喉が、乾く。
視線は逃げ場を失い、空気は重く、粘つくように肌にまとわりつく。
追い詰められている――そう、はっきりと自覚できるほどに。
「いや。俺らが現場に向かうときに階段を使って下った。そして3分かからないくらいだった」
声は出る。
だが、内側では別の何かが軋んでいる。
「登りの方が大変だから約6分だと考えて発言したんだ」
理屈としては通る。
「それは分かった」
だが。
目暮警部の目は、まだ鋭い。
「なぜ、銃弾の発砲がVTRから3分後だと分かったんだ?」
一拍。
「7階は全て防音なのに」
ざわ……ざわ……
空気が、また一段重くなる。
――そうだ。
ここだ。
完全な矛盾。
聞こえるはずのない音を、俺は知っている。
考える。
だが。
考えれば考えるほど――
“言い訳”が、薄っぺらく見えてくる。
何を言っても、不自然になる。
――まずい。
「それは……」
言葉が、止まる。
「ん?なんだ?」
圧。
視線の圧。
疑いの圧。
……無理だ。
ここで適当に誤魔化したら、終わる。
完全に、詰む。
「今は言えない」
口から出たのは、そんな言葉だった。
「は?どういうことだ?」
当然の反応。
だが――もう、腹は括った。
俺は一歩、近づき。
小さく身を寄せる。
そして、耳元で囁く。
「犯人を特定している……」
自分でも驚くほど、低く、はっきりとした声だった。
「だからこの話は、ここではできない」
目暮の表情が、わずかに変わる。
「……じゃあ個室へ移動して話せ」
――よしっ。
胸の奥で、小さく拳を握る。
時間を、稼げた。
個室までの間に。
何か。
何でもいい。
この矛盾を埋める“答え”を、捻り出すしかない。
一方で。
別の場所。
現場に残った、あの男。
服部平次。
彼の視線は、すでに“別の何か”を捉えていた。
(犯人がたまたま部屋を通って乱射?……何のためや?)
違和感。
それが、彼の中で膨らんでいる。
床に這いつくばるようにして、痕跡を探す。
その時――
ゴツン。
「いってえなぁ……」
額に走る衝撃。
視線の先には。
江戸川コナン。
「またガキが探偵ごっこかよ」
「ごめんなさあい」
だがその顔は、謝っているようでいて――
どこか、鋭い。
「だっておかしいんだもん」
「何がや?」
「だってさ」
コナンの視線が、弾痕をなぞる。
「3発は変なところに当たってるのに、頭だけはちゃんと命中してるでしょ?」
一拍。
「素人なのかプロなのか、よく分からなくて」
(……言われてみると、そうや)
服部の中で、ピースが動く。
「確かに……」
ゆっくりと立ち上がる。
「そもそもマカロフは扱いが難しい銃や」
視線が鋭くなる。
「それに気になるのは、それだけやない」
「え?なになに?」
「被害者は、殺される時に誰かと通話してる」
携帯を示す。
「履歴がその証拠や」
「でも非通知……」
「せや。誰かは特定できん」
一拍。
「おそらく――犯人や」
空気が、わずかに張り詰める。
「あともう一つ」
コナンが続ける。
「4発目の銃弾……どこ行ったんだろうね」
窓の外を見る。
「外にあるよね?」
「……きな臭いな」
服部の口元が、わずかに歪む。
「4発目の行方……それが鍵や」
そして。
帽子を逆に被る。
「行くで」
次の瞬間には、もう走り出していた。
それを追う、小さな影。
コナン。
「隣は会議室か……」
走りながら、視線を走らせる。
「ん?」
一瞬。
ガラス越しに見える。
目暮と。
カイジ。
何かを話している。
「……まあええ」
視線を切る。
事件は。
まだ、終わっていない。
むしろ――
ここからが、本番だ。
会議室。
ドアが閉まった瞬間、外のざわめきが遠ざかる。
静寂。
だがそれは、安心できる静けさじゃない。
むしろ、逃げ場のない密室に閉じ込められたような圧迫感。
「で、犯人は誰なんだ?そしてなんで発砲音が聞こえたんだ?」
低く、鋭い声。
目暮警部が、まっすぐに俺を見る。
――ここが勝負どころ。
ここでミスったら、終わる。
頭の中で、何度も組み立てた“仮の答え”。
それを、吐き出す。
「まず犯人は――松尾」
一瞬の静寂。
「なんだって!!!?」
声が、室内に響く。
当然の反応。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「それで、聞こえた理由は……」
わずかに言葉を選ぶ。
ここが一番危ない。
「俺、VTRの時にトイレに行ったんだ」
心臓がうるさい。
「それで……まぁ、その……うんこするから、窓を開けた」
自分で言ってて、なんとも間抜けな理由だと思う。
だが――
“あり得る話”にしなきゃいけない。
「それで聞こえたんだ。発砲音が」
一拍。
「……なるほど」
目暮が腕を組む。
「それは筋が通っているな……」
――通った。
とりあえず、一つ。
綱渡りの一本目。
「で、なぜ松尾が犯人だと?」
次。
ここも、落とせない。
