ?」

ざわ……ざわ……

応援している。

ずっと。

ずっと、見守っている。

――視界が戻る。

俺は息を荒くしながら、成実を見つめる。

「……パンケーキ……」

掠れた声で言う。

成実の目が、見開かれる。

「ホイップクリーム……山ほどかけるの……好きだったよな」

沈黙。

「……っ……」

震える。

「それ……誰にも……」

声が崩れる。

「誰にも話したことない……」

ざわ……ざわ……

俺は、ゆっくりと言う。

「母親……言ってたぞ」

「“いとしの成実”って……」

「“よく頑張った”って……」

その瞬間。

膝から力が抜ける。

ドサッ――

成実が崩れ落ちる。

「……お母さん……」

涙が溢れる。

止まらない。

ざわ……ざわ……

俺は続ける。

「妹も……言ってた」

成実の肩がビクッと震える。

「自転車……練習してただろ」

「転びながら……何回も何回も……」

「それを……後ろから支えてた」

成実の呼吸が荒くなる。

「やっと一人で乗れたとき……」

「“お兄ちゃんが大好き!結婚したい!”って……言ってた」

ざわ……ざわ……ざわ……

「……やめて……」

涙が止まらない。

「やめて……」

でも俺は止めない。

「今でも思ってるってさ……」

「待ってるって……」

「だから――」

言葉が詰まる。

それでも、絞り出す。

「天国に来てほしいなんて……思ってねえ」

「……生きてほしいって言ってる」

ざわ……ざわ……

「……っ……ああああああ……!!」

ついに。

堰が切れた。

声を上げて泣く。

崩れる。完全に。

復讐も、仮面も、全部。

俺はその姿を見て――

拳を握る。

震えている。

「……俺はな……」

かすれた声。

「この能力で……誰かの命を救ったこと……一度もねえ」

ざわ……ざわ……

「事件の後に……使うだけだ……」

「終わった後に……知るだけだ……」

歯を食いしばる。

血の味がする。

「でも……」

成実を見下ろす。

「……あんたが初めてだ」

ざわ……ざわ……

「初めて……救えるかもしれねえって思えた」

静かに言う。

「そしてあんたは……」

「もう、何人も救ってきたんだろ……?」

医者として。

人として。

「だから……」

声が震える。

「ここで終わるなよ……」

ざわ……ざわ……

「これからも救えよ……!」

沈黙。

涙だけが、落ち続ける。

――その涙はもう、復讐のものじゃなかった。

ざわ……ざわ……

成実の肩が震え、膝から力が抜け、涙が止まらない。俺はその傍で、ただじっと見守るしかできなかった。胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。こいつの復讐心を食い止める――その重みが、ずっしりと俺の肩にのしかかる。

「……あっ……」

小さな足音が聞こえた。振り向くと、こうちゃん、服部、そしてコナンが立っていた。

ざわ……ざわ……え、どうして今ここに?

「成実、これだ」

こうちゃんが手に持っていたのは、一通の手紙と小さな楽譜。

成実の手が止まり、目が大きく見開かれる。

「……これ……私の父が……?」

ざわ……ざわ……息を呑む。俺も思わず息を止めた。

父親が、息子に残した証拠と楽譜――すべてを、この三人が運んできたのか。

泣き崩れる私を見て、三人が必死で事件を食い止めたんだと理解する。

服部が、そっと楽譜を差し出す。

「これ、あんたのもんや」

成実が楽譜を手に取る。指先が震え、ページをめくるたびに涙がこぼれる。

「父さん……こんな風に……私に伝えたかったんだ……」

ざわ……ざわ……涙と嗚咽の中に、父の思いがあふれてくる。

その姿を見て、俺はそっと寄り添った。肩に手を置き、温もりを伝える。

「大丈夫……もう大丈夫だ……」

空気を読んで、こうちゃん、服部、コナンはそっとその場から離れる。背中越しに、穏やかに笑う二人と小さな姿のコナン。俺はただ、成実のそばにいた。

「カイジ……ありがとう……」

成実が嗚咽をこらえながらも、笑みを浮かべて俺を見上げる。

「私……もう……復讐なんて考えられない……」

ざわ……ざわ……胸の奥がじわりと温かくなる。

長い間、止められなかった悲劇。今日、初めて……誰かを守ることができたんだ。

「まあ……少し落ち着いたか?」

「うん……ありがとう、カイジ……」

俺は苦笑いしながら、椅子に腰かける成実の横に座った。雑談をしながら、少しずつ笑いも混ざる。

「いやあ……これからどうするんだ?」

「私は……とにかく生きる。そして医者として……人を救う」

ざわ……ざわ……その言葉を聞いて、俺は胸の奥がぎゅっとなる。

ああ……この人は、医者としても、人としても強いんだ……。

ふと成実が小さく、恥ずかしそうに声を絞り出す。

「……ねえ、カイジさん……」

俺は振り向く。

「何だ?」

「私が……去勢手術で女性になったら……お嫁さんに……もらってくれませんか?」

ざわ……ざわ……

 

(×××……)

思わず吹き出しそうになり、そして笑いながらも胸が熱くなる。

「……ああ……それなら、考えてやるよ」

成実の頬が赤く染まり、涙と笑顔が混ざった。

ざわ……ざわ……島の風が穏やかに吹き抜ける。

長い闇のあと、ようやく、救済の光が差した瞬間だった。

 

***エピローグ***

ざわ……ざわ……

島の港に面した小さな食堂の中、俺たちは長テーブルを囲んで座っていた。皿の上には山盛りの魚料理――焼き魚、煮魚、刺身、唐揚げ……島の海が育てた恵みが所狭しと並んでいる。

「うわ……これ全部俺たちで食えるのか?」

思わず俺が声を上げる。目の前に並ぶ魚を見て、さっきまでの緊張がふっとほどける。

「せっかく来たんだ、食わなきゃ損だぜ」

服部が笑いながら、箸で刺身をつまむ。俺はその横で煮魚を口に運び、思わずうめき声をあげる。

「ふう……やっぱり、こうして無事に食べられるって幸せだな」

小五郎(こうちゃん)が酒も少し入ったような顔で、箸を置きつつ笑った。俺もつられて笑う。

「それにしても……今回は本当に、事件が起きなかったね」

コナンが小さな声でつぶやく。

「へ?どういうことだ?」俺が聞き返す。

「だって……初めてじゃない。事件が起きなかった日って」

コナンの目が少し輝いている。確かに……俺たちはいつも、後手後手で事件の後片付けをしていた。今日は違った。未然に防いだんだ。

「なるほど……つまり俺たちの勝ちってわけだな」

俺は魚を頬張りながら言う。ざわ……ざわ……胸の中にじんわりと温かさが広がる。

「みんなの連携があったからだな。俺だけじゃ到底無理だった」

服部が俺に視線を送る。軽く頷き返す。心の中では、あの島での成実との戦いの記憶がよみがえる。

「コナン君、服部、こうちゃん……そして蘭さんも」

俺は思わず箸を置き、感謝の気持ちを込めて言う。全員が頷く。静かに、でも確かに、連帯感が漂っている。

「それに、成実先生も……救えたんだと思う」

蘭が小さな声で言う。

「そうだな……あいつが笑ってくれたことが、一番の収穫だ」

俺は魚を口に運びながらも、心の中で再び確認する。未然に防ぐことの重みを、初めて実感した瞬間だ。

「やっぱり、未然に防ぐってのは……格別だな」

小五郎が肩を揺らして笑う。

「ま、でも次はどうだか分からんけどな」

服部が冗談めかして言う。俺もつられて笑う。

「今日は、とにかく良かった。事件がなくて、みんな無事で……」

コナンが窓の外を見ながら言った。海の青さと空の光が、俺たちを包む。

ざわ……ざわ……俺たちは黙々と魚を食べながら、時折笑い、時折雑談する。事件を防いだ手ごたえ、成実の救済、そして友情の確かさ。

「俺たち、結構いいチームだな……」

俺はつぶやく。誰も反論しない。

ざわ……ざわ……心地よい疲労感と満腹感。

今日、この島で過ごしたことは、ずっと忘れられない日になる――いや、忘れてはいけない日になる。

「さて……最後にデザートでも行くか?」

服部が笑いながら言い、俺たちはまた次の楽しみに思いを馳せる。

ざわ……ざわ……今日一日の重さと温かさを噛み締めながら、俺たちは穏やかな笑いに包まれていた。

 

次の日……

ざわ……ざわ……

港の波が揺れる音を聞きながら、俺は成実先生を見送る。朝日が海面に反射して、金色の光が二人の影を長く伸ばしている。

「カイジさん、私……立派な医者になります。これからも、多くの人を助けてみせます」

成実の瞳は真っ直ぐで、決意に満ちている。俺は胸がぎゅっと締め付けられ、思わず目頭が熱くなる。

ざわ……ざわ……この島で起きた数々の出来事、未然に防いだ命、そして彼女の生きる意思。全部が、この瞬間に集約されたような気がする。

「成実……元気でな……」

声がかすれ、涙が頬を伝う。成実はそんな俺を見て、くすっと笑う。

ざわ……ざわ……え?

「行ってなかったっけ?東京に住んでいて、月に数回この島に来るんだよ」

その言葉と同時に、成実は笑顔で俺の腕を軽く組む。

港の風が頬を撫で、ざわ……ざわ……心地よい緊張と安堵が混ざる。

船が港を離れ、島が徐々に遠ざかっていく。空は澄み渡り、海は静かに輝いている。心の中に、事件の影も、悲しみも、ざわざわ……も、全部が遠ざかっていくようだ。

 

ざわ……ざわ……俺の胸にぽかんと空いた隙間が、今は希望で満たされていく。

 

未然に救った命、信頼できる仲間、そしてこれからの約束。すべてが、朝の海の光のように、眩しく輝いている。

ハッピーエンド ~成実先生が生存する世界線~




初のアニメ回スペシャルであり、さらに事件の犯人が死亡するという、『コナン』の中でも稀な展開の作品です。
本作については、「事件を起こさない」というパターンで描いてみようと考え、カイジの“心を読む力”を活かした物語にしました。

また、カイジが初めて自身の能力を他者に打ち明ける相手として、成実先生が最適だと考え、この構成にしています。
「事件を未然に防ぐこと」がカイジにとっての目標であるため、原作をベースにしつつも、ほぼオリジナルの内容となっています。

このような形で「このエピソードをカイジで見てみたい」というご要望があれば、アニメの話数とその見どころをお伝えいただければ、今後取り扱うかもしれません。

また、映画については『十四番目の標的(ターゲット)』を扱う予定です。
一から順番に狙われていく中で、服部が「十番目に狙われるやつは、首チョンパされて爆破されて、切り刻まれるかもしれへんな。なんたって十番目やし」といった冗談を口にし、それを聞いたカイジが「イトウ→トウ(十)」と連想して怯える――そんな展開を考えています。
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