「松尾は、お腹を押さえて飛び出した」
あの時の光景を思い出す。
「俺もその跡を追った」
事実と嘘を、混ぜる。
「で、当然トイレに行くだろ?」
理屈を積み上げる。
「お腹が痛いなら、一番近くのトイレに行くはずだ」
視線を、目暮に合わせる。
「でもな――いなかったんだ」
一瞬、空気が止まる。
「俺がフラフラしてたのは、トイレを探してたからだ」
ここで、目撃証言を回収。
「7階のトイレは一箇所しかない」
「普通なら、いるはずだろ?」
「でも――いなかった」
言い切る。
沈黙。
「……確かに」
ゆっくりと頷く目暮。
「それが本当なら、松尾は何かを隠していることになる」
さらに。
「犯人の可能性が高くなる……」
――よし。
通った。
「分かった……松尾に聞く」
決断。
「一度現場に戻るぞ」
――よしっ。
胸の奥で、ようやく息が抜ける。
とりあえず。
切り抜けた。
だが――
これは、ただの“延命”。
本当の勝負は、これからだ。
再び、現場。
空気は、さっきよりも重い。
「松尾さん」
目暮が声をかける。
「VTRの4分間、席を外していたようですが……何をしていたのですか?」
全員の視線が、一人に集まる。
松尾。
「ああ……」
少し間を置いて。
「お腹を壊してしまいましてね……トイレに行ってました」
――来たな。
想定通りの答え。
「7階のトイレ、ということですね?」
その問いに。
松尾の目が、わずかに揺れる。
――来い。
崩れろ。
だが。
(……ん?)
その瞬間。
“別の違和感”が、空気に混じる。
松尾の表情。
ほんのわずか。
だが確かに――
何かを計算している顔。
(階数を気にするのか……)
その思考は、俺には聞こえない。
だが。
“何かを考えている”気配は、感じる。
(……いや)
違う。
俺は知っている。
あいつは――
“やっている”。
「はぁ……そうですが……何か?」
平静を装う声。
「いやね……」
目暮が続ける。
「カイジ君もトイレに行っていたのですが……」
一拍。
「松尾さんと会っていないそうです」
ざわ……ざわ……
来た。
ぶつかる。
俺と、松尾の証言。
二択。
(くそ……あの野郎……)
松尾の目が、わずかに細まる。
(なるほどな……そういうことか……)
空気が、変わる。
(警部からすれば……俺とカイジ、どちらかが嘘をついている)
そして。
(なら――カイジを犯人に仕立て上げるしかない)
その結論。
見えなくても、分かる。
あいつは――
来る。
俺を、落としに。
ざわ……ざわ……
空気が、再び荒れる。
――そうなるよな。
内心で、静かに呟く。
ここからが、本当の地獄だ。
だが。
引くわけにはいかない。
この勝負――
負けたら終わりだ。
現場に戻った空気は、明らかに変わっていた。
張り詰めている。
誰もが、誰かを疑っている。
そしてその中心に――俺と松尾がいる。
「毛利君、君ならこの状況どう見るかね?」
目暮警部が問いを投げる。
その視線の先。
毛利小五郎が、顎に手を当ててゆっくりと口を開いた。
「どうと言われましても……」
静かな声。
だが、その中に確かな芯がある。
「カイジか松尾さん、どちらかは嘘を吐いている」
一拍。
「なら、2人に議論させるべきでしょう。そこから情報が落ちる」
冷静。
無駄がない。
「現状の不明点は――ダイイングメッセージの『カイニ』、マカロフの入手経路、動機、殺害方法、そしてどちらがトイレに行っていたのか」
整理されていく論点。
「このあたりではないでしょうか?」
「さすが毛利君……」
目暮が頷く。
「確かにそうだな。このあたりを2人に話させよう」
そして。
「君も発言を聞いて判断を頼みたい。あとは服部君も呼んで、3人で判断する形にしよう」
「それは妥当ですね」
――最悪だ。
内側で、嫌な汗がじわりと滲む。
三人。
名探偵クラスが三人で判断。
普通なら心強い布陣。
だが今は――
俺にとっては“処刑台”に等しい。
その時。
「おっ、なんや。空気ピリピリしとるな」
軽い声とともに現れたのは――
服部平次。
「俺を待ってたんか?」
「そうだ」
「なら土産や」
手に持ったものを差し出す。
「4発目の銃弾や」
一瞬、場がどよめく。
「窓から垂直の位置に、地面にめり込んどった」
そして。
「トリックと犯人候補、2択まで絞れたで」
――こいつ……やっぱ化け物だな。
内心で舌を巻く。
「探偵坊主」
目暮が続ける。
「お前にも判断して欲しい。松尾さんかカイジ、どちらが犯人かを」
「なんや、おっちゃんたちも絞っとったんか」
服部が少し拗ねたように頭の後ろに手を回す。
「え、どうやって?」
江戸川コナンが問い返す。
「簡単や」
小五郎が答える。
「VTR中に抜けたカイジはトイレに行った。しかし松尾さんは見ていない」
一拍。
「逆に松尾さんはトイレに行ったが、カイジを見ていない」
「7階のトイレは一つ」
「だから――どちらかが嘘を吐いている」
(……なるほど)
コナンが小さく頷く。
――確かに、その詰め方もあるのか……
内心で、苦く笑う。
俺は別ルートから攻めていたが、
こいつらは“状況の矛盾”だけでここまで絞る。
やっぱり、格が違う。
そして。
俺は――松尾を睨みつける。
逃げるな。
ここで決める。
「俺から行かせてもらうぜ」
声に、力を込める。
「服部のお陰で、トリックは分かった」
(ほぉ……)
服部が、わずかに口元を緩める。
(お手並み拝見やな、カイジ)
「松尾は――」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「VTRを流してすぐ、隣の会議室に移動した」
視線を固定する。
「そして携帯で、非通知で諏訪に電話をかけた」
空気が、静まる。
「どんな内容かは分からないが、窓の外を見るように仕向けた」
「そして――7階の窓から、4階の窓に顔を出した諏訪を撃った」
全てが繋がる。
「だから4発目の弾丸は、地面にめり込んでいた」
「部屋の3発はフェイクだ。中で撃ったように見せるためのな」
さらに畳みかける。
「諏訪の番号は俺は知らない。初対面だからな」
「それに、発砲音は1発しか聞こえていない」
「だから残り3発はフェイク」
一気に言い切る。
「それを準備できるのは――テレビ局員の松尾だけだ」
「これで充分だろ」
沈黙。
――やべえ。
自分でも分かる。
これは――通ってる。
完璧に近い。
推理力。
確実に、上がっている。
「せやな」
服部が頷く。
「俺も同じこと考えとった」
「充分あり得る」
小五郎も続く。
「なるほど……」
目暮が腕を組む。
「じゃあ松尾さんが犯人か」
――決まった。
そう、思った。
「待って下さいよ」
その一言で。
空気が、ひっくり返る。
松尾。
眼鏡の奥の目が、細く光る。
「私の話も聞いて下さい」
冷静。
いや――
余裕すらある。
「殺害方法は、私も同じ意見です」
……は?
一瞬、思考が止まる。
「ただし」
ゆっくりと。
こちらを見る。
「カイジ君と諏訪には、面識があったと考えます」
ざわ……
「カイジ君が電話で呼び出し、射殺した」
――来た。
完全に。
俺に被せてきた。
「そもそも」
さらに踏み込む。
「カイジ君と諏訪が“絶対に面識がない”根拠、説明できますか?」
ざわ……ざわ……
――は?
頭が、一瞬白くなる。
「えっ……ねえよ……そんなの」
当然だ。
“ないことの証明”なんて、できるわけがない。
「そういうことです」
松尾が、薄く笑う。
「可能性がある以上、カイジ君にも同じ手口が使える」
理詰め。
逃げ道が、塞がれていく。
「それに」
「テレビ局での犯行は、私が疑われる要素になる」
「普通はやらない」
「それを逆手に取ったんだろ」
思わず言い返す。
「地理的優位を使ったんだ」
「では逆も言えます」
即座に返される。
「部外者のカイジ君なら、疑われにくい」
「だからここで殺した」
……くそ。
完全に、論理で押してくる。
「それはねえよ!」
声が荒くなる。
「そもそも動機がない!」
「何度も言ってるが、初対面だ!」
その時。
松尾が――笑った。
ぞっとするような笑み。
「くっくっく……」
「初対面で動機がない、と……誓えますか?」
一歩、踏み込んでくる。
「あとで撤回しませんか?」
ざわ……ざわ……
――なんだこいつ。
胸の奥が、熱くなる。
犯人のくせに。
よくも、ここまで――
「犯人は嘘を吐くものです」
「人を殺しているから」
「そして矛盾を指摘されると撤回する」
視線が刺さる。
「だから誓えますか?」
「本当に初対面で、動機がないと」
――ふざけるな。
「ああ」
睨み返す。
「撤回しねえよ」
「動機はない」
「初対面だ」
「諏訪なんて知らねえ」
松尾は、眼鏡をくいっと上げる。
「動機はありますよ」
静かに。
確実に。
「今回の企画を考えたのは、諏訪です」
ざわ……
「指名手配、そして生放送――全て彼の案です」
胸の奥が、ざわつく。
「日売テレビは数字を取るためなら何でもする」
「あなたは無実でも、ネットではおもちゃ」
事実。
否定できない。
「普通は、病むか……復讐心を抱く」
「実際、そういう人間は多い」
……くそ。
全部、事実だ。
だからこそ、刺さる。
「つまり」
「カイジ君には動機がある」
ざわ……ざわ……
――やべえ。
完全に、流れを持っていかれた。
「やはりカイジか……」
目暮が呟く。
「あり得るかも知れませんね」
小五郎も続く。
「今のところ……どっちもどっちやな」
服部が静かに言う。
――くそ。
追い詰められている。
だが。
まだ終わってない。
“あれ”がある。
『カイニ』
あのダイイングメッセージ。
――あれさえ解ければ。
まだ、逆転できる。
絶対に。
ここで終わるわけにはいかない。
諏訪は第二話に出てきています!